2017/09/05

第185号:問題提起:ICT産業革命の変化に立ち向かう

<コンテンツ>
一旦下降する経済社会の中でも、地に足をつける
門前ばらい! が相次ぐ 労働基準監督署の窓口
  ・本年度の新人監督官の現場配置を控え現状次の通りだ
  ・そこで、厚労省の本省監督課に電話インタビューしたところ
  ・さて、ここからは、監督署に対する実務の専門的話
  ・実務のポイントは 次の三つである。
  ・この場合の根本的な錯誤は、監督官が業務を「こなす」
マイナンバー関連情報 (専門業者は投資回収できず?)
学術論文:「固有文化価値を生み出す労働価値と、その交換の仕組み」
  §1.世界最初に芸術性を産業に持ち込んだ経営者
  §2.「地方経済の起死回生」の取り組みのヒント
  §3.「新型女性労働」 とはどんな働き方?
  §4.学術専門家向け補足説明(この先は極めて専門的、必読推奨しません)


§一旦下降する経済社会の中でも、地に足をつける
社会の機能が空回りをして麻痺する中(この差異詳細省略)で、地に足をつけて着実に経営や生活の基盤を固めることが大切である。意地になって、トップの座を維持するとか、地位を維持するとか、あなたの身近でもそんな人たちが派手な動きをしているのは、8月後半から著しい状況である。恐らくそれは日本全体の世相だろう。(社会心理学としても)人々は、そんなに個性的ではなく、そんなに我が道を行く人ばかりではないから、そういえるのである。さて、
そんなときに、地に足をつけて着実に基盤を固める人たちは、転落をすることがない。着実に基盤を固めるために生活保護の申請をするのも、敗者復活を認める憲法に基づく権利で、安定した近代社会を作り上げて来た人類の知恵なのである。確かに善悪を問うことなく、人がやらないことをすれば、確実に不幸からは脱出できる。ところが、良心(Conscience:フランス語読み)に基づくことがなければ、一瞬の成功はあり得ても、明日には抹殺される可能性は高い。有名な例が、ホリエモンや橋下徹元大阪市長である。
この良心(Conscience)は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、そして仏教の一部にも内在されたグローバルな共通理念である。日本国憲法の、多数決で決めてはいけない基本的人権という権利は、この良心(Conscience)から記述が始まっている、そこには意味があるからだ。
さて、あなたは、今から更に下降する経済社会の中で、どんな行動を行いますか。


§門前ばらい! が相次ぐ 労働基準監督署の窓口
はてさて、その本当のところは何なんだろうか。労働基準監督官の、単に人手不足とかとは考えられない。ある情報筋からは、「監督官を増員をするが、就業規則作成整備とかの契約行為や民事的な動きを行う方向に厚労省は舵を切っている。実態としては摘発には重きをおかない」との転換を、厚労大臣が行ったとの話がある。ただしこれは、大手マスコミ関係で流れる厚労省関係のガセネタとは情報筋が違う。
だが仮に、現在の労働基準監督官に、契約行為や民事的な判断や動きを求めたところで、所詮は民間企業で働いたこともない公務員であって、まして民事法のマニュアル:要件事実や要件事実論など教育を受けている者は皆無に等しい。従って、「厚労省が舵を切った」と言っても、仕事をさばく質量が落ちるだけではないかと懸念される。それにも増して、労働基準監督署窓口が次に示す通りだとすれば、実際に監督署の窓口を訪れる人に限っての、「紛争解決機関」に変質している、すなわち公務員の民事介入(違法行為)の効果と揶揄されても仕方がない実態なのである。

本年度の新人監督官の現場配置を控え現状次の通りだ
残業不払い、パワハラ、長時間労働の訴えが相次いでいる。が、どうもここにきて労働基準監督署の監督官から、「電話で門前払いされた」との声が多く出されている。共通している酷いケースは電話による訴えを行った場合などである。
労働者が労働基準法などで相談したいといえば、総合労働相談コーナーに来いと振ってしまわれる。それはまだしも、監督官人員が少ない中での行政サービスとしては仕方がないかもしれない。
ところが、「法律違反だと思うから何とかしてほしい」といったことになると監督官は、電話では話を聞かない、名前を名乗れ!、監督署に来い!といった返答が即座に返ってくることが多いようだ。
第一線は退くものの現役監督官の言い分は、
「本人でない家族から訴えられても話が曖昧だ」とか、
「ガセネタかもしれない」とか、
「会社調査いったが、空振りに終わるかも」とか、
挙げ句は「曖昧な情報で監督官が下手に動くと、会社側に隠される」
といったふうな、まるで素人の専門職らしからぬ理由が返ってくる。
労働基準監督官は司法警察権を持っており、たとえて言えば通常の警察官でピストルなど武器を持ってないだけの公務員である。さらに、ある最前線の監督官は、個人の金銭などの利害がかかることだから、「調査に入ったときに氏名が分からなければ(事案本人の)特定が出来ない」と監督行政の曲解を言い出す始末である。まるで法律で禁止されている民事介入そのものを話しているのである。

そこで、厚労省の本省監督課に電話インタがビューしたところ
そういった、電話では話を聞かないといったようなことは、本省から指示していないとのことである。
本省監督課とは様々意見のキャッチボールをしたけれど、“電話では話を聞かない”とか“名前を名乗れ!”と発言するような監督官の存在が、本省監督課からすれば信じられないようである。東京、名古屋、大阪といった大都市部の監督署では結構発生していることに気がついていないのも確かなようだ。確かに官僚機構は、上の方から下を見ても末端現場が分からない仕組みには違いない。
本省監督課は、「電話であっても(情報)記録は取っている」と話す。
だが、門前ばらいをして会社名とか訴えの内容とかを聞くことがなければ、現場の監督官の(情報)記録を取る手間の省けることは、大いに考えられることだ。それはよく見受けられる公務員のサボタージュである。
私が本省監督課に、「電話情報でも、キーワードを電子記録に残し、全国集計のビッグデータをとれば、傾向の判断ができたり、事件の当たりを予測もできるのではないか。そうすれば、監督官の人手不足も解消できるのでは」と語ったところ、確かに本省監督課は耳を傾けた。だがこの建議への直接の返答は無し、今の実情では出来ないことは確かに理解できるものであった。
本省監督課が強調したかったと思われることは、私の意見交換の中で、
「電話をかけて来た人の周囲で法違反があるから何とかしてくれ。という話は重要です」
と語ったことだ。これは最前線の監督官の、“労働基準法の申告制度を、単なる個人の金銭などの利害問題に矮小化する傾向”をはっきりと否定したものである。

さて、ここからは、監督署に対する実務の専門的話
ここまでは専門家同士であっても、素人の世間話域だ。
まず、門前ばらいが絶えない或いは増加していることは調査データがないとはいえ、インテリジェンスとしては存在する事柄だ。そのような思考パターンや曖昧さと矛盾に満ちた論理構成に労働基準監督官が陥り、その影響で社労士などの専門家が混乱をきたす原因を、ここでハッキリさせる必要がある。下世話な話は、巷に数多くの書籍出版がされているが、この際は無視して差し支えない。

実務のポイントは 次の三つである。
①民事法上の考え方や裁判例を監督官が熟知しているわけではない。
一方で、弁護士、社労士その他人事担当者は民事上の損害賠償に関心が高く、労働基準法の刑事法上の構成要件などが詳細には解らない。はたまた勢い、監督官の話からは民事法上の根拠もない会話が飛び出す。
②労働基準監督官は労働基準法の告訴・告発にかかる書類送検に論理が集中。
すなわち刑事法上の構成要件をハッキリさせる視点である。刑事法上の構成要件は民事法で話題となる要件事実とは異なる。本来、要件事実は終戦直後に裁判官の審理マニュアルとして開発された方式で日本独自のもの、今なお、その審理マニュアルとしての限界から裁判所は脱していないでいる。ここに弁護士や社労士の論理構成(が成立したとしても)、それと監督官の構成要件による説明との食い違いが生じるのである。
法律の目的や理念が異なれば、手続きはもちろん全てが変わる。例えば、タイムカードで労働時間管理をするとする会社の賃金支払義務は、タイムカード打刻時間の通りとなるだが、これは民事裁判での審判である。ところが、所定時間外に明確な労働を指揮する指示が出ていない時間帯での拘束時間は、タイムカード打刻が存在したとしても、一概に労働をしていた事実が認められないこととなるとの判断が、刑事法上の構成要件である。この場合、検察庁への書類送検そして起訴は行われなくても、民事上の債権債務は存在することとなる。民事法と刑事法の違いといった具合だ。
③監督官の「監督指導」の業務は、昔から問題にはなっていた。
それは、労働基準法で法定されているから仕方がないのだが。片や刑事法上の監督権限で会社や労働者と会話をする、他方では指導として労働基準法周知及び法適用を促進する論法である。すなわち権限や法違反の有無をかざすだけでは円滑に進められないとされる業務。取締りと法的を促進の両方が存在するのである。この段階で監督官は曖昧な話をしてしまうのである。
そのため昔は電話で、「30日分さえ払えば、解雇出来ます」と、何らの疑いもなく監督官は話をしていた。ところが、それを信じた使用者が労働者を解雇したところ、裁判所で会社は敗訴するわけであった。
最近の監督官の会話では、「労働時間の記録をつけることは会社の義務」と言い切るが、記録は労働時間や賃金支払の根拠となる記録というだけのことであって義務ではない。記録の義務化をする労働安全衛生法法改正の話題が流れているだけである。“タイムカードを打刻させるのは会社の任意業務命令であって、打刻により賃金を支払うとの任意契約を会社が行っているに過ぎない”といった解釈が裁判例の定説なだけである。契約の自由に基づいて会社には統治権があるから、社員にタイムカード打刻させる権限は在る。そして、自ら決めた時間管理の方法により賃金支払などを行う統治義務も存在しているのである。このあたりは労働基準法とはまったく無関係である。しかしながら、労働基準監督官には、そういった仕組みの解らない人が多い。
要するに、①~③を抱えているのだから、ただ単に聡明なだけでは、労働基準監督官であるなしに関わらず、いずれの立場を問わず、物事を「こなす」ことが出来ないのである。

この場合の根本的な錯誤は、監督官が業務を「こなす」
といった、画一的ルーチンワークで業務を進めようと監督官業務を矮小化するところにある。だから、忙しいから手抜きをする監督官とか、
刑事法上の構成要件が頭を支配しているから曖昧となりやすい電話の話はしない監督官とか、
個人の金銭などの利害問題に矮小化する個人的本音を吐露する監督官とか、
そういったさまざまな理屈で装飾した言動に、労働基準監督官が陥ってしまうと考えざるを得ないのである。それは労働基準監督官の頭脳レベルが低いのではなく、独特の仕組みを持つ労働基準行政の総督府の問題であって、単なる官僚機構といった運営技術では補いきれない課題でもあろう。
そして、弁護士、社労士といった専門家は、
監督官とは異なり公務員ではないことから、何らの異議なく自律する公民である立場から、こういったことを充分念頭に置いて業務を納める、より高度な職業能力を必要とする。加えて法的にも弁護士、社労士は免許制度ではなく登録制度である。よって、いわゆるこれは倫理ではなくは職業道徳の課題に至るのである。決め手は労働能力の前提として、我々は自律することがポイントとなる。「自立」は自ら意思決定でき自ら働くことで、「自律」は自らの行動基準と目標を明確に持ち、自ら規範を作り出すことである。


§マイナンバー関連情報 (専門業者は投資回収できず?)
やはり、社労士関連業務の大手でも、マイナンバーは、とても微妙な事業であったようだ。全国社会保険労務士会も音頭を取ったのだが、社会保険労務士労使個々の実態は「笛吹けど踊らず」といったところであった。そもそも、士業資格業の共通原則は少なくとも、この半世紀においては、法的な権利義務が存在するところにビジネスチャンスがあり、ことに法改正はビッグなチャンスである。ところが、マイナンバーは、企業にとって権利義務の無い制度、そこに怪しげなIT企業がウロチョロしたとしても、所詮は法的担保能力がないビジネスであった。
1.財務省を除く各省庁の本省官僚、都道府県・市町村自治体の公務員、彼らの多くが、面従腹背、大抵抗を今も続けている。現実的物事や世論の反対にあうと、官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突するといった、歴史の法則、これが今もなお繰り返されている、それは文科省だけではない。今まで延期され、この秋実施の初の「個人番号の連携事業」も再び、省庁のプログラム作成瑕疵が今頃発見?され、約1年の来年まで延期となった次第である。本省官僚たちの面従腹背も必死である。
2.更に、全国社労士会の「瑕疵多かりし就業規則のひな形」は、企業の有益性や事業効率を無視した内容であった。これは、事業主には法的権利義務がないのに、社会保険労務士が、「人(事業主)のフンドシで相撲をとる」という、一目瞭然!(倫理の規定がないとはいえ)、業務道徳にかかわる問題が存在していたのである。マイナンバー制度は事業主に義務や権利を課すものではない。もちろん、個人や家族も法律的には任意制度である。それをあたかも「必要な物事?」かのようにPRすることを全国社会保険労務士会は、音頭を取り、営業ビジネス材料を提供したのである。社会保険労務士は登録制であり、免許制ではない。よって厚生労働省の外郭団体ではない。弁護士会と同様に独立した自治組織である、少なくとも法律の上では。だから私の場合も、事業主の利益に反する労働者の利益に反するとのキャンペーンを張って来たのである。私どもの契約先などには、マイナンバーに係る投資又は損失を与えることを避けることができた。
3.更に、実施する段階になって初めて、家族の個人番号を世帯主が会社に提供することの法違反、自治体の責務である住民サービスを優先させ個人番号による世帯収入の名寄せ把握は後回し、マイナンバーが医療行為の実務に誤診を生む(病名で全ての疾病や傷病が語られるわけではない懸念)から医師会使用停止など、マイナンバーの欠陥が露呈できたのである。マイナンバーの苦肉アイディアは、未だ出されるものの、肝心の個人情報保護法に反する物ばかりが目白押しなのだ。個人番号の安全管理体制が整わない企業が個人番号を集めれば個人情報保護法違反だ。社員に家族の個人番号を持って来させても同法に違反、窃盗罪にも該当する。だから個人番号を集めていない旨を税務署、市町村その他に、用紙に添え書きする程度で告げれば差支えないのである。そうすれば誰もが法律に違反することもない、行政機関の公務員も仕事をしていることにもなる。
https://www.nikkei.com/nkd/company/article/?DisplayType=1&ng=DGXLMS3802H93DV20C17A8000000&scode=3802&ba=8


§学術論文を発表:
「固有文化価値を生み出す労働価値と、その交換の仕組み」
この9月1日学術論文を学術学会誌に掲載、翌9月2日の日本学術会議指定の学会で発表。
全国の書店で注文いただけます。(書店注文:書籍番号ISSN2185-3665 国際文化政策第8号)

http://www.soumubu.jp/koyukachi.pdf

今回の学術論文は、経営実務に特化した内容を学術論文にまとめ直したものです。内容は、今年1月ごろからの「総務部メルマガ」の記事内容と相違はありません。
1)最終消費されるモノやサービスに芸術性を持たせると、「売れる商品」になることを科学的に明らかにし、そのメカニズムを説明しています。そのために、芸術とまではいかなくともアート域労働に対する報酬(労働者への賃金源資)の確保の方法とか、芸術性を生かす初歩的社内教育にも触れています。そこには、商品の“売れる会社”と“売れない会社”の差異がどこにあるのか、それを明確に解明しました。
2)①スキル(技能)、②パフォーマンス(職人技)、③アートArt域労働と、あえて労働概念を三分野に分解することで、教育・育成内容と労働能力発揮の方法が明確になったわけです。アートArt域労働の取引を「貸与契約又は所有権譲渡契約」とすることで流通が活発になること。こういった能力の持ち主を、ICT産業革命の中で手っ取り早く集めるには、「新型女性労働」の人たちであることを、日本ではタブーとなっている、「資本主義の本来的姿による経営管理項目」の視点を踏まえて学問的証明も行いました。これらは思いつきではありません、筆者をはじめ当社(株式会社総務部)の約40年にわたる英知と実験の成果です。
3)9月2日、京都での国際文化政策研究教育学会発表においては、大学教授、企業代表者その他研究者から相当の好評をいただきました。世界的な新学説と斬新内容であるとともに、経営や実務の最前線の方からは、「直ちに使える」とか、日本の学術や経営でのタブーがよく理解できたとのご意見をいただきました。論文掲載の学会誌も、たちまち在庫が無くなり増刷に入るとのことです。

§1.世界最初に芸術性を産業に持ち込んだ経営者
固有文化価値商品とは、誤解を恐れず短絡的に表現すれば、
「少しなりとも芸術性を持つから、長期に広く売れる商品群」といったところである。
A.これを実際に事業として成功させたのは、イギリスの壁紙とか家庭雑貨で有名な「モリス」と言われる、ウィリアム・モリスのモリス商会である。彼は、「人間は感情の起伏がなければ生きていけない」と主張し、美術面での芸術を工業デザイナーに取り入れた。人間が価値創造を行う活動と平行併設して、生活の中に様々な芸術を取り入れ、そのことで経済活動にまで育成させ、社会を構成する必要と需要を産み育てる事業をやって見せたのである。
B.先日、国際労働機関(ILO)の事務局長G.ライダーは(2017年5月12日東京)、「仕事の未来を考える論点」を、a.仕事の個人化と社会影響、b.全世界の仕事量、c.商業的請負化へのシフトか否かと、3点を基調講演で示している。その意味では、固有文化価値商品は経済先進国が取り扱う、さまざまな観光産業をはじめとし、その他でも世界経済を牽引する規模になりつつある。
C.モリスは当時、工芸職人らの猛反対&妨害受けながらも、商品に芸術性を含ませて壁紙などから販売を始めた。18世紀中ごろは、現代のように経済学や経営学あるいは商品に関する学問がなかった時代であるから、試行錯誤、迷信や世間体からのモリスらへの猛攻撃、関係者の私生活スキャンダルまで利害関係者から取り沙汰された。だが彼らは貫き、これが世界の工業デザインの元祖となり、商業デザインの世界にも広まったのである。日本各地に店舗がある“モリス雑貨”のブランド:ライセンス商品である。
D.ところで、モリスの妻は、映画「マイ・フェア・レディ」(オードリー・ヘップバーン主演)の実在モデルである。当時の駄馬の世話をする「馬てい」従業員の娘であったが、下町で拾われ認められ、映画のように芸術に語学など多彩な能力を身に着け、モリス商会のメンバーとして活躍した女性である。
E.筆者は、そういった映画「マイ・フェア・レディ」のことを“モリス雑貨”の何人かに話すのだが、未だ知っている人に出会ったことがない。「あのマイ・フェア・レディの御主人が“モリス雑貨”なのよ」と話せば、まず団塊の世代より上の人は映画を知っているだから、もっと“モリス雑貨”の商売に役立てるブランド営業トークに使えばと思うのだが。“モリス雑貨”の商品地位が、お高いのか?商売下手?なのか。

芸術の文化産業開拓者(net引用)
ウィリアム・モリス 映画:マイ・フェア・レディ ジェーン・モリス


§2.「地方経済の起死回生」の取り組みのヒント
9月2日、学会での発表の当日、実務研究の方からは、「全国各地のそれぞれの地域事情があるが、それはどうか?」との貴重な質問をいただき、次の通りの追加報告を行いました。
地方経済の起死回生には、
各々の個別企業での固有文化の測定作業をすればよく解り、その項目(草案)は次の通り。
①地域思考性の特徴を測定(数値や証拠に拘らない、合理一貫性&事実一致性が必要)
②知識及び知恵の質量を測定(数値や証拠に拘らない、合理一貫性&事実一致性が必要)
③共感作用Empathyにたいする共感精度を測定(社会心理学&脳科学・神経科学)
④個人の自律性について測定(基本的人権と民主主義実施状況の度合い)
※感情の虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)へのすり替えに注意


§3.「新型女性労働」 とはどんな働き方?
また、これについてのご意見も活発でした = 「新型女性労働」の経験則例示=
1.明確な労働契約、その内にも労働時間を日々調整する権利を認める。
2.仕事の出来仕舞い方式、職種によれば自宅で働く習慣の権利を認める。
3.同僚や管理職との意思疎通のeメールは止めチャットやインカムを使う。
4.自らの行動基準と目標を持たせ、その規範を自ら作り出す権利を認める。
5.年間や月決めの手当に、(後述する)アートArt域労働の貸借契約を含める。
6.パートも管理職や専門職に登用し、管理職給や専門職給の賃金を支払う。
7.他人や社会への共感作用と共感精度の程度を正当な労働能力として認める。
8.どんな仕事もアートArt域労働が欠ければ品質低下、売れない結末を説明する。
9.スキルは後で身に付く、パフォーマンスは練習すればよいことを認識させる。
10.アートArt域労働の基本を知ること、その能力を向上させる学習施策を行う。
  (例)服装は絵画、アクセサリーはアクセント装飾、それらはデザイン力向上
音楽リズムは話し上手、リズムと拍子は異なり、唄が仕事の品質を決める
詩は共感作用の物語、それは品物の意味を語る。コンテンツの芸術的表現
 (地味に、地味に、そして最後は艶やかにまとめる、それが基本方式)
「労働時間を日々調整する権利」は、20世紀初頭に、イギリスの経済学者マーシャルが提唱しているとの教授を会場からいただきました。現在オランダでは、労働時間調整法によって、仕事共有(ワークシェアリング)が、2000年ごろから職場のチーム単位で実施されることで、各人の自律心が高まり、結果として、オランダのGDPの伸び率は、日本の倍に至ったとの報告も行いました。会場からは、「男にも新型労働が必要ではないか」との指摘もされましたが、私は、「本日配布の論文本体の、妻の隷属問題」が頭にあったから、曖昧な返事をしました。要するに筆者は、妻の隷属を見ずして、単なる労働時間短縮や女性の社会進出の施策を実行したならば、問題となっている超過労働時間とか男女参画や家庭破壊は一層進まざるを得ず、複雑化すると考えているからです。


§4.学術専門家向け補足説明(この先は極めて専門的、必読推奨しません)
学術学会の当日セミナーに、ご参加いただいた方への補足説明 (20170902 村岡利幸)
①今般の論文冒頭に良心(Conscience:フランス語読み)を持ち出したのは、この用語がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の文化圏にあっては共通概念として存在し、諸研究によると仏教その他多くの宗教にも、用語は異なるものの、それが取り入れられ、「ある種の人類共通の文化概念」となっているところに因る。「善悪判断」はヘブライの発明とされるが、善悪と良心は次元の異なる概念である。明治初期に誤って「孟子(儒学者)」の用いていた用語(良心)を誤訳(1871年中村正直)したとの研究がある。ヨーロッパの市民革命前後に、「人間の作為によらない様としての自然状態に良心は密接に関係する」といった哲学、文学その他司法の判断が数多く存在ようである。それと同時に、「グノーシス(マニ教などを含む)」に関する激論は凄まじく、ノーバート・ウィナー(著書:サイバネティックス)とか、J.ガナシア( 2017年著書:「人工知能の真実を話そう」)など多くの研究者が、そのグノーシス論理を批判している。私の考えでは、グノーシスは歴史経過と論点の拡散によって掴みどころの無いモノとされているも、要するに、「知識偏重主義者」のなれの果てにすぎない思考習慣と判断されるでしょう。その結果、日本の工業製品の多くに当該グノーシス着想が表面化することによって、低価格や高度技術であっても、ISO(アイソ:国際標準化機構)その他の国際規格から排除されている原因ではないのか、これが私の分析です。

②文化資本や文化価値が、「経済活動に乗りにくい」 むしろ、「文化と経済がないとなれば汚れる」と主張する芸術家も少なくない。この課題を解決するために、筆者は200人弱の各界芸術家の名言を集積して分析を行なった。最も古い芸術家は15世紀中ごろ、興行師でもあった世阿弥である。(なお、芸術家名言を分析整理したExcelをご希望の方は、ご連絡を)そして、現在に至るまで、芸術性が文化の原因をして来たことは間違いがない。太古の昔から、アルタミラの洞窟壁画の通りである。

③歴史を振り返ると、経済学が形成されつつある当時の(自然)科学の論理に、その論理展開は大きな影響を受けつつ発展できたものが多いと思われる。経済学に「愛」を盛り込んだものはマルサスが最後ということらしい。ちなみに、ラスキンは経済学者に勘定されていない時代である。17~18世紀は、あまりにも有能大胆な論理を展開すれば、ハイネとかスタール(ルイ16世財務大臣の娘)のように哲学諸とか随筆家に扱われてしまう時代とのこと。それから、ラスキンの学説については、イギリスの習慣とか英国“欽定版聖書”の成り立ちの上で、内藤史郎教授の翻訳の深遠さに助けられてこそ、今般の研究が構築行きました、大いに感謝をします。

④心理学の実証研究は、行動経済学という現実世界への適用基準を発明した。ダニエル・カーネマンは、経済学者以外でノーベル経済学を受賞した。彼は行動経済学の分野を開拓した人で、自らを心理学者と語っているそうだ。「合理一貫性&事実一致性」といった論理構成に加えて、現代は「現実世界への適用基準」が必要とされる時代、すなわち基礎理論&工学理論の結合による「行動や実行」が、ICT産業革命により容易になりつつあることから、人々の参加という民主主義視点による思考習慣が取りざたされる時代に転換してしまったと考えられる。そこで、
・【合理一貫性】 自然であることとか良心の様などの哲学的論議は、神経科学や脳科学により解析が進んだ。「客観的合理的思考方法は、その人材を大量育成することを可能にし、集団が一体となって知識を徐々に蓄積していくには適した知識生産様式ではある。誰もが参加でき、客観的証拠という形に知識が収斂していくために、有無を言わさぬ形で、知識がある場面で固定される」として、「正しいことを知りたいなら結果だけを覚えればいい。プロセスの割愛が歴史的認識の空洞化はならない」(金森修2016年「科学思想史」岩波書店から引用)と、「実証主義」に陥ることを批判している。歴史の中のプロセスに合理性を見る作業は、変質した科学が普通の科学と混在している社会にあって、減の合理的思考の特徴や傾向を測る重要な評価項目ではないのか。
・【事実一致性】客観的物事の内の証拠のみを採用すると、一気に客観的合理的思考は収斂してしまう。証拠とは、あくまでも合理的推論の裏付けにすぎないが、ことさら事実のみを強調する証拠第一主義により、真実が隠れてしまう。「全体主義者は、専門教育のない者&教養のない者+職業経験の少ないインテリ達を理屈と行動で惹きつける。彼らは粗野で無教養の人間を理屈の自発的代弁者に仕立てる。インテリを組織や担当の口先ばかりの行動の任務者にする。して全体主義者は差配する者であったし、官僚は一枚岩ではなかった。権利や利害を守ろうとする頑強な社会層の抵抗に全体主義者は弱い。現実的物事や世論の反対にあうと、官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突する」(C.ルフォール2017年翻訳:「民主主義の発明」から引用)~との考察の実証研究がなされている。
・【現実世界への適用基準】 「合理一貫性&事実一致性」思考判断は、ニュールンベルク裁判で国際的な確立を見たのであるが、ICT産業革命の真っ只中にあっては、経済資本や金融資本一辺倒の不幸を解消するには、学問的問題提起として「現実世界への適用基準」が必要とされると考える。経験技能やパフォーマンス職人技を学問的論理的に【現実世界への適用基準】として構築することは、芸術性作業への展開を促し、技能や職人技の保身的独占並びに固有文化の収束を防ぐものと考えられる。
そういう意味があって、その担い手の主力が、「新型女性労働」 であると推論した。セミナープログラムの三頁下から14行目に、「人類の最重要再生産は子供、情勢はその要となり、最も(作為されない)自然に近いから、良心の郵政行動に特徴がある」と結論づけた次第です。(これを共感的に認識させていただいた横田幸子先生の本年前期講義に感謝します)。

⑤現在、社会科学系学術に大きく影響を与えているものは神経科学、脳科学といった分野の発展とされている。それは、心の問題とされがちであった、「共感作用」とか「共感精度」といったものを解明した。それまでの科学では、観測不能な自己を扱うべきではないとしていたが、神経科学は「自己や主体性なくして意義や経験を構築することは出来ない」ことを発見し、自己は観測可能なものとなった。芸術活動や芸術性を商品に含ませること、熟練作業といった側面も、固有文化価値のプロセスを含めた成り立ちや労働全般能力の科学的解明で、法則化され法則的技巧で以って、共感性の高い疑似再現を多くの人が益々実行できる。
=アダムスミス 経済学最古の「共感」=
J.デセティ 2016年「共感の社会神経科学」勁草書房25p 引用:
「狙いを定めた一撃が、今まさに誰かほかの人の手足に振り下ろされようとしているのを見ると、
我々は自然に身体を縮め、自分の手足を引っ込めてしまう。」 (道徳感情論 講談社 4p)
共感という言葉は1909年、共感(empathy)という英語がTichnerによって造られた。そして、ここ十数年の間に、飛躍的な研究が進み、哲学から心理学そして脳科学へと、横断的な学問整理がなされている。これら共感の具体例の根拠となる学術面の、「共感作用」の説明
 【第一段階:相手を無意識のうちに模倣している】
 【第二段階:繰り返しフィードバックして確認している】
 【第三段階:キャッチ・情動感染の後に瞬時反応】
 【この三段階を経てキャッチ・情動感染したとしても】
 【最後に、よく注意しなければならないことは】(続きは、総務部メルマガ 2017/01/10 号参照)

2017/08/08

第184号:新型女性労働は、ICT産業革命のカギ

<コンテンツ>
「新型女性労働」 とはどんな働き方?
今の世界経済で、未来不安 とされているもの
今や「笛吹けど踊らず」 それが日本の経営者の姿。
日本の企業組織は、ほぼ軍隊の兵站を真似た物
オランダ女性の社会進出と経済成長の成功事例とは

(研究)「一人前の労働者論」の裏に、妻の隷属を内在する虚構
  ・「一人前の労働者論」の裏側
  ・奴隷制判断基準(C.ペイトマンの研究を基礎に解説)
  ・奴隷から雇用契約に転換したプロセス:ガイド
  ・日本での奴隷制の実態を直視
  ・女性労働の損失、個別企業こそ一転して経済再生

芸術業界を超えて地域産業一般に至るまで、「アートArt域労働

(近況報告) マイナンバー またもや本格運用遅れ


§「新型女性労働」 とはどんな働き方?
「新型女性労働」の例示。
  1. 明確な労働契約、その内にも労働時間を日々調整する権利を認める。
  2. 仕事の出来仕舞い方式、職種によれば自宅で働く習慣の権利を認める。
  3. 同僚や管理職との意思疎通のeメールはやめチャットやインカムを使う。
  4. 自らの行動基準と目標を持たせ、その規範を自ら作り出す権利を認める。
  5. 年間や月決めの手当に、(後述する)アートArt域労働の貸借契約を含める。
  6. パートも管理職や専門職に登用し、管理職給や専門職給の賃金を支払う。
  7. 他人や社会への共感作用と共感精度の程度を正当な労働能力として認める。
  8. どんな仕事もアートArt域労働が欠ければ品質低下、売れない結末を説明する。
  9. スキルは後で身に付く、パフォーマンスは練習すればよいことを認識させる。
  10. アートArt域労働の基本を知ること、その能力を向上させる施策を行う。
       (例)服装は絵画、アクセサリーはアクセント装飾、それらはデザイン向上力
          音楽リズムは話し上手、リズムと拍子は異なり、歌が仕事の品質を決める
          詩は共感作用の物語、それは品物の意味を語る。
           (地味に、地味に、最後はあでやかにまとめる、それが基本)
……これらは直ちに取り組める事であり、同業他社との競合にも万全である。
その奥行きには深いものがあるが、それが商品価値を高め価格にも影響をする。アートArt域労働となると、芸術芸能界や美術や文学の大作品を思い浮べるが、どんな仕事もアートArt域労働によっては品質が定まり、販売や制作を通しての共感作用と共感精度に基づいて、アートArt域労働で品物もサービスも流通することを徹底し、これが重要となる。
こういった事例は固有文化価値とかアートArt域労働が発見されなかった時代でも、なぜか有益な効果が現れたから、科学的な根拠があるわけでもなく、教育や訓練ができたわけでもないけれど、文化価値商品は好評販売され流通していた。その当時、有能な経営者、有能なコンサルタントたちが意識したのは、仕事にかかる義務ではなく明日への希望であり、その商品を買う顧客に、「意欲・感動・希望」を共感してもらい認識してもらい、購入していただくプロセスでもあった。そして購入した客は、さらに文化価値を増殖させていったのである。過去の経済学は、人間が本来持っているアートArt域に及ぶ労働全般能力から、「労働力」のみを切り離し、労働者からの「労働力」抽出を、使用者が駆使するばかりの論理構成を克服(止揚)出来なかったのである。

<新型女性労働 理念解説図 20170808>

§今の世界経済で、未来不安 とされているもの
  • ①個人化が進み社会共同体の形成が出来ないのではないか。
  • ②人口や若年層の仕事や生活を支える生産量と経済構造が成り立つのか。
  • ③社会共同体や経済構造の崩壊で正当な取引や賃金確保が形成できるのか。
といったテーマである。これに対して、真正面から答えられず、一部あるいは強者の論理がまかり通る、すなわち、危険でも劣悪でも海外進出するしかないとか、戦前の「家」制度に戻せばつつましくなるとか、詐欺に脅迫として貧窮につけこむとか、そういった自己中心的な思考が、「規制緩和」の名称を曲解して持ち出されるのである。
時を同じくして、国際労働機関(ILO)の事務局長G.ライダーは(2017年5月12日東京)、「仕事の未来を考える論点」を、a.仕事の個人化と社会影響、b.全世界の仕事量、c.商業的請負化へのシフトか否かと、3点を基調講演で示している。だが、これが「すべてを労働力」といったスキルの交換方式の枠内にはまり込んだ論理構成であることを見破れば、世界の苦悩する問題ではないことに気がつく。また歴史に記された奴隷時代の労働権や経営者団結権の如くに、アートArt芸術域の労働全般を明確にすることが未来のヒントであることを気づかせる。経済や豊かさ再生には、これを法則性のある論理で持って、労働価値交換を目的意識的に推進する思考習慣(システム)にすることである。
ところが、全体主義者(歴史的には、ヒットラー、スターリン、東条英機ら)は、生半可な知識を持つ若者と無知な老人を操って、日頃見向きもされない自らの能力や教養にも関わらず、似非賢人を演じて政界進出や出世の道を走ろうとする。第一次世界大戦後の世界の世相は、やはり自己中心的な思考が持ち出された。だがよく見れば、その者たちに資金を出すのは、やはり先に述べた自己中心的な資産家にすぎない。
数百年も地域に根ざす資産家、社会共同体を維持しようとする経済や商人集団の末裔、そのもとに幸せを満喫する通常の人たちは、どこの国でも自己中心的な思考に翻弄されることはなかった。20世紀初頭のアメリカは、そのとき民主主義をベースに経済政策を進め、1913年「体験型教育」(ゆとり教育の原型)、ニューディールでの職業訓練教育(ドイツの失業対策は職業訓練をせず、重機を使わずスコップで道路建設)、失業中の芸術家への仕事供給政策、農業政策や雇用労働政策と金融政策(雇用統計により連邦銀行の金利を決める)を進めていった。それが、第二次世界大戦後にアメリカが経済的にも文化的にも華を開かせる原動力になったのである。(戦前、アメリカ人からの横浜正金銀行を通じた投資を、日本政府の満州事変戦費につぎ込んだ日本とは大違いである。同じくナチス:ドイツも、米国フォードからフォルクスワーゲンへの投資をさせていた)。


§今や「笛吹けど踊らず」 それが日本の経営者の姿。
ICT産業革命の進行による職業能力ごとの労働概念の変化は、厚生労働省シンクタンクの5万人Web調査(2015年「職務構造に関する研究」データ)にも現われている。固有文化価値を考えるうえで、官民の同官僚や金融資本増殖の経済政策傾向を表している。
http://www.jil.go.jp/institute/reports/2015/0176.html

日本の労働者が主要国の中で「労働意欲」が飛びぬけて低いこと、「仕事のやりがい」も調査対象国の中で最下位といったアメリカから発の調査データとも合わせると、日本の経済や豊かさの没落要因として、巷には何が蔓延る思考習慣(システム)なのかを批判的思考からでも直感できると言える。要点を整理すると、次の通りだ。
  1. 研究者、技術者、専門的職種では、高度な知識やスキルを必要とする、仕事の高等化が進む一方、同一職種者のチームワークが重要との意識。
  2. 事務(判断や情報加工整理)の職種では、仕事は高度化していない、機械化は進んでいて、顧客や同業者との関係は重要ではないとされる。
  3. 販売の職種では成果主義が進んでいるが、それは同時に顧客や同業者との関係を強くしている。チームワークが重要とは考えられていない。
  4. サービス職種は、顧客の関係は横ばい。知識もスキルも高度化は大きくマイナス、成果主義もマイナス、チームワークも大きく薄れている。
  5. 生産工程の職種の多くが、知識もスキルも高度化はしておらず、チームワークも薄れ、外国語、顧客や同業者との関係は無視に近く関心が薄い。
……ここから判ることは、
研究企画部門はさておいて、日本の産業における現業部門では、
  1. 仕事の高度化が墜落的低下を起こしかつその自覚があること、
  2. 一部の専門職や販売部門を除き顧客ニーズを無視していること、
  3. 営業販売担当者が顧客情報を会社にも同僚にも知らせない実態、
  4. 現業部門は先進諸国への販売や海外進出を考えているわけではなく、
  5. 機械的事務作業を優先して柔軟な販売や製品開発を抑制している事態、
こういったことがうかがえるのである。
さまざまな経営者の方針、ビジネス書の美辞麗句、素人である官僚の作りあげる経済政策、ITソフト開発業者の虚しい販売戦略、いわゆる現代日本のリーダーが、「笛吹けど踊らず。」の事態に陥っている。よって、これを解決するには、このメルマガで説明するような商品価値と労働価値を見直すことが不可欠なのである。そして今月のテーマのごとく、「新型の女性労働は、ICT産業革命のカギ」が、その主体的な原動力であり、その牽引力が「アートArt芸術域の労働」なのである。


§日本の企業組織は、ほぼ軍隊の兵站を真似た物
近年日本の経営学や経済学で目立つものは、ほぼ軍隊の兵站(へいたん=作戦軍のために、後方にあって連絡・交通を確保し、車両・原料や生産品の前方輸送・補給・修理にあたるロジスティクス)を真似たものである。それは、昭和4年の昭和大恐慌から立ち直る矢先に、全体主義者が戦争による略奪経済を行い、戦後のアメリカ占領軍によるアメリカ経済下請日本、ソ連全体主義の計画経済論理による高度経済成長政策、そして、金融為替操作のバブル経済と崩壊、こういった国民に自主性のない経済構造が続く中、兵站の事しか連想出来なかったのは確かだ。したがって、庶民に理解可能な構想ばかりを追いかけるものだから、軍隊の兵站をまねた組織論に行き着いてしまうのである。そして、その上層に当時のアメリカ式組織管理論を載せたのである。これが日本の独善的に受け止められている企業組織の特徴である。
だがもう一つ、経済の成長や豊かさでの先進諸国の社会構造を考えた場合、現代女性の果たす役割が日本と世界の女性では大違いである。たとえていえば次の通りだ。
  • 1st)日本では、男女平等の名のもとに、男らしい女と、女らしい男を入れ替え、男を管理職から交替させるものではない。
  • 2nd)男性上司への隷属から一部女性を解放するけれど、派遣社員での自由は与えたが、彼女らの生涯の隷属と保護はやめてしまった。
  • 3rd)近年では、有能ならば弁護士はじめ国家資格受験を社内で促し、その彼女が合格すれば独立起業を徹底して煽り排除する。
このようにして冒頭に述べた、「女性特有の出産育児にかかわる自然性(自然性とは作為の加えられないとの意味)、その自然性に基づく共感精度の高さによる能力をもち続けようとする女性」、こういった女性を企業の中から排除するのである。
(なお、大手企業の管理職経験女性は、一切中小企業では採用しない)。
こうして益々、軍隊の兵站を見本にした企業や社会団体から、女性特有の能力が労働全般に発揮される女性から順に排除されるのである。同じような能力を発揮しそうな男性はもとより新卒採用しない。その彼女がシングルマザーなのか、パートで働く主婦なのか、いずれにしろ、その女性が挫折し希望を失いかけているには変わりがない。日本の会社人間は、欧米からすれば同性愛者と揶揄されるが、そういった感情論議ではなく、女性の隷属という経済構造によるものなのである。
こういったことから、先に例示した、「新型女性労働」が、ICT産業革命のカギとなるのである。すなわち、世間の巷に流されて、人手不足のだからと言って漂っているような経営ではなく、切り替えの早い中小企業は有能な女性を確保(小論文を書いてもらえば判る)、とにかく採用した女性全員に、「新型女性労働」を適用して、男女を混ぜて前向きに仕事を話し合ってもらって、現場を任せるに越したことはないのである。ただし、次のチェックにひっかかる人物は、ことに中小企業では採用はしないことだ、仕事よりも名誉に見栄を優先し、「お局」になる厄介者だからだ。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/kyochosei.html


§オランダ女性の社会進出と経済成長の成功事例とは
オランダの政労使「ワッセナー合意1982年」の成功は、近年日本に比べ一人当たりのGDP倍増といった表面結果を超えて、同一価値労働同一条件(注意:今の日本では同一価値と言っていない)による、労働者の自律を促す制度であるが、その諸制度(ワークシェアリングとの翻訳は間違い)は注目に値する。だが初期においてオランダは、労働組合の労働協約闘争とストライキの洗礼に見舞われた。それは、「労働者は労働力を売り、使用者はそれを安く買おうとする。」といった、古典的経済学が人々の間にはびこっていたと考えられるからである。当時オランダの経営者も労働者も、労働能力全般を、「まな板の上」に乗せることが出来なかったようである。それは、ヨーロッパ全域が現在も奴隷制度の名残を持つ労働に対する価値観の影響し激烈だったと思われる、それは日本とは微妙に異なり、曲がりなりにも400年続いた無権利ながらも雇用制度(雇:の意味はカゴの中の鳥)との差異である。
この制度が一挙に充実したきっかけは、労働時間調整法である。労働時間制度はフォーマルには、フルタイムか、様々なパートタイム時間帯かを契約するが、インフォーマルには、日々様々に同僚との労働時間調整が行われる。さらには、法律の改正があったわけではないが、同一価値労働同一賃金が、→同一価値労働同一労働条件に発展したことによって、
  • (A)無駄に会社に出勤するよりも自宅で仕事を完成させるとか、
  • (B)チャットなどを利用して社内の意思疎通を図るとか、
  • (C)仕事が明確になっていないことでの効率の悪さは解消するとか、
  • (D)会社にデスクの無い状況とか、
  • (E)人が密集するオランダの通勤交通費や事務所維持費の節約
といったことにもなっているという。
同僚みんなで作業をやりあげるとの意識のもとに、同僚の事情を考慮して相互に助け合うとか居残りを引き受けたりする。熱を出したりダダをこねたりする子供の保育園送迎での遅れ、家族の介護による遅れや早退、小学生の子供の迎え(親が迎えにくる習慣)などは全て労働時間調整で納めるとのことだ。そういった日常習慣から、仲間同士の長期的な視野での能力向上や長期雇用での仕事関係が優先される文化に変わったとの報告である。
オランダは哲学者スピノザ(1677年没)の活躍地、彼の説く奴隷の姿を要約すれば、「他に認められたい欲求は名誉となり、名誉に恵まれなければ恵まれた人をねたみ、怒りを吐き出しつつもなお、自分が賢明であるかのように見せかけようと自己を卑下する。その卑下は高慢の裏返しにしかすぎない。そういう人間は他人との比較しか頭にない奴隷である。自由人は自己以外の何人にも従わず、自分が最も大事で最も欲することのみをよしとし、あれこれ非難する前に直接良いことに赴く。完全に自由な人間は悪という概念を持たず、無邪気な状態である。」こういった思考習慣がオランダには根付いていると見た方が妥当なのである。「自立とは自ら意思決定でき自ら働くことで、自律は自らの行動基準と目標を明確に持ち、自ら規範を作り出すこと。」である。
日本にあっては、労働条件決定が、日本は世界のなかでは独自方式(企業と個人の交渉であり、自治体や政府が介入しない)であるから、可能な企業からさっさと実施できるといった、身近に実現される話である。
そして、シェアリングsharingの概念のない日本では、「分かち合い共有する」の用語では意味が通じない。オランダの数百年の伝統から解説すれば、①諸他人に主観を押し付けない、②マインドコントロールはしないさせない、③カルトやセクトでの洗脳はしないさせない、といった民主主義の原則の上に、良心conscienceに基づく意思疎通で成り立つ、仕事の共有と分かち合い(ワークシェアリング)なのである。
このオランダの働き方は、官民官僚や金融資本の労務管理技術では、その労働時間のカウントの術を持たないから、彼らは忌避している。が、曲がりなりにも400年続いた無権利ながらも雇用制度を持続して来た日本では、権利問題に注意しさえすれば職場での運用にはたけている。既に現実の工夫とともに導入している中小企業は多い。

< オランダ オフィスシーンとファミリーシーン > 『18時に帰る』の書籍から引用
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0438737


§(研究) 「一人前の労働者論」の裏に、妻の隷属を内在する虚構
現代日本は奴隷制禁止、社会の表に現れない。だが此処に、労働能力全般が発揮されず、疎外による家庭破壊、消費財の新商品開発の重大な原因が発見された。

「一人前の労働者論」の裏側
歴史的変遷やプロセスはさておき、大手企業のサラリーマン社長や管理職の妻は隷属的であり、その妻の労働も含めて、会社での地位と報酬が保障されていることは否めない。大手の社内結婚はそれを念頭に置いていた。現在でも、IT機器での業務処理、日報や出張等経費計算、車で送迎その他を家庭の妻に業務配分している。妻は(無能力)秘書その他代替に無給で使われている。中小企業の管理職にはあり得ない。ここに、労働者の報酬や地位を考えるにあたっての重要要素がある。
現在日本で奴隷制に近似した状況は既婚女性に多いDV被害者でもある。主要先進国におけるDV被害は、低所得夫婦関係に多いことが分かっている。だが企業規模の大きさにとか地位や報酬にかかわりなく、社会構造として既婚女性が奴隷扱いをされている。これは夫婦揃って一人前の慣習概念から、その主人の「労働力」という使用価値から抽出される労働価値は低いものと判断される。
確かに、労働の価値は、①時間をかけて発達し、②人格と関連していることから、その発達実績又は人格形成の過程は、奴隷扱いされるDV被害者と一体となっていることから、そうでない男性労働者と比べて訓練啓発又は社会適応能力が低くならざるを得ない現実が多い。とにかく妻は制度に縛られ、生涯を家庭に縛られやすい、これが雇用や労働契約とは異なる基盤である。そこに労働能力向上の意欲はない、
とりわけ、意思疎通能力や集団統制能力における欠陥が見受けられる。端的に言えば、ICT産業革命の時代には、そういった労働者は事業運営に差し支えるのである。端的に言えば、市民革命で、「国王や家長個人よりも、国民や兄弟が集団になった方が強くなりうる。」ことを発見した、これ自体が全く認識出来ないので、正常なチームワークが形成出来ない人格なのである。むしろ夫婦とも人格が死んだ状態だ。
未婚女性や男性のDV被害者は、社会規範や婚姻制度を悪用して隷属状態に陥れられる根拠がないので、隷属の程度差と考えられるケースが稀にはある。ところが、婚姻関係を誓い届け出る段になると、「奴隷女に子供を産ませれば、女性は子供を守るために服従する。」といった奴隷再生産、「食事など保護をあてがわれるのだから、服従は当然のことである。」といった理念を、未だ公言する男性やその親世代が存在する。「家族代表は戸主(男)の役目、妻は主張出来ない。」といった虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)も、廃止された旧民法の「家制度」や長子相続といった家族統制時代(100年に満たない期間)の名残にすぎない慣習である。

奴隷制判断基準(C.ペイトマンの研究を基礎に解説)
次のような特徴が見られれば、感情や感覚は別として奴隷制と判断できる。もちろん、刑法その他の違反であるし、民事法上は奴隷契約も成立していないのである。
  • ①身体から精神に至る人格や権利の所属は、生涯に渡って主人に在る。
  • ②奴隷を納得する意思が在り得ないから、奴隷契約自体が成立しない。
  • ③精神的物理的に強制された事態で、さらに事態を貶められ続ける。
  • ④無能力だと刻印され、原則的に刻印され続け、人格は死んだ状態である。
  • ⑤主人と奴隷の隷属関係は、契約の如き時間差なく瞬間同時に成立する。
    (契約とは、一方の申し込み相手方の承諾で成立との時間差が必ず存在する)
その主人と奴隷の思想習慣(システム)は共に、感情を虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)にすり替える特徴がある。すなわち、いつの間にか感情を押し殺し何事も世間の理屈で納得して尽くさせ尽くす関係である。そこで、「絶対的支配下」(ジョン・ロック)、「奴隷を望む人はまともな精神状態ではない」(ルソー)、「自由の放棄だ」(ジョン・スチュアート・ミル)と、市民革命以降の政治、哲学、経済学者はこぞって、”馬鹿げている”としている制度ではある、が現存する。
https://www.iwanami.co.jp/book/?book_no=281701

奴隷から雇用契約に転換したプロセス:ガイド
各国徐々に形成されていった「雇用主の4基準」の共通点は次の通りである。
Ⅰ.19世紀末に当時の先進国と言われる国で確立された様相。
  1. 王政や家長制度ではない使用者との契約で、雇用主に絶対権力はない。
  2. 雇用契約期間を短く、制度上も事実上も、奴隷のような生涯契約はない。
  3. 労働の使用に関する契約で、雇用主に人格や労働占有の権利はない。
  4. 奴隷のように保護や生存は保障せず、主として通貨で賃金を支払う。
Ⅱ.ただこの時点でも当時は、少女が徒弟制度(現行:労働基準法違反)の一部になることは考えられないとされていた。現行日本の労働法体系からは、いささか想像できない余地もあるが、当時は労働(雇用employment)契約と奴隷制を法的に区分する必要があって社会的論争があった。米英欧州の資本主義国における離婚制度論議(妻の無能力coverture扱い)と相まっての論争が行われた時代でもあった。
Ⅲ.それでも、雇用契約が形骸化して奴隷制が内在される事態も生まれた。奉公人制度、英国の(主人と召使いの)職人法などである。そのため、近年の労使関係は司法決着を各国が図った。ここに掲げたイ~ホは、順に大まか歴史的な各国の経済的司法的な過程である。
  • (1)雇用契約の前提には、当事者相互が人格を持ち、財産所有者であることの認識を要する。(契約は、①一方の申し込み②相手方の承諾で③時間差を持って成立すること。)
  • (2)雇用契約で、労働と何が交換されるのかの印(しるし)を明示した。「労働力の所有権を、就労の時間と場所と内容(職種など)の雇用期間」
  • (3)高賃金であるとして、スコットランド炭鉱労働者に雇用主の名入り首輪を着けさせていたが、そういった様々な奴隷制の名残が違法とされた。
  • (4)雇用契約は、主人と召使の如くの「主人の人格所有権」は認めない。
  • (5)人格に関わる売却契約は不能、それは必然的に隷属を形成するとした。
    (近世まで、夫が妻の肉体と能力を一体財産として保有すると考えた)
Ⅳ.「雇用主の4基準」の形成前に奴隷制が禁止された例はある。日本では、江戸当初に徳川政権が外様大名の経済力を激減させるため、戦利品である居住民の持ち帰りを禁止し奉公人制度を実施、売買その他経済的奴隷制特徴を根絶した。アメリカ南北戦争は、南部の奴隷所有者の奴隷所有権を剥奪し財産権をなくし、雇用契約を実施した。だが一方イギリスでは19世紀後半に初めて、「親指の太さを超える鞭で妻を打ってはならない。」とする刑法改革を制定、これは当時ヨーロッパの妻の状態を物語っている。すなわち、「実質奴隷」とする司法的奴隷禁止状態にすぎないとする(共感的)論理や論争は延々と今日まで続いていることも実態である。

日本での奴隷制の実態を直視
ブラック企業で働けば、奴隷なのか奴隷を監督する者なのか、といった姿である。ではその何が問題なのか、それは正義感や感情論ではなく、疑似奴隷は職業能力がなく、それは企業にとっても、経営マイナスにしかならないからである。はっきり言って、ブラック企業は利益率が低く、長期安定など無理である。だけども、冷静に物事を見極め、改善を図れば、この環境でも好転する。根本的な奴隷制ではない。
女性の社会進出は、マルクスやエンゲルスが主張した、「家庭外へ働きに出る」ことで解消といった論説は、女性が主人に隷属の状況であれば、社会進出に役立ってはいなかったことが、日本の典型例を見ればはっきりしている。女性の社会進出は、スキル(労働力)の提供といった普通の方式ではなく、根底に固有文化価値を牽引するアートArt域の能力が、日常業務に少しでもいいから反映をさせることで、その商品価値(販売価格を)は跳ね上がり、労働価値の報酬確保できる。とりわけ女性の場合は、日本独自の「企業と個人の賃金決定方式」の危険性から、雇用といった労働力の社会進出にこだわる必要はない。それは、ICT産業革命とも相まって、意味ある仕事で短時間高収入が期待できる。(総務部メルマガ7月号参照)ただし、請負契約の完成品名目でスキル(労働力)を買いたたかれる懸念=極度のダンピングがあるから併せて警戒と注意が必要となる。いわゆるテレビその他の「芸能界」の例である。
よって保育所が増えれば良い、夫婦共に労働時間が減れば良い、出産やLGBTに優しい職場環境といった風な、「傾向と対策」により導いたとする知恵のない政策に乗っても、相当の時間と労力の無駄が出るということだ。女性にしてみたら出産と育児が終わってから実施する様なものだ。過去から何十年たっても、同じことを言ってるだけで、この30年間変化はない。この30年とは、派遣業でもって一部の女性労働者の時間給が倍増し、かつ男性上司の隷属から脱出できたことである。だが、男女雇用機会均等法と派遣法で女性のパート化を(4倍)に増やしと厚生労働省も認めている。
社会のなかで、隷属状態に置かれているのか、法的にいう労働者に当たるのか、これを分析することによって、男女個々人と家族のあり方の変化の見通しが見えてきた。とはいっても、世の中にはそうでない人もいて、全体主義者は、自己中心的手法で、地位と報酬を一人占めしようとする、そんな人物の集団にすぎない。おのずと過去の美しい象徴を口にして、不意打ちとは罠で策を実行する。いつの時代のどこの国の実態なのかは知らないが、合理一貫性と事実一致性のない話ばかりである。しかしそれは、労働価値の発揮が抑圧され、具体的に発揮がプロデュースされないから、人々のエネルギーが有り余っている状況で


§女性労働の損失、個別企業こそ一転して経済再生
都市部も地方も、地域経済単位(中学校区程度)での活発化により、個人や家庭の経済再生が図れるだろう。事実、地域経済単位の活発化は、ICT機器によって促されている。一ヵ所から全国津々浦々の小売りまで差配するとして、世界各地の安価な原材料を回収するばかりでは、意味のない仕事であることは歴然としている。
この地域経済単位での活発化がポイントとなる。最終消費財が消費されて、原材料からの商品とその変遷が初めて完結することから、それは重要である。決して地方経済と都市一極集中の二元論をイメージでは解決出来ない。身近にもっと家庭内でも、とりわけアートArt芸術域の労働全般の貸与契約等が下支えとなり、各自の職業能力目標や希望が明確になることで、司法判断も得られ易く、日本社会での経済や豊かさは広がる科学的根拠である。それは理論化されていなかっただけの事で、日本に現在点存する固有文化価値の地域社会土壌が、その証明をしている。①一極集中の官民官僚や金融資本の促進に遭遇しても、各地固有文化は未だ根付き:地元産品が開発され続ける事実を見れば、そこに誰も議論をはさまない。②ICT産業革命の進展は、地元の経済外的強制組織(ヤクザ等)に労働利権を守ってもらう必要がなくなった。
そこで、ICT機器を有効活用し、
「より良いものを安く」との有形製品を仕入れ、固有文化価値を意識的に創造できる人物育成を(生後から24時間青年期までを)地域単位で進め、この元にプロデューサー型経営を組み立てる。ただし、その原動力となるのは、
  • 1st)私有財産&私有財産を持つ権利を担保する経済手法。
  • 2nd)及び幸せになる人権確保を経済的に担保する経済手法。
  • 3rd)物質や生活水準の私的満足(厚生政策)とは区別することができる経済手法。
といったものが必要となるだろう。
ちなみに、地方経済の起死回生には、固有文化各々の測定作業が必要である。
その項目(草案)は、
  1. 地域思考性の特徴を測定
  2. 知識及び知恵の質量を測定
  3. 共感作用Enpatyにたいする共感精度を測定(社会心理学&脳科学)
  4. 個人の自律性について測定(基本的人権と民主主義の度合い)
といったものを地方自治体以下の単位で明確にすることで、プロデュースの可能性を吟味する基盤が形成され、やみくもな事業展開を防止する手段、すなわち疲れないためである。要するにそれは、民間の貨幣投資の節約にもつながり、文化投資の地域での効率化を促進する。
さらに地域の慣習、慣習法、経営や行動指針、振幅幅巾のある個人の存在などによる加重平均や趨勢分析を考慮に入れていけば、地域の郷土史を科学的に有効に活用することができるようになる。ことに経済や事業経営の歴史の曲解を取り除いて、より正確に地域経済を見つめることができる。反面、地元の末裔や郷土史家からのインタビューを軽視して、証拠たる古文書や地図のみから判断して商業の歴史を決めつけると、「近江商人の天秤棒」のごとく、少なくとも北海道から琉球までを商圏としていた商業団の研究も歪曲されてしまう。
加えて、日本国内各地の商習慣でも、奈良は古代律令制のような雰囲気を無視するわけにいかず、九州は比較的に実力自力救済的であり、大阪の商業水準の高さには世界の港町のような事例が散在する、京都は階層によって異なり商習慣の共通性が弱いといった特徴が例示できる。こういった地域ごとの商習慣の差異を見詰める訓練は、プロデューサー型経営者育成には、非常に意味がある物と考えられる。


§芸術業界を超えて地域産業一般に至るまで、「アートArt域労働、
その担い手となる新型女性労働の人々」といった人格は、意味のない仕事に携わることでは望みはない。それは、大手企業官僚よりも、地域集団になった経済活動が強くなり得るとの、今の経済背景だからである。日本女性の隷属からの解放と相まって、労働参加の主体的実態が認められるから、その展望や展開が夢物語ではないことが解明できた。
OECDは日本経済再生の勧告として女性労働を、先ほど論述した日本女性の隷属からの解放を含めて、改革する必要があるとしている。勧告書をみたところOECDは少子化にこだわっていない。社会から引退する老年女性労働者対策は年金カテゴリーとの考え方も、直に一昨年OECD担当者に質問してみて解った。
個々の中小企業単位での利益率の高い固有文化価値の供給が実現出来、それは世界経済展開への連携による経済再生と豊かさの伴う成長となる。その連携とは、今の外国人訪日とは異なる現象、そのイメージとしては「G7諸国の人たちが観光に来る。」のような情景の経済再生という現象結果にも現れる。個々の企業は、アートArt域労働と新型女性労働を、その目的と意識を明言して、労働契約&話し合い&登用を繰り返せば時代の波に一気に乗れることは間違いない。今月のメルマガ等に紹介した専門的アドバイスは、実際に筆者の長年の仕事の成功パターンが含まれているからである。


§(近況報告) マイナンバー またもや本格運用遅れ
連携システムの不備で、この秋の本格運用が来年7月までの遅れが続出している。従前の流通問題での年金機構の情報連携の開始も現時点でも決まっていない。所得税も住民税も雇用保険手続きも、どれをとっても個人番号届出不要の実態である。企業などのマイナンバー回収も、70%程度との民間調査報告は出ているが、従業員の半数も集まっていない企業とか形ばかりの回収とか、実際にどの程度の個人番号が回収され、行政機関に届けられたのかは見当もつかないほどに不明である。まして、市町村自治体は住民の個人番号を把握しており、副業や学生アルバイトその他の個人情報把握も市町村は熱を入れていないのが実態のようである。事マイナンバーに関して、政府省庁に地方自治体そして民間企業に至るまで、意味を見いだせないから「やる気」のない部署が続出しているのである。
マイナンバー情報連の要は市町村だが、個人番号の活用見通しが延期が繰り返され、またしてもシステムの不備にセキュリティ対策と、追加ソフト開発の費用がかさむばかりとなっている。マイナンバー活用案は幾つも発表されるが、だとしてもマイナンバー制度目的の情報連携稼働の目途は立っていないのだ。そこに、証券会社や金融機関が新商品売り込みのためには、マイナンバーが営業販売の障害になっているとして、業界も苦言を申し立てている。そういえば、医療情報とマイナンバーの連携は、医学的見地から一昨年のうちに、連携しないことが決定している。
民間では、安全対策の見極めを重視した企業は、個人情報保護法に違反する懸念があるとして、個人番号を集めるわけにはいかないところも数多く存在する。それは数10人規模の企業だけではなく数千人規模の企業までにわたっている。現在まで、何らの安全設備投資も番号回収経費もかけることなく、マイナンバーのわずらわしさどころか、未だ全く何もしなくてすんでいるのである。そもそも民間の個別企業には、個人番号に関する仕事の権利義務は全くない、単なる行政協力と努力にすぎない。それを錯覚したりあわてたりした企業だけが動いたわけだ。
過去からの長い期間、国の税収などの制度実施計画には、一部予算執行をしたけれども立ち消えとなった制度は幾つでもある。冷静賢明あるいは老舗の経営管理のノウハウを持つ企業は、それなりに知識もスキルも高いことから翻弄されることは無いのである。
https://mainichi.jp/articles/20170727/k00/00m/040/037000c

2017/07/04

第183号:労働と経営、そのタブーを破る!

<コンテンツ>
労働と経営、そのタブーを破る!
   【低迷する世界経済のなかで、没落する日本経済】

文化価値観 のタブー
   【良心(Conscience)に基づく商品とは】
   【詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為】
   【まず芸術の基本的構成の説明】
   【芸術か否か、パフォーマンスとの比較差異】
   【文化なれども、芸術ではないもの】
   【芸術Art域の労働発揮】

事業経営活動 のタブー  資本主義の本来的姿による経営管理項目
   【近年日本での個別企業の誤った思い込み】
   【大手に比べ有利なことは、中堅中小企業だからこそ】

司法判断 =労働者は、使用者と何を交換するか、それは日本のタブー!
   【スキルskill(技能) パフォーマンスperformance (職人技)】
   【アートArt域は、労働全般を貸与を約する契約】
   【謝礼は、取引における正当報酬には当たらない。だから保障はない。】
   【労働や雇用といった契約の、歴史展開。】


§労働と経営、そのタブーを破る!
☆金融投資一辺倒での利益(利潤)を追い求めなくても、個別企業と個人(その家族)は充分やっていける。
「幸福追求」、並びに「厚生事業」とは異なる概念であり、各々を区別して究明することで、
その方法と、その方向へのベクトルについて、今の日本の公共や民間の社会インフラをもとに、研究をしてみた。
それは、【文化価値観】【事業経営活動】【司法判断】の三分野に渡り、労働と経営のタブーを破るものとなった。
司法判断と文化価値観のタブーは国際的新発見とのこと、事業経営活動のタブーは20世紀初頭の記録は存在。
(どなたでも学術論文への引用可能、論証根拠・エビデンス提供しますから広めてください)。
タブーとは、「なるほどと納得の行くもの、にも関わらず話題にならなかった」との意味である。
学問的見地から客観性合理性の検討をした。
一般の人に、「なんだ!それ知ってる」と評価されてこそ、初めて学問的成功なのである。
これは、日本人初のノーベル経済学賞候補になった森嶋通夫(略:ロンドン大学名誉教授)の教えである。
労働と経営のタブー、この解明は正当な商品取引、正当な経営権、正当な労働権の根拠となる。「弱い者いじめ」とか暴力団にも対抗できる。ことに芸術Art域の労働は、経済善循環を牽引する文化価値観の主役となり、それに携わる製造小売とか様々なサービス業務で芸術Art域の労働が正当に評価(その部分が貸与契約)できることとなり、個別企業での善循環を活発化させ、これが世界の客を呼び、これが世界に売れる商品を作り出すことになる。ラッキーなことに、このタブーを個別企業も個人も目的意識化をすれば、ICT機器で発信が出来るなど、もう国家の経済政策に頼らなくてもよいのである。

【低迷する世界経済のなかで、没落する日本経済】
これを打ち破るには、まず各々の個別企業が労働者とともに、
今月のメルマガで述べるタブーを破って、創造的経営展開をするしかない。
★今あたかも100年前と同じように、かすめとった政権を維持するため、旧態依然に浸りきった大多数が納得しそう?な経済政策話を、表向きは実行するかのような話だけで、その裏で実は財政破綻と民間大多数の非協力状況を招来し、その狂気の全体主義的経済政策で社会破綻の墓穴を掘り進んでいる。この5月24日と6月21日の総理官邸での「生産性向上国民運動推進協議会」(小売、飲食、宿泊、介護、道路貨物の5分野)は2回とも、社会主義経済手法を思い出させるサンタンたる内容だ。少し教養のある人ならば戦前のヒットラー経済、ソ連のスターリン経済、日本の軍部ファシズム統制抑圧、これを誰もが思い浮かべるだろう。今や日本企業の最大株主は日本銀行となり=霞のかかる白昼の社会主義的な幻想経済である。
★EUは崩壊どころか、筆者の推薦する識者の予測通り、EU結束は固まりつつある。英国の脱退で英国らにかき回された金融危機から2017年の今年は成長軌道に乗った。大手マスコミの根拠のないEU崩壊説も、今年の選挙がその結果を示し、改めてEU結束が強まった。EUへの日本経済進出は、意味不明なTPPとは大違いである。EUや東欧への日本商品進出ルートは未だ未開拓と言って良い。従来から貿易関係者の間では、日本文化の価値を含む商品なら売れると言われている。
★金融投資にしか興味のない人たちは、さんざんAIIBアジアインフラ投資銀行を敵対視していたが、AIIBへの産業投資は世界規模での資本動員に、AIIBは成功した。ここで日本の民間大多数はグローバル展開に格段の差で乗り遅れてしまった。併せて、北朝鮮が暴発(ミサイル発射ではなくして軍事南下)しないよう、中国の不安定さを解消する国際経済協調も進みつつあるようだ。(なお韓国へのアメリカ軍補給路となる日本には、新幹線、原発を狙った北朝鮮関係者の侵入を各県警が察知しているとの情報)。
★むしろ、金融情報資本の動きに誘惑された結果、東芝、日本郵政、もしかすれば三菱重工など、多額の資本が瞬時に海外へもち去られようとしている。金融投資に活路を見いだす事のみの「経済を語る者」は、口先ばかりで失敗続き、内通により餌食にされクイ荒らされていると見るのが妥当だ。その実態は霞が関の官僚とともに、「霞と泥沼」の様相である。


§文化価値観 のタブー
人間の行動は、その地域の文化の影響を、経済活動や政治・社会制度を通じ、受けている。
それは善くもあり悪くも有り、しかるにそのベースは良心(Conscience)である。
ただし、この論議は複雑怪奇でもあるから、全く別の機会に設けるとして、
経済活動における商品普及を見れば、その結果は判明している。

【良心(Conscience)に基づく商品とは】
①少なくとも売れる商品であり、
②長続きする商品には、良心(Conscience)に基づいて、
多少なりとも芸術性があり、芸術Art域の労働発揮によって成されている。
良心(Conscience:善悪より高次元概念)は有史以来、「愛と勇敢さ」の源泉。
それらは日本ではなじみの薄いが、ものづくりにもサービス(服務)にも通じるものである。
その芸術全般には、後で述べる基本的な構成が存在しており、
これを明確に示すことが出来なかった訳は、
「文化」といった用語に、ひとくくりにしてしまったことで、概念や思考がぼやけてしまったからである。
ここの芸術性に、文化の何事をも牽引する主体と力の源泉が存在するのは間違いない。
よって、文化を牽引する芸術性についての法則性その他の研究を進めることが、経済発展につながる。
それを取り入れた資生堂、ミキモト真珠、辻調理といった明確な企業事例である。
もっと身近な事例を示せば、
工業デザインの元祖は、ウィリアム・モリスの壁紙工房から始まり、芸術性を貫いたモリス商会である。
(モリスの妻をモデルに劇や映画マイフェアレディは創られた。)

【詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為】
ところで市民革命をはじめとして、これを民主主義社会においては人権を踏みにじる行為と定められた。これが経済や商取引の経済であることは、王制時代の重農主義や重商主義でも論じられていた。だが、民主主義ではなかった中世などは、良心に反する行為と認識されていたものの、詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為は日常的で、永らく貧窮は罪とさえ思われた時代もあったのだ。
こういった事は現代でも、「あいまいさ」を利用して全体主義者は利益をかすめ取ろうとするし、官僚主義者は事なきを得るために指摘されるまでは故意に見逃すことは通常である。だから、経済的民主的チェック機構を人類は各国で発明し続けるのである。ちなみにアメリカでは、こういった人権確保の考えは20世紀初頭に確立され、国内での全体主義は否定され、戦後一気に資本主義の世界展開を図るアメリカの基盤となったことは、誰もが否定出来ない事実である。また1937年から2年間にアメリカは芸術家の失業対策芸術事業をも行いアメリカ文化の基礎を築いたのである。

【まず芸術の基本的構成の説明】
どんな芸術も、基本は三つの構成であり、四番目になって装飾的なパフォーマンスである。
<次に示すスケッチ画で説明するが、詩にも音楽も造形にも共通する>
①時空を超えた不完全な部位の結合connectによる一つの想像物で構成する。
②受け止められる共感は無限性物語の核心テーマを想像して構成している。
③飛び出してくる誇張部位が受け止める者の瞑想的想像で幾重もの意思疎通を構成する。
④(装飾)ここで初めて、調和・純粋な装飾パフォーマンス(職人技:機械化理論化が未だ困難)が加わる。
ここで言えることは、
芸術の基本的構成の表面にパフォーマンス(機械化理論化が未だ困難))が散りばめられていることである。
パフォーマンス集積結果の上に芸術の基本構成が存在しているわけではない、素人はここで錯覚する。
すなわち、パフォーマンス能力がなかったとしても、芸術の基本的構成は成り立ち得るのである。
要するに結論は、
誰でも、①~③の芸術の基本的構成で組み立てれば、芸術Art域の労働発揮が可能なのである。
芸術Art域の労働発揮が、ものづくりやサービスの根本に存在すれば、その商品は売れる。
ここに、固有文化価値商品が、寵愛され、供給後も商品価値が増殖する要素が存在する。
すなわち、
労働力全般での「愛と勇敢さ」がなければ、高度なデジタル労働力のパフォーマンスにすぎない。
それは、街角の対面販売、小売業、ネット通販などで、成功している人たちには、知らず知らずのうちに用いられている。加えて、AI人工知能で成功するにも、その効率化に「愛と勇敢さ」でもって息を吹き込むことができるのである、失敗の成否はここにある。
固有文化価値の商品を担う人間の働きは、労働力全般であって、
予め企画計画(プラン、プロダクト、スケジュール)に、「はめこまれた労働力」の行使ではない。
……世界各国の大手企業が、事業や仕事の上辺だけとなり、労働意欲減退に陥る原因解明のヒントがここにある。

【芸術か否か、パフォーマンスとの比較差異】
パフォーマンスは、曲芸や珍しさの希少価値の展示や品評といった誘惑に陥ってしまう。
アートは、将来に向かっての明るさ(希望)を表現している、これに対し
パフォーマンスは、過去を振りかえるもので、理屈や人目を気遣うことから、過去への暗さは増長される。
過去の業務全般に対する、傾向と対策の範囲において、機械化(AI)の対象となる。
いくらパフォーマンスでも、AI人工知能での効率化にも息を吹き込むことは不可能である、だから売れない。
AI人工知能を駆使して、人々の傾向性を見つけたとしても、それは欲望の塊にすぎず、社会の価値増殖には寄与しない。
パフォーマンスによる高付加価値商品は、感動や気晴らし商品構成となり、消費者の不満が募る。
そのことから、パフォーマンスの希少価値を追い求めることとなり、気晴らしはあきられてしまい、それは現在のような経済的破綻を招くこととなる。
パフォーマンスは感受性を排除するから、心に浮かんだ絶対的美や価値のみのイメージを選び、芸術のごとくの時空を超えて他の物との結合や共鳴には注目しない。
パフォーマンスの結合とは、終始一貫して、心に浮かんだ絶対的美や価値を支えるためだけの、支柱だけであり杖の役割だけしかない。
パフォーマンス、それは現実的な存在物のリアルさを表現し、その善し悪しは表現の完成に比例して決まるのである。
観察者というパフォーマンスに長けた者の癖は、芸術の現実の実態を表現するのは観察力と誤解し、もっぱら表現の完全さを求める。
描く対象は征服されるものとしての、パフォーマンスの眼差しの対象となり、高級な芸術の装飾品には一般的に適さない。
グロテスクは、描く対象の法則性に不注意で、心に浮かんだ絶対的美や価値のみをイメージするから俗化するパフォーマンスである。
パフォーマンスの弁論家は、不意打ちや罠で話が構成され、オモシロ、おかしく気晴らしにはなるが、益々不満は募るばかりである。
パフォーマンスは、約束されたものや指示された限度を超えて、より多くを与えることはない。

【文化なれども、芸術ではないもの】
芸術性の存在とはかかわりなく、シンボルによって想像・構想される絵画も、例えば宗教画と言われるものも文化ではある。
芸術性に必要な想像力や構想力を排除して、事実や事実関係を記録するあるいは学問的に分析する文物録音録画も文化ではある。
ドキュメンタリー映像であっても、シンボルや事実の羅列では芸術性を構成しないし、それはパフォーマンスであって芸術Art域の労働発揮ではないからだ。
「固有文化価値の商品化なのか、文化的事業基盤形成事業の形成なのか」
結局は、
A.幸福や希望の実現を追い求める上でのことなのか、
B.厚生事業に柱を置くものなのか、それによって、その具体策が異なってくる。
過去に現れた事物の、「傾向と対策」から導き出されている事柄を目標にした客観的合理的思考習慣(システム概念)は、
幸福と希望の排除をもたらすこととなり、それが個人や社会に共通する価値増殖を逓減させて来た。
アートArt労働は、
その場の観客や需要者を巻き込み、集団を結合するプロデュースで具体化される。
そこには、異質で異なるものを結合Connectさせる芸術構想力の前提の基、
①アーティストの想像力に基づいた構想力の組み立てで、
②アーティストの技巧に導きリードされた法則によって、所謂美をその場に演出する。
③よって曲芸や珍しさの希少価値の展示や品評といったパフォーマンスの陥りやすさを解消することができる。
アートArt労働との用語法は、
芸術性労働の純粋集合体を抽象的に表現したものであり、
スキルやパフォーマンスが、芸術性労働によって導きリードされた場合は、
「固有文化価値の商品化なのか、文化的事業基盤形成事業の形成なのか」を問わず、
意欲・感動・希望の三分野がセットされた固有文化価値商品が形成される。

【芸術Art域の労働発揮
それの中身を確定することは、現段階では難しい。目的意識的にやってみて確立する必要がある。
労働力の所有権を使用者に譲渡する、この事例が20世紀初頭から始まったことで、新しい社会制度が確立された。
それと同じように、これから、
芸術Art域の労働の有形無形財産の貸与契約あるいは、有形固定物に限っては所有権譲渡契約が、
産業一般に流通する段階を進むにつれて、中身が充実確定する。だとしても100%確定は難しいとしてもだ。


§事業経営活動 のタブー  資本主義の本来的姿による経営管理項目
ここに示す項目は、日本ではタブーである。
だが、アメリカなど起業や事業の盛んな国では、当たり前の認識である。
エピソードだが、フィンランドでは介護資格取得には、近年は介護事業の起業独立経営のカリキュラム(公務員的画一思考是正を含め)が必須である。
なぜ日本では、この資本主義の本来的姿による経営管理項目がタブーとなったのかは6月号メルマガ参照。
http://soumubu1.blogspot.jp/#182-10
資本主義の本来的姿による経営管理項目 この三つは有機的に結びついたセットだ。
これこそが、経営トップの行うプロデュースである。

[1]個別企業の、
    ①人的物的な技術力、
    ②優位な取引&貨幣転化の迅速手法、
    ③市場や銀行での信用創造
   を総合的に組織的に運用して資金回転率をあげること。
[2]その動きを形成・展開・まとめ収める、そのイニシアチブと実行力を個別企業内外で安定確保する。
   個別企業で恒常的に実行ができるように、商品提供ネットワーク実行力も社内組織も独自で形成し、
   そのための人材(いわゆる監督職ではなく管理職)を確保定着させること。
[3]事業や資金への天才的投資チャンスの適時適宜性を磨くことに専念すること。
   及び日常的に個別企業独自の危険要因を探し出しておき、
   その危険事態(それは内部では分からない、だから外部の専門家)を予防すること。

【近年日本での個別企業の誤った思い込み】
前述の1項目のみを、経営だと思いこんでいる経営者が圧倒的だ。
2項目や3項目の弱さで、そういった自覚を経営者が持つ前に崩壊する下請け企業が多い。
2項目が極めて特異な集団の一つにアウトソーシング会社が、日本では少しだけ存在する、
だが、人材派遣会社、国家資格を有する事務所には、(法規制で)アウトソーシング能力は全くない。
3項目にばかり専念して仕事の受注はするけれど、丸投げ発注するブローカー的企業も少なくない。
起業といえば日本では、1項~3項の何れかひとつと錯覚している、ことに中小企業庁がそうだ。

【大手に比べ有利なことは、中堅中小企業だからこそ】
官公庁や都市銀行などに頼らなくても、
 【資金回転率】を引き上げることで効率的投資も叶うし、
 【実行力】商品提供ネットワーク実行力も社内組織も独自で形成できるし、
 【適宜適時力】機敏さもあり柔軟性もあり、機敏予防にも長けているのである。


§司法判断 =労働者は、使用者と何を交換するか、それは日本のタブー!
労働者が、使用者と交換するものは、法律、経済、経営いずれ本にも書いていない。
今やICT産業革命で社会に文化、そして経済構造が変わる。
それに応じた労働の交換概念も変化し、変化を先取りし定着させる個別企業こそが、有能で高価値を生み出す人材を確保する。
ICT産業革命時代での労働全般の所有や取引での権利義務概念を創造的にタブーに挑戦する。

ここでの「労働」といった用語は、民法の特別法である労働契約法、労働基準法その他の労働に係る行政法に定義されている事柄より広い意味で使用している。そのため労働という言葉の認識が、日本国内法令などによる狭い解釈にならないよう注意することが肝要だ。また意味不明だからと言ってギャラ、出演料、コマ代その百通りの概念を用いるのも誤解と不振、価値逓減のきっかけとなる。
スキルskill(技能)、パフォーマンスperformance(職人技)、アートArt域の労働三分野の解説(6月号メルマガ)
http://soumubu1.blogspot.jp/#182-12

【スキルskill(技能) パフォーマンスperformance (職人技)】
取引相手である経営者との、「労働力」の取引で、
 「その労働力の所有権を、使用者に譲渡する契約」である。
①労働の内容が、既に概ね決められている。
②仕事を実施する場所が定められている。
③予め、そういった内容を労働者は了解したうえで仕事をする。
この論理の上に労働法は形成され、職業安定、職場環境や安全配慮義務、労災保障が成り立っている。
★スキルの労働力は、機械化の対象となる。
労働力賃金(所有権譲渡契約)が高ければ機械化が進み、機械化投資額が高ければ低賃金の労働力確保となる。
いずれにしても、純粋にスキルの労働力のみに頼れば、高価値製品・高水準サービスの商品構成は難しくなる。
★パフォーマンスの労働力は、個人もしくは小集団完結を追求する。
 イ)過去の業務全般に対する、傾向と対策の範囲において、機械化(AI)の対象となる。それは、「一体となった職人気質&職人技」の排除に向かう。職人気質や職業倫理による技術の確保維持発展の阻害が証明されれば、一気に機械化(AI)される。法律制度が目指した「職人気質&職人技」(医師、弁護士、大学教授といった資格者)は文化価値を有するのか否か。
 ロ)あくまでも「傾向と対策」のパターン処理は、在宅型業務処理(勤務)、小企業業務請負、フリーエージェント(案件ごとの労働契約)の表装を帯びていく。
 ハ)すると、プロダクト(生産)・マネージャー、傾向と対策の調整を行うコーディネーターの概念となる。
 ニ)パフォーマンスによる高価値製品・高水準サービスは、感動や気晴らし商品構成となり、消費者の不満が募ることから、希少価値を追い求めることとなり、経済的破綻を招くこととなる。

【アートArt域は、労働全般を貸与を約する契約】
アートArt域 と言われる労働全般は、
取引において、造形物理的要素や解釈要素を含み
①「労働全般能力の発揮によって形成した、有形無形財産の貸与を約する契約」であり。
もしくは、
②アートArtの「有形固定物に限っては、その所有権を譲渡する契約」なのである。
★さまざまなアートArt作品を形成する芸術的天才は
美しく良いもの、かつ希望を感じるものの、法則性をつかみ、作品への技巧の法則を行い、その疑似的再現を実行する。
まさしくこれが、パフォーマンスperformanceによる職人技とは異なる部分となる。
★アートArt労働は、
その場の観客や需要者を巻き込み、集団を結合するプロデュースで具体化される。
そこには、異質で異なるものを結合Connectさせる芸術構想力の前提の基、
①アーティストの想像力に基づいた構想力の組み立てで、
②アーティストの技巧に導きリードされた法則によって、所謂美をその場に演出する。
③よって曲芸や珍しさの希少価値の展示や品評といったパフォーマンスの陥りやすさを解消することができる。

【謝礼は、取引における正当報酬には当たらない。だから保障はない。】
あるいは、「お布施」と称するものも同じく、
委任契約における、無報酬を前提とした、慣習の変形にすぎない。
したがって、報酬を受け取る権利や支払う義務ともに原契約だけでは存在しない。
また、「格」とか人格権は著作権における保護要件には成りうるが、
実労働したものの報酬には一切かかわりがない。
これらいずれも、如何なる権利義務をも保障しない。
権利義務の形成には料金、場所及び時間その他の書面契約が不可欠となる。

★また別の論点だが、著作権の世界的認識は、
販売組織(会社)の売買取引の安定性を高めることに目的がある。労働能力の一部である労働力、或いは労働全般能力の発揮のいずれにしろ、これを重視して考えられた概念とは言い切れない。著作権は派生的に労働協約などの交渉根拠とされているのが世界先進国の傾向である。

【労働や雇用といった契約の、歴史展開。】
ちなみに労働契約とは、土地の付属物であった農民とは異なった契約である。
1st)労働力での成果物を取り上げ→生活費を労働再生産費用として賃金を支払う=搾取と言われる労働(力)交換システムである。立場が弱いから買いたたかれ→闘いとなる。ただし特筆するが、欧米では、奴隷制度名残の身分制度の影響が今も続くことは日本との違いである。
2nd)労働力を機械生産工程の代わりに使い→機械費用の代わりに通貨を支払う=労働力の所有権を譲渡契約し、代金の賃金を払う。→集団的労働関係を創り近代労使関係を築き産業の安定成長を図る。労災保険制度、失業保険制度、安全配慮義務などは、この「労働力の所有権譲渡契約制度」の充実保管の制度部分である。
3rd)ところが、こういった労働の交換概念の司法的研究は存在するが、こと日本では法定法理とされていない。司法判断にかかわる法曹界ではタブーである。したがって、司法研修所、労働基準監督官その他労働法がらみの公的職業人での学習が貧弱なのである。近代労使関係を学んでいない法曹関係者は、苦肉の策で人格権とか不法行為責任といった曖昧な範囲で処理をはかろうとする。どうも此処に、ICT産業革命での構造変化に応じきれない労使の人材概念の権利義務混乱(明解に納得できない)が産まれる所以があった、弁証法的にいえば。
4th)そこでもう一度、古代からの司法概念を振り返り、ICT産業革命時代での労働全般の所有や取引での権利義務概念を、タブーに挑戦し創造的に発明してみた。それは、およそ100年前アメリカで労働力所有権譲渡に因る賃金交換が発見され、司法判断が始まったようにである。また日本にあっては、約400年前に奴隷制度が禁止されていること、現行社会経済制度が欧米とは異なることから、現行の如くに労働に掛かる各種財産権が法定法理に成ることは未来話ではある。
5th)だが、とりわけArt芸術域の労働全般の契約が下支えとなり、職業能力の各自目標や希望となることで、司法判断も得て社会の経済や豊かさを広げるだろうと確信できる。タブーを破った今は、突飛な「発明」だけど、実利(高価値・短時間労働)にまつわる固定観念を打ち破る。それは法則化理論化によって良心の自由を奪われようが、またそれはグローバルな展開だとしても、それは保障されることになるからである。(そうなれば、極東アジアと東南アジアで、その保障は顕著な現象になるだろう。Art芸術域の労働とともに「発明」は輸出されるかもしれない)

2017/06/06

第182号:個別企業の事業再生が図れる、そのポイントとは!

<コンテンツ>
「働き方改革」での 厚労省実行計画の 個別企業に及ぼす影響
「労働契約解消金」日本再興戦略を受けて厚生労働省:検討会報告書
そこは取り急ぎ、個別企業の事業経営を浮かび上がらせる
 1st)まずは経営のチェックポイント、価値と資産を生む労働(働き方)を整理
 2nd)今や、サラ金地獄に陥ったような経済状況(金融情報資本主義の限界)
 3rd)それは、商品の生産をスキルskill(技能)にばかり頼る経済・経営が限界
 4th)日本の官僚や大手企業は、100年以上の昔のごとく
この瞬間の中堅中小企業:経営チェックポイント。
 ☆資本主義の本来的姿による経営管理のチェック項目。
  これらポイントを経営管理の通例としなかった日本
 =経営技術水準が低く実力も実力無いと、見栄張りのガンコ者になる=

労働能力の三分野、それが解れば変わる育成法
 1A.アート Art と言われるもの
 2A.パフォーマンス performance というものは何?
 3A.スキル skill(技能)これが職業能力と思われているもの
 4A.では、アートの労働全般能力、あるいはパフォーマンスの熟練労働力は、
 5A.加えて、フォーマンスやスキル(技能)は、実のところ
 6A.アート、パフォーマンス、スキル(技能)、この三つの分野の仕事スタイル


§「働き方改革」での 厚労省実行計画の 個別企業に及ぼす影響
政府の最大の柱とは、同一労働同一賃金&長時間労働の上限規制だとの、厚労省の認識となっている。以下、実行する監督行政部隊の方針である。
【同一労働同一賃金】の、厚生労働省の実行計画は、従来のガイドライン案を法制化する程度以上のものはない。したがって、一部には現状維持の定修正のセミナーも開催されるようになっている。それは「同一価値労働」ではない宿命にすぎないのだが。
【長時間労働の規制】は、原則月45時間以内などの現行告示を法律に格上げ罰則規定も設置程度である。
★信頼筋によると、官邸筋は経済界には会合でも発言を抑え込み、有無を言わせない姿勢との情報だ。また、多くのレクチャーでは、「実質は従来と変わらない」といった話ばかりである。
★厚労省独自の監督行政の動きは、何と言っても今年1月に公表された、「労働時間の把握」についての通達である。都道府県労働局の説明レクチャーでは、「徹底的な労働時間の監督を行う(おそらく秋以降?)」、そこで、「今から各事業所で準備をするように」、といった内容になっている。個別企業にとっては、こちらの対策が重要であることは間違いない。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html


§「労働契約解消金」日本再興戦略を受けて厚生労働省:検討会報告書
厚生労働省は5月31日、「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」の報告書を公表。報告はとにかく長く、労働法専門知識と紛争実務経験があってこそ読み解ける内容である。ここしばらくの内閣官房に対する省庁官僚たちの態度の変化が現われているのかもしれない。昔に厚生労働省内で解雇の金銭解決制度が建議されたことがあるが、それに比べると、筆者が読む限り大きくトーンダウンしている。
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11201250-Roudoukijunkyoku-Roudoujoukenseisakuka/0000166365.pdf
★金銭救済解決は、マスコミ報道の閣議決定から連想できるような制度を作ることが、現行法規の理念からは技術的に難しいとしている。むしろ金銭解決額は予想よりも高額を要し、労働者本人に責任がある解雇でも少なくとも3ヵ月とし、妥当な金額幅は示さないもの労働審判や紛争調整委員会の和解金額を、はるかに上回る必要とのニュアンスも否めない。これでは中小企業の支払い能力に懸念があるといたような内容となっている。
★また、労働者には、そういった金銭救済解決のニーズは無いと、報告書は断言している。巷のマスコミの一部には、この制度が実施されれば労働者に有利な制度ではとの憶測も出ているが、報告書の内容を追っていくと、それは、詳細に渡り打ち消されている。


§そこは取り急ぎ、個別企業の事業経営を浮かび上がらせる

1st)まずは経営のチェックポイント、価値と資産を生む労働(働き方)を整理、そのための調査研究をしてみた。巷の経済学は金融・情報・希少価値といった、肝心の価値と資産に関する話が見当たらない。経営のノウハウ本も浮ついた出版やネット広告が目立ち、戦後の経済成長を世界的に支えた経済理論とかノウハウを、読んだこともなさそうな下世話な話ばかりである。
あまりにも呆れたので、今回のメルマガは、緊急応急策を中心にまとめてみた。次回は経済学の根拠でもって、どうすれば発展的計画的事業経営の指針についてまとめる予定である。じゃあそれまではとなると、将来のために我慢して事業縮小(資産をはがされないように)することある。それは、会社の資金繰りを超えて、従業員の方の生活保護とか各種公費の減免手続きまでも考えてもの個別企業の存続計画である。
とにかく倒産してしまえば、価値と資産を生むノウハウ自体が喪失してしまうのである。

2nd)今や、サラ金地獄に陥ったような経済状況(金融情報資本主義の限界)とも言われ、個別企業の事業経営が行き詰まりを見せている。最終消費となる個人消費の激減どころか、労働者の将来希望喪失による労働意欲激減は人材不足をきたしている。企業の有効求人倍率は数字は高いがパートや契約社員ばかりである。契約社員の求人では応募ゼロの個別企業も増え続けている、すなわち、「そこまでして働かない!」といった労働意欲激減が、何もしない生活といった貧困化に流れているのである。その一方で、増加するのが詐欺、脅迫、貧困に付けいる取引といった犯罪や「半グレ」主宰のズル賢い系ニュービジネス犯罪である。

3rd)それは、商品の生産をスキル skill(技能)にばかり頼る経済・経営が限界にきている現在、100年以上昔と同じように、「産業の機械化及び人間の家畜化」といった方法で乗り切ろうとするから、一気に衰退を迎える様相なのである。ブラック企業のさまざまな現象、長時間の無給労働、職場の仲間同士の足の引っ張りあい、事業効率の徹底した悪さの蔓延に現われているのである。
むしろ、100年以上昔に、各国が経済を研究し社会制度を改革したことによって、第二次世界大戦の前後から以降の経済成長をみたのである。短絡的表現ではあるが、「経済を研究し社会制度を改革」しなかった国は、資金を海外投資から受け入れたのだが、根本の経済政策を間違い経済後退してしまい、さらに政権にしがみついた首脳たちは全体主義の道を選んだ。
ナチス:ヒットラー、イタリア:ムッソリーニ、旧ソ連:スターリン主義、そして旧大日本帝国がそうである。例えば、日本は正金銀行(金塊取引)で、アメリカ本土から借り集めた資金でもって、満州事変の戦争費用に充てた。昭和大恐慌から立ち直るやさきの経済政策には投資しなかったことから、益々悪化していったのである。「贅沢は敵」と言い出したのはこのころからである。挙げ句に、国民は国債を買わされ、会社員のボーナスを全て国債購入に、町内会隣組では国債の割り当て、そして終戦の時には「ほぼ〇円の国債価格」となった、超インフレ政策であった。

4th)日本の官僚や大手企業は、100年以上の昔のごとく「産業の機械化及び人間の家畜化」との、「経済を研究し社会制度を改革」を放棄した状況と基本は同じく、それでは選挙で負けないようにと考えて耳ざわりよく、「イノベーションと働き方改革」と言っている。だがその中には、本来のイノベーション(筆者の原典紹介)の一部分に似せたような似非な機械化(IoT,BigData,ITなど)への機器投資にすぎない。
「働き方改革」は現在の機能不全状況を法律で追認する程度の話であって、これには大手をはじめ中堅中小企業に至るまで無視しており、厚生労働省とそのシンクタンクも面従腹背を決めこみ機能停止状態である。すなわち戦前日本と同じように、資金を海外投資から得て(ただし、現在の夢物語)、いわゆる彼らのいう「ソフトやノウハウ」には注ぎこまずに、というわけである。「誠に戦争中の官僚たち」と同じく全体主義に流れていってるのである。


§この瞬間の中堅中小企業:経営チェックポイント。
消費動向は益々低迷、海外輸出はまだまだ不振、進出したところで会社身売りの公算が高い。それは、高度経済成長以来の政府主導の計画経済産業政策とバブル崩壊以後の低減縮小に原因がある。だから、最終消費である個人消費を向上させることになっていない。金融政策の中小企業の金づる(金融借入金が銀行の株主化に変質してしまった)でもって、システムから経営思考習慣までが社会主義化してしまっている。

資本主義の本来的姿による経営管理のチェック項目。
〔1〕
個別企業の、
   ①人的物的技術力、
   ②優位な取引&貨幣転化手法、
   ③市場や銀行での信用創造
 を総合的に組織的に運用して資金回転率をあげること。
〔2〕
その動きを形成・展開・まとめ収めるイニシアチブと実行力を個別企業内外での安定確保する。個別企業で恒常的に実行ができるように、商品提供ネットワーク実行力も社内組織も独自で形成し、そのための人材(いわゆる管理職)を確保定着させること。
〔3〕
事業や資金への天才的投資チャンスの適時適宜性を磨くことに専念すること。及び日常的に個別企業独自の危険要因を探し出しておき、その危険事態(内部では分からない、だから外部の専門家)を予防すること。

……現実経済から出発すれば、こういったポイントなのだ。
海外の近代経済学と言われる研究は、不思議にも紹介されている例が少ない。じゃあ日本国内に、それが無かったかといえば、近江商人の商業資本主義には残存している。が、ほぼエピソード程度の表面的なものしか語られていない。
そして、最近の個別企業では、
前述の一項目を経営だと思いこみ、
二項目や三項目の弱さで崩壊する下請け企業が多い。
二項目が極めて特異な集団の一つにアウトソーシング会社がある、
   だが人材派遣会社には能力は全くない。
三項目に集中して仕事の受注はするけれど、丸投げ発注するブローカー的企業も少なくない。

これらポイントを経営管理の通例としなかった日本
その時代に、何が原因で、何があったのか、
 One. 日本の財務省や経済産業省の政策は、(社会主義と同様の)計画経済であるから、官公庁の官僚思考たちの政策にそぐわない。
 Two. 日本の学術は官公庁の官僚にそぐわなければ予算がつかない。日陰者はメジャーから相手にされないといった経済や経営学の学術界のシステムがある。だから学校や周辺では知り様がない。
 Three.あまりにも原因と結果に重きを置いた客観的合理的論理展開の学問でなければ、官僚の多くは理解し得ないからだ。
……大学受験のための勉学は、ひとえに「傾向と対策」であるから、客観性理性のない事象寄せ集めの断片知識による法則性や論理展開の無さに曝されてきたから、実社会では使い物にならない「飛びぬけた能力」だとしても、その「傾向と対策」能力では理解は出来ないと思われる。
おそらく多くの大学では、根本的なところからの科学思想史は教えてもらっていないだろう。所詮アカデミックな古代古典哲学の翻訳が目立つが、それでは社会経験の無いの学生には理解・思考・応用は出来ない。
……だが、現在から将来はグローバル時代であり、
実は官公庁が推薦する政策とは異なっている。
あれこれと官僚たちは独自解説をするが、彼らは官僚機構が在ってこその保身経済政策しか考えない。
……また、中堅中小企業だから、官公庁や都市銀行などに頼らなくても、前述のとおり、
【資金回転率】を引き上げることで効率的投資も叶うし、
【実行力】商品提供ネットワーク実行力も
     社内組織も独自で形成できるし、
【適宜適時力】機敏さもあり柔軟性もあり、
       機敏予防にも長けているのである。

経営技術水準が低く実力も実力無いと、見栄張りのガンコ者になる
★「おもてなし」といえども、
個々の客へのメニューや商品の微調整が出来なければ、回転率も実行力も適宜適時力適宜性も成り立つわけがない。
ここは最終消費財にかかわる個別企業の命取りである。
★伝統や文化あるいは緻密さにかかる職人技能だとしても、
外国客のニーズにこたえない、相手との意思疎通をしない、顧客に共感して工夫しない、といったことで売れないのである。
[もの作り]や[人をケアcareするサービス]のイノベーション
   の教育要点は次の通りだ。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/22

☆近代経済学を切り開いた学者たちは、
経済学研究をすることで、およそ口をそろえて、
経営陣が安易に「機械化と家畜化」によって利潤を得ようとすることでの事業衰退を防ぎ、あげく左右の全体主義政治に陥って崩壊しないようにと、当時からすでに研究目標を置いてきた。
よって、(肝心な経営理念は各々読者に任せるとしても)
【資金回転率】、【実行力】、【適宜適時力】がなければ、
経営者筆頭の個別企業そのもの自体の「機械化と家畜化!」
でも、それさえも論外であり、それどころか、もう経営管理の資格外なのである。
現実に、失われた10年の30年目突入、この悩みが経営者の内心に漂っている。


§労働能力の三分野、それが解れば変わる育成法
アート Art、パフォーマンス performance、スキル skill(技能)、
これが労働能力の三分野である。詳細な定義付けとか経済学的分析は、未だ今日まで行われていない。経済学者たちの中で、分析が行われていない理由を聞いても仕方がない。むしろ、必要がなかったのだと思われる。



1A.アート Artと言われるもの
固有文化価値商品の機械的には理解できない品質の良さを醸し出す、そこがアートArtの部位である。これが類似商品と比べて売れる根拠であり、価格水準を維持している根拠である。
微力ながら、部分的ながらも、いわゆる芸術性を商品に持たせる創造労働である。ただ世間で会話している芸術性は、猫も杓子も風変わりな有形無形のものをイメージしている場合が多いから、これでは役に立たない。だが、売れる商品には質量は別として必ず芸術性による部位が存在する。むしろ何気ない配慮と細かい部分から順に機能と表現が表装される傾向が一般的だ。
そのことで、意欲・感動に加えて社会生活や人間関係に希望を抱くことができる。また、全体&細かい部分の機能と表現の人的技術が決定的要素なのである。それを具現化するものが、①提供する人や集団の労働全般能力であり、②有形無形を問わず需要側の希望にかかる共感作用に対する共感精度が、③本人の自覚の有無とは別にアーティストの分野ごとに優秀強力な能力だと推測できる。④またその共感作用に対する共感精度は、労働能力全般を発揮する技巧に法則を持たせるための測定器の役割を果たしている。

2A.パフォーマンス performance というものは何?
パフォーマンスと言われるの労働能力の、アートArtとの決定的違いは「他人に希望」を抱かせないことである。その代わりに買い手の主観に理解されうる論理構成の装いが必要となる。では、パフォーマンスperformanceとは何かと定義するならば、「いわゆる曲芸の領域」である。審美追及主義の文字通り、美を追求するとの名目で、アレコレ理屈を並べることを要する。鑑定書めいた「折り紙」を必要とするのだが、あくまでそれは、提供される側の好奇心や希少性の一体混合作用が主な注目を引く源泉なのである。
くどいけれど繰り返すと、商品そのものには他人に希望は抱かせない、その代わりに提供される側の好奇心や希少性の一体混合作用で目を引く仕組みが必要となるのだ。これが経済学でいう希少性である。それは決して、生産量が少ないから、希少価値があるというカラクリではないのだ。
アートArtとは異なり、決して社会生活や人間関係の構成にかかわる希望には触れないようだ。どうしても個人の内在に陥ってしまうマーケティングでなければ、パフォーマンスと言われる労働能力によって造られた商品には買い手がつかないのである。要は。曲芸の類であるから、そんな商品は入手すれば飽きが来てしまう、それは商品入手後の価値創造や価値加算が行われないからである。やはりパフォーマンスは、いくら熟練を積んだといえども、労働力(それは労働全般能力の一部分)の一種にすぎない。
ピアノ演奏だとしても、パフォーマンス労働力に因るものであればBGMである。壁に大きな絵画があったとしても、パフォーマンス労働力に因るものであれば装飾壁紙の一種である。大工場で作った壁紙のだとしてもアートArtの労働全般能力に因るものであれば芸術性がある。工業デザインの元祖と言われる英国人:ウィリアム・モリスは、19世紀に壁紙などの製造から出発したが、工芸品は拒絶し芸術品を目指した、それが工業デザインに開花するわけである。そして、その当時の工芸品や民芸品、いわゆる食器類、家具、民生用住宅は、職人のパフォーマンスが造るものが圧倒的のである。
いわゆるアートArtとなる芸術性を商品に持たせる創造労働は、目的意識的に計画的にでなければ製造出来ないし、パフォーマンス労働力を開発したり、身につけたりすることとは方法が異なるのである。

3A.スキル skill(技能)これが職業能力と思われているもの
スキル(技能)、これは長寿の人生からすれば、初期技能の労働力である。例えば、「学卒者は作業マニュアルを理解する語学力を身に付けている、それも一種のスキル(技能)」とされている、これは厚生労働省シンクタンク機関の考え方の一例である。スキル(技能)とは、ある程度の作業を、ほぼ自前で判断しなくても実行完成することができるといった、労働全般能力の労働力の部分的能力のことである。
近年は労働者の自主性に考慮することが流行しているけれど、やはり、スキル(技能)の労働力は、「指示待ち」が基本スタイルである。作業工程を企画した後に集団で組織的に労働力を発揮させるからである。スキル労働力とパフォーマンス労働力を混在させると、事務であれ販売であれ作業効率は激減する。パフォーマンス労働力のレベルは、とにかく単独で作業を行わせることである。
そして、スキル労働力の中でも、低価格もしくは訓練中の労働力は=時間単位商品として取引される。高価格かつ訓練完成の労働力は出来高制商品で取引される。月給制社員なのか時間給社員なのかは、個別企業により決めれば良い。この労働力が不足していた時代には、名目は正社員:実質は時間給や日額賃金とした個別企業が圧倒的であった。労働力不足が緩和されると、直ちに低賃金の非正規労働者への雇用の切り替えが進行した、それが近年の2008年リーマンショックの実態というわけである。
スキル(技能)労働力に、同時にアートArtの芸術性を商品に持たせる創造労働を行うことが出来ない。すなわち、売れない商品は、せいぜい購買の「意欲と感動」しか商品化されていないか、意欲の部分をスキル労働力か、感動の部分をパフォーマンス労働力か、その製造や業務を担うのである。
最も売れる固有文化を持つ商品は、ありふれたように見えるのだが「意欲と感動」に加えてセットで、購買すれば「希望」がかなう品だから売れるのであり、そこにはアートArtの芸術性を商品に持たせる創造労働が関わっているのである、それはどうしても労働全般能力の発揮しかあり得ない。

4A.では、アートの労働全般能力、あるいはパフォーマンスの熟練労働力は、
旧来から、それなりの賃金価値として取引されたかといえば、それらは正当に行われなかった。それは明確な取引根拠がなかったからである。労働全般能力や熟練を長期雇用保障との代替取引、30歳半ばまでの生業的独立といった社会システムで、芸術性といった労働全般能力を発揮する権利、熟練性の単純労働力の発揮を上回る労働の権利は、およそ概念化されることがなかったのである。
貨幣収入が必要な場合は、その培った労働全般能力を横に置いておいて、経営者に転身するしかなかったのである。こういった社会慣習は、アートやパフォーマンスそれぞれの能力を曖昧にして、能力向上や開発を放置してきたから、よく売れるレベルの商品が製造されるにいたらず、それなりの賃金価値を支払うといった労働契約も成り立つにいたらなかったのである。賃金を引き上げれば、売れる商品が生み出されると言うのは、このことからも真実でないことは明らかになる。

5A.加えて、パフォーマンスやスキル(技能)は、実のところ
労働力が時間単位商品や出来高制商品としているが、取引相手である経営者との取引で、「その労働力の所有権を譲渡する契約」であることが明快になったのは、労使取引関係に対する裁判所の介入でもっての労働に関する司法の判断においてであった。これによって経営者が所有権を保持するが、所有権個人にかかわる労働力の安全その他の配慮義務が使用者に備わったのである。同じく、仕事内容を了解することがなければ場内立ち入り拒否といった、経営者の統治権(統治義務)の考え方も法的に確立することになった。
ところが、いわゆる古典的経済学では、労働力が(労働にしろ)一体何と交換をしたのかが解明出来なかった。よってその部分の安全配慮とか長時間労働禁止の社会的資産(文化的資産になりうる)に対する解明さに論理発展の遅延を生じているから、そういった古典的な経済学を持ち出せないことは否めない。だが、日本の現状は、古典的経済学もしくはそれ以前の論理が定着している社会だから、労働者にも、「労働力の所有権譲渡契約」がパフォーマンスやスキル(技能)を発揮する人たちの労働契約であることを教える必要がある。それを教えていないから、曖昧どころか、古代へ古代へと迷信のような労働感が蔓延してくることになる。
では、アートの労働全般能力が労働力の所有権を譲渡するものではないとすれば、いったい何なんだろうか、その詳細まで詰めたところの通貨でもって交換されるもの、それはもう少し解明に時間がかかる、間違いなく大発見である。

6A.アート、パフォーマンス、スキル(技能)、この三つの分野の仕事スタイル
は、初歩段階では重なり合う部分が存在するように見えるけれど、それは基本部分では重複していない。三つのスタイルそれぞれの基本部分は、はっきりと異なっている。なので、異なるそれぞれ毎に微妙に訓練蓄積方法が異なるようである。それを最初に判断させるように教育しておくことが重要である。むしろパフォーマンスやスキルといった能力は、本来の労働全般能力を矯正してしまった結果にすぎないと考えたほうが妥当である。
発達障害の子供は、通常の子供と違って、通常以上に発達する部位や能力が存在するから歪な現象が生まれ、それを普通の基準に出っ張りを抑え込む矯正をしようとするから、その無理によって病的障害が現れると見た方が妥当である。それとよく似たことが起こると覚悟している育成姿勢こそ好ましい。加えて発達障害の子供は8歳ぐらいまでに成長する普通の児童と異なり、12歳ぐらいまでかかって、ゆっくり成長するといった経過を踏むらしく、秀才型と天才型どころか、いまだ成長していないと認識して育成に取り組み、アート、パフォーマンス、スキル(技能)の教育を、各々別途に試みる研究も注目に値するのである。
すなわち、スキル技能を積み、→パフォーマンスに発展し、→アートに到達する…といったことは全くあり得ないのである。これは、当社が設立前からの業務部門での実験結果でもある。

幸せになる権利 私的利益・満足=厚生 他人より有利な地位利益
アート スキル パフォーマンス
創造する権利
「創造・独創・時空・結合」
労働力商品
& 労使関係制度
特許権、著作権、版権、
「発明・時系列変化・組合せ」
芸術性(意欲・感動さらに
人間関係での希望)
生命維持性
(意欲・感動)
希少性
(意欲・希少性や複雑な感動)
創造の主張を認める文化
=固有文化価値
技巧の中に法則性保持
人的機械的技術に依存
=効用価値
企画の法則性に限る
発明・曲芸の領域の希少性
審美追求主義の優位希少性
ビッグデータでの情報希少性
5次元の思考
X・Y・Z+time+Connect
2次元X・Y
もしくは 3次元X・Y・Z
3次元X・Y・Z
もしくは4次元X・Y・Z+time
アート
有形無形の完成品
スキル
企画による組織労働
パフォーマンス
単独で労働される

2017/05/09

第181号:全体主義の反対者だけは、個人も企業も活きられる

<コンテンツ>
あなたの仕事や会社は、全体主義者に乗っ取られていませんか?
中堅・中小企業は、全体主義者から、直には狙われはしない。
「常に、敵! の脅威」を煽るのが全体主義者 ←だがそれは幻想。
個別企業の経済・経営管理に及ぼす、全体主義の奇怪な特徴。
 ★★ 個別企業の経済・経営管理に全体主義が及ぼす範囲、あるいは現れる特徴 ★★
 ☆☆ 【 全体主義に、対抗し崩壊させる方法の紹介。その解説付き 】
 ☆☆ 【 物語風に もう一度これを繰り返すと 】
詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為は、
OECD:2017年次:日本経済審査報告 =経済生産性低迷=
経団連によると、「働き方改革」は規制の現状維持 (4/20付け)


§あなたの仕事や会社は、全体主義者に乗っ取られていませんか?
経済低迷に対する具体策を取らないから、人も企業も、そして国も経済が貧困化する。そして、誰しもが「気合い」のみで以て乗り切ろうとする。こうして益々、個人も企業もすたれていく。そこに全体主義者が甘くささやき、日本文化や生き方(哲学や人権)に語りかけ、人々を幻想と妄想に酔わせてしまう。すなわち、象徴を現実に持ち込む思考方式であり、左右の全体主義者やカルト(セクト)化した宗教団体に共通する。本当に彼らは、「夢を現実と思い込み、現実を夢だと」思い込む。それは無教養で貧しい生活環境に位置されている人たちの目には、「まるで神や仏の指し示した希望の光!」と錯覚させられてしまうようである。
だから目的意識的に故意に、彼ら全体主義者たちは、左右やカルト宗派団体(宗教心とは異なる教義)を問わず、延々と「象徴」を現実に持ち込もうとするのである。そのやり口と言えば、「大丈夫、駄目じゃない!」と応援するかのような口調から始まって、必ずモルモットのような「飼育されたネズミ」の方向を徹底させるのである。
それは、ナショナリズムもスターリン主義も全く同一の手法。すなわち、
「一旦、国の権力を握れば、社会の文化や生き方まで、押し付けようとする」
のである。それは、一気に日常生活の肌身にまでいたり、人間関係にまで影響を持たせようと、彼らは策略するのである。その実行は官僚主義者がするのである。(例=森友学園の不正払い下げ)
肝心の経済活動にいたっては、大手のみならず中堅企業に至るまで、そういった風潮に乗って、企業成長の停滞、公序良俗に反する経済不祥事といったものまで見習ってしまうのだ。

★★★ 中堅・中小企業でも中枢社員が影響を受ける。
~個別企業の経営幹部といっても、学歴・知識が(戦前戦後の)官僚的代物に頼った社員ならば、ここで一気に官僚主義を発揮して、経営者やオーナーに対して面従腹背(官僚の延命保身技術)の無秩序を実行するに至るのである。これが、ここ数年の決定的な日本経済や社会の低迷の引き金になっている。
☆ もとより、現行日本の経済制度では
①外注業者の中で「下請け企業」となれば発注企業よりも、経営者も労働者も報酬は少ないのが当然である。
②アウトソーシングとか対事業所サービスや個人消費者サービスは、経済や豊かさは安定をするのだが、官僚的企業運営は致命傷となり企業存続が出来なくなる。
③個別企業の従業員は、そのオーナーや経営幹部に比べて豊かではない。
④中小企業が全体主義では経営崩壊、独裁ワンマンが事業を安定させる。
⑤失業者の雇用拡大増は、会社の起業に比べて、大手・中堅企業の新規事業にかかる採用雇用が圧倒的に有効である。
古今東西、大手企業の立ち位置では、今も昔も官僚主義の浸透受け皿にさせられてしまう。(天下り)絡まれて囁かれて直に狙われる。(東芝など原発産業、日本郵政、リコーその他の根も同じ)。
……さて、あなたの仕事や会社は、全体主義者に乗っ取られていませんか?


§中堅・中小企業は、全体主義者から、直には狙われはしない。
全体主義者からすると、中堅・中小企業は役に立たない。せいぜい自治体の議員の選挙集票の役割程度で、選挙資金が手にできるわけでもない。左右やカルト宗教の全体主義者は事業経営には疎く、資産や資金を狙うにしても「成り金趣味的傾向」があり、話題がマニアックなこともあって人気はない。そこで彼らは、一足飛びに権力取得をやろうとするといった共通点がある。すなわち、マスコミやネットで集票はできるものの、世論を動かす力は蓄積が出来ないでいる。よって結果的にも、全体主義者の周辺にいる中堅中小企業の経営者は、概ねマニアックな人物が多い、また経営に余裕もないからなおさら全体主義に陶酔しやすいのである。
だから全体主義者は、自治体などの権力取得を果たしたならば、公務員や官僚の内から、「その人個人の卑屈さに見合った支配階級への昇進を望む公務員」を引っ張りあげ、地位につけ、全体主義者は彼に仕事をさせるのである。そしてそれ以上の実力や政策能力は無く、その昇進を望む人物の能力を超える全体主義者の政策は、もとより幻想や妄想なのである。
けだし、そういった昇進を望む地位についた人物は、日頃や通常ではコネがあっても出世出来ない程度だから、意欲並びに労働能力向上には自ずと制限範囲を持っている。したがって、殆どの中堅・中小企業は全体主義者から相手にされていない定めであり、加えて、全体主義者の手下(一部公務員その他)からも相手にされていない。だが本当のところは、全体主義者や手下の公務員に、そもそも他人を何とかできるイニシアチブ能力がないのだ。そこで卑屈な彼らは、無学歴とか選ばれていない輩として中堅中小企業を馬鹿にして見栄を張るのである。
だから、全体主義者がはびこってきたとしても

☆中堅・中小企業は経営や経済ではイニシアチブを持っていることができるのだ。全体主義者や官僚主義者に支配されたとしても、
①大手企業から「より良い物をより安く」仕入れ
②個別企業固有の文化価値を持つ商品を生産し
③本来の適切利潤を獲得すればよいのである。
④そういった方が見栄を張る必要もなく経済的には豊かになれる。

☆全体主義者や官僚主義者からの口利きで、無理矢理新規事業をさせられ破綻の付けを回されることもない。

☆詐欺や脅しによる付加価値の集金に手を出せば企業の将来はない。だが、経営幹部自ら気をつけてさえおれば、そんな彼らからのヤクザめいた話を持ち込まれることもない。そんなしがらみに、絡まれることはない。「権力に寄り添えば、必ず権力に切り捨てられる」。これは、数千年も昔からのことわざである。

☆働いてくれる労働者に対しても胸を張ることができる。
大手サラリーマンの仕事は官僚主義に染まっているから、恣意的に上司が認め了解する“プレゼンテーション” に限ってしか、社内提案が出来ない。それでは、その労働者は何年たっても仕事の能力は身に付かない。そこに45歳リストラ年齢も徐々に低下してきており、大手サラリーマンには常日頃から「使い捨てられる!」といった恐怖が付きまとっている。この労働者の不安のために、能力は目先のテクニックや幼稚な処世術程度しか身に付かず、顧客に売れる商品やサービスのイノベーションの職業能力は劣化するしかない。


§「常に、敵! の脅威」を煽るのが全体主義者 ←だがそれは幻想。
核ミサイルが東京に落ちるだの、ひどいものは敵軍上陸との妄想まで持ち出す。
http://www.kokuminhogo.go.jp/pdf/hogo_m_06.pdf

ところが、左右の全体主義者は具体的対策とか被害や災害防止に無関心、ただ煽るだけなのである。
ちなみに、第二次世界大戦やその後の冷戦で侵略を受けた国の多くは、「自由と独立」そして民主主義を根本的な「民間防衛」の柱に置いている。したがって、左右や宗教カルトの全体主義者らにとって侵略する意味がない、要するに占領したところで、住民がレジスタンスを行い&言う事を聞かない社会を作り上げている。その一例が、次に紹介するスイス政府の民間防衛である。これは、ドイツ:ナチスのヒットラーと旧ソ連のスターリン主義を研究した、哲学者ハンナ・アーレントやクロード・ルフォール(フランス)の実証研究が大いに活用されている。したがって、昨今の全体主義者やマスコミのような、あれかこれか二者選択の矛盾や二元論に陥るのではなく、「生命を第一に全力を尽くす現実主義」である。
もちろん、発行元担当は国内対象に責任を持つ連邦法務警察長官であり、スイス軍ではない。
☆『民間防衛』スイス政府の編集(筆者の推薦・書評)
http://amzn.asia/4sk1O6q
ここしばらく、朝鮮半島と日本列島での戦闘の話題で持ちきりである。
日本国内には、基本的な民間防衛の体制は出来ていない。またその具体策が示されたこともない。
マスコミその他は、米軍が戦闘態勢にはないにも関わらず、今か明日の雰囲気を作る。
ミサイルの国内着弾や原発攻撃を語るが、その被爆を個人が防ぐ方法を書こうともしない。
要するに、
無防備のまま、恐怖心をあおり、命もあきらめさせ、責任感もなえさせようとするのか。
この『民間防衛』スイス政府の書籍は、幻想妄想、空理空論があふれる中で、一人ひとりが自由と独立を改めて考えるきっかけになるだろう。
【この書籍は】
永世中立国として有名なスイスで、政府が1家に1冊を配布したものである。自由と独立そして民主主義のために、最も優先するのは、国民の心理的防衛だとしている。それは、教条的訓練ではなく、各人の判断と完全な責任感を養うことだとしてる。隣人愛と公民としての義務の考えを十分に考慮し、「愛情」についても、「確かめ得ない心の動きではなく、意志の表明でもある」(p.23)と説いている。
左右全体主義のイデオロギーに対しては
思想の自由を持って対処すべきであるとし、彼ら全体主義者の手口を紹介している。

★★ 全体主義者のイデオロギー訓練とは、★「責任を感じさせなくする」訓練で、
 ①人間社会生活の法則を、全体主義者は勝手に作り上げ(押しつけ)、
 ②この法則に基づいて、人間の行動を規定するといった具合だと。
……このようにして、人間の自由な思考と行動に対する責任感を無くす訓練をすることと。
★★加えて、「労働者階級の絶望と空腹の状態を、充分に活用」してくるとし、続けて、
『最も経済効率の高い戦法、つまり、最も安上がりのやり方は常にあらゆる方法で、その国を経済的沈滞-不景気に陥れることである。腹のへった者は、パンを約束する者の言うことを聞くのだから』(p.244)
と解説する。
~すなわち~
彼ら全体主義者の手口は、「心理的に侵略しやすくする。」ことだとの警鐘注意の説明をしている。
これは、戦前日本の「贅沢は敵だ!」とか、「欲しがりません、勝つまでは!」の気合の話と通点する。
……戦争や天災で、消滅した都市は、一つとして歴史には存在しない……
~具体的な事態に対して~ もちろん、
核兵器、生物兵器、化学兵器、堤防破壊に対する個々人の防御・対処方法。
消火活動、救助活動、応急手当を具体的やり方も説明している。
全体主義者に対するレジスタンス、住民の抵抗方法も初歩的なものから解説している。
~スイスにあっては、徹底して個々人の自由と独立を第一とし~
『両親、教育者、教師、ジャーナリスト、作家、芸術家、これらの人々は、スイス精神を国民に植えつけ、自己主張の意志を強化しなければならない』(p.163)とまでの呼びかけを行っている。
日頃から、『市町村、州、連邦の役目は、この思想の自由な発展を力の限り促進することである』(p.163)
とし、特に当局の仕事として、「(スイス国民の)精神的抵抗力に対する敵の攻撃方法を模倣するためにではなく、我々の防戦に必要な資料と知識を得るために、詳細に研究させることである」と極めて抜本的に具体的なのである。
スイスは日本と文化は異なり、あまりにも自由・独立・民主主義へのアプローチとか、スイス文化の思想表現が日本とは異なるので、テクニックにとらわれず、是非次の YouTube も参考に、深いところの理解もどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=XPRy6YhsfTs


§個別企業の経済・経営管理に及ぼす、全体主義の奇怪な特徴。
左右やカルト宗教の全体主義がはびこり、森友学園のように流行のように時流に乗れば儲かると猪突猛進を繰り返す人たちの特徴、そして全体主義者とセットで保身を図りで生き延びるとする官僚主義者の思考方法について、個別企業の経済・経営管理に及ぼす範囲に焦点を絞り幾つかピックアップしてみた。
☆20世紀初頭からアメリカの歴代大統領の経済政策に反映されている「制度学派」と言われる経済理論にあっては、自由・平等・民主主義の社会を大前提としてきた。その多くのブレーンがその前提のもとに政策を実行した。そのいずれもが左右の全体主義に徹底して対抗し、予め全体主義での経済の行き詰まりを見抜いていた。それは、ドイツ:ヒットラーに向けての投資を行うアメリカ大手企業が続出したとしても、その経済投資が破綻をきたすことまでも見抜いていた。経済学者ジョン・R・コモンズの著書『集団行動の経済学』(1950年出版)には、「制度学派」と言われる経済理論とともに、底流には全体主義に対抗する内容が多く含まれている。国内の大学経済学部では、自由・平等・民主主義の大前提を何故か教えていない。
☆ヨーロッパでは、ドイツ:ナチスのヒットラーを研究した哲学者ハンナ・ハンナ・アーレント、さらに旧ソ連のスターリン主義を研究した哲学者クロード・ルフォール(フランス)が実証研究を行い全体主義の特徴と法則的理論的解明を行った。スイス政府も、この実証研究を用いている。ところが日本では、全体主義に関する書籍の翻訳も研究が進展しておらず、そういった真髄には触れないままに論評を行う左右の全体主義学者は少なくない。だが、経済学者ジョン・R・コモンズに言わせれば、「彼らは何らの測定もせずに、すぐ理論を言い放ち」と全体主義者を批判し、哲学者クロード・ルフォールに言わせれば「彼らはら幻想と妄想に陥って現実を見ない」と全体主義者を断言している。
☆以下、説明する特徴は、今昨今の日本や個別企業で巻き起こっている事態にそっくりであると、あなたは受け止めるだろう。だが、これは、ドイツや旧ソ連・東欧諸国で、その当時に実在した実態から導き出した法則なのである。だから学問であり、時代を超え世界各地に通用するのである。(専門的用語や言い回しは筆者が翻訳)。

★★ 個別企業の経済・経営管理に全体主義が及ぼす範囲、あるいは現れる特徴 ★★
1.全体主義の企ての概略は、左右いずれも次の形式現象が浮かび上がる。
 ①彼らの秩序というものの裏側には、末端での無秩序がはびこる。
 ②健全な道徳や身体の例え話に対して、彼らには堕落が目立つ。
 ③「輝かしい未来」期待への内側に、自らの生存と地位の取り合い闘争。
 ④権力支配の内側に、官僚の官僚主義的対立の激しさが見える。
……民間の中堅企業でも、これを真似をする者が出現してくるから注意。

2.全体主義の活動をする者は、矛盾を持って、それでも人を操ろうとする。
 ①左右や宗教カルトを問わず、彼らは組織の中に溶け込もうとする。
 ②目配り任務にあたる。組織者・活動家・大衆動員者の地位を占める。
……よって、彼らが知らない事、予期しない事などは「敵」の形象と映る。

3.全体主義は、気付かれないよう統制、規範化、画一化を、やりたがる。
 ①習俗、嗜好、観念など社会生活の中でも目に触れない事柄に
 ②最も自発的で、最も捉えがたい要素が見られる事柄について
 ③究極は、生活様式、振る舞い、意見の多様性などを拒絶させるようにと。
……そして技術者、管理職の仕事が、各自の責任でなされなくなる事態に。

4.専門教育のない者&教養のない者 + 職業経験の少ないインテリ
 ①こんな者達が全体主義者らに、理屈と行動で惹きつけられる。
 ②彼らは粗野で無教養の人間を、理屈の自発的代弁者に仕立てる。
 ③インテリを組織や担当の口先ばかりの行動の、任務者にする。
……「一つに!」と叫び、とにかくトップも末端も、無理に一体化を図る。

5.全体主義者の理屈や論理展開には、次の三分野の区別を錯覚する。
 ①権力の秩序に属するもの→ 経済構造や労働政策など
 ②法の秩序に属するもの→裁判所の判断や社会制度
 ③認識の秩序に属するもの→ 文化や習俗、家庭や社会生活など
……これを複雑に絡め、政治スローガンの中でつまみ食いしてごまかす。

6.「自分と皆が同一だ!」と主張、同一性?を隠れミノに権力を振るう。
 ①その権力を振るう者は、私的利益のために動く構成員に囲まれ
 ②国家と経済・社会との間の区別を、否定して国家が介入干渉を繰り返す
 ③あげく、国家から相対的に自律した生産・交換関係を保証しなくなる。
……全体主義者は、資本主義の発展条件を根底から崩壊させていく。

____これらの特徴は____
戦前日本の軍事ファシストと官僚たちばかりか、当時日本のさまざまな社会制度に存在していた状況と共通している。日独伊や旧ソ連や東欧が全体主義に至った背景には
・経済恐慌や敗戦による経済的貧困が根底に横たわり、
・その時に全体主義者が、「幸せや人権よりも、利益の満足(厚生)に重きを」との幻想妄想を振り撒き、
・街の裏側での暴力や暴力まがいの行為(警察が動かない)で政権を奪取、
・その後に、通常では登用されない官僚や学者その他を、全体主義者の傘下に侍(はべ)らせ、
・左右過激派にリードさせて、全体主義国家体制を官僚らに作らせるのである。
……こういった手法は世界共通だ。戦前日本はナチスドイツよりも、旧ソ連スターリン主義をヒントにした政府官僚も多い。もちろん彼らは、それを指摘されたときに、否定した。

☆☆ 【 全体主義に、対抗し崩壊させる方法の紹介。その解説付き 】
旧ソ連の東欧での全体主義を崩壊させた歴史を実証研究した哲学者クロード・ルフォール(フランス)は、次のような内容を各国歴史の事実関係から発見している。。そこには旧ソ連の軍事力の脅威が停止したペレストロイカの瞬間に、各国が自力で崩壊させた「民主化の対抗政策」を紹介している。確かに、日本軍ファシストやドイツ:ナチスに比べ、頑強で長期化した旧ソ連をはじめスターリン主義:左の全体主義は、西側諸国の支援を必要とせず崩壊したのは確かな事実関係である。
さて、「民主化の対抗政策」と、その解説は次の通り
☆1 全体主義者の象徴的なものの秩序(幻想・妄想)を、
   現実的な物事の内側に落とし込んで行ったこと。
  (実現可能な幻想妄想であることが証明されていった)。
☆2 こういった現実的な物事の内側の解決には、
   全体主義の外部との連携を伴わざるを得なかった。
  (自由・平等に基づく様々な権利が全体主義の下でも実り、
       それは自ずと経済利益を確保されつつあった)。
☆3 全体主義権力の秩序は、
    「法の秩序」や「知の秩序」と合致しない。
  (秩序や権利行為は、①法定のもの、②契約行為、
       ③不法行為、④その他の権利に及んでいる。)
☆4 結局は全体主義者は差配する者であったし、
    官僚は一枚岩ではなかった。
    権利や利害を守ろうとする頑強な社会層の抵抗に全体主義者は弱い。
    現実的物事や世論の反対にあうと、
    官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突する。
……といった考察を実証研究しているのである。

☆☆ 【 物語風に もう一度これを繰り返すと 】
 One. 先ずは生き延びて、全体主義に対抗し続けて、
 Two. 幸せと権利の主張を行い、
 Three.自由と創造性の資源でもって、現実に具体的な経営や労働を行い、
 Four. 新たな権利のチャンスの形を読み、
 Five. そのことで幸せと権利、実利利益も確保して、余裕も確保して、
 Six. 自由の相互承認・行使の相互保障を柱に→民主主主義を広げることである。
 Seven.「幸せの権利と利益満足」との区別を付け、「未来幻想と現実現在を交換できる」との誘惑に抵抗することである。
……このように、全体主義を崩壊をさせた、これが歴史の事実である。

ところでこれは、
実に、筆者が様々幼少期から聞き及んだ太平洋戦争中の体験話に同類のものがあった。「まず生きて、抵抗して、仕事をして事業を行えば、悲惨な戦争体験は避けて暮らせた」と言う。さて筆者は、幸なのか不思議のか、今日まで判断出来なかったが、私の親族・姻族には戦死者・被災者はおらず、富裕とまでは行かなかったが、悲惨な戦争体験は回避できた考え方と行動の持ち主ばかりであった、たぶん先祖代々から。
こんな「言い伝えのような事柄」が、東欧ではダイナミックに実行され学問として実証研究されたのである。また、最も悲惨な事実は、「無教養で貧しい生活環境にあって、全体主義者に騙され、彼ら官僚の卑屈なる支配階級への昇進に利用された人たち」であった。そう古今東西、全体主義者は次のような言葉で、うそぶきタカをくくっている。
『最も経済効率の高い戦法、つまり、最も安上がりのやり方は、常にあらゆる方法で、その国を経済的沈滞=不景気に陥れることである。腹のへった者は、パンを約束するものの言うことを聞くのだから』(『民間防衛』スイス政府p.224)
☆☆☆よって、
教養の有無や貧窮に関わらず、公言せずとも全体主義の反対者であれば、個人も企業も活きられる!という結論なのである。
そして、最も大切なことは、自由・独立・民主主義でもって、予め経済的に豊かな国と地方を作っておくことであり、全体主義者や侵略者に歯が立たないようにしておくことなのである。全体主義者によって、幸せや暮らしを崩壊させられることはない。


§詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為は、
民主主義社会においては人権を踏みにじる行為である。それは、日本流の経済活動の公序良俗に反する考えをはるかに明快さで超えている。「あいまいさ」を利用して全体主義者は利益をかすめ取ろうとし、官僚主義者は事なきを得るために指摘されるまでは故意に見逃す。
ちなみにアメリカでは、こういった人権確保の考えは20世紀初頭に確立され、常に裁判判例は人権確保に目を光らせ、それを経済学は理論確立している。アメリカの歴代大統領の経済政策にも反映されている。その最盛期の「制度学派」と言われる経済理論にあっては、自由・平等・民主主義の社会を大前提にしたもので、国の経済政策をはじめとして価格決定に至るまで、さまざまな利益団体との関係調整において社会制度を実施して、その客観的合理的判断を各級の裁判所で紛争処理:決着させているのである。
だから、その場面では、さまざまな測定をすることによって、左右全体主義の幻想・妄想を根本から排除しようとする機能を持たせているのだ。連邦銀行の金利決定に雇用統計が使用されるのは、こういった理由に因る。
日本の全体主義になびく霞が関の官僚たちは、今や全体主義者に迎合(忖度そんたく=勇み足)するばかりで、アメリカ経済政策の自由・平等・民主主義の社会前提を見ぬふりして、まるで全体主義者の幻想妄想による「思いつき政策」の実施エンジニアに成り下がっている。
官僚機構のシステムは確かに重要な技術方式ではある。ところが、本来の前提や目的を無視してしまえば、官僚の個人感情である、「社会階層、とりわけ無教養で貧しい生活環境を出自した人々を情け容赦なく選択するといった、彼らの卑屈さに見合った支配階級への昇進というイメージに支えられたシオニズム(選民的エリート意識)」がもたげ湧き出してしまうのである。こういった研究は、ドイツ:ナチスのヒットラー、旧ソ連のスターリン主義を研究した哲学者ハンナ・アーレントやクロード・ルフォール(フランス)が実証研究によって明らかにしている。それは現時点の日本に当てはまる。もちろん、戦前日本の軍部官僚はその典型であった。多分それは、全体主義者の幻想妄想の追求と同時に発生する、現実を無視した思考方式によって、彼らと相思相愛である官僚主義者たちは使い勝手が良いのである。


§OECD:2017年次:日本経済審査報告 =経済生産性低迷=
http://www.oecd.org/japan/economic-survey-japan.htm
経済の貧困が、個人も企業も国家も、全体主義に傾かせる。対抗するには現実の測定データを示し、現実的な秩序の上に職業能力の向上を組織的に図ることである。全体主義者の幻想する秩序は、法の秩序&知の秩序とは合致しない。個人の権利はルール(義務)のもとに摩擦を防止する方向に働くが、官僚主義者は法律条文に定められた権利以外は、まず最初に門前払いをする。どの国の官僚は一枚岩ではない、それにつけ込み、跳ね上がりの極右や極左は幻想妄想で、エンジニアの官僚に付け入る。だがそれ以上に官僚は世論動向の無視は出来ず、全体主義者の政治的基準と官僚の技術的エンジニア基準は衝突を超す。世論の動向とは、支持率や投票数とは異なり、権利や利害を守ろうとする頑強な階層を代弁する人物の動き(筆者のような職業も含むもの)である。すなわち、現実の測定データをもとにすれば、中堅・中小企業も代弁者(受身の国家資格者ではない)を立てれば、経済政策のイニシアチブに手が届くのである。
さて、この審査報告の内容だが、
経済のグローバル展開をみるうえで重要だ。国内重視のナショナリズムではない。
個別企業が日常生活に浸透するグローバルな課題を分析する上では、経営や人事管理には欠かせない。
経済産業省とか厚生労働省といった行政機関の情報(マスコミの恣意的たれ流し)だけでは、個別企業の営業展開・経営管理は独立性が危うくなる。こういったグローバル展開の中での能力の生かしかたを身に付けておくことで、個別企業の営業展開・経営管理に資する価値が高まる。総務・人事担当者といった経営管理の中枢人材は、こういった視点を様々な国家資格者に要求することが大切だ。
経済団体、国の各省庁、地方自治体その他の政策やマーケティングにかかわる人たちは、この報告を眺めて世界との関わりを考えているわけだ。その理由は簡単=これ以外にある程度の共通認識を保持した経済に関する世界的審査報告が存在しないからである。ことに、日本国内の閉鎖的傾向からすると、OECD年次審査報告は痛烈な内容と感じやすいが、それだけ国内(選挙目当ての)全体主義的政治や世間体に左右され、個々人の経済感覚が鈍っていると反省した方が経済効果も含めて有益なのだろう。加えて、さほどマスコミでは取り上げられてはいないといった現象は、いつものOECD年次報告の指摘するところの日本人の経済感覚の劣等性から、大半の読者が快く受け入れない感情が多く存在する現れでもあるだろう。
今年の主要内容を、平たい言葉で紹介すると、
①そもそも日本は生産性が低く、ここ数年の向上も頭打ちの状況
……失われた10年の30年目、国の経済政策は効果なし。
②日本の生産性を高める、6ポイント提言
・残業時間制限などによる、女性の労働参加障壁の排除。
・中小企業と大学の研究開発連携で、生産性を高める。
・企業融資の連帯保証人削除で、経済からの退出を容易に。
・起業家の再挑戦を奨励のため、厳格な個人破産制度の緩和。
・市場の力の強化に反する中小企業向け信用保証の打ち切り。
・正規労働者の既得権益での雇用保護を緩和
   & 非正規労働者の社会保険と職業訓練拡大で
      = 労働市場の二極化を打破。(個人消費増加)
といった具合である。今年の特徴は、
社会や経済構造全般での、国と企業の人事管理システム改革での経済成長立て直しである。
如何に、日本の行政官僚や官民の官僚主義の着想がみすぼらしいものであるかを、具体的統計データを示して解説している。全体主義は現実的なものを無視する、思考パターンの方法だから、こういった測定データに「異様な敵がい心」を露にするのである。
なお、筆者は必ずしもこれに全面賛成してはいない。筆者は、ことに労働能力価値の流通を、労働能力全般を目指すのではなく、個人労働力の範囲内に制限する思考習慣にこそ、経済成長や豊かさにブレーキをかける原因があると考えている。ことに、中堅・中小企業の安定発展には、もっと突っ込んだ労働能力価値の全般活用が基盤になると考えている。一昨年ほど前に大阪でOECD政策担当者にインタビューしたが、その問題意識は薄かった。
だが読者の、あなたには是非とも、じっくりと熟読し活用いただきたい。


§経団連によると、「働き方改革」は規制の現状維持 (4/20付け)
内閣官房働き方改革実現推進室室長代行補の新原浩朗氏は、「働き方改革」によって、いくつかの規制緩和その他は、現状維持であることを説明したとのこと。
http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2017/0420_07.html
あわせて、次の総務部メルマガ(100時間残業、同一労働同一賃金)を参照いただければ。非正規労働者の行方、長時間残業の行方は、身近なことである。
http://soumubu1.blogspot.jp/#180-04

2017/04/04

第180号:いくら郵便馬車を見つめていても、汽車は生まれない

<コンテンツ>
「いくら郵便馬車を見つめていても、汽車は生まれない」
 ・事業活動にしろ、あらゆる共同作業で最も恐いものは、
 ・確かに、益々仕事しない凡人が増加している!
「同一労働同一賃金」は、通勤手当と社内食堂の程度の効果でしかない。
時間外100時間以上の罰則規定の美辞麗句。
 ★加えて、固有文化価値創造や生産に携わるための
 ★利潤の高い固有文化価値商品の提供と
 ★それどころか、こんな事態にあっても、
 ★労働問題専門家の、こぞっての疑問は、
起業家、事業家、資本家、の三種類に分かれる経営者の立場と素質
SNSとか従来メディアは、ICT産業革命では市場基盤や民主主義の要に。
そこで具体的な、SNSその他ネットから情報収集するにあたっての要領


§「いくら郵便馬車を見つめていても、汽車は生まれない」
これは、新商品や新規事業といった、イノベーションの理論を発見した、経済学者シューペンターの語った言葉である。
シューペンターは、イノベーションとして五つの類型を提示した。これを現代風にあらわすと次のようになる。
1.新しい財貨や新しい品質財貨の生産。
2.新しい生産方式の導入、新しい商品の商業的取り扱い方法。
3.新しい販売先の開拓、既存市場への新商品提供。
4.原材料あるいは半製品の新供給源又は既存供給源からの確保。
5.事業内外に形成する、新しい組織やネットワークの実現(独占の形成やその打破)
シューペンターは、初期の著書「経済発展の理論」においては、イノベーションではなく、「新結合(neue Kombinationen)という言葉を使っていた。
日本で最近よく用いられるイノベーション、それは「働き方改革」の理念も含め、世界で語られるイノベーションとは、まったく意味が違うのである。経産省は未だ、「技術革新」との間違った用語を使っており、それをマスコミが無頓着に流している始末である。端的に言えば、巷ではなされるイノベーション概念は、官民の官僚たちに都合の良い範囲や理解に限られているのである。
そして話題の「働き方改革」は、発表される資料や報道、そして取り上げられる民間企業各社の対応は、政権延命のほぼ、「付け焼き刃」である。そこには、イノベーションの理念は感じられない。ICT産業革命に突入しているにも関わらず、先ほど述べた1~5の類型すら感じられないのである。
そのため、少なくない有能人材は「働き方改革」は、「働かせ方改革」と揶揄する主張に耳を傾けている。

事業活動にしろ、あらゆる共同作業で最も恐いものは、
無関心・無味乾燥・希望のないといった人物心理である。それは、近年の行政機関向け経済学(財政学)などで議論されなくなったテーマ、「恋する愛する、そして勇敢さ」である。ちなみに「あなたが恋しい」とは英語で、I miss you といった単純なもの。愛は世界各地の文化に基づくさまざまな概念があり、博愛、エロス、アモーレ、同胞愛、慈悲、仁、その他さまざまであるが、数千年昔の古代の考え方に「愛の概念」を閉じ込めることはない。行動経済学では、勘違いも含め人並みの生活が手に入ったら満足を覚え、幸福は「愛」に関連する具現化で覚えるとしている。(経済学)シカゴ学派と言われる学説の多くは、家庭や共同体で分担を決めて厳格に行動を実行すれば、愛はなくなり、ただのルールに化け、幸福のはずが義務に縛られ不幸に転じるとするものが多い。(やばい経済学、やばすぎる経済学、有閑階級の理論などの著書)。そして「勇敢さ」があってこそ、満足ではなく幸福が感じられる生き方が入手できるのである。世界各地で、「幸福感とは満足度である」との話のすり替えは活発であるが、常にそれは他人に我慢を強いる場合に用いられるのである。

確かに、益々仕事しない凡人が増加している!
といったような現象や錯覚に陥りそうだが、今述べた「愛を具現化した幸福感」を味わうことを誰もがあきらめているわけではない。18世紀フランス革命の思想基盤をつくったとされる哲学者ディドロは、「封建時代にあって男女の恋愛禁止」からの解放を社会経済問題に展開したとされている。そういえば、日本での公序良俗は現在でこそ経済犯罪とされているが、戦前は(金さえあれば)事実上の一夫多妻制度にあって、男女の恋愛や事実婚を犯罪対象としていたのである。すなわち、そういった面も含めての観点からイノベーションを行うことには、単なる通貨確保を超えての深い価値が存在するのである。それは間違いなく画一的なものではなく、個々人、同居家族、経営共同体、趣味共同体、地域や地方その他に各々固有の価値を具現化することになり、それらの価値交換は労働能力を含めて商品として流通することになる。そこには、衰退消滅しつつある奉仕とか自己犠牲とか我慢といった世間体とセットになった論理や思考ではありえない。


§「同一労働同一賃金」は、通勤手当と社内食堂の程度の効果でしかない。
夢?でもありそうな話としてマスコミなどが、政府の広報PRをしている。大手マスコミは、政府が記者発表するから、てっとり早いニュース題材として流しているにすぎない。日本経済が、「失われた日本」に突入するまでは、大手新聞は題材をもとに幅広く報道、専門家の意見も紙面に載せていた。「同一労働同一賃金」は確かに、何らかの法律改正でもって、努力義務とか行政機関のイベント開催の予算措置は行われるだろうが、ほとんどの個別企業や労働者にとっては、「単なる話題」を超えるものではない。話題まで行き着くのかどうかも疑問な代物である。
現在、政府から解説されている基本方向を観てみると、同一企業内に限っての同一労働同一賃金である。なので、他社に外注するとか、ある部門を独立企業にするとかでの業務請負となれば、同一労働同一賃金の適用は関係ない。
また既に、大阪地方裁判所は平成27年7月26日の判決で、(滋賀県の運送業の)正社員育成にかかる人材活用仕組みが異なれば、住宅手当、皆勤手当は支給しないとしても不合理ではない。他にも家族手当、一時金、定期昇給、退職金について、裁判所が個別企業との労働契約に介入することは控えるとした裁判例を出している。判決では、いくつかの手当てを労働契約法違反としたものの、不法行為として支払いを命じた。(すなわち、契約不履行ではなかった)。その項目は無理事故手当、作業手当、給食手当、通勤手当のみであった。
すなわち、労働契約法と労働基準法改正の発議がなされない限り、世論が期待?する同一労働同一賃金は、法的に実現する必要がないのである。また、差別的取扱いの立証責任を原告側に求めている。すなわち、「働き方改革」での法改正が、この部分に及ばなければ、法的根拠もない道徳といった絵に描いた餅である。
そもそも、歴史的に論理的には、労働者の世論が期待?するところは「同一労働価値同一賃金」なのであるが、そういったことは十二分に承知しているはずの審議会でも、この「同一労働価値」は議論されたかどうかの痕跡がない。優秀な官僚が労働者側を外し人選した、優秀な審議会などのメンバーなのであるから、同一労働価値の概念を知らないことはなく、忘れたこともありえないと推測するしかない。
加えて、さまざま研究するのであれば、日本国内の賃金決定システムは、法治制度の形態をとっている国の中では極めて独特な制度である。グローバルな展開からすれば日本国内は異質異物システムなのである。多くの国とは異なって日本のそれは、個別企業と個人が賃金決定契約を行うことになっており、個別企業や業界団体に対して行政機関や労働団体(労働組合とは限らない)との賃金決定契約になっていない決定的制度の違いである。ここが最低賃金制度の如くとは異なるもので、同一労働同一賃金の社会担保がない制度なのである。
よって、そういった議論や把握が世論形成において出来ていないのであれば、「同一労働同一賃金」の議論自体が無駄、個別企業の経営管理者や総務人事担当者の心配も不要、それどころかセミナーも学習も研究も無駄、まして社内での対策など準備の必要すらない。すなわち、「同一労働同一賃金」への対策は、静観することすら意味がない。
……こんな素人めいたことだから「働き方改革」の経済政策面も全く期待出来ないのである。


§時間外100時間以上の罰則規定の美辞麗句。
いちばん大きな疑いは、休日(午前零時から午後24時の労働解放日)の部分が、ここでいう時間外100時間には勘定が入っていない、またこれをマスコミが明言しないところに、フェイク的美辞麗句がある。例えば週休2日であれば、1ヵ月は20日ほどの出勤日、そうした場合、100時間といえば1日平均5時間の時間外となる。ここに土曜日曜の休日出勤が加わった場合、効率性や生産性の高い労働(力)の発揮が、果たして可能なのだろうか。
これでは、再び戦前日本のような成り行き管理や身分制度管理による低生産性の経済構造が出来上がってしまいそうだ。当時の軍部は、生産性の低さを取り戻すため、気合い?の言葉や?ジャパンな精神など世間体にマッチした方法を当時の軍事政府が導入したのだ。それを敗戦とともに、国内専門家が温めておいた(工場法→)労働基準法での成り行き管理の基盤排除、職業安定法による身分制度管理の排除を行った。その根幹にも影響を及ぼしそうだ。

加えて、固有文化価値創造や生産に携わるための
クリエイティブやイノベーションを伴う業務となれば、こんなやり方では、ほとんど頭脳が鮮明に働く余裕や余地はなくなってしまう。近年20年の日本経済は労働生産性が益々低下し、その低下による賃金相場が激減している状況と見るのが妥当である。労働組合の力が弱くなったから、賃金相場が下がったと見るのは詭弁である。そもそも日本における労働が生み出す価値(時間当たり労働生産性)が低いことに加え、1999年からの派遣業改正に名を借りた非正規労働の増加は、労働能力全般のうち労働力に限定して労働者を働かせる制度を助長したものだから、益々生み出す労働価値が低下するのである。それは、昔ながらに「より良い物より安く」と日本製品は買い叩かれる日常に安住し、仕入れる労働力商品も、「より良い物より安く」と賃金を買いたたくものだから、その悪循環が積み重なって、いっこうに経済も個別企業の経営も好転しない。

利潤の高い固有文化価値商品の提供と、
それを支える労働全般能力の向上、その基盤となるクリエイティブかつ創造的労働能力形成を進める、そういった思考習慣が形成される労働行政が必要なのである。個別企業にあって、こういう思考習慣を積極的支援する必要があるのだ。時代遅れかつ実証や積み重ねのない教育訓練、あるいは後進国であった時代の教育育成理念では将来の見通しは無い。

それどころか、こんな事態にあっても、
長時間労働対策との美辞麗句!では、労働者の意欲形成には逆流効果しか生まれない。すなわち生活意欲や能力向上が、美辞麗句の発表以来、マイナスに働いていることは間違いないのだ。加えて、3月28日に運送業、建設業、医師は長時間労働規制の対象からはずしてしまうとの発表だ。一部労働団体の主張する「長時間労働の固定化」に注目が集まっている。そんな、その場しのぎの無為無策である。意欲旺盛な労働者こそ、長時間労働を克服して、労働能力全般での価値の生産向上に対する見識も高いことから、時間外100時間以上の罰則といった美辞麗句を耳にして激しく落胆するのである。美辞麗句は若年層労働者や扶養家族向けに発案されたレトリックや詭弁かもしれないけれど、育児、介護、男女平等、精神疾患などの実態と矛盾することから、労使双方から落胆されるばかりである。

労働問題専門家の、こぞっての疑問は、
「36協定の順守」とか、「時間外協定の締結手続の手続順守」といったことについて、実際には法令の求める手続に抜かりが数多く存在する状況を無視して、時間外100時間以上と美辞麗句を並べても無意味であること。それは、個別企業と労働者個々人との間の、時間外労働に関する契約合意がおろそかにされている実態=36協定の締結手続の作業が形骸化していることから、個別企業内部の統治統制が取れていない無秩序職場の問題なのである。それどころか、事業の経営四要素(収益性、生産性、労働意欲、効率性)に基づく、合理的真正な業務管理や人事管理が欠落し、無秩序職場の蔓延にブレーキをかける施策に個別企業内の管理職は必死なのである。そして、個別企業に課せられた17年ぶりに改められた労働時間把握にかかる対策(厚労省の今年1月)の方こそが、実務的には極めて重要であることなのだから、「時間外100時間以上の罰則」などに構っている余裕がないことなのである。
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000149439.pdf
よって、個別企業の感覚的受け止め方には、「ブツブツだらだら残業するに労働者、法律をかざして摘発する監督官」とのグチが後を絶たないのである。


§起業家、事業家、資本家、の三種類に分かれる経営者の立場と素質
資本家=ヒト・モノ・カネを調達する通貨である資本を投資する概念の人物。
事業家=おおむね軌道に乗った事業を、より永続的に経営管理する概念の人物。
起業家=新商品や新規事業(前述イノベーション)の着想から立ちあげ概念の人物。
それは、その事業の質量によって、起業家、事業家、資本家の三種類をこなせる場合もあり、それぞれ三人の別種類人材の投入が必要な場合もある。決して、一人個人の人材の有能さではない。はっきり言って、一人の個人に三種類の立場と能力を経営者に求めることは不可能である。すなわち、三種類の経営者を、それぞれ代表取締役、社長、専務、常務、各事業部長(工場長)、総務部長といった人材を配置する必要があるのである。それが達成できれば、いわゆる中堅企業として確立させることができる。ところで冒頭に、「ヒト・モノ・カネを調達する通貨」としたのは、何事も通貨による調達ができると錯覚しているケースが多く、地域性とか土地柄条件などに表現される、その地の労働能力水準を無視することを指している。
ところで中小企業の場合、
人に対して労働能力全般の能力発揮に重きを置くならば経営は安定する。安値時間給で労働力調達ばかりの経営は、この三人の別種類人材の投入を自ずと拒絶するか、あるいは企業存続の社会的要請は在り得ない。だから、いつまでたっても事業規模が小さいか、もしくは事業を引き継ぐ後継者確保が出来ないこととなる。これが後継者不足であったり、一代で終わる生業なのである。これとは異なって、労働能力“全般”の価値創造を求め、固有文化価値商品を提供しようとする事業は、社会共同体の需要に応じて事業を促進することから、起業家、事業家、資本家の三種類の人物が共同&順次、事業経営管理に携わるのである。
しかしながら、ここに述べた理由とは異なる、経済外的強制としての
無謀不毛な資金投資、利回り優先貸付資本の餌食、思想やイデオロギー事業その他が、経済活動とは異なる文化産物の消費事業として関わることとなるから、まさに複雑怪奇なのである。話題の森友学園事件は、この種のものであるから経済原則を逸脱し、社会的要請もないことから一瞬にして崩壊するのである。社団法人や公共事業であっても、それなりの経済原則を逸脱すれば崩壊するのである。
日本は官民の官僚から経済学者までが、古典的経済学に浸りきっているのが実態で、
従来から筆者が述べている通りマルクスの階級論理が非常に根強い。場合によって官民問わず、官僚主義機構はカルト宗教団体と肩を並べる二元論で、現実離れした似非理想論が組織存続の醜い美名のもとに語られる場合がある。それには理由があり、マルクスの著書「資本論」が極めて難解であることから、都合良く解釈翻訳した人物の説を鵜呑みにしてしまったからである。「資本論」そのものを直に読んでも解釈は無理で、ドイツ語の言語で読んでも然り、むしろ幾つかの解説本を読んでから「資本論」の現物を読んでみたほうが深く広く理解できる。そういった努力を少しでもしたのであれば、マルクス自体が「さほど階級理論にハマっているわけではない」ことが解かる。だが、「記憶万能」だけでは理解出来ないのが学問領域の分野であるから、「資本論」を読んだふり・読んだつもりが多いのである。そんな知ったかぶりは実に、まるで素人も学者評論家系でも多いのである。そもそも内実は、階級論争の敵か味方かの二元論しか理解出来ず、マルクスの特徴である唯物論的弁証は理解出来ず、経済学や経営学を語るしかない人物なのだ。そういった意味で大学卒業歴がなく、レトリックや詭弁を大学で身に付ける機会がなかった人たちの方が、よほど物事の本質が見抜けるセンスの持ち主なのである。
時はICT産業革命時代、知性や知恵があれば、知識はネットでタイムリーに探しだせるから、記憶万能的の読んだふり・読んだつもりには用事がないのである。学問領域の「論理構成」とか幅広い「見当付」といったものも人脈があれば外部活用できる。(このメルマガ読者の諸氏は、既にもそうではあるが)。


§SNSとか従来メディアは、ICT産業革命では市場基盤や民主主義の要に。
そのように活用すれば、経済も活発になってくる、自由平等・民主主義がなければ、経済活動が停滞する。戦前の日本が然り、18世紀アメリカ独立戦争もフランス市民革命も思想基盤はそこにある。1917年のロシア革命にしても、準備から初期までに資本家やプロテスタント(信徒連絡組織を古くからのロシア語でソビエトと称していた)が支えていたのも自由平等・民主主義であり、ペレストロイカの後もロシアでは資本家やプロテスタントが支えている。(なお、欧米流保守主義とは「秩序的自由平等・民主主義」との概念でグローバル化している)。世界中の、こういった自由平等・民主主義の情報や理念(インテリジェンス)が、官民の官僚主義者らが自らに都合よく誤訳・誤解釈させるから、とにかく日本に入ってこないから、アイディアや思考が狭くなったり偏ったりするのも無理はない。(ICT機器活用なら、昔ながらの原文確認は不要。むしろ文化の確認を)。
経済民主主義が万能と言っているわけではないが。情報統制のみならず、SNSを使っての相互監視構造を促進してしまえば、どうしてもヒットラーやスターリンといった独裁的な経済活動が重きをなしてしまう。通常人のさまざまな貧困に起因する心理圧迫を、一気に開放するかのような美辞麗句のスローガンを悪用して人心や経済をコントロールしようとするのが独裁的経済経営活動である。同時に彼らは、ヒットラーたちが行った、ヘイト・スピーチ(自らの集団に比べ、女、年寄り、子供、○○人といったカテゴリーや集団が劣ると決めつける主張)を同居させる経済外偽計活動を必須とし、それがなければ地位が確保出来ないでいる。視点を変えれば、民主主義というのは、多数決のみならず、基本的人権が最優先となり、新たなICT産業革命では権利保障が確保されることで、実態として経済の公平・平等へと発展し展開するということである。
表現の自由とは一昔であれば、各自が意見を述べようとしても、
印刷物や配布の費用を必要としたところ、SNSその他によって大幅に費用が軽減されることになった。また、もうすぐそこに動画やビジュアル配信、双方向同時コミュニケーション機器が開発されつつある。概念ばかりでなく、3Dとかインスタグラムでの意思疎通の進化を遂げる。そうすることでもってレトリックや詭弁といった「語句概念」の乱用で他人を煙に巻くことも少なくなるだろう。SNSはうってつけの相互監視盗聴システムであるが、そういった思考習慣をはるかに上回る民主主義の促進道具として、メディアがSNSとかにも舞台を移し、個人のメディアとして意見を述べることで、多大な経済と社会共同体への貢献が可能となる。表現の自由とは、イギリス名誉革命での良心の自由(当時はプロテスタントかカトリックを秘密にする権利から始まり)を基盤とし、政治経済に限らず、芸術の分野にまで広がった自由が、その資金や方法が個々人にまで安易に行き渡りつつある状況である。この歴史と現実を見れば、経済外的強制で地位や利権を得ている人物がSNSその他を毛嫌いするのを理解できる。従来メディアとかジャーナリズムは、職業的な労働能力全般は発揮してSNSその他にない価値を、各のメディアやジャーナリストが固有に価値創造すればよいのである。ここでもまたイノベーションが行われていないから、メディアの経営危機? ニュースソースの手抜き(取材が減り記者会見一辺倒)、権力やタブーへのすり寄りといった醜い姿に陥るのである。


§そこで具体的な、SNSその他ネットから情報収集するにあたっての要領
①その情報が、如何に古いかの確認。認知事項の生まれた年月日。
②その送り手たちの思考や目的の確認、背景に誰が存在しているのか。
③その内容と送ってきた内容の目的確認。事実の伝達それともPR広告?
おそらく、こういった事は、今後も日本の学校教育では教えることがないだろう。
そこでこれらは、小学生のうちから家庭で話して教えるとか、知人友人で教え合うとか、職場の同僚同士で話し合うことが重要である。詐欺目的やヘイトなどに影響される場合は、その全てが、相手対私個人といった関係で影響されるから、家庭や知人友人ディスカッションを経ることは感染予防対策のフィルターに有効なのである。
なお、事実とは、「人が知っていること」
事実関係とは、「事実の積み重ね、タテヨコや時系列の関係など」であり、
情報を評価する価値観とは、「人が思索すること」であって、心に感じることや雰囲気ではない。
そして、人それぞれの好き嫌いは、そのほとんどが、知っている(好き)か否(嫌い)かによって勘違いしている場合も多いのだ。

2017/03/07

第179号:ICT産業革命における、落ちぶれない仕事のコツ

<コンテンツ>
ICT時代に対し厚労省が「労働時間の把握変更」とは
いよいよ「ICT産業革命」の姿があらわになってきた。
まずは、ICT産業革命に有利な、仕事の立ち居振る舞い(表面の方法)
   ☆1.有能な労働者は、毎日、昼寝をしている。
   ☆2.仕事の知識は、「構成されるもの」と自覚している。
   ☆3.職業イメージに基づき労働能力全般発揮の学習をしている。
   ☆4.仕事は着手する前に、仕事展開をイメージしている。
落ちぶれるしか道のない行方、その人間と個別企業とは
要するに、「ICT産業革命」での仕事のコツとは
秀でた人材とか、秀でる場合の労働能力には特徴がある。
さて、ICT産業革命のなかで、人間のアプローチの対象は何か。
   ☆文化が人間に与える影響は極めて大きい。
   ☆経済は生命から始まり、生活維持である。
   ☆社会(共同体)とは、自由・平等・(博)愛の文化と経済秩序のこと。
==あなたの自身の信念で、現代日本を考える指標に推薦する経済書==


§ICT時代に対し厚労省が「労働時間の把握変更」とは
厚生労働省は1月20日に労働時間把握のための、「使用者の把握方法」を変更した。
早速、本省基準局長の通達を出して法令としての効力を持たせ、以前のものを廃止した。
ここではパソコンの使用とかWebでの情報収集にかかる時間は労働時間だと明記している。
使用者が労働時間ではないと合理的(証拠立証も必要)に説明出来ない限り賃金支払いの対象となる。また、それらが所定の事業場からの外出先や自宅であっても、暗黙をはじめ指揮命令が存在すれば労働時間となり、使用者は賃金支払いを要する。
仕事の上でICT時代には欠かせない動きが、ICT産業革命に見合った作業に変革されなければ、それは、そのまま人件費コストの上昇につながる。厚生労働省は、個別企業の改善策の事例などを一切示さず、そういった課題には杓子定規に対応する姿勢を見せている。せいぜい監督署の指導は、事業場での就業規則に、使用者任意の条文を書き込ませて、それを民事的な履行項目として使用者に債務を負わせ、事件となれば民事事件に追いやる動きが現われている。また、この4月からの新年度そして、来年の30年度と、全国で労働基準監督官の3ケタ増員を行う予定で、この秋にも研修の終わった新入監督官を重点的に都市部に導入するとしている。(変更内容は2月号メルマガ参照)
http://soumubu1.blogspot.jp/#178-14
個別企業の事業展開などには、Web情報収集は欠かせない。そこの労働者に、効率のよい収集作業や知識構成の能力を身に付けさせなければ、そのまま人件費コストが跳ね上がる。また、「各自で勉強するように」として各自がWebで勉強するとすれば、ことに知識構成能力を日本では小学校から大学に至るまで教えていないために、メールやWord作成作業は、「ほぼ、休むに似たり」の労働価値観もない事になる。頭脳で構成をせずに知識を集めるということは、雑多に集積するだけで役に立たない。記憶力だけ優れて構成力の弱いものは、行き当たりばったり思考とか、知識だけ持っている知識偏重に陥ってしまう。さらに、先進国に比べれば日本の教育制度のマイナス特徴である、文章の表現や構成能力の学習や真意を伝達する方法の学習とかの能力の欠落は、メールやWebに過度依存する組織運営においては、遅滞と非効率と不採算を招くばかりである。頭が良いと言われる人でも、受験答案や質問回答程度しか書けないのである。
(メールやWebの弊害解説は、2016年12月号メルマガ参照)
http://soumubu1.blogspot.jp/search?updated-min=2016-01-01T00:00:00%2B09:00&updated-max=2017-01-01T00:00:00%2B09:00&max-results=13#176-01


§いよいよ「ICT産業革命」の姿があらわになってきた。
旧来型の産業構造による経営は次々と破綻をしている。
それは、東芝や三菱重工の原発事業失敗もそうだが、宅配物流・情報流通・小売りその他での業界ニュースの底流に流れる大変化から、さまざま読み取れる。
その様々な情報源から流入するニュースや情報を読み取って、学問的経営的分析は困難だとしても、こういった変化の兆しが肌で感じられない様であれば、その人には一念発起・人生を考え直すことを推奨する。確かに、啓蒙思想家のルソーは、「~理解できる者など、ほとんどいない!」と独善的に言い切った。確かにそれは、18世紀産業革命などを例にとっても、その当時に、「今は産業革命の真っただ中である」ことを気づいた人はわずかであった。その後に、経済学その他の学問が発展したとは言え、それは現在であっても、ICT産業革命を推進する目的意識のある人物となれば、本当に希少になってしまう。とりわけ、世界の現時点の政治状況がICT産業革命を迎えるにあたっての、世界経済大混乱の現象であると観察している人は少ないのである。


§まずは、ICT産業革命に有利な、仕事の立ち居振る舞い(表面の方法)
まだ、今の時代で、これらは特異な奇異な、「仕事の立ち居振る舞い」としか見えない。
多くのビジネス書や自己啓発本には、数多く紹介もされているが、そのほとんどは旧来組織の個別企業では禁止もしくは排除されるような代物である。だが、後に述べる、「仕事の立ち居振る舞い」の真髄あるいは産業革命理念とともに、そういった立ち居振る舞いが行われなければ、ICT時代では急激に労働効率が転落の一途を迎える、これがICT産業革命の特徴である。だが、その立ち居振る舞いは産業革命必要なのである。
「社内のみんなが、やりにくい!」と言っての先送りは、個別企業もろとも、「社会から、お払い箱!」なのである。そう、これができる人材から実施すればよいのである。何も旧来のように、必ずしも経営トップが垂範率先しなくてもよい。

1.有能な労働者は、毎日、昼寝をしている。
ナポレオン、アインシュタイン、チャーチルなどは、24時間の内にしょっちゅう昼寝をしていた。
それは、時間当たりの労働密度が高いから、昼寝をしていなければ体調不良を招き、精神労働とかクリエイティブ労働は出来なくなるからだ。有能な自由業と言われる人たちも昼寝をしている。経営者ばかりか管理職には昼寝は不可欠である、でなければ、夕刻に限られる部下の指導育成で、適切な能力を発揮出来ない。昼寝しなくても差し支えないのは、監督職と言われる職位以下で、それは労働強度や労働密度を労働時間で換算できる「労働力」と賃金の取引契約人たちだけだ。とそれこそ、傾向と対策流儀の人事管理で間に合う部分が多い。

2.仕事の知識は、「構成されるもの」と自覚している。
仕事を着手する前に、その展開をイメージすれば、次々と多方面に渡って思い浮かぶ知識蓄積癖がついている。知識は整理された引き出しとか図書館のような分類はしていない。「傾向と対策」とか「過去問題分析」といった受験勉強ではないから、大量データとか問い合わせライブラリーのような知識の蓄積はやめてしまった。その場合の知識蓄積は知識が構成されたものとなっている。展開イメージをすることで、構成されて結びついているから芋蔓式(いもづるしき)に知識が呼び起こされるといった具合だ。だからこそ、目前の課題の事柄底流が把握できる、そうすればWebで検索すれば相当のインフォメーションが再び入手できる。だから、のべつまくなしに記憶しておく必要がないのだ。優秀な記憶力ではなくて、目標のベクトルとして情報を取りまとめ、目的のために情報を集中投入するための、頭脳基盤が必要なのである。そういった事の手助け=情報収集をICT機器が補ってくれる時代である、またそのICT機器の操作は秘書や部下に任せれば済むことなのだ。

3.職業イメージに基づき労働能力全般発揮の学習をしている。
「労働力」の時間による切り売りとは違って、労働能力全般を用いての価値を見いだそうとしている。
労働能力全般とは、頭脳の中では、「あえて公私混同」をしているのである。
なので、日頃から、買い手や売り手、作り手や消費者、提供者や利用者、そして最も重要な社会ルールとの兼ね合いといったことを、全身全霊で考えている。時系列的には、仕事のチャンスから~仕事の展開そして~仕事の完結にとどまらず~売り上げの回収とか自らの報酬確保までを描いている。情報化時代であるから、効率のよい労働能力全般の向上や鍛練のチャンスを増やそうと尽力もしている。情報や知識の選択とか物事の消費にWebを使うような、短絡無知なことは避けている。SNSの利用ひとつとってみても能力向上の役に立たなければ、情報収集だけの目的だけでは時間と労力の無駄遣いと思っている。あくまでも労働能力全般の学習効率が高められる道具として、ICT機器やAIシステムを使えば便利という着想に固執しているだけのことである。古来「労働力」は次々と機械化される運命だ、それが現代の機械化とはICTとかAIに支えられた技術であるのだ。例としては良くないが、アメリカ軍の兵力は次々とドローン(ロボット)に置き換えられている。

4.仕事は着手する前に、仕事展開をイメージしている。
仕事は時間や数量の定量ではなく、定性的であるとして、もっぱら中身の勝負と自覚している。
だから、その中身については、仕事を納めた後までのイメージをするわけだ。またそのイメージも次々と補正され深化し進化させている。だから、他人や後輩に追随されない中身の打ち合わせも生じているのだ。展開イメージに熱中をするならば、「労働力」を時間売りしているとの考えでは飽き足らず、雇われの身であったとしても、労働力×時間=賃金労働で1日を終わることなく、仕事外も含め何かの展開イメージに熱中している。だから、病気でもない限り、1日の時間割を決めている。例えばそれは、午前中は一切の外電を受けないとか、通話の予約をメールで確認しているとか、趣味・習い事・子育てなどの時間を仕事中であっても決めて実行といった具合である。それは、生み出す労働能力全般価値(労働力価値ではない)が、社会で受け入れられる絶対的ラインを超える定性的水準であるからこその仕事スタイルである。すなわち、自由業で成功しているスタイルなのだ。

☆………
この後の項目で、こういった、「仕事の立ち居振る舞い」を行っている理由を説明する。
理由なく4項目の真似をすれば、それは単なる、「安定した雇用先のない出来高労働者」へと転落するにすぎない。それは、昔ながらの頭の固い職人であったり、理屈ばかりの芸術家気取り、もしくは資産家に寄生する迷惑な奴!かもしれないのである。ICT産業革命が進めば、いわゆるサラリーマン概念の労働者は用事がなくなる運命にあるのだ。


§落ちぶれるしか道のない行方、その人間と個別企業とは
ここ100年位の仕事経験の認識とか昔話とかは、過去の事例や習慣である。
だから、理解しやすい思考がゆえに、圧倒的に多くの人はその思考にとりつかれてしまう。
まるで受験勉強の「過去問分析」「傾向と対策」など問題解答の様に。特に日本のエリートと言われる労働者は、加えて受験戦争に浸りきっているほどに、過去の事例や習慣と異なる方向や枠外が理解出来ないのである。無学な管理職は、部下のこういった若年時代の頭脳に合わせて仕事をさせ=教育が訓練を施さなかったものだから、先の見えないジレンマにも陥っている。基礎学力を付ける段階で記憶最優先の教育を受け、記憶優先の評価が主流の教育を受けているから、少々の努力ではこういったジレンマからは脱出が出来ない。
そういった人物は、誰かから答えを与えられ指示されるといったような働き方しか出来ないのである。
反面、能力の芽を潰されていないという意味で、受験戦争に浸りきらなかった人物に「天然リーダーシップ素質」のある人物が多い。
指示される働き方に浸っている人物は、人生全般含め、何事につけても「見直してみる!」といったことが出来ない。如何なる変化にも、まるで爬虫類かの如く対応して習慣化してしまうことが得意で、それを人生教訓や職業能力と勘違いしている。だから、創造、希望、人間関係といった行動経済学でいう満足や幸せといった要素とは無縁の人たちである。仕事は与えられない限り行わない → 重箱の隅をつつく類の会話しかなく → 提案された建議の反対しか着想出来ず → 構想する能力は無く → 寄生する範囲で従うだけである。こういった、浸っている人物に対する社会学や哲学・世界観は現代では存在価値を失っているから、彼らは益々:遥か古代の思考パターンに向かっていくのである。
話は飛ぶかもしれないが、現在の社会共同体では「自律する」ことを前提で自立した生活を促す自由平等を目指し、その道具として民主主義制度を導入しているから、「目的意識的に寄生する者」までをも社会政策の対象としてはいない。これは現代社会共同体とか法哲学体系の前提条件である。
そして、こういった事の命題から、
人間の能力について、アメリカ国立精神衛生研究所の研究によると、
リーダーシップをはじめ、知性、創造性、芸術性、特定学問、運動能力といった6分野は、幼少期からの芽を如何に育てるかといった課題であるとしている。


§要するに、「ICT産業革命」での仕事のコツとは
記憶力の類から~インフォメーション情報の人工知能分析に至るまで、ICT機器を道具として使用すれば、こういった6分野で秀でている人物からすれば、とてつもない退屈なこと=労働能力全般の発揮の異なる事態なのだ。
そして現代日本では、
6分野で秀でている人物を発見・教育・輩出・訓練することについては、いずれの個別企業も平等に確保チャンスを与えられているといえる。すなわち、大手企業からは圧倒的に排除され、むしろ小学校の児童あたりから排除される可能性が多く、結果=発達障害にアスペルガーだとか知能テスト点数が低い(テスト集中意欲がなければ低い)だの何だかんだ言いがかりをつけて、画一的教育→社会制度から排除しているにすぎない。~したがって、6分野で秀でている人物は、まだまだ潜在化しているという推測から、確保チャンスがあると考えられるのである。
例えば昔の日本では、バブル崩壊前の優秀な人材の、製造業の新規事業の大黒柱となる「特定学問」での輩出は、1~2人/10000人と言われていた。それを理工系大学が、そういった人物の発見と基礎教育の役目を果たしていた。それはまた世界各地で、6分野で秀でている人物を、よく似た実践的雰囲気でもって、様々な機関や団体個人が発見・教育・輩出・訓練していた、確かにそういった研究を学説も存在している。これが優秀な人材確保とか国外流出といった話題のポイントである。
だがそこで、あくまでも、「決定的なのは、秀でた人材の確保 plus 事業を支える体制」である。……もう既に、これらは学問領域であり、ICT機器の創造的活用の範囲の作業に変わっている。(ただここには、巷で話題のビッグデータやAIに残存する幼稚性はない)。


§秀でた人材とか、秀でる場合の労働能力には特徴がある。
知識・インフォメーション情報といったものを取捨選択するのではなく、
彼らは、「構成されるものとして全てを受容し創造する」、そういった知恵やインテリジェンスと言われるものなのである。
実はこれは、未来に向かって生み出されるだろう人間の能力ではない。端的に言えば、長い歴史のなかで、秀でた人物たちが個々バラバラに実行してきたことであり、その実行行為の定性的技術水準が、その時代の絶対的ラインを超えたときに、歴史的発展と重なり合って現われたのである。そのあらわれる原因は未だ解明出来ないが、現われた場合には共通した現象だ。知識と知恵、インフォメーションとインテリジェンス、これらは2000年以上の昔から区別して整理してきた人たちが存在したし、そういった人物を抱えてきた民族や国が滅ぶことなく続いているのだ。
★その取捨選択するとは、
いくら美意識だとか審美的だと理屈に論理つけしても、それはあくまでも過去から現状での共同体感情の鏡で行為されるしかない。労働能力全般でもって創造しつづけることを永続的に繰り返すのではなく、今その場にしかないものを選び出し → その共同体で受け入れられることだけを条件とし → 他を捨てさる取捨選択を繰り返すのであれば、人間社会どころか、種や民族までは滅びてしまう。極端に言えば、全ての歴史がそれを証明している。知識は頭脳の中で構成されない限り役には立たない。知識には善悪ばかりか、合理不合理、合法非合法そういった二元論以上に様々な側面を持っているからこそ、決め付けたりフィルターを通すと脳が認識する以前に偏りを生じてしまうのだ。創造とは、空間・時空・認知を超越する状況での結合から開始されるところの、構成作業(4次元又は5次元の世界)から手が付けられる。そして、人間の労働能力全般のうちの、「労働力」部分のみを売買流通させることこそが、フィルターにかけて労働能力の一部のみ取捨選択する姿なのである。日本の労働行政は、このマルクスが発見した「労働力」理論なのである。
☆人々の希望が叶い幸福となるには、
その創造物である=幸福商品が活かされる社会制度である。
として人類社会の最も重要な再生産とは、「子供を造り大人に育てる」の一言に尽きるのである。
その人間が生命を維持する次に、「1番クセ」になるものが、「恋」であり「愛」であり、振られても何度も繰り返す恋依存性、浸りきる中毒性は極めて強い。ちなみに、自由平等博愛のスローガンで有名な18世紀フランス市民革命、この背景には、自由な経済活動の確保が存在したが、思想基盤にはディドロ(哲学者)などが説いた、いわゆる「恋愛の自由」が含まれていたのである。
すなわち、秀でる人物を増やし、確保するには、こういった根本的なところから支える必要があるのである。


§さて、ICT産業革命のなかで、人間のアプローチの対象は何か。
文化が人間に与える影響は極めて大きい。
人間が共同体を構成する上で、互いに共感するという作用が極めて重要だということが科学的に発見されている。
人間は、ひ弱な動物だから集団共同で生きるからこそ現在に至っている。その種族や地域集団の生活技術の大半が文化であり、それを担ってきたのは、切り離された「労働力」が担ったのではない。現在に至る歴史を通して、それは人間の労働能力全般が担っていた。
これを集合させ組織的に発揮させるには、「共感作用と共感精度」が柱となる。それがコミュニケーション(意思疎通・意思伝達)である。
やはりICT機器は、これらを容易にする援助機能だけある。
ことに集団共同に欠かせないのか愛情が文化の原動力であって、人間は恋しくなり、それは「1番のクセ」になり、文化の中でも主要な位置を占めているのである。(共感については、2017年1月号メルマガ参照)
http://soumubu1.blogspot.jp/2017_01_01_archive.html#177-06

経済は生命から始まり、生活維持である。
人間の最も重要な再生産活動は、子供を造り育てること、これは根本である。
その過程で豊かな経済を夢見て努力する。あくまで経済成長とは、その結果の通知バロメーターにしかすぎないから、目的でもなければ統計操作の対象でもない。
夢見る豊かな経済には文化が大きく影響する。だから種族や地域集団ごとに固有な価値を持った品目とか道具が造作される。ひとたび、これが商品として交流・交換されるには、単なる純物質純物理的な効用にとどまらず、提供・供給側の文化によって固有な文化価値として具現化されなければ、経済原因に基づく商品にはなりえず、商品流通(交通)は生じない。そうした固有価値を持った商品が、消費・需要業側の許容範囲にアレンジされれば商品流通は増加して、需要側の文化価値も改めて変化する。それには商品の構想・創造・生産・製造・流通・消費・価値増殖・価値転換といった各段階での、人間の労働能力全般が投入されてこそ、文化的にも経済的にも価値を生むのである。
「労働力」のみが主要となって生産された商品は、単なる純物質純物理的な効用に限られる状況に支配されており、その流通には経済外的強制の作用(国や社会的な民間企業を含む公共権力)に依存しなければならない、また依存することこそ利便性が存立範囲に限って有用であるにすぎない。ここでいう経済とは、経世済民の言語からくるところの=全ての人が得をする:けっして一方が得をして他方が損をすることの意味ではない。

社会(共同体)とは、自由・平等・(博)愛の文化と経済秩序のこと。
社会とは、これを目指している制度とか思考習慣その他のものということもいえる。
社会の元の言語イメージはギリシャ語のソエキタス(戦時同盟)である。
社会とはまた、自由・平等・(博)愛を現実のものとするための道具であり、そのひとつが民主主義でもある。
歴史の節目ごとに社会は発展し、戦後になって基本的人権が最優先されることとなった。
これを担っているもののひとつが、「政治」といわれるものである。だが、政治は国家ばかりだけでなく、町内会や自治体どころか、個別企業の中にも存在している。
「三人寄れば哲学が必要」なのだが、(夫と妻に子供ができれば、たちまち指針を要す=哲学)人数を問わず物事を決めて申し合わせ(政治の原型)をすることで、これによって、文化と経済が秩序立てて何れかに促進されることは間違いない。
____20世紀初めの大恐慌から立ち直ったパターン
ドイツのナチス:ヒットラー、ソビエトのスターリン、そしてアメリカは第二次世界大戦前の、典型的3パターンである。
そして日本の場合は、日本の官僚たちは、ヒットラーやスターリンの計画経済の真似をして、ほぼ軍事産業一本槍の経済体制を強いた。
その場合には同時に幸福感は抑圧され、満足感の理屈で押しつけた。例えば、それなりの収入を得て安定した結婚生活を周囲が与えることを旨とすることで満足感を得られるからだ。「我慢するのは、みんな同じ」とか、「戦地の人のことを考え*銃後の人のことを考え」との満足感の理屈ばかりであった。
けれど、人間はそもそも、自分の好きな人と長い時間を過ごす時が幸せを感じるのである。
そして当時の、日本の恐慌脱却制度は、それとは違った。だから、昭和大恐慌からの立ち直りの兆しが出た途端、法律で「ぜいたく禁止令」を出し、警察官が男女の恋愛(公序良俗違反)を禁止介入する取締りをやった。デートの追尾どころか、カ“男女二人”歩けば、特高警察が職務質問まで行った。今日本の官僚が行おうとしている経済政策は、100年前の過去を繰り返す事しか出来ない思考パターンのようだ。


==あなたの自身の信念で、現代日本を考える指標に推薦する経済書==
『有閑(ゆうかん)階級の理論』 1889年 ヴェブレン
(ちくま学芸文庫 2016年11月9日 1,296円)→amazon
著者は、ロックフェラーが設立したシカゴ大学の教授のとき、この経済研究を出版した。
当時アメリカの成金や上流階級とされる人たち、また彼らを取り巻く人たちが、如何に見栄と世間体で経済発展の足を引っ張っているか!と分析している。文章は、現代日本の日常生活を思わせるような文体を心がけている。ただ著者は、表面的には「見栄と世間体が文明社会を作った」と言いたいだけの表装だが、そういった分析から底流に流れる法則性を読者が読み取り、具体的日常的そして個人的な領域までもの経済施策へのアプローチを読者に期待している。この研究が基盤となって、いわゆる制度学派と言われる経済学の体系が生まれ、それは、アメリカ政府の大恐慌からの脱出、さらには今日に続く経済発展の諸政策の参考思考概念とされるに至った。累進課税制度も、世界で初めてこの時代にアメリカで導入されたものだ。大恐慌に突入する前から、アメリカでは労働者教育が重要視され、ニューディール政策においても、単なる雇用量ではなく、職業訓練が重要視された。将来を見てアメリカは、芸術家の失業対策を2年間行いアメリカ文化の基盤を形成させ(ハリウッド映画のきっかけとも)、アメリカ経済文化は現在に至っている。日本では、この本は長年適切な翻訳がなされず、この研究は大方の経済学者から無視された感がある。それは当時の学者流儀からすれば、書物の研究文体が、独特表現随筆やジャーナリズムだと受け取られ、アカデミックな官製大学巨頭がゆえに、そんな教授や学者から嫌悪されたのではないかと思われる。

2017/02/07

第178号:大統領は混乱のムードメーカー、それだけだ

<コンテンツ>
経済混乱の ムードメーカー 登場
  【結論をいえば、政治位置は変化しない】
  【パフォーマンスも打上げ花火程度? にすぎない!】
  【経済問題は、世界→国内へと軌道を転換する見通し】
    <アメリカ国内第一とキッシンジャー>
    <そこで米中国交回復とは何だったのか>
    <彼と彼らの経済政策の大戦略>
    <そのための、ISなどの対テロ対策>
    <アメリカ企業のロシアへの直接投資>
  【日本はどんな余波を受けるのか、いくつかの推測!】
  【新大統領を支える政治・経済・社会志向とは】
  【それを見通せたのは筆者独特の勘! ではなく大阪の経験だ。】
  【そして、彼ら作戦スタッフの使っているかもしれない世論操作の学問】

労働時間把握の、「新ガイドライン」(その解説第一弾)
  (1)新たに現れた「労働基準法第41条に定める者」
  (2)「名ばかり管理職」の理論的な封じ込め
  (3)監督行政の法解釈での苦い経験
  (4)4月から本格的に新ガイドライン指導 :筆者の予測。
  (5)「働き方改革」と比べ実行力がある。
  (6)【逐項解説】いよいよ「新ガイドライン」の詳細。
  (7)留意しなければならない事柄がある。


§経済混乱の ムードメーカー 登場
アメリカをはじめとした世界の政治経済そして社会が一気に変わるのか?
といった雰囲気で、日本のマスコミはセンセーショナルな報道を続けている。

【結論をいえば、政治位置は変化しない】
よく見てみると、国の基本となる政治位置は変化をしそうにはない。新大統領の躍り出る様は、表面の混乱ムードを醸し出しているように見えるが、それは彼独特のパフォーマンスでしかなく、後ろに控える作戦スタッフの演出そのものが見えてくる。ヒットラーの再来か? スターリンの再来か? といった雰囲気をあえて得る新大統領が、演出することは、その当時その国の貧困層に受け入れられた、「刹那的な威勢のよさ」を、現代アメリカに適用する彼と彼らの作戦スタッフの演出と見てよい。だから、新大統領に反発する動きが出るほどに、かの新大統領はアメリカ社会での存在意義を見いだすというわけである。それは、彼の彼なりの政治経歴を見れば察しがつく。ただ今回は、とにかく「彼は大統領になりたかった + 共和党は政権を取りたかった」といった思惑が一致したにすぎない……。その理由は彼らの政治・経済・社会志向にある。

【パフォーマンスも打上げ花火程度? にすぎない!】
テロリスト入国阻止のパフォーマンスは直ちにとん挫。憲法裁判所の判決や公訴棄却、政府機関の回復対応の速さといったことは、かの新大統領は「瞬間花火であることを」十分に予測していたと見てよい。メキシコ国境の壁についても同様である。すなわち、センセーショナルな出来事は、選挙目当てと支持者存続のパフォーマンスということである。自動車の国内製造もパフォーマンスの領域を出ていない。日本のマスコミ報道に思惑があるのかもしれないが、トヨタ自動車に対する多くのアメリカ国民の認識は、「トヨタ=アメリカ企業」なのである。そして、それらのパフォーマンスに対する反対運動が巻き起こることは、彼と彼らの作戦スタッフは織り込み済みなのである。要するに、彼と彼らの作戦スタッフは、そういった反対運動を組み込んだうえでの、「一連のパフォーマンスの演出」で、支持者と世論の誘導を図っていると観ることが妥当だ。…その理由はここでも、政治・経済・社会志向にあるのだ。

【経済問題は、世界→国内へと軌道を転換する見通し】
<アメリカ国内第一とキッシンジャー>
を掲げているが、かの新大統領の話やツイッターだけでは、客観性も合理性も見いだせない。いやしくも、アメリカ合衆国の政府機関が機能しなければ、何事も夢物語に終わってしまう経済政策であるから、彼と彼らの底流の動きを見なければならない。ただその動きは、今回ばかりは筆者も時間を要した。そこには意外な動きが漂っていた。
米ソ冷戦さなかに、突然に米中国交回復が成り立つ、その立役者はキッシンジャーであった。かの新大統領とキッシンジャーの面談は目撃され、合衆国の新政府機関にはキッシンジャーの弟子と言われる人物たちが就任している。黒子に徹して国務長官などの表から目立つポストにはいない。
<そこで米中国交回復とは何だったのか>
を振り返ってみることにする。キッシンジャーの学説は、主要国の均衡バランス形成による平和秩序と外交である。当時、アメリカに対して強大となったソ連にブレーキをかけ均衡を図るために米中が手を結んだのである。中国は文化大革命による経済の崩壊に陥っていたからこそ応じ、そこにアメリカは手を差し伸べて中国の改革開放を後押し、その後のソ連のペレストロイカに至る過程で、アメリカ自身は世界経済の安定に伴い経済成長を果たした。そしてソ連は内部崩壊し社会主義国からロシア(実は正教のキリスト教国:志向)へと変化して、世界をかけめぐる利回り金融資本の横行と破綻(リーマンショック)へと、現在に至っている。そして中国は今や、経済経営的採算が合っていると思わないが、軍事力や経済外的強制で以って、表向きの世界経済を牛耳るような覇権と活躍(中国の文化大革命派に言わせれば「張子のトラ」)なのである。かのアメリカ新大統領は、これを危険と見ている。
<彼と彼らの経済政策の大戦略>
が浮かび上がってくる。米ロが経済で手を握り中国の覇権を阻止する。それはアメリカが旧来の世界警察で以って対峙するのではなく、今度はロシアが中国に対してブレーキをかけることで、世界均衡を図るとともにアメリカ経済が回復する基盤を形成しようとする戦略なのだ。その中国に対するロシアのブレーキのさなか、アメリカ国内の法人税率を15%まで引き下げるとする「税金天国」の合衆国を作ろうというわけだ。これが彼らの最大目標である経済政策と考えれば、彼らの発言や行動での矛盾は解消、筋が通ることなのである。
「税金天国」となった合衆国内での雇用増という政策志向だが、筆者の見解からすれば先行きは不透明だ。それは、アメリカ経済の発展基盤は
①第一大戦中の1913年からの体験教育(日本のゆとり教育の元祖、但し日本は失敗)から~。
②1929年大恐慌後のニューディール政策、同時に将来のアメリカを見据えた芸術家への失業対策事業による経済基盤(特にアメリカンドリームやアメリカ文化)の形成から~。
③戦後のアメリカ経済の技術革新と世界進出といった。アメリカ経済史を踏まえての政策~。
④どうしても筆者には、こういった成長過程を彼ら彼らには考えられないのではないかと推測するからである。突然、彼ら彼らの「この世の天国」は訪れるとは思えない。
<そのための、ISなどの対テロ対策>
なのである、あくまでも。ISを組織し昨年まで裏からの援助を絶やさなかったのは合衆国CIAである。それは世界警察としての策略ではあったが、今のCIAは新大統領側に付き、ISへの援助停止、それに続くロシアの大空爆によるIS殲滅(せんめつ)の容認に至っている。そして新大統領は、シリアのロシア海軍への港湾基地提供とかロシア空軍への飛行場提供について何も語らない。それこそが、ロシアの経済進出を認める行為そのものなのである。中東に進出する中国に対するロシアの進出動向に、新大統領は口をはさまない。(旧約聖書のエゼキエル書38章には、今で言うロシアが中東に進出する件があると言い出す解説者もいる)。イスラム:テロ対策とは、こういった背景があるから、イスラム入国拒否の大統領令が合衆国憲法違反となっても、彼と彼らはパフォーマンス以上のことをしないのである。新しい大統領は、その全てが経済である。確かにまた、彼と彼らの支持基盤は、「頭の中は、聖書とイエス・キリストの神秘で満杯」といった人たちなのである。
<アメリカ企業のロシアへの直接投資>
は盛んになってくる。そのためのエクソンモービル:ロシア通の国務長官就任である。それは、法人税15%の「税金天国」に世界の企業を誘致して、そこからアメリカ経由で再びロシアへの進出を狙っているのかもしれない。そこには、アメリカがEUへの進出を促進する基盤が、思わぬイギリスのEU離脱によって、失われた事情が存在もする。日本のマスコミでも、しばらくすれば、こういったアメリカ企業のロシア進出のニュースが次々と飛び込んでくることになるだろう。
ロシアからすれば事、経済投資の呼び込みならば、極東の軍事情勢、はたまた北方四島の領土問題などどうでもよいことである。まして、日本側が「北方領土の二島でよい」などと言い出す始末であり、シベリアからの石炭出荷を大量に受け入れる日本の状況からして、ロシアへのアメリカの経済投資は一気に優先課題となってくる。そして、その極東のロシアとの国境線に中国は大陸間弾道弾ミサイル基地を配備した。

【日本はどんな余波を受けるのか、いくつかの推測!】
★日本企業の本店のアメリカ移転が、二国間協定で以ってあり得る。
法人税15%であれば、アメリカに行きたい大手企業は目白押しである。日本での消費税の還付金で輸出企業は優遇されているが、いっそのことアメリカに移転してしまえばと考える企業が出てくるかもしれない。日米首脳会議では焦点となるだろう。
★日本の年金基金の資金をアメリカ国内インフラ投資に。
これは、さっさと進んでいるようである。現在年金資金の投資結果は大損状態である。これ以上のアメリカへの資金提供が日米首脳会議では焦点となる。
★日露の経済交流は、米ロ経済交流の「お墨付き」の範囲内。
おそらく、日米首脳会談で、そういった「お墨付き」程度のことが話し合われるであろう。アメリカの国防長官は韓国に対しても日本に対しても、「俺のいう通りにしろ」と迫るような人物だから、おそらくアメリカを差し置いて、日本が交易促進することはご法度であろう。ところが、日露の非公式取引(密輸)は、大手企業が介在して戦後も必要に応じて行われていたのだ。近いうちに、ロシア流行ブームが出現してくるであろう。
★日本の対中国経済への牽制(けんせい)。
ロシアを使って、中国経済にブレーキをかけようというさなかに、日本の中国との貿易増加をアメリカが歓迎することはない。世界銀行とアジア開発銀行(日本主導)と、そしてAIIB(中国主導?)の三つは、今現在は共同歩調をとっている。金融・投資の純然たる目的からすれば、本来は国境や国家は関係ないからだ。主要幹部の人事交流も存在している。AIIBに力をつけているのは、日本の官邸サイドだけだ。だから今後、その動きに注目する必要がある。どうなのか全く予想がつかない。
★日本の官僚は、今もそうだが、右往左往する。
官僚にとっては、間違いなく新アメリカ大統領の発想が分からない。政治家も右往左往するだろうし、すると政策も右往左往する。そういった右往左往は、ニュースのネタになるし、そういうニュースなら理解出来そうな読者・視聴者は多いから、益々マスコミのそういった商売っ気はひどくなるだろう。日本の教育が受験戦争一辺倒だったからなのか、戦前から続く計画経済を続けてきた官僚思考だからなのか、日本でメジャーと言われる思考パターンの人たちには、本当に、新アメリカ大統領の発想が分からないのである。
☆そこで筆者のお勧めは
世界各地のお金持ちに魅力のある商品を作ればよい。
お金持ち優先で観光などで買いに来てもらえばよい。世界は広いから、お金持ちに焦点を絞って商品を売りこめばよい。当分の間は、日本や日本各地域の独自文化を、物品にして観光やリゾートにして具現化することで売ればよいのである。世界で売れている日本料理(これが、割烹とは違う)がそうだし、日本にあって山村の自然との調和風景もそうだ。すなわち文化価値商品である。人海戦術や労働力だけの「ありふれた商品」から決別して、世界のお金持ち相手に高利潤商品・高水準サービスを提供すればよいのである。
☆なぜ高利潤や高サービスかといえば、日本の(広義の)労働者の労働全般能力・職業能力や、それを支える生活水準を維持するための費用や教育投資が不可欠だからである。「より良い物をより安く」といった世界の下請工場的な商品着想では、先進国から、途上国までの諸国との貿易摩擦を生むばかりである。今更日本は、植民地的な経済活動とか滅私奉公哲学では成り立たない、様々な評価は別として日本は17世紀初めに世界で初めて奴隷制度を廃止した国なのだ。

【新大統領を支える政治・経済・社会志向とは】
かのアメリカ新大統領はプロテスタントの長老派である。慣例なのか必ずイギリス国教会の流れを持つ聖公会の教会(ホワイトハウスの筋向い)で、就任前の礼拝に出席している。情報筋によると、その礼拝には聖公会の牧師に加え、バプティストとメソジスト(この二つはプロテスタントの派閥)の牧師も同席(アメリカの社会や教会では、重要な意思表示としての同席)したそうである。ことに共和党は聖公会の影響が強く、イラク戦争当時にブッシュ大統領の法案が、イギリス国教会のカンタベリー大主教の日曜礼拝での横槍で、多くの共和党の議員がブッシュ反対に回り、法案が流れたこともある。アメリカとは、そういった国である。身近な人物ならば、浦賀に来たペリー、戦後のGHQマッカーサー司令官らはアメリカの聖公会メンバーであった。こういった事情は、全く日本ではなじみがない話ではある。だが、ヨーロッパのEUにあっても、政策議論と同時並行でキリスト教にかかわる宗教と哲学の議論は必ず行われている。いわゆるキリスト教国と言われる一帯は、こういった政治・経済・社会志向を知らずして、その分析は極めて難しいのである。
これが、就任式前の礼拝があった、ワシントンの聖ヨハネ教会だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/St._John%27s_Episcopal_Church,_Lafayette_Square
そして、副大統領に就任した人物が何者か、その人物が就任した意味が重要。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9
副大統領に就任した彼は自称エバンジェリカル、「頭の中は、聖書とイエス・キリストの神秘で満杯」と揶揄もされている。その存在はトランプを大統領を当選させた勢力の代弁者、トランプの不測の事態(暗殺や転向)のみならずエバンジェリカル勢力の大統領志向の担保機能と見た方が良い。これらは、日本では考えられない複雑な習慣でもある。
保守派キリスト教徒エバンジェリカルついての、某解説もある。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaokanozomu/20161027-00063742/
これらの情報は、日本のマスコミでは報道されないのが通例、あるいは記者たちが、全く理解出来ない情報なので、アメリカ大統領の動きの見れない人が多いのだ。

【それを見通せたのは筆者独特の勘! ではなく大阪の経験だ。】
大阪では一昨年春に住民投票=「大阪市を先ず廃止して、大阪都構想?」なる大阪市民限定の投票が行われ、大阪市廃止は71万票の1万票僅差で否決された。それまでの、センセーショナルな言動で踊り、傍らでは政策後退を続けてきた、あの「お騒がせ知事→お騒がせ市長」は結果、事実上政界から失脚してしまった。大阪特有の昔から統制力を持った政党が存在しないといった状況にあって、マスコミの政党得票数を根拠にした勝敗予想は大きく外れ、住民投票は「空中戦」となって最後の一週間で決着した。その住民投票日の二週間後の住民投票の勝因と敗因の分析にあっては、実に両者の作戦参謀の勝敗根拠が一致していたのであった。そして大阪の諸政党やマスコミにいたっては、未だ勝因敗因をつかめないままでいるようである。
すなわち、この大阪の「お騒がせ知事→お騒がせ市長」の動きと、かのアメリカ新大統領の動きが、きわめて似つかわしいのだ。だからある程度、かのアメリカ新大統領勢力の成すことは予想ができるのだ。ただ、異なることは、かのアメリカ新大統領勢力には、先ほど述べた「彼を支える政治・経済・社会志向」の勢力が強く存在する。日本の「お騒がせ知事→お騒がせ市長」には、そういった「政治経済社会志向」の勢力は存在しなかったし、そういった勢力は味方をしなかった。大阪の「お騒がせ知事→お騒がせ市長」が業務委託し選挙ビジネス屋の算段した「オレンジシャツの国会議員・地方議員」集団(目標1,000人が政策も異なる300人しか集まらない)お粗末のところ、その闊歩(カッポ)する姿は大阪市民の強烈な反発を買い、感情的な裏目に出たのであった。

【そして、彼ら作戦スタッフの使っているかもしれない世論操作の学問】
今から紹介する学説は、マーケティングの世界でも定着しつつある。ただ、「バカとハサミは使いよう」ということであって、大阪の「お騒がせ知事→お騒がせ市長」が発注した選挙ビジネス屋は、その使い道を誤り、勝利した反対陣営の作戦参謀にその使い道を見透かされていたのだった。さてそれの要点を紹介しよう…。

アメリカ ジョナサン・ハイト  2014年
<道徳基盤・思考の偏り>
 (アメリカ捜査結果の関心事を ○ 印の図表にしてみると次の通り)
  配慮ケア 公 正 自由解放 忠 誠 権威敬意 神聖ピュア
リベラル      
保 守
   
 ↑ 教養層・高収入層・若者層・クリエイティブ層 
   
 低学歴層・低収入層・ルーティンワーク層・高年齢層  


§労働時間把握の、「新ガイドライン」(その解説第一弾)
平成29年1月20日、厚生労働省の本省:労働基準局監督課は、17年ぶりに、
「労働時間の適切な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」
を策定しWebで発表した。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html
いわゆるガイドラインとは、法令ではないが、事業場に対して労働基準監督官が監督指導をする際に話すべき内容を示すといった類のものである。

そのため現実には、勇み足の監督官も出てきたし、監督指導を権力からの圧力と感じて過剰サービスをする事業主も出てくることにもなっている。日本は全体主義や社会主義国ではないから、何でもかんでも監督官様の「お話」を鵜呑みにして従うことはない。無理をして従うと、結局は無理がたたり法違反を犯してしまう現実がある。だから、その新ガイドラインの理解には歴史的経過と高度経営センスを含む専門性を要するのである。表面の字面だけを追っていては誤解をしてしまう。そこで、幾つかの留意点を示しながら解説をする。

(1)新たに現れた「労働基準法第41条に定める者」  以前のガイドラインなどに存在した、「いわゆる管理監督者」の語句が、「労働基準法第41条に定める者」へと変更がなされている。これについて労働基準局監督課は電話インタビューで、「内容は変わっていないが、正確さを期するため」としている。ところが、この語句の変更こそが“新ガイドライン”の全体を貫く前提として念頭に置かれているのである。(あくまで行政機関の書面は、学生の作文ではない。だから各々それなりの背景や思考パターンを読み取る専門性が必要である)。

(2)「名ばかり管理職」の理論的な封じ込め  すなわち、「いわゆる管理監督者」の語句が原因だとまでは言わないけれど、従来の本省:労働基準局監督課が、「いわゆる管理監督者」の語句を使い続けたことによって、いわゆる「名ばかり管理職」が世間に横行している現実を是正しようと図っていると監督課が考えるのは自然である。どうしても経営者も総務担当者もが社内だけを見てしまうから、広い視野に気がつかないのは当然だ。それは筆者の如く長年数多くの事例を見ていると一目瞭然である。またそれは、監督官たちも同様なのである。それは異なる角度から言えば、いわゆる「名ばかり管理職」と指摘されないように様々な経営者や総務担当者が浅知恵を絞ったところで、本省:労働基準局監督課からすれば全部を見通しているのであり、ある意味で浅知恵が後を絶たないことに対する用語対策なのである。「労働基準法第41条に定める者」と表現することで、改めてこの際、法令に基づいた判断基準を末端の監督官にまで徹底しようという訳なのである。社会保険労務士の大半も「右に倣え」である。そうすれば巷では、ほぼ間違いなく素人の考えた「名ばかり管理職」論は崩壊すると、彼ら官僚はみているのだろう、筆者もそうなるだろうと予測する。たぶん、これに法律論議で以って合理的に彼ら官僚に太刀打ちできる、そんな素人も専門家も存在しないだろうから。

(3)監督行政の法解釈での苦い経験  労働基準監督行政の歴史には、解雇に関する条文解釈にかかる苦い経験がある。現在の解釈通念は、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」(濫用=定められた以上に権利をミダリに用いるとの意味で乱用ではない)である。ところが2004年1月1日の法施行(当時は労働基準法第18条の2)当時までは、裁判所の判例とは裏腹に大半の監督官はそうでもなかったのである。それまで多くの監督官は、「30日分の解雇予告又は予告手当支給をすれば、解雇は可能です」と電話でも気軽に事業主に対し応答(書面でない方向で)していたのである。そう、それはつい13年前のことである。ここでピンと来た人もいるだろうけれど、旧ガイドラインの労働時間把握の時代である。ついでのことだが、労働時間把握に本省:労働基準局監督課が本腰を入れだしたのは、1988(昭和63)年の週40時間労働制(それまでは1日8時間労働制)の時点からである。当時のエピソードを話せば、Webが無かったから、「週刊労働ニュース」の新聞で以って監督官の意思統一の徹底を図っていた。ビル退出時刻の警備員記録、夜8時の事業場臨時検査、その後はパソコンの差し押さえ、メール発信時間解析などなど、そういったが摘発や監督のニュースを「週刊労働ニュース」が目白押しに掲載していた。

(4)4月から本格的に新ガイドライン指導 :筆者の予測。  =平成28年度内に、新ガイドラインの徹底を監督官に図り、4月からの一斉人事異動で従前の事業場と人間関係を断ち切り、4月から本格的に新ガイドラインを運用するであろう、これが毎度の労働省のノウハウである。経団連への説明会は、1月25日に行っているが、1月20日策定したとする「新ガイドライン」の説明を、本省:労働基準局監督課ではなく、労働基準局総務課長が行った事(多数の質問に対し、正確な微妙な説明が総務課長では出来ない)には意味がある。おそらく、4月まではマスコミに対する労働時間賃金未払いニュースを流して世論づくりをするであろう。4月以降は、有無を言わさず監督指導に入るであろう。だから、個別企業内での3月中の基盤整備は極めて効果的である。こういった事は、筆者が約40年に渡り携わってきた労働行政の底流に基づく独自考えである…。

(5)「働き方改革」と比べ実行力がある。  「1億総活躍」とか「働き方改革」とか「残業禁止の法改正」は、耳触りの良い口先だけのこと。現在の社会状況からすれば、それらに実行力が無いのは、いつもの通りである。だが、その陰にあって、政府の表面政策とは裏腹に、この「新ガイドライン」は徹底されるであろう。近年、旧労働省の労使が協調して労働基準監督行政を推し進め検察の書類送検を進めてきたのであり、それらに現大臣も同調している。ことに、大手企業の大半はサラリーマン経営者が占め、その許に人事部門が配置されていることから、そのほとんどの企業は行政機関の権力に弱く、後先考えずとりあえず従う実態だからである。終戦直後、労働省は戦前(工場法で)立案していた内容の労働基準法案を早速国会提出、法案がGHQの指示だと偽って、さっさと成立させたのである。ところで、新採用監督官の数は、来年度は3倍の150人、再来年は230人との情報で、その研修施設が不足との動きも存在するくらいであるから、徹底してくるのは間違いないだろう。監督署は何時もの如く、新入社員の「お試し営業」ではないけれど、今年秋から(約半年の宿泊研修後)は新入監督官を単独で事業場訪問をさせるであろう。その際に、「新ガイドライン」が効力を発揮するのである。そこには、使用者に対して「本ガイドラインを踏まえ…」労働者に自己申告をさせる様にといった、新たな手法の内容(4項(3)号のア)が監督官に指揮されているのである。

(6)【逐項解説】いよいよ「新ガイドライン」の詳細。  専門家でない方、ペーパーライセンス社会保険労務士、現場を知らない弁護士といったみなさんは、逐条とか逐一順を追って解説する手法が、とても好きなようである。だが、ここまでの背景と監督行政の底流を垣間見ていただいた読者の方は、既に貴方が深い視点になっていることに気づくだろう。気づくからこそ、貴方の話には共感と「深み」が備わり説得力が増していくことになるのである。実務能力が向上するのは、前回のメルマガ=共感精度の解説の通りである。逐条解説ばかりに気が向いている人に実行力は備わらない。ではとりあえず、気をつける必要がある箇所を指摘する。必要に応じ要望カ所や焦点になる部分を後日YouTubeを作成しようと考えている。

☆では順番に、
2項、5行目、「労働基準法第41条に定める者」→名ばかり管理職の排除!
3項、労働時間の考え方、→ここは新設項。
  2行目、「黙示の指示」→アイコンタクトはもちろん無言も黙示の指示?
  5行目、「使用者の指揮命令下」→自宅持ち帰り作業、一見自発的作業など
  8行目、「指揮命令下に置かれたものと評価…客観的に」
  11行目、「これを余儀なくされていたなどの状況の有無など」
  ア~ウの具体例は、毎日の労働時間増、あるいは作業開始時刻の遅延と早退

4項、(2)号のイ 「パソコン使用時間記録等の客観的な記録を基礎として」
   同じく2行目、「適正に記録すること。」→システム説明とタイムカード連携管理
   (3)号のア
     「労働者に対して、本ガイドラインを踏まえ、…十分な説明」→提示?
   (3)号のイ
     「実際に労働時間を管理するものに対して…説明」→チェック
   (3)号のウ
     「入退場記録やパソコンの使用時間記録など…労働時間の補正」
   (3)号のエ
     4行目は、電通事件の逃げ口上の=Netでの検索・調査・学習の事態含む
       →自己申告の労働時間が少ないならば合理的説明の有無がポイント
   (4)号、4行目、賃金台帳への無記載・虚偽記入への、30万の罰金を表示

………といったところである。こういった項目による未払い賃金の確定とか、賃金支払い並びに個人所得増は、間違いなく現労働大臣の了解を得ている。
したがって、労働時間管理に曖昧さを残さないためには、客観的な管理を求められることになるのである。時間外労働指示書とか、残業禁止指示書、退去命令といった客観性を要する。そうすれば、時代に適した適切な時間管理は可能というわけだ。後先考えずとりあえず従うといったことでは、事業経営(収益性、生産性、労働意欲、効率性)の各分野にわたって矛盾を起こし、それは労働者の反発を招く。いずれを選択するかの2次元的思考の知恵のなさでは対処できないことになるのだ。

(7)留意しなければならない事柄がある。
One. いくつもの事業場を抱える大手企業(中小企業基本法に規定する「中小企業者」以下を除く)に対して、2箇所の事業場の是正勧告で以って代表者の呼び出しをする。その場合は、本社(「中小企業者」以下を除く=第3次産業で資本金5000万以上の企業は相当数が対象)への立ち入り調査も行うとしている。
http://www.chusho.meti.go.jp/soshiki/teigi.html
もちろん、社会的影響のあるとする(大手などの)企業はマスコミ対策をあわせもって行うことは通例である。単なる氏名公表や単なる呼び出しの監督行政を行うことはない。すると、サラリーマン経営者などは、外注化で下請けに責任を回し、これも、乗り切ろうとする愚策も現れるだろうが、セブンイレブンFC加盟店の賃金カット事件の如く世論の風当たりは強い。本来なんとかアウトソーシング企業に委託したいところではあるが、労働者の経営センスを併せ持った職業訓練をなおざりにしてきた労働政策からは、真のアウトソーシング企業が数少ないのである。そのことから実に現在、アウトソーシングは売手市場であるから安値発注が出来ない。
http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/dl/151106-05.pdf

Two. 本省:労働基準局監督課の監督行政の戦略方向は、労働基準法などの取締法規を超えて、就業規則を細かく作成させる指導により労働契約扱いとすることで、結果的には労働契約法の適用を図ろうとしている。そうやって、裁判所、弁護士、社会保険労務士の機能や外部参加を組織しようとしているようだ。マスコミ対策との連動はもちろんだが、監督官の動員(例えば、捜査本部なら40名といった具合)だけには頼らない戦略のようだ。労働基準法や労働契約法の法律的論理展開は、裁判所、弁護士、社会保険労務士たちに反対される要素がないから、約2万人の労働基準監督官の人海戦術で功を奏するというわけだ。

Three. さて、対応の要点は、行動経済学や産業心理学を踏まえての高度な専門性のあるアドバイスを、貴方が手に入れた上で、貴方の個別企業が対策を打つ必要があるといったことだ。巷にあふれる判例や逐条解説は、冊子として売れるものだから数多く出版されるが、貴方のご理解の様に、個別企業内のジレンマと不毛な手間と暇にさいなまれるのである。ドラスティックな対策は、経営トップに押しつける仕事ではない。総務部門の貴方の創意工夫に委ねられているのである。

Four. 違法な長時間労働の要件を、現行の月100時間から月80時間へと引き下げ、加えて過労死や過労自殺等での労災支給決定の場合も違法要件とする。月の時間外・休日労働が100時間を超えれば、産業医への情報提供の省令を改正する。過重労働事業場への、医師の緊急面談問診の実施を、都道府県労働局長が指示できることも省令を改正する。これらは、企業にとっては、即効対策をとらなかった場合の損害賠償の民事事件での、敗訴や大幅不利を招来するものとなる。