2011/11/08

第115号

<コンテンツ>
世界経済の混乱ぶりをよく見てみると
   ★歴史的円高水準……
   ★タイの洪水……
   ★EUギリシャ危機……
   ★オイル産油国の内紛……
   ★TPP加盟問題……
今から来年まで不況に向う!
労働力・人材の棚卸し…一風変わった産業分類
精神疾患急増は、日本経済の機能不全が原因か?
  《メンタル対策義務化へ安衛法改正》
   【労働安全衛生法改正のポイント】
   【訴訟その他での法的効果】
   【唐突な法改正の裏にある背景】
   【公共機関の図るべき積極的対策の視点】

§世界経済の混乱ぶりをよく見てみると
その底流に流れているものが見えて来る。今日、明日の個別企業経営にとっても、この激動する数年間は、世界経済の行方が決着するまで、嵐の風向きや波の高さに注意する必要があるのだ。風向きは顧客動向であり、波は取引先や銀行の動きである。これらは、各人が一生をかけている個別企業の経営戦略も、一瞬にして吹き飛ばされることもあるのだ。
だが、マスコミは次々と話題を追いかけるばかりで、底流や本質を見ようとしない。所詮、日本のマスコミの多くは読者数や視聴率を追いかけて成長した産業であるから、「大衆の受け」さえよければ、底流や本質はどうでも良いのである。だから、日本のマスコミ産業は新聞配達網、総務省許認可制度、文学部出身などの記者、及びそれを補完する人たちから成り立っているのである。学者級の専門分野ジャーナリストが育たないのも無理は無い。
世界経済の課題と報じられる事件は、歴史的円高水準、タイの洪水、EUギリシャ危機、オイル産油国の内紛、TPP加盟問題など、次々と報じられるが、その底流にはドル経済基盤の崩壊が進行しているからこそ発生している混乱であると視れば、さほど驚くことは無い。
歴史的円高水準……
リーマンショックの後、この8月のアメリカ国債デフォルト懸念の後処理を診れば、円高は当然の成り行きである。局面でいえば、円高を迎え内需拡大であるとか、輸入産業のテコ入れが無策だったので、大影響を受けたのだ。この切り替えが出来ている個別企業の影響は軽微で済んでいる。ただし、個別企業の大半は手を打っていなかったから仕方がない。次の円高局面は、年末に向けてのアメリカ国債格下げの動きである。
タイの洪水……
先月末に入手した現地からの情報によると、まだ1ヵ月は十分に水没状態とのことである。その後10月31日夜には、現地上流に住む農民たちが水門を破壊して、下流に流す水量を増加させたとの事件が報道された。もとよりタイは常時洪水に見舞われ、10年に一度は大水没に見舞われる土地である。なのに、タイ工業団地の土地は非常に安かったので、「安かろう、悪かろう」といったことも忘れて進出したのである。洪水直前も、「タイに来れば何とかなる」と、日本の中小企業経営者が現地日本商工会議所を訪問、安易な進出を諌められていた始末である。
ところで、日本各地にも洪水被害の地域があり、そこでは1~2mの盛り土の上に家屋(輪中などが有名)などを立てているが、進出した日本人担当者は、そういった中学校の地理を忘れていたのだろうか。日本人サラリーマンは公私共に、すなわち社屋や工場そして自宅の購入についても、不動産屋に騙される特徴がある。とにかく、タイでは盛り土どころか設備の嵩上げすらなかったようだ。タイの人たちにサプライチェーンといった概念がないことも、これまた、日本人サラリーマンは忘れていたのである。どこまで幼いのか!
EUギリシャ危機……
マスコミはデフォルトとか目新しい用語を使って注目を得ようとしている。そもそもユーロ経済圏の金融危機は、ドル経済圏のリーマンショックなどを受けて事件化してきたものであり、戦前から模索されてきたEU(ヨーロッパ連合構想)の、第2次大戦すらも乗り越えた紆余曲折からすれば、日常的な経済課題なのである。ドル経済圏とユーロ経済圏との市場圏争いのなかで発生しているギリシャ危機といった視点で見れば、何も一喜一憂することは無い。もとより、ギリシャがそういった国家であることは百も承知。ギリシャの次はイタリア、そういえばスペインやポルトガルも名前を出されたことがある。
並々ならぬヨーロッパ連合構想があり、これに無知な日本国内だけがEU通貨統合とかEU加盟問題の見識が甘いだけで、マスコミ報道で踊らされるような代物でもない。まして、ギリシャの国民投票といった話題は、もとよりパフォーマンスであることは最初から分かっている。ギクッと肝を冷やしたのは日本素人記者(事実上の通信員)だけで、日本国内で流行した報道とは別のところに本質的意味がある。すなわち、EUは各国の財政統合に向けて、これで半歩道を進めたと観るのが妥当なのだ。要は、EUの赤字結束であっても戦前からのヨーロッパ連合構想に適う概念という欧州思考と欧州文化なのだ。
オイル産油国の内紛……
これだけの円高水準にも関わらず、灯油など石油製品の値段は上がり続けている。エジプト、リビア、シリア、カタールなどの政変は原油の供給体制にまつわる物事である。アメリカのクリントン国務長官が動くところに資源問題は付きまとっている。カザフィー、ビンラディン、アフガンの名前が話題となるばかりでなく、パレスチナの動きはイスラエル弱体化の象徴となっているが、その原因に石油やウラン鉱物などがかかわっているとのニュースも、一般日本人には遮断された状態である。
日本国内では原発・電力のことばかりの話題である。だから、こう見てみると、自然・再生エネルギーと日本国内の個別企業とのビジネス的関わりが、如何にも密にならざるを得なくなるのである。石油だ!放射性燃料だ!とマスコミによって視野狭窄的に振り回されると、ビジネスチャンスと利権を、他社にもっていかれるだけのことなのだ。テレビは連日、太陽光発電のパネル設置業者の宣伝を行っている…。
TPP加盟問題……
この経済連携協定を結んだことによる想定を、一方は追求し、他方は分からない!といった論議になっている。いわゆる議論がかみ合わないのではなく、「この議論をしてはいけない!」ところに本質があるのだ。
TPPで話題になるのは関税問題ばかりで、経済協定の主要課題であるはずの為替安定は、誰からも相手にしてもらえない。すなわち、ドル経済圏の崩壊に替わり、仕方なしにアメリカはTPP新経済圏を形成しようという試みである。今、アメリカと日本がTPPを形作れば、アジアにおけるアングロサクソン・トライアングル(アメリカ、イギリス、オーストラリア)は安泰となり、エシュロンこそが立派に機能することとなるのだ。
だから、中国に対する「安全保障」といった突飛な話が出ているのも当然なのだ。もちろん韓国その他へのTPP加盟は後回しになっている。韓国は現在、アメリカからの自動車・牛肉輸入急増をもくろむ米韓FTA変更批准問題で大騒動とのこと。さらに引き続いて米中韓FTAの協議に移行するとのことだ。
TPP論議で農業問題ばかりを話題にするのは、この真相を覆い隠すためともいわれている。当のアメリカにとっては、東のEU経済圏への対抗、西への中国経済圏への対抗と、ドル経済圏防衛に忙しいといった具合である。ここに、TPPの加盟か延期かの選択ポイントがあるのだ。


§今から来年まで不況に向う!
ドル経済圏、中国経済圏、やはり遠くのEU経済圏と、世界経済体制にまつわる激変・新形成が行われることから、従来型にしがみつく体制では衰退を迎えることになる。
しがみつかない個別企業や個人にとっては、新しい需要とビジネスチャンスを迎えることとなる。
要は、個別企業の臨機応変体制である。
だとしても、激変・新形成の期間は誰もが、「成功の実感」を味わうことはなく、ひたすら未来と希望に向かって走る感覚だけを自覚する時期を過ごさざるを得ないのが歴史的事実である。反面、「未来も希望もなければ、店をたたんで」でも未来につなげる……しかないのである。幸いなことに、未来につなげるためにイザ!店を畳むなら、法制度的にも商道徳的にも、今のうちなら各種の現実的システムと条件整備はなされている。
そういった意味でいえば、繁栄していたとされた大手企業は、軒並み日本国内での経営が困難となり海外進出(海外逃亡)をせざるを得ない事態に至り、挙句進出したところでクローバル多国籍企業との企業間競争にさらされ、果敢に戦ったとしても外資に吸収される道を歩むしかない。投資資金の数量でいけば、日本の大手企業は勝てるはずもないのだが、ほとんどの大手企業はそれしか出来ない能力の人材ばかりの集まりであるから、自らが没落すると結論づけたのだ。(ロンドン大学:故森嶋通夫「何故日本は没落するのか」も参照を)。大手企業も経団連も連合も、徹底して覇気が無く脱力している根拠はここにある。大手企業の進出に伴い協力会社として成長した企業も海外進出を迫られ、海外での新規取引先を確保しない限り先行きがないといった、ほぼ身売り状態での海外進出(海外逃亡・海外出稼ぎ)でもある。
この時節柄のそういった姿は、太平洋戦争初期に、日本が海外市場を武力制圧して海外進出した、「つかの間の戦略」と雰囲気が酷似すると思えるほど、その手法は無能そのものなのだ。だから、早晩に破綻・崩壊する海外進出の流れは、当分は止まることがないかもしれないが、それでも、なおかつ未来も希望も見いだせない。
であるから、日本の資源(文化を含め)を活用して、世界の富裕層1億人への生活文化型商品の産業市場開拓をすることの戦略の方が、現実的であるのだ。日本の高級電化製品、生活文化型商品(アニメ、ファッション、農産畜産物)そして環境(雪、緑、風光など)に世界の富裕層は興味を示している。ここに販路を生み出し、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供を行えば、日本の国内企業は間接・直接にクローバル多国籍展開するのである。生活文化型商品であれば、海外に向け発信さえしておけば、取り立てて「海外進出」とか海外出張する必要などない。
富裕層1億人が相手だから、今までのような供給サイドからのマーケットの着想はやめて、需要サイドからマーケットを発想すれば良いことである。この方法ならば、純国内産業だとしてもTPP経済連携協定締結においても個別企業には有利に働くことになる。要するに、出荷先民族の富裕層が欲しがるような、特注の日本製品を作れば良いのであって、国内の技術者や技能者は頭をちょっと柔らかくして作れば良いだけのことである。そして都合の良いことに、生活文化型商品は大量資本投資スタイルの多国籍企業では産業化できないのでもある。


§労働力・人材の棚卸し…一風変わった産業分類
経済学とは、みんなが経済的に豊かになるための学問であり、ひとつの経済パターンともいうべき経済方針たるものを、目的意識をもって理論化することである。この経済学に異論を唱える人たちは、単なる学術情報収集家、学術論文翻訳家、経済学教師に安住している人たちと言っても過言ではない。事実、歴史的に著名な経済学者には、こういった職業にしがみ付いていた人物は皆無に近い、すなわち、実務家でもあったのだ。
そこで、日本経済の最大資源といえるものは有能な労働力・人材であることは確かだから、今までとは異なる考え方の仮説を用いれば、発想も開けるというものである。ここで一風変わった産業分類を行うことは、労働力・人材のストック集計分析ではなく、いわゆる労働力・人材の棚卸しである。これは、個別企業でもあてはまることである。
多くの方が習った産業分類とは、第一次産業、第二次産業、第三産業といった分類である。最近ではこれを串刺しに足した「第六次産業」なる用語も流行している。この産業分類は1941年にイギリスの経済学者コーリン・クラークが提唱したものである。ところが今や、時代も異なれば、日本は資源大国でもなければ、イギリスのような植民地大国でもなかったのであるが…。さて、この一風変わった産業分類を、百年に一度の経済危機を乗り越えるために異なる仮説を提起してみるのである。
(1)事業を営み・流通させ・人々を組織化する産業
  (役務提供、職安法上の請負はここに分類)
(2)創造性や創意工夫でもって商品をイノベーションする産業
(3)標準化された規格品の量産と低価格をイノベーションする産業
  (アウトソーシングはここに分類)
(4)環境、保健衛生、生命安全の基盤を守る産業
筆者の仮説とは、こういった産業概念の分類方法である。
この一風変わった産業分類をもとに、貴方が活躍しようとする個別企業を分析してみればよいのである。
例1:昔は繊維織物、次は電気製品組立、今は介護福祉に進出している経営者が入る。この人は、規格量産でイノベーションを行った経験はない。もっぱら中高年女性労働力を取りまとめる才能をもっている。
例2:日本の医療制度である保険医制度は、民間用語流に説明すれば、保険点数や薬価による全国フランチャイズチェーンである。おかげで、ほぼ全国網羅のためのコスト増はあるとしても、全国標準化された規格医療が実施されている。
ここに二つの事例を挙げたが、従来の工業文化型産業イメージから、「企業というものは標準化された規格品の量産」であるといったドグマや固定観念に、われわれ自身が浸っているから、よくよく社内の人材を分析する必要がある。
すなわち、古代ローマ帝国では略奪経済であったから、賃貸、労働、請負は同一概念で、その区別はつけられなかった。ところが、もうすぐ日本の民法は、役務提供が賃貸、労働、請負、委任に追加されようとしている。役務提供契約とは完成を伴わない無形結果を目的とする請負契約のことである。また、完成を伴う有形結果を目的とする請負契約だとしても、発注者に標準化の作業マニュアルを指図され工程の進捗管理を受けておれば、それは職業安定法で法定されているからこそ認められる請負にすぎない。ただし、人材派遣業や偽装請負といったものは、産業ではなくて労働力需給システムであるから、念のため。
だとすると、
この四つの一風変わった産業分類に合わせて経営戦略と人材確保の企画立案をしてみることは、頭の体操に留まらず、総務人事部門の企画担当者としての重要な仕事でもあるのだ。
これは民間事業や公共事業を問わずに考えられる仮説だ。旧来、公共事業とは、民間企業では採算が合わないから、民意によって国や自治体が行うものと考えてきた。しかし、この延長線上に利権と非効率による税金の増加が起こり、その解決策として今や公共事業はNPOや企業が行えば良く、国や自治体はその「公共の場」を提供すれば良いといった考え方に流れつつある。日本標準産業分類:公務と他産業の関係や公共事業のプラットホーム(事業外注化を含む)は、「公共の場」とは異なり、利権・非効率並びに増税を温存するものと考えられている。


§精神疾患急増は、日本経済の機能不全が原因か?
《メンタル対策義務化へ安衛法改正》
厚生労働省は、10月24日、突如として職場メンタルヘルス対策義務化への労働安全衛生法改正を打ち出した。早ければ来年度から実施したいとしている。この24日に審議会に法案要綱が示され、その日のうちに審議会が妥当との結論を出したことは異例中の異例である。それもいまの臨時国会に提出するというのだ。官僚主導となっている現在の厚生労働省であるとしても、あまりにも唐突だ。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001slsj.html
報道発表も、NHK総合テレビで優先的に行われた。それによるとメンタルヘルス関連でも労災申請が急増しているなかで、何らかの対策をとっている企業が非常に少ないことを説明している。そこで、メンタル不調に陥る労働者増加に歯止めをかけるといった考えのようだ。この調査の出所はここだ。
http://www.jil.go.jp/press/documents/20110623.pdf
【労働安全衛生法改正のポイント】
1.精神的健康状況の把握のための検査を義務
2.労働者にも検査を受けることを義務付け
3.事業主への検査結果の通知義務、及び労働者の同意
4.健康保持要件での申し出があれば医師面接指導の義務
5.事業主の面接指導結果の記録
6.面接指導の結果に基づき、医師から措置の意見聴取
7.医師の意見を勘案し、配転時間短縮その他措置の義務
【訴訟その他での法的効果】
精神的状況を把握する検査と、精神的疾患を治療するための受診とは、はっきり区別されている。
この改正事項は、労働契約法第五条の、「労働者の安全配慮」にある必要な配慮についての具体的な合意を義務づけたものとなる。安全配慮義務は、労働契約上の契約履行義務であり、今回の改正内容をひとつの配慮基準に考えることとなる。
労働者にも検査を受けさせることを義務づけたことは、「検査を本人が拒否しているから仕方がない」といった言い訳が、事業主としては出来ないこととなる。その面では、社員の定期健康診断の扱いとは格段に厳格な法令である。また、検査を受けさせない行為とか、労働者本人の検査を受けることの拒否を理由としての検査の不作為行為は、事業主の不法行為を形成するから金銭的損害賠償の対象となる。
通知義務は労働者の同意を前提としている概念ではなく、労働者に同意をさせて通知するという趣旨と考えられる。もし仮に、同意を前提とするならば、法案は「労働者の同意の上で通知されるもの」といったような表現となるはずだ。労働者が同意しなかったとすれば、事業主にはなおさら問題視しなければならない公序義務が問われかねない。事業主の安全配慮義務からすれば、受診勧奨を行う必要も生じる。
面接指導結果の記録は、事業主の義務を履行したことの証拠となるものである。
医師からの意見聴取を、必要な手続き行為として具体化しているから、検査結果を記録した直後の行為を、事業主が形骸化するとか曖昧にさせることを防止する担保となっている。
そして、実状を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数減少その他措置を義務付けている。今後出される指針が問題である。さらに医師が組織的に勧告できるようにしている。
【唐突な法改正の裏にある背景】
この法改正を如何様に考えても、厚生労働省は社会の合意形成の上でメンタルヘルス対策を行うとしているようには思えない。ある筋に言わせると、「新型うつ病といったものの流行は企業の人事管理に問題があるようだが、それを企業が改善しようとしないから、行政が手を下した」といったたぐいのものだ。
確かに、筆者の経験などからすれば、企業の人事管理に対する国家権力の発動そのものにほかならないと考えられる。新型うつ病は大手企業に流行していることとか、中小企業の従来型うつ病の対策からすれば、自殺防止などの社会的効果とか労働市場の経済的効果を考えれば、労働安全衛生法改正で一挙にやってしまえと官僚たちは考えたのではなかろうか。反対する議員に対しては、労働保険財政をネタに抑え込めると踏んで、同時に「無為無策」の企業と議員の間を遮断してしまう効果も狙っているのだろう。とりわけ、メンタルヘルスに関連しての労働紛争多発の抑制、日本の労働力の能力維持を図ることを念頭に置いているとしても、これをうがった見方とはいえないだろう。まさか、うつ病患者120万人時代を迎え、投薬治療などで労働市場をコントロールしようとは、官僚たちが考えていることは無いだろうが。
この10月31日に大阪で行われた、専門家たちのメンタルヘルス対策研究座談会でも、
http://ohsakafu-hataraku.org/contents/mental/index.html
「医師や保健師の内で、誰が検査をするのだ、それが出来る者がいない」との発言その他が専門家などから相次いだ。状況からすれば、新たに「おせっかい」を生む、初歩的ケースも懸念される。だから、今回のメンタルヘルス対策の義務化は、時代錯誤的な官僚主義としか言いようがない。
こんなことを民間現場で無理強いをすれば、形骸化した対策に陥ることが促進されることで、個々人が精神的な管理までされていると受けとめてしまうことでメンタル疾患増加を助長させる結果になりかねないのだ、特に大手企業では。ひょっとすれば官僚たちは、この安衛法の改正で新たな政府予算措置と実施組織の膨張を狙い、疾患の多発している情報通信や医療福祉事業の労災保険料率引き上げを念頭に置いているのかもしれない。
【公共機関の図るべき積極的対策の視点】
ところが、現在の社会共同体(社会)というものは、当事者の要望がないのに施策を行えば、不平不満ばかりか対立や制度不具合を生じさせるのが自然の成り行きなのである。これが哲学や社会学での現代的科学的分析の到達点である。良かれと思ってする行為も、当事者が尊重されなかったと受け止めるケースは、障害者や女性その他の差別事件で良くある話である。すなわち、一方が親切を行っていると思っても、相手方からの救済を求めるサインを確認していない場合は、「おせっかい」と言われても仕方がないのである。要は、自己決定権の課題である。
積極的な対策とは、救済を求めるサインを、より受け止めやすくする措置のことを指すと筆者は考えるのである。例えば、対策を打つのであれば、監督署ごとに地元主体のメンタルNPO団体の活動を形成促進することで、実施組織や措置の形骸化を防ぎ、初めて地元や企業の賛同も得られた上での、発生源の実態に合わせた産業・福祉・経済に資すると思われる。