2017/11/07

第187号:世界的金融ショックへの警戒態勢

<巻頭言>
この10月以降は、経済政策の無策から決定的落ち込みだ。世界的金融ショックは目前の様相で、EU中央銀行、英国中央銀行、アメリカ連銀と順次、被害が拡大しないようにと手を打っている。だが日本は法律的規制がないこともあって、野放しのように金融緩和を突き進み、まるでアメリカの肩代わりをさせられているようだ。株価の買い支えとか失業率数字のカラクリで経済の悪化は如実に見てとれる。
年末にかけ急いで、世界的金融ショックへの警戒態勢をとる必要がある。【個別企業】は、借金を抑え、有能人材を確保すること。【個人や家計】は、金融商品を現金化すること、特に投資信託は危ない。不要不急のものは買わない、ローンを組まないことである。この警戒態勢で日本経済全体が委縮したとしても仕方がない。
だが、非常時だから通貨が内需拡大の消費に直に流通するように、金融以外の方法をとることもできる。例えば、大手企業系列企業の不払い残業手当精算とか、社員の定刻退社の実行である。今月は、そういった警戒態勢にテーマに焦点をあててみた。


【お知らせ】AIの初歩を活用、インテリジェンス:情報の先行配信
ICT機器とFacebookを駆使して、AI初歩に踏み込んだ情報配信を始めます。
これは当社代表者村岡利幸が、最新水準の音声入力機&Wi-Fi機能を使用してタイムリーにFacebookへのコメントを書き込みます。この作業を繰り返すことによって、日常的に収集蓄積している文献や教授の情報、さまざまなノウハウその他と組み合わせによって、創造的に5次元処理を行なって、インテリジェンス提供を行います。その集積を「総務メルマガ」の記事や編集に組み込んで行きます。でも、音声入力ソフトを使用するため、若干の誤変換は否めません。
このことで読者のみなさんその他には、貴方自身のインテリジェンス情報の物理的労苦の削減効果、情報の深い読込みアドバイスの提供が可能となります。当社においては、当社代表者村岡利幸の精神労働・肉体労働の効率化と負担軽減が図れるものです。この1週間、音声入力機のAI精度を高め、そのFacebookでの試行錯誤を行いました。どうぞ、スマホから「村岡利幸」への“追っかけ機能”の活用で、インテリジェンスや思考の柔軟性訓練ができますから、職業人生や労働能力全般に役立つインテリジェンス収集や情報読込みスキルを身に付けていただきたく存じます。(株式会社総務部事務方)


<コンテンツ>
何をすれば日本経済は、復活再生するのか?
   ・日本を除き先進各国の金融政策は、
   ・一方で成長しつつある中小企業では
   ・片や、殺人機器とか軍事産業で活路を探す大手企業は
   ・そんな事は夢物語と思ってる読者諸氏には
【究明】日本の大手企業が雪崩を打って転落している姿
   ・原因は現場の数人の管理者や監督職の手抜きが蔓延
   ・イノベーションを待たずしての、その転落防止対策は
   ・ドラスティックに、A総理大臣の言う「生産革命」の引き金を引く!
   ・他人を待たずして、引き金を直ちに引ける中小企業にはチャンス
   ・「分け前を俺によこせ」と言わない限り、もらえない。
「働き方改革」を歴史的に見て、その空虚さに迫る
   ・戦後日本の産業や経済を支えてきた過程から検討すると
   ・電産型賃金体系=年功序列型賃金
   ・朝鮮戦争が起こり、日本がその兵站基地となってからは
   ・職能資格給与制度が考案された
   ・高度経済成長が終わり、昭和48年の物不足パニックになれば
   ・「新しい労働者派遣」と銘打っての労働者派遣法変質
   ・そして、今の格差社会が誕生した
   ・「働き方改革」、その被害を受けないために
モリカケ事件の、身近な生活に直結した問題とは
   ・国民または与党内部からの不信感が発信源である様相は
   ・意外にも与党内部者が極右も極左集団も大いに活用
   ・なぜ全体主義者は、ムキになるのか


§何をすれば日本経済は、復活再生するのか?
殺人機器とか軍事産業では、自滅するしかない。
古今東西、技術者を金銭と出世で釣ったところで、ロクな品物が出来たためしがない。戦前の日本がそうである。果たしてそんな経済は実際に可能なのか?
沿岸警備隊(海上保安庁)を支持するけれど、自衛隊に期待する者は少ない。まして自衛隊はアメリカ軍の指揮下にあるからだ。侵略軍の人員を動員するために、不安定正規労働者を数百万円単位で借り入れたところで、大義名分がなければ、戦闘力にはならない。ドローンその他のロボット機器を使ったゲーム感覚で殺人を行う用としても無理がある。
また、その殺人機器とか軍事産業を推し進めようとする政財官に巣食う全体主義者たちは、憲法9条を変えただけでそんなことができる、と思っているのだろうか。憲法改正論議で言えば、現行憲法の改正で女性の地位とか教育の充実その他=民主主義発展の改正を求める声の方が強いことは事実だ。

日本を除き先進各国の金融政策は、
金融ショック到来が色濃くなった。現在、次々と被害が広がらないような対策を打ち始めている。
だが日本では、選挙に突入して以来、飲食店の客数激減が起こっていると言う。数例の選挙期間中であれば街は飲食花盛りである。一気に外食が自宅での内食に変化した。
大阪の中心部では、100円コーヒーを推し進めたセブンイレブンは他の追随を全く許さない。コーヒー好きは喫茶店より美味しいと1日に6回7回と100円コーヒーを愛用するに至っている。コンビニの前には長椅子が道路に向かって二重に並べられ、夕刻ともなればサラリーマンが缶ビールとつまみを持ちながら談笑している。大衆向け刺身専門店では夜の8時になって初めて客が来るという事件が10月末に起こった。大手スーパーでは酒類の売り上げが軒並み伸びている。それまでの中国や北朝鮮などとの密貿易が盛んであった時代の大阪は、失われた日本の30年目に入って劇的不景気の様相である。

一方で成長しつつある中小企業では
例えば、会社の製品とかサービスに社員が惚れ込んで、笑顔でもって、消費者やお客に販売していくといった働き方である。
これは、生活に関連した固有文化価値を持つ商品では共通していることなのである。
そんな会社の普通の人たちの様子の営業販売分野の実録報告の要点をまとめれば、
①営業マンが笑顔で話せるように、会社方針もろとも徹底している。
②新人には売れるプロセスを何度も踏ませ、上司が売り上げをつけてやって、自信を身につけることで育つ。
(自分の実力だと錯覚させることだと、OJTで徹底している)
③ICTやブログなどは、事前の会社案内や営業マンの紹介活動の効率化。
④営業や仕事は闘いの場ではなく、憩いの場でなければ仕事は取れない。
⑤ホワイト企業で働きたいと願う優秀な人材を確保(労働基準法遵守は徹底)。
⑥笑顔で客先の心を動かせるには、あらかじめ社員がそうなるようにする尽力する。
……ということだそうである。
今の日本の中小企業には金が全くないから、
「所詮、中小企業は、そういった方法しかないのだ」と揶揄され見下げられそうだが、
実質的豊かさや幸せの頻度からすれば、家族のための可処分所得に限ってみても、
「そういった方法の働き方と暮らしの方が、いいのだ!」と答えればいいのである。

片や、殺人機器とか軍事産業で活路を探す大手企業は
ますますの職業能力の低下、新入社員を採用するにしても、若手育成ではなく、子分を確保することに躍起である。
相手方を接待漬けで、社長ないしは一部の経営幹部しか営業活動をせず、社員はその手足となって「やらなければならない、生き残るためには」と言い聞かされ、暗い気持ちの子分で働く。ウップンばらしをしてもストレスが溜まるばかり、会社の中には、いじめや嫌がらせが横行する。そういう会社も現に存在する。殺人機器とか軍事産業に頭を使い、もっぱら国防省や防衛省そして海外の戦闘地域に売り込みたいと社長らだけが思っている会社だ。
その典型的な全体主義者らは、「専門教育のない者&教養のない者+職業経験の少ないインテリ」を、理屈と行動で惹きつける。彼らは粗野で無教養の人間を、理屈の自発的代弁者に仕立てる。さらにインテリぶった人物を組織や担当の「口先ばかりの行動」の任務者に(錯覚させて)仕事をさせる。まさにここにブラック企業の本質が現れているわけなのである。
社員も非正規も、そこに派遣される派遣スタッフも、職業能力が向上するどころか、使い捨ての実態は否めない。せいぜい「運がなかった」と言わんばかりの運命論者に落ち着かざるを得ない。

そんな事は夢物語と思ってる読者諸氏には
ちょっと学者向けの論文だが、どうぞ読んでみて欲しい。
経済を幸せとか豊かさといったものから、理論的に分析している。
http://www.soumubu.jp/koyukachi.pdf
その最新の裏付け証拠、『反脆弱性(はんぜいじゃくせい)』(ダイヤモンド社)が幸運にもタイムリーに出版された。さすが5000年の歴史を持つ商業都市ベイルートで育った著者だけの人物の作である。
https://rashita.net/blog/?p=22746


§【究明】日本の大手企業が雪崩を打って転落している姿
それは分析ばかりしていても、ドラスティックな解決策は出てこない。加えて故意に、安全性だとか信頼性だとか、物事を分割して考えるから、変化する本質を捉えられなくなる。
全国的な、売り上げ低迷、人手不足、更に製品不祥事、こういった現象が同時発生するのは、社員や従業員全般に関わる、労働意欲の著しい低落問題なのである。長年にわたって業務改善や事業改革に携わり、その成果でもって活きて来た専門家からすれば、一目瞭然だ。電通過労死、NHK過労死、日産とスバルの車体検査不祥事、神戸製鋼所の部品不祥事といった最近の事象は、形骸化した経済成長を牽引しているとされる大手企業での出来事である。これについて、そういったことを認めたくない人物は、「気の緩み(キノユルミ)」と逃げ口上を吐き、それをマスコミが何も考えずに世間受けするように報道する。
何度でも言っておくが、日本製輸出産品は円安になっても売れていない。根本的問題を探ろうとせず、目先の私的金銭に走ろうとする政官財の全体主義者たちは、どう考えてみても殺人の機器と資材を製造する軍事産業で手っ取り早く蓄財したいと考えているのだ。またそれは高技術水準と高利益率を確保するための能力を持ち合わせていない者たちと「幻想妄想」に浸っている者達の結合を図る全体主義者の、刹那的思考パターンである。それだけではない、リストラされた大手企業の技術者は中国や韓国に引き取られて、日本はじめ世界各国向け商品開発の技術を担っているのだが、彼ら全体主義者は一向に構わない。長年の尽力の末に育てられた人材資本といったものの価値すらがわからないのである。

原因は現場の数人の管理者や監督職の手抜きが蔓延
その管理職や監督職の具体的怠惰なきっかけによって売り上げ、人手不足、不祥事が蔓延するのである。ことに女性の多い職場では、この人手不足は、採用しても採用しても、お局が初めてをやめさせる。イジメで正社員採用しても数ヵ月以内にやめるのである。したがって、単純労働の域から運用能力が育たないのである。すなわち、経営管理の社内統制が取れていないから、経営陣の言うことを聞かずに手抜きが蔓延してしまう、これを仕方がないことであると錯覚してしまうのである。とても問題なのは、日本国全体が世相を反映して、手抜きが蔓延していることだ。それが表面化している現象としてイジメ嫌がらせが多発するのある。ある人に言わせると、自動車の煽り運転もイジメ嫌がらせ、刺青柄のシャツを着ているとか、黒の遮光シールを貼る車といった車は狙われず、小さな車や女性運転車が狙われているとするが、やっぱりそれはイジメ嫌がらせなのだろう。

イノベーションを待たずしての、その転落防止対策は
①不毛な労働時間の削減で労働意欲と生産性を向上させ、
②社会ルールである不払い賃金の支給でもって内需を拡大させ、
③とにかく、日本が金融ショックに強い体質を造ることである。
そうすることで、企業自らが利潤を産んで、それを行き渡らせなければならない。無理矢理最低賃金を引き上げる事では無い。保身や邪心をもって賃金だけをちょこちょこ上げる、政府政策ではない。残業などの賃金が支給されているとしても、たいした意味ある仕事はしていないのだから、午後6時には社員を帰宅させることが重要だ。
個別企業でも、不毛な残業規制をしてテキパキと働けるよう業務改善を行い、より職務能力の高い人材を抱えることが得策である。成長する中小企業では、そういった定時退社は生産性を引き上げているし、定時よりも早じまいをする職場では、おのずと職業能力向上を導いているのである。これは大手企業でも該当することだが、現行大手の管理システムでは上から全く見えないから気が付かれていない。金融ショックの瞬間に、金融資産とか借金を抱えていれば被害が大きい。人材を抱え、売り上げをあげ、人手不足を解消し、今よりコジンマリで良いから頑強さのある企業を作りあげることである。それをやり易い社会の形成、それにも、一肌脱ぐことである。中小の個別企業は規制されるよりも「無秩序社会」である方が金銭的には裕福になれるのが現実だから、この半年の経営幹部の身の振り方は重要である。さて、ここまでは前月号のメルマガの復習である。

ドラスティックに、A総理大臣の言う「生産革命」の引き金を引く!
それは、今の時点では労働基準法の適切施行である。けれども、突然「働き方改革」を言わなくなった経済政策からでは、大手各社サラリーマン社長の反対や妨害を押し切って生産性の善循環に持ち込むような意思の強さはない。保身第一の太鼓持ちはでは面白くも何もない。「働き方改革」と同じように、「生産革命や人づくり革命」も再び飛びそうである。加えて、いわゆる気の緩みが続出しているのは、「労基法なんて守らなくても、誰かが訴えを起こさない限り、大丈夫」といったふうな中間管理職の怠惰な現実である。少々の労働基準監督官の調査があったとしても、表面を取り繕えば差し支えが出ない労働基準監督行政の現状である。さらに労働基準監督官の立ち入り危険性が遠のけば、業務管理の人的コントロールがズタズタに陥るのは現場の事実だ。だから、労働基準法違反のやり得だと教養の無い者は錯覚する。すなわち現場の数人の管理者や監督職の手抜きが蔓延して、売り上げ、人手不足、不祥事が蔓延するに至るのだ。
こういった、「一本、筋が通らない」風潮が、監督職のレベルで蔓延すると、創意工夫して努力して生産を行い、世に売り出そうとの意気込みもなくなる。抜け道抜け穴ばかりを狙っている人間が、顧客や社内、社外から信頼を受けるわけがない。そういった意味で、それこそ生産革命的にこれを改善改革して、その引き金の経済政策として行える事は労働基準法の適切施行が考えられるわけだ。
労働基準法の厳しさにケチをつけ、それをスケープゴートに、業務に係る困難な壁を打ち破る経営資質を使うしかない。ことに大手企業では創造性を培っていないから、クリエイティブな話自体が通用しないので、そういった場合は就業規則や労働協約での枠をはめる日しか残らないのである。
経済への与える影響は、そう心配しなくても労働基準法適切施行を、まず初めには株式上場している大手企業を対象にし、その後に中小企業の適切施行を後回しにしておけば、現実的リアルな側面から言えば、「それでちょうど良い」施策となる。内部留保を多く抱えている大手企業が、アメリカなどに狙われて内部留保を、アメリカの赤字会社補填のために使われることもなくなる。とにかく大手企業のサラリーマン経営者とかサラリーマン政治家はアメリカからの買収工作には弱い。買収工作は正当な経済活動でも何でもない。こういった政策は、よくも悪くも現場の労働基準監督官は習得した職業能力を抑圧されている現状だから、労働基準法適切施行の足掛け1年間での経済政策として実施できる。

他人を待たずして、引き金を直ちに引ける中小企業にはチャンス
すなわち、ホワイト企業で働きたいと願う優秀な人材を確保することも併せて、
 1.自由と創造性の資源でもって、現実に具体的な経営や労働を行い、
 2.幸せと権利の主張を行い、新たな権利のチャンスの形を読み解き、
 3.そのことで幸せと権利、実利経済利益こそ確保して、余裕も確保し、
 4.自由の相互承認・行使の相互保障を柱に→民主主主義を広げることである。
 5.「幸せの権利と利益満足」との区別を付け、「全体主義者の未来幻想と現実現在を交換できる」との誘惑に抵抗することである。
このように中小企業は、労働基準法の適切施行は、さっさと行うということなのである。東欧は自力でスターリン主義を崩壊させた歴史経験は、具体的な企業の事業活動から経済的に担保されていた、これが歴史の事実である。

「分け前を俺によこせ」と言わない限り、もらえない。
これは歴史の中ではっきりしている。また、会社経営をする側からすれば、社員がイノベーションその他有能な仕事をしてくれれば、効率よく仕事してくれれば、その分け前を要求されてもちゃんと払うといったことなのだから、そういった活性化は経営者が望むところなのである。生活に関連した固有文化価値を持つ商品を扱う会社の経営者は、社員らが組織の中であぐらをかいて、終始目先の利益ばかりを追っかけて、都合が悪ければ他人の責任にしているといったことなどに怒りを覚えている。これに対して、大手企業のサラリーマン社長は、その組織にあぐらをかくく構造の一因(一員)に過ぎない。だから、やはり中小企業にとってはチャンスなのである。シビアに言えば、自律(自立ではない)して、「きちんとした仕事をしているから、分け前をよこせ」とならない限り、社会の矛盾は解決しないということなのだ。それが市民革命で王様や皇帝を倒し、自由平等、そのための社会共同体を民主主義という方法で作っているという意味なのである。歴史的には、まず経営者が団結して株式会社や有限会社を作った、これも歴史の事実である。


§「働き方改革」を歴史的に見て、その空虚さに迫る
(この記事は、労働格差問題に関心がある方、社会保険労務士や労働専門家向けのものです。一般の方が読んでも面白いと思いますが、読まなくていいです)。
それはよく見ると、個別企業の経営にとって、前向きに働く人にとって、いずれにしても一利ないことがよくわかった、百害はありそうだ!
どうもそれは、全体主義者に媚を売り取りいった一個人の企画立案のような気がする。
その顛末は、9月28日解散で、労働基準法改正案は廃案となった。「働き方改革」目玉キーの法改正は廃案させてまで何故解散となったのか? 早い話が「働き方改革」よりも政権維持と保身を狙った大義のない話だったのである。その詳細は、平成27年4月3日に国会提出、継続審議の改正案。平成29年9月28日解散により廃案。話題となったが、単一企業内でしか通用しない「同一労働同一賃金」は、この秋の臨時国会に官邸主導で提出されることが9月15日にも固まったにもかからず、9月28日解散で提出されなかった。労働時間規制適用外、有給消化義務、中小企業の月60時間越割増賃金50%などの内容が、質疑ゼロ時間、そして廃案というわけだ。ところが、それを最後に、「働き方改革」といった言葉は掛け声すらなくなった。「生産性革命とか人づくり革命?」とか過激な言葉が踊っているだけだ。マスコミも、宙に浮く労働基準法改正、同一労働同一賃金の法案は未提出といった記事を流している。果たして「働き方改革」の掛け声とは何だったのだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/102600055/

戦後日本の産業や経済を支えてきた過程から検討すると
どこをどう見ても空虚なものとしかか考えられないのである。昭和21年当時GHQは、対日本の政策の柱として、経済を後退させる方向に進めていた。
日本には戦争が終わってから、戦争や軍部独裁で各地に左遷されていた有能な経営幹部や技術者が国内に戻ってきていた。多くの民間企業は、有能な人員も大幅採用し産業発展や生活向上に向けて、技術蓄積と事業飛躍を考えていた。それまでの軍部独裁と通産官僚らの横暴で理不尽な暗黒世界に産業置かれていたのだ。ところが日本にやってきたGHQは日本の経済後退政策であった。そして当時は敗戦国以上に日本政府は植民地政府となかったかのようにGHQの100%言いなりであった。
そんな時点に労働問題の側面から日本の電機産業界(電産型賃金体系)は、今日で言う年功序列型賃金を編みだして、「勤続ではない年功給」を電産型賃金体系に組み入れ、有能な人材を蓄積することを方針とした。当時は日本発送電と各地配電会社は最も重要な基幹産業であった。電力関係に約12万人が従事するが、人材の育成が産業や生活への送電技術には欠かせなかった。やはりGHQはこれを阻止しようとした。
勤続ではない年功を積むことによって技術能力が高まることを期待といった「勤続ではない年功給」である。言い方を変えれば、当時の概念で「経験給的」なのである。現行厚労省の説明するような労働力を云々といった、意味も根拠もよくわからない代物の論理ではない。勤続年数や年齢が過ぎれば自動で引き上がる年功給の要素は、本来の年功序列型賃金にはなかった。加えてその当時は教育訓練といえば、職人技徒弟制度の時代であった。したがって戦争で徴用され破壊された労働環境だったから、それを一からやり直すと同時に新技術の導入といった意味合いであった。

電産型賃金体系=年功序列型賃金
こういった賃金体系は、GHQに対抗して、当時の電力発電元締め会社=日本発送電が編みだしたものである。
その時に作り上げたのが、専門家ならば必ず出している「電産型賃金体系」である。その労働組合が電産労組であり、当時の労働組合法は会社取締役外の、部長以下全員が労働組合員であった。表向きは労働組合の責任者として、内実は労使一丸となってGHQに対抗し日本発送電の担当者として、私の伯父が取りまとめた物である。私の伯父は日本発送電本社の賃金課長をしていた。もちろんと言っていいほどに、私の伯父も電産労組の賃金対策委員会委員長(ここに紹介するYouTubeの通り、伯父は18分から説明している)であり、電産労組の副委員長にもなった。
その後にこの賃金体系を日本国内の銀行各行が一斉に導入する。さらに.ほぼすべての大手企業に次々と広まった。ちなみに基準内賃金と基準外賃金の用語は電産型賃金体系で考案されたものだ。この賃金体系を当時の社会政策の第一人者である大河内一男教授が、この電産型賃金を年功序列型賃金との名称に一般化し学問的に理論化した。ます電産型賃金体系は、賃金のコンサルタントであれば、必ず知っている体系である。しかるに、こういった内実の話は先日Facebookで初めて公開した。内容は私の伯父から直に聞いた話である。そう、私もその話を聞くまでは、どうして労働組合の作った賃金体系を大手企業がこぞって導入したのか、そこが謎であったのだ。労働組合関係者も経営側関係者も、今に至るまでこの謎を知る由もない。労働組合として活躍しない限り、戦犯として疑われる、その状況で実はGHQに対抗して心ある人たちは、日本経済を立て直そうと具体的にアメリカ占領軍と戦っていたのであった。当然のことながら、私の伯父もGHQ本部周辺で占領軍のカービン銃を突きつけられ、あるいはタオルと歯ブラシとで汽車に乗り逃亡せざるを得なかったときもあった。現在の日本では考えられない状況である。
https://www.youtube.com/watch?v=6Faf2TyFrdM

朝鮮戦争が起こり、日本がその兵站基地となってからは
大きな転機があり、突然異なった流れが存在することとなった。とにかく日本の工業生産現場は精神主義的な口先ばかりで技術が貧弱で歩留まりも悪かった。終戦直後から、GHQとはいっても実はアメリカ軍は、軍事部品の現地調達において、日本の工場生産技術の歩留まりや管理能力の低さに辟易していた。そのことからCCS経営者の管理方式を進駐軍の調達先には導入はしていた。
そこに朝鮮戦争の始まりでCCS、MTP、TWIといった管理方式を日本国中に広めようとしたのである。その時すでに大阪の松下電器産業はアメリカ軍に言われるまでもなく、数年前から担当社員をアメリカに派遣して学ばせていた。だから松下電産関係は堂々とそれを一気に導入して大幅受注を果たした。そればかりか、松下電産の謄写版テキストを官公庁とか地方自治体が手に入れ、再編集して公務員教育の柱としたのである。引き続き労働省が民間企業向け訓練団体も設置してMTP、TWIなどの普及を図ったのである。ちなみにTWIの基本は、戦前に海軍の山本五十六がハーバード大学に留学し、そして日本海軍に導入した、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」である。
ところで、実際に作業行うとしても、それが幾ら科学的分析をした方式だといっても、流れ作業の作業タイミングの勘所がつかめない。そこで、松下電器は歌と踊りを実施してした。「ソーラン節」の歌を使って、……最初に:船を漕ぐしぐさ3度、次に:海中の網を引き上げるしぐさ2度、最後に:ニシンを数匹ずつ箱に手で入れる仕草を2度といったものである。(歌はYouTubeでどうぞ)少なくとも30~40年前の関西では、宴会になれば、歌って踊っていた。その歌と踊りの手法は官公庁や都道府県の公務員教育にも紹介をされていたようだ。それは、仕事または作業の勘所というものは、音楽リズム(拍子とは異なる)で体得しなければならないと気がついていたからである。この体得が日本の生産技術の重要ポイントであって、他国の工業生産にはほとんど見られない強みを生み出していたのである。ただし、この間までNHKの朝ドラであった、職場で歌を歌っていた光景とは別である。あの光景は戦前日本の通産官僚たちは、ソ連の方式=歌を唄って士気を高めることを、戦後は労働組合を中心に職場で歌を歌う芸術運動(芥川也寸志ら)が始めた当時独特のもので職能訓練とは異なるものであるから、念のため。

職能資格給与制度が考案された
高度経済成長末期に、大阪の国光製鋼が日本で初めて職能給:職能資格制度を導入した。それを考案したのはコンサルタント瀧澤算織氏(私の仕事の師匠)である。
それまでは年功序列型賃金が日本で大流行していた。中小企業もそれを企業理想として、そのことで一流企業になろうとしていた。だがが、二重構造の下で現実はその通りには出来なかった。そして様々な書籍が職能資格給に論述されているが、それは表向きの話、はっきり言えば夢物語だ。
瀧澤算織氏が考案したポイントは、「十代新入社員から始まる若年層の賃金があまりにも低く、労働者の採用ができなかった」からである。

☆右肩上がりのほぼ一直線である年功序列型賃金の基本給部分の直線を、若年層基本給を引き上げ中間層を減少させ上層社員の基本給カーブを突きたてた=いわゆる関数曲線とした。その関数で賃金原資を増加させないようにもした。この当時はそれを行うために賃金原資の10%増が通例であった。この計算を実行ためにはコンピュータが必要で、算盤とか手回し計算機あるいは電卓では無理だ。これの導入をめぐって、当時の単産:全国金属の国光製鋼労働組合執行部は全員総辞職した。会社側は然し、労働組合攻撃をした訳ではなく、全国金属の組合執行部が年功序列型賃金に、ことさらこだわったことによると瀧澤算織氏は語っていた。初任給引上げその他で国光製鋼は新入社員採用に成功した。

★職能資格給制度は中小企業の場合、この通りには行わない。
少なくない中小企業の多くは、職能資格給制度を導入すれば、それだけで新入社員が採用できると錯覚した。ところが、中小企業にとって職能資格給制度は不都合だらけであった。コンピュータで給与総額を計算するシステムもない、システムどころか、その積分計算や方程式が頭に浮かばない。本来700人程度の社員を抱える企業向け給与体系であるから、いくら調査分析や職務分掌の接点を行おうとしても出来るわけがない。当時の某学者の権威でもって、様々な方法や書式が示されたが、中小企業にあっても全く実行されることはなかった。簡単に言えば、社員が700人以上いればこそ、おおむねどの部署でも、労働能力者の欠員が生じるとことのない条件が必要なのである。
そこで、中小企業での職能資格給の導入ポイントは、仕事ができる人物の職能資格を最初に決めて、その許に職能資格の各級の線引きを手書きで行う訳である。まったく科学的数学的では無いのであって、現実的リアルに行うことであった。その「職能資格給もどき」で少しでも、(ここが瀧澤算織氏が口頭で伝承した部分で)、若年層の雇用確保といった基本構想を活かすわけである。生半可にセミナーに出席したり、形だけを真似ようとした場合は、いずれの中小企業も年功序列型賃金体系の言葉を職能資格に修正しただけのことになってしまった。そんな偽物は20歳前後の社員であって、誰もが見抜いていた。だから全国的に、中小企業の若年層対策とか新入社員採用が滞ったわけである。瀧澤算織氏が口頭で伝承が成否の分かれ目であった。そういった職能資格制度の導入は昭和60年過ぎの労働者派遣浸透まで続いた。

高度経済成長が終わり、昭和48年の物不足パニックになれば
もう一方では、いわゆる労働力の移動不適合が発生していた。
アメリカの金融政策に言いなりであった日本は、内面には巷の一般労働力の失業問題や不安定雇用を抱えていた。これに対して終戦直後は緊急失業対策事業で以て雇用と内需拡大を乗り切ったけれど、この時期に至れば内需を拡大する政策を持ち合わせていなかった。
そこへ、政府外部から公的就労事業を国が行い、失業者吸収を進めることで内需拡大につながるとの企画がなされた。そこには、失業している芸術家にも公的就労事業に加えようという構想であった。(そのときは誰もアメリカで1937年に芸術家の失業対策事例が存在した事は知らなかった)。これに対して、一人反対したのが、後の総理大臣森喜朗、彼はその後も反対し続けている。当時、その企画立案を受け入れた全日本自由労働組合(11万人余)は、昭和55年のオイルショックで東京、名古屋、大阪、福岡で、瞬時に1万人弱の失業者を職業安定所とは別に集める失業者闘争を開始。それを契機に、与野党の殆どの国会議員700人余りの公的就労事業賛同署名を集めて国会決議を迫った。与党の労働関係国会議員はそのために動いた。これに慌てた労働省本省が、労働省の存続を賭け回避策として練りあげたのが労働者派遣業である。当時私はその企画立案の渦中にいた。労働者派遣法の法律条文を作成したのは、信州大学の労働経済学の故:高梨昌教授であった。ところが労働省本省は、法案要綱を作成し、次はいよいよ法案提出かという時点で新日鉄のトヨタ自動車への7,000人派遣、三菱重工の三菱自動車への法案と完全に一致した派遣形態の存在実態を知るや否や、派遣「事業法」から急遽労働者派遣「法」として法案条文を作り直した。派遣法案を「業としない派遣」にまで適応させることとした。そこを明確にして国会審議を行わなかったことから、与野党ともに派遣法施行の重要性に気がつかなかったのである。なお補足だが、この全日本自由労働組合は、民間単組で組織人員40万人を有していた労働組合、国民年金や厚生年金の社会保険制度、日雇い雇用保険その他の、現在難問を抱えている社会制度の根幹立案に関わっていったブレーンを有していた。そのブレーンに対する私のインタビューから浮かび上がる社会保険とか雇用保険の制度の根幹をまた別の機会に述べる。
同時に労働者派遣と別に、「業務請負」という企画立案とその名称
を私が作り、スタッフサービス、テクノサービスという人材会社がその企画立案を実行した。
大阪の茨木市にある松下電器テレビ工場のパート700人解雇、同時に同じ茨木市内の松下系電気掃除機工場のパート人手不足が同時に起こっていることを発見して、その雇用対策に茨木公共職業安定所が手を出せないことから、その茨木職安所長と意見交換の上で、①「業務請負」企業にパート登録、②請負要件を発注企業に厳守させることでもって事業開を始めたのである。この地域は大手企業工場が数多くあり、こういった制度システムで以て合法的な労働者需給事業を行うこととなったのである。こういった事は全国的に公共職業安定所の機能マヒが起こっていたことから、パートタイムの労働力確保として「業務請負」が全国に一気に拡大したのである。猫もしゃくしも、「アウトソーシングと業務請負」となった。また、アウトソーシングも、私の企画で私が代表している、現在の株式会社総務部が元祖(ただし英語は後日にNHKの取材のときにから教えてもらった)。
この「業務請負」の方法は、当時の京都、大阪、兵庫、愛知などの職業安定所に受け入れられ、偽装請負(派遣法違反)とか偽装派遣(職安法違反)を受け入れていた派遣先に、職業安定所担当官はテクノサービスの「業務請負」を紹介し法違反の是正を図っていった。当時はテクノサービス外では「業務請負」の名称すら使ってもいなかったから、この方式は関東でも広がりを見せた。しかしながら、労働省本省はこういった動きを全国に広めるには至らなかったのである。その末端の職業安定所管轄ごとに生じていた課題を労働省本性が理解せず、対策も徹底しなかったことから、違法である労働者供給事業とか偽装労働者派遣事業又は偽装請負業者の乱立だったのである。労働省本省は、昭和61年の労働大臣告示「派遣と請負の区分基準」の変更を試みたが、当時の業界は死生観を不要であるとの事であった。私は某企業(名前が思い出せない)の依頼で「基準緩和よりも業務請負でのアウトソーシング思考導入が経済危機克服の重要」との小論文を2回にわたって執筆し、その冊子2万部が全国の主要工場に配布された。そのことで労働大臣告示(法律条文と同等の意味合いを持つ)の改正規制緩和を労働省本省は断念した。この労働大臣告示には、派遣と請負の区分基準の端的なポイントは、記載されていなかったから、私の執筆で「作業の工程における進捗管理を発注者が行っていれば派遣、受給者が行えば請負」と、公式書面になかった労働省本省の行動基準を明らかにしたのだ。
ところが、この翌年に根底から労働者派遣は意味が変わるものとなった。

「新しい労働者派遣」と銘打っての労働者派遣法変質
後に1999年の法改正は、故:高梨昌教授が説明していた派遣労働者の理念は「パートタイマーといった労働者供給では無い」といったことを覆す結果だった。
これに先立ち1997年職安法改正を引き継いで労働省の派遣業育成政策は終止符を打つことになった。「新しい労働者派遣」といった180度転換から、労働者派遣法立役者の故:高梨昌教授は反対運動に回った。そして私も、当初の派遣業理念を実際に充実させようとして全国で200弱の派遣事業許可申請の代理業務を行ったが、そういった雇用安定とは異なる事態となった事から一切の派遣事業許可申請その関連から手を引いた。この時点で、与野党や各派閥、連合、全労連、全労協などおしなべて、こういった動きに反応した関係団体は存在しなかった。

そして、今の格差社会が誕生した
この時点から格差社会が始まったとみる必要がある。
むやみやたらに不安定労働者を労働者派遣市場に組み入れることとなり、当然のごとく偽装請負(派遣法違反)とか偽装派遣(職安法違反)が横行することとなった。ある程度の職業能力を持った失業者を民間の労働者派遣システムで職業紹介しようとの役割は聞いてしまった。それは、派生的には生まれたものの事務系労働者派遣よりも大きな市場の存在であった「業務請負」にも、偽装請負(派遣法違反)とか偽装派遣(職安法違反)を蔓延させることになったのである。

以上がおおまかな戦後日本の労働需給や内需拡大、
ひいては格差社会誕生の背景である。このことの認識を全く持たずして、「働き方改革」を、表面ヅラだけ行おうといっても無理な話だ。それは雇用安定とか、大手企業も含め個別企業も労働者も大迷惑を被っている政策の分析をしていない姿である。そして、この労働需給の方向転換がアメリカの金融政策に追随した者たちによって主導されたのである。

「働き方改革」、その被害を受けないために
よって、
表向きは別として、民間個別企業は、大手であるならば中間管理職以下の末端においては、「働き方改革」の諸施策に対してサボタージュをしているのが現状だと判断できる。せいぜい人事部問題だから周りである。関係官公庁の民間人業務も相当のサボタージュをしている。中小企業は企業存続を賭けて最初から昔も今も、損を被らないように防衛している。今や彼ら全体主義者とその協力者が、「甘い囁き」を放ったところで真剣に協力する者はいない。せいぜい日本国中では「地位保身とか目先の金銭のために動く者だけ」と言っても過言では無い。すなわち、そんなことにつき合っていれば、個別企業の理念や経営方針に基づく組織が破壊されてしまって機能麻痺を起こすことが、感覚的に解かっているからだ。
「働き方改革」といった名称の名を借りただけだとしても、個別企業にとっては、自社で考えた現実的リアルな対策の障害になることは否めない。


§モリカケ事件の、身近な生活に直結した問題とは
それは1980年頃からアメリカを皮切りに世界に広まった、政治や司法判断での「手続き」の重要な問題なのである。
「手続き」とは、判断するに当たっては、正しいか間違っているかを吟味する前に、公平正当かつ客観的に明瞭な手続きを済ませていなければ、「正しいか間違っているかを判断するには至らない」
という現実的考え方で、これを専門的には、「法手続き」と言っている。ことに、「法手続き」が曖昧であれば、司法判断は「間違っている」、と裁定をする。
これに基づいて、労働契約の紛争、商取引の紛争、その他民法上の紛争、行政機関の取り締まりとか刑事事件、そして今回問題になっているのが所得税などの差配に関する予算執行手続きなどが国民生活に身近なのである。
この政治や司法判断での「法手続き」は世界各国に広がりは、(もっとも、それは先進国での国民の要望とも重なったのだが)米ソ対立にかかる判断での「法手続き」を必要としたし(議会決議)とか、東欧各国からソ連での全体主義崩壊を導いた生活概念でもある。
その反面、こういった手続きを採用しない者もしくは要求をしない政党や団体は、どの国であっても、その全てが極右極左集団とかカルト集団とか全体主義者に陥った。ISその他のテロリストは、その典型的な彼らの理念と形状なのである。
この25年以上の経過を持つ政治や司法判断での「法手続き」概念を、この瞬間の日本で全体主義者が、形骸化した行政制度を隠れ蓑にして、日本を独裁しようとの懸念が存在するから、ここに国民のみならず、与野党の中から不信感が生まれているのである。

国民または与党内部からの不信感が発信源である様相は
新聞やテレビなどのマスコミで取り上げる項目となっていることが間違いない。
そういった意味では、野党の追及する項目は、今述べた経緯の後の結果的範疇の行動であることには間違い無いのだ。
そこで興味深い事柄は、2つある。
①TwitterやSNSでの話題は、そういったことから額面通りにはならない。
出所の信憑性もさることながら、様々な勢力や情報機関がTwitterには入り乱れていることから、マスコミその他のジャーナリズム性の保証・担保されていないから採用できない、そういった発信源と解釈しても差し支えないのだろう。ジャーナリズム性の保証・担保とは、マスコミ各社や出版社その他ジャーナリズム団体が保証・担保した人物の発信であるとの意味である。ちなみに筆者は、「日本労働ペンクラブ」会員などである。
②発信源は与党内部からのものも存在するとはどういう意味なのか。
それは政界では誰もが知っている通念だが、政策対立や派閥争いは政党間同士の対立争いよりも、それ以上に自民党内部の抗争対立の方が激烈であるとの実態からくる事柄なのである。そのために、外部の政治勢力である極右極左集団とかカルト集団を自民党の派閥が資金提供するなどして、そんな勢力を使ってきた歴史があるのである。

意外にも与党内部者が極右も極左集団も大いに活用
しているが、この方法はフランスのナポレオンが考え出したとされ使用していた、とても効果的な方法であるからだ。戦前の満州国において、日本の官僚と関東軍は、トロツキー(過激極左としてソ連共産党が排除した革命家)を、優秀な政治教育者として招き入れようとしていた歴史事実もあるわけだ。ことに、日本の通産官僚は(倫理観が無いかのごとく)ソ連:計画経済の手法を満州や本土で真似るばかりか、全体主義の手法までも真似ていると考えざるを得ない点がいくつもあるのだ。その有名な人は岸信介(現首相の祖父)である。
もとより、全体主義者は差配する者であった。彼らは差配する官僚は、出世志向だとしても一枚岩ではなかった。現実的物事や世論の反対にあうと、官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突するのである。文部省の前川前事務次官の事件はその典型だ。全体主義者は権利や利害を守ろうとする頑強な社会層の抵抗に弱い。このような考察は東欧やソ連の全体主義崩壊の過程から、哲学者クロード・ルフォール(フランス)が実証研究を行い全体主義の特徴と法則的理論的解明を行っているのである。
https://goo.gl/K74duR

なぜ全体主義者は、ムキになるのか
ポイントを繰り返すけれど、「法手続き」といった民主主義手法が根付いている日本で、独り全体主義者の常套手段を使用している事実関係に国民も与党内部も反発しているということなのだ。
そういった陣立てにあって、彼ら「独り全体主義者+普通なら出世できない官僚+悪徳業者」の周辺には、全体主義者に焚きつけられ行動が粗野な無教養な理屈人間とか、幸せや人権よりも利益の満足(厚生)での幻想妄想に騙される拝金人間とかで渦巻いている。だが、彼らの得意とする短絡的な二元論とか、いずれが正義かといったレトリック(修辞学や詭弁)といった論理構成では、すっきり納得するような事柄では、彼ら自身すら自己矛盾に気が付いているのである。したがって彼らは、ただ上層に立ちたいだけの地位や保身に駆られるものだから、リアルな現実を突きつけられると、おとぼけ、ムキになる、強弁する、それは「騙し集めた子分の集団を維持する執着」として錯覚をもしているのである。
いわゆるネット右翼と言われる人たちの思考方法は、この二元論ばかり、現実のリアルとは異なるレトリック(修辞学や詭弁)でもって妄想幻想に浸っている。ネット右翼で生計を立てている様な人物は、どう考えても「現実のリアルを夢の中と感じ取り、彼らの妄想幻想を現実と錯覚している」といった域まで達している。それはカルト宗教団体の思考パターンと同じである。一方では、日の丸や日章旗に飾られた街宣車を毎日運行しているのは、大阪に限って言えば、某地域に居住する韓国人達の「地域産業?」である。そのことを、ネット右翼の彼らは知ってか知らずしてか。


【編集後記】最新AI音声入力機のパソコン導入
今回から、最新の音声入力機でパソコン入力することができた。ICT産業革命には素晴らしい作業や苦行の解決策がある。音声入力機を使って次々と文章を書いていく。最新型のソフトが15,000円弱。ほとんどロボットを操っている感覚だ。
最大の長所は、新しいアイデアを生み出すのに便利だし、頭のなかの整理や物事の説明をすることにも役立つ。これが本当のAI人工知能なんでしょうね。それに比べてIT企業の言うAIは怪しい話ばかりです。昔から、有能な人っていうのは、次々と文章を書いていたそうで、その集大成が名著になっているとのこと。私もその真似をしようって訳。近代が始まる前後当時は本を出版するといっても、当時の知識人は相手。かのフランス哲学者ルソーは「まともなやつは2万人に1人しかいない」とまで言っていたそうで、ルソー自身、その人たちを相手に本を出版していた。
ところが今はICT産業革命の真っ只中。SNSって便利なものもある。読みたくない人は読まなければいいし、参考資料として目を通せばいい程度のものだ。Twitterは気をつけないと、各国の情報機関や政治勢力の道具に使われていた経緯があるから、やはりFacebookの方がディスカッションしたり討論したりするのに便利だと思われる。音声入力では時折、英語がそのまま英文表示になってしまうのは、ちょっと具合が悪すぎるのじゃないかな。
北欧の国々なんかでは、SNSは民主主義を発展させる道具だと位置づけている。スウェーデン小学校の教科書にもそのように書いてあり、中学校の教科書では、その使い方もいろいろ学級ディスカッションするように書いてある。さすが、人口数百万人の国だけあって少人数で効果的な「人づくり国づくり」なのだ。そこの良い面だけを取り入れれば、非効率なことしなくても、様々な分野での発展とか利益確保、いちばん目先で効果的なのは無駄な投資や時間を、個々人のレベルから削減できることなのだ。
その例をあげれば
官民ともに官僚主義者や縦社会が、一方的に部下にメールをさせようとすると、メールとか処理を書く時間だけで数時間かかってしまい(ヒラメが上目遣いをすれば言葉の推敲選択に膨大な時間を要する。それが長時間労働、産業時間増加の温床になっている。そもそも営業マンとかに文章を書かせること自体が、まるでインスピレーションクイズをやれと言うようなものなのに、官僚主義者はそうやって自分の責任を逃れようとするのだ。
これでまた仕事にやり方が変化するであろう。
筆者は昔、病気のため気絶して川に落ちたことがある。それから3ヵ月間の車椅子生活。初めの1ヵ月少しは箸も持てない、肘はわき腹から離れられないほどに負傷した。それでも安静治療を行わなかったからこそ治りは早い方だった。その時、右手にテープレコーダー、左手に電話を持って、それで文章を起こし秘書のお姉さんに文字起こし編集をしてもらった。仕事のはかどるペースは、およそ3倍のスピード。次から次へと仕事をこなしていった。その時はたと気がついた! 仕事の効率が相当悪いということが判ったのだ。最新の音声入力機というロボットを扱うってイノベーションなのだ。
「最新型のソフトが15,000円弱」~これ、大阪の挨拶言葉、情報交換文化の一例です。

2017/10/10

第186号:経済も社会も重要局面の選択

<コンテンツ>
とんでもない経済成長の日本実態である。
ほぼ着地に向かった北朝鮮の処理
全国的な、売り上げ低迷、人手不足、更に製品不祥事
資本主義の本来的姿による経営管理項目
矛盾とか人間疎外の解決策を初めて示した論文
年功序列型賃金の誕生した瞬間、その記録と立案者。
  A.当時の電力発電元締め会社=日本発送電
  B.日本発送電社長Aは、幾度もGHQに呼び出され、
  C.電力供給をストップする、電力ストライキ
はじめて帝王学を学術出版した大学教授の話【書評】
     【役に立たちそうな幾つかの内容を引用】①~⑧


§とんでもない経済成長の日本実態である。
数字の上ではプラス成長が続いているが、日本の国民総生産GDP500兆円に対し、現在日銀が買い取っている国債の額は500兆円を超してている。政府が日銀から借金しつづけたのである。1万円札の紙幣を財務省が印刷し、日銀が銀行券として発行するのであるが、それを帳簿上行っていたとしても同じことなのである。日本だけが青天井なので、こういった方法を「日本化」と言っている。良い意味ではなく、金融危機を招く危険な警告としてである。そんなテコ入れをしても、この程度の経済回復しかしていないのである。
すなわち一般家庭に例えれば、年収分だけの借金を造り経済成長させているわけだ。個別企業の経営であれば、年間売り上げ3倍の借金があれば、帳簿上は経営破綻と見なされる。そう、国の財政赤字は1000兆円を超えている。それも、さまざまの統計資料には疑惑がある。求人は増え失業率が減ったとはいえ、日本人の総労働時間数は減少しているのである。でも、これだけサービス残業賃金不払いが蔓延していれば、その数字を信用して良いのかもわからない。短時間労働者ばかりが急増していることは確かである。年間所得84万円未満の人数も1000万人を超えたらしい。
高齢者の中には、もう一度、株価値下がりして、そこで買い替えれば利益が稼げると盲信している人は少なくない。だが金融ショックは近づきつつあるのが真実だ。今この瞬間は世界的に株価が値上がりしている。外国為替も円安に自然と向かっている。株価上昇と円安は日本にかかわりのないところで動いている、だからさらに恐いのである。
日本の資産がどんどん海外へ流れる。このままでは外国為替で円安が進み国内資産が減っていく。言っておくが、日本製輸出産品は円安になっても売れていない。東芝、三菱、日本郵政など次々に、原発その他の魑魅魍魎とした契約により、負債を抱え込まされ、大手企業の内部留保が直に海外流出している。筆者はその専門家ではないから把握しきれないが、おそらく目に見えていない形で資産流出しているであろう。最近は大手企業の大株主が外資となっていることもニュースにならない。それだけではない、リストラされた大手企業の技術者は中国や韓国に引き取られて、日本はじめ世界各国向け商品開発の技術を担っている。長年の尽力の末に育てられた人材資本までが、海外流出しているのである。


§ほぼ着地に向かった北朝鮮の処理
国民が軍人を尊敬するのは命を差し出しているからだ。戦争を支持する人は、子や孫を戦場に行かせるつもりで発言することだ。そうでなければ、無責任だ。その上での結末に、口を挟めば。信頼できる情報筋の情報はこうだ。
ロシアの石油で工業発展させ、韓国と共に経済発展、その製品をシルクロードとシベリア鉄道で、ヨーロッパや中東へ。この話は、アメリカを蚊帳の外にして、もう中露韓の間で決着している。日本政府はそれ知っている。南北政府のケソン工業団地も、再開との一報。
アメリカへの威嚇ミサイルは、アメリカむけ排除の策とも見られる。
……意味不明な対決姿勢の妄想に乗って、日本は世界経済に乗り遅れないようにすることが肝要だ。特に、関西経済は、北との密輸や取引が盛んだったのだが、今は我慢している。そういった経済問題は、安倍晋三の選挙地盤の下関周辺でも地元での争いが激しく絶えないとのことのようだ。


§全国的な、売り上げ低迷、人手不足、更に製品不祥事
こういった現象が同時発生するのは、長年にわたって業務改善や事業改革に携わり、その成果でもって生きて来た専門家からすれば、社員や従業員全般に関する労働意欲の著しい低落問題なのである。電通過労死、NHK過労死、日産の車体検査不祥事、神戸製鋼所の部品不祥事といった最近の事象は、形だけの経済成長を牽引している企業での出来事である。これについて、そういったことを認めたくない人物は、「気の緩み(キノユルミ)」と逃げ口上を吐き、それをマスコミが何も考えずに報道する。
筆者の結論めいたことからいえば、
ドラスティックに好循環の引き金を引くには、今の時点では労働基準法である。
いわゆる気の緩みが続出しているのは、「労基法なんて守らなくても、誰かが訴えを起こさない限り、大丈夫」といった現実である。少々の監督官の調査があったとしても、表面を取り繕えば差し支えが出ない現状である。だが、労働基準監督官の立ち入り危険性が遠のけば、業務管理の人的コントロールがズタズタに陥るのは事実だ。すなわち現場の数人の管理者や監督職の手抜きが蔓延して、売り上げ、人手不足、不祥事が蔓延するのである。ことに女性の多い職場では、この人手不足は、採用しても採用しても、お局が初めてをやめさせる。イジメで正社員採用しても数ヵ月以内にやめるのである。すなわち、経営管理の社内統制が取れていないから、経営陣の言うことを聞かずに手抜きが蔓延してしまうのである。とても問題なのは、日本国全体が世相を反映して、手抜きが蔓延していることである。
なので、これを改善改革する引き金は、労働基準法の適切施行だ。
経済政策としての課題は、不毛な労働時間削減で労働意欲と生産性を向上させ、不払い賃金の支給で内需を拡大させ、とにかく、日本が金融ショックに強い体質を造ることである。賃金だけをちょこちょこ上げることではない。
個別企業でも、不毛な残業規制をしてテキパキと働けるよう業務改善を行い、より職務能力の高い人材を抱えることが得策である。金融ショックの瞬間に、金融資産とか借金を抱えていれば被害が大きい。人材を抱え、売り上げをあげ、人手不足を解消し、今よりコジンマリで良いから頑強さを作りあげることである。
それをやり易い社会の形成にも、一肌脱ぐことである。個別企業は規制されるよりも「「無秩序社会」である方が金銭的には裕福になれるから、この半年は重要である。


§資本主義の本来的姿による経営管理項目
経営問題の柱は四つ、収益性、生産性、労働意欲、効率である。
素人は問題点をやたらと数多く羅列すれば、頭の疲れとともに満足感を味わって報告書を造りたがる。そんな無駄な仕事の量的成果が仕事をしている証になると錯覚している。業務改善や事業改革は、どれか一つの部分の引き金を引けば、一挙に好循環が始まる手法でなければならない。
つぎに示す「経営管理項目」を見ても、末端労働者=働き手の労働意欲にかかわっていることは一目瞭然である。経営者が訴える先はもっとも末端のもっとも下積みの労働者である。物理的新技術、飛躍性技術による新工場、AI人工知能機器などを導入するのであれば、人材と働き手は全員、入れ替えた方が良い。けれども、そこでの労働意欲の管理が出来なければ、旧態依然の結果しか生まれない。ここに悪徳な新技術や新機器を売り込むIT企業その他は、そういったことを錯覚するように話を持ち込み、結果は不用品を買わされる始末である。
企業経営は結果である。
この項目の、特に2項目目が、いわゆるコントロール(管理)の出来ていない結果なのだ。(総務部メルマガ7月号で説明)
http://soumubu1.blogspot.jp/2017/06/#182-09

「1」個別企業の、
    ①人的物的な技術力、
    ②優位な取引&貨幣転化の迅速手法、
    ③市場や銀行での信用創造
  を総合的に組織的に運用して資金回転率をあげること。
「2」その動きを形成・展開・まとめ収める、そのイニシアチブと実行力を個別企業内外での安定確保をする。個別企業で恒常的に実行ができるように、商品提供ネットワーク実行力も社内組織も独自で形成し、そのための人材(いわゆる監督職ではなく管理職)を確保定着させること。
「3」事業や資金への天才的投資チャンスの適時適宜性を磨くことに専念すること。及び日常的に個別企業独自の危険要因を探し出しておき、その危険事態(それは内部では分からない、だから外部の専門家)を予防すること。
……もとより、金融機関から投資資金を集め、さらに集めるために株式上場して、労働者の能力全般から「労働力」のみを使って製造とかサービスを実施するのだから、労働者の人格と相容れない心理(専門的には人間疎外という)が生まれるのは当たり前である。


§矛盾とか人間疎外の解決策を初めて示した論文
そして、どんな国でも働くということは「文化には違いない」のであるから、一本調子とか子供じみた「一強」で物事が回る訳がないのである。そういった矛盾とか人間疎外を、歴史的分析も含めて、初めて解決策を示したのが筆者の論文である。9月2日に京都の学術会議で発表して1ヵ月が過ぎた。学術誌に学者用の論文を凝縮させられて書いたから、一見したところ漢字アレルギーが発生して経営者や管理職じゃない人からは、すごい悪評である。読み通していただければ、おかげで、とても好評を得ている。そして不思議にも幸運なことに、この論文の理論を裏付ける証拠を集積し研究した書籍が出版された。「反脆弱性(はんぜいじゃくせい)」(ダイヤモンド社)、これが今月メルマガの書評である。
http://www.soumubu.jp/koyukachi.pdf


§年功序列型賃金の誕生した瞬間、その記録と立案者。
それは、昭和21年、筆者は生れていないけれど
今から話をすることが真実、その上で、この記録を見ていただきたい。
=個別企業の賃金体系や政策影響を考えるとき、
頭の片隅に置いていただければ、流行りの幼稚な賃金論理に惑わされることはない。
https://youtu.be/6Faf2TyFrdM
昭和21年当時GHQは、
対日本の政策の柱は、経済を後退させる方向に進めていた。
電力会社は戦争が終わって、戦争や軍部独裁で各地に左遷されていた経営幹部や技術者が国内に戻ってきていたから、有能な人員も大幅採用して産業発展や生活の向上に向けて、水力発電や火力の発電の技術蓄積と飛躍を考えていた。ところがGHQは日本の経済後退政策であった。日本政府はGHQの100%言いなりであった。
そんな時に考えたのは、今日で言う年功序列型賃金を編みだして、「勤続ではない年功給」を電産型賃金体系に組み入れ、有能な人材を蓄積することを方針とした。当時は、電力関係に約12万人が従事するが、人材の育成が産業や生活への送電技術には欠かせなかった。
https://goo.gl/AVYs7C
これをGHQは阻止しようとした。勤続ではない年功を積むことによって技術能力が高まることを期待する、「勤続ではない年功給」、言い方を変えれば、経験給的なのである。勤続年数や年齢が過ぎれば自動で引き下がる年功給の要素は、本来の年功序列型賃金にはなかった。現行厚労省のような、労働力を云々といった、意味も根拠もよくわからない代物ではない。加えてその当時は教育訓練といえば、職人技徒弟制度の時代であった。戦争で徴用され破壊された労働環境だったから、それを一からやり直すと同時に新技術の導入であった。

A.当時の電力発電元締め会社=日本発送電
私の伯父は本社の賃金課長をしていた。その労働組合が電産労組であり、当時の労働組合法は会社取締役外の、部長以下全員が労働組合員であった。著者の伯父も電産労組の賃金対策委員会委員長であり、電産労組の副委員長にもなった。その時に作り上げたのが、専門家が良くご存知の電産型賃金体系である。表向きは労働組合の責任者として、内実は労使一丸となってGHQに対抗し日本発送電の担当者として、私の伯父が取りまとめた物である。戦前に京都大学経済学を卒業した私の伯父は、賃金体系理論もなく、「職工事情」といた政府の戦前労働調査すら発行禁止にしていた時代であるから、ほぼ全てを基本原理から構築していった。その具体的説明は、次のYouTubeの18分ごろから説明されている。そこに登場しているのが私の伯父である。
https://youtu.be/6Faf2TyFrdM
後にこれを銀行各行が賃金体系で採用、さらに大手企業に次々と広まった。高度経済成長末期の、大阪の国光製鋼が日本で初めて職能給:職能資格制度を導入(考えたのはコンサルタント瀧澤算織で、私の師匠)するまでは、年功序列型賃金と名称を変更して日本で大流行したそれである。その経済性や利便性は、様々な書籍類に書いてある通りで、ここでは省略する。社会政策の第一人者である大河内一男教授が、この電産型賃金を年功序列型賃金との名称に一般化し学問的に理論化した。電産型賃金体系は、賃金のコンサルタントであれば、必ず知っている体系だが、これからの話はネットでは初めて公開する話、私の伯父からじかに聞いた話である。そう、どうして労働組合の作った賃金体系を大手企業がこぞって採用したか、その謎である。

B.日本発送電社長Aは、幾度もGHQに呼び出され、
言うことを聞かなければ戦犯にされかねない状況のなかで、煮え湯を飲まされ続けた。そこで、電産労組が表舞台に出て来たのである。電力政策、産業政策、人材確保の賃金政策を掲げているのは、そういった根拠だったからである。労使一体となって労働組合闘争を行ったのである。かといって電産労組は会社の御用組合では全くなかった。戦闘的労働組合だったという評価もあるが、当時の共産党員が組合役員に選ばれていたのは地方組織の一部だけ、電産労組の中央本部に彼らが顔を出すことは滅多となかったようだ。そして、その電産労組の実質交渉相手は会社ではなく、GHQ、民生局担当のマッカート少将(マッカーサーではない)であった。とはいっても、GHQに電産労組が出向けば銃で脅かされ追い返される。それを乗り越えてのミーティング(もちろん英会話)も非公式なものばかり。危険なときは労組幹部がMPに指名手配され、伯父さんもタオルと歯ブラシだけで東京駅から脱出・逃亡したこともあった。
GHQは、経済後退政策に基づき職務給の賃金体系を維持しようとした。それでもまだ当時は、CCS、MTP、TWIといった管理方式は導入されていない。ほとんどが科学とは無縁な生産管理方式を漫遊していた。確かに海軍の山本五十六はアメリカ:ハーバード大学に学び、大型艦船の操作のために、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」を導入したが、海部工廠では導入された記憶がなく、史実に記載されたものは今日JR鷹取工場位であった。テーラーシステムも科学的には骨抜きされた生産方式が散見される程度であった。GHQは、コスト・ブッシュ・インフレーションの原型理論を日本政府に押しつけ、日本政府が、「電産の賃金が上がれば物価高が始まる」とPRしだし電産労組は、当時としてはきわめて綿密に調査した上での賃金理論だったから、JR大阪駅前(当時の経済は大阪が中心)の街頭説明、各地での説明会を開催した。それが先ほどのYouTubeの場面である。今では考えられないことだが、日本発送電、その配電会社(関西配電=関西電力の前身)など社員でもないのに、当時の終戦直後は多くの人が説明を聞いて、電産労組の説明に納得したとのことだ。これが、その後の金融機関や一流大手企業への導入を切り開いたと考えられる。確かに政府の「賃金上昇→物価高」理論は、もとよりアメリカでの理論が幼稚であり、GHQに押しつけられただけで、日本の経済学者はタッチしていないから、当然、国民が納得するわけではない。また失業対策事業も最低賃金制度もなかった時代であるから、「最低賃金理論」と大見得を切って説明したことが確かではあるが。

C.電力供給をストップする、電力ストライキ
これが決定的に、電力政策と人材確保の賃金体系に決着をつけたのであった。
ところが実際は演出、名ばかり停電、もとより狙い目はアメリカ軍施設だ。その電力停止ストライキのタイミングを示したのは、GHQに呼び出されていた日本発送電の社長Aが、GHQからの帰りに電産労組の組合事務所に来て電力スト体制を固めた。固めたという意味は当時も今も同じだが、電力は会社の給電指令所からの指図で工場一つずつ、病院ごと、町の小さな一角ごとに給電を止めるわけである。一斉に給電のOFF・ONをすると電線などの破損や火災を起こしてしまう、古く壊れた設備や古い電線がどこにあるか電力会社ではわからないからだ。福島原発事故後の電力不足とのことで、一定地域が停電になったが、そんな事象は作為でなければあり得ない。会社の通常の正規の指揮命令系統で給電指令所の指図の元電源を落とした。その表向きは電産労組の組合員が電源を切ったように見せかけ宣伝を流していた。数10人がロープを持ってブレーカーを引っ張って落とすウソの写真もばらまいた。数10人ならば誰が本当に力を入れてブレーカーを切ったかが分からないからと電産労組は説明していた。余談だが、1970年当時も戦闘的労働組合?と称する組合員教育の文献には、その写真が掲載されていた。
当時、何度も繰り返される電力ストの演出、十数回目の最後の電力ストは、アメリカ軍施設だけ(それもアメリカ軍病院を外し)給電をしない手順の電力ストであった。電産労組は、日本政府からの攻撃にさらされながらも、GHQに打撃を与え、現在の電力産業の基礎をつくった。そのことをよく知ってか、日本の世論は電産労組とか電力ストを応援したとのことである。日本発送電は、戦前の国策会社系で、今でいう超エリートの会社であった。その後、昭和24年5月16日の国会衆議院での、電力につき「企業の能率的運営並びに労働意欲の昂揚に対して必要な措置を講ずること」との全会一致決議に至ったのである。現代ならば、国会がそのような名指しの決議を行うことは考えられない。そう、結果は物価上昇はなく、電産型賃金を大手各社が導入したのであった。

このYouTube映像は電産労組の作成となっているが、こういったことを念頭において、当時の人がアメリカとどう立ち向かったかを見てほしい。昭和21年からの記録映画、産業物資どころか食糧難の時代に、どうやって長編フィルムを労働組合が入手して作成したのか、その謎は今述べたとおりである。
(ちなみに、伯父の父親、私の祖父は、元駐日大使ライシャワーの友達)。
18:30頃、私の伯父は、電産型賃金をみんなに説明しています。
https://youtu.be/6Faf2TyFrdM


§はじめて帝王学を学術出版した大学教授の話【書評】
現在、ニューヨーク大学の工学部門の教授。
ナシーム・ニコラス・ダレブ 書籍名は『反脆弱性』(ダイヤモンド社)。
著者は金融トレーダーでの実績もあり、自己紹介に「ギリシャ正教の一家に生まれ」として、パリ大学で博士号としている。レバノンのベイルート生まれ、叔父は外務大臣とのこと。ギリシャ正教およびベイルート商習慣は度々登場するが、そういった予備知識を持って読んでみると、とても貴重な資料研究となっている。ベイルートは、彼によると5000年の歴史を持つ商業都市で、街を全面破壊されたのは8回目、現在1975年の全面破壊から再び復興を成し遂げたという。ベイルート周辺は1万2000年にわたって繁栄をしたという人類学的歴史的場所だ。
先ほど、なぜ資料研究と言ったかといえば、この本には結論がないからである。結論を求めないのは、フランスの影響を受けたベイルートの土地柄や更にパリ大学出身といった、米英式とは異なる彼の科学思想だと思われる。出版社は自ら絶賛の推薦をするが、思想:哲学や社会学の理論書には登場する「仮説的論理」を経済・経営・数学の視点でもって、具体的に集計して法則を工学的に導いている。かつ基礎理学や基礎理論のない工学については徹底して批判している。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO20384120V20C17A8MY5000/
とても中身が濃いから、未だ著者も詳細に読み込んではいないが、目前の金融ショックとか、南海トラフ地震が近いとの最新情報の中、この著作の内容紹介はとってもタイムリーと思われる。この本の著者ではないが、「都市は地震や天災で滅んだためしはない。低俗な社会や文化で再建はできない」といった趣旨のことわざもあるからだ。

【役に立たちそうな幾つかの内容を引用】①~⑧
カッコ内は筆者むらおかコメントである。ではどうぞ。

①科学研究者が、「自分のアイデアが現実世界で応用も可能だと思って、自ら実際に日常生活で、そのアイデアを実践しているか?もしそうならその科学者は本物だ」と言っている。そうでない応用可能な学問をやっているとすれば無視するか、注意したほうがい。
(経済経営学では、どこかで見た話を、学術用語らしき言葉をちりばめて書いている、統計数値のみならず過去の有名学者や有名理論をことさら並べている、そういった物が怪しい。日本の大学や大学院では、そんな論文やレポートが学位や卒論では有利と言われている。学問的には、注意し綿密に論証したうえで、「あぁっ、そんなこと知ってる」と言われたものが成功(理解され利用される発明)なのである)。

②現実には、売れない品物のために、マーティング手法が存在している。
(…でも本当は、経験的勘に頼る市場調査を科学的に高速化した物。この人の言うとおり、今の現実はマーティング請負業者が、発注者の意に添うように数値を捏造する。それが大量売上げの源だから)。

③「確率的な理解に築かれたシステム」これは、いわゆる幻想であり崩壊しやすいという学者(この本ではネロ)の言葉を紹介している。また、「自信過剰のパイロットは、いつか飛行機を墜落させる」とのトニーの言葉も紹介。この本の著者は、数字的予測に頼る人が高いリスクを冒し、トラブルを招き、破産崩壊を招くのが目に見えていると言っている。そして、他のページでは「少ないほど豊かだ」と書いている。
(すなわち、90%確率だとしても、「傾向と対策」~AI人工知能でもって過去の傾向を集積し、AI人工知能でもって過去の対策を導き出しても、人類にとって役には立たないと言っている。95%の意見と5%の意見を、同列に扱うことも判断ミスが原因、加えて、物事のプロセスを無視して結果を言いたがることこそ幻想にすぎないのである)。

④デブのトニーという登場人物が出てくる。ほとんど彼は働かないが巨万の富を出た人物として。彼のカモは、オタク、役人、特に銀行家だそうだ。理屈で勝って気持ちの良いという奴がカモ、理屈の勝ち負けを気にしない奴はないと言っている。この本の著者は「カモは自分が正しいことを証明しようとするが、カモでない奴らは金を儲けようとする」とトニーを紹介している。
(…「金持ち怒らず」の日本のことわざ、誰も実証研究していないが、余裕を持っているばかりでなく、聞いた話を聡明に分析する能力があることは確かだ)。

⑤デブのトニーは、あれこれ話す人の脆い(もろい)状況を嗅ぎわけると紹介している。見ただけで判るそうだが、トニーは犬のように近寄って嗅ぐ癖があるらしい。
(…著者には分からないが、脆い人達は、何か臭いのもとを分泌しているのだろうか。この人を避けた方が良い場合に臭いがする。よい匂いの人もいる。恋をすれば匂いを発する。脳科学の分野では、「動物は匂いを間違うと危険だから間違わない」とされている)。

⑥「戦争を支持する者は、少なくとも一人の実子か孫を戦場に送ること」、そうではない人物は信用してはいけないとしている。ローマ時代に建築家は、「自分の建てた建築物や橋の下で、しばらくその下で過ごさなければならない」との倫理があと紹介している。

⑦「リスクを冒して失敗した人は、何もしない人より地位が高かった」と述べ、「学者は、基本的には学術誌に論文は出せても、リスク管理能力は萎えてゆく」と学者の職業的弱さを指摘している。この本の著者は、「みんながそうしているから」とか「ほかのはそうやいる」との主張の仕方が、バカバカしい行動や単純な判断ミスを、個人では起こさないのだが、集団では起こしてしまうと、きっかけと特徴を示している。として、個人に対してはギリシャ正教の聖典の趣旨、「集団に従って悪事をなすことや、集団に迎合するために偽りの証言をすることは罪だ」と紹介している。
(この本の著者は、結論を示していない。だが、倫理問題について、約700ページ中70ページを割いている。←そして彼は、こういう説明の仕方こそが誤魔化しであり、危険だといっているのである)。

⑧結語の章でこの本の著者は、次の趣旨を述べている。
イ)専門化や形骸化のせいで、本物のアイデアを完璧に見落としている。
ロ)全てのものは、変動性において得又は損をする。
ハ)脆さとは変動性や不確実性にもろく、だから損をする。
ニ)肩書目当ての教育や教育者は、無秩序が嫌いである。
ホ)不確実性で得をする代表格が、物理的イノベーションだ。(経済産業省は物理的イノベーションのみをいう、文化や人的組織的関係を含んでいるにも関わらず)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO20384120V20C17A8MY5000/

2017/09/05

第185号:問題提起:ICT産業革命の変化に立ち向かう

<コンテンツ>
一旦下降する経済社会の中でも、地に足をつける
門前ばらい! が相次ぐ 労働基準監督署の窓口
  ・本年度の新人監督官の現場配置を控え現状次の通りだ
  ・そこで、厚労省の本省監督課に電話インタビューしたところ
  ・さて、ここからは、監督署に対する実務の専門的話
  ・実務のポイントは 次の三つである。
  ・この場合の根本的な錯誤は、監督官が業務を「こなす」
マイナンバー関連情報 (専門業者は投資回収できず?)
学術論文:「固有文化価値を生み出す労働価値と、その交換の仕組み」
  §1.世界最初に芸術性を産業に持ち込んだ経営者
  §2.「地方経済の起死回生」の取り組みのヒント
  §3.「新型女性労働」 とはどんな働き方?
  §4.学術専門家向け補足説明(この先は極めて専門的、必読推奨しません)


§一旦下降する経済社会の中でも、地に足をつける
社会の機能が空回りをして麻痺する中(この差異詳細省略)で、地に足をつけて着実に経営や生活の基盤を固めることが大切である。意地になって、トップの座を維持するとか、地位を維持するとか、あなたの身近でもそんな人たちが派手な動きをしているのは、8月後半から著しい状況である。恐らくそれは日本全体の世相だろう。(社会心理学としても)人々は、そんなに個性的ではなく、そんなに我が道を行く人ばかりではないから、そういえるのである。さて、
そんなときに、地に足をつけて着実に基盤を固める人たちは、転落をすることがない。着実に基盤を固めるために生活保護の申請をするのも、敗者復活を認める憲法に基づく権利で、安定した近代社会を作り上げて来た人類の知恵なのである。確かに善悪を問うことなく、人がやらないことをすれば、確実に不幸からは脱出できる。ところが、良心(Conscience:フランス語読み)に基づくことがなければ、一瞬の成功はあり得ても、明日には抹殺される可能性は高い。有名な例が、ホリエモンや橋下徹元大阪市長である。
この良心(Conscience)は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、そして仏教の一部にも内在されたグローバルな共通理念である。日本国憲法の、多数決で決めてはいけない基本的人権という権利は、この良心(Conscience)から記述が始まっている、そこには意味があるからだ。
さて、あなたは、今から更に下降する経済社会の中で、どんな行動を行いますか。


§門前ばらい! が相次ぐ 労働基準監督署の窓口
はてさて、その本当のところは何なんだろうか。労働基準監督官の、単に人手不足とかとは考えられない。ある情報筋からは、「監督官を増員をするが、就業規則作成整備とかの契約行為や民事的な動きを行う方向に厚労省は舵を切っている。実態としては摘発には重きをおかない」との転換を、厚労大臣が行ったとの話がある。ただしこれは、大手マスコミ関係で流れる厚労省関係のガセネタとは情報筋が違う。
だが仮に、現在の労働基準監督官に、契約行為や民事的な判断や動きを求めたところで、所詮は民間企業で働いたこともない公務員であって、まして民事法のマニュアル:要件事実や要件事実論など教育を受けている者は皆無に等しい。従って、「厚労省が舵を切った」と言っても、仕事をさばく質量が落ちるだけではないかと懸念される。それにも増して、労働基準監督署窓口が次に示す通りだとすれば、実際に監督署の窓口を訪れる人に限っての、「紛争解決機関」に変質している、すなわち公務員の民事介入(違法行為)の効果と揶揄されても仕方がない実態なのである。

本年度の新人監督官の現場配置を控え現状次の通りだ
残業不払い、パワハラ、長時間労働の訴えが相次いでいる。が、どうもここにきて労働基準監督署の監督官から、「電話で門前払いされた」との声が多く出されている。共通している酷いケースは電話による訴えを行った場合などである。
労働者が労働基準法などで相談したいといえば、総合労働相談コーナーに来いと振ってしまわれる。それはまだしも、監督官人員が少ない中での行政サービスとしては仕方がないかもしれない。
ところが、「法律違反だと思うから何とかしてほしい」といったことになると監督官は、電話では話を聞かない、名前を名乗れ!、監督署に来い!といった返答が即座に返ってくることが多いようだ。
第一線は退くものの現役監督官の言い分は、
「本人でない家族から訴えられても話が曖昧だ」とか、
「ガセネタかもしれない」とか、
「会社調査いったが、空振りに終わるかも」とか、
挙げ句は「曖昧な情報で監督官が下手に動くと、会社側に隠される」
といったふうな、まるで素人の専門職らしからぬ理由が返ってくる。
労働基準監督官は司法警察権を持っており、たとえて言えば通常の警察官でピストルなど武器を持ってないだけの公務員である。さらに、ある最前線の監督官は、個人の金銭などの利害がかかることだから、「調査に入ったときに氏名が分からなければ(事案本人の)特定が出来ない」と監督行政の曲解を言い出す始末である。まるで法律で禁止されている民事介入そのものを話しているのである。

そこで、厚労省の本省監督課に電話インタがビューしたところ
そういった、電話では話を聞かないといったようなことは、本省から指示していないとのことである。
本省監督課とは様々意見のキャッチボールをしたけれど、“電話では話を聞かない”とか“名前を名乗れ!”と発言するような監督官の存在が、本省監督課からすれば信じられないようである。東京、名古屋、大阪といった大都市部の監督署では結構発生していることに気がついていないのも確かなようだ。確かに官僚機構は、上の方から下を見ても末端現場が分からない仕組みには違いない。
本省監督課は、「電話であっても(情報)記録は取っている」と話す。
だが、門前ばらいをして会社名とか訴えの内容とかを聞くことがなければ、現場の監督官の(情報)記録を取る手間の省けることは、大いに考えられることだ。それはよく見受けられる公務員のサボタージュである。
私が本省監督課に、「電話情報でも、キーワードを電子記録に残し、全国集計のビッグデータをとれば、傾向の判断ができたり、事件の当たりを予測もできるのではないか。そうすれば、監督官の人手不足も解消できるのでは」と語ったところ、確かに本省監督課は耳を傾けた。だがこの建議への直接の返答は無し、今の実情では出来ないことは確かに理解できるものであった。
本省監督課が強調したかったと思われることは、私の意見交換の中で、
「電話をかけて来た人の周囲で法違反があるから何とかしてくれ。という話は重要です」
と語ったことだ。これは最前線の監督官の、“労働基準法の申告制度を、単なる個人の金銭などの利害問題に矮小化する傾向”をはっきりと否定したものである。

さて、ここからは、監督署に対する実務の専門的話
ここまでは専門家同士であっても、素人の世間話域だ。
まず、門前ばらいが絶えない或いは増加していることは調査データがないとはいえ、インテリジェンスとしては存在する事柄だ。そのような思考パターンや曖昧さと矛盾に満ちた論理構成に労働基準監督官が陥り、その影響で社労士などの専門家が混乱をきたす原因を、ここでハッキリさせる必要がある。下世話な話は、巷に数多くの書籍出版がされているが、この際は無視して差し支えない。

実務のポイントは 次の三つである。
①民事法上の考え方や裁判例を監督官が熟知しているわけではない。
一方で、弁護士、社労士その他人事担当者は民事上の損害賠償に関心が高く、労働基準法の刑事法上の構成要件などが詳細には解らない。はたまた勢い、監督官の話からは民事法上の根拠もない会話が飛び出す。
②労働基準監督官は労働基準法の告訴・告発にかかる書類送検に論理が集中。
すなわち刑事法上の構成要件をハッキリさせる視点である。刑事法上の構成要件は民事法で話題となる要件事実とは異なる。本来、要件事実は終戦直後に裁判官の審理マニュアルとして開発された方式で日本独自のもの、今なお、その審理マニュアルとしての限界から裁判所は脱していないでいる。ここに弁護士や社労士の論理構成(が成立したとしても)、それと監督官の構成要件による説明との食い違いが生じるのである。
法律の目的や理念が異なれば、手続きはもちろん全てが変わる。例えば、タイムカードで労働時間管理をするとする会社の賃金支払義務は、タイムカード打刻時間の通りとなるだが、これは民事裁判での審判である。ところが、所定時間外に明確な労働を指揮する指示が出ていない時間帯での拘束時間は、タイムカード打刻が存在したとしても、一概に労働をしていた事実が認められないこととなるとの判断が、刑事法上の構成要件である。この場合、検察庁への書類送検そして起訴は行われなくても、民事上の債権債務は存在することとなる。民事法と刑事法の違いといった具合だ。
③監督官の「監督指導」の業務は、昔から問題にはなっていた。
それは、労働基準法で法定されているから仕方がないのだが。片や刑事法上の監督権限で会社や労働者と会話をする、他方では指導として労働基準法周知及び法適用を促進する論法である。すなわち権限や法違反の有無をかざすだけでは円滑に進められないとされる業務。取締りと法的を促進の両方が存在するのである。この段階で監督官は曖昧な話をしてしまうのである。
そのため昔は電話で、「30日分さえ払えば、解雇出来ます」と、何らの疑いもなく監督官は話をしていた。ところが、それを信じた使用者が労働者を解雇したところ、裁判所で会社は敗訴するわけであった。
最近の監督官の会話では、「労働時間の記録をつけることは会社の義務」と言い切るが、記録は労働時間や賃金支払の根拠となる記録というだけのことであって義務ではない。記録の義務化をする労働安全衛生法法改正の話題が流れているだけである。“タイムカードを打刻させるのは会社の任意業務命令であって、打刻により賃金を支払うとの任意契約を会社が行っているに過ぎない”といった解釈が裁判例の定説なだけである。契約の自由に基づいて会社には統治権があるから、社員にタイムカード打刻させる権限は在る。そして、自ら決めた時間管理の方法により賃金支払などを行う統治義務も存在しているのである。このあたりは労働基準法とはまったく無関係である。しかしながら、労働基準監督官には、そういった仕組みの解らない人が多い。
要するに、①~③を抱えているのだから、ただ単に聡明なだけでは、労働基準監督官であるなしに関わらず、いずれの立場を問わず、物事を「こなす」ことが出来ないのである。

この場合の根本的な錯誤は、監督官が業務を「こなす」
といった、画一的ルーチンワークで業務を進めようと監督官業務を矮小化するところにある。だから、忙しいから手抜きをする監督官とか、
刑事法上の構成要件が頭を支配しているから曖昧となりやすい電話の話はしない監督官とか、
個人の金銭などの利害問題に矮小化する個人的本音を吐露する監督官とか、
そういったさまざまな理屈で装飾した言動に、労働基準監督官が陥ってしまうと考えざるを得ないのである。それは労働基準監督官の頭脳レベルが低いのではなく、独特の仕組みを持つ労働基準行政の総督府の問題であって、単なる官僚機構といった運営技術では補いきれない課題でもあろう。
そして、弁護士、社労士といった専門家は、
監督官とは異なり公務員ではないことから、何らの異議なく自律する公民である立場から、こういったことを充分念頭に置いて業務を納める、より高度な職業能力を必要とする。加えて法的にも弁護士、社労士は免許制度ではなく登録制度である。よって、いわゆるこれは倫理ではなくは職業道徳の課題に至るのである。決め手は労働能力の前提として、我々は自律することがポイントとなる。「自立」は自ら意思決定でき自ら働くことで、「自律」は自らの行動基準と目標を明確に持ち、自ら規範を作り出すことである。


§マイナンバー関連情報 (専門業者は投資回収できず?)
やはり、社労士関連業務の大手でも、マイナンバーは、とても微妙な事業であったようだ。全国社会保険労務士会も音頭を取ったのだが、社会保険労務士労使個々の実態は「笛吹けど踊らず」といったところであった。そもそも、士業資格業の共通原則は少なくとも、この半世紀においては、法的な権利義務が存在するところにビジネスチャンスがあり、ことに法改正はビッグなチャンスである。ところが、マイナンバーは、企業にとって権利義務の無い制度、そこに怪しげなIT企業がウロチョロしたとしても、所詮は法的担保能力がないビジネスであった。
1.財務省を除く各省庁の本省官僚、都道府県・市町村自治体の公務員、彼らの多くが、面従腹背、大抵抗を今も続けている。現実的物事や世論の反対にあうと、官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突するといった、歴史の法則、これが今もなお繰り返されている、それは文科省だけではない。今まで延期され、この秋実施の初の「個人番号の連携事業」も再び、省庁のプログラム作成瑕疵が今頃発見?され、約1年の来年まで延期となった次第である。本省官僚たちの面従腹背も必死である。
2.更に、全国社労士会の「瑕疵多かりし就業規則のひな形」は、企業の有益性や事業効率を無視した内容であった。これは、事業主には法的権利義務がないのに、社会保険労務士が、「人(事業主)のフンドシで相撲をとる」という、一目瞭然!(倫理の規定がないとはいえ)、業務道徳にかかわる問題が存在していたのである。マイナンバー制度は事業主に義務や権利を課すものではない。もちろん、個人や家族も法律的には任意制度である。それをあたかも「必要な物事?」かのようにPRすることを全国社会保険労務士会は、音頭を取り、営業ビジネス材料を提供したのである。社会保険労務士は登録制であり、免許制ではない。よって厚生労働省の外郭団体ではない。弁護士会と同様に独立した自治組織である、少なくとも法律の上では。だから私の場合も、事業主の利益に反する労働者の利益に反するとのキャンペーンを張って来たのである。私どもの契約先などには、マイナンバーに係る投資又は損失を与えることを避けることができた。
3.更に、実施する段階になって初めて、家族の個人番号を世帯主が会社に提供することの法違反、自治体の責務である住民サービスを優先させ個人番号による世帯収入の名寄せ把握は後回し、マイナンバーが医療行為の実務に誤診を生む(病名で全ての疾病や傷病が語られるわけではない懸念)から医師会使用停止など、マイナンバーの欠陥が露呈できたのである。マイナンバーの苦肉アイディアは、未だ出されるものの、肝心の個人情報保護法に反する物ばかりが目白押しなのだ。個人番号の安全管理体制が整わない企業が個人番号を集めれば個人情報保護法違反だ。社員に家族の個人番号を持って来させても同法に違反、窃盗罪にも該当する。だから個人番号を集めていない旨を税務署、市町村その他に、用紙に添え書きする程度で告げれば差支えないのである。そうすれば誰もが法律に違反することもない、行政機関の公務員も仕事をしていることにもなる。
https://www.nikkei.com/nkd/company/article/?DisplayType=1&ng=DGXLMS3802H93DV20C17A8000000&scode=3802&ba=8


§学術論文を発表:
「固有文化価値を生み出す労働価値と、その交換の仕組み」
この9月1日学術論文を学術学会誌に掲載、翌9月2日の日本学術会議指定の学会で発表。
全国の書店で注文いただけます。(書店注文:書籍番号ISSN2185-3665 国際文化政策第8号)

http://www.soumubu.jp/koyukachi.pdf

今回の学術論文は、経営実務に特化した内容を学術論文にまとめ直したものです。内容は、今年1月ごろからの「総務部メルマガ」の記事内容と相違はありません。
1)最終消費されるモノやサービスに芸術性を持たせると、「売れる商品」になることを科学的に明らかにし、そのメカニズムを説明しています。そのために、芸術とまではいかなくともアート域労働に対する報酬(労働者への賃金源資)の確保の方法とか、芸術性を生かす初歩的社内教育にも触れています。そこには、商品の“売れる会社”と“売れない会社”の差異がどこにあるのか、それを明確に解明しました。
2)①スキル(技能)、②パフォーマンス(職人技)、③アートArt域労働と、あえて労働概念を三分野に分解することで、教育・育成内容と労働能力発揮の方法が明確になったわけです。アートArt域労働の取引を「貸与契約又は所有権譲渡契約」とすることで流通が活発になること。こういった能力の持ち主を、ICT産業革命の中で手っ取り早く集めるには、「新型女性労働」の人たちであることを、日本ではタブーとなっている、「資本主義の本来的姿による経営管理項目」の視点を踏まえて学問的証明も行いました。これらは思いつきではありません、筆者をはじめ当社(株式会社総務部)の約40年にわたる英知と実験の成果です。
3)9月2日、京都での国際文化政策研究教育学会発表においては、大学教授、企業代表者その他研究者から相当の好評をいただきました。世界的な新学説と斬新内容であるとともに、経営や実務の最前線の方からは、「直ちに使える」とか、日本の学術や経営でのタブーがよく理解できたとのご意見をいただきました。論文掲載の学会誌も、たちまち在庫が無くなり増刷に入るとのことです。

§1.世界最初に芸術性を産業に持ち込んだ経営者
固有文化価値商品とは、誤解を恐れず短絡的に表現すれば、
「少しなりとも芸術性を持つから、長期に広く売れる商品群」といったところである。
A.これを実際に事業として成功させたのは、イギリスの壁紙とか家庭雑貨で有名な「モリス」と言われる、ウィリアム・モリスのモリス商会である。彼は、「人間は感情の起伏がなければ生きていけない」と主張し、美術面での芸術を工業デザイナーに取り入れた。人間が価値創造を行う活動と平行併設して、生活の中に様々な芸術を取り入れ、そのことで経済活動にまで育成させ、社会を構成する必要と需要を産み育てる事業をやって見せたのである。
B.先日、国際労働機関(ILO)の事務局長G.ライダーは(2017年5月12日東京)、「仕事の未来を考える論点」を、a.仕事の個人化と社会影響、b.全世界の仕事量、c.商業的請負化へのシフトか否かと、3点を基調講演で示している。その意味では、固有文化価値商品は経済先進国が取り扱う、さまざまな観光産業をはじめとし、その他でも世界経済を牽引する規模になりつつある。
C.モリスは当時、工芸職人らの猛反対&妨害受けながらも、商品に芸術性を含ませて壁紙などから販売を始めた。18世紀中ごろは、現代のように経済学や経営学あるいは商品に関する学問がなかった時代であるから、試行錯誤、迷信や世間体からのモリスらへの猛攻撃、関係者の私生活スキャンダルまで利害関係者から取り沙汰された。だが彼らは貫き、これが世界の工業デザインの元祖となり、商業デザインの世界にも広まったのである。日本各地に店舗がある“モリス雑貨”のブランド:ライセンス商品である。
D.ところで、モリスの妻は、映画「マイ・フェア・レディ」(オードリー・ヘップバーン主演)の実在モデルである。当時の駄馬の世話をする「馬てい」従業員の娘であったが、下町で拾われ認められ、映画のように芸術に語学など多彩な能力を身に着け、モリス商会のメンバーとして活躍した女性である。
E.筆者は、そういった映画「マイ・フェア・レディ」のことを“モリス雑貨”の何人かに話すのだが、未だ知っている人に出会ったことがない。「あのマイ・フェア・レディの御主人が“モリス雑貨”なのよ」と話せば、まず団塊の世代より上の人は映画を知っているだから、もっと“モリス雑貨”の商売に役立てるブランド営業トークに使えばと思うのだが。“モリス雑貨”の商品地位が、お高いのか?商売下手?なのか。

芸術の文化産業開拓者(net引用)
ウィリアム・モリス 映画:マイ・フェア・レディ ジェーン・モリス


§2.「地方経済の起死回生」の取り組みのヒント
9月2日、学会での発表の当日、実務研究の方からは、「全国各地のそれぞれの地域事情があるが、それはどうか?」との貴重な質問をいただき、次の通りの追加報告を行いました。
地方経済の起死回生には、
各々の個別企業での固有文化の測定作業をすればよく解り、その項目(草案)は次の通り。
①地域思考性の特徴を測定(数値や証拠に拘らない、合理一貫性&事実一致性が必要)
②知識及び知恵の質量を測定(数値や証拠に拘らない、合理一貫性&事実一致性が必要)
③共感作用Empathyにたいする共感精度を測定(社会心理学&脳科学・神経科学)
④個人の自律性について測定(基本的人権と民主主義実施状況の度合い)
※感情の虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)へのすり替えに注意


§3.「新型女性労働」 とはどんな働き方?
また、これについてのご意見も活発でした = 「新型女性労働」の経験則例示=
1.明確な労働契約、その内にも労働時間を日々調整する権利を認める。
2.仕事の出来仕舞い方式、職種によれば自宅で働く習慣の権利を認める。
3.同僚や管理職との意思疎通のeメールは止めチャットやインカムを使う。
4.自らの行動基準と目標を持たせ、その規範を自ら作り出す権利を認める。
5.年間や月決めの手当に、(後述する)アートArt域労働の貸借契約を含める。
6.パートも管理職や専門職に登用し、管理職給や専門職給の賃金を支払う。
7.他人や社会への共感作用と共感精度の程度を正当な労働能力として認める。
8.どんな仕事もアートArt域労働が欠ければ品質低下、売れない結末を説明する。
9.スキルは後で身に付く、パフォーマンスは練習すればよいことを認識させる。
10.アートArt域労働の基本を知ること、その能力を向上させる学習施策を行う。
  (例)服装は絵画、アクセサリーはアクセント装飾、それらはデザイン力向上
音楽リズムは話し上手、リズムと拍子は異なり、唄が仕事の品質を決める
詩は共感作用の物語、それは品物の意味を語る。コンテンツの芸術的表現
 (地味に、地味に、そして最後は艶やかにまとめる、それが基本方式)
「労働時間を日々調整する権利」は、20世紀初頭に、イギリスの経済学者マーシャルが提唱しているとの教授を会場からいただきました。現在オランダでは、労働時間調整法によって、仕事共有(ワークシェアリング)が、2000年ごろから職場のチーム単位で実施されることで、各人の自律心が高まり、結果として、オランダのGDPの伸び率は、日本の倍に至ったとの報告も行いました。会場からは、「男にも新型労働が必要ではないか」との指摘もされましたが、私は、「本日配布の論文本体の、妻の隷属問題」が頭にあったから、曖昧な返事をしました。要するに筆者は、妻の隷属を見ずして、単なる労働時間短縮や女性の社会進出の施策を実行したならば、問題となっている超過労働時間とか男女参画や家庭破壊は一層進まざるを得ず、複雑化すると考えているからです。


§4.学術専門家向け補足説明(この先は極めて専門的、必読推奨しません)
学術学会の当日セミナーに、ご参加いただいた方への補足説明 (20170902 村岡利幸)
①今般の論文冒頭に良心(Conscience:フランス語読み)を持ち出したのは、この用語がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の文化圏にあっては共通概念として存在し、諸研究によると仏教その他多くの宗教にも、用語は異なるものの、それが取り入れられ、「ある種の人類共通の文化概念」となっているところに因る。「善悪判断」はヘブライの発明とされるが、善悪と良心は次元の異なる概念である。明治初期に誤って「孟子(儒学者)」の用いていた用語(良心)を誤訳(1871年中村正直)したとの研究がある。ヨーロッパの市民革命前後に、「人間の作為によらない様としての自然状態に良心は密接に関係する」といった哲学、文学その他司法の判断が数多く存在ようである。それと同時に、「グノーシス(マニ教などを含む)」に関する激論は凄まじく、ノーバート・ウィナー(著書:サイバネティックス)とか、J.ガナシア( 2017年著書:「人工知能の真実を話そう」)など多くの研究者が、そのグノーシス論理を批判している。私の考えでは、グノーシスは歴史経過と論点の拡散によって掴みどころの無いモノとされているも、要するに、「知識偏重主義者」のなれの果てにすぎない思考習慣と判断されるでしょう。その結果、日本の工業製品の多くに当該グノーシス着想が表面化することによって、低価格や高度技術であっても、ISO(アイソ:国際標準化機構)その他の国際規格から排除されている原因ではないのか、これが私の分析です。

②文化資本や文化価値が、「経済活動に乗りにくい」 むしろ、「文化と経済がないとなれば汚れる」と主張する芸術家も少なくない。この課題を解決するために、筆者は200人弱の各界芸術家の名言を集積して分析を行なった。最も古い芸術家は15世紀中ごろ、興行師でもあった世阿弥である。(なお、芸術家名言を分析整理したExcelをご希望の方は、ご連絡を)そして、現在に至るまで、芸術性が文化の原因をして来たことは間違いがない。太古の昔から、アルタミラの洞窟壁画の通りである。

③歴史を振り返ると、経済学が形成されつつある当時の(自然)科学の論理に、その論理展開は大きな影響を受けつつ発展できたものが多いと思われる。経済学に「愛」を盛り込んだものはマルサスが最後ということらしい。ちなみに、ラスキンは経済学者に勘定されていない時代である。17~18世紀は、あまりにも有能大胆な論理を展開すれば、ハイネとかスタール(ルイ16世財務大臣の娘)のように哲学諸とか随筆家に扱われてしまう時代とのこと。それから、ラスキンの学説については、イギリスの習慣とか英国“欽定版聖書”の成り立ちの上で、内藤史郎教授の翻訳の深遠さに助けられてこそ、今般の研究が構築行きました、大いに感謝をします。

④心理学の実証研究は、行動経済学という現実世界への適用基準を発明した。ダニエル・カーネマンは、経済学者以外でノーベル経済学を受賞した。彼は行動経済学の分野を開拓した人で、自らを心理学者と語っているそうだ。「合理一貫性&事実一致性」といった論理構成に加えて、現代は「現実世界への適用基準」が必要とされる時代、すなわち基礎理論&工学理論の結合による「行動や実行」が、ICT産業革命により容易になりつつあることから、人々の参加という民主主義視点による思考習慣が取りざたされる時代に転換してしまったと考えられる。そこで、
・【合理一貫性】 自然であることとか良心の様などの哲学的論議は、神経科学や脳科学により解析が進んだ。「客観的合理的思考方法は、その人材を大量育成することを可能にし、集団が一体となって知識を徐々に蓄積していくには適した知識生産様式ではある。誰もが参加でき、客観的証拠という形に知識が収斂していくために、有無を言わさぬ形で、知識がある場面で固定される」として、「正しいことを知りたいなら結果だけを覚えればいい。プロセスの割愛が歴史的認識の空洞化はならない」(金森修2016年「科学思想史」岩波書店から引用)と、「実証主義」に陥ることを批判している。歴史の中のプロセスに合理性を見る作業は、変質した科学が普通の科学と混在している社会にあって、減の合理的思考の特徴や傾向を測る重要な評価項目ではないのか。
・【事実一致性】客観的物事の内の証拠のみを採用すると、一気に客観的合理的思考は収斂してしまう。証拠とは、あくまでも合理的推論の裏付けにすぎないが、ことさら事実のみを強調する証拠第一主義により、真実が隠れてしまう。「全体主義者は、専門教育のない者&教養のない者+職業経験の少ないインテリ達を理屈と行動で惹きつける。彼らは粗野で無教養の人間を理屈の自発的代弁者に仕立てる。インテリを組織や担当の口先ばかりの行動の任務者にする。して全体主義者は差配する者であったし、官僚は一枚岩ではなかった。権利や利害を守ろうとする頑強な社会層の抵抗に全体主義者は弱い。現実的物事や世論の反対にあうと、官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突する」(C.ルフォール2017年翻訳:「民主主義の発明」から引用)~との考察の実証研究がなされている。
・【現実世界への適用基準】 「合理一貫性&事実一致性」思考判断は、ニュールンベルク裁判で国際的な確立を見たのであるが、ICT産業革命の真っ只中にあっては、経済資本や金融資本一辺倒の不幸を解消するには、学問的問題提起として「現実世界への適用基準」が必要とされると考える。経験技能やパフォーマンス職人技を学問的論理的に【現実世界への適用基準】として構築することは、芸術性作業への展開を促し、技能や職人技の保身的独占並びに固有文化の収束を防ぐものと考えられる。
そういう意味があって、その担い手の主力が、「新型女性労働」 であると推論した。セミナープログラムの三頁下から14行目に、「人類の最重要再生産は子供、情勢はその要となり、最も(作為されない)自然に近いから、良心の郵政行動に特徴がある」と結論づけた次第です。(これを共感的に認識させていただいた横田幸子先生の本年前期講義に感謝します)。

⑤現在、社会科学系学術に大きく影響を与えているものは神経科学、脳科学といった分野の発展とされている。それは、心の問題とされがちであった、「共感作用」とか「共感精度」といったものを解明した。それまでの科学では、観測不能な自己を扱うべきではないとしていたが、神経科学は「自己や主体性なくして意義や経験を構築することは出来ない」ことを発見し、自己は観測可能なものとなった。芸術活動や芸術性を商品に含ませること、熟練作業といった側面も、固有文化価値のプロセスを含めた成り立ちや労働全般能力の科学的解明で、法則化され法則的技巧で以って、共感性の高い疑似再現を多くの人が益々実行できる。
=アダムスミス 経済学最古の「共感」=
J.デセティ 2016年「共感の社会神経科学」勁草書房25p 引用:
「狙いを定めた一撃が、今まさに誰かほかの人の手足に振り下ろされようとしているのを見ると、
我々は自然に身体を縮め、自分の手足を引っ込めてしまう。」 (道徳感情論 講談社 4p)
共感という言葉は1909年、共感(empathy)という英語がTichnerによって造られた。そして、ここ十数年の間に、飛躍的な研究が進み、哲学から心理学そして脳科学へと、横断的な学問整理がなされている。これら共感の具体例の根拠となる学術面の、「共感作用」の説明
 【第一段階:相手を無意識のうちに模倣している】
 【第二段階:繰り返しフィードバックして確認している】
 【第三段階:キャッチ・情動感染の後に瞬時反応】
 【この三段階を経てキャッチ・情動感染したとしても】
 【最後に、よく注意しなければならないことは】(続きは、総務部メルマガ 2017/01/10 号参照)

2017/08/08

第184号:新型女性労働は、ICT産業革命のカギ

<コンテンツ>
「新型女性労働」 とはどんな働き方?
今の世界経済で、未来不安 とされているもの
今や「笛吹けど踊らず」 それが日本の経営者の姿。
日本の企業組織は、ほぼ軍隊の兵站を真似た物
オランダ女性の社会進出と経済成長の成功事例とは

(研究)「一人前の労働者論」の裏に、妻の隷属を内在する虚構
  ・「一人前の労働者論」の裏側
  ・奴隷制判断基準(C.ペイトマンの研究を基礎に解説)
  ・奴隷から雇用契約に転換したプロセス:ガイド
  ・日本での奴隷制の実態を直視
  ・女性労働の損失、個別企業こそ一転して経済再生

芸術業界を超えて地域産業一般に至るまで、「アートArt域労働

(近況報告) マイナンバー またもや本格運用遅れ


§「新型女性労働」 とはどんな働き方?
「新型女性労働」の例示。
  1. 明確な労働契約、その内にも労働時間を日々調整する権利を認める。
  2. 仕事の出来仕舞い方式、職種によれば自宅で働く習慣の権利を認める。
  3. 同僚や管理職との意思疎通のeメールはやめチャットやインカムを使う。
  4. 自らの行動基準と目標を持たせ、その規範を自ら作り出す権利を認める。
  5. 年間や月決めの手当に、(後述する)アートArt域労働の貸借契約を含める。
  6. パートも管理職や専門職に登用し、管理職給や専門職給の賃金を支払う。
  7. 他人や社会への共感作用と共感精度の程度を正当な労働能力として認める。
  8. どんな仕事もアートArt域労働が欠ければ品質低下、売れない結末を説明する。
  9. スキルは後で身に付く、パフォーマンスは練習すればよいことを認識させる。
  10. アートArt域労働の基本を知ること、その能力を向上させる施策を行う。
       (例)服装は絵画、アクセサリーはアクセント装飾、それらはデザイン向上力
          音楽リズムは話し上手、リズムと拍子は異なり、歌が仕事の品質を決める
          詩は共感作用の物語、それは品物の意味を語る。
           (地味に、地味に、最後はあでやかにまとめる、それが基本)
……これらは直ちに取り組める事であり、同業他社との競合にも万全である。
その奥行きには深いものがあるが、それが商品価値を高め価格にも影響をする。アートArt域労働となると、芸術芸能界や美術や文学の大作品を思い浮べるが、どんな仕事もアートArt域労働によっては品質が定まり、販売や制作を通しての共感作用と共感精度に基づいて、アートArt域労働で品物もサービスも流通することを徹底し、これが重要となる。
こういった事例は固有文化価値とかアートArt域労働が発見されなかった時代でも、なぜか有益な効果が現れたから、科学的な根拠があるわけでもなく、教育や訓練ができたわけでもないけれど、文化価値商品は好評販売され流通していた。その当時、有能な経営者、有能なコンサルタントたちが意識したのは、仕事にかかる義務ではなく明日への希望であり、その商品を買う顧客に、「意欲・感動・希望」を共感してもらい認識してもらい、購入していただくプロセスでもあった。そして購入した客は、さらに文化価値を増殖させていったのである。過去の経済学は、人間が本来持っているアートArt域に及ぶ労働全般能力から、「労働力」のみを切り離し、労働者からの「労働力」抽出を、使用者が駆使するばかりの論理構成を克服(止揚)出来なかったのである。

<新型女性労働 理念解説図 20170808>

§今の世界経済で、未来不安 とされているもの
  • ①個人化が進み社会共同体の形成が出来ないのではないか。
  • ②人口や若年層の仕事や生活を支える生産量と経済構造が成り立つのか。
  • ③社会共同体や経済構造の崩壊で正当な取引や賃金確保が形成できるのか。
といったテーマである。これに対して、真正面から答えられず、一部あるいは強者の論理がまかり通る、すなわち、危険でも劣悪でも海外進出するしかないとか、戦前の「家」制度に戻せばつつましくなるとか、詐欺に脅迫として貧窮につけこむとか、そういった自己中心的な思考が、「規制緩和」の名称を曲解して持ち出されるのである。
時を同じくして、国際労働機関(ILO)の事務局長G.ライダーは(2017年5月12日東京)、「仕事の未来を考える論点」を、a.仕事の個人化と社会影響、b.全世界の仕事量、c.商業的請負化へのシフトか否かと、3点を基調講演で示している。だが、これが「すべてを労働力」といったスキルの交換方式の枠内にはまり込んだ論理構成であることを見破れば、世界の苦悩する問題ではないことに気がつく。また歴史に記された奴隷時代の労働権や経営者団結権の如くに、アートArt芸術域の労働全般を明確にすることが未来のヒントであることを気づかせる。経済や豊かさ再生には、これを法則性のある論理で持って、労働価値交換を目的意識的に推進する思考習慣(システム)にすることである。
ところが、全体主義者(歴史的には、ヒットラー、スターリン、東条英機ら)は、生半可な知識を持つ若者と無知な老人を操って、日頃見向きもされない自らの能力や教養にも関わらず、似非賢人を演じて政界進出や出世の道を走ろうとする。第一次世界大戦後の世界の世相は、やはり自己中心的な思考が持ち出された。だがよく見れば、その者たちに資金を出すのは、やはり先に述べた自己中心的な資産家にすぎない。
数百年も地域に根ざす資産家、社会共同体を維持しようとする経済や商人集団の末裔、そのもとに幸せを満喫する通常の人たちは、どこの国でも自己中心的な思考に翻弄されることはなかった。20世紀初頭のアメリカは、そのとき民主主義をベースに経済政策を進め、1913年「体験型教育」(ゆとり教育の原型)、ニューディールでの職業訓練教育(ドイツの失業対策は職業訓練をせず、重機を使わずスコップで道路建設)、失業中の芸術家への仕事供給政策、農業政策や雇用労働政策と金融政策(雇用統計により連邦銀行の金利を決める)を進めていった。それが、第二次世界大戦後にアメリカが経済的にも文化的にも華を開かせる原動力になったのである。(戦前、アメリカ人からの横浜正金銀行を通じた投資を、日本政府の満州事変戦費につぎ込んだ日本とは大違いである。同じくナチス:ドイツも、米国フォードからフォルクスワーゲンへの投資をさせていた)。


§今や「笛吹けど踊らず」 それが日本の経営者の姿。
ICT産業革命の進行による職業能力ごとの労働概念の変化は、厚生労働省シンクタンクの5万人Web調査(2015年「職務構造に関する研究」データ)にも現われている。固有文化価値を考えるうえで、官民の同官僚や金融資本増殖の経済政策傾向を表している。
http://www.jil.go.jp/institute/reports/2015/0176.html

日本の労働者が主要国の中で「労働意欲」が飛びぬけて低いこと、「仕事のやりがい」も調査対象国の中で最下位といったアメリカから発の調査データとも合わせると、日本の経済や豊かさの没落要因として、巷には何が蔓延る思考習慣(システム)なのかを批判的思考からでも直感できると言える。要点を整理すると、次の通りだ。
  1. 研究者、技術者、専門的職種では、高度な知識やスキルを必要とする、仕事の高等化が進む一方、同一職種者のチームワークが重要との意識。
  2. 事務(判断や情報加工整理)の職種では、仕事は高度化していない、機械化は進んでいて、顧客や同業者との関係は重要ではないとされる。
  3. 販売の職種では成果主義が進んでいるが、それは同時に顧客や同業者との関係を強くしている。チームワークが重要とは考えられていない。
  4. サービス職種は、顧客の関係は横ばい。知識もスキルも高度化は大きくマイナス、成果主義もマイナス、チームワークも大きく薄れている。
  5. 生産工程の職種の多くが、知識もスキルも高度化はしておらず、チームワークも薄れ、外国語、顧客や同業者との関係は無視に近く関心が薄い。
……ここから判ることは、
研究企画部門はさておいて、日本の産業における現業部門では、
  1. 仕事の高度化が墜落的低下を起こしかつその自覚があること、
  2. 一部の専門職や販売部門を除き顧客ニーズを無視していること、
  3. 営業販売担当者が顧客情報を会社にも同僚にも知らせない実態、
  4. 現業部門は先進諸国への販売や海外進出を考えているわけではなく、
  5. 機械的事務作業を優先して柔軟な販売や製品開発を抑制している事態、
こういったことがうかがえるのである。
さまざまな経営者の方針、ビジネス書の美辞麗句、素人である官僚の作りあげる経済政策、ITソフト開発業者の虚しい販売戦略、いわゆる現代日本のリーダーが、「笛吹けど踊らず。」の事態に陥っている。よって、これを解決するには、このメルマガで説明するような商品価値と労働価値を見直すことが不可欠なのである。そして今月のテーマのごとく、「新型の女性労働は、ICT産業革命のカギ」が、その主体的な原動力であり、その牽引力が「アートArt芸術域の労働」なのである。


§日本の企業組織は、ほぼ軍隊の兵站を真似た物
近年日本の経営学や経済学で目立つものは、ほぼ軍隊の兵站(へいたん=作戦軍のために、後方にあって連絡・交通を確保し、車両・原料や生産品の前方輸送・補給・修理にあたるロジスティクス)を真似たものである。それは、昭和4年の昭和大恐慌から立ち直る矢先に、全体主義者が戦争による略奪経済を行い、戦後のアメリカ占領軍によるアメリカ経済下請日本、ソ連全体主義の計画経済論理による高度経済成長政策、そして、金融為替操作のバブル経済と崩壊、こういった国民に自主性のない経済構造が続く中、兵站の事しか連想出来なかったのは確かだ。したがって、庶民に理解可能な構想ばかりを追いかけるものだから、軍隊の兵站をまねた組織論に行き着いてしまうのである。そして、その上層に当時のアメリカ式組織管理論を載せたのである。これが日本の独善的に受け止められている企業組織の特徴である。
だがもう一つ、経済の成長や豊かさでの先進諸国の社会構造を考えた場合、現代女性の果たす役割が日本と世界の女性では大違いである。たとえていえば次の通りだ。
  • 1st)日本では、男女平等の名のもとに、男らしい女と、女らしい男を入れ替え、男を管理職から交替させるものではない。
  • 2nd)男性上司への隷属から一部女性を解放するけれど、派遣社員での自由は与えたが、彼女らの生涯の隷属と保護はやめてしまった。
  • 3rd)近年では、有能ならば弁護士はじめ国家資格受験を社内で促し、その彼女が合格すれば独立起業を徹底して煽り排除する。
このようにして冒頭に述べた、「女性特有の出産育児にかかわる自然性(自然性とは作為の加えられないとの意味)、その自然性に基づく共感精度の高さによる能力をもち続けようとする女性」、こういった女性を企業の中から排除するのである。
(なお、大手企業の管理職経験女性は、一切中小企業では採用しない)。
こうして益々、軍隊の兵站を見本にした企業や社会団体から、女性特有の能力が労働全般に発揮される女性から順に排除されるのである。同じような能力を発揮しそうな男性はもとより新卒採用しない。その彼女がシングルマザーなのか、パートで働く主婦なのか、いずれにしろ、その女性が挫折し希望を失いかけているには変わりがない。日本の会社人間は、欧米からすれば同性愛者と揶揄されるが、そういった感情論議ではなく、女性の隷属という経済構造によるものなのである。
こういったことから、先に例示した、「新型女性労働」が、ICT産業革命のカギとなるのである。すなわち、世間の巷に流されて、人手不足のだからと言って漂っているような経営ではなく、切り替えの早い中小企業は有能な女性を確保(小論文を書いてもらえば判る)、とにかく採用した女性全員に、「新型女性労働」を適用して、男女を混ぜて前向きに仕事を話し合ってもらって、現場を任せるに越したことはないのである。ただし、次のチェックにひっかかる人物は、ことに中小企業では採用はしないことだ、仕事よりも名誉に見栄を優先し、「お局」になる厄介者だからだ。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/kyochosei.html


§オランダ女性の社会進出と経済成長の成功事例とは
オランダの政労使「ワッセナー合意1982年」の成功は、近年日本に比べ一人当たりのGDP倍増といった表面結果を超えて、同一価値労働同一条件(注意:今の日本では同一価値と言っていない)による、労働者の自律を促す制度であるが、その諸制度(ワークシェアリングとの翻訳は間違い)は注目に値する。だが初期においてオランダは、労働組合の労働協約闘争とストライキの洗礼に見舞われた。それは、「労働者は労働力を売り、使用者はそれを安く買おうとする。」といった、古典的経済学が人々の間にはびこっていたと考えられるからである。当時オランダの経営者も労働者も、労働能力全般を、「まな板の上」に乗せることが出来なかったようである。それは、ヨーロッパ全域が現在も奴隷制度の名残を持つ労働に対する価値観の影響し激烈だったと思われる、それは日本とは微妙に異なり、曲がりなりにも400年続いた無権利ながらも雇用制度(雇:の意味はカゴの中の鳥)との差異である。
この制度が一挙に充実したきっかけは、労働時間調整法である。労働時間制度はフォーマルには、フルタイムか、様々なパートタイム時間帯かを契約するが、インフォーマルには、日々様々に同僚との労働時間調整が行われる。さらには、法律の改正があったわけではないが、同一価値労働同一賃金が、→同一価値労働同一労働条件に発展したことによって、
  • (A)無駄に会社に出勤するよりも自宅で仕事を完成させるとか、
  • (B)チャットなどを利用して社内の意思疎通を図るとか、
  • (C)仕事が明確になっていないことでの効率の悪さは解消するとか、
  • (D)会社にデスクの無い状況とか、
  • (E)人が密集するオランダの通勤交通費や事務所維持費の節約
といったことにもなっているという。
同僚みんなで作業をやりあげるとの意識のもとに、同僚の事情を考慮して相互に助け合うとか居残りを引き受けたりする。熱を出したりダダをこねたりする子供の保育園送迎での遅れ、家族の介護による遅れや早退、小学生の子供の迎え(親が迎えにくる習慣)などは全て労働時間調整で納めるとのことだ。そういった日常習慣から、仲間同士の長期的な視野での能力向上や長期雇用での仕事関係が優先される文化に変わったとの報告である。
オランダは哲学者スピノザ(1677年没)の活躍地、彼の説く奴隷の姿を要約すれば、「他に認められたい欲求は名誉となり、名誉に恵まれなければ恵まれた人をねたみ、怒りを吐き出しつつもなお、自分が賢明であるかのように見せかけようと自己を卑下する。その卑下は高慢の裏返しにしかすぎない。そういう人間は他人との比較しか頭にない奴隷である。自由人は自己以外の何人にも従わず、自分が最も大事で最も欲することのみをよしとし、あれこれ非難する前に直接良いことに赴く。完全に自由な人間は悪という概念を持たず、無邪気な状態である。」こういった思考習慣がオランダには根付いていると見た方が妥当なのである。「自立とは自ら意思決定でき自ら働くことで、自律は自らの行動基準と目標を明確に持ち、自ら規範を作り出すこと。」である。
日本にあっては、労働条件決定が、日本は世界のなかでは独自方式(企業と個人の交渉であり、自治体や政府が介入しない)であるから、可能な企業からさっさと実施できるといった、身近に実現される話である。
そして、シェアリングsharingの概念のない日本では、「分かち合い共有する」の用語では意味が通じない。オランダの数百年の伝統から解説すれば、①諸他人に主観を押し付けない、②マインドコントロールはしないさせない、③カルトやセクトでの洗脳はしないさせない、といった民主主義の原則の上に、良心conscienceに基づく意思疎通で成り立つ、仕事の共有と分かち合い(ワークシェアリング)なのである。
このオランダの働き方は、官民官僚や金融資本の労務管理技術では、その労働時間のカウントの術を持たないから、彼らは忌避している。が、曲がりなりにも400年続いた無権利ながらも雇用制度を持続して来た日本では、権利問題に注意しさえすれば職場での運用にはたけている。既に現実の工夫とともに導入している中小企業は多い。

< オランダ オフィスシーンとファミリーシーン > 『18時に帰る』の書籍から引用
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0438737


§(研究) 「一人前の労働者論」の裏に、妻の隷属を内在する虚構
現代日本は奴隷制禁止、社会の表に現れない。だが此処に、労働能力全般が発揮されず、疎外による家庭破壊、消費財の新商品開発の重大な原因が発見された。

「一人前の労働者論」の裏側
歴史的変遷やプロセスはさておき、大手企業のサラリーマン社長や管理職の妻は隷属的であり、その妻の労働も含めて、会社での地位と報酬が保障されていることは否めない。大手の社内結婚はそれを念頭に置いていた。現在でも、IT機器での業務処理、日報や出張等経費計算、車で送迎その他を家庭の妻に業務配分している。妻は(無能力)秘書その他代替に無給で使われている。中小企業の管理職にはあり得ない。ここに、労働者の報酬や地位を考えるにあたっての重要要素がある。
現在日本で奴隷制に近似した状況は既婚女性に多いDV被害者でもある。主要先進国におけるDV被害は、低所得夫婦関係に多いことが分かっている。だが企業規模の大きさにとか地位や報酬にかかわりなく、社会構造として既婚女性が奴隷扱いをされている。これは夫婦揃って一人前の慣習概念から、その主人の「労働力」という使用価値から抽出される労働価値は低いものと判断される。
確かに、労働の価値は、①時間をかけて発達し、②人格と関連していることから、その発達実績又は人格形成の過程は、奴隷扱いされるDV被害者と一体となっていることから、そうでない男性労働者と比べて訓練啓発又は社会適応能力が低くならざるを得ない現実が多い。とにかく妻は制度に縛られ、生涯を家庭に縛られやすい、これが雇用や労働契約とは異なる基盤である。そこに労働能力向上の意欲はない、
とりわけ、意思疎通能力や集団統制能力における欠陥が見受けられる。端的に言えば、ICT産業革命の時代には、そういった労働者は事業運営に差し支えるのである。端的に言えば、市民革命で、「国王や家長個人よりも、国民や兄弟が集団になった方が強くなりうる。」ことを発見した、これ自体が全く認識出来ないので、正常なチームワークが形成出来ない人格なのである。むしろ夫婦とも人格が死んだ状態だ。
未婚女性や男性のDV被害者は、社会規範や婚姻制度を悪用して隷属状態に陥れられる根拠がないので、隷属の程度差と考えられるケースが稀にはある。ところが、婚姻関係を誓い届け出る段になると、「奴隷女に子供を産ませれば、女性は子供を守るために服従する。」といった奴隷再生産、「食事など保護をあてがわれるのだから、服従は当然のことである。」といった理念を、未だ公言する男性やその親世代が存在する。「家族代表は戸主(男)の役目、妻は主張出来ない。」といった虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)も、廃止された旧民法の「家制度」や長子相続といった家族統制時代(100年に満たない期間)の名残にすぎない慣習である。

奴隷制判断基準(C.ペイトマンの研究を基礎に解説)
次のような特徴が見られれば、感情や感覚は別として奴隷制と判断できる。もちろん、刑法その他の違反であるし、民事法上は奴隷契約も成立していないのである。
  • ①身体から精神に至る人格や権利の所属は、生涯に渡って主人に在る。
  • ②奴隷を納得する意思が在り得ないから、奴隷契約自体が成立しない。
  • ③精神的物理的に強制された事態で、さらに事態を貶められ続ける。
  • ④無能力だと刻印され、原則的に刻印され続け、人格は死んだ状態である。
  • ⑤主人と奴隷の隷属関係は、契約の如き時間差なく瞬間同時に成立する。
    (契約とは、一方の申し込み相手方の承諾で成立との時間差が必ず存在する)
その主人と奴隷の思想習慣(システム)は共に、感情を虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)にすり替える特徴がある。すなわち、いつの間にか感情を押し殺し何事も世間の理屈で納得して尽くさせ尽くす関係である。そこで、「絶対的支配下」(ジョン・ロック)、「奴隷を望む人はまともな精神状態ではない」(ルソー)、「自由の放棄だ」(ジョン・スチュアート・ミル)と、市民革命以降の政治、哲学、経済学者はこぞって、”馬鹿げている”としている制度ではある、が現存する。
https://www.iwanami.co.jp/book/?book_no=281701

奴隷から雇用契約に転換したプロセス:ガイド
各国徐々に形成されていった「雇用主の4基準」の共通点は次の通りである。
Ⅰ.19世紀末に当時の先進国と言われる国で確立された様相。
  1. 王政や家長制度ではない使用者との契約で、雇用主に絶対権力はない。
  2. 雇用契約期間を短く、制度上も事実上も、奴隷のような生涯契約はない。
  3. 労働の使用に関する契約で、雇用主に人格や労働占有の権利はない。
  4. 奴隷のように保護や生存は保障せず、主として通貨で賃金を支払う。
Ⅱ.ただこの時点でも当時は、少女が徒弟制度(現行:労働基準法違反)の一部になることは考えられないとされていた。現行日本の労働法体系からは、いささか想像できない余地もあるが、当時は労働(雇用employment)契約と奴隷制を法的に区分する必要があって社会的論争があった。米英欧州の資本主義国における離婚制度論議(妻の無能力coverture扱い)と相まっての論争が行われた時代でもあった。
Ⅲ.それでも、雇用契約が形骸化して奴隷制が内在される事態も生まれた。奉公人制度、英国の(主人と召使いの)職人法などである。そのため、近年の労使関係は司法決着を各国が図った。ここに掲げたイ~ホは、順に大まか歴史的な各国の経済的司法的な過程である。
  • (1)雇用契約の前提には、当事者相互が人格を持ち、財産所有者であることの認識を要する。(契約は、①一方の申し込み②相手方の承諾で③時間差を持って成立すること。)
  • (2)雇用契約で、労働と何が交換されるのかの印(しるし)を明示した。「労働力の所有権を、就労の時間と場所と内容(職種など)の雇用期間」
  • (3)高賃金であるとして、スコットランド炭鉱労働者に雇用主の名入り首輪を着けさせていたが、そういった様々な奴隷制の名残が違法とされた。
  • (4)雇用契約は、主人と召使の如くの「主人の人格所有権」は認めない。
  • (5)人格に関わる売却契約は不能、それは必然的に隷属を形成するとした。
    (近世まで、夫が妻の肉体と能力を一体財産として保有すると考えた)
Ⅳ.「雇用主の4基準」の形成前に奴隷制が禁止された例はある。日本では、江戸当初に徳川政権が外様大名の経済力を激減させるため、戦利品である居住民の持ち帰りを禁止し奉公人制度を実施、売買その他経済的奴隷制特徴を根絶した。アメリカ南北戦争は、南部の奴隷所有者の奴隷所有権を剥奪し財産権をなくし、雇用契約を実施した。だが一方イギリスでは19世紀後半に初めて、「親指の太さを超える鞭で妻を打ってはならない。」とする刑法改革を制定、これは当時ヨーロッパの妻の状態を物語っている。すなわち、「実質奴隷」とする司法的奴隷禁止状態にすぎないとする(共感的)論理や論争は延々と今日まで続いていることも実態である。

日本での奴隷制の実態を直視
ブラック企業で働けば、奴隷なのか奴隷を監督する者なのか、といった姿である。ではその何が問題なのか、それは正義感や感情論ではなく、疑似奴隷は職業能力がなく、それは企業にとっても、経営マイナスにしかならないからである。はっきり言って、ブラック企業は利益率が低く、長期安定など無理である。だけども、冷静に物事を見極め、改善を図れば、この環境でも好転する。根本的な奴隷制ではない。
女性の社会進出は、マルクスやエンゲルスが主張した、「家庭外へ働きに出る」ことで解消といった論説は、女性が主人に隷属の状況であれば、社会進出に役立ってはいなかったことが、日本の典型例を見ればはっきりしている。女性の社会進出は、スキル(労働力)の提供といった普通の方式ではなく、根底に固有文化価値を牽引するアートArt域の能力が、日常業務に少しでもいいから反映をさせることで、その商品価値(販売価格を)は跳ね上がり、労働価値の報酬確保できる。とりわけ女性の場合は、日本独自の「企業と個人の賃金決定方式」の危険性から、雇用といった労働力の社会進出にこだわる必要はない。それは、ICT産業革命とも相まって、意味ある仕事で短時間高収入が期待できる。(総務部メルマガ7月号参照)ただし、請負契約の完成品名目でスキル(労働力)を買いたたかれる懸念=極度のダンピングがあるから併せて警戒と注意が必要となる。いわゆるテレビその他の「芸能界」の例である。
よって保育所が増えれば良い、夫婦共に労働時間が減れば良い、出産やLGBTに優しい職場環境といった風な、「傾向と対策」により導いたとする知恵のない政策に乗っても、相当の時間と労力の無駄が出るということだ。女性にしてみたら出産と育児が終わってから実施する様なものだ。過去から何十年たっても、同じことを言ってるだけで、この30年間変化はない。この30年とは、派遣業でもって一部の女性労働者の時間給が倍増し、かつ男性上司の隷属から脱出できたことである。だが、男女雇用機会均等法と派遣法で女性のパート化を(4倍)に増やしと厚生労働省も認めている。
社会のなかで、隷属状態に置かれているのか、法的にいう労働者に当たるのか、これを分析することによって、男女個々人と家族のあり方の変化の見通しが見えてきた。とはいっても、世の中にはそうでない人もいて、全体主義者は、自己中心的手法で、地位と報酬を一人占めしようとする、そんな人物の集団にすぎない。おのずと過去の美しい象徴を口にして、不意打ちとは罠で策を実行する。いつの時代のどこの国の実態なのかは知らないが、合理一貫性と事実一致性のない話ばかりである。しかしそれは、労働価値の発揮が抑圧され、具体的に発揮がプロデュースされないから、人々のエネルギーが有り余っている状況で


§女性労働の損失、個別企業こそ一転して経済再生
都市部も地方も、地域経済単位(中学校区程度)での活発化により、個人や家庭の経済再生が図れるだろう。事実、地域経済単位の活発化は、ICT機器によって促されている。一ヵ所から全国津々浦々の小売りまで差配するとして、世界各地の安価な原材料を回収するばかりでは、意味のない仕事であることは歴然としている。
この地域経済単位での活発化がポイントとなる。最終消費財が消費されて、原材料からの商品とその変遷が初めて完結することから、それは重要である。決して地方経済と都市一極集中の二元論をイメージでは解決出来ない。身近にもっと家庭内でも、とりわけアートArt芸術域の労働全般の貸与契約等が下支えとなり、各自の職業能力目標や希望が明確になることで、司法判断も得られ易く、日本社会での経済や豊かさは広がる科学的根拠である。それは理論化されていなかっただけの事で、日本に現在点存する固有文化価値の地域社会土壌が、その証明をしている。①一極集中の官民官僚や金融資本の促進に遭遇しても、各地固有文化は未だ根付き:地元産品が開発され続ける事実を見れば、そこに誰も議論をはさまない。②ICT産業革命の進展は、地元の経済外的強制組織(ヤクザ等)に労働利権を守ってもらう必要がなくなった。
そこで、ICT機器を有効活用し、
「より良いものを安く」との有形製品を仕入れ、固有文化価値を意識的に創造できる人物育成を(生後から24時間青年期までを)地域単位で進め、この元にプロデューサー型経営を組み立てる。ただし、その原動力となるのは、
  • 1st)私有財産&私有財産を持つ権利を担保する経済手法。
  • 2nd)及び幸せになる人権確保を経済的に担保する経済手法。
  • 3rd)物質や生活水準の私的満足(厚生政策)とは区別することができる経済手法。
といったものが必要となるだろう。
ちなみに、地方経済の起死回生には、固有文化各々の測定作業が必要である。
その項目(草案)は、
  1. 地域思考性の特徴を測定
  2. 知識及び知恵の質量を測定
  3. 共感作用Enpatyにたいする共感精度を測定(社会心理学&脳科学)
  4. 個人の自律性について測定(基本的人権と民主主義の度合い)
といったものを地方自治体以下の単位で明確にすることで、プロデュースの可能性を吟味する基盤が形成され、やみくもな事業展開を防止する手段、すなわち疲れないためである。要するにそれは、民間の貨幣投資の節約にもつながり、文化投資の地域での効率化を促進する。
さらに地域の慣習、慣習法、経営や行動指針、振幅幅巾のある個人の存在などによる加重平均や趨勢分析を考慮に入れていけば、地域の郷土史を科学的に有効に活用することができるようになる。ことに経済や事業経営の歴史の曲解を取り除いて、より正確に地域経済を見つめることができる。反面、地元の末裔や郷土史家からのインタビューを軽視して、証拠たる古文書や地図のみから判断して商業の歴史を決めつけると、「近江商人の天秤棒」のごとく、少なくとも北海道から琉球までを商圏としていた商業団の研究も歪曲されてしまう。
加えて、日本国内各地の商習慣でも、奈良は古代律令制のような雰囲気を無視するわけにいかず、九州は比較的に実力自力救済的であり、大阪の商業水準の高さには世界の港町のような事例が散在する、京都は階層によって異なり商習慣の共通性が弱いといった特徴が例示できる。こういった地域ごとの商習慣の差異を見詰める訓練は、プロデューサー型経営者育成には、非常に意味がある物と考えられる。


§芸術業界を超えて地域産業一般に至るまで、「アートArt域労働、
その担い手となる新型女性労働の人々」といった人格は、意味のない仕事に携わることでは望みはない。それは、大手企業官僚よりも、地域集団になった経済活動が強くなり得るとの、今の経済背景だからである。日本女性の隷属からの解放と相まって、労働参加の主体的実態が認められるから、その展望や展開が夢物語ではないことが解明できた。
OECDは日本経済再生の勧告として女性労働を、先ほど論述した日本女性の隷属からの解放を含めて、改革する必要があるとしている。勧告書をみたところOECDは少子化にこだわっていない。社会から引退する老年女性労働者対策は年金カテゴリーとの考え方も、直に一昨年OECD担当者に質問してみて解った。
個々の中小企業単位での利益率の高い固有文化価値の供給が実現出来、それは世界経済展開への連携による経済再生と豊かさの伴う成長となる。その連携とは、今の外国人訪日とは異なる現象、そのイメージとしては「G7諸国の人たちが観光に来る。」のような情景の経済再生という現象結果にも現れる。個々の企業は、アートArt域労働と新型女性労働を、その目的と意識を明言して、労働契約&話し合い&登用を繰り返せば時代の波に一気に乗れることは間違いない。今月のメルマガ等に紹介した専門的アドバイスは、実際に筆者の長年の仕事の成功パターンが含まれているからである。


§(近況報告) マイナンバー またもや本格運用遅れ
連携システムの不備で、この秋の本格運用が来年7月までの遅れが続出している。従前の流通問題での年金機構の情報連携の開始も現時点でも決まっていない。所得税も住民税も雇用保険手続きも、どれをとっても個人番号届出不要の実態である。企業などのマイナンバー回収も、70%程度との民間調査報告は出ているが、従業員の半数も集まっていない企業とか形ばかりの回収とか、実際にどの程度の個人番号が回収され、行政機関に届けられたのかは見当もつかないほどに不明である。まして、市町村自治体は住民の個人番号を把握しており、副業や学生アルバイトその他の個人情報把握も市町村は熱を入れていないのが実態のようである。事マイナンバーに関して、政府省庁に地方自治体そして民間企業に至るまで、意味を見いだせないから「やる気」のない部署が続出しているのである。
マイナンバー情報連の要は市町村だが、個人番号の活用見通しが延期が繰り返され、またしてもシステムの不備にセキュリティ対策と、追加ソフト開発の費用がかさむばかりとなっている。マイナンバー活用案は幾つも発表されるが、だとしてもマイナンバー制度目的の情報連携稼働の目途は立っていないのだ。そこに、証券会社や金融機関が新商品売り込みのためには、マイナンバーが営業販売の障害になっているとして、業界も苦言を申し立てている。そういえば、医療情報とマイナンバーの連携は、医学的見地から一昨年のうちに、連携しないことが決定している。
民間では、安全対策の見極めを重視した企業は、個人情報保護法に違反する懸念があるとして、個人番号を集めるわけにはいかないところも数多く存在する。それは数10人規模の企業だけではなく数千人規模の企業までにわたっている。現在まで、何らの安全設備投資も番号回収経費もかけることなく、マイナンバーのわずらわしさどころか、未だ全く何もしなくてすんでいるのである。そもそも民間の個別企業には、個人番号に関する仕事の権利義務は全くない、単なる行政協力と努力にすぎない。それを錯覚したりあわてたりした企業だけが動いたわけだ。
過去からの長い期間、国の税収などの制度実施計画には、一部予算執行をしたけれども立ち消えとなった制度は幾つでもある。冷静賢明あるいは老舗の経営管理のノウハウを持つ企業は、それなりに知識もスキルも高いことから翻弄されることは無いのである。
https://mainichi.jp/articles/20170727/k00/00m/040/037000c

2017/07/04

第183号:労働と経営、そのタブーを破る!

<コンテンツ>
労働と経営、そのタブーを破る!
   【低迷する世界経済のなかで、没落する日本経済】

文化価値観 のタブー
   【良心(Conscience)に基づく商品とは】
   【詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為】
   【まず芸術の基本的構成の説明】
   【芸術か否か、パフォーマンスとの比較差異】
   【文化なれども、芸術ではないもの】
   【芸術Art域の労働発揮】

事業経営活動 のタブー  資本主義の本来的姿による経営管理項目
   【近年日本での個別企業の誤った思い込み】
   【大手に比べ有利なことは、中堅中小企業だからこそ】

司法判断 =労働者は、使用者と何を交換するか、それは日本のタブー!
   【スキルskill(技能) パフォーマンスperformance (職人技)】
   【アートArt域は、労働全般を貸与を約する契約】
   【謝礼は、取引における正当報酬には当たらない。だから保障はない。】
   【労働や雇用といった契約の、歴史展開。】


§労働と経営、そのタブーを破る!
☆金融投資一辺倒での利益(利潤)を追い求めなくても、個別企業と個人(その家族)は充分やっていける。
「幸福追求」、並びに「厚生事業」とは異なる概念であり、各々を区別して究明することで、
その方法と、その方向へのベクトルについて、今の日本の公共や民間の社会インフラをもとに、研究をしてみた。
それは、【文化価値観】【事業経営活動】【司法判断】の三分野に渡り、労働と経営のタブーを破るものとなった。
司法判断と文化価値観のタブーは国際的新発見とのこと、事業経営活動のタブーは20世紀初頭の記録は存在。
(どなたでも学術論文への引用可能、論証根拠・エビデンス提供しますから広めてください)。
タブーとは、「なるほどと納得の行くもの、にも関わらず話題にならなかった」との意味である。
学問的見地から客観性合理性の検討をした。
一般の人に、「なんだ!それ知ってる」と評価されてこそ、初めて学問的成功なのである。
これは、日本人初のノーベル経済学賞候補になった森嶋通夫(略:ロンドン大学名誉教授)の教えである。
労働と経営のタブー、この解明は正当な商品取引、正当な経営権、正当な労働権の根拠となる。「弱い者いじめ」とか暴力団にも対抗できる。ことに芸術Art域の労働は、経済善循環を牽引する文化価値観の主役となり、それに携わる製造小売とか様々なサービス業務で芸術Art域の労働が正当に評価(その部分が貸与契約)できることとなり、個別企業での善循環を活発化させ、これが世界の客を呼び、これが世界に売れる商品を作り出すことになる。ラッキーなことに、このタブーを個別企業も個人も目的意識化をすれば、ICT機器で発信が出来るなど、もう国家の経済政策に頼らなくてもよいのである。

【低迷する世界経済のなかで、没落する日本経済】
これを打ち破るには、まず各々の個別企業が労働者とともに、
今月のメルマガで述べるタブーを破って、創造的経営展開をするしかない。
★今あたかも100年前と同じように、かすめとった政権を維持するため、旧態依然に浸りきった大多数が納得しそう?な経済政策話を、表向きは実行するかのような話だけで、その裏で実は財政破綻と民間大多数の非協力状況を招来し、その狂気の全体主義的経済政策で社会破綻の墓穴を掘り進んでいる。この5月24日と6月21日の総理官邸での「生産性向上国民運動推進協議会」(小売、飲食、宿泊、介護、道路貨物の5分野)は2回とも、社会主義経済手法を思い出させるサンタンたる内容だ。少し教養のある人ならば戦前のヒットラー経済、ソ連のスターリン経済、日本の軍部ファシズム統制抑圧、これを誰もが思い浮かべるだろう。今や日本企業の最大株主は日本銀行となり=霞のかかる白昼の社会主義的な幻想経済である。
★EUは崩壊どころか、筆者の推薦する識者の予測通り、EU結束は固まりつつある。英国の脱退で英国らにかき回された金融危機から2017年の今年は成長軌道に乗った。大手マスコミの根拠のないEU崩壊説も、今年の選挙がその結果を示し、改めてEU結束が強まった。EUへの日本経済進出は、意味不明なTPPとは大違いである。EUや東欧への日本商品進出ルートは未だ未開拓と言って良い。従来から貿易関係者の間では、日本文化の価値を含む商品なら売れると言われている。
★金融投資にしか興味のない人たちは、さんざんAIIBアジアインフラ投資銀行を敵対視していたが、AIIBへの産業投資は世界規模での資本動員に、AIIBは成功した。ここで日本の民間大多数はグローバル展開に格段の差で乗り遅れてしまった。併せて、北朝鮮が暴発(ミサイル発射ではなくして軍事南下)しないよう、中国の不安定さを解消する国際経済協調も進みつつあるようだ。(なお韓国へのアメリカ軍補給路となる日本には、新幹線、原発を狙った北朝鮮関係者の侵入を各県警が察知しているとの情報)。
★むしろ、金融情報資本の動きに誘惑された結果、東芝、日本郵政、もしかすれば三菱重工など、多額の資本が瞬時に海外へもち去られようとしている。金融投資に活路を見いだす事のみの「経済を語る者」は、口先ばかりで失敗続き、内通により餌食にされクイ荒らされていると見るのが妥当だ。その実態は霞が関の官僚とともに、「霞と泥沼」の様相である。


§文化価値観 のタブー
人間の行動は、その地域の文化の影響を、経済活動や政治・社会制度を通じ、受けている。
それは善くもあり悪くも有り、しかるにそのベースは良心(Conscience)である。
ただし、この論議は複雑怪奇でもあるから、全く別の機会に設けるとして、
経済活動における商品普及を見れば、その結果は判明している。

【良心(Conscience)に基づく商品とは】
①少なくとも売れる商品であり、
②長続きする商品には、良心(Conscience)に基づいて、
多少なりとも芸術性があり、芸術Art域の労働発揮によって成されている。
良心(Conscience:善悪より高次元概念)は有史以来、「愛と勇敢さ」の源泉。
それらは日本ではなじみの薄いが、ものづくりにもサービス(服務)にも通じるものである。
その芸術全般には、後で述べる基本的な構成が存在しており、
これを明確に示すことが出来なかった訳は、
「文化」といった用語に、ひとくくりにしてしまったことで、概念や思考がぼやけてしまったからである。
ここの芸術性に、文化の何事をも牽引する主体と力の源泉が存在するのは間違いない。
よって、文化を牽引する芸術性についての法則性その他の研究を進めることが、経済発展につながる。
それを取り入れた資生堂、ミキモト真珠、辻調理といった明確な企業事例である。
もっと身近な事例を示せば、
工業デザインの元祖は、ウィリアム・モリスの壁紙工房から始まり、芸術性を貫いたモリス商会である。
(モリスの妻をモデルに劇や映画マイフェアレディは創られた。)

【詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為】
ところで市民革命をはじめとして、これを民主主義社会においては人権を踏みにじる行為と定められた。これが経済や商取引の経済であることは、王制時代の重農主義や重商主義でも論じられていた。だが、民主主義ではなかった中世などは、良心に反する行為と認識されていたものの、詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為は日常的で、永らく貧窮は罪とさえ思われた時代もあったのだ。
こういった事は現代でも、「あいまいさ」を利用して全体主義者は利益をかすめ取ろうとするし、官僚主義者は事なきを得るために指摘されるまでは故意に見逃すことは通常である。だから、経済的民主的チェック機構を人類は各国で発明し続けるのである。ちなみにアメリカでは、こういった人権確保の考えは20世紀初頭に確立され、国内での全体主義は否定され、戦後一気に資本主義の世界展開を図るアメリカの基盤となったことは、誰もが否定出来ない事実である。また1937年から2年間にアメリカは芸術家の失業対策芸術事業をも行いアメリカ文化の基礎を築いたのである。

【まず芸術の基本的構成の説明】
どんな芸術も、基本は三つの構成であり、四番目になって装飾的なパフォーマンスである。
<次に示すスケッチ画で説明するが、詩にも音楽も造形にも共通する>
①時空を超えた不完全な部位の結合connectによる一つの想像物で構成する。
②受け止められる共感は無限性物語の核心テーマを想像して構成している。
③飛び出してくる誇張部位が受け止める者の瞑想的想像で幾重もの意思疎通を構成する。
④(装飾)ここで初めて、調和・純粋な装飾パフォーマンス(職人技:機械化理論化が未だ困難)が加わる。
ここで言えることは、
芸術の基本的構成の表面にパフォーマンス(機械化理論化が未だ困難))が散りばめられていることである。
パフォーマンス集積結果の上に芸術の基本構成が存在しているわけではない、素人はここで錯覚する。
すなわち、パフォーマンス能力がなかったとしても、芸術の基本的構成は成り立ち得るのである。
要するに結論は、
誰でも、①~③の芸術の基本的構成で組み立てれば、芸術Art域の労働発揮が可能なのである。
芸術Art域の労働発揮が、ものづくりやサービスの根本に存在すれば、その商品は売れる。
ここに、固有文化価値商品が、寵愛され、供給後も商品価値が増殖する要素が存在する。
すなわち、
労働力全般での「愛と勇敢さ」がなければ、高度なデジタル労働力のパフォーマンスにすぎない。
それは、街角の対面販売、小売業、ネット通販などで、成功している人たちには、知らず知らずのうちに用いられている。加えて、AI人工知能で成功するにも、その効率化に「愛と勇敢さ」でもって息を吹き込むことができるのである、失敗の成否はここにある。
固有文化価値の商品を担う人間の働きは、労働力全般であって、
予め企画計画(プラン、プロダクト、スケジュール)に、「はめこまれた労働力」の行使ではない。
……世界各国の大手企業が、事業や仕事の上辺だけとなり、労働意欲減退に陥る原因解明のヒントがここにある。

【芸術か否か、パフォーマンスとの比較差異】
パフォーマンスは、曲芸や珍しさの希少価値の展示や品評といった誘惑に陥ってしまう。
アートは、将来に向かっての明るさ(希望)を表現している、これに対し
パフォーマンスは、過去を振りかえるもので、理屈や人目を気遣うことから、過去への暗さは増長される。
過去の業務全般に対する、傾向と対策の範囲において、機械化(AI)の対象となる。
いくらパフォーマンスでも、AI人工知能での効率化にも息を吹き込むことは不可能である、だから売れない。
AI人工知能を駆使して、人々の傾向性を見つけたとしても、それは欲望の塊にすぎず、社会の価値増殖には寄与しない。
パフォーマンスによる高付加価値商品は、感動や気晴らし商品構成となり、消費者の不満が募る。
そのことから、パフォーマンスの希少価値を追い求めることとなり、気晴らしはあきられてしまい、それは現在のような経済的破綻を招くこととなる。
パフォーマンスは感受性を排除するから、心に浮かんだ絶対的美や価値のみのイメージを選び、芸術のごとくの時空を超えて他の物との結合や共鳴には注目しない。
パフォーマンスの結合とは、終始一貫して、心に浮かんだ絶対的美や価値を支えるためだけの、支柱だけであり杖の役割だけしかない。
パフォーマンス、それは現実的な存在物のリアルさを表現し、その善し悪しは表現の完成に比例して決まるのである。
観察者というパフォーマンスに長けた者の癖は、芸術の現実の実態を表現するのは観察力と誤解し、もっぱら表現の完全さを求める。
描く対象は征服されるものとしての、パフォーマンスの眼差しの対象となり、高級な芸術の装飾品には一般的に適さない。
グロテスクは、描く対象の法則性に不注意で、心に浮かんだ絶対的美や価値のみをイメージするから俗化するパフォーマンスである。
パフォーマンスの弁論家は、不意打ちや罠で話が構成され、オモシロ、おかしく気晴らしにはなるが、益々不満は募るばかりである。
パフォーマンスは、約束されたものや指示された限度を超えて、より多くを与えることはない。

【文化なれども、芸術ではないもの】
芸術性の存在とはかかわりなく、シンボルによって想像・構想される絵画も、例えば宗教画と言われるものも文化ではある。
芸術性に必要な想像力や構想力を排除して、事実や事実関係を記録するあるいは学問的に分析する文物録音録画も文化ではある。
ドキュメンタリー映像であっても、シンボルや事実の羅列では芸術性を構成しないし、それはパフォーマンスであって芸術Art域の労働発揮ではないからだ。
「固有文化価値の商品化なのか、文化的事業基盤形成事業の形成なのか」
結局は、
A.幸福や希望の実現を追い求める上でのことなのか、
B.厚生事業に柱を置くものなのか、それによって、その具体策が異なってくる。
過去に現れた事物の、「傾向と対策」から導き出されている事柄を目標にした客観的合理的思考習慣(システム概念)は、
幸福と希望の排除をもたらすこととなり、それが個人や社会に共通する価値増殖を逓減させて来た。
アートArt労働は、
その場の観客や需要者を巻き込み、集団を結合するプロデュースで具体化される。
そこには、異質で異なるものを結合Connectさせる芸術構想力の前提の基、
①アーティストの想像力に基づいた構想力の組み立てで、
②アーティストの技巧に導きリードされた法則によって、所謂美をその場に演出する。
③よって曲芸や珍しさの希少価値の展示や品評といったパフォーマンスの陥りやすさを解消することができる。
アートArt労働との用語法は、
芸術性労働の純粋集合体を抽象的に表現したものであり、
スキルやパフォーマンスが、芸術性労働によって導きリードされた場合は、
「固有文化価値の商品化なのか、文化的事業基盤形成事業の形成なのか」を問わず、
意欲・感動・希望の三分野がセットされた固有文化価値商品が形成される。

【芸術Art域の労働発揮
それの中身を確定することは、現段階では難しい。目的意識的にやってみて確立する必要がある。
労働力の所有権を使用者に譲渡する、この事例が20世紀初頭から始まったことで、新しい社会制度が確立された。
それと同じように、これから、
芸術Art域の労働の有形無形財産の貸与契約あるいは、有形固定物に限っては所有権譲渡契約が、
産業一般に流通する段階を進むにつれて、中身が充実確定する。だとしても100%確定は難しいとしてもだ。


§事業経営活動 のタブー  資本主義の本来的姿による経営管理項目
ここに示す項目は、日本ではタブーである。
だが、アメリカなど起業や事業の盛んな国では、当たり前の認識である。
エピソードだが、フィンランドでは介護資格取得には、近年は介護事業の起業独立経営のカリキュラム(公務員的画一思考是正を含め)が必須である。
なぜ日本では、この資本主義の本来的姿による経営管理項目がタブーとなったのかは6月号メルマガ参照。
http://soumubu1.blogspot.jp/#182-10
資本主義の本来的姿による経営管理項目 この三つは有機的に結びついたセットだ。
これこそが、経営トップの行うプロデュースである。

[1]個別企業の、
    ①人的物的な技術力、
    ②優位な取引&貨幣転化の迅速手法、
    ③市場や銀行での信用創造
   を総合的に組織的に運用して資金回転率をあげること。
[2]その動きを形成・展開・まとめ収める、そのイニシアチブと実行力を個別企業内外で安定確保する。
   個別企業で恒常的に実行ができるように、商品提供ネットワーク実行力も社内組織も独自で形成し、
   そのための人材(いわゆる監督職ではなく管理職)を確保定着させること。
[3]事業や資金への天才的投資チャンスの適時適宜性を磨くことに専念すること。
   及び日常的に個別企業独自の危険要因を探し出しておき、
   その危険事態(それは内部では分からない、だから外部の専門家)を予防すること。

【近年日本での個別企業の誤った思い込み】
前述の1項目のみを、経営だと思いこんでいる経営者が圧倒的だ。
2項目や3項目の弱さで、そういった自覚を経営者が持つ前に崩壊する下請け企業が多い。
2項目が極めて特異な集団の一つにアウトソーシング会社が、日本では少しだけ存在する、
だが、人材派遣会社、国家資格を有する事務所には、(法規制で)アウトソーシング能力は全くない。
3項目にばかり専念して仕事の受注はするけれど、丸投げ発注するブローカー的企業も少なくない。
起業といえば日本では、1項~3項の何れかひとつと錯覚している、ことに中小企業庁がそうだ。

【大手に比べ有利なことは、中堅中小企業だからこそ】
官公庁や都市銀行などに頼らなくても、
 【資金回転率】を引き上げることで効率的投資も叶うし、
 【実行力】商品提供ネットワーク実行力も社内組織も独自で形成できるし、
 【適宜適時力】機敏さもあり柔軟性もあり、機敏予防にも長けているのである。


§司法判断 =労働者は、使用者と何を交換するか、それは日本のタブー!
労働者が、使用者と交換するものは、法律、経済、経営いずれ本にも書いていない。
今やICT産業革命で社会に文化、そして経済構造が変わる。
それに応じた労働の交換概念も変化し、変化を先取りし定着させる個別企業こそが、有能で高価値を生み出す人材を確保する。
ICT産業革命時代での労働全般の所有や取引での権利義務概念を創造的にタブーに挑戦する。

ここでの「労働」といった用語は、民法の特別法である労働契約法、労働基準法その他の労働に係る行政法に定義されている事柄より広い意味で使用している。そのため労働という言葉の認識が、日本国内法令などによる狭い解釈にならないよう注意することが肝要だ。また意味不明だからと言ってギャラ、出演料、コマ代その百通りの概念を用いるのも誤解と不振、価値逓減のきっかけとなる。
スキルskill(技能)、パフォーマンスperformance(職人技)、アートArt域の労働三分野の解説(6月号メルマガ)
http://soumubu1.blogspot.jp/#182-12

【スキルskill(技能) パフォーマンスperformance (職人技)】
取引相手である経営者との、「労働力」の取引で、
 「その労働力の所有権を、使用者に譲渡する契約」である。
①労働の内容が、既に概ね決められている。
②仕事を実施する場所が定められている。
③予め、そういった内容を労働者は了解したうえで仕事をする。
この論理の上に労働法は形成され、職業安定、職場環境や安全配慮義務、労災保障が成り立っている。
★スキルの労働力は、機械化の対象となる。
労働力賃金(所有権譲渡契約)が高ければ機械化が進み、機械化投資額が高ければ低賃金の労働力確保となる。
いずれにしても、純粋にスキルの労働力のみに頼れば、高価値製品・高水準サービスの商品構成は難しくなる。
★パフォーマンスの労働力は、個人もしくは小集団完結を追求する。
 イ)過去の業務全般に対する、傾向と対策の範囲において、機械化(AI)の対象となる。それは、「一体となった職人気質&職人技」の排除に向かう。職人気質や職業倫理による技術の確保維持発展の阻害が証明されれば、一気に機械化(AI)される。法律制度が目指した「職人気質&職人技」(医師、弁護士、大学教授といった資格者)は文化価値を有するのか否か。
 ロ)あくまでも「傾向と対策」のパターン処理は、在宅型業務処理(勤務)、小企業業務請負、フリーエージェント(案件ごとの労働契約)の表装を帯びていく。
 ハ)すると、プロダクト(生産)・マネージャー、傾向と対策の調整を行うコーディネーターの概念となる。
 ニ)パフォーマンスによる高価値製品・高水準サービスは、感動や気晴らし商品構成となり、消費者の不満が募ることから、希少価値を追い求めることとなり、経済的破綻を招くこととなる。

【アートArt域は、労働全般を貸与を約する契約】
アートArt域 と言われる労働全般は、
取引において、造形物理的要素や解釈要素を含み
①「労働全般能力の発揮によって形成した、有形無形財産の貸与を約する契約」であり。
もしくは、
②アートArtの「有形固定物に限っては、その所有権を譲渡する契約」なのである。
★さまざまなアートArt作品を形成する芸術的天才は
美しく良いもの、かつ希望を感じるものの、法則性をつかみ、作品への技巧の法則を行い、その疑似的再現を実行する。
まさしくこれが、パフォーマンスperformanceによる職人技とは異なる部分となる。
★アートArt労働は、
その場の観客や需要者を巻き込み、集団を結合するプロデュースで具体化される。
そこには、異質で異なるものを結合Connectさせる芸術構想力の前提の基、
①アーティストの想像力に基づいた構想力の組み立てで、
②アーティストの技巧に導きリードされた法則によって、所謂美をその場に演出する。
③よって曲芸や珍しさの希少価値の展示や品評といったパフォーマンスの陥りやすさを解消することができる。

【謝礼は、取引における正当報酬には当たらない。だから保障はない。】
あるいは、「お布施」と称するものも同じく、
委任契約における、無報酬を前提とした、慣習の変形にすぎない。
したがって、報酬を受け取る権利や支払う義務ともに原契約だけでは存在しない。
また、「格」とか人格権は著作権における保護要件には成りうるが、
実労働したものの報酬には一切かかわりがない。
これらいずれも、如何なる権利義務をも保障しない。
権利義務の形成には料金、場所及び時間その他の書面契約が不可欠となる。

★また別の論点だが、著作権の世界的認識は、
販売組織(会社)の売買取引の安定性を高めることに目的がある。労働能力の一部である労働力、或いは労働全般能力の発揮のいずれにしろ、これを重視して考えられた概念とは言い切れない。著作権は派生的に労働協約などの交渉根拠とされているのが世界先進国の傾向である。

【労働や雇用といった契約の、歴史展開。】
ちなみに労働契約とは、土地の付属物であった農民とは異なった契約である。
1st)労働力での成果物を取り上げ→生活費を労働再生産費用として賃金を支払う=搾取と言われる労働(力)交換システムである。立場が弱いから買いたたかれ→闘いとなる。ただし特筆するが、欧米では、奴隷制度名残の身分制度の影響が今も続くことは日本との違いである。
2nd)労働力を機械生産工程の代わりに使い→機械費用の代わりに通貨を支払う=労働力の所有権を譲渡契約し、代金の賃金を払う。→集団的労働関係を創り近代労使関係を築き産業の安定成長を図る。労災保険制度、失業保険制度、安全配慮義務などは、この「労働力の所有権譲渡契約制度」の充実保管の制度部分である。
3rd)ところが、こういった労働の交換概念の司法的研究は存在するが、こと日本では法定法理とされていない。司法判断にかかわる法曹界ではタブーである。したがって、司法研修所、労働基準監督官その他労働法がらみの公的職業人での学習が貧弱なのである。近代労使関係を学んでいない法曹関係者は、苦肉の策で人格権とか不法行為責任といった曖昧な範囲で処理をはかろうとする。どうも此処に、ICT産業革命での構造変化に応じきれない労使の人材概念の権利義務混乱(明解に納得できない)が産まれる所以があった、弁証法的にいえば。
4th)そこでもう一度、古代からの司法概念を振り返り、ICT産業革命時代での労働全般の所有や取引での権利義務概念を、タブーに挑戦し創造的に発明してみた。それは、およそ100年前アメリカで労働力所有権譲渡に因る賃金交換が発見され、司法判断が始まったようにである。また日本にあっては、約400年前に奴隷制度が禁止されていること、現行社会経済制度が欧米とは異なることから、現行の如くに労働に掛かる各種財産権が法定法理に成ることは未来話ではある。
5th)だが、とりわけArt芸術域の労働全般の契約が下支えとなり、職業能力の各自目標や希望となることで、司法判断も得て社会の経済や豊かさを広げるだろうと確信できる。タブーを破った今は、突飛な「発明」だけど、実利(高価値・短時間労働)にまつわる固定観念を打ち破る。それは法則化理論化によって良心の自由を奪われようが、またそれはグローバルな展開だとしても、それは保障されることになるからである。(そうなれば、極東アジアと東南アジアで、その保障は顕著な現象になるだろう。Art芸術域の労働とともに「発明」は輸出されるかもしれない)

2017/06/06

第182号:個別企業の事業再生が図れる、そのポイントとは!

<コンテンツ>
「働き方改革」での 厚労省実行計画の 個別企業に及ぼす影響
「労働契約解消金」日本再興戦略を受けて厚生労働省:検討会報告書
そこは取り急ぎ、個別企業の事業経営を浮かび上がらせる
 1st)まずは経営のチェックポイント、価値と資産を生む労働(働き方)を整理
 2nd)今や、サラ金地獄に陥ったような経済状況(金融情報資本主義の限界)
 3rd)それは、商品の生産をスキルskill(技能)にばかり頼る経済・経営が限界
 4th)日本の官僚や大手企業は、100年以上の昔のごとく
この瞬間の中堅中小企業:経営チェックポイント。
 ☆資本主義の本来的姿による経営管理のチェック項目。
  これらポイントを経営管理の通例としなかった日本
 =経営技術水準が低く実力も実力無いと、見栄張りのガンコ者になる=

労働能力の三分野、それが解れば変わる育成法
 1A.アート Art と言われるもの
 2A.パフォーマンス performance というものは何?
 3A.スキル skill(技能)これが職業能力と思われているもの
 4A.では、アートの労働全般能力、あるいはパフォーマンスの熟練労働力は、
 5A.加えて、フォーマンスやスキル(技能)は、実のところ
 6A.アート、パフォーマンス、スキル(技能)、この三つの分野の仕事スタイル


§「働き方改革」での 厚労省実行計画の 個別企業に及ぼす影響
政府の最大の柱とは、同一労働同一賃金&長時間労働の上限規制だとの、厚労省の認識となっている。以下、実行する監督行政部隊の方針である。
【同一労働同一賃金】の、厚生労働省の実行計画は、従来のガイドライン案を法制化する程度以上のものはない。したがって、一部には現状維持の定修正のセミナーも開催されるようになっている。それは「同一価値労働」ではない宿命にすぎないのだが。
【長時間労働の規制】は、原則月45時間以内などの現行告示を法律に格上げ罰則規定も設置程度である。
★信頼筋によると、官邸筋は経済界には会合でも発言を抑え込み、有無を言わせない姿勢との情報だ。また、多くのレクチャーでは、「実質は従来と変わらない」といった話ばかりである。
★厚労省独自の監督行政の動きは、何と言っても今年1月に公表された、「労働時間の把握」についての通達である。都道府県労働局の説明レクチャーでは、「徹底的な労働時間の監督を行う(おそらく秋以降?)」、そこで、「今から各事業所で準備をするように」、といった内容になっている。個別企業にとっては、こちらの対策が重要であることは間違いない。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html


§「労働契約解消金」日本再興戦略を受けて厚生労働省:検討会報告書
厚生労働省は5月31日、「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」の報告書を公表。報告はとにかく長く、労働法専門知識と紛争実務経験があってこそ読み解ける内容である。ここしばらくの内閣官房に対する省庁官僚たちの態度の変化が現われているのかもしれない。昔に厚生労働省内で解雇の金銭解決制度が建議されたことがあるが、それに比べると、筆者が読む限り大きくトーンダウンしている。
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11201250-Roudoukijunkyoku-Roudoujoukenseisakuka/0000166365.pdf
★金銭救済解決は、マスコミ報道の閣議決定から連想できるような制度を作ることが、現行法規の理念からは技術的に難しいとしている。むしろ金銭解決額は予想よりも高額を要し、労働者本人に責任がある解雇でも少なくとも3ヵ月とし、妥当な金額幅は示さないもの労働審判や紛争調整委員会の和解金額を、はるかに上回る必要とのニュアンスも否めない。これでは中小企業の支払い能力に懸念があるといたような内容となっている。
★また、労働者には、そういった金銭救済解決のニーズは無いと、報告書は断言している。巷のマスコミの一部には、この制度が実施されれば労働者に有利な制度ではとの憶測も出ているが、報告書の内容を追っていくと、それは、詳細に渡り打ち消されている。


§そこは取り急ぎ、個別企業の事業経営を浮かび上がらせる

1st)まずは経営のチェックポイント、価値と資産を生む労働(働き方)を整理、そのための調査研究をしてみた。巷の経済学は金融・情報・希少価値といった、肝心の価値と資産に関する話が見当たらない。経営のノウハウ本も浮ついた出版やネット広告が目立ち、戦後の経済成長を世界的に支えた経済理論とかノウハウを、読んだこともなさそうな下世話な話ばかりである。
あまりにも呆れたので、今回のメルマガは、緊急応急策を中心にまとめてみた。次回は経済学の根拠でもって、どうすれば発展的計画的事業経営の指針についてまとめる予定である。じゃあそれまではとなると、将来のために我慢して事業縮小(資産をはがされないように)することある。それは、会社の資金繰りを超えて、従業員の方の生活保護とか各種公費の減免手続きまでも考えてもの個別企業の存続計画である。
とにかく倒産してしまえば、価値と資産を生むノウハウ自体が喪失してしまうのである。

2nd)今や、サラ金地獄に陥ったような経済状況(金融情報資本主義の限界)とも言われ、個別企業の事業経営が行き詰まりを見せている。最終消費となる個人消費の激減どころか、労働者の将来希望喪失による労働意欲激減は人材不足をきたしている。企業の有効求人倍率は数字は高いがパートや契約社員ばかりである。契約社員の求人では応募ゼロの個別企業も増え続けている、すなわち、「そこまでして働かない!」といった労働意欲激減が、何もしない生活といった貧困化に流れているのである。その一方で、増加するのが詐欺、脅迫、貧困に付けいる取引といった犯罪や「半グレ」主宰のズル賢い系ニュービジネス犯罪である。

3rd)それは、商品の生産をスキル skill(技能)にばかり頼る経済・経営が限界にきている現在、100年以上昔と同じように、「産業の機械化及び人間の家畜化」といった方法で乗り切ろうとするから、一気に衰退を迎える様相なのである。ブラック企業のさまざまな現象、長時間の無給労働、職場の仲間同士の足の引っ張りあい、事業効率の徹底した悪さの蔓延に現われているのである。
むしろ、100年以上昔に、各国が経済を研究し社会制度を改革したことによって、第二次世界大戦の前後から以降の経済成長をみたのである。短絡的表現ではあるが、「経済を研究し社会制度を改革」しなかった国は、資金を海外投資から受け入れたのだが、根本の経済政策を間違い経済後退してしまい、さらに政権にしがみついた首脳たちは全体主義の道を選んだ。
ナチス:ヒットラー、イタリア:ムッソリーニ、旧ソ連:スターリン主義、そして旧大日本帝国がそうである。例えば、日本は正金銀行(金塊取引)で、アメリカ本土から借り集めた資金でもって、満州事変の戦争費用に充てた。昭和大恐慌から立ち直るやさきの経済政策には投資しなかったことから、益々悪化していったのである。「贅沢は敵」と言い出したのはこのころからである。挙げ句に、国民は国債を買わされ、会社員のボーナスを全て国債購入に、町内会隣組では国債の割り当て、そして終戦の時には「ほぼ〇円の国債価格」となった、超インフレ政策であった。

4th)日本の官僚や大手企業は、100年以上の昔のごとく「産業の機械化及び人間の家畜化」との、「経済を研究し社会制度を改革」を放棄した状況と基本は同じく、それでは選挙で負けないようにと考えて耳ざわりよく、「イノベーションと働き方改革」と言っている。だがその中には、本来のイノベーション(筆者の原典紹介)の一部分に似せたような似非な機械化(IoT,BigData,ITなど)への機器投資にすぎない。
「働き方改革」は現在の機能不全状況を法律で追認する程度の話であって、これには大手をはじめ中堅中小企業に至るまで無視しており、厚生労働省とそのシンクタンクも面従腹背を決めこみ機能停止状態である。すなわち戦前日本と同じように、資金を海外投資から得て(ただし、現在の夢物語)、いわゆる彼らのいう「ソフトやノウハウ」には注ぎこまずに、というわけである。「誠に戦争中の官僚たち」と同じく全体主義に流れていってるのである。


§この瞬間の中堅中小企業:経営チェックポイント。
消費動向は益々低迷、海外輸出はまだまだ不振、進出したところで会社身売りの公算が高い。それは、高度経済成長以来の政府主導の計画経済産業政策とバブル崩壊以後の低減縮小に原因がある。だから、最終消費である個人消費を向上させることになっていない。金融政策の中小企業の金づる(金融借入金が銀行の株主化に変質してしまった)でもって、システムから経営思考習慣までが社会主義化してしまっている。

資本主義の本来的姿による経営管理のチェック項目。
〔1〕
個別企業の、
   ①人的物的技術力、
   ②優位な取引&貨幣転化手法、
   ③市場や銀行での信用創造
 を総合的に組織的に運用して資金回転率をあげること。
〔2〕
その動きを形成・展開・まとめ収めるイニシアチブと実行力を個別企業内外での安定確保する。個別企業で恒常的に実行ができるように、商品提供ネットワーク実行力も社内組織も独自で形成し、そのための人材(いわゆる管理職)を確保定着させること。
〔3〕
事業や資金への天才的投資チャンスの適時適宜性を磨くことに専念すること。及び日常的に個別企業独自の危険要因を探し出しておき、その危険事態(内部では分からない、だから外部の専門家)を予防すること。

……現実経済から出発すれば、こういったポイントなのだ。
海外の近代経済学と言われる研究は、不思議にも紹介されている例が少ない。じゃあ日本国内に、それが無かったかといえば、近江商人の商業資本主義には残存している。が、ほぼエピソード程度の表面的なものしか語られていない。
そして、最近の個別企業では、
前述の一項目を経営だと思いこみ、
二項目や三項目の弱さで崩壊する下請け企業が多い。
二項目が極めて特異な集団の一つにアウトソーシング会社がある、
   だが人材派遣会社には能力は全くない。
三項目に集中して仕事の受注はするけれど、丸投げ発注するブローカー的企業も少なくない。

これらポイントを経営管理の通例としなかった日本
その時代に、何が原因で、何があったのか、
 One. 日本の財務省や経済産業省の政策は、(社会主義と同様の)計画経済であるから、官公庁の官僚思考たちの政策にそぐわない。
 Two. 日本の学術は官公庁の官僚にそぐわなければ予算がつかない。日陰者はメジャーから相手にされないといった経済や経営学の学術界のシステムがある。だから学校や周辺では知り様がない。
 Three.あまりにも原因と結果に重きを置いた客観的合理的論理展開の学問でなければ、官僚の多くは理解し得ないからだ。
……大学受験のための勉学は、ひとえに「傾向と対策」であるから、客観性理性のない事象寄せ集めの断片知識による法則性や論理展開の無さに曝されてきたから、実社会では使い物にならない「飛びぬけた能力」だとしても、その「傾向と対策」能力では理解は出来ないと思われる。
おそらく多くの大学では、根本的なところからの科学思想史は教えてもらっていないだろう。所詮アカデミックな古代古典哲学の翻訳が目立つが、それでは社会経験の無いの学生には理解・思考・応用は出来ない。
……だが、現在から将来はグローバル時代であり、
実は官公庁が推薦する政策とは異なっている。
あれこれと官僚たちは独自解説をするが、彼らは官僚機構が在ってこその保身経済政策しか考えない。
……また、中堅中小企業だから、官公庁や都市銀行などに頼らなくても、前述のとおり、
【資金回転率】を引き上げることで効率的投資も叶うし、
【実行力】商品提供ネットワーク実行力も
     社内組織も独自で形成できるし、
【適宜適時力】機敏さもあり柔軟性もあり、
       機敏予防にも長けているのである。

経営技術水準が低く実力も実力無いと、見栄張りのガンコ者になる
★「おもてなし」といえども、
個々の客へのメニューや商品の微調整が出来なければ、回転率も実行力も適宜適時力適宜性も成り立つわけがない。
ここは最終消費財にかかわる個別企業の命取りである。
★伝統や文化あるいは緻密さにかかる職人技能だとしても、
外国客のニーズにこたえない、相手との意思疎通をしない、顧客に共感して工夫しない、といったことで売れないのである。
[もの作り]や[人をケアcareするサービス]のイノベーション
   の教育要点は次の通りだ。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/22

☆近代経済学を切り開いた学者たちは、
経済学研究をすることで、およそ口をそろえて、
経営陣が安易に「機械化と家畜化」によって利潤を得ようとすることでの事業衰退を防ぎ、あげく左右の全体主義政治に陥って崩壊しないようにと、当時からすでに研究目標を置いてきた。
よって、(肝心な経営理念は各々読者に任せるとしても)
【資金回転率】、【実行力】、【適宜適時力】がなければ、
経営者筆頭の個別企業そのもの自体の「機械化と家畜化!」
でも、それさえも論外であり、それどころか、もう経営管理の資格外なのである。
現実に、失われた10年の30年目突入、この悩みが経営者の内心に漂っている。


§労働能力の三分野、それが解れば変わる育成法
アート Art、パフォーマンス performance、スキル skill(技能)、
これが労働能力の三分野である。詳細な定義付けとか経済学的分析は、未だ今日まで行われていない。経済学者たちの中で、分析が行われていない理由を聞いても仕方がない。むしろ、必要がなかったのだと思われる。



1A.アート Artと言われるもの
固有文化価値商品の機械的には理解できない品質の良さを醸し出す、そこがアートArtの部位である。これが類似商品と比べて売れる根拠であり、価格水準を維持している根拠である。
微力ながら、部分的ながらも、いわゆる芸術性を商品に持たせる創造労働である。ただ世間で会話している芸術性は、猫も杓子も風変わりな有形無形のものをイメージしている場合が多いから、これでは役に立たない。だが、売れる商品には質量は別として必ず芸術性による部位が存在する。むしろ何気ない配慮と細かい部分から順に機能と表現が表装される傾向が一般的だ。
そのことで、意欲・感動に加えて社会生活や人間関係に希望を抱くことができる。また、全体&細かい部分の機能と表現の人的技術が決定的要素なのである。それを具現化するものが、①提供する人や集団の労働全般能力であり、②有形無形を問わず需要側の希望にかかる共感作用に対する共感精度が、③本人の自覚の有無とは別にアーティストの分野ごとに優秀強力な能力だと推測できる。④またその共感作用に対する共感精度は、労働能力全般を発揮する技巧に法則を持たせるための測定器の役割を果たしている。

2A.パフォーマンス performance というものは何?
パフォーマンスと言われるの労働能力の、アートArtとの決定的違いは「他人に希望」を抱かせないことである。その代わりに買い手の主観に理解されうる論理構成の装いが必要となる。では、パフォーマンスperformanceとは何かと定義するならば、「いわゆる曲芸の領域」である。審美追及主義の文字通り、美を追求するとの名目で、アレコレ理屈を並べることを要する。鑑定書めいた「折り紙」を必要とするのだが、あくまでそれは、提供される側の好奇心や希少性の一体混合作用が主な注目を引く源泉なのである。
くどいけれど繰り返すと、商品そのものには他人に希望は抱かせない、その代わりに提供される側の好奇心や希少性の一体混合作用で目を引く仕組みが必要となるのだ。これが経済学でいう希少性である。それは決して、生産量が少ないから、希少価値があるというカラクリではないのだ。
アートArtとは異なり、決して社会生活や人間関係の構成にかかわる希望には触れないようだ。どうしても個人の内在に陥ってしまうマーケティングでなければ、パフォーマンスと言われる労働能力によって造られた商品には買い手がつかないのである。要は。曲芸の類であるから、そんな商品は入手すれば飽きが来てしまう、それは商品入手後の価値創造や価値加算が行われないからである。やはりパフォーマンスは、いくら熟練を積んだといえども、労働力(それは労働全般能力の一部分)の一種にすぎない。
ピアノ演奏だとしても、パフォーマンス労働力に因るものであればBGMである。壁に大きな絵画があったとしても、パフォーマンス労働力に因るものであれば装飾壁紙の一種である。大工場で作った壁紙のだとしてもアートArtの労働全般能力に因るものであれば芸術性がある。工業デザインの元祖と言われる英国人:ウィリアム・モリスは、19世紀に壁紙などの製造から出発したが、工芸品は拒絶し芸術品を目指した、それが工業デザインに開花するわけである。そして、その当時の工芸品や民芸品、いわゆる食器類、家具、民生用住宅は、職人のパフォーマンスが造るものが圧倒的のである。
いわゆるアートArtとなる芸術性を商品に持たせる創造労働は、目的意識的に計画的にでなければ製造出来ないし、パフォーマンス労働力を開発したり、身につけたりすることとは方法が異なるのである。

3A.スキル skill(技能)これが職業能力と思われているもの
スキル(技能)、これは長寿の人生からすれば、初期技能の労働力である。例えば、「学卒者は作業マニュアルを理解する語学力を身に付けている、それも一種のスキル(技能)」とされている、これは厚生労働省シンクタンク機関の考え方の一例である。スキル(技能)とは、ある程度の作業を、ほぼ自前で判断しなくても実行完成することができるといった、労働全般能力の労働力の部分的能力のことである。
近年は労働者の自主性に考慮することが流行しているけれど、やはり、スキル(技能)の労働力は、「指示待ち」が基本スタイルである。作業工程を企画した後に集団で組織的に労働力を発揮させるからである。スキル労働力とパフォーマンス労働力を混在させると、事務であれ販売であれ作業効率は激減する。パフォーマンス労働力のレベルは、とにかく単独で作業を行わせることである。
そして、スキル労働力の中でも、低価格もしくは訓練中の労働力は=時間単位商品として取引される。高価格かつ訓練完成の労働力は出来高制商品で取引される。月給制社員なのか時間給社員なのかは、個別企業により決めれば良い。この労働力が不足していた時代には、名目は正社員:実質は時間給や日額賃金とした個別企業が圧倒的であった。労働力不足が緩和されると、直ちに低賃金の非正規労働者への雇用の切り替えが進行した、それが近年の2008年リーマンショックの実態というわけである。
スキル(技能)労働力に、同時にアートArtの芸術性を商品に持たせる創造労働を行うことが出来ない。すなわち、売れない商品は、せいぜい購買の「意欲と感動」しか商品化されていないか、意欲の部分をスキル労働力か、感動の部分をパフォーマンス労働力か、その製造や業務を担うのである。
最も売れる固有文化を持つ商品は、ありふれたように見えるのだが「意欲と感動」に加えてセットで、購買すれば「希望」がかなう品だから売れるのであり、そこにはアートArtの芸術性を商品に持たせる創造労働が関わっているのである、それはどうしても労働全般能力の発揮しかあり得ない。

4A.では、アートの労働全般能力、あるいはパフォーマンスの熟練労働力は、
旧来から、それなりの賃金価値として取引されたかといえば、それらは正当に行われなかった。それは明確な取引根拠がなかったからである。労働全般能力や熟練を長期雇用保障との代替取引、30歳半ばまでの生業的独立といった社会システムで、芸術性といった労働全般能力を発揮する権利、熟練性の単純労働力の発揮を上回る労働の権利は、およそ概念化されることがなかったのである。
貨幣収入が必要な場合は、その培った労働全般能力を横に置いておいて、経営者に転身するしかなかったのである。こういった社会慣習は、アートやパフォーマンスそれぞれの能力を曖昧にして、能力向上や開発を放置してきたから、よく売れるレベルの商品が製造されるにいたらず、それなりの賃金価値を支払うといった労働契約も成り立つにいたらなかったのである。賃金を引き上げれば、売れる商品が生み出されると言うのは、このことからも真実でないことは明らかになる。

5A.加えて、パフォーマンスやスキル(技能)は、実のところ
労働力が時間単位商品や出来高制商品としているが、取引相手である経営者との取引で、「その労働力の所有権を譲渡する契約」であることが明快になったのは、労使取引関係に対する裁判所の介入でもっての労働に関する司法の判断においてであった。これによって経営者が所有権を保持するが、所有権個人にかかわる労働力の安全その他の配慮義務が使用者に備わったのである。同じく、仕事内容を了解することがなければ場内立ち入り拒否といった、経営者の統治権(統治義務)の考え方も法的に確立することになった。
ところが、いわゆる古典的経済学では、労働力が(労働にしろ)一体何と交換をしたのかが解明出来なかった。よってその部分の安全配慮とか長時間労働禁止の社会的資産(文化的資産になりうる)に対する解明さに論理発展の遅延を生じているから、そういった古典的な経済学を持ち出せないことは否めない。だが、日本の現状は、古典的経済学もしくはそれ以前の論理が定着している社会だから、労働者にも、「労働力の所有権譲渡契約」がパフォーマンスやスキル(技能)を発揮する人たちの労働契約であることを教える必要がある。それを教えていないから、曖昧どころか、古代へ古代へと迷信のような労働感が蔓延してくることになる。
では、アートの労働全般能力が労働力の所有権を譲渡するものではないとすれば、いったい何なんだろうか、その詳細まで詰めたところの通貨でもって交換されるもの、それはもう少し解明に時間がかかる、間違いなく大発見である。

6A.アート、パフォーマンス、スキル(技能)、この三つの分野の仕事スタイル
は、初歩段階では重なり合う部分が存在するように見えるけれど、それは基本部分では重複していない。三つのスタイルそれぞれの基本部分は、はっきりと異なっている。なので、異なるそれぞれ毎に微妙に訓練蓄積方法が異なるようである。それを最初に判断させるように教育しておくことが重要である。むしろパフォーマンスやスキルといった能力は、本来の労働全般能力を矯正してしまった結果にすぎないと考えたほうが妥当である。
発達障害の子供は、通常の子供と違って、通常以上に発達する部位や能力が存在するから歪な現象が生まれ、それを普通の基準に出っ張りを抑え込む矯正をしようとするから、その無理によって病的障害が現れると見た方が妥当である。それとよく似たことが起こると覚悟している育成姿勢こそ好ましい。加えて発達障害の子供は8歳ぐらいまでに成長する普通の児童と異なり、12歳ぐらいまでかかって、ゆっくり成長するといった経過を踏むらしく、秀才型と天才型どころか、いまだ成長していないと認識して育成に取り組み、アート、パフォーマンス、スキル(技能)の教育を、各々別途に試みる研究も注目に値するのである。
すなわち、スキル技能を積み、→パフォーマンスに発展し、→アートに到達する…といったことは全くあり得ないのである。これは、当社が設立前からの業務部門での実験結果でもある。

幸せになる権利 私的利益・満足=厚生 他人より有利な地位利益
アート スキル パフォーマンス
創造する権利
「創造・独創・時空・結合」
労働力商品
& 労使関係制度
特許権、著作権、版権、
「発明・時系列変化・組合せ」
芸術性(意欲・感動さらに
人間関係での希望)
生命維持性
(意欲・感動)
希少性
(意欲・希少性や複雑な感動)
創造の主張を認める文化
=固有文化価値
技巧の中に法則性保持
人的機械的技術に依存
=効用価値
企画の法則性に限る
発明・曲芸の領域の希少性
審美追求主義の優位希少性
ビッグデータでの情報希少性
5次元の思考
X・Y・Z+time+Connect
2次元X・Y
もしくは 3次元X・Y・Z
3次元X・Y・Z
もしくは4次元X・Y・Z+time
アート
有形無形の完成品
スキル
企画による組織労働
パフォーマンス
単独で労働される

2017/05/09

第181号:全体主義の反対者だけは、個人も企業も活きられる

<コンテンツ>
あなたの仕事や会社は、全体主義者に乗っ取られていませんか?
中堅・中小企業は、全体主義者から、直には狙われはしない。
「常に、敵! の脅威」を煽るのが全体主義者 ←だがそれは幻想。
個別企業の経済・経営管理に及ぼす、全体主義の奇怪な特徴。
 ★★ 個別企業の経済・経営管理に全体主義が及ぼす範囲、あるいは現れる特徴 ★★
 ☆☆ 【 全体主義に、対抗し崩壊させる方法の紹介。その解説付き 】
 ☆☆ 【 物語風に もう一度これを繰り返すと 】
詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為は、
OECD:2017年次:日本経済審査報告 =経済生産性低迷=
経団連によると、「働き方改革」は規制の現状維持 (4/20付け)


§あなたの仕事や会社は、全体主義者に乗っ取られていませんか?
経済低迷に対する具体策を取らないから、人も企業も、そして国も経済が貧困化する。そして、誰しもが「気合い」のみで以て乗り切ろうとする。こうして益々、個人も企業もすたれていく。そこに全体主義者が甘くささやき、日本文化や生き方(哲学や人権)に語りかけ、人々を幻想と妄想に酔わせてしまう。すなわち、象徴を現実に持ち込む思考方式であり、左右の全体主義者やカルト(セクト)化した宗教団体に共通する。本当に彼らは、「夢を現実と思い込み、現実を夢だと」思い込む。それは無教養で貧しい生活環境に位置されている人たちの目には、「まるで神や仏の指し示した希望の光!」と錯覚させられてしまうようである。
だから目的意識的に故意に、彼ら全体主義者たちは、左右やカルト宗派団体(宗教心とは異なる教義)を問わず、延々と「象徴」を現実に持ち込もうとするのである。そのやり口と言えば、「大丈夫、駄目じゃない!」と応援するかのような口調から始まって、必ずモルモットのような「飼育されたネズミ」の方向を徹底させるのである。
それは、ナショナリズムもスターリン主義も全く同一の手法。すなわち、
「一旦、国の権力を握れば、社会の文化や生き方まで、押し付けようとする」
のである。それは、一気に日常生活の肌身にまでいたり、人間関係にまで影響を持たせようと、彼らは策略するのである。その実行は官僚主義者がするのである。(例=森友学園の不正払い下げ)
肝心の経済活動にいたっては、大手のみならず中堅企業に至るまで、そういった風潮に乗って、企業成長の停滞、公序良俗に反する経済不祥事といったものまで見習ってしまうのだ。

★★★ 中堅・中小企業でも中枢社員が影響を受ける。
~個別企業の経営幹部といっても、学歴・知識が(戦前戦後の)官僚的代物に頼った社員ならば、ここで一気に官僚主義を発揮して、経営者やオーナーに対して面従腹背(官僚の延命保身技術)の無秩序を実行するに至るのである。これが、ここ数年の決定的な日本経済や社会の低迷の引き金になっている。
☆ もとより、現行日本の経済制度では
①外注業者の中で「下請け企業」となれば発注企業よりも、経営者も労働者も報酬は少ないのが当然である。
②アウトソーシングとか対事業所サービスや個人消費者サービスは、経済や豊かさは安定をするのだが、官僚的企業運営は致命傷となり企業存続が出来なくなる。
③個別企業の従業員は、そのオーナーや経営幹部に比べて豊かではない。
④中小企業が全体主義では経営崩壊、独裁ワンマンが事業を安定させる。
⑤失業者の雇用拡大増は、会社の起業に比べて、大手・中堅企業の新規事業にかかる採用雇用が圧倒的に有効である。
古今東西、大手企業の立ち位置では、今も昔も官僚主義の浸透受け皿にさせられてしまう。(天下り)絡まれて囁かれて直に狙われる。(東芝など原発産業、日本郵政、リコーその他の根も同じ)。
……さて、あなたの仕事や会社は、全体主義者に乗っ取られていませんか?


§中堅・中小企業は、全体主義者から、直には狙われはしない。
全体主義者からすると、中堅・中小企業は役に立たない。せいぜい自治体の議員の選挙集票の役割程度で、選挙資金が手にできるわけでもない。左右やカルト宗教の全体主義者は事業経営には疎く、資産や資金を狙うにしても「成り金趣味的傾向」があり、話題がマニアックなこともあって人気はない。そこで彼らは、一足飛びに権力取得をやろうとするといった共通点がある。すなわち、マスコミやネットで集票はできるものの、世論を動かす力は蓄積が出来ないでいる。よって結果的にも、全体主義者の周辺にいる中堅中小企業の経営者は、概ねマニアックな人物が多い、また経営に余裕もないからなおさら全体主義に陶酔しやすいのである。
だから全体主義者は、自治体などの権力取得を果たしたならば、公務員や官僚の内から、「その人個人の卑屈さに見合った支配階級への昇進を望む公務員」を引っ張りあげ、地位につけ、全体主義者は彼に仕事をさせるのである。そしてそれ以上の実力や政策能力は無く、その昇進を望む人物の能力を超える全体主義者の政策は、もとより幻想や妄想なのである。
けだし、そういった昇進を望む地位についた人物は、日頃や通常ではコネがあっても出世出来ない程度だから、意欲並びに労働能力向上には自ずと制限範囲を持っている。したがって、殆どの中堅・中小企業は全体主義者から相手にされていない定めであり、加えて、全体主義者の手下(一部公務員その他)からも相手にされていない。だが本当のところは、全体主義者や手下の公務員に、そもそも他人を何とかできるイニシアチブ能力がないのだ。そこで卑屈な彼らは、無学歴とか選ばれていない輩として中堅中小企業を馬鹿にして見栄を張るのである。
だから、全体主義者がはびこってきたとしても

☆中堅・中小企業は経営や経済ではイニシアチブを持っていることができるのだ。全体主義者や官僚主義者に支配されたとしても、
①大手企業から「より良い物をより安く」仕入れ
②個別企業固有の文化価値を持つ商品を生産し
③本来の適切利潤を獲得すればよいのである。
④そういった方が見栄を張る必要もなく経済的には豊かになれる。

☆全体主義者や官僚主義者からの口利きで、無理矢理新規事業をさせられ破綻の付けを回されることもない。

☆詐欺や脅しによる付加価値の集金に手を出せば企業の将来はない。だが、経営幹部自ら気をつけてさえおれば、そんな彼らからのヤクザめいた話を持ち込まれることもない。そんなしがらみに、絡まれることはない。「権力に寄り添えば、必ず権力に切り捨てられる」。これは、数千年も昔からのことわざである。

☆働いてくれる労働者に対しても胸を張ることができる。
大手サラリーマンの仕事は官僚主義に染まっているから、恣意的に上司が認め了解する“プレゼンテーション” に限ってしか、社内提案が出来ない。それでは、その労働者は何年たっても仕事の能力は身に付かない。そこに45歳リストラ年齢も徐々に低下してきており、大手サラリーマンには常日頃から「使い捨てられる!」といった恐怖が付きまとっている。この労働者の不安のために、能力は目先のテクニックや幼稚な処世術程度しか身に付かず、顧客に売れる商品やサービスのイノベーションの職業能力は劣化するしかない。


§「常に、敵! の脅威」を煽るのが全体主義者 ←だがそれは幻想。
核ミサイルが東京に落ちるだの、ひどいものは敵軍上陸との妄想まで持ち出す。
http://www.kokuminhogo.go.jp/pdf/hogo_m_06.pdf

ところが、左右の全体主義者は具体的対策とか被害や災害防止に無関心、ただ煽るだけなのである。
ちなみに、第二次世界大戦やその後の冷戦で侵略を受けた国の多くは、「自由と独立」そして民主主義を根本的な「民間防衛」の柱に置いている。したがって、左右や宗教カルトの全体主義者らにとって侵略する意味がない、要するに占領したところで、住民がレジスタンスを行い&言う事を聞かない社会を作り上げている。その一例が、次に紹介するスイス政府の民間防衛である。これは、ドイツ:ナチスのヒットラーと旧ソ連のスターリン主義を研究した、哲学者ハンナ・アーレントやクロード・ルフォール(フランス)の実証研究が大いに活用されている。したがって、昨今の全体主義者やマスコミのような、あれかこれか二者選択の矛盾や二元論に陥るのではなく、「生命を第一に全力を尽くす現実主義」である。
もちろん、発行元担当は国内対象に責任を持つ連邦法務警察長官であり、スイス軍ではない。
☆『民間防衛』スイス政府の編集(筆者の推薦・書評)
http://amzn.asia/4sk1O6q
ここしばらく、朝鮮半島と日本列島での戦闘の話題で持ちきりである。
日本国内には、基本的な民間防衛の体制は出来ていない。またその具体策が示されたこともない。
マスコミその他は、米軍が戦闘態勢にはないにも関わらず、今か明日の雰囲気を作る。
ミサイルの国内着弾や原発攻撃を語るが、その被爆を個人が防ぐ方法を書こうともしない。
要するに、
無防備のまま、恐怖心をあおり、命もあきらめさせ、責任感もなえさせようとするのか。
この『民間防衛』スイス政府の書籍は、幻想妄想、空理空論があふれる中で、一人ひとりが自由と独立を改めて考えるきっかけになるだろう。
【この書籍は】
永世中立国として有名なスイスで、政府が1家に1冊を配布したものである。自由と独立そして民主主義のために、最も優先するのは、国民の心理的防衛だとしている。それは、教条的訓練ではなく、各人の判断と完全な責任感を養うことだとしてる。隣人愛と公民としての義務の考えを十分に考慮し、「愛情」についても、「確かめ得ない心の動きではなく、意志の表明でもある」(p.23)と説いている。
左右全体主義のイデオロギーに対しては
思想の自由を持って対処すべきであるとし、彼ら全体主義者の手口を紹介している。

★★ 全体主義者のイデオロギー訓練とは、★「責任を感じさせなくする」訓練で、
 ①人間社会生活の法則を、全体主義者は勝手に作り上げ(押しつけ)、
 ②この法則に基づいて、人間の行動を規定するといった具合だと。
……このようにして、人間の自由な思考と行動に対する責任感を無くす訓練をすることと。
★★加えて、「労働者階級の絶望と空腹の状態を、充分に活用」してくるとし、続けて、
『最も経済効率の高い戦法、つまり、最も安上がりのやり方は常にあらゆる方法で、その国を経済的沈滞-不景気に陥れることである。腹のへった者は、パンを約束する者の言うことを聞くのだから』(p.244)
と解説する。
~すなわち~
彼ら全体主義者の手口は、「心理的に侵略しやすくする。」ことだとの警鐘注意の説明をしている。
これは、戦前日本の「贅沢は敵だ!」とか、「欲しがりません、勝つまでは!」の気合の話と通点する。
……戦争や天災で、消滅した都市は、一つとして歴史には存在しない……
~具体的な事態に対して~ もちろん、
核兵器、生物兵器、化学兵器、堤防破壊に対する個々人の防御・対処方法。
消火活動、救助活動、応急手当を具体的やり方も説明している。
全体主義者に対するレジスタンス、住民の抵抗方法も初歩的なものから解説している。
~スイスにあっては、徹底して個々人の自由と独立を第一とし~
『両親、教育者、教師、ジャーナリスト、作家、芸術家、これらの人々は、スイス精神を国民に植えつけ、自己主張の意志を強化しなければならない』(p.163)とまでの呼びかけを行っている。
日頃から、『市町村、州、連邦の役目は、この思想の自由な発展を力の限り促進することである』(p.163)
とし、特に当局の仕事として、「(スイス国民の)精神的抵抗力に対する敵の攻撃方法を模倣するためにではなく、我々の防戦に必要な資料と知識を得るために、詳細に研究させることである」と極めて抜本的に具体的なのである。
スイスは日本と文化は異なり、あまりにも自由・独立・民主主義へのアプローチとか、スイス文化の思想表現が日本とは異なるので、テクニックにとらわれず、是非次の YouTube も参考に、深いところの理解もどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=XPRy6YhsfTs


§個別企業の経済・経営管理に及ぼす、全体主義の奇怪な特徴。
左右やカルト宗教の全体主義がはびこり、森友学園のように流行のように時流に乗れば儲かると猪突猛進を繰り返す人たちの特徴、そして全体主義者とセットで保身を図りで生き延びるとする官僚主義者の思考方法について、個別企業の経済・経営管理に及ぼす範囲に焦点を絞り幾つかピックアップしてみた。
☆20世紀初頭からアメリカの歴代大統領の経済政策に反映されている「制度学派」と言われる経済理論にあっては、自由・平等・民主主義の社会を大前提としてきた。その多くのブレーンがその前提のもとに政策を実行した。そのいずれもが左右の全体主義に徹底して対抗し、予め全体主義での経済の行き詰まりを見抜いていた。それは、ドイツ:ヒットラーに向けての投資を行うアメリカ大手企業が続出したとしても、その経済投資が破綻をきたすことまでも見抜いていた。経済学者ジョン・R・コモンズの著書『集団行動の経済学』(1950年出版)には、「制度学派」と言われる経済理論とともに、底流には全体主義に対抗する内容が多く含まれている。国内の大学経済学部では、自由・平等・民主主義の大前提を何故か教えていない。
☆ヨーロッパでは、ドイツ:ナチスのヒットラーを研究した哲学者ハンナ・ハンナ・アーレント、さらに旧ソ連のスターリン主義を研究した哲学者クロード・ルフォール(フランス)が実証研究を行い全体主義の特徴と法則的理論的解明を行った。スイス政府も、この実証研究を用いている。ところが日本では、全体主義に関する書籍の翻訳も研究が進展しておらず、そういった真髄には触れないままに論評を行う左右の全体主義学者は少なくない。だが、経済学者ジョン・R・コモンズに言わせれば、「彼らは何らの測定もせずに、すぐ理論を言い放ち」と全体主義者を批判し、哲学者クロード・ルフォールに言わせれば「彼らはら幻想と妄想に陥って現実を見ない」と全体主義者を断言している。
☆以下、説明する特徴は、今昨今の日本や個別企業で巻き起こっている事態にそっくりであると、あなたは受け止めるだろう。だが、これは、ドイツや旧ソ連・東欧諸国で、その当時に実在した実態から導き出した法則なのである。だから学問であり、時代を超え世界各地に通用するのである。(専門的用語や言い回しは筆者が翻訳)。

★★ 個別企業の経済・経営管理に全体主義が及ぼす範囲、あるいは現れる特徴 ★★
1.全体主義の企ての概略は、左右いずれも次の形式現象が浮かび上がる。
 ①彼らの秩序というものの裏側には、末端での無秩序がはびこる。
 ②健全な道徳や身体の例え話に対して、彼らには堕落が目立つ。
 ③「輝かしい未来」期待への内側に、自らの生存と地位の取り合い闘争。
 ④権力支配の内側に、官僚の官僚主義的対立の激しさが見える。
……民間の中堅企業でも、これを真似をする者が出現してくるから注意。

2.全体主義の活動をする者は、矛盾を持って、それでも人を操ろうとする。
 ①左右や宗教カルトを問わず、彼らは組織の中に溶け込もうとする。
 ②目配り任務にあたる。組織者・活動家・大衆動員者の地位を占める。
……よって、彼らが知らない事、予期しない事などは「敵」の形象と映る。

3.全体主義は、気付かれないよう統制、規範化、画一化を、やりたがる。
 ①習俗、嗜好、観念など社会生活の中でも目に触れない事柄に
 ②最も自発的で、最も捉えがたい要素が見られる事柄について
 ③究極は、生活様式、振る舞い、意見の多様性などを拒絶させるようにと。
……そして技術者、管理職の仕事が、各自の責任でなされなくなる事態に。

4.専門教育のない者&教養のない者 + 職業経験の少ないインテリ
 ①こんな者達が全体主義者らに、理屈と行動で惹きつけられる。
 ②彼らは粗野で無教養の人間を、理屈の自発的代弁者に仕立てる。
 ③インテリを組織や担当の口先ばかりの行動の、任務者にする。
……「一つに!」と叫び、とにかくトップも末端も、無理に一体化を図る。

5.全体主義者の理屈や論理展開には、次の三分野の区別を錯覚する。
 ①権力の秩序に属するもの→ 経済構造や労働政策など
 ②法の秩序に属するもの→裁判所の判断や社会制度
 ③認識の秩序に属するもの→ 文化や習俗、家庭や社会生活など
……これを複雑に絡め、政治スローガンの中でつまみ食いしてごまかす。

6.「自分と皆が同一だ!」と主張、同一性?を隠れミノに権力を振るう。
 ①その権力を振るう者は、私的利益のために動く構成員に囲まれ
 ②国家と経済・社会との間の区別を、否定して国家が介入干渉を繰り返す
 ③あげく、国家から相対的に自律した生産・交換関係を保証しなくなる。
……全体主義者は、資本主義の発展条件を根底から崩壊させていく。

____これらの特徴は____
戦前日本の軍事ファシストと官僚たちばかりか、当時日本のさまざまな社会制度に存在していた状況と共通している。日独伊や旧ソ連や東欧が全体主義に至った背景には
・経済恐慌や敗戦による経済的貧困が根底に横たわり、
・その時に全体主義者が、「幸せや人権よりも、利益の満足(厚生)に重きを」との幻想妄想を振り撒き、
・街の裏側での暴力や暴力まがいの行為(警察が動かない)で政権を奪取、
・その後に、通常では登用されない官僚や学者その他を、全体主義者の傘下に侍(はべ)らせ、
・左右過激派にリードさせて、全体主義国家体制を官僚らに作らせるのである。
……こういった手法は世界共通だ。戦前日本はナチスドイツよりも、旧ソ連スターリン主義をヒントにした政府官僚も多い。もちろん彼らは、それを指摘されたときに、否定した。

☆☆ 【 全体主義に、対抗し崩壊させる方法の紹介。その解説付き 】
旧ソ連の東欧での全体主義を崩壊させた歴史を実証研究した哲学者クロード・ルフォール(フランス)は、次のような内容を各国歴史の事実関係から発見している。。そこには旧ソ連の軍事力の脅威が停止したペレストロイカの瞬間に、各国が自力で崩壊させた「民主化の対抗政策」を紹介している。確かに、日本軍ファシストやドイツ:ナチスに比べ、頑強で長期化した旧ソ連をはじめスターリン主義:左の全体主義は、西側諸国の支援を必要とせず崩壊したのは確かな事実関係である。
さて、「民主化の対抗政策」と、その解説は次の通り
☆1 全体主義者の象徴的なものの秩序(幻想・妄想)を、
   現実的な物事の内側に落とし込んで行ったこと。
  (実現可能な幻想妄想であることが証明されていった)。
☆2 こういった現実的な物事の内側の解決には、
   全体主義の外部との連携を伴わざるを得なかった。
  (自由・平等に基づく様々な権利が全体主義の下でも実り、
       それは自ずと経済利益を確保されつつあった)。
☆3 全体主義権力の秩序は、
    「法の秩序」や「知の秩序」と合致しない。
  (秩序や権利行為は、①法定のもの、②契約行為、
       ③不法行為、④その他の権利に及んでいる。)
☆4 結局は全体主義者は差配する者であったし、
    官僚は一枚岩ではなかった。
    権利や利害を守ろうとする頑強な社会層の抵抗に全体主義者は弱い。
    現実的物事や世論の反対にあうと、
    官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突する。
……といった考察を実証研究しているのである。

☆☆ 【 物語風に もう一度これを繰り返すと 】
 One. 先ずは生き延びて、全体主義に対抗し続けて、
 Two. 幸せと権利の主張を行い、
 Three.自由と創造性の資源でもって、現実に具体的な経営や労働を行い、
 Four. 新たな権利のチャンスの形を読み、
 Five. そのことで幸せと権利、実利利益も確保して、余裕も確保して、
 Six. 自由の相互承認・行使の相互保障を柱に→民主主主義を広げることである。
 Seven.「幸せの権利と利益満足」との区別を付け、「未来幻想と現実現在を交換できる」との誘惑に抵抗することである。
……このように、全体主義を崩壊をさせた、これが歴史の事実である。

ところでこれは、
実に、筆者が様々幼少期から聞き及んだ太平洋戦争中の体験話に同類のものがあった。「まず生きて、抵抗して、仕事をして事業を行えば、悲惨な戦争体験は避けて暮らせた」と言う。さて筆者は、幸なのか不思議のか、今日まで判断出来なかったが、私の親族・姻族には戦死者・被災者はおらず、富裕とまでは行かなかったが、悲惨な戦争体験は回避できた考え方と行動の持ち主ばかりであった、たぶん先祖代々から。
こんな「言い伝えのような事柄」が、東欧ではダイナミックに実行され学問として実証研究されたのである。また、最も悲惨な事実は、「無教養で貧しい生活環境にあって、全体主義者に騙され、彼ら官僚の卑屈なる支配階級への昇進に利用された人たち」であった。そう古今東西、全体主義者は次のような言葉で、うそぶきタカをくくっている。
『最も経済効率の高い戦法、つまり、最も安上がりのやり方は、常にあらゆる方法で、その国を経済的沈滞=不景気に陥れることである。腹のへった者は、パンを約束するものの言うことを聞くのだから』(『民間防衛』スイス政府p.224)
☆☆☆よって、
教養の有無や貧窮に関わらず、公言せずとも全体主義の反対者であれば、個人も企業も活きられる!という結論なのである。
そして、最も大切なことは、自由・独立・民主主義でもって、予め経済的に豊かな国と地方を作っておくことであり、全体主義者や侵略者に歯が立たないようにしておくことなのである。全体主義者によって、幸せや暮らしを崩壊させられることはない。


§詐欺や脅迫そして貧窮につけこむ行為は、
民主主義社会においては人権を踏みにじる行為である。それは、日本流の経済活動の公序良俗に反する考えをはるかに明快さで超えている。「あいまいさ」を利用して全体主義者は利益をかすめ取ろうとし、官僚主義者は事なきを得るために指摘されるまでは故意に見逃す。
ちなみにアメリカでは、こういった人権確保の考えは20世紀初頭に確立され、常に裁判判例は人権確保に目を光らせ、それを経済学は理論確立している。アメリカの歴代大統領の経済政策にも反映されている。その最盛期の「制度学派」と言われる経済理論にあっては、自由・平等・民主主義の社会を大前提にしたもので、国の経済政策をはじめとして価格決定に至るまで、さまざまな利益団体との関係調整において社会制度を実施して、その客観的合理的判断を各級の裁判所で紛争処理:決着させているのである。
だから、その場面では、さまざまな測定をすることによって、左右全体主義の幻想・妄想を根本から排除しようとする機能を持たせているのだ。連邦銀行の金利決定に雇用統計が使用されるのは、こういった理由に因る。
日本の全体主義になびく霞が関の官僚たちは、今や全体主義者に迎合(忖度そんたく=勇み足)するばかりで、アメリカ経済政策の自由・平等・民主主義の社会前提を見ぬふりして、まるで全体主義者の幻想妄想による「思いつき政策」の実施エンジニアに成り下がっている。
官僚機構のシステムは確かに重要な技術方式ではある。ところが、本来の前提や目的を無視してしまえば、官僚の個人感情である、「社会階層、とりわけ無教養で貧しい生活環境を出自した人々を情け容赦なく選択するといった、彼らの卑屈さに見合った支配階級への昇進というイメージに支えられたシオニズム(選民的エリート意識)」がもたげ湧き出してしまうのである。こういった研究は、ドイツ:ナチスのヒットラー、旧ソ連のスターリン主義を研究した哲学者ハンナ・アーレントやクロード・ルフォール(フランス)が実証研究によって明らかにしている。それは現時点の日本に当てはまる。もちろん、戦前日本の軍部官僚はその典型であった。多分それは、全体主義者の幻想妄想の追求と同時に発生する、現実を無視した思考方式によって、彼らと相思相愛である官僚主義者たちは使い勝手が良いのである。


§OECD:2017年次:日本経済審査報告 =経済生産性低迷=
http://www.oecd.org/japan/economic-survey-japan.htm
経済の貧困が、個人も企業も国家も、全体主義に傾かせる。対抗するには現実の測定データを示し、現実的な秩序の上に職業能力の向上を組織的に図ることである。全体主義者の幻想する秩序は、法の秩序&知の秩序とは合致しない。個人の権利はルール(義務)のもとに摩擦を防止する方向に働くが、官僚主義者は法律条文に定められた権利以外は、まず最初に門前払いをする。どの国の官僚は一枚岩ではない、それにつけ込み、跳ね上がりの極右や極左は幻想妄想で、エンジニアの官僚に付け入る。だがそれ以上に官僚は世論動向の無視は出来ず、全体主義者の政治的基準と官僚の技術的エンジニア基準は衝突を超す。世論の動向とは、支持率や投票数とは異なり、権利や利害を守ろうとする頑強な階層を代弁する人物の動き(筆者のような職業も含むもの)である。すなわち、現実の測定データをもとにすれば、中堅・中小企業も代弁者(受身の国家資格者ではない)を立てれば、経済政策のイニシアチブに手が届くのである。
さて、この審査報告の内容だが、
経済のグローバル展開をみるうえで重要だ。国内重視のナショナリズムではない。
個別企業が日常生活に浸透するグローバルな課題を分析する上では、経営や人事管理には欠かせない。
経済産業省とか厚生労働省といった行政機関の情報(マスコミの恣意的たれ流し)だけでは、個別企業の営業展開・経営管理は独立性が危うくなる。こういったグローバル展開の中での能力の生かしかたを身に付けておくことで、個別企業の営業展開・経営管理に資する価値が高まる。総務・人事担当者といった経営管理の中枢人材は、こういった視点を様々な国家資格者に要求することが大切だ。
経済団体、国の各省庁、地方自治体その他の政策やマーケティングにかかわる人たちは、この報告を眺めて世界との関わりを考えているわけだ。その理由は簡単=これ以外にある程度の共通認識を保持した経済に関する世界的審査報告が存在しないからである。ことに、日本国内の閉鎖的傾向からすると、OECD年次審査報告は痛烈な内容と感じやすいが、それだけ国内(選挙目当ての)全体主義的政治や世間体に左右され、個々人の経済感覚が鈍っていると反省した方が経済効果も含めて有益なのだろう。加えて、さほどマスコミでは取り上げられてはいないといった現象は、いつものOECD年次報告の指摘するところの日本人の経済感覚の劣等性から、大半の読者が快く受け入れない感情が多く存在する現れでもあるだろう。
今年の主要内容を、平たい言葉で紹介すると、
①そもそも日本は生産性が低く、ここ数年の向上も頭打ちの状況
……失われた10年の30年目、国の経済政策は効果なし。
②日本の生産性を高める、6ポイント提言
・残業時間制限などによる、女性の労働参加障壁の排除。
・中小企業と大学の研究開発連携で、生産性を高める。
・企業融資の連帯保証人削除で、経済からの退出を容易に。
・起業家の再挑戦を奨励のため、厳格な個人破産制度の緩和。
・市場の力の強化に反する中小企業向け信用保証の打ち切り。
・正規労働者の既得権益での雇用保護を緩和
   & 非正規労働者の社会保険と職業訓練拡大で
      = 労働市場の二極化を打破。(個人消費増加)
といった具合である。今年の特徴は、
社会や経済構造全般での、国と企業の人事管理システム改革での経済成長立て直しである。
如何に、日本の行政官僚や官民の官僚主義の着想がみすぼらしいものであるかを、具体的統計データを示して解説している。全体主義は現実的なものを無視する、思考パターンの方法だから、こういった測定データに「異様な敵がい心」を露にするのである。
なお、筆者は必ずしもこれに全面賛成してはいない。筆者は、ことに労働能力価値の流通を、労働能力全般を目指すのではなく、個人労働力の範囲内に制限する思考習慣にこそ、経済成長や豊かさにブレーキをかける原因があると考えている。ことに、中堅・中小企業の安定発展には、もっと突っ込んだ労働能力価値の全般活用が基盤になると考えている。一昨年ほど前に大阪でOECD政策担当者にインタビューしたが、その問題意識は薄かった。
だが読者の、あなたには是非とも、じっくりと熟読し活用いただきたい。


§経団連によると、「働き方改革」は規制の現状維持 (4/20付け)
内閣官房働き方改革実現推進室室長代行補の新原浩朗氏は、「働き方改革」によって、いくつかの規制緩和その他は、現状維持であることを説明したとのこと。
http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2017/0420_07.html
あわせて、次の総務部メルマガ(100時間残業、同一労働同一賃金)を参照いただければ。非正規労働者の行方、長時間残業の行方は、身近なことである。
http://soumubu1.blogspot.jp/#180-04