2010/05/06

第97号

<コンテンツ>
実体経済が低迷していることは
中国に頼って景気回復を見込んでも、
上海万博ならぬ上海パクリ博
個別企業の大局的戦略
新日本経済に合わせた個別企業の社内制度作り
時代に合わせ、賃金規定のどこを変えるか
 1.賃金の決定とは、
 2.計算・支払の方法とは、
 3.賃金の締め切り及び支払の時期とは、
 4.昇給に関する事項とは、
 5.勤続手当の目的は?
 6.住宅手当も経営側の自由
 7.家族手当にはどんな意味が?
 8.通勤手当も考え直す必要が
 9.役職手当と役職給は違う
 10.退職手当(金)は労基法上の賃金ではない
 ・それを処理する事務処理能力も


実体経済が低迷していることは
統計数値がどうであれ確かだ。男性の完全失業率は5.6%と異常だ。個別企業のほとんどは、概ね企業防衛に入ったままであり、かつ次の事業計画のリサーチ、シミュレーション、スタンバイといったところである。好調ともてはやされている業態だとしても、利益幅の薄い中で何とか資金回転をさせているにすぎない。5月1日からの上海万博に、世界中の経済が、この博覧会に期待を掛けているかのような報道が続いている。4月に入ってからの大手マスコミ報道に経済ニュースが少ないか、または断片的なものばかりに、上海万博のニュースが大きく見えてしまう。断片的な大手マスコミ報道などに惑わされていると、個別企業の対策は迷路に入ってしまう。インフォメーションに振り回されて分析に明け暮れるだけでは、道は切り開けない…ここにインテリジェンスが必要になるのだ。


中国に頼って景気回復を見込んでも、
数年前の二の舞、あのときに個別企業にとっては豊かさの方向に働いた訳ではない。むしろ、人件費削減、人材育成後退、新商品開発劣化と、将来の企業経営にはマイナス方向に動いた。貯蓄や利息は増えた?かもしれないが、日本の経済構造の長期的スパンでは低迷の期間であったのだ。
中国は、改革開放路線として低付加価値製品の組み立て加工でやってきた。いわゆる文化大革命で、高付加価値製品や通常サービスを実施するための人材教育が中断したから、この道しか出来なかったのである。すなわち、文化大革命の内戦(上海を除く地域での銃撃戦)と、下放(高学歴青少年の農村追放)の二つによって、この年代の高付加価値労働の基礎となる高等教育がすっぽり抜けてしまったからだ。
それは、組み立て加工産業で生計を立てる労働者が多いということは、高付加価値の産業革命を起こそうとしても、低付加価値労働に慣れ切った人たちの抵抗が、並大抵ではないことを意味する。その意味で、上海万博で高付加価値製品の世界工場を目指すとする意気込みは、30年ほど経ってから、やっと実現するとの見通ししか立たないのだ。
学校教育を含め、今から文化、教育、労働価値観の変更をなさせようとしても、新生児から進めなければならないからだ。Google事件の如く、知識の国家統制を行っていては、知識も知恵も広く積み上がることは出来ず、いつまでも低付加価値労働に頼るしかない。科学進歩の花火は打ち上げられても、高付加価値産業が燃え盛るには無理があるのだ。
科学・技術よりも国家の権力体制維持を優先した場合、経済が停滞するのは、当の中国歴史が物語っている。唐の時代までは世界唯一の先進国家であった。が、ヨーロッパに抜かれ(理性と科学重視の文化に因るとの学説がある)、欧州産業革命で衰退し、あげくに列強の植民地支配となり、そしてアメリカと国連の後押しで間隙を縫って独立できたといっても、過言ではない。広大な中国をひとつにまとめ、間隙を縫うことができた統率力と組織力、この種の主体的力量では、高付加価値製品や高水準サービスを生み出す経済環境を作り上げることは不可能なのである。近代の列強植民地支配の下での商習慣の衰退(騙し、抜け駆け、横槍、賄賂などの手法への堕落)を経て、戦後の経済外的強制である統率力・組織力(人民解放軍とヤクザ)が支配する中国構造が出来上がった、と説明すれば、誰もが容易に納得できる話である。(これが現地からの中国深層内部のインテリジェンスだ)。


上海万博ならぬ上海パクリ博
素人に中国投資とか取引は危ない。先ほど説明した中国構造と渡り合えるだけの人材は、日本の通常の個別企業には、ほとんどいない。生半可に台湾や香港を仲介したばかりに、輪をかけてハメられてしまった会社も少なくない。天安門事件(1989年)以降の現地からの中国深層内部のインテリジェンスを聞いたとしても、次々と自信過剰な日本人(中国から見下げられる者)は後を絶たないのが現実ではあるが。
日本人の既成概念からの万国博覧会を想定するから間違うわけで、上海万博に出展されたモノのコピーが世界中に出回ると覚悟しておいた方が良いのである。技術を盗まれるのではない。コピーされるという事態である。コピーされたくなければ、「中国に進出してきたらどうだ」といった、中国政府からの誘い?恫喝?も予想される。
その前に、汚職の分配システムで成り立つ中国構造であるとか、中国全土の富をピンポイント(オリンピックや上海万博など)にかき集めた反作用、低付加価値の組み立て加工産業の停滞が問題となる。俗に中国バブルの崩壊である。


個別企業の大局的戦略
を考えれば、それは高付加価値製品や高水準サービスの商品提供でもって、世界各地に Made in Japan を直接販売すれば良いだけの話である。それを支える日本国内の産業&文化経済に寄与する事業を行うことも大局的戦略につながっている。世界には、中間所得者層が8億人とも、中流階層が10億人ともいわれている。
金融資本に振り回され、次は中国に振り回されることはないのだ。中国には、1億円以上の貯金をもっている富豪が、数年前で4千万人いたから、この人たちに直接買い出しに来日してもらえば良い。そういったビジネスは経営としても賢い。日本の経済構造として世界を相手にしておれば、中国がどうなろうと、さほど影響はない。そういう意味では、政府や知事が日本製品を世界に売り込む、この政治の出番である。過去のような、個別企業や国民から富を吸い取ることしか考えていない官僚(株式会社日本)とか、民間個別企業を後押しない自由放任政治(新自由主義と金融資本)では、日本経済がやっていけないのは確かである。


新日本経済に合わせた個別企業の社内制度作り
が、日本の経済構造では、とても重要になる。個別企業の業務実態は、特に末端の事業オペレーションの現場では、旧態依然の運営がなされ、実際のビジネス成果との矛盾を起こし、事実上の組織崩壊とか受注低下を起こしているところが少なくない。とりわけ、社内規則が事業オペレーションを疎外しているか若しくは、社内規則を無視しなければ事業が進まないといった事態も引き起こしている。この事態が、個人プレー&無政府・無法経営を引き起こすに至ることもあり、事業実態が傾いているケースが目立つのである。資金繰りの行き詰まりに至るパターンは、過去の経営学で研究され尽くして来た通りである。研究された倒産パターンの道を阻止出来得ないのは、時代の事業に適合したオペレーションを行おうとする労働意識が形成されていないからである。
労働意識改革の形成、その中心的底流(労働意欲)に位置しているのが就業規則や賃金規定である。賃金体系も人事体系も、法的整備は就業規則や賃金規定でなされることになっているから、これらの整備不良は個別企業の組織的オペレーション自体が成されてないことになる。本来のコンプライアンス尊重というのは、事業オペレーションが反社会的なものではないとの証明である。個別企業と労働意識改革とが反目しないための証明をするための手段でもある。反社会的事業では、多人数を組織的にオペレーション出来ないから、すなわち事業が成り立たないから、反社会的でない証明が必要なのだ。賃金不払い、解雇無効、労災事件が発生し、それが経営側敗訴の裁判となったときに意味するところは、事業オペレーションが反社会的であると「認定」され、それにより意欲低下を含めての労働意識改革の中断する典型的ケースである。
中堅・中小企業の事業発展に、ブレーキがかかっているのは、いわゆる意識改革中断がはびこっており、これを経営陣の力量でカバー出来ていないからである。経済・経営・社会学的には、それだけのことで、こういった社会科学に関心のない個別企業であるからこそ、事業の発展とは無縁なだけである。労働意欲が出れば、意識改革がなされれば、…と経営側が念願するとしても、そのキーポイントになる、具体的仕掛けが重要なのだ、「愛とは眼差しと仕草」と言われる様に。これが就業規則&賃金規定(労働力の仕入れ規則)であるのだ。


時代に合わせ、賃金規定のどこを変えるか
とりわけ、労働契約の成立が、「労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する」と、労働契約法第6条が制定されたからには、賃金規定が極めて重要になる。
労働基準法では、労働時間の明示を前提に、賃金について、「…決定、計算及び支払の方法、賃金の締め切り及び支払の時期、並びに証拠に関する事項」を必ず記載した就業規則(この部分が賃金規定)を周知しなければならないとしている。労働時間の明示がなければ週40時間労働である。
これは、法律に定められているわけだから、公の秩序である。だから、これに反すると反社会的と非難を受けても、それは仕方がないのである。企業であるから、小さくとも社会的責任が在るから、何としても合法的でなければならない。ここに、知識不足や認識取り違えがあり、経営陣の主張の合理性のない事態も出没して、労働意欲の低下と惰性の労働姿勢が蔓延するのである。最低限の賃金規定について解説すると………

1.賃金の決定とは、
学歴、職歴、技術、役職、年齢、経験、資格、技能、素質、就労する職務、業務遂行手法その他の、賃金決定要素のうち、個別企業でどれを選択しているかの表示のことである。「総合的に勘案して決定する」と記載すれば、賃金は総合決定給となる。いくつかの決定要素を選び、職能資格としてランク付けすれば、職能資格給となる。ある能力水準以上の職種に就くのであれば職務給である。
労働基準法では、どの決定要素を取り入れ、どのように運用しようが、差別にならない限り、個別企業で勝手にやってくれと言っている。賃金表(給与表)などは、これらの決定要素を取りまとめ、昇給条件と合わせて一覧表にしたものである。賃金表などの書き換えを、ベースアップ(ペースダウン)という。昇格は職能資格が上がること、昇進は役職が上がること、昇給は制度的に給与が上がることをいう。渡し切りの時間外手当は、何時間分と賃金規定や労働契約書に記載がなければ、時間外手当にはならない。
「賃金とはこういうものだ。」とのぼんやりした概念は、幻想であり、事業目的に合わせた労働力の仕入れをしてないということだ。ぼんやり仕入れをしているということは、当然ぼんやりした仕事の成果しか期待出来ない。成果主義の賃金理論は、同一の職能資格内での評価判断方法であり、コンサルタントに騙されて単なる歩合給に変質しているようでは、ぼんやりしているのと結果は同じである。30年ほど前のぼんやりした時代に、今更戻ることはあり得ないのだ。

2.計算・支払の方法とは、
単位時間当りの賃金をいくらとする時間給、1日当たりであれば日給、一週間となれば週給、暦日数や出勤にするに拘らず一箇月いくらとする月給制、1年間が年俸制、出来高に応じると出来高払制である。
時間給や日給は、出勤日数を積み上げて計算することになる。週給や月給は、決まった額から欠勤した分を控除して計算することになる。一切控除しない月給は完全月給制、これは管理職に多い。月給といっても日給の積み上げ計算するのであれば日給月給(注:雇用保険の離職票は違う意味の計算方法に注意)である。年俸制も管理職が多いから、欠勤控除の運用は少ない。
時間外労働などの割増賃金は、労働基準法を上回る方法で割増率を定めることになるので、事実上、計算・支払方法の記載が必要である。「52週×40時間÷12月=173時間/月」でもって、割増賃金の基礎賃金時間単価を出した場合、わずかながらも労働基準法を上回ることになるからだ。賃金の端数計算処理も、わずかながら労働基準法を上回ることになるから、その記載も必要となる。
不備があるパソコンの某パッケージソフトがテレビで宣伝され、単純な計算間違いを起こしているにも関わらずトラブルが起こらないのは、仕事実績は二の次の給与方式だから、労働者にそれなりの納得があるからだ。だが、使用者からすれば、仕事二の次の労働者を必要とはしていないはずだが…。また、経営者のポケットマネーで雇った方が透明度の高くなる労働者も存在するのだ。(10人未満の事業所ならば、賃金の決定、計算、支払方法は、どうでも良い。ただ、法律の使用者保護はなくなるが)。

3.賃金の締め切り及び支払の時期とは、
賃金計算の期間の末日が締め切り、支給する日が支払の時期である。
締切日の設定は、毎月1回以上定期的に支払われることを前提にすれば、毎月何回締め切りにしようが自由である。要するに、作業ごとに、現場ごとに、その労働者ごとに締め切っても良い。
支払いも、事業ごとに、部門ごとに、役職ごとに、社員やパートの身分ごとに、支払日を変えても良い。定期的であれば、売掛金回収に合わせて支払っても良いのだ。ただし、一箇月以上先の支払いは、公序良俗の善良な風俗に反し問題はある。
口座振り込みは、あくまでも労働者の希望によるものとされ、その希望は銀行口座の届け出で希望があったと確認されるが、口座振り込み希望に応じるか否かは、事業主の自由である。
給与(サラリー)、賃金(wage)は、いずれであっても労働基準法上は賃金であるが、経済のグローバル化のなかでは、支払日が異なって来ることになる。

4.昇給に関する事項とは、
社会通念は制度的に給与が上がる条件のことを指す。ただし、実態は昇給とともに降給もあり得るから、降給の条件も記載が必要である。個人との労働契約において、制度外で個別に昇給する場合は、就業規則を上回る労働契約が成立したことになるので、就業規則に優先することとなる。
役職を解任されて給与総額が下がる場合は、労働基準法に定める「昇給に関する事項」には該当しないが、労働契約法の関連でその旨を規定する必要がある。
役職手当とは異なって、役職給を支給する場合には、現在の社会通念との相違を明確にして、経営側の予期しない、労働者の期待を防止するためは、具体的な記載が必要となる。

5.勤続手当の目的は?
仕事実績よりも年功序列意識を温存するか否かは、事業主の自由であるからだ。終戦直後当時の経験給(経験を積めば給料が上がる)とは意味が違う。電産型賃金体系も人材確保の目的のため経験給(勤続給ではない)であった。そして高度経済成長の準備に向けて年功序列意識を強化するために勤続給が導入された。現代は、一人前になるまでの半人前を個別企業がすべて育成する時代ではない。だから、これからの時代、勤続手当の制度は弊害となるのだ。

6.住宅手当も経営側の自由
終戦直後からしばらくの間の住宅事情に対応して導入・流行した手当である。欧米の如く、成年になれば親から独立する社会構造であれば、住宅手当などは発想する余地はない。まして、仕事の成果とは全く何の関係もない。半人前の子供を親から預かり、一人前になれば別居をするといった意識、すなわち親と同居の労働者の責任感を低下させる制度、と揶揄されても仕方がない、現場の新入社員の子供たちはそういう意識なのだ。

7.家族手当にはどんな意味が?
さすが、家族手当の実態がある賃金は割増賃金の計算基礎から外されている。家族手当の発祥は、戦時中の統制賃金しか払わなかった国家動員のさなか、家族の扶養義務と相まって考案されたものである。事業所によって、支給する自由ではあるが、それでもって仕事の成果を期待するのは見当違いである。将来の取締役や部長の候補として特別育成期間を10数年ほど設けて、目前の仕事の成果を期待しない特定社員のためであれば、家族手当は必要かもしれない。
だが、政権が変わって子ども手当が半永久的に支給されることになり、子供を育てる責任が家庭から社会に変わることや、男女の両方が働き・家事などを分担する社会に切り替わることからすれば、個別企業の負担は問われることとなる。

8.通勤手当も考え直す必要が
労働基準法では、実際の距離に応じて算定する場合は通勤手当、距離に関わらず一律に支給する場合の距離によらない部分は割増賃金の基礎となる。これも、戦時中の国家動員のさなかに無理矢理な工場配属をしたものだから通勤手当を支給したことが発祥である。
現代的に見れば、通勤時間は労働時間に計算されないから、その損失補てんの要素は存在するかもしれない。だが、仕事の成果とか、作業の実績からすれば、通勤手当を誰もに支給するとの概念に根拠はない。すると、別居手当も通勤手当には共通した支給根拠があるかもしれない。

9.役職手当と役職給は違う
いずれも、個別企業で自由に選択すれば良い賃金である。ところが、役職に昇進した苦労に対する手当を支払うことと、役職としての仕事の成果を期待する給与とは、根本から意味が違う。
高度経済成長期の役職手当の内訳は、時間外手当の補てん費用、部下を管理するための飲食茶の費用、管理職の自己啓発学習費用、営業職にあっては接待交際費使用などであった。
だが、多くの場合の役職手当は、実態として生活費に変質させられている。そこで、様々な費用の透明性と相まって仕事評価を優先することを目的とした役職給が導入されているのである。

10.退職手当(金)は労基法上の賃金ではない
退職金は、大正時代に工場間の職人の引き抜きを防止するために、5年ないし10年間さえ勤めれば支給するとした引き抜き防止策であった。戦後は、高度経済成長の準備のための終身雇用、その名のもとに給与(サラリー)を支払われていた者に対する、50歳(定年)時点での「手切れ金」に、その目的と金額が変化した。若年労働力を確保するためには、当時の平均寿命に合わせた高年齢者の卒業・排除が必要だったのである。厚生年金も然り、会社退職後の11年間の死亡年齢個人差による採算を想定した年金支給方式の手切れ金として、国家の大政策として導入したのである。もとより、仕事実績とか作業実績を重視する企業にあっては、社員であっても退職金の額は非常に低いのが実態なのだ。その場合は、老後の積み立て貯金にも至らない額にすぎず、賃金支払目的としては、確かに合理的ではある。
グローバルな経済展開が求められる今、個別企業の負担する退職金の意味は考え直さざるを得ない。国の年金政策、退職金引当優遇税制などは、東西冷戦の世界体制、持ち家政策、国家金融政策の手段として繰り返されて来たから…。

それを処理する事務処理能力も
賃金を賃金決定要素などに基づいて計算するとすれば必要となってくる。確かに、社員だけで1000人以上の企業規模がなければ、職能資格給など正常な運用が出来ないのだが、もちろんコンピューターによる賃金シミュレーションが不可欠なことからすれば、コンピューター設備投資もはなはだしい。まして、企業規模は1000人を超えたとしても、全員が社員である必要は全くない経済環境である。むしろ社員にこだわれば、賃金体系は矛盾と逆説だらけになってしまう。
パートタイマーの勤怠管理で、POSシステムを利用する、カードで出勤チェックをする、指紋認証制度でチェックする…これだけでは、現場でのパートの過剰採用の防止は出来ず、チェックさえすれば労働密度を低下させるベクトルが働いてしまうのだ。設備投資に費用がかかり、店舗や事業所ごとに過剰人員を抱え(過剰理由にきりはない)、本社人員がすっきりして喜んでいても、利益は減少しているケースはいくらでも目立つ。この場合に、反面して過剰人員を抑制すると、本人の意に沿わない短時間パートが増えることにより、全員の不満増加と意欲低下を招くのが通例だ。左右に振り子が極端に揺れないように、中間の中途半端な道を歩めば、設備投資の意味がなくなり、せっかくの勤怠管理設備の稼働が止まっているケースもある。だからこそ、振り子の揺れの課題ではなく、揺れる軸を引き上げる課題を解決するために、賃金問題専門家のひらめきは大切なのである。
そういった意味から、専門的に賃金計算をする部署は必要となり、それをアウトソーシングして社会的分業を進める必要も出て来るのだ。