2017/04/04

第180号:いくら郵便馬車を見つめていても、汽車は生まれない

<コンテンツ>
「いくら郵便馬車を見つめていても、汽車は生まれない」
 ・事業活動にしろ、あらゆる共同作業で最も恐いものは、
 ・確かに、益々仕事しない凡人が増加している!
「同一労働同一賃金」は、通勤手当と社内食堂の程度の効果でしかない。
時間外100時間以上の罰則規定の美辞麗句。
 ★加えて、固有文化価値創造や生産に携わるための
 ★利潤の高い固有文化価値商品の提供と
 ★それどころか、こんな事態にあっても、
 ★労働問題専門家の、こぞっての疑問は、
起業家、事業家、資本家、の三種類に分かれる経営者の立場と素質
SNSとか従来メディアは、ICT産業革命では市場基盤や民主主義の要に。
そこで具体的な、SNSその他ネットから情報収集するにあたっての要領


§「いくら郵便馬車を見つめていても、汽車は生まれない」
これは、新商品や新規事業といった、イノベーションの理論を発見した、経済学者シューペンターの語った言葉である。
シューペンターは、イノベーションとして五つの類型を提示した。これを現代風にあらわすと次のようになる。
1.新しい財貨や新しい品質財貨の生産。
2.新しい生産方式の導入、新しい商品の商業的取り扱い方法。
3.新しい販売先の開拓、既存市場への新商品提供。
4.原材料あるいは半製品の新供給源又は既存供給源からの確保。
5.事業内外に形成する、新しい組織やネットワークの実現(独占の形成やその打破)
シューペンターは、初期の著書「経済発展の理論」においては、イノベーションではなく、「新結合(neue Kombinationen)という言葉を使っていた。
日本で最近よく用いられるイノベーション、それは「働き方改革」の理念も含め、世界で語られるイノベーションとは、まったく意味が違うのである。経産省は未だ、「技術革新」との間違った用語を使っており、それをマスコミが無頓着に流している始末である。端的に言えば、巷ではなされるイノベーション概念は、官民の官僚たちに都合の良い範囲や理解に限られているのである。
そして話題の「働き方改革」は、発表される資料や報道、そして取り上げられる民間企業各社の対応は、政権延命のほぼ、「付け焼き刃」である。そこには、イノベーションの理念は感じられない。ICT産業革命に突入しているにも関わらず、先ほど述べた1~5の類型すら感じられないのである。
そのため、少なくない有能人材は「働き方改革」は、「働かせ方改革」と揶揄する主張に耳を傾けている。

事業活動にしろ、あらゆる共同作業で最も恐いものは、
無関心・無味乾燥・希望のないといった人物心理である。それは、近年の行政機関向け経済学(財政学)などで議論されなくなったテーマ、「恋する愛する、そして勇敢さ」である。ちなみに「あなたが恋しい」とは英語で、I miss you といった単純なもの。愛は世界各地の文化に基づくさまざまな概念があり、博愛、エロス、アモーレ、同胞愛、慈悲、仁、その他さまざまであるが、数千年昔の古代の考え方に「愛の概念」を閉じ込めることはない。行動経済学では、勘違いも含め人並みの生活が手に入ったら満足を覚え、幸福は「愛」に関連する具現化で覚えるとしている。(経済学)シカゴ学派と言われる学説の多くは、家庭や共同体で分担を決めて厳格に行動を実行すれば、愛はなくなり、ただのルールに化け、幸福のはずが義務に縛られ不幸に転じるとするものが多い。(やばい経済学、やばすぎる経済学、有閑階級の理論などの著書)。そして「勇敢さ」があってこそ、満足ではなく幸福が感じられる生き方が入手できるのである。世界各地で、「幸福感とは満足度である」との話のすり替えは活発であるが、常にそれは他人に我慢を強いる場合に用いられるのである。

確かに、益々仕事しない凡人が増加している!
といったような現象や錯覚に陥りそうだが、今述べた「愛を具現化した幸福感」を味わうことを誰もがあきらめているわけではない。18世紀フランス革命の思想基盤をつくったとされる哲学者ディドロは、「封建時代にあって男女の恋愛禁止」からの解放を社会経済問題に展開したとされている。そういえば、日本での公序良俗は現在でこそ経済犯罪とされているが、戦前は(金さえあれば)事実上の一夫多妻制度にあって、男女の恋愛や事実婚を犯罪対象としていたのである。すなわち、そういった面も含めての観点からイノベーションを行うことには、単なる通貨確保を超えての深い価値が存在するのである。それは間違いなく画一的なものではなく、個々人、同居家族、経営共同体、趣味共同体、地域や地方その他に各々固有の価値を具現化することになり、それらの価値交換は労働能力を含めて商品として流通することになる。そこには、衰退消滅しつつある奉仕とか自己犠牲とか我慢といった世間体とセットになった論理や思考ではありえない。


§「同一労働同一賃金」は、通勤手当と社内食堂の程度の効果でしかない。
夢?でもありそうな話としてマスコミなどが、政府の広報PRをしている。大手マスコミは、政府が記者発表するから、てっとり早いニュース題材として流しているにすぎない。日本経済が、「失われた日本」に突入するまでは、大手新聞は題材をもとに幅広く報道、専門家の意見も紙面に載せていた。「同一労働同一賃金」は確かに、何らかの法律改正でもって、努力義務とか行政機関のイベント開催の予算措置は行われるだろうが、ほとんどの個別企業や労働者にとっては、「単なる話題」を超えるものではない。話題まで行き着くのかどうかも疑問な代物である。
現在、政府から解説されている基本方向を観てみると、同一企業内に限っての同一労働同一賃金である。なので、他社に外注するとか、ある部門を独立企業にするとかでの業務請負となれば、同一労働同一賃金の適用は関係ない。
また既に、大阪地方裁判所は平成27年7月26日の判決で、(滋賀県の運送業の)正社員育成にかかる人材活用仕組みが異なれば、住宅手当、皆勤手当は支給しないとしても不合理ではない。他にも家族手当、一時金、定期昇給、退職金について、裁判所が個別企業との労働契約に介入することは控えるとした裁判例を出している。判決では、いくつかの手当てを労働契約法違反としたものの、不法行為として支払いを命じた。(すなわち、契約不履行ではなかった)。その項目は無理事故手当、作業手当、給食手当、通勤手当のみであった。
すなわち、労働契約法と労働基準法改正の発議がなされない限り、世論が期待?する同一労働同一賃金は、法的に実現する必要がないのである。また、差別的取扱いの立証責任を原告側に求めている。すなわち、「働き方改革」での法改正が、この部分に及ばなければ、法的根拠もない道徳といった絵に描いた餅である。
そもそも、歴史的に論理的には、労働者の世論が期待?するところは「同一労働価値同一賃金」なのであるが、そういったことは十二分に承知しているはずの審議会でも、この「同一労働価値」は議論されたかどうかの痕跡がない。優秀な官僚が労働者側を外し人選した、優秀な審議会などのメンバーなのであるから、同一労働価値の概念を知らないことはなく、忘れたこともありえないと推測するしかない。
加えて、さまざま研究するのであれば、日本国内の賃金決定システムは、法治制度の形態をとっている国の中では極めて独特な制度である。グローバルな展開からすれば日本国内は異質異物システムなのである。多くの国とは異なって日本のそれは、個別企業と個人が賃金決定契約を行うことになっており、個別企業や業界団体に対して行政機関や労働団体(労働組合とは限らない)との賃金決定契約になっていない決定的制度の違いである。ここが最低賃金制度の如くとは異なるもので、同一労働同一賃金の社会担保がない制度なのである。
よって、そういった議論や把握が世論形成において出来ていないのであれば、「同一労働同一賃金」の議論自体が無駄、個別企業の経営管理者や総務人事担当者の心配も不要、それどころかセミナーも学習も研究も無駄、まして社内での対策など準備の必要すらない。すなわち、「同一労働同一賃金」への対策は、静観することすら意味がない。
……こんな素人めいたことだから「働き方改革」の経済政策面も全く期待出来ないのである。


§時間外100時間以上の罰則規定の美辞麗句。
いちばん大きな疑いは、休日(午前零時から午後24時の労働解放日)の部分が、ここでいう時間外100時間には勘定が入っていない、またこれをマスコミが明言しないところに、フェイク的美辞麗句がある。例えば週休2日であれば、1ヵ月は20日ほどの出勤日、そうした場合、100時間といえば1日平均5時間の時間外となる。ここに土曜日曜の休日出勤が加わった場合、効率性や生産性の高い労働(力)の発揮が、果たして可能なのだろうか。
これでは、再び戦前日本のような成り行き管理や身分制度管理による低生産性の経済構造が出来上がってしまいそうだ。当時の軍部は、生産性の低さを取り戻すため、気合い?の言葉や?ジャパンな精神など世間体にマッチした方法を当時の軍事政府が導入したのだ。それを敗戦とともに、国内専門家が温めておいた(工場法→)労働基準法での成り行き管理の基盤排除、職業安定法による身分制度管理の排除を行った。その根幹にも影響を及ぼしそうだ。

加えて、固有文化価値創造や生産に携わるための
クリエイティブやイノベーションを伴う業務となれば、こんなやり方では、ほとんど頭脳が鮮明に働く余裕や余地はなくなってしまう。近年20年の日本経済は労働生産性が益々低下し、その低下による賃金相場が激減している状況と見るのが妥当である。労働組合の力が弱くなったから、賃金相場が下がったと見るのは詭弁である。そもそも日本における労働が生み出す価値(時間当たり労働生産性)が低いことに加え、1999年からの派遣業改正に名を借りた非正規労働の増加は、労働能力全般のうち労働力に限定して労働者を働かせる制度を助長したものだから、益々生み出す労働価値が低下するのである。それは、昔ながらに「より良い物より安く」と日本製品は買い叩かれる日常に安住し、仕入れる労働力商品も、「より良い物より安く」と賃金を買いたたくものだから、その悪循環が積み重なって、いっこうに経済も個別企業の経営も好転しない。

利潤の高い固有文化価値商品の提供と、
それを支える労働全般能力の向上、その基盤となるクリエイティブかつ創造的労働能力形成を進める、そういった思考習慣が形成される労働行政が必要なのである。個別企業にあって、こういう思考習慣を積極的支援する必要があるのだ。時代遅れかつ実証や積み重ねのない教育訓練、あるいは後進国であった時代の教育育成理念では将来の見通しは無い。

それどころか、こんな事態にあっても、
長時間労働対策との美辞麗句!では、労働者の意欲形成には逆流効果しか生まれない。すなわち生活意欲や能力向上が、美辞麗句の発表以来、マイナスに働いていることは間違いないのだ。加えて、3月28日に運送業、建設業、医師は長時間労働規制の対象からはずしてしまうとの発表だ。一部労働団体の主張する「長時間労働の固定化」に注目が集まっている。そんな、その場しのぎの無為無策である。意欲旺盛な労働者こそ、長時間労働を克服して、労働能力全般での価値の生産向上に対する見識も高いことから、時間外100時間以上の罰則といった美辞麗句を耳にして激しく落胆するのである。美辞麗句は若年層労働者や扶養家族向けに発案されたレトリックや詭弁かもしれないけれど、育児、介護、男女平等、精神疾患などの実態と矛盾することから、労使双方から落胆されるばかりである。

労働問題専門家の、こぞっての疑問は、
「36協定の順守」とか、「時間外協定の締結手続の手続順守」といったことについて、実際には法令の求める手続に抜かりが数多く存在する状況を無視して、時間外100時間以上と美辞麗句を並べても無意味であること。それは、個別企業と労働者個々人との間の、時間外労働に関する契約合意がおろそかにされている実態=36協定の締結手続の作業が形骸化していることから、個別企業内部の統治統制が取れていない無秩序職場の問題なのである。それどころか、事業の経営四要素(収益性、生産性、労働意欲、効率性)に基づく、合理的真正な業務管理や人事管理が欠落し、無秩序職場の蔓延にブレーキをかける施策に個別企業内の管理職は必死なのである。そして、個別企業に課せられた17年ぶりに改められた労働時間把握にかかる対策(厚労省の今年1月)の方こそが、実務的には極めて重要であることなのだから、「時間外100時間以上の罰則」などに構っている余裕がないことなのである。
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000149439.pdf
よって、個別企業の感覚的受け止め方には、「ブツブツだらだら残業するに労働者、法律をかざして摘発する監督官」とのグチが後を絶たないのである。


§起業家、事業家、資本家、の三種類に分かれる経営者の立場と素質
資本家=ヒト・モノ・カネを調達する通貨である資本を投資する概念の人物。
事業家=おおむね軌道に乗った事業を、より永続的に経営管理する概念の人物。
起業家=新商品や新規事業(前述イノベーション)の着想から立ちあげ概念の人物。
それは、その事業の質量によって、起業家、事業家、資本家の三種類をこなせる場合もあり、それぞれ三人の別種類人材の投入が必要な場合もある。決して、一人個人の人材の有能さではない。はっきり言って、一人の個人に三種類の立場と能力を経営者に求めることは不可能である。すなわち、三種類の経営者を、それぞれ代表取締役、社長、専務、常務、各事業部長(工場長)、総務部長といった人材を配置する必要があるのである。それが達成できれば、いわゆる中堅企業として確立させることができる。ところで冒頭に、「ヒト・モノ・カネを調達する通貨」としたのは、何事も通貨による調達ができると錯覚しているケースが多く、地域性とか土地柄条件などに表現される、その地の労働能力水準を無視することを指している。
ところで中小企業の場合、
人に対して労働能力全般の能力発揮に重きを置くならば経営は安定する。安値時間給で労働力調達ばかりの経営は、この三人の別種類人材の投入を自ずと拒絶するか、あるいは企業存続の社会的要請は在り得ない。だから、いつまでたっても事業規模が小さいか、もしくは事業を引き継ぐ後継者確保が出来ないこととなる。これが後継者不足であったり、一代で終わる生業なのである。これとは異なって、労働能力“全般”の価値創造を求め、固有文化価値商品を提供しようとする事業は、社会共同体の需要に応じて事業を促進することから、起業家、事業家、資本家の三種類の人物が共同&順次、事業経営管理に携わるのである。
しかしながら、ここに述べた理由とは異なる、経済外的強制としての
無謀不毛な資金投資、利回り優先貸付資本の餌食、思想やイデオロギー事業その他が、経済活動とは異なる文化産物の消費事業として関わることとなるから、まさに複雑怪奇なのである。話題の森友学園事件は、この種のものであるから経済原則を逸脱し、社会的要請もないことから一瞬にして崩壊するのである。社団法人や公共事業であっても、それなりの経済原則を逸脱すれば崩壊するのである。
日本は官民の官僚から経済学者までが、古典的経済学に浸りきっているのが実態で、
従来から筆者が述べている通りマルクスの階級論理が非常に根強い。場合によって官民問わず、官僚主義機構はカルト宗教団体と肩を並べる二元論で、現実離れした似非理想論が組織存続の醜い美名のもとに語られる場合がある。それには理由があり、マルクスの著書「資本論」が極めて難解であることから、都合良く解釈翻訳した人物の説を鵜呑みにしてしまったからである。「資本論」そのものを直に読んでも解釈は無理で、ドイツ語の言語で読んでも然り、むしろ幾つかの解説本を読んでから「資本論」の現物を読んでみたほうが深く広く理解できる。そういった努力を少しでもしたのであれば、マルクス自体が「さほど階級理論にハマっているわけではない」ことが解かる。だが、「記憶万能」だけでは理解出来ないのが学問領域の分野であるから、「資本論」を読んだふり・読んだつもりが多いのである。そんな知ったかぶりは実に、まるで素人も学者評論家系でも多いのである。そもそも内実は、階級論争の敵か味方かの二元論しか理解出来ず、マルクスの特徴である唯物論的弁証は理解出来ず、経済学や経営学を語るしかない人物なのだ。そういった意味で大学卒業歴がなく、レトリックや詭弁を大学で身に付ける機会がなかった人たちの方が、よほど物事の本質が見抜けるセンスの持ち主なのである。
時はICT産業革命時代、知性や知恵があれば、知識はネットでタイムリーに探しだせるから、記憶万能的の読んだふり・読んだつもりには用事がないのである。学問領域の「論理構成」とか幅広い「見当付」といったものも人脈があれば外部活用できる。(このメルマガ読者の諸氏は、既にもそうではあるが)。


§SNSとか従来メディアは、ICT産業革命では市場基盤や民主主義の要に。
そのように活用すれば、経済も活発になってくる、自由平等・民主主義がなければ、経済活動が停滞する。戦前の日本が然り、18世紀アメリカ独立戦争もフランス市民革命も思想基盤はそこにある。1917年のロシア革命にしても、準備から初期までに資本家やプロテスタント(信徒連絡組織を古くからのロシア語でソビエトと称していた)が支えていたのも自由平等・民主主義であり、ペレストロイカの後もロシアでは資本家やプロテスタントが支えている。(なお、欧米流保守主義とは「秩序的自由平等・民主主義」との概念でグローバル化している)。世界中の、こういった自由平等・民主主義の情報や理念(インテリジェンス)が、官民の官僚主義者らが自らに都合よく誤訳・誤解釈させるから、とにかく日本に入ってこないから、アイディアや思考が狭くなったり偏ったりするのも無理はない。(ICT機器活用なら、昔ながらの原文確認は不要。むしろ文化の確認を)。
経済民主主義が万能と言っているわけではないが。情報統制のみならず、SNSを使っての相互監視構造を促進してしまえば、どうしてもヒットラーやスターリンといった独裁的な経済活動が重きをなしてしまう。通常人のさまざまな貧困に起因する心理圧迫を、一気に開放するかのような美辞麗句のスローガンを悪用して人心や経済をコントロールしようとするのが独裁的経済経営活動である。同時に彼らは、ヒットラーたちが行った、ヘイト・スピーチ(自らの集団に比べ、女、年寄り、子供、○○人といったカテゴリーや集団が劣ると決めつける主張)を同居させる経済外偽計活動を必須とし、それがなければ地位が確保出来ないでいる。視点を変えれば、民主主義というのは、多数決のみならず、基本的人権が最優先となり、新たなICT産業革命では権利保障が確保されることで、実態として経済の公平・平等へと発展し展開するということである。
表現の自由とは一昔であれば、各自が意見を述べようとしても、
印刷物や配布の費用を必要としたところ、SNSその他によって大幅に費用が軽減されることになった。また、もうすぐそこに動画やビジュアル配信、双方向同時コミュニケーション機器が開発されつつある。概念ばかりでなく、3Dとかインスタグラムでの意思疎通の進化を遂げる。そうすることでもってレトリックや詭弁といった「語句概念」の乱用で他人を煙に巻くことも少なくなるだろう。SNSはうってつけの相互監視盗聴システムであるが、そういった思考習慣をはるかに上回る民主主義の促進道具として、メディアがSNSとかにも舞台を移し、個人のメディアとして意見を述べることで、多大な経済と社会共同体への貢献が可能となる。表現の自由とは、イギリス名誉革命での良心の自由(当時はプロテスタントかカトリックを秘密にする権利から始まり)を基盤とし、政治経済に限らず、芸術の分野にまで広がった自由が、その資金や方法が個々人にまで安易に行き渡りつつある状況である。この歴史と現実を見れば、経済外的強制で地位や利権を得ている人物がSNSその他を毛嫌いするのを理解できる。従来メディアとかジャーナリズムは、職業的な労働能力全般は発揮してSNSその他にない価値を、各のメディアやジャーナリストが固有に価値創造すればよいのである。ここでもまたイノベーションが行われていないから、メディアの経営危機? ニュースソースの手抜き(取材が減り記者会見一辺倒)、権力やタブーへのすり寄りといった醜い姿に陥るのである。


§そこで具体的な、SNSその他ネットから情報収集するにあたっての要領
①その情報が、如何に古いかの確認。認知事項の生まれた年月日。
②その送り手たちの思考や目的の確認、背景に誰が存在しているのか。
③その内容と送ってきた内容の目的確認。事実の伝達それともPR広告?
おそらく、こういった事は、今後も日本の学校教育では教えることがないだろう。
そこでこれらは、小学生のうちから家庭で話して教えるとか、知人友人で教え合うとか、職場の同僚同士で話し合うことが重要である。詐欺目的やヘイトなどに影響される場合は、その全てが、相手対私個人といった関係で影響されるから、家庭や知人友人ディスカッションを経ることは感染予防対策のフィルターに有効なのである。
なお、事実とは、「人が知っていること」
事実関係とは、「事実の積み重ね、タテヨコや時系列の関係など」であり、
情報を評価する価値観とは、「人が思索すること」であって、心に感じることや雰囲気ではない。
そして、人それぞれの好き嫌いは、そのほとんどが、知っている(好き)か否(嫌い)かによって勘違いしている場合も多いのだ。

2017/03/07

第179号:ICT産業革命における、落ちぶれない仕事のコツ

<コンテンツ>
ICT時代に対し厚労省が「労働時間の把握変更」とは
いよいよ「ICT産業革命」の姿があらわになってきた。
まずは、ICT産業革命に有利な、仕事の立ち居振る舞い(表面の方法)
   ☆1.有能な労働者は、毎日、昼寝をしている。
   ☆2.仕事の知識は、「構成されるもの」と自覚している。
   ☆3.職業イメージに基づき労働能力全般発揮の学習をしている。
   ☆4.仕事は着手する前に、仕事展開をイメージしている。
落ちぶれるしか道のない行方、その人間と個別企業とは
要するに、「ICT産業革命」での仕事のコツとは
秀でた人材とか、秀でる場合の労働能力には特徴がある。
さて、ICT産業革命のなかで、人間のアプローチの対象は何か。
   ☆文化が人間に与える影響は極めて大きい。
   ☆経済は生命から始まり、生活維持である。
   ☆社会(共同体)とは、自由・平等・(博)愛の文化と経済秩序のこと。
==あなたの自身の信念で、現代日本を考える指標に推薦する経済書==


§ICT時代に対し厚労省が「労働時間の把握変更」とは
厚生労働省は1月20日に労働時間把握のための、「使用者の把握方法」を変更した。
早速、本省基準局長の通達を出して法令としての効力を持たせ、以前のものを廃止した。
ここではパソコンの使用とかWebでの情報収集にかかる時間は労働時間だと明記している。
使用者が労働時間ではないと合理的(証拠立証も必要)に説明出来ない限り賃金支払いの対象となる。また、それらが所定の事業場からの外出先や自宅であっても、暗黙をはじめ指揮命令が存在すれば労働時間となり、使用者は賃金支払いを要する。
仕事の上でICT時代には欠かせない動きが、ICT産業革命に見合った作業に変革されなければ、それは、そのまま人件費コストの上昇につながる。厚生労働省は、個別企業の改善策の事例などを一切示さず、そういった課題には杓子定規に対応する姿勢を見せている。せいぜい監督署の指導は、事業場での就業規則に、使用者任意の条文を書き込ませて、それを民事的な履行項目として使用者に債務を負わせ、事件となれば民事事件に追いやる動きが現われている。また、この4月からの新年度そして、来年の30年度と、全国で労働基準監督官の3ケタ増員を行う予定で、この秋にも研修の終わった新入監督官を重点的に都市部に導入するとしている。(変更内容は2月号メルマガ参照)
http://soumubu1.blogspot.jp/#178-14
個別企業の事業展開などには、Web情報収集は欠かせない。そこの労働者に、効率のよい収集作業や知識構成の能力を身に付けさせなければ、そのまま人件費コストが跳ね上がる。また、「各自で勉強するように」として各自がWebで勉強するとすれば、ことに知識構成能力を日本では小学校から大学に至るまで教えていないために、メールやWord作成作業は、「ほぼ、休むに似たり」の労働価値観もない事になる。頭脳で構成をせずに知識を集めるということは、雑多に集積するだけで役に立たない。記憶力だけ優れて構成力の弱いものは、行き当たりばったり思考とか、知識だけ持っている知識偏重に陥ってしまう。さらに、先進国に比べれば日本の教育制度のマイナス特徴である、文章の表現や構成能力の学習や真意を伝達する方法の学習とかの能力の欠落は、メールやWebに過度依存する組織運営においては、遅滞と非効率と不採算を招くばかりである。頭が良いと言われる人でも、受験答案や質問回答程度しか書けないのである。
(メールやWebの弊害解説は、2016年12月号メルマガ参照)
http://soumubu1.blogspot.jp/search?updated-min=2016-01-01T00:00:00%2B09:00&updated-max=2017-01-01T00:00:00%2B09:00&max-results=13#176-01


§いよいよ「ICT産業革命」の姿があらわになってきた。
旧来型の産業構造による経営は次々と破綻をしている。
それは、東芝や三菱重工の原発事業失敗もそうだが、宅配物流・情報流通・小売りその他での業界ニュースの底流に流れる大変化から、さまざま読み取れる。
その様々な情報源から流入するニュースや情報を読み取って、学問的経営的分析は困難だとしても、こういった変化の兆しが肌で感じられない様であれば、その人には一念発起・人生を考え直すことを推奨する。確かに、啓蒙思想家のルソーは、「~理解できる者など、ほとんどいない!」と独善的に言い切った。確かにそれは、18世紀産業革命などを例にとっても、その当時に、「今は産業革命の真っただ中である」ことを気づいた人はわずかであった。その後に、経済学その他の学問が発展したとは言え、それは現在であっても、ICT産業革命を推進する目的意識のある人物となれば、本当に希少になってしまう。とりわけ、世界の現時点の政治状況がICT産業革命を迎えるにあたっての、世界経済大混乱の現象であると観察している人は少ないのである。


§まずは、ICT産業革命に有利な、仕事の立ち居振る舞い(表面の方法)
まだ、今の時代で、これらは特異な奇異な、「仕事の立ち居振る舞い」としか見えない。
多くのビジネス書や自己啓発本には、数多く紹介もされているが、そのほとんどは旧来組織の個別企業では禁止もしくは排除されるような代物である。だが、後に述べる、「仕事の立ち居振る舞い」の真髄あるいは産業革命理念とともに、そういった立ち居振る舞いが行われなければ、ICT時代では急激に労働効率が転落の一途を迎える、これがICT産業革命の特徴である。だが、その立ち居振る舞いは産業革命必要なのである。
「社内のみんなが、やりにくい!」と言っての先送りは、個別企業もろとも、「社会から、お払い箱!」なのである。そう、これができる人材から実施すればよいのである。何も旧来のように、必ずしも経営トップが垂範率先しなくてもよい。

1.有能な労働者は、毎日、昼寝をしている。
ナポレオン、アインシュタイン、チャーチルなどは、24時間の内にしょっちゅう昼寝をしていた。
それは、時間当たりの労働密度が高いから、昼寝をしていなければ体調不良を招き、精神労働とかクリエイティブ労働は出来なくなるからだ。有能な自由業と言われる人たちも昼寝をしている。経営者ばかりか管理職には昼寝は不可欠である、でなければ、夕刻に限られる部下の指導育成で、適切な能力を発揮出来ない。昼寝しなくても差し支えないのは、監督職と言われる職位以下で、それは労働強度や労働密度を労働時間で換算できる「労働力」と賃金の取引契約人たちだけだ。とそれこそ、傾向と対策流儀の人事管理で間に合う部分が多い。

2.仕事の知識は、「構成されるもの」と自覚している。
仕事を着手する前に、その展開をイメージすれば、次々と多方面に渡って思い浮かぶ知識蓄積癖がついている。知識は整理された引き出しとか図書館のような分類はしていない。「傾向と対策」とか「過去問題分析」といった受験勉強ではないから、大量データとか問い合わせライブラリーのような知識の蓄積はやめてしまった。その場合の知識蓄積は知識が構成されたものとなっている。展開イメージをすることで、構成されて結びついているから芋蔓式(いもづるしき)に知識が呼び起こされるといった具合だ。だからこそ、目前の課題の事柄底流が把握できる、そうすればWebで検索すれば相当のインフォメーションが再び入手できる。だから、のべつまくなしに記憶しておく必要がないのだ。優秀な記憶力ではなくて、目標のベクトルとして情報を取りまとめ、目的のために情報を集中投入するための、頭脳基盤が必要なのである。そういった事の手助け=情報収集をICT機器が補ってくれる時代である、またそのICT機器の操作は秘書や部下に任せれば済むことなのだ。

3.職業イメージに基づき労働能力全般発揮の学習をしている。
「労働力」の時間による切り売りとは違って、労働能力全般を用いての価値を見いだそうとしている。
労働能力全般とは、頭脳の中では、「あえて公私混同」をしているのである。
なので、日頃から、買い手や売り手、作り手や消費者、提供者や利用者、そして最も重要な社会ルールとの兼ね合いといったことを、全身全霊で考えている。時系列的には、仕事のチャンスから~仕事の展開そして~仕事の完結にとどまらず~売り上げの回収とか自らの報酬確保までを描いている。情報化時代であるから、効率のよい労働能力全般の向上や鍛練のチャンスを増やそうと尽力もしている。情報や知識の選択とか物事の消費にWebを使うような、短絡無知なことは避けている。SNSの利用ひとつとってみても能力向上の役に立たなければ、情報収集だけの目的だけでは時間と労力の無駄遣いと思っている。あくまでも労働能力全般の学習効率が高められる道具として、ICT機器やAIシステムを使えば便利という着想に固執しているだけのことである。古来「労働力」は次々と機械化される運命だ、それが現代の機械化とはICTとかAIに支えられた技術であるのだ。例としては良くないが、アメリカ軍の兵力は次々とドローン(ロボット)に置き換えられている。

4.仕事は着手する前に、仕事展開をイメージしている。
仕事は時間や数量の定量ではなく、定性的であるとして、もっぱら中身の勝負と自覚している。
だから、その中身については、仕事を納めた後までのイメージをするわけだ。またそのイメージも次々と補正され深化し進化させている。だから、他人や後輩に追随されない中身の打ち合わせも生じているのだ。展開イメージに熱中をするならば、「労働力」を時間売りしているとの考えでは飽き足らず、雇われの身であったとしても、労働力×時間=賃金労働で1日を終わることなく、仕事外も含め何かの展開イメージに熱中している。だから、病気でもない限り、1日の時間割を決めている。例えばそれは、午前中は一切の外電を受けないとか、通話の予約をメールで確認しているとか、趣味・習い事・子育てなどの時間を仕事中であっても決めて実行といった具合である。それは、生み出す労働能力全般価値(労働力価値ではない)が、社会で受け入れられる絶対的ラインを超える定性的水準であるからこその仕事スタイルである。すなわち、自由業で成功しているスタイルなのだ。

☆………
この後の項目で、こういった、「仕事の立ち居振る舞い」を行っている理由を説明する。
理由なく4項目の真似をすれば、それは単なる、「安定した雇用先のない出来高労働者」へと転落するにすぎない。それは、昔ながらの頭の固い職人であったり、理屈ばかりの芸術家気取り、もしくは資産家に寄生する迷惑な奴!かもしれないのである。ICT産業革命が進めば、いわゆるサラリーマン概念の労働者は用事がなくなる運命にあるのだ。


§落ちぶれるしか道のない行方、その人間と個別企業とは
ここ100年位の仕事経験の認識とか昔話とかは、過去の事例や習慣である。
だから、理解しやすい思考がゆえに、圧倒的に多くの人はその思考にとりつかれてしまう。
まるで受験勉強の「過去問分析」「傾向と対策」など問題解答の様に。特に日本のエリートと言われる労働者は、加えて受験戦争に浸りきっているほどに、過去の事例や習慣と異なる方向や枠外が理解出来ないのである。無学な管理職は、部下のこういった若年時代の頭脳に合わせて仕事をさせ=教育が訓練を施さなかったものだから、先の見えないジレンマにも陥っている。基礎学力を付ける段階で記憶最優先の教育を受け、記憶優先の評価が主流の教育を受けているから、少々の努力ではこういったジレンマからは脱出が出来ない。
そういった人物は、誰かから答えを与えられ指示されるといったような働き方しか出来ないのである。
反面、能力の芽を潰されていないという意味で、受験戦争に浸りきらなかった人物に「天然リーダーシップ素質」のある人物が多い。
指示される働き方に浸っている人物は、人生全般含め、何事につけても「見直してみる!」といったことが出来ない。如何なる変化にも、まるで爬虫類かの如く対応して習慣化してしまうことが得意で、それを人生教訓や職業能力と勘違いしている。だから、創造、希望、人間関係といった行動経済学でいう満足や幸せといった要素とは無縁の人たちである。仕事は与えられない限り行わない → 重箱の隅をつつく類の会話しかなく → 提案された建議の反対しか着想出来ず → 構想する能力は無く → 寄生する範囲で従うだけである。こういった、浸っている人物に対する社会学や哲学・世界観は現代では存在価値を失っているから、彼らは益々:遥か古代の思考パターンに向かっていくのである。
話は飛ぶかもしれないが、現在の社会共同体では「自律する」ことを前提で自立した生活を促す自由平等を目指し、その道具として民主主義制度を導入しているから、「目的意識的に寄生する者」までをも社会政策の対象としてはいない。これは現代社会共同体とか法哲学体系の前提条件である。
そして、こういった事の命題から、
人間の能力について、アメリカ国立精神衛生研究所の研究によると、
リーダーシップをはじめ、知性、創造性、芸術性、特定学問、運動能力といった6分野は、幼少期からの芽を如何に育てるかといった課題であるとしている。


§要するに、「ICT産業革命」での仕事のコツとは
記憶力の類から~インフォメーション情報の人工知能分析に至るまで、ICT機器を道具として使用すれば、こういった6分野で秀でている人物からすれば、とてつもない退屈なこと=労働能力全般の発揮の異なる事態なのだ。
そして現代日本では、
6分野で秀でている人物を発見・教育・輩出・訓練することについては、いずれの個別企業も平等に確保チャンスを与えられているといえる。すなわち、大手企業からは圧倒的に排除され、むしろ小学校の児童あたりから排除される可能性が多く、結果=発達障害にアスペルガーだとか知能テスト点数が低い(テスト集中意欲がなければ低い)だの何だかんだ言いがかりをつけて、画一的教育→社会制度から排除しているにすぎない。~したがって、6分野で秀でている人物は、まだまだ潜在化しているという推測から、確保チャンスがあると考えられるのである。
例えば昔の日本では、バブル崩壊前の優秀な人材の、製造業の新規事業の大黒柱となる「特定学問」での輩出は、1~2人/10000人と言われていた。それを理工系大学が、そういった人物の発見と基礎教育の役目を果たしていた。それはまた世界各地で、6分野で秀でている人物を、よく似た実践的雰囲気でもって、様々な機関や団体個人が発見・教育・輩出・訓練していた、確かにそういった研究を学説も存在している。これが優秀な人材確保とか国外流出といった話題のポイントである。
だがそこで、あくまでも、「決定的なのは、秀でた人材の確保 plus 事業を支える体制」である。……もう既に、これらは学問領域であり、ICT機器の創造的活用の範囲の作業に変わっている。(ただここには、巷で話題のビッグデータやAIに残存する幼稚性はない)。


§秀でた人材とか、秀でる場合の労働能力には特徴がある。
知識・インフォメーション情報といったものを取捨選択するのではなく、
彼らは、「構成されるものとして全てを受容し創造する」、そういった知恵やインテリジェンスと言われるものなのである。
実はこれは、未来に向かって生み出されるだろう人間の能力ではない。端的に言えば、長い歴史のなかで、秀でた人物たちが個々バラバラに実行してきたことであり、その実行行為の定性的技術水準が、その時代の絶対的ラインを超えたときに、歴史的発展と重なり合って現われたのである。そのあらわれる原因は未だ解明出来ないが、現われた場合には共通した現象だ。知識と知恵、インフォメーションとインテリジェンス、これらは2000年以上の昔から区別して整理してきた人たちが存在したし、そういった人物を抱えてきた民族や国が滅ぶことなく続いているのだ。
★その取捨選択するとは、
いくら美意識だとか審美的だと理屈に論理つけしても、それはあくまでも過去から現状での共同体感情の鏡で行為されるしかない。労働能力全般でもって創造しつづけることを永続的に繰り返すのではなく、今その場にしかないものを選び出し → その共同体で受け入れられることだけを条件とし → 他を捨てさる取捨選択を繰り返すのであれば、人間社会どころか、種や民族までは滅びてしまう。極端に言えば、全ての歴史がそれを証明している。知識は頭脳の中で構成されない限り役には立たない。知識には善悪ばかりか、合理不合理、合法非合法そういった二元論以上に様々な側面を持っているからこそ、決め付けたりフィルターを通すと脳が認識する以前に偏りを生じてしまうのだ。創造とは、空間・時空・認知を超越する状況での結合から開始されるところの、構成作業(4次元又は5次元の世界)から手が付けられる。そして、人間の労働能力全般のうちの、「労働力」部分のみを売買流通させることこそが、フィルターにかけて労働能力の一部のみ取捨選択する姿なのである。日本の労働行政は、このマルクスが発見した「労働力」理論なのである。
☆人々の希望が叶い幸福となるには、
その創造物である=幸福商品が活かされる社会制度である。
として人類社会の最も重要な再生産とは、「子供を造り大人に育てる」の一言に尽きるのである。
その人間が生命を維持する次に、「1番クセ」になるものが、「恋」であり「愛」であり、振られても何度も繰り返す恋依存性、浸りきる中毒性は極めて強い。ちなみに、自由平等博愛のスローガンで有名な18世紀フランス市民革命、この背景には、自由な経済活動の確保が存在したが、思想基盤にはディドロ(哲学者)などが説いた、いわゆる「恋愛の自由」が含まれていたのである。
すなわち、秀でる人物を増やし、確保するには、こういった根本的なところから支える必要があるのである。


§さて、ICT産業革命のなかで、人間のアプローチの対象は何か。
文化が人間に与える影響は極めて大きい。
人間が共同体を構成する上で、互いに共感するという作用が極めて重要だということが科学的に発見されている。
人間は、ひ弱な動物だから集団共同で生きるからこそ現在に至っている。その種族や地域集団の生活技術の大半が文化であり、それを担ってきたのは、切り離された「労働力」が担ったのではない。現在に至る歴史を通して、それは人間の労働能力全般が担っていた。
これを集合させ組織的に発揮させるには、「共感作用と共感精度」が柱となる。それがコミュニケーション(意思疎通・意思伝達)である。
やはりICT機器は、これらを容易にする援助機能だけある。
ことに集団共同に欠かせないのか愛情が文化の原動力であって、人間は恋しくなり、それは「1番のクセ」になり、文化の中でも主要な位置を占めているのである。(共感については、2017年1月号メルマガ参照)
http://soumubu1.blogspot.jp/2017_01_01_archive.html#177-06

経済は生命から始まり、生活維持である。
人間の最も重要な再生産活動は、子供を造り育てること、これは根本である。
その過程で豊かな経済を夢見て努力する。あくまで経済成長とは、その結果の通知バロメーターにしかすぎないから、目的でもなければ統計操作の対象でもない。
夢見る豊かな経済には文化が大きく影響する。だから種族や地域集団ごとに固有な価値を持った品目とか道具が造作される。ひとたび、これが商品として交流・交換されるには、単なる純物質純物理的な効用にとどまらず、提供・供給側の文化によって固有な文化価値として具現化されなければ、経済原因に基づく商品にはなりえず、商品流通(交通)は生じない。そうした固有価値を持った商品が、消費・需要業側の許容範囲にアレンジされれば商品流通は増加して、需要側の文化価値も改めて変化する。それには商品の構想・創造・生産・製造・流通・消費・価値増殖・価値転換といった各段階での、人間の労働能力全般が投入されてこそ、文化的にも経済的にも価値を生むのである。
「労働力」のみが主要となって生産された商品は、単なる純物質純物理的な効用に限られる状況に支配されており、その流通には経済外的強制の作用(国や社会的な民間企業を含む公共権力)に依存しなければならない、また依存することこそ利便性が存立範囲に限って有用であるにすぎない。ここでいう経済とは、経世済民の言語からくるところの=全ての人が得をする:けっして一方が得をして他方が損をすることの意味ではない。

社会(共同体)とは、自由・平等・(博)愛の文化と経済秩序のこと。
社会とは、これを目指している制度とか思考習慣その他のものということもいえる。
社会の元の言語イメージはギリシャ語のソエキタス(戦時同盟)である。
社会とはまた、自由・平等・(博)愛を現実のものとするための道具であり、そのひとつが民主主義でもある。
歴史の節目ごとに社会は発展し、戦後になって基本的人権が最優先されることとなった。
これを担っているもののひとつが、「政治」といわれるものである。だが、政治は国家ばかりだけでなく、町内会や自治体どころか、個別企業の中にも存在している。
「三人寄れば哲学が必要」なのだが、(夫と妻に子供ができれば、たちまち指針を要す=哲学)人数を問わず物事を決めて申し合わせ(政治の原型)をすることで、これによって、文化と経済が秩序立てて何れかに促進されることは間違いない。
____20世紀初めの大恐慌から立ち直ったパターン
ドイツのナチス:ヒットラー、ソビエトのスターリン、そしてアメリカは第二次世界大戦前の、典型的3パターンである。
そして日本の場合は、日本の官僚たちは、ヒットラーやスターリンの計画経済の真似をして、ほぼ軍事産業一本槍の経済体制を強いた。
その場合には同時に幸福感は抑圧され、満足感の理屈で押しつけた。例えば、それなりの収入を得て安定した結婚生活を周囲が与えることを旨とすることで満足感を得られるからだ。「我慢するのは、みんな同じ」とか、「戦地の人のことを考え*銃後の人のことを考え」との満足感の理屈ばかりであった。
けれど、人間はそもそも、自分の好きな人と長い時間を過ごす時が幸せを感じるのである。
そして当時の、日本の恐慌脱却制度は、それとは違った。だから、昭和大恐慌からの立ち直りの兆しが出た途端、法律で「ぜいたく禁止令」を出し、警察官が男女の恋愛(公序良俗違反)を禁止介入する取締りをやった。デートの追尾どころか、カ“男女二人”歩けば、特高警察が職務質問まで行った。今日本の官僚が行おうとしている経済政策は、100年前の過去を繰り返す事しか出来ない思考パターンのようだ。


==あなたの自身の信念で、現代日本を考える指標に推薦する経済書==
『有閑(ゆうかん)階級の理論』 1889年 ヴェブレン
(ちくま学芸文庫 2016年11月9日 1,296円)→amazon
著者は、ロックフェラーが設立したシカゴ大学の教授のとき、この経済研究を出版した。
当時アメリカの成金や上流階級とされる人たち、また彼らを取り巻く人たちが、如何に見栄と世間体で経済発展の足を引っ張っているか!と分析している。文章は、現代日本の日常生活を思わせるような文体を心がけている。ただ著者は、表面的には「見栄と世間体が文明社会を作った」と言いたいだけの表装だが、そういった分析から底流に流れる法則性を読者が読み取り、具体的日常的そして個人的な領域までもの経済施策へのアプローチを読者に期待している。この研究が基盤となって、いわゆる制度学派と言われる経済学の体系が生まれ、それは、アメリカ政府の大恐慌からの脱出、さらには今日に続く経済発展の諸政策の参考思考概念とされるに至った。累進課税制度も、世界で初めてこの時代にアメリカで導入されたものだ。大恐慌に突入する前から、アメリカでは労働者教育が重要視され、ニューディール政策においても、単なる雇用量ではなく、職業訓練が重要視された。将来を見てアメリカは、芸術家の失業対策を2年間行いアメリカ文化の基盤を形成させ(ハリウッド映画のきっかけとも)、アメリカ経済文化は現在に至っている。日本では、この本は長年適切な翻訳がなされず、この研究は大方の経済学者から無視された感がある。それは当時の学者流儀からすれば、書物の研究文体が、独特表現随筆やジャーナリズムだと受け取られ、アカデミックな官製大学巨頭がゆえに、そんな教授や学者から嫌悪されたのではないかと思われる。

2017/02/07

第178号:大統領は混乱のムードメーカー、それだけだ

<コンテンツ>
経済混乱の ムードメーカー 登場
  【結論をいえば、政治位置は変化しない】
  【パフォーマンスも打上げ花火程度? にすぎない!】
  【経済問題は、世界→国内へと軌道を転換する見通し】
    <アメリカ国内第一とキッシンジャー>
    <そこで米中国交回復とは何だったのか>
    <彼と彼らの経済政策の大戦略>
    <そのための、ISなどの対テロ対策>
    <アメリカ企業のロシアへの直接投資>
  【日本はどんな余波を受けるのか、いくつかの推測!】
  【新大統領を支える政治・経済・社会志向とは】
  【それを見通せたのは筆者独特の勘! ではなく大阪の経験だ。】
  【そして、彼ら作戦スタッフの使っているかもしれない世論操作の学問】

労働時間把握の、「新ガイドライン」(その解説第一弾)
  (1)新たに現れた「労働基準法第41条に定める者」
  (2)「名ばかり管理職」の理論的な封じ込め
  (3)監督行政の法解釈での苦い経験
  (4)4月から本格的に新ガイドライン指導 :筆者の予測。
  (5)「働き方改革」と比べ実行力がある。
  (6)【逐項解説】いよいよ「新ガイドライン」の詳細。
  (7)留意しなければならない事柄がある。


§経済混乱の ムードメーカー 登場
アメリカをはじめとした世界の政治経済そして社会が一気に変わるのか?
といった雰囲気で、日本のマスコミはセンセーショナルな報道を続けている。

【結論をいえば、政治位置は変化しない】
よく見てみると、国の基本となる政治位置は変化をしそうにはない。新大統領の躍り出る様は、表面の混乱ムードを醸し出しているように見えるが、それは彼独特のパフォーマンスでしかなく、後ろに控える作戦スタッフの演出そのものが見えてくる。ヒットラーの再来か? スターリンの再来か? といった雰囲気をあえて得る新大統領が、演出することは、その当時その国の貧困層に受け入れられた、「刹那的な威勢のよさ」を、現代アメリカに適用する彼と彼らの作戦スタッフの演出と見てよい。だから、新大統領に反発する動きが出るほどに、かの新大統領はアメリカ社会での存在意義を見いだすというわけである。それは、彼の彼なりの政治経歴を見れば察しがつく。ただ今回は、とにかく「彼は大統領になりたかった + 共和党は政権を取りたかった」といった思惑が一致したにすぎない……。その理由は彼らの政治・経済・社会志向にある。

【パフォーマンスも打上げ花火程度? にすぎない!】
テロリスト入国阻止のパフォーマンスは直ちにとん挫。憲法裁判所の判決や公訴棄却、政府機関の回復対応の速さといったことは、かの新大統領は「瞬間花火であることを」十分に予測していたと見てよい。メキシコ国境の壁についても同様である。すなわち、センセーショナルな出来事は、選挙目当てと支持者存続のパフォーマンスということである。自動車の国内製造もパフォーマンスの領域を出ていない。日本のマスコミ報道に思惑があるのかもしれないが、トヨタ自動車に対する多くのアメリカ国民の認識は、「トヨタ=アメリカ企業」なのである。そして、それらのパフォーマンスに対する反対運動が巻き起こることは、彼と彼らの作戦スタッフは織り込み済みなのである。要するに、彼と彼らの作戦スタッフは、そういった反対運動を組み込んだうえでの、「一連のパフォーマンスの演出」で、支持者と世論の誘導を図っていると観ることが妥当だ。…その理由はここでも、政治・経済・社会志向にあるのだ。

【経済問題は、世界→国内へと軌道を転換する見通し】
<アメリカ国内第一とキッシンジャー>
を掲げているが、かの新大統領の話やツイッターだけでは、客観性も合理性も見いだせない。いやしくも、アメリカ合衆国の政府機関が機能しなければ、何事も夢物語に終わってしまう経済政策であるから、彼と彼らの底流の動きを見なければならない。ただその動きは、今回ばかりは筆者も時間を要した。そこには意外な動きが漂っていた。
米ソ冷戦さなかに、突然に米中国交回復が成り立つ、その立役者はキッシンジャーであった。かの新大統領とキッシンジャーの面談は目撃され、合衆国の新政府機関にはキッシンジャーの弟子と言われる人物たちが就任している。黒子に徹して国務長官などの表から目立つポストにはいない。
<そこで米中国交回復とは何だったのか>
を振り返ってみることにする。キッシンジャーの学説は、主要国の均衡バランス形成による平和秩序と外交である。当時、アメリカに対して強大となったソ連にブレーキをかけ均衡を図るために米中が手を結んだのである。中国は文化大革命による経済の崩壊に陥っていたからこそ応じ、そこにアメリカは手を差し伸べて中国の改革開放を後押し、その後のソ連のペレストロイカに至る過程で、アメリカ自身は世界経済の安定に伴い経済成長を果たした。そしてソ連は内部崩壊し社会主義国からロシア(実は正教のキリスト教国:志向)へと変化して、世界をかけめぐる利回り金融資本の横行と破綻(リーマンショック)へと、現在に至っている。そして中国は今や、経済経営的採算が合っていると思わないが、軍事力や経済外的強制で以って、表向きの世界経済を牛耳るような覇権と活躍(中国の文化大革命派に言わせれば「張子のトラ」)なのである。かのアメリカ新大統領は、これを危険と見ている。
<彼と彼らの経済政策の大戦略>
が浮かび上がってくる。米ロが経済で手を握り中国の覇権を阻止する。それはアメリカが旧来の世界警察で以って対峙するのではなく、今度はロシアが中国に対してブレーキをかけることで、世界均衡を図るとともにアメリカ経済が回復する基盤を形成しようとする戦略なのだ。その中国に対するロシアのブレーキのさなか、アメリカ国内の法人税率を15%まで引き下げるとする「税金天国」の合衆国を作ろうというわけだ。これが彼らの最大目標である経済政策と考えれば、彼らの発言や行動での矛盾は解消、筋が通ることなのである。
「税金天国」となった合衆国内での雇用増という政策志向だが、筆者の見解からすれば先行きは不透明だ。それは、アメリカ経済の発展基盤は
①第一大戦中の1913年からの体験教育(日本のゆとり教育の元祖、但し日本は失敗)から~。
②1929年大恐慌後のニューディール政策、同時に将来のアメリカを見据えた芸術家への失業対策事業による経済基盤(特にアメリカンドリームやアメリカ文化)の形成から~。
③戦後のアメリカ経済の技術革新と世界進出といった。アメリカ経済史を踏まえての政策~。
④どうしても筆者には、こういった成長過程を彼ら彼らには考えられないのではないかと推測するからである。突然、彼ら彼らの「この世の天国」は訪れるとは思えない。
<そのための、ISなどの対テロ対策>
なのである、あくまでも。ISを組織し昨年まで裏からの援助を絶やさなかったのは合衆国CIAである。それは世界警察としての策略ではあったが、今のCIAは新大統領側に付き、ISへの援助停止、それに続くロシアの大空爆によるIS殲滅(せんめつ)の容認に至っている。そして新大統領は、シリアのロシア海軍への港湾基地提供とかロシア空軍への飛行場提供について何も語らない。それこそが、ロシアの経済進出を認める行為そのものなのである。中東に進出する中国に対するロシアの進出動向に、新大統領は口をはさまない。(旧約聖書のエゼキエル書38章には、今で言うロシアが中東に進出する件があると言い出す解説者もいる)。イスラム:テロ対策とは、こういった背景があるから、イスラム入国拒否の大統領令が合衆国憲法違反となっても、彼と彼らはパフォーマンス以上のことをしないのである。新しい大統領は、その全てが経済である。確かにまた、彼と彼らの支持基盤は、「頭の中は、聖書とイエス・キリストの神秘で満杯」といった人たちなのである。
<アメリカ企業のロシアへの直接投資>
は盛んになってくる。そのためのエクソンモービル:ロシア通の国務長官就任である。それは、法人税15%の「税金天国」に世界の企業を誘致して、そこからアメリカ経由で再びロシアへの進出を狙っているのかもしれない。そこには、アメリカがEUへの進出を促進する基盤が、思わぬイギリスのEU離脱によって、失われた事情が存在もする。日本のマスコミでも、しばらくすれば、こういったアメリカ企業のロシア進出のニュースが次々と飛び込んでくることになるだろう。
ロシアからすれば事、経済投資の呼び込みならば、極東の軍事情勢、はたまた北方四島の領土問題などどうでもよいことである。まして、日本側が「北方領土の二島でよい」などと言い出す始末であり、シベリアからの石炭出荷を大量に受け入れる日本の状況からして、ロシアへのアメリカの経済投資は一気に優先課題となってくる。そして、その極東のロシアとの国境線に中国は大陸間弾道弾ミサイル基地を配備した。

【日本はどんな余波を受けるのか、いくつかの推測!】
★日本企業の本店のアメリカ移転が、二国間協定で以ってあり得る。
法人税15%であれば、アメリカに行きたい大手企業は目白押しである。日本での消費税の還付金で輸出企業は優遇されているが、いっそのことアメリカに移転してしまえばと考える企業が出てくるかもしれない。日米首脳会議では焦点となるだろう。
★日本の年金基金の資金をアメリカ国内インフラ投資に。
これは、さっさと進んでいるようである。現在年金資金の投資結果は大損状態である。これ以上のアメリカへの資金提供が日米首脳会議では焦点となる。
★日露の経済交流は、米ロ経済交流の「お墨付き」の範囲内。
おそらく、日米首脳会談で、そういった「お墨付き」程度のことが話し合われるであろう。アメリカの国防長官は韓国に対しても日本に対しても、「俺のいう通りにしろ」と迫るような人物だから、おそらくアメリカを差し置いて、日本が交易促進することはご法度であろう。ところが、日露の非公式取引(密輸)は、大手企業が介在して戦後も必要に応じて行われていたのだ。近いうちに、ロシア流行ブームが出現してくるであろう。
★日本の対中国経済への牽制(けんせい)。
ロシアを使って、中国経済にブレーキをかけようというさなかに、日本の中国との貿易増加をアメリカが歓迎することはない。世界銀行とアジア開発銀行(日本主導)と、そしてAIIB(中国主導?)の三つは、今現在は共同歩調をとっている。金融・投資の純然たる目的からすれば、本来は国境や国家は関係ないからだ。主要幹部の人事交流も存在している。AIIBに力をつけているのは、日本の官邸サイドだけだ。だから今後、その動きに注目する必要がある。どうなのか全く予想がつかない。
★日本の官僚は、今もそうだが、右往左往する。
官僚にとっては、間違いなく新アメリカ大統領の発想が分からない。政治家も右往左往するだろうし、すると政策も右往左往する。そういった右往左往は、ニュースのネタになるし、そういうニュースなら理解出来そうな読者・視聴者は多いから、益々マスコミのそういった商売っ気はひどくなるだろう。日本の教育が受験戦争一辺倒だったからなのか、戦前から続く計画経済を続けてきた官僚思考だからなのか、日本でメジャーと言われる思考パターンの人たちには、本当に、新アメリカ大統領の発想が分からないのである。
☆そこで筆者のお勧めは
世界各地のお金持ちに魅力のある商品を作ればよい。
お金持ち優先で観光などで買いに来てもらえばよい。世界は広いから、お金持ちに焦点を絞って商品を売りこめばよい。当分の間は、日本や日本各地域の独自文化を、物品にして観光やリゾートにして具現化することで売ればよいのである。世界で売れている日本料理(これが、割烹とは違う)がそうだし、日本にあって山村の自然との調和風景もそうだ。すなわち文化価値商品である。人海戦術や労働力だけの「ありふれた商品」から決別して、世界のお金持ち相手に高利潤商品・高水準サービスを提供すればよいのである。
☆なぜ高利潤や高サービスかといえば、日本の(広義の)労働者の労働全般能力・職業能力や、それを支える生活水準を維持するための費用や教育投資が不可欠だからである。「より良い物をより安く」といった世界の下請工場的な商品着想では、先進国から、途上国までの諸国との貿易摩擦を生むばかりである。今更日本は、植民地的な経済活動とか滅私奉公哲学では成り立たない、様々な評価は別として日本は17世紀初めに世界で初めて奴隷制度を廃止した国なのだ。

【新大統領を支える政治・経済・社会志向とは】
かのアメリカ新大統領はプロテスタントの長老派である。慣例なのか必ずイギリス国教会の流れを持つ聖公会の教会(ホワイトハウスの筋向い)で、就任前の礼拝に出席している。情報筋によると、その礼拝には聖公会の牧師に加え、バプティストとメソジスト(この二つはプロテスタントの派閥)の牧師も同席(アメリカの社会や教会では、重要な意思表示としての同席)したそうである。ことに共和党は聖公会の影響が強く、イラク戦争当時にブッシュ大統領の法案が、イギリス国教会のカンタベリー大主教の日曜礼拝での横槍で、多くの共和党の議員がブッシュ反対に回り、法案が流れたこともある。アメリカとは、そういった国である。身近な人物ならば、浦賀に来たペリー、戦後のGHQマッカーサー司令官らはアメリカの聖公会メンバーであった。こういった事情は、全く日本ではなじみがない話ではある。だが、ヨーロッパのEUにあっても、政策議論と同時並行でキリスト教にかかわる宗教と哲学の議論は必ず行われている。いわゆるキリスト教国と言われる一帯は、こういった政治・経済・社会志向を知らずして、その分析は極めて難しいのである。
これが、就任式前の礼拝があった、ワシントンの聖ヨハネ教会だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/St._John%27s_Episcopal_Church,_Lafayette_Square
そして、副大統領に就任した人物が何者か、その人物が就任した意味が重要。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9
副大統領に就任した彼は自称エバンジェリカル、「頭の中は、聖書とイエス・キリストの神秘で満杯」と揶揄もされている。その存在はトランプを大統領を当選させた勢力の代弁者、トランプの不測の事態(暗殺や転向)のみならずエバンジェリカル勢力の大統領志向の担保機能と見た方が良い。これらは、日本では考えられない複雑な習慣でもある。
保守派キリスト教徒エバンジェリカルついての、某解説もある。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaokanozomu/20161027-00063742/
これらの情報は、日本のマスコミでは報道されないのが通例、あるいは記者たちが、全く理解出来ない情報なので、アメリカ大統領の動きの見れない人が多いのだ。

【それを見通せたのは筆者独特の勘! ではなく大阪の経験だ。】
大阪では一昨年春に住民投票=「大阪市を先ず廃止して、大阪都構想?」なる大阪市民限定の投票が行われ、大阪市廃止は71万票の1万票僅差で否決された。それまでの、センセーショナルな言動で踊り、傍らでは政策後退を続けてきた、あの「お騒がせ知事→お騒がせ市長」は結果、事実上政界から失脚してしまった。大阪特有の昔から統制力を持った政党が存在しないといった状況にあって、マスコミの政党得票数を根拠にした勝敗予想は大きく外れ、住民投票は「空中戦」となって最後の一週間で決着した。その住民投票日の二週間後の住民投票の勝因と敗因の分析にあっては、実に両者の作戦参謀の勝敗根拠が一致していたのであった。そして大阪の諸政党やマスコミにいたっては、未だ勝因敗因をつかめないままでいるようである。
すなわち、この大阪の「お騒がせ知事→お騒がせ市長」の動きと、かのアメリカ新大統領の動きが、きわめて似つかわしいのだ。だからある程度、かのアメリカ新大統領勢力の成すことは予想ができるのだ。ただ、異なることは、かのアメリカ新大統領勢力には、先ほど述べた「彼を支える政治・経済・社会志向」の勢力が強く存在する。日本の「お騒がせ知事→お騒がせ市長」には、そういった「政治経済社会志向」の勢力は存在しなかったし、そういった勢力は味方をしなかった。大阪の「お騒がせ知事→お騒がせ市長」が業務委託し選挙ビジネス屋の算段した「オレンジシャツの国会議員・地方議員」集団(目標1,000人が政策も異なる300人しか集まらない)お粗末のところ、その闊歩(カッポ)する姿は大阪市民の強烈な反発を買い、感情的な裏目に出たのであった。

【そして、彼ら作戦スタッフの使っているかもしれない世論操作の学問】
今から紹介する学説は、マーケティングの世界でも定着しつつある。ただ、「バカとハサミは使いよう」ということであって、大阪の「お騒がせ知事→お騒がせ市長」が発注した選挙ビジネス屋は、その使い道を誤り、勝利した反対陣営の作戦参謀にその使い道を見透かされていたのだった。さてそれの要点を紹介しよう…。

アメリカ ジョナサン・ハイト  2014年
<道徳基盤・思考の偏り>
 (アメリカ捜査結果の関心事を ○ 印の図表にしてみると次の通り)
  配慮ケア 公 正 自由解放 忠 誠 権威敬意 神聖ピュア
リベラル      
保 守
   
 ↑ 教養層・高収入層・若者層・クリエイティブ層 
   
 低学歴層・低収入層・ルーティンワーク層・高年齢層  


§労働時間把握の、「新ガイドライン」(その解説第一弾)
平成29年1月20日、厚生労働省の本省:労働基準局監督課は、17年ぶりに、
「労働時間の適切な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」
を策定しWebで発表した。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html
いわゆるガイドラインとは、法令ではないが、事業場に対して労働基準監督官が監督指導をする際に話すべき内容を示すといった類のものである。

そのため現実には、勇み足の監督官も出てきたし、監督指導を権力からの圧力と感じて過剰サービスをする事業主も出てくることにもなっている。日本は全体主義や社会主義国ではないから、何でもかんでも監督官様の「お話」を鵜呑みにして従うことはない。無理をして従うと、結局は無理がたたり法違反を犯してしまう現実がある。だから、その新ガイドラインの理解には歴史的経過と高度経営センスを含む専門性を要するのである。表面の字面だけを追っていては誤解をしてしまう。そこで、幾つかの留意点を示しながら解説をする。

(1)新たに現れた「労働基準法第41条に定める者」  以前のガイドラインなどに存在した、「いわゆる管理監督者」の語句が、「労働基準法第41条に定める者」へと変更がなされている。これについて労働基準局監督課は電話インタビューで、「内容は変わっていないが、正確さを期するため」としている。ところが、この語句の変更こそが“新ガイドライン”の全体を貫く前提として念頭に置かれているのである。(あくまで行政機関の書面は、学生の作文ではない。だから各々それなりの背景や思考パターンを読み取る専門性が必要である)。

(2)「名ばかり管理職」の理論的な封じ込め  すなわち、「いわゆる管理監督者」の語句が原因だとまでは言わないけれど、従来の本省:労働基準局監督課が、「いわゆる管理監督者」の語句を使い続けたことによって、いわゆる「名ばかり管理職」が世間に横行している現実を是正しようと図っていると監督課が考えるのは自然である。どうしても経営者も総務担当者もが社内だけを見てしまうから、広い視野に気がつかないのは当然だ。それは筆者の如く長年数多くの事例を見ていると一目瞭然である。またそれは、監督官たちも同様なのである。それは異なる角度から言えば、いわゆる「名ばかり管理職」と指摘されないように様々な経営者や総務担当者が浅知恵を絞ったところで、本省:労働基準局監督課からすれば全部を見通しているのであり、ある意味で浅知恵が後を絶たないことに対する用語対策なのである。「労働基準法第41条に定める者」と表現することで、改めてこの際、法令に基づいた判断基準を末端の監督官にまで徹底しようという訳なのである。社会保険労務士の大半も「右に倣え」である。そうすれば巷では、ほぼ間違いなく素人の考えた「名ばかり管理職」論は崩壊すると、彼ら官僚はみているのだろう、筆者もそうなるだろうと予測する。たぶん、これに法律論議で以って合理的に彼ら官僚に太刀打ちできる、そんな素人も専門家も存在しないだろうから。

(3)監督行政の法解釈での苦い経験  労働基準監督行政の歴史には、解雇に関する条文解釈にかかる苦い経験がある。現在の解釈通念は、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」(濫用=定められた以上に権利をミダリに用いるとの意味で乱用ではない)である。ところが2004年1月1日の法施行(当時は労働基準法第18条の2)当時までは、裁判所の判例とは裏腹に大半の監督官はそうでもなかったのである。それまで多くの監督官は、「30日分の解雇予告又は予告手当支給をすれば、解雇は可能です」と電話でも気軽に事業主に対し応答(書面でない方向で)していたのである。そう、それはつい13年前のことである。ここでピンと来た人もいるだろうけれど、旧ガイドラインの労働時間把握の時代である。ついでのことだが、労働時間把握に本省:労働基準局監督課が本腰を入れだしたのは、1988(昭和63)年の週40時間労働制(それまでは1日8時間労働制)の時点からである。当時のエピソードを話せば、Webが無かったから、「週刊労働ニュース」の新聞で以って監督官の意思統一の徹底を図っていた。ビル退出時刻の警備員記録、夜8時の事業場臨時検査、その後はパソコンの差し押さえ、メール発信時間解析などなど、そういったが摘発や監督のニュースを「週刊労働ニュース」が目白押しに掲載していた。

(4)4月から本格的に新ガイドライン指導 :筆者の予測。  =平成28年度内に、新ガイドラインの徹底を監督官に図り、4月からの一斉人事異動で従前の事業場と人間関係を断ち切り、4月から本格的に新ガイドラインを運用するであろう、これが毎度の労働省のノウハウである。経団連への説明会は、1月25日に行っているが、1月20日策定したとする「新ガイドライン」の説明を、本省:労働基準局監督課ではなく、労働基準局総務課長が行った事(多数の質問に対し、正確な微妙な説明が総務課長では出来ない)には意味がある。おそらく、4月まではマスコミに対する労働時間賃金未払いニュースを流して世論づくりをするであろう。4月以降は、有無を言わさず監督指導に入るであろう。だから、個別企業内での3月中の基盤整備は極めて効果的である。こういった事は、筆者が約40年に渡り携わってきた労働行政の底流に基づく独自考えである…。

(5)「働き方改革」と比べ実行力がある。  「1億総活躍」とか「働き方改革」とか「残業禁止の法改正」は、耳触りの良い口先だけのこと。現在の社会状況からすれば、それらに実行力が無いのは、いつもの通りである。だが、その陰にあって、政府の表面政策とは裏腹に、この「新ガイドライン」は徹底されるであろう。近年、旧労働省の労使が協調して労働基準監督行政を推し進め検察の書類送検を進めてきたのであり、それらに現大臣も同調している。ことに、大手企業の大半はサラリーマン経営者が占め、その許に人事部門が配置されていることから、そのほとんどの企業は行政機関の権力に弱く、後先考えずとりあえず従う実態だからである。終戦直後、労働省は戦前(工場法で)立案していた内容の労働基準法案を早速国会提出、法案がGHQの指示だと偽って、さっさと成立させたのである。ところで、新採用監督官の数は、来年度は3倍の150人、再来年は230人との情報で、その研修施設が不足との動きも存在するくらいであるから、徹底してくるのは間違いないだろう。監督署は何時もの如く、新入社員の「お試し営業」ではないけれど、今年秋から(約半年の宿泊研修後)は新入監督官を単独で事業場訪問をさせるであろう。その際に、「新ガイドライン」が効力を発揮するのである。そこには、使用者に対して「本ガイドラインを踏まえ…」労働者に自己申告をさせる様にといった、新たな手法の内容(4項(3)号のア)が監督官に指揮されているのである。

(6)【逐項解説】いよいよ「新ガイドライン」の詳細。  専門家でない方、ペーパーライセンス社会保険労務士、現場を知らない弁護士といったみなさんは、逐条とか逐一順を追って解説する手法が、とても好きなようである。だが、ここまでの背景と監督行政の底流を垣間見ていただいた読者の方は、既に貴方が深い視点になっていることに気づくだろう。気づくからこそ、貴方の話には共感と「深み」が備わり説得力が増していくことになるのである。実務能力が向上するのは、前回のメルマガ=共感精度の解説の通りである。逐条解説ばかりに気が向いている人に実行力は備わらない。ではとりあえず、気をつける必要がある箇所を指摘する。必要に応じ要望カ所や焦点になる部分を後日YouTubeを作成しようと考えている。

☆では順番に、
2項、5行目、「労働基準法第41条に定める者」→名ばかり管理職の排除!
3項、労働時間の考え方、→ここは新設項。
  2行目、「黙示の指示」→アイコンタクトはもちろん無言も黙示の指示?
  5行目、「使用者の指揮命令下」→自宅持ち帰り作業、一見自発的作業など
  8行目、「指揮命令下に置かれたものと評価…客観的に」
  11行目、「これを余儀なくされていたなどの状況の有無など」
  ア~ウの具体例は、毎日の労働時間増、あるいは作業開始時刻の遅延と早退

4項、(2)号のイ 「パソコン使用時間記録等の客観的な記録を基礎として」
   同じく2行目、「適正に記録すること。」→システム説明とタイムカード連携管理
   (3)号のア
     「労働者に対して、本ガイドラインを踏まえ、…十分な説明」→提示?
   (3)号のイ
     「実際に労働時間を管理するものに対して…説明」→チェック
   (3)号のウ
     「入退場記録やパソコンの使用時間記録など…労働時間の補正」
   (3)号のエ
     4行目は、電通事件の逃げ口上の=Netでの検索・調査・学習の事態含む
       →自己申告の労働時間が少ないならば合理的説明の有無がポイント
   (4)号、4行目、賃金台帳への無記載・虚偽記入への、30万の罰金を表示

………といったところである。こういった項目による未払い賃金の確定とか、賃金支払い並びに個人所得増は、間違いなく現労働大臣の了解を得ている。
したがって、労働時間管理に曖昧さを残さないためには、客観的な管理を求められることになるのである。時間外労働指示書とか、残業禁止指示書、退去命令といった客観性を要する。そうすれば、時代に適した適切な時間管理は可能というわけだ。後先考えずとりあえず従うといったことでは、事業経営(収益性、生産性、労働意欲、効率性)の各分野にわたって矛盾を起こし、それは労働者の反発を招く。いずれを選択するかの2次元的思考の知恵のなさでは対処できないことになるのだ。

(7)留意しなければならない事柄がある。
One. いくつもの事業場を抱える大手企業(中小企業基本法に規定する「中小企業者」以下を除く)に対して、2箇所の事業場の是正勧告で以って代表者の呼び出しをする。その場合は、本社(「中小企業者」以下を除く=第3次産業で資本金5000万以上の企業は相当数が対象)への立ち入り調査も行うとしている。
http://www.chusho.meti.go.jp/soshiki/teigi.html
もちろん、社会的影響のあるとする(大手などの)企業はマスコミ対策をあわせもって行うことは通例である。単なる氏名公表や単なる呼び出しの監督行政を行うことはない。すると、サラリーマン経営者などは、外注化で下請けに責任を回し、これも、乗り切ろうとする愚策も現れるだろうが、セブンイレブンFC加盟店の賃金カット事件の如く世論の風当たりは強い。本来なんとかアウトソーシング企業に委託したいところではあるが、労働者の経営センスを併せ持った職業訓練をなおざりにしてきた労働政策からは、真のアウトソーシング企業が数少ないのである。そのことから実に現在、アウトソーシングは売手市場であるから安値発注が出来ない。
http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/dl/151106-05.pdf

Two. 本省:労働基準局監督課の監督行政の戦略方向は、労働基準法などの取締法規を超えて、就業規則を細かく作成させる指導により労働契約扱いとすることで、結果的には労働契約法の適用を図ろうとしている。そうやって、裁判所、弁護士、社会保険労務士の機能や外部参加を組織しようとしているようだ。マスコミ対策との連動はもちろんだが、監督官の動員(例えば、捜査本部なら40名といった具合)だけには頼らない戦略のようだ。労働基準法や労働契約法の法律的論理展開は、裁判所、弁護士、社会保険労務士たちに反対される要素がないから、約2万人の労働基準監督官の人海戦術で功を奏するというわけだ。

Three. さて、対応の要点は、行動経済学や産業心理学を踏まえての高度な専門性のあるアドバイスを、貴方が手に入れた上で、貴方の個別企業が対策を打つ必要があるといったことだ。巷にあふれる判例や逐条解説は、冊子として売れるものだから数多く出版されるが、貴方のご理解の様に、個別企業内のジレンマと不毛な手間と暇にさいなまれるのである。ドラスティックな対策は、経営トップに押しつける仕事ではない。総務部門の貴方の創意工夫に委ねられているのである。

Four. 違法な長時間労働の要件を、現行の月100時間から月80時間へと引き下げ、加えて過労死や過労自殺等での労災支給決定の場合も違法要件とする。月の時間外・休日労働が100時間を超えれば、産業医への情報提供の省令を改正する。過重労働事業場への、医師の緊急面談問診の実施を、都道府県労働局長が指示できることも省令を改正する。これらは、企業にとっては、即効対策をとらなかった場合の損害賠償の民事事件での、敗訴や大幅不利を招来するものとなる。

2017/01/10

第177号:共感という概念の科学的発見が、人間社会を一気に変革

<コンテンツ>
なぜ、今時の組織は、益々空回りをするのか!
「愛情と勇敢さ」といったイメージの経済活動
   【失われた日本、30年目へのプロセスとは。日本は配給経済だったかも?】
   【成長も豊かさも確保している文化価値商品の姿、そして共感の存在】
「共感する」とのイメージから述べてみると……
「共感」の概念を取り入れて活用、以下その具体例を示してみる。
   1.顧客への姿勢が変わるから、売り方も変わり、売り上げも伸びる。
   2.商品やサービスの開発方法が変化する。
   3.無頓着なメールとか書面報告が如何に無駄か。
   4.会議に、「共感作用」といった人類の共同体コミュニケーション方法
   5.テレビ会議も、「共感作用」概念に無知であれば意味がない。
   6.共感といった概念の科学的発見は、ICT機器のコミュニケーション手段に変化
これら共感の具体例の根拠となる学術面の、「共感作用」の説明
   【第一段階:相手を無意識のうちに模倣している】
   【第二段階:繰り返しフィードバックして確認している】
   【第三段階:キャッチ・情動感染の後に瞬時反応】
   【この三段階を経てキャッチ・情動感染したとしても】
   【最後に、よく注意しなければならないことは】


§なぜ、今時の組織は、益々空回りをするのか!
どうして、個別企業のベクトルに力強さが出ないのか。
だがそれは日本国中のみならず、今時の世界現象である。とにかく組織がまとまらない、旧来方法一辺倒では、「ヌカに釘」であり「砂漠に水をまく」現象が続く。そして施策の割には成果が出ない。
振り返ってみれば、コンピューターで文書や紙が激減すると期待したが、結果は紙と書類の激増:ゴミの山であった。ICT機器は世界中の情報が入手出来、早く意思や情報が伝えられると、夢のように期待をしたが結果、現実に目立つものは情報の氾濫で探すのに一苦労、そしてICTを使い切れない人たちにはネットでの「身近な狭い世界」もたらされたのであった。自由さと利便の道具とは正反対の現象が激増したのだ。ましてネットによる情報収集システムは個人を、「敷かれたWebレール」に乗せ替え管理しようとの画策が繰り返される。
このことが、人間の創造力、構想力、着想力、洞察力、分析力といった能力の育成を阻んでいるのは否めない。そんな労働能力よりも、共同体構造での上位の地位を獲得すれば目前の生活は安泰するからだ。その結果、個別の商品開発力は劣化、脱法行為が商品開発と錯覚、挙げ句に商品利潤率の低下を起こしている。もちろん、労働または労働力だけを売っている、「雇われの立場」の可処分所得も激減の一途、おそらく団塊の世代が壮年期であったころの半額である。
それは、買い手が希望を持つことのない商品群、夢も消えれば、「愛情と勇敢さ」にも出会わなければ、働く意欲さえ激減するといった現象に現れる。さらにまたネット情報の現象ばかりを分析する不毛な情報:レトリックがはびこり、本質に触れない無難なインフォメーションの氾濫でもって、知識は少なくとも知恵を効率的に活用(頭の使い道)させるとの、組織の運営が劣化(学術的に言えばは統制劣化)しているのだ。これがベクトルに力強さが出ない原因である。


§「愛情と勇敢さ」といったイメージの経済活動
この用語に語弊はあるだろうが、成長する個別企業や経済活動に携わる経営者は、商品開発や流通・交通について、このようなイメージで語りかけている。それは、およそ550年前から商品経済が成長してきた過程でも一貫している。諸説=経済学・経営学・財政学といった学問は、細かく細部まで理論建てるために一般人には難しくなっているのだが、いわゆる民間活力による経済活動は、この「愛情と勇敢さ」といった概念の共通認識の柱があるからこそ、実態としての経済活動が存在していることには間違いない。
それは、戦時経済、公共事業、社会福祉事業といった国家や地方自治体が行う経済活動の「お題目」は様々あるけれど、やはり基盤にはこういった共通認識がなされているから、要は実現のための方法論の議論にすぎない。だが、この「愛情と勇敢さ」については、科学的に立証されてこなかったものだから、経済経営にも至らない迷信などに振り回されてきた。科学的とは、紆余曲折を経ながらも似非科学を排除し、合理的論理性を以って法則的に解明して発見した理論ということである。ことに経済学とは、「一方が得をして他方が損をする」ことを排して、みんなが幸福になるための科学である。

【失われた日本、30年目へのプロセスとは。日本は配給経済だったかも?】
★1.新製品を生み出しても工業化する過程で、商品の文化価値がはぎ取られることで、適正利潤が無くなり、延々と資本投下せざるを得ず、挙げ句に個別企業の存立が危ぶまれ吸収合併を繰り返す。そこに持ち込まれた理屈が、「より良い物をより安く」の美辞麗句であった。歴史的によく考えれば、占領軍GHQの経営・管理監督者教育を受けて商品を納入し、その後はアメリカ本土などに向け輸出行う過程で生まれてきた美辞麗句だし、確かに好き嫌いを除けば理論的にはそういう歴史だった。
★2.さて、大量生産をするとか、多品種少量生産をするとか、ニッチな隙間を狙うとか、これらいずれにしても、新製品・新サービス(シューペンターのイノベーションも含め)は、工業化の過程で、もっぱらスキルの「労働力商品」に変わり果て、当初の投入された労働価値なのではなく、その一部の労働力に限って投入された商品となってしまう。売らんがために感動めいたパフォーマンスを組み込むが、所詮は飽きられてしまう、それは当然のことだ。二番手の同一商品がその座を奪ってしまう。それはなぜなのか? 答えは、当初は買う側の「観念や思想を通しての文化に即した価値(文化価値商品)」は、売る側の労働能力全般でもって、価値を把握・価値を組み入れた。にも関わらず、無味乾燥な商品に値は付かない。そこで結果は「あなたの製品には飽きた。」との答えを出されたのだ。もとよりアートである文化価値商品は飽きがこないから、それを使用し続けることで買う側にも、「観念や思想を通しての価値増殖とか希望が湧いてくる作用価値」が生まれるのである。最初の文化価値商品の走りは、今でいう工業デザインだった。そして、文化価値商品の価格決定理論(国際文化経済学会で提出分)は、これだ。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/611
★3.だから、日本の大手企業商品は次々と売れなくなっていったのだ。ほとんどの中堅中小企業の新製品・商サービスも、文化価値商品にはなっていないから、しばらくすれば売れなくなってしまうのである。スキルの「労働力商品」にばかりに資本投下をして、芸術家の失業対策事業はアメリカ(1930年代、ニューディール)でも行われたが、日本では独自の経済論(計画経済)を持ち込み、アートといった文化価値商品にいたっては、「アートは芸術家の世界、銭にはならない」と、そういった文化価値商品を戦後でも政策排除をしてきた。その売れない労働力商品を無理に売ろうとするものだから在庫の山、値引き、廃棄、投資損を押してしまうのは当たり前だ。これが未だに続いていることこそが、「失われた日本」の30年目の現実である。ここでも数多くの経済理論が言い訳として持ち出された。「需要・意欲という必要性」とか、「感情を排除した経済合理性」とかいったものであるが、それはそのほとんどが国家を運営する財政を柱にした経済学が起源ばかりであり、そういった経済学説が生み出された歴史背景が無視されている。それはアダム・スミスまで打ち出す新自由主義者の理解力の無さであった。すなわち、そんな口先話を持ち出してきた者に、その多くは“利回り資本目当ての金融機関”の営業に乗せられてしまったのである、彼らは確かに当時の花形役者だったから仕方がない。

【成長も豊かさも確保している文化価値商品の姿、そして共感の存在】
☆1.だが、よく見てみると国内も世界各地でも、文化価値商品は適正利潤を確保し、多くの買手に行き渡り、製造元も買う側も・その商品を仲介する者も潤っているのである。もちろん、文化価値商品に投資をした金融機関も潤っている。例えば、世界的にも有名となった日本料理がそうだ。だとしてもそれは、決して必要な物でも経済合理性的な物といった商品でもない。そして、その売れているポイントは、①ヘルシーに見える、②実際にヘルシーである、③コツはあるが切る煮る焼く盛ると手軽、④後片付けが簡単、といった4項目だし、家庭でも料理出来そうだからさらに広がり浸透するのだ。そう、顧客との意思疎通がなされ、決して労働力商品といった一方的供給ではないのだ。
☆2.さてそこには、「共感」といった概念が、売り手・買手・流通などにかかわる関係者の間に存在しているのだ。「観念や思想を通しての文化に即した価値(文化価値商品)」であるから何らかの形での意思疎通=コミュニケーションを要するのである。それが、認知的にも感情的にも「共感」といった作用が生じたから文化商品の交換が成立し、同様に共感作用が継続するから売れ続けるのである。共感作用が科学的に発見されていなかったから、「愛情と勇敢さ」といった様なイメージの表現で交わされていたのである。
今になって考えると、筆者にしても、「何だ! それだけのことか、みんな知っていた」という事柄だ。筆者も周囲の人に話してみれば、「そんなこと知っている」の一言であった。だがそれは、周囲にもイメージされているから現実的な内容であり、具体的実現的な仕組みが、科学的に組み立てられる発見がなされたから、個人と個別企業で努力さえすれば実現する、といったことが証明されたということである。
☆3.すなわち、最も強制されない人間の活動・労働や経済活動は、=共感=だったのだ。
必要(=意欲)だから売れたのではない、感動的だから長続きしたのではない、希望があるから思い切って、「愛情と勇敢さ」を込めて買うのだ。繰り返すが、その共感や共感作用が科学的に証明されたから、今後は目的・意識的に、その科学的法則性でもって、活用できるということなのである。


§「共感する」とのイメージから述べてみると……
共感という言葉は1909年、共感(empathy)という英語がTichnerによって造られた。
そして、ここ十数年の間に、飛躍的な研究が進み、哲学から心理学そして脳科学へと、横断的な学問整理がなされている。
共感という人間の作用は、数千年前から察知はされていたものの、流儀や宗教的概念や感情作用としての認識がなされていた。だがそれは、客観的な根拠に乏しいばかりか、法則性が見いだされないことで、いつでもどこでも共感を充実させ伝承することが出来なかったのである。だが、神秘的とか非科学的だとか言われながらも、希望・愛・芸術(アート)といった共同体を支える役目を果たしてきたのは事実である。詳しい研究例はこちら。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784326251179
共感もしくは共感作用を用いる方法は、現代の行き詰まった社会共同体に活力を加えるものとして、その実態は世界的に広まりつつあり、裁判制度や仲介あっせん制度といった紛争解決制度にも盛り込まれつつある。それは決して妥協とか示談といった何らかの権力支配のもとでの合意無理強い形成と同じではない。
今や日本ばかりか世界中の共同体が、その安定的統治や効果的統制をすることが出来なくなった状況であっても、未だに、矛盾した対立物の統一による発展(ヘーゲル)とか、矛盾した対立物の是認と妥協といった論理構成に、マスコミ受けする知識人たちは毎度の如く明け暮れている。さらにICT機器が、その道具の使い方次第で、その統治や統制の崩壊を促進することにもなっている。
共感をコミュニケーションに用いる方法は、哺乳類にのみ与えられ、人類のみ飛躍的に発展した機能でもって共同体を支えることになった経過からすれば、共感でもって社会共同体の信頼と敬意を取り戻すことで、統治や統制をはるかにしのぐ社会共同体を形成することになる。もちろんICT機器がそれを充実させ、ICT産業革命は一気・飛躍的人類の心身機能を充実させる形で、共感が用いられることになるだろう。


§「共感」の概念を取り入れて活用、以下その具体例を示してみる。
1.顧客への姿勢が変わるから、売り方も変わり、売り上げも伸びる。
同じ商品であっても、あなたの会社の独自商品であっても、顧客それぞれの購入動機に共感しているから、応接姿勢、売り方などが変化する。すなわち、
「顧客の要望を認知する共感&顧客の気持ちを受け止める感情的共感」
であるが、これこそが、顧客ニーズをつかむということである。これを継続的に行えば、継続的な取引となる。加えて、あなたが共感するということは、相手方も共感しているわけであるから、そこで創造された安心関係は継続するばかりか、顧客の要望や気持ちに応えた商品を次々と提供することになる。すなわち、共感がなければ、顧客へ持ちこむ商品は一方的な供給物となってしまい、同業他社と見比べられる末は値引き合戦、会社の独自商品も取り合ってくれるわけがない。これらは表面的には過去から言い古された理屈と同じだが、共感の根拠でもって応接姿勢、売り方などを改革できるようになったのが、共感という概念の科学的発見なのである。

2.商品やサービスの開発方法が変化する。
すなわち、文化価値商品の開発方法、その宣伝PR方法、その顧客ネットワーク情報の集積方法といった事柄が変化してくる。
「顧客の要望を認知する共感&顧客の気持ちを受け止める感情的共感」
に基づいて、商品やサービスの開発を行うのだから、これまでのボンヤリしたマーケティングとは制度も精度もが格段に異なる。発注者の恣意的意向に沿ったマーケティングは激減するだろうから、商品開発成功の確率は一段と高まる。まして、顧客と売り手の相互継続した共感が広がれば、そのネットワーク情報をICT機器に組み込むことで、飛躍的に商品開発は進展する。商品やサービスの開発とかイノベーションといったものの底流には、人間同士の共感といった作用が介在することにより、ポジティブに進行するのである。共感の作用は、ポジティブにアプローチすれば、相手方もポジティブに応える関係であることは解明されている。独りよがりのネガティブであれば、相手方もネガティブをいち早く読み取って、あなたの目の前から去っていく、独りよがりのネガティブは孤立する、ポジティブな独りよがり、というのは存在しない、これも解明されている。それらの共感反応は、脳の部位に至るまで脳科学で判明している。
「ものづくり」や「人をケアcareするサービス」のイノベーションも、共感作用を各に組み込むことで飛躍する。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/22
すなわちそれが、「良いモノを売る→良いコトを売る」への科学的・客観的・具体的な変化をもたらす。

3.無頓着なメールとか書面報告が如何に無駄か。
共感作用が活用できることになったから、無頓着にすることが如何に無駄な作業であるかが判明する。メール、とりわけ書面報告は、文章を書く技術がなければ情報伝達には、お話にはならない。むしろ、受け手がその文章を読んで誤解する確率が極めて高い。まるで「インスピレーション・クイズ」と同格で、伝達情報や結果は、“どこへ行くやら、何をするやら”なのである。昔から「勘(インスピレーション)に頼る経営」は危険だとされているが、それ以上の「インスピレーション・クイズ」の経営を行っていることになる。そう、あなたの企業に、どれだけの文章表現の共通訓練を受けた人物(大学教授、裁判官・検事・弁護士)が存在するだろうか。そういった訓練を受けた者同士でも、客観的合理的思考パターンの挙げ句は、思考や着想の先細りといった、日本の現実なのである。日本の小中高の学校教育は原則:マニュアル解釈レベルである。
☆解決策は、メールとか書面報告は、数値や場所などの位置に限ることである。
短時間の会議や打ち合わせで、報告者からの発言と打開対策でもって、時間の変化とともに随時判断すれば、内容把握・時間効率・対応スピードは飛躍的に向上する。それはなぜか、報告者や発言者との「日常的な共感」によって、物事のアタリを付けることで、その人物がつかんでいるに情報のポイントが把握できるからである。これこそをICT機器でさせればよい。例えば、短いメールなどが刻々と送られてくれば、その集積把握で相当の充実した作戦も組めるからである。短いメールなどはその都度送信、事前に集計して会議に臨むこと(会議資料にあらず)にすれば、だらだらした会議も避けられる。すなわち、短時間の会議や打ち合わせで部下を育成する会議指導も充実できるというわけである。「根回し」とか「地ならし」の心配をする人もでてくるが、それらは会議の最中に行われた例がない、むしろ、顧客や個別企業外の共感作用による深い情報が集約されていないのであれば、「根回し」とか「地ならし」とは、何をかいわんやである。ことに書面報告は物事を原因から結果への因果関係を考えさせるといった、人材を育成するためには、その教育効果には有効な方法だと割り切ることが効率的である。
くどいようだが、業務や業務改善に役立たないようなメールや書面は即刻に辞めれば良い。解らなければ、電話して質せばよい。会議や打ち合わせの時間がないとでも言うのなら、管理職のもとに最もよく集まる時間帯に、机を寄せて物事の整理をしながら、「勝手に突然、つぶやく」といた形式の方がよっぽど効率的である。
数日おきに、「例の件、段取り良く進行中」とでもショートメールを送信することのほうが、よほど安心感を与える。

4.会議に、「共感作用」といった人類の共同体コミュニケーション方法
そもそも、まず報告から「インスピレーション・クイズ」と同格で作文された書類をもとに読み上げ進行する、「お役所流:審議会」までが、企業内にはびこる始末だから、なかなか作文には盛り込めなかった状況分析の議論をして意志統一をするまでに時間がかかる。およそ2時間を超えれば、特別訓練でもされていない限り頭脳は疲労してしまう。まして、「共感作用」といった人類の根本的共同体コミュニケーション方法がなおざりにされれば、会議の中身が根本から伴わない。そして、会議時間数蓄積、責任回避議事録作成、誰一人も指揮を取らず・責任も取らない会議といったものが完成されるわけである。ひどい場合には、そんな会議の中から次々と、無駄な行動や無駄な書面を仕事に持ち込むことを無理強いされるようになるのだ。それは、几帳面な人物が無意識のうちに主張することから、そのきっかけは始まり、議案先送り希望者が考えもなく同調するのである、そこに「共感作用」といった意思疎通はない。

5.テレビ会議も、「共感作用」概念に無知であれば意味がない。
「共感作用」である顔面表情、発声状況、身体姿勢などが手に取るように分かるTVシステムでなければ有効価値は激減する。その具体的根拠は後述するが、それはテレビの向こうの、お芝居の世界にしか受け取らないからである。すなわち、発言する人物の顔面は少なくとも等身大が必要であるし、別枠で発言者と聞いている者全員の身体姿勢がキャッチ出来なければならない。一同に会して議論しているときは、そういった状況なのであるにも関わらずTV画面枠内で済まそうとすることに手抜かりが生じることに気がつく必要がある。ことに発声については注目する必要がある、それは、顧客の話した発声などを、社内会議でその発言者が、顧客の発声を模倣してフィードバックしているからである。
  ①人が幸福であるときに発声する音声は、
   振幅の変動が小さく、声のピッチ声の高さでの変動が大きく、テンポが速く、低音成分が少ない。
  ②特に、喜びの音声には、陽気な笑い声の特徴が含まれている。
  ③友愛の音声には、一連の穏やかな、「おぉ」とか「あぁ」という声が含まれている。
  ④悲しみには、泣き声の特徴が含まれている。
  ⑤恐怖の声には、鋭い叫び、あえぎ声が含まれている、ヒステリックな発声は恐怖の現れ。
こういった事柄は、自己啓発本やビジネス本の類ではなく、学術的に明確にされている。だから、哺乳類は聴覚にかなり依存しているといった意味から、振幅の小さい音波を増幅した声をより聴き分ける(カクテルパーティ現象)といったこともあって、不具合なテレビ会議よりも、電話やスピーカホンの方が、まだマシなのかもしれないのだ。すなわち、テレビ会議に期待するほどに、仕事の結果的成果はテレビ会議では得られていないと見た方が、まずは妥当である。まだまだ現実の機器と使い道は、等身大の大画面でこそ、初めて一方的意思表示の伝達が可能な程度なのである。

6.共感といった概念の科学的発見は、ICT機器のコミュニケーション手段に変化
といったきっかけを与えるだろう。既に、若年層のスマホ活用では、共感にかかわる絵文字が使われている。そのうちタブレットなどに等身大の顔が映し出され、ふたりの会話がなされているかもしれない。それに参加する人と出来ない人との間に、大きな意思疎通の差が生まれていることになるだろう。共感作用の基盤となる、「安心して関係の持てる間柄」とは、「信頼と敬意」で成り立つ関係なのだが、ICT産業革命は機器の発達と同時に共同体のあり方に変化をもたらすであろう。だとすると、ICT機器分野での、においセンサー、指感触センサー、3D視覚機器の開発は工業生産財や研究機関財には重宝されるが、それに比べ、一般消費者の共感にかかわるICT機器の活用・充実こそが、文化価値にかかわる利潤率の高い仕事に直結するであろう。
すなわち、様々な商品やサービスの説明を、人間を介し顔や声の表情でもって表現することを柱にした方が、結果的成果は確実であり高利潤率が無理なく保障される。そういった市場形成が、無理のない投資とともに現実となることを、共感といった概念の科学的発見は示唆しているのだ。そのポイントを押えれば無駄なICT投資に弄ばれることは無い、マイナンバーやビッグデータといったものが如何に非効率投資であるかも明快である。それは、共感という作用が、古来より人類の共同体を形成した要であったとの科学的発見の成果である。


§これら共感の具体例の根拠となる学術面の、「共感作用」の説明
人間の生み出す様々な労働価値と、そのための組織やネットワークに中心をおいて、かいつまんで説明すると、共感や共感作用とは次のようになる。

【第一段階:相手を無意識のうちに模倣している】
会話や人の話を聞くなどの情動体験の間、人は自動的かつ連続して、その人の顔の表情・話し方・姿勢・動作といったものを、頭脳の中だけ(聞く側の仕草には現れない)で模倣し、次に自分自身の動作をそれらに同調させる。人は模倣することに自覚して気付かないままではあるが、周辺環境を知覚したり、共同体的環境や社会的環境と相互したりする。共感や共感作用は、感情的共感(精神:気持ち)と、認知的共感(心の理論)の二重構造であり、脳の反応部位も異なる。模倣とは、そういったものに深く影響しており、共同体に向かっての「共同体的な絆」として機能していると解明されている。動物行動学者たちの研究によれば、こういった模倣をすることを系統発生的に古い同一民族内のコミュニケーションの基本的な形式としている。それは、哲学者ルソーが、「言語起源論」で主張していた事柄を裏付けている。社会的環境との相互は認知的共感に基づくのである。

【第二段階:繰り返しフィードバックして確認している】
そういった情動の体験は、その頭脳の中だけでの模倣から、その人からの聞き手がフィードバックした後の表装をも読み取って、さらに顔面・発声・姿勢からアタリを付けながら、益々相手方の情動を読み取って確認していく、といった一連の作用プロセスを進めて共感している。例えばこれは、目の前の人と友達になりたければ、「言葉を合わせ、動作を合わせ、呼吸を合わせる」といった心理的手法の裏付けでもある。また歌を唄うとの例では、リズム・メロディー・アクセントといった仕組みであり、それはスピーチをするときにも=ゆっくりしたリズムに乗せ・メロディーに乗せ・アクセントを入れると聞きやすいといった具合の方法をも裏付けている。歌や音楽が共感を培っているから、人類は様々な活用を行ってきた、その活用の最たるものが西洋音楽であることも理論づけられた、ただそれは情動にも機械的にも、癒しにも発散にもなりうる。

【第三段階:キャッチ・情動感染の後に瞬時反応】
模倣とフィードバックの結果として、人は瞬間ごとに情動をキャッチしていく。周囲の仲間の変化し続けている顔・声・姿勢を、自動的にキャッチして人が周囲の反応に対応していくのである。共感の少し角度を変えた作用プロセスの説明でもある。そこには、少なくない結果として感情移入(自分自身のことのように感じる)することが出来ている。更にそれは、他者の意図と感情が明確に現われていない場合でも、関わりが深いのであれば、瞬間的に追求することができるのである。まことに例えが不適切かもしれないが、マフィアは目つきの変化で組織的結束を判断する、浮気ならば目つきでアタリをつける、刑事事件も目つきの意思疎通に犯罪構成要件の兆しを見る。

【この三段階を経てキャッチ・情動感染したとしても】
共感による情報は、とにかく取扱に注意しなければならない。それは、共感情報に対応する場合には感情的共感情報をさておき、認知的共感情報(客観的合理的要素)をきわめて重視しなければ、失敗を起こしてしまう可能性が少なくないことである。比較的多くのことを知っている人ほど他者の持っている知識を過大評価するし、比較的わずかなことしか知らない人ほど、他者の知識を過小評価し易いからである。したがって、
「共感することで、まずアタリを付け、客観的合理的に確かめながら、事を行う」
といった具合になるのだ。これは“ひらめきが在って、次に具体策を行う”との経験則を裏付ける研究そのものだ。要するに、「感情的に話を膨らませてしまう」といったことによる失敗が、また周囲からあおられることによって失敗が、発生するということである。新商品開発とか、経営方針や戦術の議論は、賛同者ばかりが集まれば、「感情的に話を膨らませてしまう」から、失敗に注意しなければならないとの経験則の裏付けでもある。ポジティブな独り善がり厳重注意なのである。
加えてまた、現代日本人の言葉感覚からすると、共感という行動が、上から目線だと「同情する」との言葉概念と化し、同じ目線だと「共感する」であり、下から目線だと「憧れる」といった言語に言い表されることに注意する必要がある。

【最後に、よく注意しなければならないことは】
①共感という能力的進化は哺乳類となって発展獲得したものである。それは、かなり聴覚に依存しており、特殊化された哺乳類の中耳の構造で振幅の小さい音波を増幅して内耳に伝えることで、人間の発声の周波数音を検出している。このような機能は顔面や頭部の筋肉・末梢神経によって制御もされており、迷走神経とも結合し交感神経や心臓の動きと直結しているとのことだ。すなわち、「聴覚や発声」からの共感と、その「顔面や心臓」との直結は、それがメンタルヘルスの引き金にもなっているということである。
②反面の事柄も存在する。ストレスに対する動物的強靭とは、共同体コミュニケーション能力が後退する場合も含むことが存在する場合もあるのだ。それは、共感能力としての「より正確な共感による思考や感情を、より正確に推定していく能力」といったもの能力欠落しているケースが見られることからだ。その人物の成長過程や教育過程で、共感する能力が欠落もしくは阻害されている場合である。ストレスに強い動物的強靭を一概に、哺乳類の前の爬虫類と決めつけるわけにはいかないが、共感能力の欠落には間違いない。秀才や天才であったしても、何らかの過程で共感能力が欠落し阻害されている場合がある、こういった人物の障害を見抜く必要があるのである。すなわち、共同体コミュニケーションを造り上げる業務、すなわち管理職や監督職には向いていない障害を持つ人物なのである。現在日本では人間性がないとか心が解らないとか曖昧な概念の人物と呼ばれることが多い。
③それは、さまざまな心理学テストや精神医学的な研究からは類推判別されないケースは多い。だが例えば、特定の人物・特定の階層といったふうに、その相手に対する共感能力の欠落が認められるのである。特定の人物のケースとは妻を虐待するなどのDVがその例で、特定の階層のケースとは人種、職業、貧乏、学歴の差別といった例である。それらの共通するところは特定の者に特化して共感性が欠落していることであり、同時にそれは複数階層への差別対象をもっており、共感能力欠落により会話は自分自身に向かっている現象=自ずと他人を育成することはなく、表現力に共感性がない障害に因って、殊更に理論やレトリック(人をごまかす展開)に終始するのである。なので、いわゆる人間性とか、法や社会習慣などを説いたところで何らの効果もない。彼らはただ物欲、権力欲、名誉欲に忠実なだけで、恥も外聞もまして理性も持ち合わせがないという現象面が現れる障害なのである。
④すなわち、共同体を形成した要であった共感能力の欠落に対する障害の、早期発見と対策で、それを「性格だ」とか「頑固者だ」とかで放置放任するのではなく、障害者に対しても人間関係の幸せを回復できる方策が科学的に明確になったのだ。ただし、どういった施策を実施するのか、その選択は最終的には、社会共同体が決めることである。ただ言えることは、共感能力欠落障害者の排除排斥策を発案・賛同する人物は、共感能力欠落障害者が圧倒的に多いということである。さて、排除でなくとも人間関係施策は、人事労務関係ばかりか、家庭や結婚制度の根幹を揺るがすことにもなるだろう。

2016/12/06

第176号:経済経営の足を引っ張る=身近の無駄作業

<コンテンツ>
超過労働は、PCメール作成時間が元凶!
 ・近畿の小中学校の教員が集まっていたので、
 ・ズバリ!「責任逃れのメールは横行してますか?」の問い
 ・意思疎通やコミュニケーションは、メールの投げ合いでは不能
 ・数10年昔の学歴や大手企業在籍とのエリート意識ばかりでは
 ・スマホを使う意思疎通は、感情表現だと考えられる

大手企業の総務部門、その近年機能しない理由とは
 ・総務部門を設けるのは日本企業の特徴である。
 ・バブル崩壊と期を同じくして、大手企業の総務部門の変質が始まる
 ・アウトソーシングとは、「専門知識と運営執行の特殊チーム」
 ・ことに大手企業の思考理念から劣化していった。
 ・この思考も労働効率も劣化したサラリーマンが長時間労働
 ・大手企業が合併を繰り返すから、社員に外注業者は刹那的になる
 ・仕事のできる総務部門などの人材は

マイナンバー:便乗商法は年末に向け繁盛!
 ・マイナ法とその土台の個人情報保護法の正確解説をすると
 ・電子情報漏洩の実態・原因を、情報業界の専門家に聞くと、
 ・初の逮捕者が出た、マイナンバーの不正取得で

<巻頭言>

いっこうに日本経済は上向かない。長時間労働をかけるほどにマイナスの結果が生まれている。それを大手企業の総務部門機能不全を例にとって、個別企業の現状分析をした。経営管理の中枢とか、作戦参謀であるはずの総務部門が空回りしているのであるから、現場の対顧客部門やライン生産部門が大混乱を起こすのである。さらに、中途半端な理屈でもって点検チェックばかりするものだから、益々無駄な作業が増え・大混乱は極みに達する。これらに対する着実な効果を生み出せる経営・業務とは何かを、経済学の真髄から探ってみた。 日本経済衰退の挙げ句、期待のTPPはとん挫する見通し。カジノもオリンピックも経済押し上げ効果が期待できたのは、遠い昔の経済成長期での物語にすぎない。


§超過労働は、PCメール作成時間が元凶!
唐突だが、そうである事態とはほぼ間違いなさそうだ。電通の女性自殺事件に関連して、筆者も少なからず長時間対策の仕事を行っている。そこで浮き彫りになってきたことが、いずれの個別企業も無駄な時間まで割増賃金を払いたくないとの意向である(電通の女性自殺は別原因とのようだ)。ところが、どれが無駄な労働なのかを、本人自身が把握出来ていない、また部下や管理職から報告が上がってこないのが現状である。ちなみに、筆者は何処にでも首を突っ込んでインタビューする癖が向けないものだから、すると一つの事例が出てきた。

近畿の小中学校の教員が集まっていたので、
早速聞いてみたところ、「メール作成が原因だ」と口をそろえて説明してくれた。そこで筆者は、「ひょっとして、今はやりの責任逃れでメールを書こうとするから、それこそ時間がかかるということですか?」と質した。みなさん日頃の仲間うちで、筆者は教育関係者ではないからズバリ返答してくれた。
「その通りです」と。
加えて筆者が、「確かに、校長(学校内の唯一経営者)に責任ない、市教委に責任ない、もちろん教員責任ない、としか書けないなら時間かかって仕方ないですね、責任のない理屈が必要ですね」と話せば、みなさんウナズク! 別の日に、大阪市教育委員会のある職員にインタビューすると、「メールを使って報告せよとの傾向は益々強くなっている」とのことである。「子供が8万円を自主的に持って来たから、いじめではない」とした横浜市の理屈はヤクザそのもの、憲法教育を受けている教員が正常であれば、そういった論理は並大抵では出てこない。だが、自主的8万円の理屈を考え出すプロセスは、刑事事件の犯罪者によく似ている。

ズバリ!「責任逃れのメールは横行してますか?」の問い
といくつかの個別企業でも聞いてみたところ、記録には残せないものの、いずれの個別企業も否定することはなかった。さまざま突っ込んで議論をしたところ、次のことが推論できた。
1.先ほどの教員たちのごとく、誰にも責任が回らない報告作成
2.客観的合理的に論理構成する報告には解決目的の創造性は無理
3.企業経営は明日からのクリエイティブが利益の源泉にもかかわらず
4.利潤率の高い商品は、「アラスカで氷を売る」といった着想ばかり
5.過去の分析では、今までの採りこぼし利益回収にすぎない
6.採りこぼし利益回収は同業他社との競合激化を招来=利益率低下
7.客観的合理的に考える人材の大量育成は可能、だが対収益効果は不採算
8.証拠がなければ蓄積知識としない収集形式では、知識収斂と間違いを招く
……といった具合である。じっくり考えれば考えるほど、「責任逃れのメール」では意味のないことであるとの結論になる。

意思疎通やコミュニケーションは、メールの投げ合いでは不能
まして、「責任逃れのメール」では無意味な仕事の蔓延を招くばかりである。そんな社内に浸りきっている人は、ジックリ考えない人に退化していき、体力消耗に浮かれて、脱力感で仕事をした気になって、その後に自ら挫折に招き至るレトリックにも気がつかない。もちろん経営者は、そんなジックリ考えない人間に労働力の時間換算対価以上の賃金は払いたくない。とりわけ大手企業の株主からすれば、意味なく社内にタムロするホワイトカラーには労働力時間換算対価額自体を値引きさせたいのである。近頃、大手企業のホワイトカラーほど業務効率が悪いと指摘されるのは、この人材退化の部分が蔓延しているからである。加えて、人材退化した人間の考えることなんか、予想もつくし影響力もないし価値はうまないし、誰も相手なんかするわけがない。

数10年昔の学歴や大手企業在籍とのエリート意識ばかりでは、
イノベーション能力は皆無に近く、起業すれば労働力時間換算額を削ることにしか思考が傾かない。まして、学歴が高くとも知性が弱ければ、「客観的合理的思考の底流(米英式)」といった方法を探し当てることは出来ても、 「プロセスから合理性を読解く(仏式)方法」などは経験知といった言葉にすり替えを行って思考停止してしまう者が、サラリーマン学者も含め大半なのである。
分業することによって労働生産行為から産業化が可能となることを発見したのは、経済学の父:アダム・スミスである。だが、分業したことを、いとも簡単に専門家の類などと煽っておだてられ、その気になる幻想に浸ること(広範な知識を持つ専門家論も含め)を、アダム・スミスは、「社会崩壊の原因となる」と主張している。アダム・スミスは、当時の王族や権力支配者(重農主義経済と重商主義経済)からの自由を経済にもとめたのであって、勝手気ままの規制緩和を訴えたのではない。
「頭が良くても、使い道が悪い人物」というのは知性や教養が欠落していることに原因がある。「安定思考や出世思考」で育った人間は何とでも操るのが経営者である。だとしても、「責任逃れのメール」にしても出来栄えは悪いし、度胸もないから新しい価値を創造して仕事をすることすら出来ないから、そんな人間は経営者からすれば話し合いにもならない存在なのだ。

スマホを使う意思疎通は、感情表現だと考えられる
ルソーの著した『言語起源論』によると、そもそも言語は感情表現のために生まれたものであり、最初の人間の作った制度だと、ルソーは言っている。また、論理的に言語を用いるには独特の訓練が必要であると示唆し、論理的文章になればなるほど感情が表現されなくなり、どうしても意思疎通が阻まれるとしている。
https://goo.gl/9d4Otj
だとすれば、スマホを使う意思疎通こそが人間本来の感情表現であるとなれば、PCメールの如くは論理構成の展開とは縁遠い日常業務の意思疎通報告には不適切かもしれないのだ。例えば、スマホ絵文字の使用も象形文字もが大いに感情表現なのである。スマホ世代は上手く使いこなしているにもかかわらず、論理構成万能と洗脳された人物にとっては思いもつかないことなのかもしれない。するとICT機器の発達によるICT産業革命は、スマホのような道具により、人間行動の不合理な要素と考えられている感情でもって、素早く的確な意思疎通が実現するかもしれないのだ。ところが、上手にメールを使う人は、短い文言で的を射た感情表現でもって、意思を伝えているのである。
また、ルソーの旋律と音楽的模倣も確かに、歌詞付き音楽(歌)とかコンテクスト付きメロディーは、感情を伝えるのにとても有効な手段であるとなる。それは音楽が紀元前から使われていることからでもあり、みんなと歌を歌う又は心で歌を歌うことは意思疎通会話の一種であることは世界共通の、あえて自覚するまでもない空気のような自然行為との認識となっているのである。要するに、ICT産業革命は人間の意思疎通方法を大変革する可能性があるのだ。
ルソーは音楽学者でもあり、言語と歌との関連についても書いている。彼が思想家として扱われ(学者から排除され)たのは、他の哲学者と同様に大学教授に雇われなかったからであり、天才的有能さであったからと随筆家として敬遠され排除された、今も昔も変わらない学者世界の習わしによるものだ。音楽については当時は音楽学者(日本は今でも芸大では認知過少)が存在しなかったからであり、彼の著作『言語起源論-旋律と音楽的模倣について-』も、日本語版が今年夏に出版されたのである。保育園や幼稚園とかで習う「結んで開いて、手を打って…」のメロディーはルソーの作曲である。


§大手企業の総務部門、その近年機能しない理由とは
26年前、株式会社総務部の理論背景と設立に携わったのが筆者である。このほど某ビジネス誌記者の取材を受けて、総務部門が近年機能しない理由をさまざま考えてみた。

総務部門を設けるのは日本企業の特徴である。
基本的に欧米先進国含め、日本人の概念する総務部門は存在しない。また、日本の官僚機構や公務員組織には、国家にも地方自治体にも、民間企業のような総務部門のような機能組織は存在しない。
事業ラインとは別個に、総務部門を設置することは、一つの経営管理技術である。その起源を研究した学術論文自体が見当たらないのだが、おそらく研究に値しないとの学者的偏見から、未だ解明されていないものと考えられる。個別企業での総務部門が一気に設置されだしたのは戦後になってからである。
アメリカ占領軍が導入した経営管理CCS方式、中間管理職教育MTP、そして職業訓練TWI方式を消化するには、専門的頭脳集団を個別企業が要したことから、現在の総務部門の実態が形成されたと考えられる。加えて、少なからずの民間企業はこぞって、アメリカの体験型教育(1913年ごろから~日本のゆとり教育理念)基盤と、その基盤の下でのアメリカ型経営の理論(経営学者ドラッガーなどを含む)その他を学ばせようと、各社がエリートをアメリカ留学させたのである。この影響の下に高度経済成長路線に基づく地方都市での工場設立(長銀や興業銀行が投資を担当)と周辺企業整備(商工中金が投資を担当)に伴い、新しい経営方式を急遽導入する担当部門として総務部が設けられた。
もちろん、法人税制と会計基準、所得税徴収、社会保険制度、当時の失業保険、職業安定法の労働需給、労働基準法の賃金制度の施行といった戦後の新制度も、この総務部門に専任化させたのである。ここに、当時の人たちの感覚的受け止め方には、「経理、給与計算、社会保険をする所」との表面現象イメージが存在したのである。取締役会に提出する経営方針案の策定、投資資金の受け入れ窓口といった財務といった業務は、事業規模の拡大と共に、社長秘書から総務部門に移行したと考えられる。すなわち、戦後の経済発展の要素となった経営ノウハウ&情報収集加工を一手に集中させて、全社と外注先に徹底をさせた経営管理技術なのであった。

バブル崩壊と期を同じくして、大手企業の総務部門の変質が始まる
高度経済成長は頂点に達し、バブル経済を促進したものの政策失敗。そこから日本経済の「失われた10年」の始まりであり、それは今や30年目を迎えている。株式会社総務部は1990年に設立、それはバブル経済政策中止とん挫の直前であった。ただし、我々設立者は、既に陰りを見せた大手企業をマーケットとはしていなかった。あくまでも成長企業対象の個別企業:作戦参謀(社長を含む)を支援することが企業理念であったし今もそうである。
その理念ヒント&我々の事業母体はアメリカの一般的弁護士事務所経営である。徹底してエリートや知識人に頼らないルーティング作業を組み立てたことにより、高品質、納期、低コスト費用を実現したのである。加えて、発注元の注文をこなすという下請け形態では「高品質、納期、低コスト費用」は実現せず、そんな利潤率の低い業務では意味がないとした。もちろん当時に解禁された労働者派遣業の方式も、指揮命令を受ける形だから、あえて拒絶した、理由は利益率低下の法則の存在によるものである。
当時、数多くの大手企業は、NHK、朝日新聞や日経新聞の報道を見て、洞察力なく流行に乗り「総務部門」の別会社を設立した。我々は学術専門的に理念&事業を開始したから、旧態依然の職業職種にあって注目を浴びたのである。そして日経新聞の報道を契機に代理店制度を導入したところ、個人名義でもって大手企業の別働隊人物が数多く参入してきた。面談も何社もの大手企業が申し込み、筆者もマスコミPRと割り切って、一所懸命にアウトソーシングを説明した。筆者からすれば基本ノウハウは簡単であるし秘密にする必要もないから、問い合わせを前提に代理店中心に様々なノウハウを提供したのである。ところがである。大手企業の多くは、表面を似せる形式だけを取り入れ、総務部門の人員転籍・外注社員化の道具にしてしまった。どうも、このあたりから大手企業の総務部門劣化が始まっていたように思われる。

アウトソーシングとは、「専門知識と運営執行の特殊チーム」
大手企業の総務部門の劣化は、我々設立者らの知恵の導入によるものではなく、転籍・外注社員化の決定権者がアウトソーシングを曲解したことによる。人材派遣会社までがアウトソーシングと称しPRをし始めた。要するに、経済の「失われた10年」の同時並行と共に、大手企業のイノベーションや新製品新商品・新サービスを、各社総務部門が段取りしなくなった状況と呼応している。そもそも、企画部門や商品開発部門を独立組織とし、個人の力量に依存させる体制を導入したことが、新規事業への組織的劣化を招いたのである。行動経済学では、個人に比べ組織体制の方が判断の仕方をうまく改善できる可能性が高いことは定石であると、その当時から知っているにもかかわらずである。すなわちそこまで、東西冷戦の恩恵としての日本への投資資金が、ベルリンの壁崩壊とともに投資削減とか為替相場操作・対米輸出減量化が根本となって、大手企業の総務部門の役割低減が進んだのである。各社総務部門が組織的段取をしないから、イノベーションや新製品新商品・新サービスに引きつづく利潤確保が出来なくなるのは当然である。だから大手企業も短絡的に金融利ザヤ稼ぎに走ったのである。

ことに大手企業の思考理念から劣化していった。
もとより組織は、相当な注意を払わない限り官僚化する。それは中小零細企業でも同様、要するに思考停止をするのだ。その組織を劣化させる思考理念の方法とは、
「誰もが参加出来そうな客観的証拠という形に知識が収斂していくこと」
を流行させたことによる。その誰もがの「誰も」とは、知性や教養のない拝金主義者や出世主義者を、大手企業の重要ポストに登用したことに尽きる。「証拠が!証拠だ!」といって、本来は合理一貫性や事実一知性の単なる裏付けにすぎない証拠という代物を、封建時代さながらの世間体を悪用して「証拠第一主義」を掲げ、社内の知識を更に収斂させたことによる。イスラム世界では証人が重視されたが、その世間体では人間関係の安定、食事の接待、現金の手渡しなどと引き換えに偽証を迫る行為が横行していると歴史の証明する通りである。この劣化思考は、本当のことを触れない人間を増員増加するには、日本の戦時中の社会主義計画経済の導入、高度経済成長政策そのものの社会主義計画経済の導入により、極めて馴染みやすい風俗が背景に存在するからなのである。すなわち個々人の、①最初に経済的豊かさ、②次に哲学や人生観、③挙げ句には宗教観(宗教団体教義には非ず)は貧困化していったのである。突如始まった大手企業サラリーマンの労働効率劣化である。

この思考も労働効率も劣化したサラリーマンが長時間労働
を行い、経営改善といえば低賃金労働の悪用しか思いつかない如くの能力劣化なのである。また彼らは手短な、非正規高賃金労働である弁護士、税理士、社労士を敬遠するのである。社内の国家資格の保有者を勧奨退職のリストに掲載する大手企業は多い。有能女性社員には弁護士を始めとした国家資格の取得援助を行い、資格取得の喜びと同時に独立起業をそそのかし退職を誘導するのは、昔の大手企業が結婚退職を強いたシチュエーションを思い出させるのである。
フランス市民革命とかアメリカ独立戦争といったものは、経済的豊かさを念頭に置いた「自由・平等」の社会共同体を創設する理念を採用したものである。だが、経済成長をあきらめ、経済の豊かさをあきらめ、知性や教養を捨てて通貨を選んだ途端に、能力劣化リーダーを選んだ個人も選ばれた能力劣化リーダーも、突然のごとく、更に能力劣化したのである。

大手企業が合併を繰り返すから、社員に外注業者は刹那的になる
大手中小を問わず、イノベーションを避けて通る個別企業が行き詰まるのは時間の問題である。大手企業の場合は、いまだに、このイノベーションに関しては軒並み、理工学系の分野に絞られている。前回10月のメルマガで述べたように経済産業省が、その理工学系分野に絞り込んでの技術革新を掲げていることもあるが、経済産業省の動きがない限り、イノベーションを行おうという自主性の存在すらが大手企業には疑われているのだ。
http://soumubu1.blogspot.jp/2016_10_01_archive.html#174-02
労働効率、生産性、労働意欲といってものは、理工系技術革新に頼らなくても、様々にイノベーション行うことができる。にもかかわらず、大手企業はそこへ手を打つことをこまぬいている、あれこれ議論するに止まって先送りである。思考理念から劣化していきサラリーマン化した大手企業の経営者、その彼らの下に同類がそばに引き寄せられているのが現実である。サラリーマン経営者は完全判然と任期期間を過ごし、その間にイノベーションなどといった大胆なことをする気はないし、やろうと思っても後進の者たちが大胆な行動を阻止してしまうのである。それは大手企業の今に始まった事ではない。高度経済成長が終わるや否や、大手企業は生き残りと称して合併を繰り返してきた。合併にあっては法的な対等合併は存在せず、必ず吸収する側と吸収される側が存在する。吸収される側は特殊事情でもない限り、吸収される側の社員は時間をかけるとしても排除されてしまうのである。

仕事のできる総務部門などの人材は、
既にバブル崩壊とともに整理清算され、残った者たちの思考理念も劣化してしまっている。大手企業の多くのサラリーマンは労働効率の劣化した分の長時間労働をこなし、何が劣化しているかも気が付かないほどに能力低下も起こし、今や意味のない頭脳肉体労働にまで転落している者も多い。M&Aといえば聞こえは良いが、金融機関その他の株主・投資家が、業績を見るたびに吸収合併の話を持ちこんでくるなかで、企業延命とか海外進出といった「既に敗れた夢」のような見通しのない事業計画を進めているのが現状である。否、有能な人物からすれば、事業計画を進めているフリをしているだけなのである。
昔から、「自宅(家庭)と事業は、腹で建てる!」と言われている。だが、彼らには、そういった「腹」に例えられる労働全般能力は育成所持されておらず、ただ持っているのは労働力を時間で切り売りする程度、あるいは他人に依存するしか生きられない術の程度なのである。よって、大手企業社員は、将来に経済的豊かさのある生活をのぞむならば、早い段階での人生ステージの切り替えが必要となるのである。


§マイナンバー:便乗商法は年末に向け繁盛!
会社はマイナンバーを集める義務もなければ権利もない。まして、安全管理措置に不備があれば、集めること自体が個人情報保護法で禁止をされている。これを、大口上手に話して便乗商法を行おうというPCソフト、会計事務所、社労士事務所が存在する。年末調整や源泉徴収票発行にかかる費用は、一人当たり1,000円が相場であったが、2,000から3,000円、首都圏では5,000円で受注する便乗商法も現れた。ところが、安全管理措置の突っ込んだ内容、会社に義務も権利もない、便乗商法業者の監督責任などを問いただすと、二度と現れないのが彼ら便乗商法の特徴である。二度と現れない側面をとれば、詐欺師の行為との差は無い。電話で問い質すと途中で電話が切れる。

マイナ法とその土台の個人情報保護法の正確解説をすると、
「マイナンバーは個人の任意提出、個人意思の同意が必要だ」
「会社に持ち込まれたのマイナンバーを本人確認したうえで、会社が受け取った場合は、諸届用紙の記載欄に記入する行政への協力をするにすぎない」
そして、「会社が協力するからには安全管理措置を行なえ、違反すれば刑罰を処す」
との構成にすぎない。
個人情報保護法の土台の上に、いわゆるマイナンバー法が乗っている。従って、会社が社内の安全管理措置に不備があると認識した場合は、土台である個人情報保護法で集めること自体が禁止されているから、よって会社が回収することは法律違反となるわけだ。子供や認知症といった人の同意はとれない。
市町村は最近になって、「安全管理が出来ないので、個人情報保護法により、マイナンバーを回収しない」とメモ書きしておいてもらえれば、市町村への届け出は必要ありませんと答えている、あくまでも電話のみ返答するが、要するに、投資して苦労して気を使って集めて、それから届出る必要がないということだ。なお、市町村からは、来年5月ごろに個々人の地方税を会社に知らせてくる書面が届く。そこにはマイナンバーが記載されている。だがこれを会社がマイナンバーとして扱うことを、本人確認が出来ていないとして、諸届用紙への記載は慎むように国税庁その他もネットで呼びかけている。すなわち、地方税通知書面には、会社が使用してはいけないマイナンバーが記載されている。マイナンバーが勝手に送り付けられてきたとしても保管をするか廃棄処分をするかを、会社は迫られている。おそらく漏洩した場合は法律違反を問われるだろうから、地方税額を入力したならば、ただちにシュレッダーや焼却処分することが安全管理の道である、個人情報保護法に基づいて。

電子情報漏洩の実態・原因を、情報業界の専門家に聞くと、
情報漏洩のかなりの部分は、人間が手で持ち出しているケースだと言っている。情報会社その他は、「この際、ハッカーに持ち出された」とヌレ衣を着せておくのが無難で、そうすれば会社が刑事訴追を受けないとのことで責任逃れをするのは、世界の流行だそうである。アメリカ国家安全保障局(スノーデン氏の持ち出し)もパナマ文書も、人間が持ち出しているケースである。
マイナンバーは、早ければ3年後に所得税還付請求とか医療保険とかに連結されたときが悪用危険だと言われている。現在のところ所得税の確定申告を電子申請すれば医療費領収書は不要である。ハッカーが各銀行口座を作成することは容易だとされており、そのための画像データは簡単に入手できるとのことだ。そして、そして、金融機関から人間が持ち出しをすれば、情報窃盗は確実そのもの、実に銀行の着服事件は日常茶飯事であるから。現在なおも、ロシア地方からの2,000円弱の不正クレジット引き落としは後を絶たない。米国式クレジット理論では、およそ5%内の未収は全体額からすれば必要悪経費と認識(EU圏内は異なる)されているようだから、その程度の窃盗は警察の捜査範囲外となるのだ。

初の逮捕者が出た、マイナンバーの不正取得で
新聞報道は次のURLの通りである。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20161202-OYT1T50061.html
いとも簡単に何らの犯罪意識もなく、マイナンバーを収集して、他人の秘密も公開してしまおうという倫理感のなさである。それにもまして、このIT関連企業の会社役員の女がマイナンバーカードの画像をインターネット保管していたという、あまりにも安全管理措置に無頓着な態度が問題なのである。この倫理感の無さそのものはマイナンバー政策が生み出した落とし子でもある。IT関連企業の会社役員の立場であるならば情報漏洩防止意識が欠落していたとは弁明出来出来ない。この役員の「不作為」(やるべきことをやっていない)であり、重過失そのものである。こんな意識がIT企業に存在するのであれば、来年5月ごろの事業所に対する住民税の通知書は明らかに狙われる。犯罪者から誘いをかけられれば、人事部や経理の机に転がっている市町村からの通知書、そこに住所・氏名・マイナンバーがセットで印字されている書面だから、コピーやFAX持ち出し、社外持ち出しの末の落とし物、などなど、ヨダレを垂らした犯罪者が蟻の如く群がってくることは目に見えている。今回の逮捕者で、とりあえずはマイナンバーを集めておいて、しばらく寝かせてから海外で売却しようと考える人間は山のように増えるだろう。今現在も、秘密や不正に絡む情報を専門に取り扱っているSNSは幾つも存在している。

2016/11/08

第175号:はびこる崩壊と失敗。片やICT産業革命

<コンテンツ>
電通事件は日本の、「労働需給崩壊&商品の品質崩壊」の現れ
マイナンバーを集める意味がなくなった、新たな事態
  ・会社が集める意味がなくなった、その根拠は
  ・ここにきて、国税庁(税務署)が焦っている姿
  ・会社の1番やっかいな懸念は、損害賠償
  ・今日時点での会社のマイナンバー危険排除策はこれだ!
YouTube で解説 話題のマイナンバー 便利な書式など


§電通事件は日本の、「労働需給崩壊&商品の品質崩壊」の現れ
電通の刑事事件捜査が11月7日に、この労働問題の世論は持ちきりである。だが、自殺した女性は「手込め」にされたストレスの上での過重労働、といった情報は否定されていない。25年前の過労自殺認定の電通自殺事件も、革靴にウイスキーを注いで飲ませるなどパワハラ上での過重労働である。「記録に残る労働時間」の話の題材は労災認定の話である。
これに対し電通は「鬼十則」の主旨を見直して労働時間を減らすと言い出した。これが社員や世論からの信頼失墜の引き金になっている。電通は口先だけで元状態へ戻ると揶揄されている。それはなぜか、筆者は広告業界を知らないわけでもなく、事件の本質に迫るべく観察したところ、そこには電通社員にはびこる“職業能力欠落=職業倫理崩壊”の姿である。決して時代環境の変化ではない、「脳ミソまでが肉体労働」だから、そもそも仕事の品質が悪いのである。輪を掛けての長時間拘束だから事件・事故・自殺を誘発するようなものだ。~労働の時間換算を観察切り口から一旦外してみれば、残るは無法者の烏合の集にすぎないことが浮かび上がってくる。
すなわち、ここにメスを入れて、仕事の品質向上・労働全般能力発揮を進めれば、おのずと“善循環”が始まり、「鬼十則」も電通の経営技術として活きて来る。このメスを入れる事に経営者には極度の恐怖感が襲ってくる。たじろがない様に、「心と気持ちと思索と行動」を社内に築き上げるための、整理と戦術を組むことが総務部門の肝心な仕事である。それを事業のライン部門で組むことは不可能なのだ。
(そこに筆者の職業能力も存在する、なので忙殺の毎日に巻き込まれている)。
電通の事を細かく言えば、労働需給と商品論を専門とする筆者の判断は、社長が「鬼十則」見直しの旨を言い出した時点で、これは電通経営者を交替させたところで、仕事の品質向上の可能性はゼロと観た。


§マイナンバーを集める意味がなくなった、新たな事態
11月4日、会社がマイナンバーを集めなくても、来年5月になれば市町村から送付してくる市民税の通知書に、個人のマイナンバーが記載されることになっている。これは総務省の指示のもと、着々と準備が進められていたとの情報である。これを報道したのは、“赤旗”新聞だけだ。はじめ筆者も目を疑った、赤旗の視点は意味不明。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-11-04/2016110415_01_1.html

そこで手分けして確認したところ、全国的に通知書に記載されるようだ、ただ平成29年度所得用だとも市町村住民税担当は言っている。そこで、「本人確認の出来ない番号は勝手に書くなという法律である」ならびに、「安全管理措置が出来ないから会社は集めない」の2点に絞って各市役所に問い合わせると
市町村への給与支払報告書の、
「総括表に安全管理措置が出来ないから会社は集めていないと添え書きしておけば記載がなくてよい」。
との即答なのである。だとすると、この9月メルマガでお知らせした事態(↓)
http://soumubu1.blogspot.jp/2016_09_01_archive.html#173-01
これまでのマイナンバーの危険な要約は、YuyTube でも解説
https://www.youtube.com/watch?v=fxz8zLU43Xs


会社が集める意味がなくなった、その根拠は
★それ以上に、異変がマイナンバー制度に起こった!ことになる。
要するに、手間暇かけて投資をしてまで、会社が集める意味がなくなったのだ。(以下詳細説明)
1.会社は義務もなければ、権利もないのに、民法上の不法行為を起こすこともない。
2.市民税の通知書によってマイナンバーを知ったところで、それは会社独自の本人確認作業(受け取る場合に限っての法的義務)の場合をしていないことから、他の書類などに転記は出来ない。(国税庁は殊更に本人確認を要求するnetを今月4日にも公表している)。
3.雇用保険はマイナンバーがなくても手続き可能である。年金事務所はすでにコンピュータで市町村とつながっている。健保組合や年金基金では、会社が安全管理措置の不備を犯してまでマイナンバーを提出(個人情報保護法違反の罪)しなくてよいという返答を示すところが急増している。(ただし、一旦出したマイナンバーは削除してくれないようだ)。
4.国税庁(税務署)は、総務省の動きに焦ったのかもしれないが、本人確認の上の回収を呼びかけている。ただし、国税庁は本人同意の手続きを、未だあえて沈黙をしたままだ。そして、16歳未満の者は端から記載除外している。ただ、500万円未満の所得者の源泉徴収票は税務署に提出されない、扶養控除申告書も税務署には提出しない、これらは会社保管である。
5.世帯当たりの年収の把握は、国税庁が市町村に地方事務として押し付けている。市町村で把握した場合に限り、本人や世帯当たり年収を税務署に報告するといった制度だ。ところが、100%税務署に報告しているかと言えばそうではなく、市町村の責務で重要なのは住民福祉であるから、それに反してまで片っ端から税務署に報告するといった、矛盾するような事態になることを市町村はしない。
6.こういった根拠から、会社がマイナンバーを集める意味が、事実上も実態上も存在しなくなったといえる。
7.おりしも人手不足、嫌がることを強要してまで採用募集を断絶することはない。それは直ちに経営の足を引っ張る。DVやストーカー、訳ありで住民票のない人は、個人情報保護法でマイナンバー等を集めてはいけない。そうすると会社は、ダブルやトリプルで複数職場に働く人のマイナンバーを回収するにすぎない。(税務署は会社に違法をしてほしいようだ)。だがこれでは、近代社会共同体の善は、個人の第一義行為は生きることであるから、会社は意地悪をしているにすぎない、それも違法である。まして社員に家族分を回収させる行為は、会社に権利も義務もない上に窃盗を強要する罪になる。加えて民法の不法行為(迷惑行為)になるから損害賠償の対象になる、会社の経理担当個人も損害賠償の対象となる。


ここにきて、国税庁(税務署)が焦っている姿
本人同意がなければ、マイナンバーを集められないことは、法律の基本的なことである。だから税務署はこの点には一切触れない。すなわち、少なくとも16歳未満の子は家庭裁判所で特別代理人の審判、高齢者などの認知症の人は家庭裁判所での成年後見人の審判が必要である。
これに比べ、社会保険(同居していない親族)や雇用保険は会社に義務でもないことを強要しようという意思はなさそうだ。
だが、ここにきて税務署だけは、あえて本人同意手続には触れずに、会社の代理人としての世帯主(社員)が、ドサクサまぎれに扶養家族のマイナンバーを集めてほしいようだから、PRを強化してきたようだ。
【注意!】だがその方法と責任は、あくまで会社内で勝手にどうぞと言っているのであり、会社と世帯主(社員)との代理人契約が必要であるとのことにも沈黙している。だから、下手をすると、会社や経理担当者が窃盗を強要する罪になるのだ。
では事件が起きれば、その場合の危険はどうなるのとか言えば、「会社が勝手に義務も権利ないのに集めたのだから、損害賠償は会社の責任である」と、税務署が言い逃れすることは目に見えている、法律上もそうだ。
マイナンバーコールセンターは、「民間どうし内のことは、国は関与出来ません」と明言している。
そもそも法律では、「世帯主は番号を受け取り、保管する」とだけされており、本人同意なく持ち出すことを禁じている。従業員が会社での立場や事情を並べたところで、持ち出して他人に渡せば、逮捕されることはないが窃盗罪に間違いない。家族分を回収してこなければ不安と従業員が感じた段階で、会社と経理担当者は刑法の強要未遂罪、回収してくれば強要罪に問われる。さて、これが、この11月4日に出された国税庁のnetだ。
http://www.jcci.or.jp/news/trend-box/2016/1102142035.html


会社の1番やっかいな懸念は、損害賠償
会社にとっては、それは経理事務担当が勝手に集めていたとしても、会社の個人情報保護法違反は免れない。損害賠償は(経理担当にも)会社にも責めを問われることになる。およそ事件になれば少なくとも、一人当たり2~3万円、一家族四人とすれば10万円前後の支払いが裁判所の判決だろうと予見されている。多くの似非専門家は、この事実に触れない。
まして、就業規則にマイナンバーに関する記載条項などを改正実施していたとすれば、直ちに契約不履行との損害賠償請求は、いとも簡単に裁判所が認めることになる。理屈としては就業規則に記載がない場合の、不法行為の原告立証の方が若干の困難さを伴うのは事実である。社会保険労務士の一部は、これをひた隠しにして就業規則を作成・届け出を済ませている。(後で述べるが、この改正の取り消しは可能、その社会保険労務士に賠償金も請求できる)。
常日頃から教育訓練をしていたのかといった程度で会社が敗訴するのは初歩的な低レベルで、委託した業者の安全管理が不備であれば会社の監督責任を問われて敗訴、委託業者がシスコシステムズのようにウィルス侵入されても会社敗訴、といった具合である。ついでであるが、頭の良い“番号回収代行会社”は、回収の際に本人同意の署名をとるようにして損害賠償請求の危険を回避している、だが回収率は50%程度だと思われる。説明をきちっとすればマイナンバーを提出する人は激減する、だから、国税庁や総務省は曖昧な行為を繰り返すのである。
社会保険労務士は社会権充実が責務の仕事、よって、(あっせん代理人は除く)すべての依頼を断れないとの法律条文があるから、社会保険労務士が安全措置の不備懸念を持てば、会社からマイナンバーは受け取ったとしても、留保して届出書面などに記載しない方法が取れることになっている。疑念を持っても届出手続きを行う社会保険労務士は罪に問われ、会社は罪を問われるものの、その社会保険労務士に損害賠償を請求する権利を持つ、その結果までは知らないが…。


今日時点での会社のマイナンバー危険排除策はこれだ!
[1]就業規則に記載したマイナンバー条項を削除(契約不履行の損害賠償回避)
   削除するには、直ちにマイナンバー条項廃止する通達で十分
[2]安全管理措置の達成は無理、不法行為による損害賠償の回避の手段をとる。
   個人情報保護法違反をしてまでマイナンバーを集めないこと
   マイナンバー法の違反刑罰はなくとも、経理担当の軽率行為の賠償責任あり
[3]パソコンには一切マイナンバーを入れない。会計ソフトにも入力しない。
   ネット回線、変換ソフト、CD、メール、どこからウィルスが入るか分からない。
   例えば一部の行政機関は画像読み取りで安全対処をしようとしているが、
   画像ファイルはテキストファイルより少し手間がかかるだけで、
   ハッカーにとって画像内容を読みとることは時間の問題である。
[4]集めてしまったマイナンバーは、シュレッダーその他で焼却処分する。
   安全措置不備(番号法ではなく個人情報保護法違反)での保管は危険、
   本人確認に要した物は返却すると、再び漏洩危険行為が生じる。
   その廃棄処分を通知しないと、漏洩事件に至らなくても訴訟はあり得る
[5]それでも、マイナンバーを集めたいのであれば、次のようなアンケートは必要
   ただし、安全 管理措置の不備があれば、法的には訴訟はゼロ%ではない。
   http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/mynum.html
[6]平成28年度所得の支払調書などのマイナンバーは使用されない、念の為。
   なお、市町村のシステム変更は来年7月以降の予定としている。
   今年の分も記載して出しても意味はなく、ただし一旦届け出たとなると、
   半永久的に安全管理措置義務の罠に落ちる。

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§YouTube で解説 話題のマイナンバー 便利な書式など

これから順次時間を作って YouTube を作成していきます。

>>「年次有給休暇台帳 PCより速い便利で簡単」
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=yH74Q1OhRjE
>>「協調性・規律性のチェック そして合法的とは」
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=4PWkPrLJNXI
>>「マイナンバーには注意する。」:最新動向
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=fxz8zLU43Xs
>>「高齢者でも元気に長く働くチェックシート 人手不足対策」
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=JcBs6X1u2A4
>>「はじめまして、総務部です。」:ごあいさつ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=QR5Di0gtpQQ

ただし今月は、電通事件に端を発した会社PC22時ログオフの流行で、
その対応に巻き込まれ激務。思うように製作本数が出品できませんでした。
私どもの YouTube は、
a.日頃お目にかかれない方が多いことを思い起こし、
b.世界中どこでも、私ども株式会社総務部の話を聞いていただけるように
c.また、ダウンロードだけでは、深いところの使い方が伝わらないことから
YouTube で発信することにしました。
さまざまな書式を無料でダウンロードする=世間では未だ画期的。
今回の YouTube も画期的とのことですが、
実は本を執筆するよりも手間と経費が格段節約、でも内容が充実します。
論理構成をきめ細かく整理すると明快となる事柄は、やはり文章なんです。
あなたの会社の社長への説明、会議での説明にも便利に使っていただけます。
YouTube チャンネルに蓄積していきます。よろしく、お願い申しあげます。

2016/10/04

第174号:個別企業の経済浮上は、規制緩和ではなく、イノベーションが正解!

<コンテンツ>
個々の個別企業のイノベーションこそが経済浮上をさせる
イノベーション、その足を引っ張る者とは?
イノベーションを行うに方法とは、とにかく真似をすること!
イノベーションは、経済学者シューペンターの定義した言葉である。
イノベーションといった概念を、今風に簡単にまとめたとすれば
 ①現代、「コピーする!」と言われる概念
 ②インテリジェンスといった種類の情報とは
 ③インフォメーションだけでは、事業や生活には役立たない。
イノベーション概念に直結している医薬品と文化、古典経済学~シカゴ学派
=書評=『イノベーションの達人!-発想する会社を作る中の人材』
=書籍紹介=『幸福の世界経済史』(明石書店)


§個々の個別企業のイノベーションこそが経済浮上をさせる
津々浦々、個々の個別企業のイノベーションこそが、企業も日本国も経済浮上をさせるのである。イノベーションに対する海外からの外圧は無い、同業者からの外圧も無い。一時もはやされた規制緩和の経済対策は、最近声をひそめているが、TPPその他からの外圧対象となる経済政策なのである。ICT産業革命は国境の枠を取り払っていきつつあるが、そこでの勝負はイノベーションであって、海外進出や資本輸出ではない。
今世界経済全体は、日に日に悪化の一途をたどっている。金融クライシス危機の到来は時間の問題となっている。こういった状況のなかで、せめて日本だけでも危機被害を回避し、経済の浮上(成長や豊かさ)を目指す話が、やはり出てこない。個別企業の経済浮上の話題は絶えないが、所詮はおざなりにお茶を濁した対策程度に劣化させられている、劣化させられるという意味は、たとえ地に足のついた事業計画であったとしても、金融機関や企業内保守層が保身のために、抜本策の足を引っ張るとのことである。ICT産業革命の真っただ中において保守・守旧といっても、経営管理の根拠もなく意味不明に保身を貫こうとすれば、その事業部門の崩壊は時間の問題となる。
日本国中の誰もが、「世界的不況だから、会社も苦しい」といった言葉を軽々と吐いてしまう。さて、問題は、「だからこそ、新しい事業展開をしよう」といった具体策が必要なのだが、官民問わず官僚主義に心理逃避しきっているものだから、商品の需要者、個別企業の第一線、企画立案部門などでも、肝心要の流通販売分野での湧きあがるような展開を考えられなくなっている。すなわち、点検だ! チェックだ! 目標だ予算だ! あげく検証だ! と言うばかりで、物を売って→集金して→利益を確保して→各々に還元するといった資本主義社会の根本的基本的回転サイクルを組んでいないのである。例えば資金があれば使うことばかりの経営計画となるばかりで、実態はその資金がもとより無い。税金があれば「景気が良くなる!」とでも言いたいのか?.官僚たちは増税ばかりを考えている、そこに群がる者は、Tax‐eater(タックス・イーター=税金食い)達ばかりである。


§イノベーション、その足を引っ張る者とは?
イ) 商品開発技術劣化した大手企業が海外展開を口実に新商品開発の足を引っ張り、
ロ) すでに金融不況にさらされている銀行も産業投資から利ザヤ稼ぎに走り、足を引っ張り、
ハ) 通産省(現:経産省)の官僚が1958年:経済白書で技術革新と誤訳、それが現在にも至る模様
ニ) それに因りイノベーションといえばICT関連企業か、自動車などの一部の事と錯覚させられている。
___これは何かがおかしい? のだが、その結論から言えば、
何もかもが旧態依然のままでイノベーションの停滞どころか、個別企業や地域によっては後退している実態だからである。
イノベーションは、広辞苑によると:刷新。新機軸。と表現しているが、元来はICT産業とか、技術革新というものではない。PCを使わない仕事でも、伝統工芸産業でも、芸術感性産業でも、人をケアcareの仕事でも、「仕事のやり方を刷新すること、従来とは異なったこと」なのである。イノベーションを最初に定義したのは経済学者のシューペンター(オーストリア)であって、イノベーションを実行する人をアントレプレナー(フランス語:entrepreneur)と呼んでいた。すなわち、日本に輸入された段階で、イノベーション概念は、元来のものとは似ても似つかない間違った翻訳だったのである。
日本は、失われた10年を三度目に突入、1991年説からすれば25年も日本だけが不況! なのである。
そして、元来のイノベーション概念を広報しない経済産業省の官僚たち、
元来のイノベーションの意味を十分説明しようとしない経済学者や経営学者、彼らも経済浮上の足を引っ張っていることになる!
(イノベーションは技術革新にあらず)
 http://www.jcer.or.jp/column/kojima/index628.html


§イノベーションを行うに方法とは、とにかく真似をすること!
同業種でもいいけれど、なるべく他業種のノウハウ、技能、技術をコピーしてきて、真似をすることに限る。アップルもノキアも新発明をして売り上げ急増をしたのではない。そして大概の商品には著作権がないから真似をしてみることだ。但し引用するならば研究論文の形をとり引用元をはっきりさせれば問題は出ない、それは引用される側にとってPRしてもらえることほど喜ばしいことはないからだ。一部の技術は特許権が存在するが、特許料を支払った方が良いのかor特許を採り直した方がよいのかを、マーケティングの視点から検討すればよいだけのことである。なぜならば、利益率の高い売れる商品という物は、「意欲・感動・希望」の三つがセットになった固有文化価値(思想や観念の価値判断)の商業的取引=正当なマーケティングによく売れるものだからである。
そう、その物を生産するために費やした労働時間×労働力ではない、だから文明基礎商品は利益率が低く、「より良いものをより安く」といった倫理観から利益率は刻々と低減するのである。文明基礎商品の売惜しみや価格協定で利潤を稼ごうとしても、ネット社会では、どこかで価格破壊が必ず起こる。
先ず真似をしてイノベーションを進展させるにあたっての課題の、現代的キーワードは、
 ①コピー、
 ②インテリジェンス、
 ③インフォメーション
……の三つだ、このキーワードの概念内容を知ることが、イノベーション促進課題と密接にかかわるキッカケである。


§イノベーションは、経済学者シューペンターの定義した言葉である。
文字容量の都合で、詳細は省略するが、分かり易い概念をイメージするには、シューペンターが述べた新商品開発の例が適切である。
新商品とは、
 1.新しい財貨、新しい原材料などの発見
 2.新しい生産方式の開発・導入
 3.新しい市場の開拓
 4.新しい原材料、新しい半製品(いわゆる文明基礎商品)の発見
 5.新しい事業組織を開発形成(社内・社内・ネットワークにわたり)
……要するに、シューペンターは、収益性、生産性、労働意欲性、効率性の四分野にわたって考えているのである。
なお著者の、今から3年前の著作ではあるが、イノベーションを念頭に置かない使用価値商品が、いかに破綻したのかを、ここでも説明した。それは現在も当てはまり、それは今日の Made in Japan と言われる物品機器の衰退が証明している。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/30
しかしながら、イノベーションといった用語が、一番最初に日本に誤訳されて紹介された際、工場などの生産技術関連の「技術革新」と、当時の経産官僚が誤訳したために、未だ「機械や設備などの技術革新」と思っている人も少なくない。また、誤訳により「イノベーションと発明」を混同してしまっている経営者や技術者も少なくないのだ。今もなお経済産業省の書面とか政府関係大臣の会話を見聞きしていると、やはり頭の中は旧来の「技術革新」の枠内ではないか?と疑わざるを得ない。だから、海外諸国で行われているイノベーションが、日本では理解されていない現実があるし、イノベーションについて、流通・販売、クリエイティブ作業、人をケアcareする作業、知恵知識職業、新商品開発職業、芸術職といった数多くの産業職業分野では第三次産業では無縁のものだと思っている人が相当数存在する。その傾向は、昔ながらの職人気質で仕事を行っている人たちには、また大学教授や教育者といえども、イノベーションに無関心な人たちが少なくないのが実態である。販売や流通の先端労働者はイノベーションの意味すら知らない。
先ほどの経済産業省の官僚たちが、イノベーションが誤訳であったことを広報しないと記したのは、この日本の経済低落にあっても、正確なイノベーション概念(また発明とは異なること)を徹底してPRしていない実態が、その根拠である。いまだに筆者は、経済産業省(旧通商産業省を含め)がイノベーションの概念を説明した書面を見たことがない。
ところで総務省の、平成25年情報経済白書の抜粋では、それなりに説明している。(こちら)
 http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h25/html/nc133100.html


§イノベーションといった概念を、今風に簡単にまとめたとすれば
#1.イノベーションで進展し続けない限りは一瞬にして、価値商品のレベルから転落する。
#2.イノベーションは、「費用と便益」の産物なのである。
#3.容易にイノベーションが行なえる分野、例えば歌、物語、詩といったもの、これらはイノベーションの費用が少ない。
#4.その費用が少ないことに応じコンテキストを併せ持たなければ価値商品レベルに達する実態は稀である。
#5.著作権と特許権は異なる。著作権の中に出版社の版権ものもある。その著作権のない世界や業界でこそ、次々とイノベーションが進展している。コピーが自由な産業は創造性が活発である。イミテーションもブランド品の販売増加に一役買っている。
……といった具合に、あれやこれやのイノベーション概念を、ICT産業革命の真っ最中であるがために、「まとめる」作業は不可能なのだが、それは、「イノベーション」の用語概念自体も、経済学者によって後の世に用語がイノベーションされるからでもある。イノベーションという用語概念の発展は、科学の発展そのものの現れでもある、

☆★☆ すなわち、_______
<外側(もしくは外部性)からの基準で以って>
個々の商品や個々の事業のイノベーションは行えそうなのだが、そのように行なおうとしても、そんな基準(まして客観的合理的なもの)は存在しえないのである。外側基準で以っての客観的合理的な思考パターンを貫くばかりでは、リアルな事実関係との齟齬を起こしてしまうことは確かである、制度的間違いも犯す。そもそも客観的合理的な思考パターン自体に、物事の分析や真理的事実関係の探求目的の手法を越えての役割は期待できず、そういった手法会得者を教育で大量生産できるから社会的に有用なだけに過ぎない。
……そこには誤って、何らかの基準が存在するかのように錯覚してしまい、過去現在や世間一般の通念が無自覚にも身に付いてしまい、某架空基準となってしまい、その某架空基準で以って“一辺倒に”イノベーションを促進しようとすること(一見誤解されている英米系科学思想)、そういった方法一辺倒、これこそが間違いや非リアルの元凶である。そこで、彼らは某架空基準の誤りを招かないために、「イノベーションの物事底流」を探る方法または思考訓練で一辺倒による誤りを避けようと試みる。

☆★☆ それに比べ、_______
<内側の経緯の中に内在する客観的合理的な思考基準の探求をする方法>
が決定的に重要となる。それは次の通りである。それは実際に数多くの企業での商品開発の、理屈ではないノウハウとして用いられている。
 ①個々の商品や個々の事業の開発プロセスの内側の内在経緯の中に存在するイノベーションの思考基準を、
 ②いかに、費用をかけずに、便益を追及しながら
 ③そのために、その内側の内在経緯(プロセス)から客観的合理的な開発思考の素養で以って進められるかどうかである。
 ④ただそれは、内側の内在経緯(プロセス)を見詰めるためには、幅広く奥深くのイノベーションに掛かるインテリジェンスの豊富さ、そのインテリジェンス個々を理解習得するためのインフォメーションの裏付が、イノベーション促進の創造力&構想力を形成する。
 ⑤プロセスの割愛や結果のみを覚えることは、認識を空洞化してしまう。イノベーションに対する感覚の発達するチャンスが無くなる。プロセスや認識の道のりが、創造&構想の未来を予測したり予定したりする。結果の知識だけで仕事は出来ない。
 ⑥その創造&構想の作業に費用をかけないために、新しいイメージでの「コピー作業」が重要となるといったことだ。ここで初めてICT機器が役立つのだ。
……これらは現代フランス系科学思想史に目立つようになって来た。ちなみに、そのフランス系科学思想の例え話を挙げれば=物理学の法則において、ニュートン力学、アインシュタイン、量子力学との経過の間に、何らかの関連性や連結性が存在して学術発展した経緯はなく、ある場合はドラスチックなものとして現れた事実を直視している新発見とのことなのである。これに対し英米系科学思想は、どうしても関連して連結して継続した段階を含むものと考えがち(観念的)なのである、だから「新たなもの」が現れると、ドラスチック! だと感動してしまう思考パターンなのでもある。

☆★☆ 具体的なイノベーションのイメージとは、こういったものでもある!___
固有価値の質量増強イノベーションの進め方【固有価値商品の開発・提供】
1.高度な固有価値製品の「ものづくり」イノベーション
   http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/240
2.「人をケアcareする」サービスのイノベーション
   http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242
3.サービス(服務)行動を提供する「13ルール」
   http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/244


①現代、「コピーする!」と言われる概念
あまりにも前置きが長いけれど、これらを念頭に置いて整理すれば分かり易い。
コピーするといった概念は、手作業で書き写す、複写機で物を写す段階から、大きく複写方法が変化(デジタルなど)して拡大活用され、数量が急増するに従い質的変化への影響が発生し、最も画期的なことは=より多くの人々が創造性や構想性の方法やチャンスに触れる機会が多くなったことである。デジカメの連写やムービー、メモ代わりの携帯といったものも「コピー作業」ととらえると分かりやすい。ユーチューブも労働内容とか熟練仕草のコピーの役割を果たしている。そのおかげで、他人から提案されるとか指示されるのみならず、人生を自律して過ごす傾向が強まってきている。
すなわち、単なる生存意欲に人生を留めるのではなく、感動による人生の楽しみを覚え、自らが創造・構想して自由と希望を持とうとすることに費やす時間が短くなりつつある=が人生のたしなみとなってきている。よって、いわゆる芸術性というものも意欲中心から、感動への世界をいくつかのパターンに振り分けられる段階に入り、いまや各自毎に希望を創造・構想する世界に踏み込んで来つつある。それは、音楽、物語、詩といった領域から、様々な日常商品に対して「ぼんやりとした芸術性を求める」といった、人々が抽象概念的要素を求めるといった傾向に現われている。
ここでも、イノベーションは、費用と便益の産物であることが念頭にある。

【その創造性作業に費用をかけないために】
新しいイメージでの「コピー作業」が重要となるのだ。またそれは、複写機の領域を超えてデジタル化されるだけでなく、今まで再生できなかったアナログ方式もデジタル技術で再生する領域が増しつつあるのだ。見聞きすることから体感し、叫ぶことまでをも含む事態になって来た。「創造行為は愛や衝動とともに生まれる」との経済学説も理解できないことではない時代なりつつある。

【また、その創造性の便益には】
様々な、金銭では計り知れない、お金以上のもの、お金を超越するものが津々浦々日常に現われるのである。そして、著作権のない世界、あるいは業界では、次々とイノベーションが進展する。
……何百年も前から、イノベーションが定着するまでは、他者が容易にイノベーションが出来ないようにと、著作権が打ち出されてきた。その著作権の中に出版社の版権というもの、人格権というものもある。ただそれは、国や地域によって言語や文化の違いほどに様々な考え方(法律規定)があるようだ。著作権と特許権が異なるようになってきたのは、法律が別々であるといった単純短絡な論理展開ではなく、特許が周辺特許まで抑えをかけないことには、微小な違いとか特許活用の技術特許といった申請で以って、特許権の様相が変化してきたからである。
☆便益性が飛躍的に格段に良くなれば、それまでの製品や方式は一挙に陳腐化する、それは労働力商品(労働全般ではない)とか、従前の文明基礎商品とかをもスクラップ化させることにもなる。
だとしても、そういった著作権と特許権の事情をことごとく角に追いやっているのが、「コピーする!」といった行為なのである。今やコピーすることを規制するために著作権や特許権の罰則規定を振りかざしてみたところで、まったくもって規制に必要な費用が無駄になるといった時代が到来しているのだ。むしろ、偽物やコピー商品が出回ることによって、オリジナルの品質の良さが見直されて、挙げ句はオリジナルブランド商品のPR宣伝効果を生み、ブランド販売量上昇も見込めるようになった様相が、ICT産業革命:真っただ中の結末である。


②インテリジェンスといった種類の情報とは
日本では、インテリジェンス(intelligence)の概念は無きに等しい。例えば、インテリジェンスの有名どころは、米国CIAであるが、これはセントラル・インテリジェンス・エージェンシーである。インテリジェンスは広辞苑によると、「知能、理知、英知」あるいは「情報」とされている。要するに、極めて信憑性または裏付けのある「ウワサ話」とか「○○が○○ということのようですよ」といった物語情報なのである。だから、インフォメーションと言われる情報とは格段に異なる概念で、含まれる内容は質量共に豊富だから有用情報となりうるのである。個別企業や政府機関のみならず、戦略なのか戦術なのかアクションのかを問わずインテリジェンスが、意思決定の重要な要素となっているのである。
昔から、仕事をしたふりを重要視している官僚主義者たちは分厚いインフォメーションを用意し、インフォメーションを他人にも要求しているにもかかわらず、やはり意思決定はインテリジェンスで行っている。行政機関の官僚にしろ、民間企業での官僚主義者にしろ、古今東西インフォメーションは=その方針を具現化するための裏付け資料の情報域を超えていない、そのインフォメーション数量が大量に増えればビッグデータと言っているだけである。
企業体に付けられた社名は長年使用しているうちに商品劣化の口実となるが、情報とかインフォメーションといった用語が含まれる企業では、単なる物もしくはゴミとも区別がつかない代物の収集加工と蓄積保管を超える仕事をしなくなっている場合が多い。そうでなくなれば、ほとんどの企業体は社名を変更している。設立当初とか事業開始時点では、インテリジェンスで以って新規のインフォメーションを収集加工するとか、インテリジェンスの裏付けとしてインフォメーションを併せて提供するとか、必ずインテリジェンスが筋金となることで、インテリジェンスとインフォメーションがセットの有用が行われていた。ところが今や、ひどい情報産業の企業には、単なる情報倉庫管理業の役割しか果たせず、労働者派遣事業とかIT機器操作事業にくら替えしている。ちなみに、そういった企業の人事管理は、昔からある運送業、倉庫業、人材レンタル業などと全く同じノウハウなのである、それは扱う物が変化しただけで労働力(労働全般ではない)の質は変わらないからである。
インテリジェンスとは、そういった種類の情報であるが、今日でも解明がされているわけではない。むしろ、インテリジェンスが情報の種類であること自体を認識してない人の方が圧倒的に多いのである。
インテリジェンスとは=(まだまだ研究段階ではあるが)
(A)インフォメーションをつなぎ合わせる情報の種類と言える。
(B)X,Y,Zの立体的情報であり、時間timeと共に変化する様相を表し、何かと結合connectする要素を持った、5次元(X,Y,Z+time+connect)的情報である。
(C)だから、質量共に豊富が必要となり、物語として説明されて、その理解・活用の頭脳訓練が不可欠な情報体型と言える。


③インフォメーションだけでは、事業や生活には役立たない。
インフォメーションは、今や大量になればなるほどの「ビッグデータとしての役割が生まれてくる?」との幻想が言われている。なぜそれが幻想なのかといえば、その前提は、何らかの目的のために収集されたのがインフォメーションであるから、その目的が異なればデータ同士を結合させるには無理があり、参考以上の有用性は存在しないからである。また、ビックデータとは短絡的に方針を具現化するための裏付け資料の情報域を超えない代物であることは間違いない(総務部メルマガ第172号、2016/08/09)。
 http://soumubu1.blogspot.jp/2016_08_01_archive.html#172-08
要するに、日本国内で概念されるインフォメーションとは、それだけでは単なる物もしくはゴミとも区別がつかない代物であるから、
注1)少なくともその道のインテリジェンスで組換えない限り有用な情報になりうることはない、すなわち解説が必要ということだ。
注2)新しいイノベーションのもとで、ビッグデータの倉庫の中からインフォメーションをピックアップし、組み立て直さなければ使えない。
……ということでもある、すなわち、新しいイノベーション構想自体が存在しなければ、インフォメーションの使用は無理ということになる。
例えば、医薬品開発情報だとか医療臨床情報といったものは、
よほどの博識・生命文化に造詣の深い者を除けば、
日本文化を含め日本語などへの翻訳をしてもらう過程(アウトソーシング)を経ない限り、
巨額の開発費を投入して様々な効用が見込めるといっても、
いつの日にか、日の目を見るインフォメーション知識なのかもしれないが、
医薬品製造イノベーション商品とか生活参加に役立つ医薬品や食材への道のりは遠いのである。そもそも、病気の自覚とは、その病気の人の「心身がおかしくなっている!」といった価値判断をしているのであって、客観的合理的な記述的判断ではない。だから正常と病気の境目を全てにわたり客観的に判断できない。
ここでもやはり、イノベーションは、費用と便益の産物なのである。
……方向を変えて説明すれば、数多くの医薬品や食材などが世界各地に存在するが、それを生活参加に疾病・傷病の症状段階に適切な使用をするためには、インテリジェンスといった有機的一体型の5次元情報が不可欠なのである。


§イノベーション概念に直結している医薬品と文化、古典経済学~シカゴ学派
筆者もこの「総務部メルマガ」などで繰り返し述べているが、各種濃度の食塩水、炭酸水素ナトリウム溶液などは、脱水症状の腹痛、心臓負担軽減:水分制限、貧血:血圧コントロール、気道洗浄などに有用かつ安価なのだが、日本ではそういった疾病予防の文化が根付いていないものだから、健康管理に結びついていないという事例が物語っている。いわゆる炭=活性炭は安価で製造できるが、これで以ってウイルスや細菌を吸着させることで、抗生物質を使わない治療が北欧やドイツ北部では行われている。人間の女性が出産した後の胎盤が闇で流通し、それを焼いたり生のままで食することに因り(おそらくプラセンタ)、離乳期幼児の栄養補給とか、大人の滋養強壮としての食材が中国大陸には存在する。
比較言語学のマックミューラーが、彼は比較宗教学者でもあるから、「言語の数だけ宗教がある」といった直訳英語の表現(英国ではキリスト教を宗教と考えない傾向がある)なのだが、これは言語の違いで人々が大切にするものや考え方が異なるといったような日本語概念に翻訳できる=これが文化と価値についての有名な学説である。すなわち、それぞれの共同体での観念(思想)が異なることから、異なった商品が開発・発明されており、それはその地方の共同体の文化価値ではあるのだが、他の地方の共同体に持ち込まれたときには、異なる文化がゆえに固有文化価値が認識されて、それをプロデュース&具現化そして運搬流通した費用についても価格形成(価格の上乗せ)が、その固有文化価値商品に対する「意欲・感動・希望」の3セット概念に合わせて流通する(何らの強制もなく売れる)のである。
これも歴史的には、フランス19世紀初め、この商品取引関係に気がついたルイ16世の財務大臣の娘:スタールが、次のように述べている。彼女はナポレオンの喧嘩友達ともいわれてはいるが、ただしそれは彼女が経済学者でなかったがゆえに、歴史的にも最初の発見であったにもかかわらず、アカデミーでは取り上げられなかった。彼女に対しては、奇抜だということで、本人の意向は不明だが、随筆家としての地位に納められている。
 https://goo.gl/NcGmFe
しかしながら、その商品取引関係は現代フランスの社会や文化に、そしてフランス流の商品開発に根付いている。商品流通やイノベーションに感慨深いことを言っているので、伊東道生(哲学者)の日本語訳を紹介しておくと、
「どんなジャンルであれ天才の出現はきわめて稀な現象であるので、現代の国民それぞれに、もし自国の財宝だけしか与えられないとすれば、その国民は貧乏から抜けきれないだろう。さらに思想(観念)の流通は、あらゆる商業のうち、最も確実に利益を生む」。
「人間への貢献のために目指すべきは、普遍性である。さらに言いたいが、外国語をよく知っているとしても、自国語への優れた翻訳で読むと、より身近な、より親密な喜び思って味わう(gouter)ことができる。このようにして自然になって同化した(naturalise)外国語の美しさは、自国語の文体に新しい言い回し、独創的な表現を加えてくれる。外国の詩の翻訳によって、どんな方法よりも効果的に、一国の文学が陳腐な言い回しによって衰退していくのを防ぐことができる。しかし、この仕事から本当の利益を引き出すためには、フランス人がするように翻訳しているものすべてに自国語の色合いを加えてはならない。仮にそうすることによって手に触れるものすべてを金に変えることが出来たとしても、そのために栄養が少なくなってしまうという結果を招くことは避けられないだろう。自分の思考にとって新鮮な感じの食物の見いだすことはできないだろう」。
(『哲学史の変奏曲』p.146、伊東道生、2015年、晃洋書房)
  http://www.koyoshobo.co.jp/booklist/11116/

次に、『ヤバすぎる経済学』を書いたスティーヴン・D・レヴィット(シカゴ大学経済学部教授)は、その著書の中で経済学の探究者を紹介している。行動経済学の分野を切り開いたダニエル・カーネマンは、そもそもが心理学者であったと紹介する。イノベーションが進まない心理的要因と解決糸口も紹介されている。また、飢餓や貧困メカニズムの経済学で有名なアマーティア・センは、自分が経済学者だと言わず、哲学者が、自己紹介した」と書いている。そして、この彼の著作は、10年前に出版している『ヤバい経済学』『超ヤバい経済学』とともに、善悪を差し置いてその文化を背景に、イノベーションといった語句は使ってはいないが、経済・経営・流通・販売についてのリアルな事例を紹介:研究している。経済合理性一辺倒であったり、金融経済の話題ばかりでなく、個別企業の一般社員が行う身近なイノベーションなのである。
今現在日本の労働能力は劣化の一途をたどっている。以前から著者が紹介(総務部メルマガ)している事例は、現在でも通用するイノベーションのヒントでもあるのだ。
 https://store.toyokeizai.net/books/9784492314777/


=書評=『イノベーションの達人!-発想する会社を作る中の人材』
 (この書評は、2012年5月8日発行の総務部メールマガジン121号の再掲載)
     トム・ケリー&ジョナサン・リットマン、早川書房、2006年6月
アメリカの有名なデザイン・ファームであるIDEOに集約されたイノベーション手法を披露している。IDEOは工業製品のデザインやイノベーションを扱っているものと誤解をされて、日本の経済や経営の分野では紹介されることがない。アメリカではれっきとした全般的なイノベーションとして経営学などにおいて紹介されている。シリコンバレーに本拠をおいたことや、当初はコンピュータ関連機器製品で成功させたのだが、メーカーから小売店、大学、病院に至るまで多種多様な業種において、高付加価値製品から高水準サービス(顧客集客改善など)までの商品を扱っているのが本当のところである。IDEOは、昨年の3・11東日本震災直後、復興に向けた東京オフィスを開設している。
この本には、イノベーションに必要な人材パターンを10種類あげている。その人材が行う具体的行動や考え方を具体的に示し、如何にイノベーションにかかわっているかを説明している。日本では、イノベーション業務に携わる者といえば、新商品開発担当といった限定的イメージにとらわれがちである。が、ここではビジネスの芽となるイノベーションの発見者(人類学者)から始まって、イノベーションされた商品や業務改善手法を企業文化や社会文化にまで定着させる人物(語り部)まで、10パターンの人材類型を取り上げている。産業育成における、地面の下の種の発見から社会経済に不可欠な大きな樹木までに至る、事業開発に欠かせない人材類型を説明している点で、経済学でもあり経営学でもあるのだ。(この人材・労働面での日本の学術はきわめて遅れている)。
  1.人類学者
  2.実験者
  3.花粉の運び手
  4.ハードル選手
  5.コラボレーター
  6.監督
  7.経験デザイナー
  8.舞台装置家
  9.介護人
  10.語り部
10パターンそれぞれの人材類型は、現在の日本語への翻訳が難しく、ひとつの言葉に概念をまとめられるものではない。だから直接読んでみて、それぞれの行動や考え方を具体的に知り、最後にそれを混ぜ合わせることが、この書物からの知恵の習得方法であり、この本自体がそのような編集を行っている。まるでヘーゲル哲学の手法が思い出される。イノベーションを話題にする本には、この本の二番煎じが多いから、オリジナルを読み解けば実力がつく。
したがって、イノベーションを管理しようとする者、イノベーションに携わる者共に必見の書物である。もちろん、今やイノベーションを抜きにして事業経営は成り立たないのであるから、総務人事部門に属する者は必読の書である。今日明日には必要ないのは事実だが、あさってからの仕事の的を外さないためには必読だ。
 https://goo.gl/Kxs3xU


=書籍紹介=『幸福の世界経済史』(明石書店)
この書籍は、いくつかの幸福にかかわる事柄を、1820年以後の産業革命から現代までの寿命、殺人や大気汚染などを、主要国別の統計資料を比較しているものである。人々が、幸福というものをどのように考え、どのように整理してきたかを示しており、今後の経済活動や社会変化の将来を予測する上で貴重かつ不可欠な資料である。貧富というものは、「事実上占有(所有ではない)する財物の格差」といった定義と合せて考えると、深く洞察する視野が開ける。ちなみに、1789年のフランス革命で初めて、人類社会での「占有と所有」の概念区別の混同が解消されて、それにより近代経済制度が成り立ち、商業の発展が国家により飛躍的に保障されたのである。(窃盗罪とは、他人の占有財物を窃取する犯罪で、所有物ではない)。またここでも、経済活動や商品というものには、その国や地域の固有文化による価値観が反映していることを見落としてはならない。
 http://www.akashi.co.jp/book/b239748.html

2016/09/06

第173号:病気と貧乏は一緒にやってくる。それを戦争が回り道して突き刺す!

<コンテンツ>
ここにきて、マイナンバーの様子に暗雲が?
《一つ目は、会社の届出がなくても独自収集》
《二つ目は、年金事務所も独自収集可能?》
《三つ目は、「無理してPC購入する必要なし」その他:便乗商法に注意喚起》
《四つ目は、市町村の「情報提供ネットワークシステム」の暗雲》
《五つ目は、決定的ダメージかも! シスコSystems製ルーターが無防備状態に》
【便乗商法じゃない視点から、対策も考えた】

「労働力」のみを確保する、労働3法の国家政策
★1.実際に裁判例も出だした、労働契約法20条(期間労働契約の条件差別禁止)
★2.労働者派遣法の派遣事業許可の厳格運用が開始
★3.経済成長と経済の豊かさは現実のものにできる(経済学論文草稿)
   ・日本には、その労働市場素養があったからこそ、
   ・「選択と消費の美学」を、これこそが自由だと勘違い
   ・現代社会の人類到達点としての思考は、
   ・さて、勘の鋭いあなたは気づいたと思うが、
   ・あなたの個別企業や事業活動を伸ばす方法

メンタルヘルスには、職場での疑い兆候発見が第一!
中高年の、元気で長く働くチェックシート

<巻頭言>

病気と貧乏は一緒にやってくる。個性や個人主義に制限をかけられると、いくら努力しても幸福は来ない。いまや、結婚期を迎えようとする者の平均的人物像は、非正規の年収250万円といった貧乏さである。高齢者が盗りすぎではなく、若年者が虐げられているのである。お恵み依存症なのか、要領依存症による貧乏なのか。病でなくとも(社会的でも)障害があると、どうしても衣食住が精一杯だから、助けてもらいたいから、何故でも活きて生きたいから、いつも我慢してお恵みをもらおうとする。世間の風潮は、「個」を優先すると、ヘイトから反日とか言われそう…だから助けて! とはいえない。周囲から反日か? みたいなことをと言われないためには、目立ってはいけない、実力を発揮してはいけない、ひたすら法令解釈や社会制度の恵みでコッソリと暮らすしかない。


§ここにきて、マイナンバーの様子に暗雲が?
《一つ目は、会社の届出がなくても独自収集》
少なくない健保組合は、会社を通じてマイナンバーの届け出がなくても、独自で個人番号の収集をしようとしている。それは、市町村から直にマイナンバーを収集する方法であって、法律的に可能なのである。その背景には、会社が個人からマイナンバーを回収する権利も義務もないとの法律の存在である。現在、健保組合のマイナンバー収集方法は、CD-ROMへの入力やネット送信が主なものであるが、要するに、わざわざ資金投資までして会社が従業員からマイナンバーを集める必要がないという結末である。まして会社は、安全管理措置の不備による(番号法ではなく根幹の)個人情報保護法違反を心配する必要もなくなるのだ。さらに番号回収業者に発注しても回収率は半分との結果ばかりが業者からは公表されている。個別企業が番号収集寸前での行政協力に留めておく(番号収集する義務は会社にない)ならば、届出同意か拒否かの調査票記入の必要がなくなることにもなる。あわてる乞食!である。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/mynum.html

《二つ目は、年金事務所も独自収集可能?》
協会健保や厚生年金の年金事務所は、今も市町村(昨年までは住基ネット)とつながっており、年金事務所のパソコンから住民票の中身を見ることができるようになっている。したがって健保組合と同様に、マイナンバー制度の全国をつなぐ設備が整えば、会社を通じたマイナンバーの届け出がなくても、独自でマイナンバー収集が可能なのである。ただ現在のところ、「基礎年金番号があればマイナンバーは必要ない」(~健康保険や厚生年金の法律条文もそのようになっている)からと返答している。ことに年金財政の内部に、財務省の手を突っ込まれたくない防御が本音のところ考えられるが…。

《三つ目は、「無理してPC購入する必要なし」その他:便乗商法に注意喚起》
マイナンバー制度の取りまとめをしている内閣府が、「無理をしてまでパソコンを購入する必要はありません」と、中小企業に対して注意喚起を促していることである、加えてパソコン操作による手続きの煩わしさまでも説明している。そして、企業の行政機関へのマイナンバー協力(権利も義務もない)といっても、制度の掲示板への張り紙程度で有ることを内閣府が示唆し、民事事件に政府は関係ないと釘を刺している。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/download/checklist.pdf
すなわち、労使協定締結とか就業規則の訂正など、内閣府は全く求めていない。さらに、マイナンバーの法のみの違反について内閣府は言及するが、就業規則記載事項にかかる民事の契約不履行(安全管理不行き届きの賠償責任)だとか不法行為責任(情報漏えい金銭賠償)といった民事関与には、民間同士のことだからとして一切の言及を厳密に避けている。要するに、個人情報漏えい事件と同時に損害賠償事件が生じても、国としては関係ないとの見解を内閣府が示しているのである。すなわち、国は民間個別企業の味方をしてくれない、いずれを問わず、権利を主張する側の方を持つ。

《四つ目は、市町村の「情報提供ネットワークシステム」の暗雲》
来年、2017年7月から始動を計画している、市町村の「情報提供ネットワークシステム」に暗雲がたちこめている状況だ。日本年金機構の情報漏えい事件がなければ、このシステムはインターネットを介して運用するはずであった。だが脆弱な状況が露呈したため急きょ対策を図っている最中だ。この対策期間は2017年7月前まで。(このことで市町村に提出する16年支払分の支払調書(17年1月末締め切り)にはマイナンバーを記載する意味が無いことになっている)。
ところが、これが更に延期されそうな状況が現われてきているのだ。
①都道府県を起点に、インターネットにつながらないシステムを新たに構築することとなり
②市町村の担当者には、インターネットを介するパソコンとは別に新たに併設、2台PC操作とし
③インターネットで送られてきたデータの新構築システムへの変換プログラムを今から作る。
といった計画を、各市町村の来年7月まで完成の「情報提供ネットワークシステム」としているのだ。大幅な設備投資とシステムプログラムを、今から開発するのである。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/watcher/14/334361/082300645/?rt=nocnt

《五つ目は、決定的ダメージかも! シスコSystems製ルーターが無防備状態に》
そこに加えて、アメリカ安全保障局(NSA)がハッカー被害にあい、NTT東日本はじめ日本の大手中堅企業も使用しているソフト(シスコSystems製ルーター)の、その脆弱性が公開され、すでに無防備状態になっている。米国家安全保障局(NSA)が政府や企業に次々とサイバー攻撃を仕掛けるための、ハッキングに使う攻撃ソフトやコンピューターウィルスの情報を、「シャドーブローカーズ」というハッカーが盗んだのだ。その一部のNSAハッキングツールをハッカーが公開し、その他の価値のあるツールはオークションに掛けると言っている。シスコシステムズとは世界最大級の通信機器メーカーで、日本の大手企業だけでなく中堅でも圧倒的に使用されている。
そんな圧倒的に導入されているシスコシステムズのルーターに入り込まれれば、既存のウイルスソフトなんかは効果がないとのことだ。あらゆる企業、自治体、健保組合とかの団体が、インターネトにつながっているから、すでに情報は吸い取られている可能性がある。企業情報の流出危機である。そう、マイナンバーも、金になる大手企業の分は、既に流出していてもおかしくない。給料の安い中小企業のマイナンバーも時間の問題かも、その訳は諸外国に比べれば高給…だからDATAは価値があると。
世界トップを走る日本のセキュリティの弱さ(人の善さ?) シスコシステムズのルーターのハッキングツール、これで侵入されれば、国や市町村のセキュリティどころではない。大手企業を先頭に漏れてしまう、いや、時間的には既にハッキングされてハッカー、外国の軍隊、諜報機関などのUSBチップに収まっているかも。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/nsa-1_1.php
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/327461

【便乗商法じゃない視点から、対策も考えた】
インターネトにつながるPCは危険だ。それだけでなく購入したPCの立ち上げにネットを使えないのでは、PCを増設できない。USBチップでさえインターネットにつながるPCで共有すれば、DATAは流出する。その独立PC設置とソフト設定には、OSを導入するのにグループ単位で30万円程の費用が必要だ、それもマイナンバーの為だけに使う設備であり、インターネットには接続厳禁の代物である。健保組合、社労士事務所、会計事務所などの民間がシスコシステムズを使っている。そうするとマイナンバーは、現状では安全管理措置ができない。
シスコは対策ソフトが出来たとは言っていない。むしろ既に漏れた後なので、対策ソフトは今更必要ないかもしれないのだ。ハッカーのオークションと言っても、既に流出済みDATA確保がハッカーによって終わっているとして、販売すれば盗品だと言われるから、そう、オークションと言っておかないと、善意の第3者は装えないとの意思だ。新しいルーターを導入と言っても、費用がかかる。それも数ヵ月後には、また誰かにハッキングされるかもしれないのだ。
要するに、これの見通しが技術的に立たない。ハッキングされようが民事責任は会社が負わされる法体系だ。よって、個別事業所がPC保管する意味もなくなり再び延期の色合いが強い。個別企業向けマイナンバーの便乗商法は、IT業者、社会保険労務士(就業規則作成など)ともに、ピタッと止まっている。マイナンバーが機能しないにもかかわらず、税理士だけは意味も示さず番号記載を呼び掛けている。
内閣府は、こういった安全性が構築できない限り、マイナンバー照会に対する市町村の対応は出来ない制度だとしている。なお、国税庁(税務署)自体は、原則としてマイナンバーを回収しない。その訳とは、マイナンバーが会社に届けられたとしても、源泉徴収票が税務署に提出されるのは年収500万以上の者に限られ、所得税の扶養控除申告書も税務署に提出されずに社内保管が通例だからである。もちろん内閣府の今回の注意喚起は、IT企業や社会保険労務士の便乗商法にブレーキをかける効果を果たしている。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/download/checklist.pdf
そもそも、
中心となるべき市町村の地方自治の目的とは=「住民サービスや福祉の向上」との定めがある。それとの矛盾をマイナンバー制度が抱えている限り、暗雲が晴れる見通しが立たないのである。さて話は飛躍するけれど、この矛盾を解消するには滋賀県野洲市のような条例は、地方自治を考える一つのヒントになる。野洲市の条例はまるで地元民間企業が運営する「お客様第一思考」である。しかしながら、この条例は財務官僚や国税庁職員の保身にとっては決定的マイナス効果を生じるのである。
http://sp.kahoku.co.jp/editorial/20160822_01.html
さて、あなたならば、お解かりのように、
今回のマイナンバーは、「個」と総称する個性や個人主義を否定する。「貧乏の俺には関係ない!」とか、「別に害は無いから良いんじゃない!」と表装する気持ちは、個性や個人で日常を送れない彼彼女の実力の無さの現れである。その昔、視聴覚障害の人は、障害学校に通って最初に教えられる事は、「あなた方は慈悲でしか生きられないのだ、普通の人に絶対に歯向かってはいけない!」なのであった。これは障害学校初期での世界共通項目で、各国はいかに早く、慈悲一辺倒から脱出したかの優秀さだったのだ。病でなくとも障害があると、どうしても衣食住が精一杯だから、助けてもらいたい!から、なぜか活きて生きたい!から、自発してお恵みをもらおうとする、いつも我慢して。


§「労働力」のみを確保する、労働3法の国家政策
この労働3法とは、「非正規労働者対策の労働3法」と言われる労働契約法、派遣法、パート労働法のことである。経済学の切口からすれば、労働時間数で計算できるところの規格品:マニュアル労働力の商品仕入にほかならない。この労働力商品は、何らかの固有の文化価値を持った商品ではないことから、運用如何によっては労働能力の枯渇を生じる。それは、社会主義国のノルマ、ドイツヒットラーの労働者使い捨て、戦中日本の国民奉仕徴用のケースである。労働力商品ばかの着想は、経営者や労働者の労働能力発揮の自主規制を招き、経済成長マイナス&豊かさ幸福感の閉塞につながる。労働力だけでは、価値は生まない! それだけでは売り上げがたたないことで、経営者・経営管理者なら肌で知っている。それでも、経済学では未だ確立していない。(このセクションの★3は経済学論文草稿)。
良くも悪くも階級対立二元論の短絡思考!
に陥った評論家(経営現場に地に足の着いていない者)からすれば、これから始める論述は意味不明にしか読めないだろう。加えて、「本当のことに触れない」官僚主義やヒラメ人生の人にとっては、敵対的な話かもしれない。そして相も変わらず、固有文化価値を持った「労働(全般)商品」に関しては、労働基準法ならびに労働3法、さらには官僚の許容する労働諸法令案では取り扱いが難しいままなのである、それは官僚らの着想には「労働力」概念の非現実的な理屈しか存在しないからである。
「1億総活躍」と言い出して、
この労働3法の改正が突然!持ち出されてきた。今の首相は祖父であった総理大臣の影響が強いと言われているが、祖父である人物は元経産官僚:満州国建国にあたり社会主義計画経済を導入、その後の戦時経済として、戦後の高度経済成長への社会主義計画経済の導入での裏を支えた人物である。すなわち、官僚にとってみれば、民主主義を度外視できるものだから、極めて指図しやすい政策手法なのである。そして、例のごとく、「1億総活躍」の労働3法も内容は今から考えると言っている。野党や民主主義者の主張している「同一労働:同一賃金」自体をパクリ、選挙目当てで持ち出したけれど、中身の構想は全くない。むしろ祖父の常套手段である「日本的抜け道」を法律条文の随所に組み込むのではないかと、経営者団体に労働団体ともに揃って揶揄されている。


★1.実際に裁判例も出だした、労働契約法20条(期間労働契約の条件差別禁止)
行政機関の官僚的運営の弱点は、「地ならしと根回し」に時間がかかることである。立法機関はあれこれ議論の末ではあるが期日がせまれば多数決で決まる。そして裁判所は1個人の問題提起であっても、判決が出され、原則的に行政機関や立法機関に波及する。そして、労働契約法20条(期間労働契約の条件差別禁止)に係る判決が、平成28年5月13日に東京地裁から出された。これは相当影響をもつばかりか最高裁として不毛不要な訴訟提起の激減を狙ったどの説もある。
http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/hanrei/20160518.html
東京地方裁判所の労働部は、実態として労働裁判の裁判例を示す役割を持っている特徴がある。裁判官の独立性といえども最高裁判所は人事を駆使して、それを果たそうとさせている。今回判決を出した佐々木宗啓裁判官も最高裁判所が選任した司法研修所の主任教官の経歴を持っている。判決要旨の論理構成は学術的な趣きがあり、判断の論理構成は全国の裁判官のテキストにもなりかねない内容である。ただし、裁判官の独立性があるから、この5月13日判決をしのぐ論理構成があれば、全国の裁判官のテキストにはなりえないのはもちろんのことである。
すなわち、労働契約法第20条の条文では読み込めないところ、或は本事件のように高齢法の高年齢者雇用確保措置ための労働条件低下は労契法第20条が緩和されるのではないかといった、民間企業でもよくある着想に対する判断のための論理構成を提供したものである。おそらく、あなたの個別企業内とか周辺の経営者&部下からもよく似た着想が発生する。しかしながら、行政機関や裁判所に於いての無意味な議論か否かの決着は、この裁判例で着けられているのである。
【個別企業向けの簡単な論理構成の解説】
1.まず労働契約法20条の条文は次の通りである。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H19/H19HO128.html
2.その中の「その他の事情」の扱いについて判決が述べている。それを、「職務の内容」ならびに「職務の内容及び配置の変更の範囲」に準ずるような事情とした。そして、この事件では正社員と比べてそれらが同一であると裁判所は認めた。
3.定年後の継続雇用者の賃金引き下げについては、この運送会社の財務状況や経営状況から必要性は認められないとした。加えて、新卒採用正社員よりも賃金水準を低く設定したのは不当であるとした。
4.ゆえに裁判所は、高年齢者雇用確保だとしても、これでは「その他の事情」に当たらないと判断した。裁判所は会社側の主張を詳細に検討しているが、無意味な論理構成と事実羅列は判断材料として排除した様である。
……端的に言えば、これだけのことである。
なお、専門的にはなるが、裁判官がどのような判断をするかについては、日本の場合は圧倒的に「要件事実」を用いる、一種のマニュアルのような手法だ。それに対して、要件事実論(条文にどのような要件を加えるべきの論)は裁判審理では関係ない。とかく経営側も労働側も耳ざわりを良くし(経営側の気分を持ち上げたり、労働運動の励みになるような表現を書きたて)ようとする弁護士が多いが、個別企業内の担当者であるあなたは、惑わされず「要件事実」を明確に判断しておかなければならない。リーマンショックの時に、「整理解雇4要件」を四要素として経営側の人気を得たが、裁判や仮処分で大手企業含めすべて経営側は敗訴した。(もとより以前から、東京地裁労働は4要件:四要素の語句使用いかんにかかわらず、4要件説とすることを明確にしていた)。また労働側も、偽装請負&偽装派遣における、誰が採用責任者かの要件事実について、発注元や派遣先の採用行為が明白であるにもかかわらず、訴状や準備書面に於いて「労働者派遣法の不当性の要件事実論」を論述するばかりの労働側弁護士Mが一躍有名であった。が今はこの名前をきかない。(会社側弁護士は、Mに救われた?)


★2.労働者派遣法の派遣事業許可の厳格運用が開始
労働者派遣を個別企業の事業として行うことについて、今回の法改正も含めて、一挙に市場の限定的終息の方向に向かっている。それは法改正の前から方も向性が現われていた。だが、国会を含め政党や労働団体での議論にはならなかった。筆者自身も派遣法は昭和54年ごろから携わった労働市場制度であったが、平成9年ごろからの基本理念の変質を経過して、今回の派遣法改正後は直接携わることは無くした。
派遣事業者が提出しなければならない事業報告制度は、年に一度の確定申告のように様変わりをし、派遣労働市場の趨勢分析資料としての意味が薄れてしまった=ある意味で何を出しても問題にされない。
派遣事業の許可は一段と厳しくなった。不安定労働者を派遣しない条件で認められていた事業届出も廃止され許可制とされた。ただし、派遣は「業」(反復継続の意思が在る)としていなければ、人数や期間などの規制対象外であり、これからも派遣法の適用を受けるが、派遣事業許可も不要である、ここに誤解が多いのも確かではあるが…。
1.昭和60年の派遣法(土壇場で成立させたのは派遣事業法ではない)制定の時から、むやみやたらの派遣を防ぐために教育訓練の項目が定められていた。それは法制30年の中で、労働市場を行政がさじ加減するときに教育訓練の計画と実施状況でもって、派遣事業廃止届の提出を強力に促す手段として用いられてきた。事実廃止に追い込まれた事業所もあった。
2.改正後のキャリアアップの大臣告示は法律と同等の実効性を持たせている、すなわち許可基準である。改正前とは違い強力な指導が入る。国の安定所に代わる許可事業なので採算ではない。
3.すなわち許可申請の段階で、キャリアアップの教育訓練計画を提出させ、これが実行出来ない若しくは、実行出来ていないこととなれば、許可を取り消すことになった。
4.これを実際に実行するとなれば、相当の希少性のある専門業務であって、それなりの労働能力発揮がされたうえでなければ、採算性のある派遣料金が設定出来なくなるのは当然である。昭和60年当時の最初に13業務が指定されたが、その多くの派遣時間単価は3,000円~8,000円であった。2,000円程度の一般事務やファイリングは排除と質向上の追っかけっこだった。
5.要するに、採算性のある経営とするならば、今現在の事業形態はやめない限り、事業継続性はない。特定派遣事業の届出業者も、今後は許可申請となる。その許可の期間は3年であり、そのつど許可基準が厳しく問いただされる。専門性での規模縮小か不採算経営かのハードルが付きまとう。そうでない派遣業者は国内では不要としたのだ。
6.派遣労働者の雇用契約についても、派遣先との契約が満期でも中途でも、契約が終了したことを理由に解雇できないように、その労働契約の書面等のチェックを受けることとなった。この点も法改正で厳格化された雇用管理の大臣告示内容であるから、派遣契約にかかわりなく労働契約の期日までの契約履行を求められる。中途解約の場合の残った期間は何ヵ月だろうがすべて休業保障(100%保障が妥当)が必要となる。特に期間契約であれば30日前の予告や予告手当の制度自体の対象外(労契法)であるから、横暴な派遣先への有期労働契約の派遣労働者は派遣できない、それは一気に受注営業の足を引っ張ることとなる。
7.それは理屈の上では、終身雇用の派遣労働者の採用を強化しなければならないことになるが、キャリアアップ大臣告示と相まって、そういった技能や職種の長期的キャリア形成が必要としている。ところが、この長期的キャリア形成は至難の技、これを具体的に行う方法を実現することができれば、それは世紀発明! ニュービジネスでしかない。


★3.経済成長と経済の豊かさは現実のものにできる(経済学論文草稿)
日本には商品価値を生み出すための資産、公共インフラは、それなりに充実している。さまざまな理屈をつけて、取り壊しと建設をくり返さなくとも、メンテナンスやリニューアルで快適な環境のもとで、元の資産と公共インフラの活用を行うことができる。そのための労働能力の活用(投入)に切り替えれば、昨今の労働者のスクラップを進めなくとも、インバウンドや個人需要喚起による国内需要でもって、経済成長と経済の豊かさは現実のものにできる。例として=もう手遅れだが、国産材を使った純日本建築も、大工職人の枯渇と外材に比べて、国産材の「安かろう悪かろうの品質低下」に具体策が打てなかったがために絶滅危機状態ではある。元より品質は、建築にかかる労働能力の活用(投入)により100年単位の長期使用と快適住環境を確保できる商品である。この失敗に経済再生論理のヒントもある。労働能力の活用(投入)とは、全体の労働能力のうちの一部しか活用しない、「労働力」部分しか商品として流通(労働需給)させないことを止めて、各々の固有文化価値を商品化できるような労働能力全般を流通(労働需給)させるようにすれば良いのである。

¶日本には、その労働市場素養があったからこそ、
戦後経済構造には、ある程度の「科学的管理」を行うことによって、大工業化の高度経済成長及びその成長を周辺で支えた地域経済活性(地元中小企業)を果たすことができた。ところがそれが、1997年以後の非正規労働者の使用解禁により、労働能力の一部=「労働力」しか商品として扱わない=画一的規格品の生産増産を追求したものだから、利潤を生み出す労働(需要に応じた文化価値を生み出す労働)の投入を止めてしまって、=「安かろう悪かろう」の売れない商品の山を作ってしまったのである。
注1)ここでいう固有文化価値とは、高級な形式ばった芸術作品とかマニアックな芸当民芸品ではない。需要する人々が共同体で心身とも培った、「意欲、感動、希望」の三つがセットになった生産財・消費財のことである。その思想(観念)を物理的物質で具現的表現を行ったことで、最も確実に利潤を労働能力全般でもって創り出し、かつ商業流通させたからである。すなわち、意欲=スキル、感動=パフォーマンス、希望=アートの三つをセットにして、基盤となる生産財・日常生活消費財といった商品を創り出し~かつ流通させたのである。一芸に秀でなくとも需要者の思想(観念)に希望を与える物理的物質で具現的表現なのである。
注2)そして産業革命とは、こういった商品を大量に造り出すことを目指したが、同時に、希望=アートの抜けた紛い物:商品を、需要者に大量供給したのも事実である。→これが、マルクスが「資本論」などで分析した、「労働力投入のみによる商品」の説明となったわけである。だから、「労働力投入のみによる商品」は、文明基礎商品として、商品市場の中で大きな位置を占めてはいる。
注3)ところが、であるが、
  1.それ(衣食住の意欲)そのものは売惜しみでもしない限り利潤は見込めず、
  2.感動的装いで国家が買い取るとか国家政策に頼らなければ大量需要は見込めず、
  3.希望を抱いて需要者が貯蓄をしてまで買おうという品質は見込めないのは当然なのだ。
注4)そして、労働力のみを商品として流通させるには、労働密度や労働強度による価格(賃金)は異なるとしても、あくまで、「時間で計算」してしまう商品でしかないのである。それは
  イ)衣食住の生存意欲:程度を満たすための労働力商品であり、
  ロ)感動的装いを理屈で装飾した画一規格の労働力商品であり、
  ハ)最も自然に売れる利益率の高い商品(希望を抱かせる)は労働力のみでは創れないのである。
注5)そしてよく観てみると、「労働力」以上の労働全般によって商品が流通する」ことは、商品という経済形態が発明(550年程前)されて以来~今日までの基本原理なのである。日本では戦中戦後を通じて社会主義計画経済が官僚によって、公共事業や金融の護送船団方式によって進められたものだから、自由平等社会での商品や労働全般を誤解してしまったのである。そして今は、その日本経済の機構も、失われた10年の三度目の突入で崩壊してしまったのだ。

¶「選択と消費の美学」を、これこそが自由だと勘違い
している風潮である。人間の豊かさの根本にある思想(観念)の創造や構想、それを物理的物質で具現的表現した物、各々の異なった固有文化(思想:観念)価値の商業流通といった事柄にかかる自由が、眼中にない人が多い。選択したり消費したりの喜びばかりで、自主規制的枠内でアクセク過ごし歪みあい、積上げ蓄積して創造構想する喜びを知らない。そこには、本来の市場交換を担保する商業流通の動機や牽引力(希望を抱かせる商品要件)が抜け落ちる結果となっている。
そのため需要者は、時間的余裕、資金的余裕、知的余裕などを持っていない者が大半を占め、だからチャンス・金銭・生き方が貧困になるのである。貧困とは、いつの時代でもどんな時代でも、富裕との比較で貧しい状態を示す概念である、口先だけの理屈屋に惑わされてはならない。
非正規労働にしろ、労働条件が非正規に近づいていく正社員にしろ、労働力商品だけを買って貰おうとするから、
   A.昼夜働き、
   B.賃金単価は低く、
   C.生き方に知恵が無くなり、
おのずと余裕が持てなくなって貧困になるのである。A・B・C~の状態のままでは、高学歴でも、資格が在っても、結婚できでも、貧困から抜け出せるわけがない。
A~Cからの脱出を、具体的にはC→B→Aの順序で試みしかないのである、これは学術根拠のある経済学なのだ。貨幣蓄積で全面富裕になることは一生涯あり得ないことは守銭奴と資本投資家の実態事実から判明している経済学だ。ケイパビリティもそういう経済学説の一つなのである。
また、
   C.は知恵がないから富を騙し取られる、
   B.は学歴や資格は買いたたかれる、
   A.は時間の使い方が全般的に悪いから毎日が疲れ果ててしまう、
といった意味であり、これも経済学なのだ。
ICTの時代であり、ICT産業革命の真っただ中にある現代ならばこそ、非正規労働者の大多数の心情とは正反対の思考パターンを試してみることで、C→B→A順の脱出ヒントが与えられる、これは科学思想史であり認識論である(→宗教系を除く)。自己啓発本のほとんどが、素は科学思想史であり認識論であったが、ただのパクリの読みごこちのよい美辞麗句を加えたものだ。なおも気づかず目先に走り生きるだけでは、いわゆる哀れな「犬死」でしかない。

¶現代社会の人類到達点としての思考は、
「人徳を得て鬼畜にならずに済むには、先ず富を得なければならない。だがそれは、この世で叶うわけがなく、よって自由・平等の社会共同体を造り、それを維持するための法や民主主義制度を形成しよう」。
というものなのである。この基本を踏まえずに、「選択と消費の美学」ばかりに埋没するから、やはり何時までたっても這い上がれない。加えて、学歴が在ってもc生き方に知恵がなければ、感情を煽られ通常は、「世の中の大多数ルールを無視し同時に消費だけは人並みに実行する」といったアンダークラスの人に対して不正常感を抱き、その感情を他人にも煽ることとなるから、益々貧困であっても社会福祉が受けられる知恵も無くなりチャンスも遠ざかる。アンダークラスの人たちのことを、生活保護不正受給者、ニート、閉じこもり、心身障害などとの、表面的マスコミ言動を信用してしまって、自らが貧困にもかかわらず、アンダークラス攻撃する始末である、そういったことは飢餓、社会混乱、社会腐敗の歴史ですでに繰り返されるのであるが…。そして、その貧困なる「正常感覚!」信仰の持ち主は、「選択と消費の大多数ルールを守る者」として、行政機関からは、「問題をするに値しない感覚の持ち主」と見なされ、社会保障や社会福祉から排除されてしまうのである。生活保護以下の母子世帯、同じく老人の一人暮らしで排除されている人は多い。ただし、排除状態と言っても、貧困者本人の自発的意思による自主的結果としての排除であることは言うまでもない。市町村が収入面のみで把握する生活保護対象者のうち、不正受給者は0.4%(日本は極低の不正受給率)、生活保護受給者は2割程度が現状と言われている。

¶さて、勘の鋭いあなたは気づいたと思うが、
今の、あなたの個別企業とあなたの人間関係において、いったいどんな人が経済成長や経済豊かさをもたらしてくれるかに気づいただろう。そして、貧困問題が! 環境問題が! 自給自足農業生活! などと主張しても、創造性や構想力のない人物では他人を貧困に引きずりこむだけの要素が強いことも理解できただろう。すなわちあなたが、個別企業の経営者や上級幹部であったとしても、A・B・C:貧困から脱出するには、
   1段階 C→B→A順の脱出を試みられるステージに立つこと、
   2段階 そのステージの規模に関係なく社会ネットワーク的に活躍すること、
   3段階 よくよく注意し、無駄なエネルギーは使わないことなのである。
ことにステージを確保するには、大手企業や大手組織に所属するよりも、鶏口牛後=社会ネットワークが極めて重要である。集団で徒党を組もうとか・人目を優先させてしまうと、ICT産業革命の中ではカルト・セクトに自閉的に陥り、彼彼女らは排除されてしまう。集団化するには哲学が必要となり、旧来に流行した「労働力のみ商品を扱う労働政策論」とか「月並みな労働力学説」といった非現実的(イデオロギー化した)哲学に振り回されることが失敗を招き・多大なエネルギー損失をこむことになる。高齢者に年金生活者は、カルト・セクトに自閉的(高齢者ばかりの同士の付き合いなど)の陥らないような注意が必要だ。

¶あなたの個別企業や事業活動を伸ばす方法
1.労働集約型の個別企業では、アンダークラスに配慮する姿勢が人手不足解消を成功に導く。~それは貧困層男女に限らず、エリート層男女にも安心を与え、事業を安定させる。
2.世界経済環境を考慮すれば、30歳までの「ゆとり教育世代」が、1番の育成狙目である。
3.ゆとり教育とは、戦前アメリカで導入、戦後の米:経済成長を支えた「体験型教育」が元祖。
4.見下さない、本当のことに触れる、現実の話をする、との三姿勢で彼らは即戦力になる。
5.会議の思考習慣に、①物事を分類、②論理で説明、③仮説設定、これが知能を上げる。
………なぜ私が、ストレスチェック、派遣事業、同一労働同一賃金に興味がないのかは、これまでに述べた通りである。


・メンタルヘルスには、職場での疑い兆候発見が第一!
うつ病に代表される精神疾患の疑いは、次のシートで発見に努めることが先決である。初期症状の知識がないとか、「医者ではない!」といった不親切の雰囲気(安全配慮義務の不履行)が、精神疾患の多発や重篤を招いている。★合法不法問わず薬物中毒の発見にも役立っている。
厚生労働省が薦めるストレスチェックは、本省が示すとおり、あくまでもストレスに係るメンタルヘルス防止の機運を高めるためのムード作りである。また、調査票についても同じ趣旨のものであれば、内容についてこだわらないといっている。筆者は、このストレスチェックは単なる「感情を占い」程度の無意味なものとの認識であり、職場環境や人事の専門家からすれば、「オツボネ」に悪用されかねない代物と考えている。なお、ストレスチェックの監督署への実施報告は、50人以上の事業場となっており、調査票を配布したとの事柄だけ(回収不良で)差し支えない、そのことで、監督署が監督指導行うことは無いと本省は明言している。
当社のこのシートは、今日まで多くの企業で、「精神疾患の疑い」を発見してきた。それは、二週間以内の罹患でも効果があり、「何もなくてちょうどよかった!」の原則を徹底して、早期発見に効果があった。使い方は簡単で、管理職や監督職の関心が高い内容であることから、会議のときなどに当該シートを配布して、内容を読みあげておけば、直ちに使用できるものである。平成19年からの早期発見ツール。“発症2週間内発見”と“2週間内治癒”に効果があると好評。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/utsu.html


・中高年の、元気で長く働くチェックシート
今年6月に発表、疾病手前の脳虚血や心疾患などの兆候を発見、老化と勘違いした情報を医師に訴えるツール。高齢者の活用策として発表から一気に個別企業の関心が高い。もちろん働く本人にとっても、元気に長く働けることである。中高年のうつ症状は体調不良や脳虚血が原因で、その治療とともに消え去るケースも少なくない。
とりわけ、労働全般の能力を発揮して円滑に物事を進めること(これも、その地の文化的要素が強い労働)も、「労働力」程度しか発揮できない若年層に比べれば、やはり多くの高齢者は失敗や間違いが少ないのである。今や多くの個別企業が、教育や訓練をする余裕や資金を持ちえない中、元気な中高年の存在は貴重なのである。
そこでの関心事と合わせて、傷病の前段階である疾病の前触れ兆候をチェックできるものが当該シートである。なぜか未だに、疾病の前触れ兆候に医者や医学の関心が薄い、理由は官僚により保険医制度が厚労省フランチャイズ店舗に、変質させられてしまっているからだ。
このシートの使い方は、体調不良の訴えが多いシーズンごとに(できれば年4回)、一斉配布をして、職場の話題を巻き起こし、チェックシートを会社も管理監督者のだれもが回収しないことにコツがある。男女ともに更年期障害は1ヵ月余りで進行する。脳虚血による歩行障害や認知障害・言語障害は2ヵ月程度で顕著になる。だがこれらは早期発見することで1ヵ月以内に回復し、場合によっては兆候発見前よりも、精神・身体機能が改善するケースも数多く見られる。
当社で作成発表して2ヵ月余り、宣伝広告など全く行ってないが、活用企業からの連絡を集計すると5万人以上に配布され、重傷に至らず回復したとか、難病の早期発見で進行を食い止めているとの連絡が入っている。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/genki.html