2011/12/06

第116号

<コンテンツ>
急浮上!新エネルギーとして、シェールガス
大阪ダブル選挙結果の経済学
労働者派遣法改正、規制強化を見送った法案審議の裏側
混沌とした社会では、経営哲学の変換が第一課題
   ☆使用価値とか効用価値さえあれば?
   ☆そこで、使用価値などに加えて固有価値を付加する必要
   ☆商品の使用価値ばかり目を向けていれば、
   ☆商品の効用価値ばかりに目を向けていれば、
   ☆固有価値とは、定義をすれば:納得される見積もりも
     ☆☆ハンバーガーを例にとれば☆☆
     ☆☆自動車を例にとれば☆☆
   ☆固有価値の具現化は、繁盛店や有能営業マンならば、
この世は変わる、だから経営哲学の教育が必要!
【書評】『日本人の9割に英語はいらない』


§急浮上!新エネルギーとして、シェールガス
頁岩(ケツガン)層に含まれる天然ガスがシェールガスと言われるものだ。けっこう昔から知られてはいたが、10年ほど前にアメリカのベンチャー企業が大量の水を使っての採掘技術を確立したことから、石油メジャーがこの企業を買い取り、アメリカで一挙に生産が開始されたのである。その価格は、今年春に従来の天然ガスの3分の1程度のであったものが、この秋には4分の1程度にまで下がり、まだ少しは値下がりを続けるとの見通しである。バイオマスエタノールのように話だけは数10年前からだが、いざ実用化と思えば一過性に過ぎたといったような代物ではない。
シェールガスが一挙に急浮上した背景には
アメリカの中東地域における立場が弱くなるにつれて、この20年間で原油価格は3倍に値上がりしている。現在の中東情勢は、アメリカの立場が益々なくなりつつあることで、石油メジャーがシェールガスに切り替えるといった動きなのだ。アメリカでは、オバマ大統領のグリーンニューディール政策による国の補助金が、米国財政ひっ迫(米国議会の今年8月と引き続く11月23日の動向)により、相当額の打ち切りが明らかになったことから、再生可能エネルギー分野のベンチャー企業の倒産(撤退して損得確定)も相次いでいる。加えて、従来からアメリカでは原子力発電所の新設が無理なこともあり、原料のウランとその後の鉱物をアメリカが確保できない事情があることを忘れてはならない。
こういった理由からアメリカでは、石油メジャーが一挙にシェールガスに進出しているのだ。経済産業省のブレインとなっている識者T氏は、「アメリカは石油エネルギーをもとに自動車工業を発展させた国だから、シェールガスに切り替えとなると産業構造が一変する可能性がある」としている。
ロシア政府までも、自国のシェールガスを日本に輸出したいと狙っており、今日まで日本政府を無視し続けていたが、最近は親睦的コンタクトを取ってきている。中国は、頁岩自体の埋蔵量が世界最大ではあるが、水資源がないためにシェールガスが採掘・産出できず、新たな生産イノベーションを待つしかない。
ところで、日本近海にはメタンガスが氷となって海底に眠っている。
1996年調査では、太平洋の静岡県沖から南南東へ紀伊半島、そして四国沖から九州の東沖に掛けて、少なく見積もっても日本の天然ガス消費量に換算すると96年分を超えて、確実に埋蔵されているとのことだ。今年の4月から実用化に向けての採掘調査が始まり、早ければ来年から一部商品化にこぎつける見通しだ。
そうなれば、益々日本のエネルギー事情は変化する。原発による発電も、政治的思惑と利権で促進してきたものだが、一挙に原発の高コストが問題となる。中部電力が原発停止をする際に、急きょカタールに天然ガスを買い付けに入ったが、こういった日本の天然ガス事情も、自動車産業の将来も変化が予想される。エネルギーが変化するから衣食住関連商品やその設備、自動車その他に新商品が現れることとなる。その新商品の波に乗って個別企業が経営改革を行ない、その商品の供給や流通をつかさどることが、これからの営業課題となってくる。だからこそ、理工系技術と並行して経営管理部門の創造的技術開発も要求されることとなるのだ。
薪、柴、炭、練炭といったエネルギーから、電気やガスに転換が進むことで、台所が土間から屋内、そしてリビングに中央移転するだけでなく、戸建て住宅からマンションなどの集合住宅に変化が図られた。そればかりか、集合住宅のおかげで大量の労働力を都市に集中させることができたのである。
大手や中小の企業規模を問わず、こういった見通しを知っていた個別企業は、成長をしたのだ。成功するには経営アイディアだけでは無理だ。それは経営管理部門の創造的技術開発を支える具体策を尽くした個別企業だったのである。今やそれは、ICT産業革命そのものであることは確かだ。


§大阪ダブル選挙結果の経済学
全国のマスコミは、意外な結果として社会的政治的な話題として取り上げている。筆者は政治は専門外であることから何とも言えないが、大阪市長選挙の投票率が60%を超えたことは、社会問題として認める必要はある。この高投票率に、マスコミに登場する目端の利く人たちは発言を変化させいった。大阪にいるから解るのだが、それは勝った側の応援勝手連の人までが微妙に開票日前までの発言を変化させているのだ。
最後まで、「大阪都構想」の中身は公表されず、二重行政克服ばかり、都構想にかかる経済政策は争点から外れていた。当選した人たちは、「だから大阪経済は再生する!」と一言もいわなかった。もちろん経済学分野から問題提起をした声も聞こえてこない。財政学の経済学的基本アプローチである、「府県というのは産業政策を担い、市町村は地元住民サービスをになう仕組み、これが現在の自治制度」といったことに関連する話も出なかった。とりわけ、大阪府の選挙争点に経済政策が、今まで持ち込まれないことは無かっただけに…、大阪は経済問題が関心事なのにも関わらず、である。
確かに、大阪都構想の経済政策かのようなHPも勝利者側WEBには公開されてはいるが、何ら従来と変わる理念や経済政策は見当たらず、大阪府と大阪市の二重行政さえ解消されれば、従来の政策が成功するとしているだけだ。現状の数字をあげて痛烈に批判は行うものの、実に選挙争点として出てきた経済政策は、大阪市交通局の民営化のほかに何もなかったのだ。さすがに選挙後、大阪都構想が実現する前でも、大阪府議会と大阪市議会&堺市議会のねじれ現象はあっても、経済特区、直通高速道路、府商工労働行政の市町村密着は何時でもできると、さっそく注文が付いている。
ところが、選挙が終わった途端の先週末、
大阪都構想に概要書の存在することが公表されたのだ。選挙前には、一切発表も報道もされずにいた構想だが、12月3日午前8時半ごろ(読売テレビ生中継)、作家の堺屋太一(元経済企画庁長官)から、「電話帳にして4冊分のページ数がある。中身は分厚いので、ここでは説明でききれない!」と発表されたのだ。
以前から筆者は不思議に思っていた。新しい大阪府知事M氏と大阪市長H氏の取り巻きや与党を見渡しても、いったいどこに経済政策通の人物が存在するのか、それが不思議でならなかった。選挙中に最も熱心に応援したのは「みんなの党」であったばかりか、11月27日夜の開票時点になってその渡辺党首や堺屋太一は、選挙事務所で当選の喜びを共にしていたのだ。開票日翌日の記者会見では、新大阪府M知事が府庁移転問題で前H知事と異なる発言をするなど、新大阪市長となった前H知事が客寄せパンダであるとの見方も裏付けられた。
そもそも、大阪都構想は、このH前知事の前任である元大阪府知事:太田房江が初めて提唱したものである。この太田房江は、当時の通産省本省の経済政策を大阪に持ち込もうとして知事に就任した通産官僚であった。しかし、当初は国の後押しによる経済再生を大阪府民は期待したのだが、府財政など公私共の金銭スキャンダルを追及され、大阪府財政の借入金急増と地元経済からの反発などで退任したとされる人物である。(大阪は官僚嫌い、官僚に対して評価は一段と厳しい)。
すなわち、今後の経済政策は堺屋太一が電話帳4冊と発表した、経済産業省本省の官僚でも躊躇するような経済政策を、大阪を中心に関西で劇的に推し進めようとする方針に間違いはなさそうだ。だが、これとて一般に公表されているものではない。少なくとも、経済産業省本省のありきたり官僚の経済政策も、彼らはすり寄るしか歩めない。大阪ダブル選挙が、現政権に隷属する本省官僚:>対決<:と野に下った元官僚たちとの代理戦争となった感も否めない。
そもそも、いまどきの政治家が、「経済政策コンペ」(優秀な経済政策を競う協議)を行えばとの意見もあるが、それでは政治家自らの命取りである。アメリカの経済学者コーエン(自称オーストリア学派:興味のある人は辞典を!)は、著書の『大停滞』(NTT出版)のなかで今のアメリカを述べている。「政治家がありのままに訴えれば選挙に勝つのは不可能に等しい」(p93)「アメリカの政治を単純化すると、“利益団体が経済のパイの大部分を奪おうとして政治に働きかけ、それを黙らせて政治の秩序を保つために、政府が何らかの形で補助金の類を与える”という構図になる」(p93)そして、2008年大統領選挙の共和党副大統領候補のサラ・ペインが、今は(著作は2010年)「急進派黒人解放組織ブラックパンサーや共産主義政治指導者さながらに過激な現状変革を訴えている」(p102)ことを紹介している。すなわち、コーエンは、経済成長が行き詰まった場合の政治家たちのとる行動を経済現象として説明しているのだ。
こういった意味で大阪ダブル選挙結果が、経済学的には、極めて財政学上奇異な現象を現し始めたと言える。


§労働者派遣法改正、規制強化を見送った法案審議の裏側
この臨時国会で、改正労働者派遣法の審議が開始された。2008年リーマンショック現象直後の「派遣切り」から、実に3年間の迷走ぶりだ。当初、その内容は派遣業を規制するものであったが、この臨時国会では殆どが骨抜き状態の法案審議となっていることから、社民党をはじめ労組側勢力は猛反発している。
ところが、当の厚生労働省は意外に平然としている。マスコミは、政府がその後の厚生労働省関係の法案成立に差し障りがあるとして自民党・公明党に譲歩したと報道しているが、それは素人の見方である。厚生労働省の本命は、今や期間雇用者(法律的には有期雇用という)をめぐっての争いである。
(判例法理の判断)。
広く用いられている期間契約(終期契約は異なる)は、いくら期間を短くしても、契約更新期間を概ね通算して4年目に突入すると終身雇用の契約成立(行政法である雇用保険も同様の考え方)となる。これが裁判所や紛争調整委員会の公機関に持ち込まれた場合は、自動的に就業規則に定める社員の雇用契約が形成されるわけではないが、定年もしくは65歳までの雇用延長が自動的に適用される。最も経営側寄りの弁護士だとしても、いくら事情があるとしても7年目に突入すれば常用雇用の契約成立は否定できないとしている。
……これが裏側に潜む動きで、この4年目に突入した期間雇用の終身雇用化を、厚生労働省は立法化しようと狙っていているのだ。
大手企業はきめ細かい対策
「派遣切り」の労働紛争で散々な目にあったことから、きめ細かい対策を打っている。それは、
イ)期間雇用の満了日前に解雇した場合は、最低でも契約期間満了までの賃金を遺失利益の賠償として支払う義務があるとの裁判例が定着したこと。それまでは、似非専門家から「30日分さえ払えば解雇可能」と間違った解釈を教えられていたが、いざ裁判を受けて立てば、期間雇用者の30日前解雇は違法と敗訴続きとなった。
ロ)整理解雇は、「四要素説」といえども、「四要件」をそろえなければ認められないといった判例を改めて理解したこと。これも似非専門家(一部の弁護士と社会保険労務士)に、四つの要件とも揃わなくても差し支えないケースもあると、「いい加減」な営業をされてしまって、酷い目にあっていた。似非専門家も次々と主張を変えてしまった。すなわち、期間雇用とは、業務用の波を緩和するために認められるもので、せいぜい通算は4年未満とされる扱い(雇用保険も同様の考え方)を知らされていなかった。あげく、似非専門家から、「期間雇用だったら、希望退職募集の前に解雇できる」と適当なことを言われ、大手企業の法規部あたりは踊らされてしまったのだ。
ハ)通算して4年未満の期間雇用者の契約解除であれば、合意書のペーパーさえあれば大丈夫といった絵空事に気がついたこと。通算して2年11ヵ月以内の期間契約で雇用し、満了する時には100~200万円の退職金を支給するとか、有給休暇を期間満了前にすべて消化させるとかの手立てを得た上で、自由意志にもとづく合意解約もしくは期間満了を迎えるようにするなど、訴訟に万全を期するようにした。
ニ)日雇い派遣その他の弊害は、都道府県労働局の権力行使的圧力でもって、ほぼ沈静化されているから、大手企業の経営に中小企業が市場侵食する危険性はなくなっていること。
さて、そこで厚生労働省は
こういった対策を打っていない企業、すなわち、中小企業の派遣先とか、偽装請負で労働者派遣を行っている企業とか、こういった中小企業の事業基盤実態をこの際無視して、厚生労働省は立法化しようと狙っていているのだ。だから今は、対策を打っていない中小企業の意見を反映したであろう自民党・公明党の、派遣業規制緩和の要求を受け入れたとしても、大枠では厚生労働省の目的が達成されるから、今臨時国会への規制を見送った法案提出となったのだ。対策を打っていない中小企業の兵糧を断とうというのだ。
裁判ともなれば事実、対策を打っていない場合では、訴えが起こされれば労働者側は必ず勝つ。まして、この1~2年の裁判所の動きは、不安定雇用労働者には理屈なく寛大で、常用労働者であれば年収3年分程度の和解金、パートであれば100万円程度の和解金を裁判官は迫って来る。経営側の弁護士の中には、この裁判官に対して迎合、誰の味方か分からないケースの弁護士もいて、解雇が事件化してしまえば多大な損害を招来するのが、現在の事件解決実状でもあるのだ。
【そもそも、労働力需給に関わる事業とは】
労働力需給は古代から行われている事業で、資本主義から生まれた事業ではない。民間企業経営者からすれば流れに任せ揺られながら経営することが定石であり、流れが変わる場合には船を岸に寄せて(借金をなくして)しばし停留することが鉄則なのだ。産業とは言いがたい事業に由縁するから、素人考えでは赤字を招きやすいのだ。結局のところ、派遣業規制反対の生半可な政治活動も、予想通り見事に厚生労働官僚に逆手を取られてしまった。素人ながらに、華々しく政治陳情を行ってカッコ良かったかもしれないが、自らの墓穴(赤字垂れ流しと借入金増)を負ってしまったという結果になりそうだ。


§混沌とした社会では、経営哲学の変換が第一課題
「金のために働く、売り上げ確保や、採算がPay出来さえすれば、生活のためにといっても要は金!」
……こういった経営哲学の変換が迫られているのである。これが、経済社会大変化の真っ只中にある、最大の経営課題である。担当は総務人事部門であり、大手では社長任せで逃げ腰と、担当部門がお茶を濁しているから、後退の一手でしかないのだ。
今の日本経済が立つ位置や経済動向からすれば、ただ単に金銭に交換できる商品を作っていれば流通するといった経済状況ではない。何をさておいても、日本には投資資金がないのだから、無いものねだりの経営哲学は通用しない。経営哲学を間違っていれば、経済理論も経営理論も間違ってしまう。精神論はさておいて、たとえば、「最終消費者向け製品や商品やサービスの重視」といった経営哲学ならば、次のような経済理論と経営展開になる。
使用価値とか効用価値さえあれば?
未だ、使用価値とか効用価値さえあれば製品として通用すると思っているから、国内では売れず、海外に行っても売れなくなり、新興国に真似され追い越され、軒並み売れない事態に陥っていると言えるのだ。経済学的にはこうなる。より少ない財の消費に向けての費用価格や生産価格認識といった概念は、基礎産品とか素材商品における供給管理費(粗利益率)の低い商品として低価格が形成されることも自然な成り行きとなっているのである。
そこで、使用価値などに加えて固有価値を付加する必要
が(経済経営学問上も)あるのだ。今日までの「付加価値を加える」といった発想は、使用価値・効用価値に毛が生えたような概念で、まだまだ主観的観念的、論理的には甘かった。科学的に解明されなかったから、商品を作る者や販売を担当する者たちに伝承されなかったのだ。固有価値を付加すれば、海外の富裕層1億人(世界で1億円以上の貯蓄を持つ人は1億人、そのうち日本には100万人居住)へ日本商品の展開も容易になる。固有価値を高めた商品の欧米圏への展開となると、経済・経営学的には、人の心を尽くし、精神を尽くし、日本文化を込めて商品を作れば、外国人は自国流文化で商品に理解を示し、日本から商品を取り寄せ、外国人顧客の要望を日本に伝え、あとは日本製商品を要望に応じて創れば、世界展開はできるといった具合である。この「外国人は自国流文化で商品に理解を示し」という部分は、資生堂:福原義春名誉会長の研究成果であり、日本流を押しつけてしまう場合は、文化的商品が売れない現実に通じるものである。
商品の使用価値ばかり目を向けていれば、
「より少ない財の消費」を追及する商品を多種多様に生産・販売し、結果的には安値を強いられる経済循環に陥らざるを得なかった。そして経済循環が出来なくなり、今や、「お金」がないから買えませんといった結末を迎えた。「より少ない財の消費」は、個人の消費購買力まで抑えることとなった。
商品の効用価値ばかりに目を向けていれば、
人間の心身に対する刺激に訴える付加価値に走る類のことしか思い付かず、結果は、継続的に生産・販売となる安定商品も作れず、(当然の帰結として)不採算商品出荷の連続を招いて、個別企業経営全体としては経営難に陥るしかなかったのだ。そして、本業で利益が出ないと考え、投機に手を出す企業も多くなった。そういう意味で、経済学を機械的に理解した似非専門家の罪は大きい。
固有価値とは、定義をすれば:納得される見積もりも
「需要者の購買・使用・保存の過程に具現化されるところの、購買意欲・受容感動・将来希望といった行動を生じさせる、商品に組み込まれたこの三つの要素を併せ持つ価値」
である。固有価値は、使用価値をベースにして、使用価値に上積みされる供給・需要が開花期である。受容感動とは購買者ごとに感動の微妙な受け入れ内容が違うことである。将来希望とは理に適った目的につながるものである。固有価値は、最終消費者が認識している生活文化に基づいて、その質量が判断され、流通に携わる商業従事者(供給者側代理人あるいは需要者側代理人)によって、(購買意欲・受容感動・将来希望の)定量定質化も可能となり得るのである。(効用価値、使用価値、そこに加える固有価値における価格決定メカニズムは、後日:学術発表)。
……このポイントで、成功する安定商品の要素、業務改善の要素が判明し、今までボンヤリしていた価値部分の見積もりが計算できるようになった。すなわち、
☆☆ハンバーガーを例にとれば☆☆
従来の工業文化型商品(価値論からいえば、効用価値あるいは使用価値)に重点が置かれているハンバーガーは、現在の多店舗展開販売に見られる商品型(マクドナルド等が典型)となり、まるで現在の民営配給制度である。食欲及び食欲をそそる+α程度の価値形成である。
これが固有価値に重点を置く生活文化型となれば、地域ごとの食材や味付けを活かし(単なる地産地消と異なるが)、顧客が中身を自ら選んで作るなどのハンバーガーとなる。生活文化的意欲は、単なる食欲などの意欲とは異なる。家族や友人との人間関係を通してこそ生まれる価値をハンバーガーで“意欲的”に求めるから、食材や味付けが話題や課題となり人間関係を通して“個人ごとに受容される感動”、改めて人間関係を新たに形成することでの“将来希望”を形成する価値を手に入れるためにハンバーガーを買うのである。利用者が固有価値を重視して買いに来た場合は、工業文化型ハンバーガーチェーンの利益源泉であるコーラとポテチの抱き合わせ販売作戦とは異なるのだ。
☆☆自動車を例にとれば☆☆
工業文化型重視であれば、バスやトラックが典型的で、輸送手段として自動車の機能や性能といった使用価値が重要な要因であり、「より少ない財の消費」法則が働くこととなる。これが、生活文化型重視となれば、購入目的に「家族で旅行する」とか「彼女と出かける」ためといった購買意欲・受容感動・将来希望の三つが重要な要因となる。だから、有能な販売員は、乗用車の機能を説明するのではなく、自動車を用いて人間関係を充実させる様を購買者に連想させて販売するのである
固有価値の具現化は、繁盛店や有能営業マンならば、
すでに行っていることなのだが、固有価値といった経済学上論理的な位置づけを行っていなかったから、業務遂行で甘さが起こり、教育訓練に落とし込めず、成功確率が低下する原因となっていたのである。もしくは、文化経済という視点がなかったから、固有価値を売り上げに結びつける属人的能力(意味不明)として、人事評価のお茶を濁さざるを得なかったのである。
工業文化型商品(効用価値あるいは使用価値の価値論を重視)から脱却しようとする人たちが多い国、すなわち、イタリア、フランス、デンマーク、スウェーデン、フィンランドといった地方では、表面的には芸術的雰囲気が強い人達と見えがちだが、実はこれらの国の経営学・経営管理学では、商品の持つ価値について極めて深い研究(有名どころは、ボローニア大学、ストックホルム経済大学など)がなされている。固有価値を交換価値に転換(売買成立)する成功率が高いということなのだ。


§この世は変わる、だから経営哲学の教育が必要!
こういった経営哲学の変換ができれば、要するに、利益体質の事業変換をさせることができる。だから大事を、一から個別企業で行う必要はないのだ。競合他社より一歩リードするだけで結果は直ぐに出る。
そして、
そのためには、教育から始めなければならないのだ。
会社の言うことを聞くように、事細かく「形」ばかりを教えるのは訓練であり、それは教育ではない。教育とは、言い換えれば、こういった「経営哲学を変換」する能力を身につけさせることでもあるのだ。前のメルマガにも述べたが、日本企業の社是・社訓というのは、創業時のものばかりであって、事業を継続するとか、時代環境に事業を合わせるといったものがないのである。おまけに、過去の経済環境時代のものばかりだ。
訓練しか受けてない人物に、一生懸命に勉強して仕事をしろといえば、益々訓練の成果は上がるかもしれない、ただし、それとて不安定不確実な話だが。ところが、その訓練を自ずと規定した経営哲学が未変換だとすれば、その訓練を重ねた末の賜物は業績不振を拡大するばかりだ。その現象をチェックする項目としては、手間の割には売り上げがないといった、作業単位当たりの人件費コストの増大である。この現象に経営者が気付かなければ、倒産を招くようなことになるのである。
とりわけ、対人サービスを行う労働者は、部門の長を先頭にお門違いの訓練を徹底している場合が多く、経営不振を自ら招いてしまうようなことは、日常茶飯事なのだ。倒産した後に自然淘汰だったと悔やむのは、まだ少しは経済感覚の残っている人だ。だから総務人事部門の仕事はここで重要なのだ。
今の経済状況に適合した経営哲学から導かれる教育の柱は、
1.接客方法
 (親切行為を現すには、客からの世間話に応じる方法その他)
2.商品知識の活用
 (客の生活意欲・受容感動・将来希望の三つを同時に叶える)
3.提供する価値
 (効用価値や使用価値に、どんな固有価値をプラスしたか)
4.直接間接のリピート
 (再来してくれる客だけでなく、廻り回って経済循環するか)
といた具合になるのである。
先ほど紹介した、アメリカの経済学者コーエン(自称オーストリア学派)でさえ、著書の『大停滞』(NTT出版)のなかで、「科学的なマネジメント手法」(p98)並びに「(教育にもとづく)科学者の重要性」(p125)を訴えている。コーエンは自称オーストリア学派なので、経済学でいうところの、「効用価値により消費財の価値は証明できる」とする学者である。人間の労働や努力に価値を見出さない学者だから、さほど固有価値を議論したがらないのだが、その彼であっても、経営の科学的手法と全学問分野の科学者の重要性を説いている。このコーエンの説は、本当の意味での経営哲学の変換と社員教育を、貴方が社内でアッピールするときも、個別企業再生の定石と言える根拠になるものである。貴方の職場では、手間の割に売上があがっているのか、「仕事がない!」と云ってブラブラさせていないで、メリハリをつけて今の仕事は効率的に片付け、あえて時間を作って、経営哲学を変換する教育を始めるべきなのである。


§【書評】『日本人の9割に英語はいらない』
こういった題名の本が出版(祥伝社)されている。著者は、2000年までマイクロソフト日本法人の社長をしていた成毛眞氏である。
著者は、20代~30代は仕事で覚えなければならないことが山ほどあるという。その大切な時期に英語の勉強に気をとられたら、肝心の仕事に集中できず、将来業績を左右する能力が取得できないと主張している。著者は、楽天の社内で日本人同士がつたない英語で話し合っているといったことでは活発な議論など望めない状況、ユニクロの英語重視とその反面では事業内外の調整手法、市場動向、販売・PRテクニック、企画力を軽視する状況について、冷ややかな視線を送っている。確かに、ネイティブな英語は、外資系企業のトップ3%には求められるが、TOEICの点数などあてにはならず、体当たりでコミュニケーション力を駆使して交渉を乗り切り、そこから学ぶしかないとしている。
それにもまして、欧米で知識人として認められ対等となるには、シェイクスピアと聖書を読み、その内容(日本人的理解ではなく)をつかんでいることが基本であり、歴史、芸術その他幅広い教養を身につけていることが普通であると推奨している。要するに、著者は人間性を高め教養を身につけることが仕事の基本だと言いたいようだ。
さらに第一章で著者は、「創造力のない人ほど英語を勉強する」と解説している。無意味で単調な作業を、如何に黙々と続けられるか。英単語や英文を暗記するのも仕事でルーティンワークをこなすのも根本的には同じだとし、求められるのは如何に効率よくこなすかであり、それは何かを生み出すクリエイティブな作業ではない。単調な作業を黙ってこなすのは、組織の命令に対して服従的な人だ。組織にとっては、ありがたい存在である、との、はっきりした主張だ。著者は、元外資系企業の社長経験者として、さまざま指摘している。
【筆者(むらおか)のコメント】
ちなみに、欧米流の努力プロセスとは、「心を尽くし、精神を尽くし、思い(思索)を尽くし、力を尽くし…」となる。だとすると、日本人ビジネスマンの主流である、「会社のため、金銭のため…」あるいは「日本製品で市場確保を…」などとは異なった人間性と教養こそが英語能力よりも重要だということとなる。
先ほども論じた、固有価値を高めた商品の欧米圏への展開は、さほど人間性や教養が身につかなくとも、日本人は、心を尽くし、精神を尽くし、日本文化を込めて商品を作れば、欧米人は自国流文化で商品に理解を示し、日本から商品を取り寄せ、欧米人顧客の要望を日本に伝え、あとは日本製商品を要望に応じて創れば、欧米に展開はできるのだから……といった具合になるのである。