2014/11/04

第151号

intelligence情報が整理でき切れていなくて、1週間お持ちいただきたく存じます。
日頃から、文章が長く込みいっていると、ご意見をいただいていますが、現在の段階ではあまりにも膨大且つ複雑怪奇な文章になります。どうしても、普遍的且つ読者の目の前が豊かになるインテリジェンスにまとめきれていません。一生懸命整理・分かりやすく致します。

そこで少し触りを述べますと、
現代社会の市場・マーケットは、ICT機器ネットワークで動いています。小売りや末端サービスだとしても、バックヤードにはICTネットワークが働くからこそ売り上げも利益率も確保できるといった経済構造が行き渡っています。
個人も企業も、円錐形の肉声メガホンの原理でICT機器を利用して、販売営業、組織運営、知人友人づくりをネットワークとして作っているのが現況です。家族関係はこのネットワークに侵されコミュニティーが成り立たないことが多々あり、そこに「家族とは」といった形骸化した固定概念とのジレンマで癒しの場が崩れつつあります。癒しの場が機能しなくなれば労働意欲や創造性が失われることは脳科学で既に証明されています。
確かに円錐形の様々乱立するICTネットワーク、
これを限りなく追求しても結果は無限です。それは人間ならば1/3の計算ができるのに、ICTではいつまでたっても計算をしている例えです。すなわち人間が判断する論理構成からみ出しているから、末端細部になれば管理や制御ができなくなるといった、合理性の基本が崩れていって、混乱繁雑が起こっている(=売り上げ、利益、豊かさにつながらない)訳です。この円錐形ICTネットワークが縦向けに乱立しているところを、
1.輪切りにすれば、今まで気付かなかった価値を見つけることはできます。
2.輪切りの仕方によっては、通貨流通と相まって金銭をかすめ盗ることができます。
この2つを区別するのは紙一重、自由平等原理と公序良俗(次々と変貌する概念)に触れれば、どれかの法律違反に該当するから警察・検察が弾圧することになるわけです。あのホリエモンを評して某法律学教授は一言、「あの人は法律を違反していないが、現代社会の原則である嘘をついてはいけないということを知らなかった」としたのです。もちろん、「今まで気付かなかった価値」を見つけたとしても、ICTネットワークを駆使したほどには利益はありません。
その解決策の実践は
次のことを分析して、個人も企業も根本から論理構成を切り替えれば、利益構造につながり利益率と利益絶対額は見込めます。それは、個人も企業もICTネットワークを使っていなかった時代の経営哲学や商人道に数多くありました。
もう少し具体的に説明しますと…
現在、ICTネットワークで流れているのは、情報といわれる中のインフォメーションが殆どを占めます。このインフォメーションをICT機器で取捨選択する場合には、インテリジェンスといわれる情報で行います。すなわち、インテリジェンスが入手出来なければ、ほぼすべてのインフォメーション情報は個別企業にも個人にも役立つことがありません。アナログ式intelligence情報でもってICTネットワークで流れているインフォメーションを整理するのは、体力消耗:精神疾患を招く確率が高いのです。部下とか社内に任せれば、益々intelligence蓄財が元より無いわけですから整理処理はできません。
……このintelligenceをICT機器でネットワークとして流し、言い方を変えればintelligenceのICTネットワークを個別企業ごと・個人ごとに造り上げて行くだけで目に見えて効果はあります。そういえば、当社の業務遂行方法、筆者の思考方法には少なからずintelligenceのICTネットワークが存在しています。

以上、このあたりの内容を具体的に分かりやすく整理し、みなさんのお役に立てたいと思います。もちろん、勘の鋭い方はピンとこられたでしょう、今述べましたように法則性を見いだし社会科学論文として通用する段階まで売り上げます。今しばらく余裕がなくとも、無駄な空回りは避けていただいて、「事業経営のネットワークとintelligenceネットワーク」を検討いただければと存じます。筆者が国際論文を出してフランス、イタリアで好評を受けた、無理をせずに余裕で売れる商品とは=「意欲・感動に加えて希望」を買い手が確信する物といったふうな法則性のことです。

2014/10/07

第150号

<コンテンツ>
利権の食い合い錯綜で「漁夫の利」しか稼げない勢力
年末に向けて増加するとみられる労働事件
 ☆労働事件の激化要素は3つある。
 ☆企業の就業規則不備を労働側弁護士が突く手口
 ☆増加傾向にあるのがハラスメント関係事件
個々人の労働能力を陳腐化させない、個別企業の決定打とは何か
 ・共通具体策1
  専門性、創造性、信頼性の能力を個々人の身に付けさせる方法である。
 ・共通具体策2
  何のために働くのか、何のために生きているのかとの課題提起
 ・共通具体策3
  労働意欲、労働効率、アイディア創造性のコントロール(制御と管理)
 ・共通具体策4
  刻々と変化する現代社会に内在する、変化の波を読み取ること


§利権の食い合い錯綜で「漁夫の利」しか稼げない勢力
なぜ、日本経済や個別企業の多くが衰退傾向に向かっているのか、その答えは簡単である。すなわち、日本国内の労働者の労働能力が陳腐化若しくは能力低下を起こしているためである。それは、ものづくりの能力から世界の隅々に売り込みに出かける能力すべてにわたってである。
当座の経済成長のために通貨の大量発行その他の金融政策を進めたものの、円安が進行しすぎて輸入価格が高騰、株価を買い支えしても、全くもって結果は冴えず、いよいよ金融政策の行き詰まりが見えてきた。ここにきて霞が関財務党は大手マスコミでもって、消費税引き上げ問題の世論を浮揚させている。イノベーションだの観光立国だの農林水産資源だの、まるで思いつきのように次々と様々な話題をマスコミが提供するものの、肝心な国内労働者の労働力が陳腐化していることで、その金融政策の効果は空回りすらしていない実態なのである。他の先進諸国と比べて、インドやウクライナといった「与信管理不透明国」に向けてばかりの日本売り込み報道が目立っている。くどいようだけれども、日本企業の中国撤退に因縁を付けられて賠償請求されている日本企業の保護はされてもいない。
挙げ句には、昨夜もNHKスペシャルで放映していたが、防衛省が武器の売り込みを世界展開しているという。その放送からはアメリカとの武器交易の促進目的がうかがえたのだが、実は積極的に日本に接近して来たのはフランスとイスラエルとのこと。この2国は武器製造技術については超世界レベルであることから、日本から日本製武器を幾つか見本として購入すれば即刻分解して、フランス産やイスラエル産の武器新製品を売り出すことは当たり前のことである。
大手マスコミその他の記事にある、「デフレ脱却」とか「日本再興」といった枕詞を額面通りに受け取るようでは、今や経営者や管理者としては失格である。耳障りの善し悪しに関係なく、陳腐化した労働能力の持ち主の労働者にとって、「デフレ脱却」とか「日本再興」の言葉は、単なる安心感と言い訳をもたらす号令にしかすぎないのである。政府系シンクタンクですら、「大手企業の新卒採用者は実行力があっても想像力がない」とか、「日本の全要素生産性が伸びていないのは教育訓練の機会に恵まれない労働者増加が一因だ」とまで、はっきり指摘されているのが日本の事態なのだ。
だからこそ、
IMF専務理事のクリスティーヌ・ラガルドは、9月12日に経団連主催・日本政府共催のフォーラムの基調講演で、日本政府が進めようとしている女性対策について、事実上の痛烈批判を行った。その内容は、「課税単位を世帯から個人に変えるなど経済政策や法制度の改革、企業文化の転換」が必要な取り組みと提案したことである。日本政府首相の冒頭あいさつに対して、真っ向から異なる政策ポイントを示したのだ。もちろん、厚生労働省が進めようとしている出産育児・介護医療・年金制度といった事柄では「経済政策や法制度の改革、企業文化の転換」には及びもつかないという内容のものだ。
こういったことがテレビやマスコミで報道されないのは、
今の利権に「あぐらをかきたい」人物にとっては、マスコミ関係者も含めて様々な報道がなされることで利権を失うからといったことが単純な理由である。現在日本で、それなりに研究された信条やイデオロギーで報道がなされているケースが少ないのも、また然りである。


§年末に向けて増加するとみられる労働事件
経済成長低迷と経済豊かさの後退が進んだとしても、きわめて多くの国民は、せいぜい文句をつぶやく程度である。霞が関財務党は、そのことを良く知っているから民間個別企業の経営実態を無視して短時間労働者への社会保険適応を進めるばかりか、いよいよマイナンバー制度を社会保障給付の効率化と称して介護医療費の削減政策も打ち出して来た。日本円通貨での決済を続ければ益々個人消費が落ち込むことは目に見えている。財政赤字と言っても、年金国債(相続税対象外:利息年1回支払いのようなもの)を発行推進(ただ霞が関財務党の基盤が崩壊)すれば1,000兆円の借金は解消できる、公共事業政府とはそういうものである。にも関わらず、ことさら通貨金銭にかかわる経済政策ばかりを進めていれば、それは社会も個別企業内も、「金、金、金!」の思考パターンに止めのないことは間違いない。まして、社会システムで解決可能にも関わらず、必要もない財政赤字の借金返済という恫喝を国民にかけ続け解決を放棄すれは、一般人は希望や意欲など削がれてしまうのが当然である。

労働事件の激化要素は3つある。
1.政府の賃上げ放言に、それとは無関係な有期労働契約者が反発するレジスタンス
2.労災事故の危険予見性論(新しい法定法理)による、非効率事業への法的直撃
3.トラブルを悪用して特技・国家資格を活かそうとする弁護士や労組役員の存在
である。そしてこの3つの要素共に経済・金銭とは別の根源的理由が影響している。
それを巷では感情・人格・人権・意思疎通・人間関係といった現象面を見ただけの種類に名称をつけて、あれこれ議論しているにすぎない。挙げ句、(あまりにも名称や分別種類が多くなってしまったことから)、どんぶり勘定で、「個人のコミュニケーション能力の有無」と曲解しようとする人も多い。事件化を受ける会社側は、「なぜ大した利益もないのに事件を起こすのだろう?」と経済的視点で考えがちであるが、労働者は金銭の持ち出しさえなければ経済的利益のために、あえて事件化しようとするわけではない。
陳腐化した労働能力で事業を回そうとする企業(=ブラック企業の要因)の多くは、昨年の労働契約法改正に伴う社内制度変更が進められていないのが現状である。ここでの非正規労働者のレジスタンスに狙いを定めて、労働系に限らず少なくない弁護士(弁護士の生活の収入低下&借金増)が仕事と生活の場を求める傾向にあることだ。とりあえず貧困ビジネスとしての動向は、消費者金融利息過払といった誘惑フレーズでの弁護士・司法書士の手続き報酬荒稼ぎである。それは次々とCMが流されているところを診ると「顧客?」に不足はないようである。

企業の就業規則不備を労働側弁護士が突く手口
だが確実に、労働事件の激化といった動向は厚生労働省主催のパネルディスカッションでも大きな話題となっている。ところが、一般的に言って労働側の弁護士たちは、経営側の弁護士に比べて学問的にも立証技術的にも有能であることから、労働契約法を持ち出されると敗訴若しくは和解金支払いの道しか残らない使用者側の実態なのである。就業規則を作成していても十分に周知していなければ無効となる。また、協調性や規律性のチェックフォーマット欠如といった曖昧な(好き嫌い)判断をはじめ、普通解雇規定が具体的に整備され、労働契約ともに労働者に周知されていなければ敗訴する確率は極めて高くなる。
もちろん厚生労働省も労働政策として非効率企業やダンピング企業を国内から排斥したいわけだから、労働事件の増加を見越して労働契約法の周知を進めるのである。コミュニティーユニオンと言われる労働組合は、その多くが法理論に弱いから勢力数や事件確率からすればトラブルは少ないものの、当たれば企業の損害賠償額は少なくない。5年ほど前までは、労働者が受け取る賠償額が50万円程度を超えなければ事件化しないとする若者も多かったが、今や十数万円をめぐるトラブルも増えている。加えて最悪なのは、会社側がビジネス手数料優先の経営側弁護士の餌食になって、事件の長期化、決着の先延ばし、裁判官と共に会社へ和解を強迫的に迫るなどして「弁護士労働時間」を削減し弁護士業務利益率向上を図る傾向にあることだ。
加えて最悪なのは労働事件を引き受けている殆どの弁護士が、ペーパーライセンスに毛が生えている程度か、経営側弁護士はビジネス優先に目がたくらんでいる実態が殆どである。国家基盤の政策的見地からすれば、それほどに弁護士という職業が、「司法制度の担い手であり、司法の質と維持につき特別の責任を職業」とは成っていない現実であるから、事業主や労働者の自由平等を擁護するといった理念が、弁護士業務の柱にしていないところからくる現実(巷で弁護士職業のビジネス化と表現)なのである。
弁護士や労組役員たちに、トラブルを悪用しようとする者が後を絶たないのは、近年新設された労働審判制度の運営実態も関係している。労働裁判の迅速化を大義名分としたこととは裏腹に、この制度の実態は、解雇問題ともなれば、「6ヵ月程度の解決金」が相場であるとの意味不明な和解を労使双方に持ちかけるなどして裁判所決着をつけようとするところにある。実に、使用者側には敗訴の可能性があると脅かしをかけ、労働者側には専門用語と自己責任を使って本人にあきらめさせようとする裁判官が後をたたないことである。会社側弁護士は裁判官に盾突くわけにはいかないし、労働者はあきらめながらも半年分の賃金で手を打たされるのである。ただし、労働者側に労働事件専門弁護士が付いた場合には、弁護士報酬は別として、解決金での和解だとしても常用雇用であれば1千万円は超えるし、非正規であっても100万円を下回ることは無い。こういった労働事件の決着情報すら流れない訳だから、トラブルを悪用しようとする者にとって国家資格の有無を問わず、言い放題かつやり放題の荒稼ぎ市場となっており、特に企業が狙われることになるのだ。

増加傾向にあるのがハラスメント関係事件
労災事故に至らないまでものパワーハラスメントその他の様々なハラスメント事件増加である。この場合、ハラスメントの立証方法としてメンタルヘルス不調の診断書の有無が決定的に重要な意味を持つ。
ところが最近、労働契約法の安全配慮義務の解釈は事業主の配慮義務が前提であって、使用者側がメンタルヘルス不調を見逃したことでは弁解はできないとする判例(最高裁26/3/24東芝事件)が出され、その「新しい法定法理法」である。もちろん、この判例前後には各地の裁判所では、労働契約法の安全配慮義務の管理を怠った企業側が次々と敗訴している。加えて、労働問題は学術学問論理と異なっていることもあって、労働基準法や労働契約法の脱法行為に対する判例や裁判例が重なり合って相次いでいるのである。
そういった裁判官の判断に共通している事柄は、個別企業の非効率事業における管理システム形骸化&制御装置・措置の欠落といった企業側不備を指摘している点である。とにかくハラスメントにまつわる事件が続発していること、労災事件や労災事故でもハラスメントが関連する精神疾患が急増していることは確かである。


§個々人の労働能力を陳腐化させない、個別企業の決定打とは何か
(雇用者数や受け皿、個別企業の打開策決定打は前回メルマガ参照)
現代社会の実態からすれば、労働者というものの存在を曖昧にして制度やシステムは語れない。ひとつの企業への専属制を問うことなく労働契約法が適用されることは、世間ではあまり知られていない。労働基準法は企業に専属している労働者を対象としているが、見落とされがちな問題=理不尽・ダンピング・公序良俗に反する事行為といった事業行為を行う事業主の規制をしている点の存在だ。要するに、労働者を雇うということは、使用者と労働者が「何らかの労働成果と定められた報酬」について契約することに尽きるのである。それをアレコレと論じていても、社会構造は労働契約として扱われるのが今の経営環境なのである。なのに、日本においては、管理者も現業労働者もサラリーマン化してしまえば行政機関や専門業者を信用し切ってしまい、その言葉巧みさが見抜けなくなってしまう程度に労働能力が陳腐化していることにある。
それは、経団連の行った新卒採用アンケート(660社回答)の結果を見ても、採用選考にあたって重視した要素がコミュニケーション能力82.8%、主体性61.1%、チャレンジ精神52.9%が、全体の50%を上回っている実態なのだ。そもそもの経営幹部やイノベーション牽引者に不可欠な能力は次の3つだが、専門性13.1%、創造性12.6%、信頼性12.3%となっており、このアンケート結果には、その先行きの絶望さが現われている。
このアンケートひとつ見ても、大手企業の労働者が「上意下達」型に偏り切っていることが示されており、
イ)確かに実行力はあるが予算が付かない限り働かない、
ロ)創造性とは無縁な仕事しか思いつかない、
ハ)限りなく重箱の隅をつつくような作業に費やす業態に大手企業が陥る。
といったことは歴然としている。
では、先ほどのアンケート項目の専門性、創造性、信頼性の能力が高い労働者は、もともと大手企業にいたにも関わらず、現在どうなっているのかと言えば、およそ20年前から大手企業の多くでは窓際に追いやられるかリストラ対象とされたのである。そしてその多くは未だ活躍のステージには戻れていないのが現実である。

共通具体策1
専門性、創造性、信頼性の能力を個々人の身に付けさせる方法である。
コミュニケーション能力と称する曖昧かつ不安を煽るような話は、この3つの能力の無さを表すものである。日本の「能」とい伝統芸術を編み出した世阿弥は(原文解説はさておいて)、
「悩み事があったら、まずよく寝る。困ったことがあったら、1週間はほっておく」
そして、「ことを決断したら、一晩よく眠って、もう一度起きてから考える」
という意味のことを言っている。そう、これだけで、この3つの能力を醸成・熟成させる訓練ができる。うつ病や人格障害系精神疾患も相当防げることになる。ICT機器を使うがICT機器を活用できない人物には、専門性、創造性、信頼性が極めて欠けている。増して欠落したこの3つの能力をインターネットに頼る性癖だから、実行力・指導力・統率力といった企業活動に必要な能力がことごとく衰退して行くシナリオなである。
さて、その後に初めて経営幹部候補者には、書籍・文献を読ませることである。ただし、受験勉強の訓練ばかり受けていると、他人の話を鵜呑みにしてしまうので、個別企業に群がってくる「言葉巧みな人材」に引っかかる若者ばかりである。あるいは自己啓発の意味理解を錯覚して本屋に通い、巷で流行させるがための目的で執筆された「自己啓発本」を買いあさり、自己満足に陥って協調性や論理性を益々欠落させてしまう。
あらゆる書籍・文献から「物事を学ぶ」ノウハウとは、
それが書かれた時代背景や必要性を把握した上で、筆者の「言いたかったこと」&「その証明技術技能」を見て行くことである。このノウハウを備えていれば何かを学び、無駄な学びは避けることができるのだが、無いものだから何を勉強しても評論家ぶって仕事の邪魔にしかならない。ついでの話であるが、宗教は異なっても道徳は同じであるから如何なる宗教系書籍もよいことが書いてあるので、その時代背景や必要性を把握しながら読み進まないと、およそが「カルト宗教集団」の手先と化すのである。
現在の日本で、現代世間で有能と言われている人物は、「文章を要約することに長けている」との自信をもっているが、それこそが専門性、創造性、信頼性の能力を萎えさせていることに気づけないのである。学校のテストの答案の様にしか報告書の書けない人物であっても、まだマシな従業員といったほどの実態なのだ。それは、ゆとり世代前の30~40歳代に集中している。
これらのノウハウは、直に物事の体得者からインタビューする場合でも同様のことがいえる。
(参考資料…脳科学の知見から働き方を考える「読む、書く、話す。」の重要性)
http://www.nira.or.jp/outgoing/vision/entry/n131218_720.html

共通具体策2
何のために働くのか、何のために生きているのかとの課題提起
を個別企業ごとに説くことである。個別企業は公共機関ではないから、「人それぞれには考え方や目標がバラバラである。」……なんてなことを言っていれば、=会社の経営戦略・戦術・アクションプランまで、「人それぞれである」と説明しているようなものだ。社是社訓は、そのほぼすべてが企業創業時のものであるから、これからの日本が置かれる経済環境に適応するわけがない。
特に、日本で根本的に誤解されている事柄を2つ挙げて置く。
ひとつ目の誤解は:
ヨーロッパでは、自由平等の概念が成立する以前の時代に、個人の人徳の確立が前提となっていた。その人徳とは=自らの生活の豊かさを確保=した上での事柄(人徳)とされていた。だから、自由平等とは生活豊かさ概念なのである。…といったことが日本では研究されていないのだ。そんなこともあってか、ばかげた宗教や道徳論を商売のネタにする輩が発生する。論語に至っては古事記や日本書紀よりも未熟な哲学(生き方・宗教観)であることすら知る人は少ない。
2つ目の誤解は:
フランス市民革命に出てくるスローガン、「自由、平等、博愛」の概念である。自由・平等を考えるときの前提は先ほど述べたが、博愛との日本語への翻訳が間違っていた。欧米の「愛する」という概念は日本には存在しなかったから、中世当時は「大事にする」という日本の言葉をポルトガルの宣教師たちは戦国時代に使用した。ところが、「愛する」という概念と形態は世界各地に多種多様にある。すなわち、「愛」という図形キャラクターを個々ばらばらに連想するから混乱するだけであり、その時代や国の現行社会制度の1歩先の良心から連想すれば混乱は防げるし、より多種多様な「愛」を理解できるのである。
よって、話を本題に戻して、博愛とは「同胞愛」とか「目的を共にする友情愛」と、その当時でも翻訳されるべきものであった。ここから先は、「本当にそうなの?」という貴方自身が確かめる方が納得するだろう。
話を進めて、だからフランス流の考え方は、「植民地差別が厳しい」のは当然、「法律を知らない貴方が悪い」といった理屈にもなるのである。で、当のフランスは現行結婚制度が、生活の豊かさを阻害し少子化も招くとして、別枠結婚制度を新設したと考えるのは妥当だ。カトリックの国だからとかロマンスの国だとか、ほぼ揶揄と同等な議論は日本独特の下世話な会話であることがわかる。
すなわち、日本のように、「自由平等の正義をとるか、自分自身の生活を守るか、そのいずれかを悩む?」といった、そのような愚問はグローバルな基準では考えないのだ。
(筆者「=人が生命を生きるとは何か=」…人間は金銭や生活のために生きてはいない)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/26

共通具体策3
労働意欲、労働効率、アイディア創造性のコントロール(制御と管理)
脳の働きや脳科学の研究によって、いわゆる「やる気」というものが簡単な仕組みであることが解明されてきた(詳しくは今年の春のメルマガにも掲載)。例えば、人間の行動をつかさどる「意欲・感動・希望」、これは個別企業の商品開発の柱(固有価値商品論)でもあるのだが。
意欲=
脊椎動物に共通する頭脳の働きで、血液中の糖分が低下すれば食欲が起こり、血液中のナトリウムNa濃度が高くなれば水が欲しくなる。
◇1.空腹感を覚えたときに高濃度ブドウ糖液を少量ずつ飲めばダイエットができる。
◇2.高い塩分食事をして水を大量に飲めば血圧が上がって元気な感覚を覚えるが病気になる。その反対のことが、夕方に疲労感を覚えるのは血圧低下が原因であるから0.3%食塩水をコップに1~2杯飲めば元気になって栄養ドリンクの必要はなくなる。0.3%食塩水は貧血現象?にも有効であるが、そもそも貧血という病気はない。
◇3.空腹や疲労は意思決定者の寛大さを損なう(コロンビア大学研究より)
◇4.労働意欲について言えば、気晴らしの感動や将来の希望よりも、就労直後の食欲や清涼飲料(ビールなども含め)に期待する行動の方が、当座意欲への影響が強い。
◇5.風邪といわれる病気は存在しないのだが、医師などが風邪と称するのは鼻炎→咽喉炎→気管支炎といったもの、その初動治療は鼻炎の段階で0.45%食塩水で鼻の中を洗えば痛くないので、雑菌ともども排出され風邪を防ぐことができる。
◇6、大気汚染のPM2.5は風邪の病状進行順番とは異なり、それぞれの個所を直撃するのが特徴である。PM2.5の除去は、エアコンの空回しだけでも清浄効果はある。とにかく、元気に働いてくれる意欲が肝心なのである。
感動=
人間が感動するという気持ちの認識は脳内のドーパミン分泌作用である。
◇1.太陽の光を浴びることで分泌は促進される。太陽でなくとも室内が明るい状況を保つだけでも人間は感動を覚えて仕事をするのである。感動を覚えれば楽しくなってくるから、当座の仕事もそれなりに促進されるわけである。お肌が気になる人の紫外線対策の決定打は透明UVサングラスであることもあまり知られていない。ドーパミンが大量異常に分泌されると統合失調症となるが、太陽光が原因で統合失調症になることはない。
◇2.節電といって蛍光灯を減らすのは感動的仕事をストップさせるものである。消費財の小売販売は照明が決定的な要素を持つ。夜の公園も水銀灯が輝けば少年防犯対策になっている。薄暗い場所で仕事をさせるのは賃金コスト効率の不採算である。
希望=
人間は希望があるから様々な行動を活発に行おうとする。「この会社にいても将来がない」と思えば働くわけがない。現実に若者を採用する場合、「楽しい異性が居なさそう」となれば求人採用活動に影響が出るのは何十年も前からの定石である。そこで人間が持つ希望というのは多種多様であり次々進化していくから、いかに頭脳において希望をつかさどる左右の前頭葉の血流を活発にさせるかが決定的となるのである。巷では右脳とか左脳とかの話題が多いが、右脳や左脳がそれぞれ単独で働くのではなく左右の血流が活発化して相互総合的に働くことが解明されている。さて、いくつかの方法は解明されてはいるが、まだまだ希望についての決定打となるものは、脳の働きや脳科学の研究分かっていない。個別企業でとりあえず着手できることと言えば…。
◇1.音楽を聴くと、集中力や意味処理、運動機能、感情処理関連する左脳と右脳の領域が活発化される(ヘルシンキ大学研究から)
◇2.音楽の好みの一部は性格の特徴を反映している可能性が高く、その影響は支持する政党の選択にも影響(アメリカの音楽データ会社から)……だとすれば、比較的単純な事務作業や定型的事務作業に従事する場合は、各自がヘッドホンを掛け、自ら用意した好きな曲を聞きながら作業すれば効率がよくなるという訳であり、室内全域に流すBGMは作業の非効率を誘発していることとなる。
◇3.事業の経営方針を説明して、様々に場所を変え方法を変えてディスカッションすることは専門性、創造性、信頼性を柱としている固有価値商品を扱う企業では不可欠となる。事実、そういった方法で活躍し利益率が高い企業の事例は数多い。午後の喫茶コーナーまで作る会社もある。
◇4.日本の大手企業の多くでは今更、専門性、創造性、信頼性を柱とする土壌が崩壊しているから、経営方針を説明しても効果が期待できない。むしろ大手企業では労働時間大幅削減による家庭その他の個人的ストレス発散でもって定型業務を進め、むしろ労働者の希望に頼って業務を進めることは避けた方が良いのだ。よって、そこでの労使紛議は必要コストと割り切るしかない。
◇5.不満を発散させる対策(気晴らし)はストレスを伴うから希望にはつながらない、むしろ癒される行事に積極的に取り組むことで希望をつかさどる左右の前頭葉と血流を活発にさせるようだ。その意味で、誠にボランティアが好きな人には、癒される行動となるわけだ。……ただ、それにまつわる具体的行為や品物は世界中の人が探し回っているけれど、そんな大発見そのものの存在に、今は夢をかけるしかない。
◇6.とはいっても、とりあえずは経営環境を分析して、他企業よりも他国よりもドラスチックに打ち出せば…希望は叶うのである。
(筆者が楽しみながら研究する……脳の活性と癒しの文化(体験型)芸術産業事例)
http://www.youtube.com/watch?v=xB5QrOfxTRQ
(そのチラシも簡単、お客様の個性を引き出せるのがプロの仕事と割り切って)。
http://www.projectcinq.com/blog_musicsalon20141030/

共通具体策4
刻々と変化する現代社会に内在する、変化の波を読み取ること
決定的変化の流れを作り出しているのが、インターネットやICT機器を用いることでの、ICT産業革命である。古代・中世=材木、石材、梃子(てこ)の原理と車輪程度の機械しかなかった時代は略奪経済であった。金属、蒸気機関、時計などが投下資本経済(資本主義)であり、そして今やコンピュータは資源エネルギーや人間の能率・能力・技術に劇的変化を与えている。例え話を挙げてICT産業革命の真っただ中の激変時期を説明するとすれば…。それは、人間関係の在り方、結婚の在り方、出産の在り方、家族の在り方、高年齢生活の在り方その他の全般にわたって、つい先日の常識(みんながしていること)とは異なる事態が、インターネットやICT機器によってひき起こされている現実=世界産業革命である。そこでその具体策とは……。

1.会社の経営方針や経営計画を策定するにしても、
当初はコンピュータ活用により、諸効率の無駄を排除する利点が認識されたが、現在では個別企業の製造・サービス・販売現場に経営方針を適合させると、限りなく「解」のない事態に陥るジレンマとなっている。ICT機器を使いこなせないと一面では目移りする情報の取捨選択能力が退化して実行力・想像力共に消滅してしまう、いわゆる口先人間となる。他面では部下の実行力・想像力の消滅をまのあたりにしてICT機器の使用拒絶が生じ、こちらでは時代的な退化と「お払い箱」を生じてしまうのである。実行力・想像力の消滅は30~40代の男性労働者に多い(誰も統計を取らない)ことは、労働問題の専門家としては肌で感じられる。「1/3」とか「1/0」の計算が、コンピュータや電卓ではできない。すなわち経営とは想像・創造・構想といった一連の作業を伴うが、ICT機器から飛び出してくるインフォメーションをいくら積み重ねて見ても役には立たない。
まだまだ圧倒的多くのインテリジェンスは未だ書籍や体得者の長話の中に有益なものが存在し、せいぜいインタビュー先がICT機器で調べることができる程度なのである。それでも昔に比べればICT機器によって効率が比較的に高くなったのだが、取捨選択能力の持ち合わせ自体がなければ、実行力・想像力共に消滅の一途である。だからこそ先ほど述べた、「悩み事があったら、まずよく寝る。困ったことがあったら、1週間はほっておく」といった訓練から始めさせるしかないのだ。

2.商品開発、経営組織運営、マーケット調査その他に至っては、
従来からのでも末端従業員や顧客との関係が繰り広げられる現場では、さらに限りなく「解」のない事態に陥っていると見た方が妥当なのである。昔流の方針や通達を出せば出すほどジレンマに陥る。そのせいか昔流の基本原則を踏まえないものだから尚更末端現場では混乱が起こっている。またその基本原則である商業やマーケットの組織化(オルガナイズ)の現役が数少ないから学ぶことすらが難しいのである。挙げ句、この現象を見て従来の経営学をことごとく否定することをセールストークにしているコンサルタントまでが現れる混乱ぶりである。解決の要諦は基本原則を踏まえた経営学手法に向けて次々とICT機器による分析から出て来た(事実の羅列ではない)事実関係を理論化して組み入れることである。どうもそれは、歴史が繰り返している通り、商品・経営・市場の次世代理論はアカデミック学者には着想がなさそうだ。

3.日常的に流れる、「その背景に何らの意図や意味を持たない」言語やフレーズ
これが、ICT機器から飛び出して来た瞬間の我流解釈で物事を判断させないようにする訓練が重要である。メディア制作者からすれば、読者や視聴者がどのような受け止め方をするのかを操作することはきわめて簡単なことである。それがICT機器により大量安価で行えるから、「1匹のカモが引っ掛かった!」だけで成り立つといった邪心が随所に生まれるのである。専門性、創造性、信頼性とは無縁な環境に育った人物が、ICT機器の奥底にある邪心を見抜けるわけがない。だからといって、こういった邪心を規制しようとしても、ICT機器を遮断するわけにはいかないから、これを誰ひとりとして規制することはできないのである。むしろ、規制が出来たとしても規制範囲内の労働者はICT産業革命の中で、生命自体が消え去る集団でしかない。
電話取引が主流だった時代には、思わぬ勘違いや行き違いに対応する手段として、大型取引をする際は電話での無駄話をあえて話し込む方法を使っていた。ところが、現在ではほぼ通用しない。構想企画書やミーティングでの説明といったことも、専門性、創造性、信頼性とは無縁な環境に育った人物は聴いてもいない。そこで、「相手方がどのように受け止めるかを考慮する必要がある?」といった論理が湧いてくるのだが、これこそ専門性、創造性、信頼性を益々能力劣化させることになる。その結果現在は、新たな形骸の「思わぬ勘違いや行き違い」が続出していて、非効率不経済な事態が各所で続出している。
……ここでの「解」は、文化芸術と経済活動や豊かさの結合した水準をICT機器が媒介して解決するとしか言えないであろう。(これでは、読者の貴方にはいったい著者が何を言っているのか分からない)。ところで、そういった「解」は具体的に社会に目に見えるものとして出回らなければ理解されることはない。
(ICT機器があったからこそ、可能性がでてきたレストランや音楽芸術産業)
http://www.youtube.com/watch?v=xB5QrOfxTRQ
……そう、便利なもの&生産者本位の物が売れる時代は過ぎ去っているのだ。

2014/09/09

第149号

<コンテンツ>
霞が関財務党主導の経済対策で、
経済政策の、「負の巻き添え」を喰わない!
ICT産業革命の真っただ中で、何が旧式経営だとして衰退するのか
無料滞在研究施設=「近江経世塾」の開設案内


§霞が関財務党主導の経済対策で、
明けても暮れても退屈な話ばかりである。
それぞれの立場のある人からが、それぞれのネットワークとか組織を運営しながら、物事を進めようとする観点から経済対策を診るだけで、現在の経済政策が空理空論で見通しのないことは一目瞭然である。マスコミネタとか何処にいても万年野党タイプの人にとっては議論が花盛りである。「どう考えても不可解な経済対策だ!」と肌で感じる方が正常な感覚なのである。ただ、残念ながら正常であることをある種論理的に説明できないだけのことである。この4月以降の経済の落ち込みが数字として出てきた。マスコミは、「リーマンショック以来の落ち込み」だと報道したが、この報道すら予測済みなのである。“霞が関財務党”は、空理空論が見抜けない人たち、万年野党タイプの人、経済経営に無知な人といったところの政策誘導に重点をおいているようだ、すなわち、内閣改造といったマスコミ向け演出も含め、口先だけ美辞麗句を並べタイミング良くマスコミネタの演出をさせることである。
まして、支払い能力に疑問のあるインドへの進出、貧乏且つ政情不安なウクライナ進出では代金回収ができない。なによりも中国撤退企業に襲いかかる賠償金請求への対応こそ外務省や経済産業省の仕事であるはずだ。実に日本は、先進各国が非積極的な地域にしか海外進出できないくらいに、日本製品の需要は劣化し減少しているから仕方がない。多くの情報も、グローバルに通じない経済談義や唯一国内向けの自慢話の目白押しである。…これは現状把握として正しいが、霞が関財務党の如くに刹那的に保身目的での現状把握では経済の成長も豊かさも無縁な話になる。そういった「民間企業が開拓した後に政府が後押しする」といった官僚的政策態度だから、益々一般国民や公務員末端への刹那的感覚をむき出しにしてしまうばかりである。
第2次世界大戦前夜から終戦にいたるまで、日本の少なくない経営者は日本軍の占領・庇護のもとに、「ただ偉そうにしたいだけ」のビジネスマンをアジア各地に送り込んだ。当時の第一線ビジネスマンを何人もインタビューをしたことがあるが、ビジネスというよりも、本当に「ただ偉そうにしただけ」で商業や経営といった感覚ではなかった。またぞろ、海外に送り込むためのビジネスマンで使い勝手が良い人物は、そういった種類の人材なのだろう。「ぐちぐちと文句ばかりを言いながら組織の安定を図る」に長けていたビジネスマンには、文句さえ言わせておけば、しばらくすれば貧乏に耐えて消え去ると言うわけであろう。そういったことを念頭において経済政策を進めているのではないかとの仮説を立てたとすると、見事に次から次へと並べ建てられる不毛な経済政策における、一貫した理屈は成り立つのである。「人のうわさも75日」だから、年齢に関係なく余生を浮き草のように世論の中で漂っていれば何とかなると思っているのであろう。それを見習って個別企業でも同様に、浮き草のように漂って経営管理をすればよいか?との、悪影響を受ける人が増えているが、それでは貧乏に耐えて消え去る道しか残ってないのである。だから、現代の流浪の民なのである。


§経済政策の、「負の巻き添え」を喰わない!
では具体的にどうすれば、その話が聞きたい!その答えのいくつかは次のとおりだ。ただし、「ただ偉そうにしたいだけ」に人生の生きがいを求め、万年野党で自らの存在感を保ちたい人、すなわち浮き草のように漂って目先に生きる場合は、いずれにしても事業経営の実行力の持ち合わせがないのだから、「答え」を殆ど理解できないはずである、読者のあなたは理解できると思うけど…。
1.金銭の決済は、霞が関財務党に翻弄されるから、少しでも日本円を使わないようにして、ビジネス意識を変える。
2.いかなるビジネス手法、テクニック、思索・作戦にしても、「諸刃の刃(やいば)」にすぎないから、組織やネットワークを束ねる要素を念頭に置くこと。(例えば、「心と気持ちも込める」とか、「愛と勇敢さが生きる原動力」とか、「すべての行動は心の持ち方から起こる」といった事例である。社是社訓は創業期のものが多いから注意である)。
3.自他共に、個別企業内外での、労働力(労働ではない)の無駄遣いとか、「気晴らし」を要する作業や個人生活を徹底して減らすこと。
4.復古主義じゃあるまいし、ドラッガー経営学その他の耳ざわりは良いが根拠の薄い人生訓や哲学を他人に押し付けないこと。
5.いわゆるダンピング取引の誘惑に陥らないこと。アメリカではコンプライアンスがダンピング阻止の手段となっていること。
6.物事を白黒判断すると心理負荷は軽いが、ICT産業革命では取り残される。白黒判断を、思い余って「相手に抱きつくように意思疎通」を図ろうとするからこそ、相手から敬遠されることを自覚する必要がある。白黒判断が好きな性格人物が中道・是々非々を口にした場合は、その変化に注意すること。
………読者の中には、この1~6までの各項目とまとまりに疑問を持つ人もいることだろう。
この項目を選び、この“まとまり”をつけた基準は、霞が関財務党の餌食になっている人たちとは、霞が関財務党の理念に溺れている人や個別企業ばかりだという基準からだ。
溺れている人や個別企業は、みるみるうちに貧乏になって行く場合もある。「ただ偉そうにしたいだけ」に人生の生きがいを求める人は運が良くでも徹底して使い捨てられ挙げ句、やはり貧困としか言いようがない。万年野党で自らの存在感を保ちたい人は、霞が関財務党のおかげで発言ネタを獲得できるというチャンスを与えられるが、経済の成長や恩恵とは無縁な立場を強いられる。現代社会では物事の白黒判断をつけたい人は現実離れの危険行動(それは社会現象ともなり、ストーカー、DV、高齢男性旧恋愛観など)を生み出している。
個別企業の経営管理、それはやはり、「小さいながらも政権与党!」である。
総務人事部門のあなたには、やはり政権与党としての気構えが重要だと思う。決して貴方のそれは霞が関財務党のような税源に群がる影の存在(日本国憲法により公務員は表に出れない)といった代物ではないのだ。間の抜けた経済論議に労働力の無駄遣いをしても、ただただ時間の人生は過ぎて行く…。


§ICT産業革命の真っただ中で、何が旧式経営だとして衰退するのか
経済がグローバル展開するなかで、また、ICT産業革命と言われて久しいが、個別企業での具体的事業手法で、何がふさわしい経営管理手法として重視され、何が旧式経営として排除・衰退して行くのかは、まだまだ解明されていない。国内の地方企業であってもグローバル展開との関連がなければ衰退することは確かで、ICT機器が導入されなければ時代に遅れに話されるとか、そういったマイナス方向の議論や恫喝はやはり主流である。
日本的経営の労働生産性は世界有数の低水準であり、個人の幸福を差し出して表面安定を望む生活行動も強い。海外進出やICT機器導入といっても、結局は企業や労働者の身売りであったり、ICT機器は単なる高価格道具としか理解利用できず、経済的恩恵(経済の成長や豊かさ)を受けるまでに至っていない。OECDその他のシンクタンクが日本の内需拡大を呼びかけるのは、その経済的恩恵を国内に広げることで、初めて日本が世界の経済を牽引することが分かっているからこその理由である。今時の先進各国は、後進国が海外進出をして経済植民地を拡大させることを許さない。
そこで、ICT産業革命ともいえる経営管理の具体的事業手法を一部紹介する。
こういった手法の成否を決める学術理論は、今日までの経済・経営理論の前提には、人間が合理的理念(これは今や、道理に近似したグローバル概念と見た方が妥当)に基づき、実施段階や恩恵を受ける人たちにも合理的理念が存在することを前提とした、「単なる手続手法」との意味合いである。だが現実には、本来、世の中で正義とされて来た合理的理念ではあるが、このグローバルな商品流通は正義の成否にかかわりなく需要を満たす動きとなっている状況だ。これをいち早く指摘してICT産業革命での意識変化をとらえようとしたひとつの著作が、「これからの正義の話をしよう」(マイケル・サンデル)なのである。(注:日本と世界では正義の基準が違う)。
すなわち、内容のいかんを問わず合理的理念で物事を進めようとしても、運用や需要に合理的理念の外の手法が横行し、それが経済活動のプラス&マイナスを形づくっているということなのだ。これに我慢ならない人は(世界的にも)、昔の形式ばった社会の理想を復古したがり(とは言え:裏で不正を必要悪として取り入れるから)心情的信用を失うことになっている。どちらか言えば、日本での復古に興味を示す傾向は、単純なグローバル追随の内心での色合いが多く、実態は「日本を語るが、日本文化を知らない」といった現状、これは左右いずれかの思想傾向を自負する人におしなべてあてはまる。加えて、「単なる手続手法」ばかりを追求してしまえば、事業経営の長期的破たんを無意識のうちに招来し、経営者や管理職は招来した負のシガラミから抜け出せず、ことに日本の信用保障制度の現行(封建的経営感覚)法体系も影響して、個人生活までが破壊滅亡させられてしまう。だから、ここにいくつかの事例を示すが、実施においてきわめて慎重になる必要があり、勇み足の無責任労働者が事業の顛末を考えずに、ICTの「単なる手続手法」を起案してくれば警戒をする必要があるのだ。
(A)対消費者サイトでの文章表現では、
初回のメッセージは陳腐な表現を避けた方が反応効率が高く、また、平均的に良く似た人物であれば魅力的な人気者よりも評価や外見対する感想に多様なばらつきがある人物にメッセージがくる確率が高い。アメリカなどでは出合い系サイト事業者が、最初のメッセージで返事が来やすい表現を徹底研究している。
(B)人間関係の継続要素は、
人口統計的な特徴よりも、「振る舞い」の特徴に基づく要素が的確に予測している。また遺伝的要因が五感の組み合わせ判断(仕草物腰の身体的特徴、体臭による判断、笑顔や強調による判断その他)によって人間関係の継続に影響を与えているとの説が有力だ。
(C)一般消費者の多くが物事を言語に置き換えて概念を考える傾向が強い。
そのことから、ネットその他で使用される言語の使用頻度分析を行うことで、顧客の需要を研究している。それによって販売小売効率とか誘引人件費効率の向上が一挙に図られている。それは、ダイレクトメール総量を減らすも増収を図り、顧客再来店率を予測し、顧客の競合会社へのくら替え率をも予測し、定期購読の更新率を予測し、売り上げ確定タイミングを予測し、見込客面談率を向上させ、ヒットや流行する商品の予測を図り…という効果を挙げている。
(D)リスク回避にかかわる業種では、
保険会社が高齢保険加入者の18ヵ月以内死亡を予測、患者の早期死亡原因の薬飲み忘れをする人物を特定したり、保険対象車両の特徴をもとに人身障害保障を予測、集団健康診断から保険金や福利厚生費が高額になる病状を予測、殺人事件と被害者の特徴を分析して解決予測…といった具合である。
(E)ほかには、
大統領選挙のオバマ陣営は選挙運動の働きかけ(電話、戸別訪問、チラシ、テレビ広告)に前向きの影響を受ける有権者と、逆効果になる有権者を予測していたとか、いくつかの申請書にあるキーワードをもとに返済滞納も予測したり、受験用学習ツール企業は答を間違えそうな問題を分析しで勉強する分野を絞り込む予測をしたり、目の動きだけで嘘を82%の制度で見破るシステムを開発するとか、患者の描き起こした文章から使う代名詞の頻度と質問に対する個体の短さをもとに統合失調症の診断システムを開発したとか、好奇心、誠実さ、愛想の良さから仕事でのパフォーマンスを予想できるとか、高度なスキルや知識を訓練させる候補者はIQよりも根性を目安に判断する…といったようなものである。
確かに、こういった成功事例は、
旧来の演繹法や帰納法といった論理手法の枠をはずれ、定説の因果関係までも否定しているものが多い。
ちなみに典型的な例えは、「喫煙タバコ成分に健康被害原因があるのではなく、不健康要因を即座に回避できない習慣に、病気の原因がある」とするものだ。健康な喫煙者の存在を認識する説ではあるが旧来の因果関係説を否定しているのである。アルゴリズムとか行動経済学といった新種のツールを持ち出して、こういった事例をまたまた定式化(旧来論理手法と着想が同じ)しようと流行しているが、これもある意味で出版社あたりの一般消費者向けツールにすぎない。本が売れるとなると学者も乗る傾向にあるのだから。要するに、先ほど来使用している「合理的理念」の世界的解釈を日本人では知る人はきわめて少ないことを逆手に取った、新種ツールの紹介手法にすぎない。「合理的理念」を日本の学校では教えないから、また日本語辞典には解説すらないことから仕方がないのではあるが、「合理的理念」をある程度熟知(後で述べるが近江商人は世襲教育)していれば、アルゴリズムとか行動経済学といった代物は企業の経営管理に勉強の必要はない。(現状でICTを道具器具以上に使えない人には、上述した成功事例の理解が難しく、そのために、これまた錯誤して道具器具としてアルゴリズムとか行動経済学を使おうとしてしまうのであるが…)。
また違う角度から言えば、
いわゆるネットビジネスと言われるものの多くが、こういった事例に似通ったビジネスであるのだ。
その中で、各国の法制度やグローバルな合理性による「自由平等法体系」に挑戦・破壊を試みるビジネスは、社会制度によって一挙に弾圧されるにすぎない。この弾圧されるネットビジネスは規制改革とは無縁のものである。その無縁な有名どころが脱法ハーブであったり、ホリエモン(目立っても浮かばれることもない)式ビジネスなのである。


§無料滞在研究施設=「近江経世塾」の開設案内
「事業経営や地域活性化あるいは救民による経済の成長や豊かさを図ること」
のための、経済経営の学問を国民レベルで創造普及するため、2014年8月18日に施設整備を完了した。

経済という言葉は、そもそも、
「経国済民(=良い政治を行って、人々の苦しみを救うこと)」を略してできた言葉であることは、おおむね明らかになっている。ところが、世界初とされる経済学はイタリアのナポリ大学での講義とされているが、これはナポリ王国の王様のための学問であった。そして西欧東欧では現在も、もっぱら時の政府の政策を裏付けようとする傾向にあることは否めない事実である。世界各国における政府の成り立ちは当該国によってさまざまな実態を呈しているが、学問の中立性や完全自由は幻想に近く、「経国済民」といった概念とは程遠いものが主流を占めている。それは、学問・学術というものの分野に少しでも立ち入った人物であれば真理や学問の自由が何処かに浮いているものではないことを肌で感じ理解をしているものである。ことに日本国内での自由については、官僚・公務員からの国民の自由を日本国憲法で定めているのである。
この経済学が現代日本になると、
時の政府の政策を裏付ける経済学がマスコミにもてはやされているのも確かであって、たとえれば「100ある経済学説の中で3つほどのスキャンダラスな諸説」がもてはやされる現象として、現在日本では株価、ドル換算外為、経済政策説明などが氾濫しているのである。大学の経済学部を卒業した程度では、こうした氾濫する諸説を見抜けないばかりか、諸説氾濫を流行のように採り入れないと自分自身の存在が危うくなると誤算するエリートも大量に存在しているのである。経済新聞記事の記者も決して経済学を学んだ人物とは限らない。報道ではなく読み物になっている新聞記事も非常に多いのだ。本質的アプローチをすれば、「経国済民」の理念に則り、事業経営や地域活性化あるいは救民による経済の成長や豊かさを図る諸説は様々考えられる。ところが、下世話かつスキャンダラスな話(誰かがもうければ誰かが損をする=といった迷信など)が蔓延してしまうと、世間で流れる話そのものが学問から乖離してしまうのである。
日本の官僚たちの無頓着さに注意すること
も重要である。もとより、多くの経済活動や業務遂行手続は、合理的(=道理に近似した概念)理念を前提としている。ところがその実行過程で下世話かつスキャンダラスな話の影響を受けてしまうと、その合理性は欠落し結果は裏目に出てしまうのである。殆どの省庁では多くの官僚が日本経済新聞を無頓着に読んでいる、経済に関する読み物記事を読むばかりか読者の判断能力も訓練されていないのが実状だ。そういった実状の解明は、現代までに確立された哲学・社会学で立証もされつつある。すなわち、学問研究に対する補助金や助成金に官僚たちが無頓着にかかわることで、合理的理念の前提が事務手続き段階で崩れている現象である。とりわけ社会科学や人文科学のような数値による説明が実証されにくい分野では、スキャンダラスな現象事例でもって合理的理念が侵害されて、たとえ政府の経済政策の範囲内であっても重要な経済研究にも手が付けられていないことは少なくない。いわゆる哲学の貧困や学問の貧困が蔓延すると、今話題?の朝日新聞「原発退避報道?」とか「慰安婦時報道?」の如く、もとより合理性の薄い新聞記事だけを、ことさらに取り上げて、新聞報道を批判するばかりか、その事実関係に踏み込まない論調(刹那的・万年野党的思考)を、非学問的に話題にしようとする風潮…になるのである。
そういった世間体にはびこる論議をすればするほど、
経済は落ち込み、豊かさは失われ、事業経営や地域活性化あるいは救民による経済の成長や豊かさを図ることは不可能となるのである。ある程度に「経国済民」といった経済学を認識している場合には、そういった下世話・スキャンダラスな話が好きな人たちから富や財産を剥がして行き、結果に当人たちは刹那的・万年野党的思考でもって社会の主人公から納得しながら脱落させ生かせる戦略のひとつ!と見なすこともできるのである。しかし、考えなければならないのは、あまりにも多くの国民が主人公から脱落してしまう道を歩けば、生活意欲・労働意欲・幸福追求意欲が萎えてゆき、経済圏の崩壊を招くかもしれないとの懸念である。そこで筆者が考えたアイデアと実験が、「経世塾」である。
「近江経世塾」として設置整備した理由は、
筆者が近江商人の末裔であるばかりでなく、日本の歴史の中で戦乱から低成長(室町時代から明治初期に至る)の500年余にわたって産業育成と流通に携わり、経済情報収集システムを確立させていた近江商人を中心とした中世経済からヒントを得ようというものである。またそれは、現代日本にあって経済界と庶民に脈々と流れる、「生活感あふれる」合理的経済活動の「ことわざやシステム」でもある。ちなみに、先ほど述べた下世話・スキャンダラスな話に翻弄されない教養・能力育成も存在するのである。さて、こういった合理的経済活動が国民に浸透しないことで、素人がゆえに何度も何度も騙され失敗するところの原因は、学問的に議論が確立されず引いては教育や訓練も施されないところにあると、筆者は見たのである。いわゆる近江や近江商人の地域や家庭では、これが幼少の頃から後継者試験に合格するに至るまでの「口伝え」による啓発に任されて来た、そこに弱さがあったのである。
そしてこの際、るる前述したように「合理的理念の前提が事務手続き段階で崩れる」ことなく、ICT活用による解釈学的哲学も大幅導入して、現代に「事業経営や地域活性化あるいは救民による経済の成長や豊かさを図ること」ができるように、原則として無料滞在研究施設を設置したものである。施設構造自体も、経済活動と生活行為が分離していない時代の木造建築物に電化など新エネルギーを調和させようとする試みの建物(昭和2年建造)でもあり、ひとつの復古生活趣味とは異なる実験場ともいえるのである。その概要は以下の通り

<無料滞在研究施設の概要>
〔所在地〕〒522-0083 滋賀県彦根市河原3丁目
江戸初期に伊井家が彦根に城下町(国際都市)を築いた時期に産業開発され、現在は繁華街地域の北側に所在しています。元来の近江商人(農・商・武が一体)の各地を結ぶ通い拠点に位置します。
JR彦根駅から徒歩15分、新幹線JR米原駅からタクシー20分。湖東地域各所に通じる近江鉄道の芹川駅まで徒歩10分。
〔施設名称〕「近江経世塾」~研究道場~
中世以後の近江商業と国内外の経済ネット(商品経済網と商業方式)
〔使用できる研究対象〕
近江商人の商業と周囲の環境全般に資するものであれば、現在の学術分野学科を問わない全般科学研究(科学範囲とは、合理一貫性と事実一性を踏まえ、“誰でも何時でも実証”に資する内容としています)。
施設の運営につきましては、近江商人の慣わしにより、行政機関の補助金・助成金等はいただきません。行政機関としての運営参加は遠慮いただきます。
〔無料滞在の申し込み方法〕
宛先:村岡利幸(大阪市中央区糸屋町)
研究内容と大まかな滞在期間などをメールしてください。メール到着後、こちらから連絡をさしあげます。メールアドレス:mail@soumubu.jp
〔施設概要〕
宿泊滞在可能人数20名(次の(1)~(3)等の合部屋での宿泊滞在)
(1)日本間14畳(2階の書院造、3方向廊下付、ふすま区分可)
(2)日本間10畳(縁側4畳分はフローリング:浄土式枯山水庭園併設)
(3)西洋間:ケヤキフローリング8畳弱相当(浄土式枯山水庭園併設)
(4)書庫資料室:1階:書庫資料室6畳相当、2階に資料倉庫
(5)重要資料の耐火書庫を設備、机、ソファーや椅子その他施設維持家具
(6)厨房6畳相当、厨房には食器・什器備品も完備
(7)浴室、トイレ2箇所、駐車場(大型車1台分)ほか駐輪可能

2014/08/05

第148号

「すぐに始められる個別企業の立て直しのアイディア」
といった形式で、今回はインテリジェンスを提供する。

すぐに始められるとなれば、事業には制限がある。
日本経済、現場は極めて深刻である。
政府が失敗を認めた「骨太方針」
具体的な、個別企業の立て直しアイディア
 1.最も簡単で効率的な個別企業立て直しは、内需である。
 2.客の具体的要望を知れば、売り上げが上がる。
 3.老人介護と保育を見直せば、資産と資金が内需に回る。

 **********************************

§すぐに始められるとなれば、事業には制限がある。
日本には海洋資源とか山林資源があっても開発を抑圧されている。もちろん金融資産もなく、経済学の信用論から分析すれば紙切れしかもっていない。よって、すぐに始められることは、日本人の創意工夫による労働&正当価格評価経済システムを作り上げることからの商品開発&流通システムでしかない。もちろん、目先の小さな利益のためにアイディアをつぶす輩もウジ虫のように経済社会には湧いてくる。この、「ウジ虫退治」を官僚に委ねると事業効率が悪くなるから、アイディアをつぶされないシステムも流通に含まなければならない。
すなわち、新技術は旧来技能者の失業を招き、専門技能者を常用化すれば初歩基本的技能を秘密にする性癖は、世界の先進商品開発国でも共通するからこそ、「ウジ虫退治」を官僚に任せるわけにはいかないのである。商品開発の通貨投資効率が高い北欧・西欧・南欧では、それぞれ特徴を持った「ウジ虫退治」の社会システムが組まれているのである。アメリカでは、草の根民主主義(運動)、お茶会(ティーパーティー)とかは、いわゆる「地の塩」(社会の腐敗を防ぐ教理)は名誉とされ、富を持つ者が非公式労働により社会の貧富を縮小させることは務めとされ、通貨で済ませる(寄付・献金を)することは「卑怯だけれども仕方がない」といった概念なのである。個別企業の立て直しを見据えたときに、経済社会におけるウジ虫の存在に配慮しない構成を着想することは愚か者でしかなく、家庭や社会を築けない者としての思考が底流にあるのだ。
今の日本における特徴だが、
「政治が変われば経済や生活も変わる」…と政治団体や(政治にかかわりたい)宗教団体は力説(して幹部が保身を)するが、そのスローガンは、富の再分配が課題であった昔に通用したもので、今の世界経済状況にあっては、嘘!そのものである。


§日本経済、現場は極めて深刻である。
輸出も内需も低下する一方である。かろうじて海外金融投資による利潤が伸びているだけにすぎない。海外進出と称する投資は赤字には計上されないから陰に隠れているものの、海外現地で製造した日本商品の売れ行きも暗雲がたちこめている。すなわち、旧態依然とした日本商品を、いくら焼きなおしてみても、国内外市場に持ち込んでも、売れていないのである。現地(国内外市場)からあがってくる報告は、殆どが「売れない理由」ばかりである。それを受け止める経営幹部は、事実上サラリーマン社長になっている。中小中間企業の経営者も、借入金や投資損を抱えて、事実上サラリーマン社長になっているケースもみられる。「売れない理由」に惑わされて、外交政策ごときで日本商品進出を諮ったところで、日本人出稼ぎや日本企業身売りになってしまうのがオチである。


§政府が失敗を認めた「骨太方針」
政府は、「骨太方針と日本最高戦略」改訂2014が閣議決定されたと話す。要するに、骨太方針は失敗したから改訂すると言っているにすぎない。ところが、政府が経団連で説明した主な内容を見てみると、上滑りする政策であることは経営者なら誰でもわかるものであった。要するに、官僚の保身に満ちた着想では、「経営の盛り上がり」は生まれないのである。まして、官僚によって労働者派遣法改正法案が骨抜きにされたから、政府も国会での改正案を廃案にしているのが事実である。与野党・財界労働界の発言をつまみ食いしただけの政策づくりは、官僚の手続き主義に名を借りた骨抜き法案と変質していることすら、誰もが指摘できないでいる。さらに大手マスコミ報道は、この手続き主義に名を借りた骨抜き手法に乗せられてしまって、報道の意味をなさないばかりか官僚たちの思うツボとなっている。


§具体的な、個別企業の立て直しアイディア
1.最も簡単で効率的な個別企業立て直しは、内需である。
国内の都市や地方を問わず、遊休資産の活用(リニューアル・リフォーム)は、実体経済を回復させる。すべてを通貨に頼らなくとも「粗利益」を挙げることができる。個別企業がこの遊休資産と直結することである。
寂れた街にはスーパーや生協を誘致すれば、直ちに旧市街地は活性化を生み、老人の街も解消される。食住が旧市街地では満たされないから軽4輪車社会(車社会ではない)となっている。職業は自転車や電気軌道で通勤は確保され・企業も交通費予算が削減できる。道路の通行量は減れば補修予算も減り、流通時間総量も減らすことができる。
すなわち、「予算もなく売れもしない投資」事業を当てにするのではなく、遊休資産の活用(リニューアル・リフォーム)に向けての事業展開に的を絞ることである。
こういった遊休資産活用に公共事業が関与することは内需拡大効率が高い。ところが、口を開けば「予算がない。財政赤字」と思い込んでいる地方自治体や職員ではあるが、遊休資産の活用の基礎・基調のプロジェクトその他の予算は、地方債(相続税非課税・利息通年支払い)を発行すれば、最初の第一歩も手をつけることができる。地方には、その目的に期待して地方債を購入する金銭資産が残っている。ただそれ以前に、既に役目を果たしたはずの事業に執着している企業などへの助成金を支給することが経済対策と思っている地方公共団体も少なくないのだが。

2.客の具体的要望を知れば、売り上げが上がる。
ひとことで言えば、客先の要望を理解するといった労働が、個別企業に組織されていないから立て直しができない。客先最前での労働を単純簡素化すれば人件費をカットして利益が上がると考えたのかもしれないが、そんな素人話は経済経営学において存在したことも無い。客先の要望を聞いて、それが量産できれば事業拡大につながることは確かである。ところが、発展途上国の如く「何もない」から「何でも良い」といった市場にあってのみ、そんな事業拡大でも通用する話なのである。「客先の要望を知る」ことを事業化するには、固有価値商品の売れる3要素(意欲・感動・希望)を分析できるシステムを個別企業に抱えなければならないのだ。このシステムがないから、労働者は昔の市場の幻想を持ったまま働くし、管理職は固執した考えを部下に押しつけるし、先輩は後輩を子分にしたがり、個別企業をそのものの「意欲・感動・希望」が剥がされてしまっていると見た方が妥当だ。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/142
だから、労働者は働く訳がないし、希望がなければ言われたこともやる気がないし、口先だけで自己防衛もするようになる。これは別に日本の特徴や貴個別企業の特徴でもなければなんでもなく、何千年も昔の書物にも書いてあることにすぎない。賃金体系を変えて金銭で人間の意欲をつり上げようとすると、不良商品や集金不能商品の続出につながる。評価システムを変えれば、客先の要望を知ることよりも、その評価の点数が高くなるような立居振舞い上手の労働者が残るだけである。これが非正規労働者にまで広がれば、無駄な労働への賃金支払額が加速するだけで、いわゆる、「客が買いたくない商品の山」の生産に、人件費を毎日投入していることになっているのだ。
ある外食チェーンは、店員の化粧を自由にしたところ人手不足を解消し、売り上げも伸びた。一歩進んで服装まで自由にした某販売チェーンもある。それは、販売員の自由さや労働意欲を重視したことによって、客先との「意欲・感動・希望」に関する「心や気持ちの入ったコミュニケーション」が成り立つことによって、客先の要望を理解するといったことなのである。固有価値商品の売れる3要素(意欲・感動・希望)が理論化されたことを除いては、経営学では30年以上も前からの常識(みんながやっていた考え方)であった。ところが日本では、個別企業の安楽死を行政が推し進めたものだから、常識(みんながやっていた考え方)を無視して、企業の安楽死が今も流行している。
客や受注があってはじめて、事業は成り立つ経営にも関わらず、理屈で飾りたてた手続を客に強いるとか、労働意欲を無くす社内システムを客に押しつけるとか、これにより次々と客離れを起こしていることにすら気づいていない個別企業は多い。ことに大学受験型思考では、相手(お客)の意見を聞く能力が否定され且つ物事を記号のように分類判断する訓練しか受けていないから、客先との「意欲・感動・希望」に関する「心や気持ちの入ったコミュニケーション」が成り立たないのである。これを「記号主義哲学」というが、管理職がそうだとすれば、企業内には記号主義的哲学に従う労働者しか残りはしない。相手(お客)の意見を聞く能力こそが重要であるとする「解釈主義哲学」の持ち主は、年齢を問わず管理職よりも有能さを発揮し、経営者とのノリも良いのだが、その有能(変人)さから妬みを招くので組織から排除されるのが常識(みんながやっていた考え方)である。だが、「解釈主義哲学」の持ち主は常識(みんながやっていた考え方)とは異なるが、近似の経済動向や経営手法、そして法規制から正当に身をかわす上で欠かせない、客観的合理的思考も「解釈の一部分」として認識しているので、事業規模が拡大したところで行政規制や刑事処分の招来を防ぐこともできるのである、早い話要領はよい。
今の日本の社会経済状況からすれば、安易な労働者の「社員化」を進めれば「記号主義哲学」の集団を作ってしまう。労働者の常用雇用化と「社員化」とは全く別の話である。先ほど述べた「解釈主義哲学」の持ち主が組織から排除されないための、解釈主義哲学者の雇用安定策を個別企業が取れるかどうかがカギである。すなわち、大手・中堅・中小企業を問わず、この一見変人と思えるような「解釈主義哲学」者の活躍の場を作るかどうかがカギであり、戦後一貫して日本の経済成長を支えて来た歴史は、「解釈主義哲学」者を個別企業が確保する率に左右されていたと言える。
ここで説明したアイディアは個別企業立て直しをしようと思うなら、するか否かの選択であり、それは経営の初歩的素質でもある。

3.老人介護と保育を見直せば、資産と資金が内需に回る。
特に60歳以上の女性労働を老人介護と保育に投入する。その手法は、町内密着&パートタイムによる労働方式である。フルタイム労働にしようとするから施設・集中設備に資金が回され、さらに人手不足が起こり悪循環を生じるのである。ことに老人介護は未然措置や予防をするには個々在宅の短時間労働による介護である。介護労働者の都合で仕事を分散させれば未然措置や介護予防ができない。早朝とか夕方の一時期に大量の人手を要するのである。介護や孫の育児時間を住民税や所得税の非課税扱い(課税控除申告制度)とすることで、非公式労働の非効率や人間関係毀損原因からの解放第一歩となる。
家族や近所の人の介護労働を集中させることで経済効率が非常に高くなる。そのためのICT技術である。老人介護と保育を旧市街地の空き家で行えば、若者も戻ってくるし子どもも増える。あくまで家族の希望により「同居家族の介護」への「内容×時間給賃金」の支払いを制度化(今のフィンランド)すれば、益々費用は削減される。賃金を払うのだから教育と訓練を同居介護労働にも厳格に適応させる。在宅介護を痴呆症未然段階からのシェアハウス(趣味を中心)に設ければ即効性は都市部から発生してくる。この場合の同居家族とは、諸外国のように血統ではなく、「3年以上の同居履歴」と考えれば社会問題も沈静化することができる。地方自治体の予算も、町内会や自治会を経由しての地方債(相続税非課税・利息通年支払い)でもって確保することができる。
すなわち、両親介護や保育育児への時間と金銭出費を抑制することで、新商品開発は衣食住部門での資金と購買力を得ることになるのである。これは、地方公共団体の条例が制定されるのを待つまでもなく、地元密着の中小零細企業ならでは事業化を直ちに進めることができる。ここで開発された衣食住関連新商品は、その殆どが固有価値商品として通用するものだから、この商品を海外へ向けてのマーケティングと市場化を進めることで、イタリア・フランスや北欧のようなブランドにもなる。地元密着していない地元ブランドは存在せず、昔を懐かしむ回帰商品では市場化も伝統化もできない。
地方公共団体の福祉部門が、町内の老人たちに行政の仕事を押しつけて、福祉事業をやったことにしているのが現状である。成果は上がっていないばかりか、住民からは敬遠されているのが実態だ。そもそも日本で福祉事業とは、民間が行い始めたものであり、地方公共団体よりも古い歴史をもっている。ここに個別企業立て直しの具体的仕事が盛りだくさん存在するのである。

2014/07/08

第147号

<いくつかのインテリジェンスの視点>
(取材不足なのでラフの内容です、悪しからず。)
(1)NYダウ平均が7月3日、ダウ17,000ドルの最高値を付けた。同時に金地金取引も価格が上昇している。これは世界的に、産業一般への投資が滞って、いわゆる「カネ余り」状況にあることを物語っている。経済に関する世界情勢を見れば、世界各地で紛争めいた動きが続出し、経済・産業構造の変化の起こっていることがうかがえる。その証として、投機筋に流れた資金の動き=「カネ余り」が現われているものだ。決して景気が良くなった訳ではない。
世界の経済情勢を重要度合を無視して身近なところから説明すれば、日中経済の停滞、中東での米英仏の経済権益異変、ウクライナでのロシアとEUの関係異変、中国経済の頭打ちなど、そのすべてが絡んでいる。世界動向を無視して海外進出を目論むのは、個別企業としては無意味だ。今や日本の経済力や軍事力などをカウントする国などあり得ない。

(2)政府の経済政策(巷ではアべノミクス第3の矢)の空振りがはっきりして来た。空振りの上に消費税8%増は、日本経済好転に欠かせない内需を一気に後退させてしまった。貿易収支は連続赤字、内需低迷、経済成長率は実質も名目も1%以下の期待外れである。あえてマスコミは経済報道を避けているようだ。
ここには、誰しもが見誤った判断があった。それは、日本経済のメジャー若しくはメジャーに関係する人材の劣悪さの誤算といわれる。すなわち、日本政府の官僚は今や二流ばかり、大手企業のサラリーマン経営者は仕事ができない(金融・資金ぐりには強い)者が台頭しているからだ。もう少し、「笛を吹けばおどる!」とでも、実にアべノミクス関係者は錯覚をしていたきらいがある。何もこれは、「現代の潮流」などというマスコミ流の無頓着な論説に原因があるのではない。実業に携わっていた者なら錯覚などするわけがない、要するに、「実業のモーメント」を見たこともないのである。
官僚機構においては「仕事よりも出世」のためなら何でもする人物を登用してきたからの結果である。大手企業の場合でも、実業の立役者をバブルの時期以降に子会社への出向やリストラを進めたために、実業のプロデューサーやディレクターが社内や関係者にいなくなっているからだ。もとよりプロデュースといったものは創業や新商品開発とは異なるものであり、プロデュースがなければ新産業や新商品が育成することはあり得ないのである。中国の兵法書に「呉子」がある。そこには、「気・地・事・機」と記された組織運営の基本がある。気とは気力のこと、地とは現在いう条件、事とは作戦を指し、機とは物量モーメントのことである。「呉子」の兵法の特徴は組織がための方法を説いている。欧米・中東では、「心を尽くし、精神(気持ち)を尽くし、思い(思索)を尽くし、力(物理力)を尽くし」といった、物事を行う際の心構えが宗教教育として幼少の頃から教えられている。現代日本の特徴は、これらの気力・心・気持ち等について、あまりにも無頓着であり、勢い拝金主義の論理を行政も民間も学者もが、ぶちまけてしまうところにある。
ベンチャー資金さえ投入すれば、新事業が成功するとの愚かな考え方を力説する人たち(官僚やマスコミの素人その他)もいるが、ベンチャーとは「経済興隆(こうりゅう)」という日本語にある概念で、戦前・終戦直後でも法律条文にも現われ、「経済興隆」(ベンチャー)によって日本経済は、終戦直後の傾斜生産然り、安保体制での高度経済成長然り、東西冷戦後のハイテク産業然り、といった経済変遷を続けて来たのである。
殆どの有能な人材が、今現在は「下野(げや)」しているのが現状だと思われる。現代にいう下野とは、イニシアティブのある有能人材が排除され一般人の中に仮に埋もれる状況を指す。さらに、有能な人材の弟子も、社会で芽が出る前に「下野」しているのが実状であろう。先ほど述べたプロデューサーとは、有能な人物を組織して経済実態あるもの(経済ステージ)に創り上げる人材であるが、このプロデューサー自体も「下野」してしまっているのである。何十年たっても巷のニュースには、(バブルから)類似の創業や新商品開発ばかりの、繰り返しの様相である。経済の視点から長いスパンで取材できないマスコミの経済記者からすれば、それが次々と目新しいものに映るのであろう。それが新聞記事となり、二流官僚たちは新聞を読み、世間を知ったフリをするのである。

(3)話は飛躍するが、消費者一般のゆとり(豊かさでも経済成長でもない)とは、おおむね現金決済によってもたらされる。何に使っても誰にも分からないといった現金決済にこそ、「ゆとり」といった主観が生まれるのである。世界各国の経済は現金決済縮小の方向に向かっている。すべてが記録に残り、プライベートのない電子マネーだとすれば、隷属的消費者だとしても画一さに対する不満は解消しない。日本でのマイナンバー制も財務省の仕組んだ統制経済の一環であることは間違いない。私の試算(他に誰も計算しない不可思議)では、年間約6兆円の所得税・法人税の増収である。ただし統制経済が進んだところで、電子決済による投機マネーがなくなるわけではない。もうひとつは紙幣が誕生する前の主流であった金地金取引もなくなるわけではない。皮肉な話、消費者金融から現金が受け取れなくなった場合、消費者の多くは、何をもって「ゆとり?」を実感するのであろうか。
そもそも、商品というものには固有価値が存在するから、大ヒットし永続商品群と成り得るのである。経済豊かさとは、こういった「ゆとり」が充実し社会制度が自由を縛らない実態に存在し得るのである。仮に、経済成長一辺倒の経済政策だとしても、息抜きや不満解消には「ゆとり」が必要であり、ある意味経済の成長力となる場合がある、それは高度経済成長と言われた「社会主義計画経済」時代においてでも、である。

2014/06/10

第146号

<コンテンツ>
労働市場が構造規模から再編される変化
終戦直後に組み替えられた労働市場
学者とか官僚、それぞれの狭い世界では理解できない現場
経済学、中でも労働経済学の分野での労働の対価とは

【特別分析】通貨に交換されない労働市場の在り方と行方
 ・通貨に交換されない労働の分野とは
 ・通貨に交換されない労働の分野での特徴的なことは
 ・個人消費に直接提供される労働での注意点は、
 ・まして、マイナンバー制によって女性や高校生は、
 ・女性の社会進出化を促進、とりわけ高年齢老齢女性の労働対策を、
 ・こういった従来の労働が、労働集約型ビジネスに転換するチャンスが、

【特集】労働関係法律改正=個別企業での具体的な、9つの現象


§労働市場が構造規模から再編される変化
労働市場とは労働の配置と指揮による価値を生み出すインフラのことである。
歴史的には奴隷市場とか農業市場に代わるものとして、商品経済に於いて労働も商品として扱うことにより「発明」されたインフラ制度である。すなわち、通貨価値を生み出す主要な経済制度システムとして、現代社会経済には不可欠なものである。それによる経済成長と豊かさの享受は人類にとってかけがえないものとなっている。
世界経済の激変は、日本経済の成長をにぶらせ、経済や社会の豊かさを転落に向かわせている。このままでは、日本自体が世界から忘れ去られるのは、誰の目からも明らかな事態である。その日本に足場を置く個別企業も同様である。だが、その危機感を感じて海外進出したところで、資本力や人海戦術力において、日本の個別企業は比べものにならないこと貧弱なのだ。
ここにきて厚生労働省の官僚たちは、日本的労働市場の形成に躍起になっているようだ。
(参照:労働関係法律改正での個別企業での具体的な、9つの現象)


§終戦直後に組み替えられた労働市場
日本の経済成長は、米ソ対立の中での日本向けの巨額資本投下によりなされたとされている。だがそこには、労働市場の組み替えが存在したことを忘れてはならない。極東アジアにおいては、韓国、フィリピン、台湾にも直接間接的にアメリカからの巨額資本投下がなされているが、その結果の経済成長や経済豊かさは、日本に比べ貧弱軽薄であることは否めない。すなわち、日本には、労働の配置と指揮による価値を生み出すインフラ=適切な労働市場が成立したのである。この終戦後から高度成長までの労働市場形成には、アメリカの政府・民間資本の直接介入が数多くあった。それが、日本の労使関係・経済技術発展の基盤とされる労働市場、=終身雇用+年功序列型賃金+企業内労働組合といった図式なのだ。ただし、この労働市場はあくまでも理想であり夢にとどまり、大手企業の末端現場とか中小企業にまで普及したわけではない。
年功序列型の社員&賃金体系は、GHQと戦った末の「電産型賃金」が金融機関に波及し、一般企業に普及していって労働市場の受け皿制度を形成したのである。労働組合法は憲法改正に先駆けて占領の下で施行されたが、労働基準法は占領下にあっても日本独自の法律として労働経済の下支えをしている。
戦前の一部大手企業に存在した厚生年金は、日本の主要な労働者の退職金を国家として保障する制度である。ただし、米ソ対立の世界状況のなかで、採算を考えずに無理矢理創設したもの、昭和55年には厚生白書で年金の繰り延べ支給や支給率30%が提言されている代物なのである。同じく当時の必要性から健康保険も終身雇用の一環として形成された国家政策である。国民皆年金の制度も、当時の米ソ対立の世界経済状況を維持するための採算を度外視した社会制度そのものである。国民健康保険は戦前の富国強兵の兵力と労働力確保のための保険制度であったところ、ここでも米ソ対立の必要性から国民生活の引き上げを、保険料と保険給付の採算に関係なく実施している制度である。これらが日本の労働市場を支え、国民一般の人たちの就職概念とか幸福概念を形成しているのである。
さて、今ここで、こうした労働市場にまつわる制度一体が、終戦直後以来、抜本的に組み替えられようとしているのである。
こういった日本的労務管理と言われるものは、「日本的」と称される事で保守系や民族主義思考の人たちに歓迎されているが、ただし、それは全くの誤認であって、ジャパンな精神論一辺倒の非科学的人物の、「安住の地」として提供されているにすぎないのだ。もちろん、戦前の労働市場(とりわけ5年間の奉公人的労働契約)及び、それを悪用した悲惨な実態は当時の警察が取り締まる領域をはるかに超えていたから、そういった社会経済の一端を担った家族制度に“逆戻りしたい”とは、内心を突き詰めれば誰しもが望んではいない実態なのである。かといって、現状打破や改革系と称する人たちであっても、戦後新たに形成された労働市場の概念に思考が制約されたままの、「革新的理念?」でしかあり得ないのだ。事実、年金制度や社会保障あるいは福祉といった分野には、当時の「革新系」と言われる人たちの構想が主流を占めているのは否めない。
ところで、筆者の理論からすれば、
あくまでも人間の労働や経済の原動力は、「個々の夢や希望を、伝統(良いものだから)と習慣を駆使するエネルギー」にのみ、成功裏に存在するのである。個人的見解からすれば、この原動力が日本においては他の先進諸国と比べて希薄がゆえに、制度が官僚的硬直化を起こすと考えられる。結果、個人の原動力を活発化させる社会制度も弱いがゆえに、成長の原動力は劣化せざるを得ないといった労働市場なのだ。


§学者とか官僚、それぞれの狭い世界では理解できない現場
ところで、筆者の情報収集や論理の組み立てが、なぜ世間一般と異なり、なぜ本質を押さえるからこそ経営管理に有効なのか。
(注:ジャーナリストの文献、その人の思考パターンや立場を知った上で読む必要がある)。
それは幸いにも筆者の親戚筋には年功型賃金の基となった「電産型賃金」を作った旧:日本発送電と各配電会社(今の電力会社)人事部賃金担当記者(伯父)が存在し、書籍文献には現われていない賃金制度実施の要諦を聞きおよんでいるからであった。それは例えば、「電産型賃金」の実施目的とは、電力供給を水力発電から火力発電に転換させるために優秀な労働者を全国的に確保するための賃金制度であった。加えて、この賃金体系導入をめぐって、当時は日本経済を後退させようとしたGHQ占領政策と対峙したことから、労使協調してGHQに対する電力停止ストライキを繰り返したのである。現在もそうであるが、電力ストライキで電気を止める場合、給電指令所の指図のもとに工場間や細かい地域ごとに電力スイッチを「遮断&通電」の作業を行わなければ、給電設備がどこでどのように破損するか分からない実務なのである。社長以下経営幹部が管理職に命じて具体的に停電指令を出していたのである。これが学者とか官僚などには認識できない歴史における真実なのである。
また加えて筆者は、少なからずの末端現場での現象を把握する手法としての、「どこでも誰にでもインタビュー」する個性(職業能力)を親戚と地元(近江商業)で培われていることである。とにかく筆者は世間一般のいう立場をいったん横に置いて、どこでも誰でもインタビューするのである。先月の総務部メルマガで労働者派遣法(事業法ではない)の本質を書いたが、そういったインタビューからのインテリジェンスである。それは形を変えて言えば、サラリーマン一般や労働者一般が、苦労と感じる物事を苦労と感じないように育てられているからにすぎない。それは困難な事態を回避する術・並びに「物事積上思考ではなく先見把握思考」の術といったもので、幼少の頃から徹底しての教育を受けていたからである。現在筆者が日本の財政学の重鎮その他に師事して、次々と経済学や社会文化学における諸説を発表できることも、それが個別企業の経営に直接効果的利益をもたらすことが出来ている由縁は、ここに存在するのである。
とかく、「物事積み上げ思考」に馴らされていると、「個々の夢や希望を、伝統と習慣を駆使して実現」することなく、「波風を立てないトレンド」の陰で自他共に苦労を黙認せざるを得ない我慢強さの選択肢を、学者や官僚たちは経営方針や管理とか政策に持ち込んでしまうのである。もちろん本人の性格もそのように順応していくのである。それは一般社会でも同じだが、個人が官僚的組織の中でいくら努力をしたとしても、こういった本質が掴めないうちは、
1.あなたに権力があるうちは周囲は静かだが政策は空回りとなり、
2.あなたの権力が揺らげば収拾がつかず、あなたは政策を引っ込めなくてはならない
といった具合なのだ。社会(共同体)でも個別企業の経営組織でも、根っからの無政府主義者(秩序崩壊にのみ喜びを感じる)を抱え込んでいることはまれであるから…。そういう無政府主義たちの妨害にあって政策が進まないのではない。
ちなみに、現在の官僚たちの世論誘導トレンドは、
数個の選択肢を提起することで責任回避する方式である。こういった二元論的的思考は、受験勉強に染められた人たちの思考にとっては極めて馴染みが良く、ゲーム感覚で議論に花が咲いて、今日も仕事をした!と錯覚するのである。それを官僚たちは利用しているのかもしれないし、ここしばらくは一流エリートが民間企業に流れ込んでいるから、受験勉強タイプの官僚みずからもゲーム感覚に花を咲かせて仕事をした気分になっているのかもしれない。国の補助金などが欲しくてたまらない大学教員や学者たちは、こういった官僚の喜ぶ手法と学説が不可欠であることを良く知っているから、学問自体が官僚にコントロールされた内容に傾かざるを得ないのである。良く似たことは芸術の世界でも存在しており、「美しければとにかく良い」式の芸術論を語る有名人、その人の背景を見れば、その多くは無能芸術家の類であり且つ資金の出所は特定されているのである。


§経済学、中でも労働経済学の分野での労働の対価とは
対価を報酬として支払うにあたって近年指摘されている学説とは、
1.労働価値の中で、唯一、労働力として時間単位計算が可能なものだけが対価の支払をされていること。
2.規模の大小は問わず、メジャーとされなかった労働と対価支払システムにあっては、法則性も公正性も度外視された報酬取引が行われたこと。
の2つである。これらの意味する所は、
メジャーな労働集団(企業の業務遂行集団)を形成した場合には、例えば企業組織内部におけるそれぞれの利益集団、企業内労働組合とか親睦会などの企業内利益集団といった形態はとるのだが、時間単位計算の労働力以外の部分は、法則的な対価支払の対象にはならず、交際費勘定とか、カラ出張から残業とか、福利厚生といった別建ての報酬として、いわゆる「景気の良い時だけの潤い分配」として支給をされてきたのである。メジャーに組み込まれなかった労働にあっては、ジェンダー、人種、民族(ロマ、部落、朝鮮など)その他での、ありとあらゆる区別・差別や身分が持ち込まれることによって、ダンピングが行われているとされる学説なのである。期間契約や有期雇用といった形式も利用されるとしている。
労働経済学や労働・労務問題に携わる者は、
マルクスの「搾取・収奪」理論を知ることが初歩的条件であるが、この「搾取・収奪」のマルクス学説は、先に述べた対価の支払が、「景気の良い時だけの潤い分配」との宮廷制度とか家父長制度など、法則性も公正性も度外視された日本独自の奉公人制度とか、あるいは著作:資本論のずさんな解釈による憶測その他が入り交じって、学問的にも先に述べた2項目が混同重複した論理展開となっていることがうかがえる。あげく感情論や宗教的推論に至るケースが多いのであるが、その原因は現場の現実を十分に観察・洞察しないことと、あえて改善改革の具体策を学説提起しない姿勢によるのだ。そして、厚生労働省の官僚たちも、労働経済の古典的概念として、こういった「マルクス学説?」を念頭に置いていることは確かである。その理由と言えば、これに代わる有力な学説が未だ存在せず、あのケインズ理論にしても「雇用」のテーマを最優先にしているといったトレントだからである。
なぜ今ごろ、こういった学説の萌芽が生まれて来るかと言えば、
2度の世界大戦を経たとしても労働市場と労働集団の形成が理想とされて来たことに対して、現代においては矛盾や不都合が構造的となったからこそ、学問的に指摘され始めたと診ることが妥当である。「全体を大ざっぱな基本的考え方で集団をまとめあげることができず、ICTの深化によって産業革命が進行している真っただ中である」ところに、理由があると言える。まさにルネッサンス期にヨーロッパがイスラム圏や中国圏を構造的に社会経済で追い越した瞬間、そこでは旧来からあった印刷技術を紙媒体で拡張させる具体的行為が存在した。さらに、17世紀から世界各地で商品経済が主流になるための市民革命が起こり王制の社会経済を追い越した時機、そこでは貨幣が通貨の形をとるといった使用目的変化の具体的行為が存在した。さまざまな詳細研究が待たれるのも、現在はこれらと似通った側面をもつのである。


§通貨に交換されない労働市場の在り方と行方
経済学にあっては、通貨に交換されない労働市場の研究は、長きにわたって行われてこなかった。
結論から言えば、経済学と言うのは所詮、様々な経済実験を繰り返した末の成功事例を法則的に整理しその裏付けを立証した学問がトレンドなだけ、だからである。ナポリ大学での講義が世界初の経済学ではあるが、当時は通貨の概念がなかったことから、アカデミックになればなるほど通貨とかICTが大学内で議論されない傾向も残っているのだ。その通貨に交換されない労働は、通貨という測定基準がない労働であり、専念した時間として数えられない労働であり、労働需給市場に参入しない非公式労働である。だから、ただ単に研究者の法則性や証明手法が困難であったからこそ、研究の取り扱いが遅れていたからにすぎない。だがそれは近年見直されており、そこではきわめて個人が豊かさとか富を実感する生活などの部分に個々密着している労働なのである。とにかく従前は、純粋労働力ではないから労働として把握できない(確かにその通り困難さを伴う)として、学問から排除して来た労働なのである。経済政策や財政学からすれば、掌握する範疇に存在していない労働であるから、政策実施にかかわる理論から排除して来た。

通貨に交換されない労働の分野とは
家事一般労働、家庭育児労働、高齢者介護労働、障害者介護労働、個人感情充足労働といったものである。確かに経済の成長は、こういった分野の労働にも踏み込んで商品を生産して来たことは事実である。それも、「生活が豊かになりたい」とする夢や希望を少しだけ叶える商品としてなのである。洗濯作業から解放する洗濯機、飲食加工作業を軽減する炊飯器・電子レンジ・ガス機器、暖房作業を軽減する暖房設備機器、買物や流通に画期的変化をもたらした冷蔵庫や冷凍冷蔵技術その他である。こういった什器備品商品が、通貨に交換されない労働の分野に入り込んで、経済のサービス化が進んで来たのである。すなわち、単なる機能商品を提供するのではなくサービス化商品を提供したからこそ、什器備品商品が売れたのである。さらに都市化が進めば、コンビニエンス・ストアは、街中の冷蔵・冷蔵庫の役割を果たし、都市中心部に移住する高齢単身者の住宅事情と相まって、家事一般や高齢者介護の分野に広まってきている。

通貨に交換されない労働の分野での特徴的なことは
もっとも注意しなければならない要点は、この商品化されたサービスとか物資だけでは豊かさや富を実感する生活は実現しないポイントにある。先ほどあげた通貨に交換されない労働との組み合わせがなければ、有効な消費がなされないのである。そこには、通貨に交換されない労働こそが、世界的に見て女性が非公式労働者として役割を果たしていることである。世界的に見ても、いわゆるキャリアウーマンはこれらの労働に携わっていない。むしろ、キャリアウーマンの母親や親戚とか近所の女性が非公式な報酬を得ることで、キャリアウーマンを支えているのである。経済のサービス産業化の中には、こういった非公式労働から公式労働が関与する商品化が含まれているのである。
加えて、こういった通貨に交換されない労働市場にあっては、その労働の取引関係に、前近代的結婚制度や家族制度、唯物欲求幸福感制度といった慣習による抑圧的人間関係が介在している。むしろ、抑圧的人間関係のもとに非公式労働が存在する、すなわち非正規非公式な労働の取引を強いられる立場にあるからこそ、世間体若しくは家庭内の抑圧のもとで労働が行われる実態にある。ここに紹介するイギリスの事例では、非正規非公式な労働は低収入家庭の主婦に集中しており、高収入家庭の夫婦の如く家事分担すら行われていないとされる、注目すべき研究である。低収入家庭の主婦こそが、女性地位向上の意識は低く、パートなどの非正規労働と非公式な家事労働などで、男性に比べ長時間労働が常態化し、それが普通のことだと受け止めている実態が報告されている。
今年はじめに、社会学としてイギリスの実態を研究した、貴重な本が翻訳出版された。
(『「労働」の社会分析-時間・空間・ジェンダー』法政大学出版局 2014/02/10)
http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-67517-1.html

個人消費に直接提供される労働での注意点は、
俗っぽく言えば、「いわゆる愛情が感じられない」場合にあっては、人間疎外(空虚さが同居する)労働として顕著に現れることである。個人消費財を自ら提供(自分で何でもする)には限度があり、家庭内分業を促進するとしても限界があり、なによりも「家庭」そのものの形成が崩壊するのである。そもそも「愛」といった言葉の概念は日本になく、最初の日本語訳は「お大事に」とか「大事にする」との、室町時代の外来概念である。日本に古くから存在したのは慈悲であるが、その慈悲では家庭は成立しない。「いわゆる愛情が感じられない」場合とは、単純機械的に分析定義できるものではない。ただそれは、家庭内離婚とか親子断絶あるいは介護放棄の原因とならざるを得ず、それを法律や世間体でもって強要するわけにいかない。筆者の着想は、ここに女性労働や女性地位における日本の後進性を解決する着眼点があると考えている。ここでの社会制度の新たな発明がなければ、官僚の政策が進むほどに新たな人間疎外(空虚さが同居する)がはびこるだけで、いっこうに日本経済の成長・豊かさはやってこないと断言する。

まして、マイナンバー制によって女性や高校生は、
所得税や社会保険料の直撃を受けることとなる事態である。あれこれ理由をつけても経済の豊かさが後退することは間違いない。筆者の試算では所得税だけでも女性や高校生から年間3兆円の増税であり、社会保険料(実態は税金)の増額なのである。
先ほどの人間疎外(空虚さが同居する)であるが、それを引き起こす医療・介護・保健衛生に係る商品構成を改善するだけで、医療費や介護費用は激減することを忘れてはならない。すなわち、成人病の多くは予防医学で医療費を大幅削減できるし、シェアハウスなどの相互介護と介護行政の組み合わせでも介護費用は削減可能だ。日本国内でも30年前、乳児と老人の外来自己負担無料化の実験を行った村があり国会にも取り上げられたが、嫁と姑が相手を憎んで罵りあっていた争い、これが肌で感じて激減したとの報告だ。また、医療費負担で気兼ねしての老人自殺も減ったとのことである。なお、所得税の配偶者控除廃止の動きは、増税が目的でであって、女性の社会進出と称してもその効果の期待できる根拠が薄い。

女性の社会進出化を促進、とりわけ高年齢老齢女性の労働対策を、
「より正規の公式労働」の内側に向けて進めることは、通貨に交換されない労働市場の在り方と行方に決定的役割を果たす。高年齢男性は年金やその他でそれなりの収入をもつものも多いから後回しでも良いが、とかく話題になるのは高齢者男性ばかりである。高年齢老齢女性の「より正規の公式労働」、それは別に頭の固い官僚に任せる必要もなく、その手法は民間企業が行っても差し支えがない。折しも有期労働法制の政府議論の中で、清掃に携わる高年齢女性の労働契約問題が話題となっている。すなわち、法律的扱いの狭間に資するのが高年齢老齢女性なのである。
以前の総務部メルマガでも紹介したが、フィンランドでは家族の行う高齢者介護労働に対し正規賃金を家族に支払うこととして、同時に家族労働者に介護技能の教育を施す制度を実施している。イギリスの地域密着型介護制度も、ほぼこれに該当する。子どもの家庭教師紹介ビジネスが成功して久しく、学習塾ビジネスも固有価値商品理論に基づく企業では成功している。ここにも高年齢老齢女性の労働のヒントがある。
勘の鋭い読者ならピンと来るのであろうけれど、

こういった従来の労働が、労働集約型ビジネスに転換するチャンスが、
ここに存在するのである。それはあくまで、社会的認知のもとに「生活が豊かになりたい」とする夢や希望を、「いわゆる愛情が感じられる(それは共感作用の形をとる)」労働の提供を、労働力ではなく、固有価値労働として行えるか否かに成否がかかっている。従来のような「労働力」として扱おうとすれば、自ずと投資損となって失敗するのは当然である、投資損となることを知らないから詐欺行為にはならないが…。現象的には、提供先の人間関係トラブルとか事業所内労使トラブルの続発となって現われ、それに費やす時間と経費で経営破たんする。この固有価値とは、価値の消費や創造の段階で、関係者の「意欲・感動・希望」の3要素が一体となって作用している状況存在を指す。またそれは、「労働力」の交換を前提とした、労働基準法や職業安定法の概念にとらわれる事業である必要はない。ただし、労働契約法は近年成立したこともあって、いかなる労働集約型ビジネスも包括している。すなわち、労働時間で計測するのではなく出来高によること+賃金で報酬を支払わないことその他の労働概念である。労働基準法の適用枠外に、合法的に公序良俗延長線上に存在する事業であることが重要なのだ。
優秀な人物は、「一万人にひとりの割合」で育つと言われる。ちなみに、経済活動を含め事業というものをリードする人材は500人にひとりの割合ともいわれている。これは世界の共通した言い伝えであるようだ。事は、この優秀な人物を何れの分野の誰が確保するかである。経済界、学術界、政界、官僚、芸術界、経済興隆(ベンチャーのこと)、NPO・NGO界その他での優秀な人材を取り合いなのである。その優秀さは読者のあなたに潜んでいるかもしれないし、所詮、優秀な人物を確保する「何れの分野の誰」とは、読者のあなたに筆者は期待するところである。言い方を変えれば、一万人でひとりの優秀な人物を支えることなのである。


§労働関係法律改正=個別企業での具体的な、9つの現象
決定的に労働市場の構造的変化をもたらす事柄は、有期労働契約の無期契約への転換である、労働契約法第18条である。これをめぐっての厚生労働省の世論操作とPRには、近年に無くすさまじいものがある。
いわゆる、
通算契約期間が5年を超える場合は労働者の申し込みにより無期限の労働契約が成立すると法律で定めたことである。また、その場合の労働条件は、従前の労働条件が適用されることである。この場合の、「別段の定め」とは、立法主旨から不利益変更となれば法違反とされる。それは公序良俗に反するとの裁判例や判例法理を待つまでもなく、労働契約法第19条並びに同法第20条あるいはパート労働法により、その不利益変更部分は違反と即座に判定される構造となっている。巷には、「別段の定め」とか「5年以内労働契約終了」の契約を自由契約として締結すれば問題ない、とする詭弁が、利己的売上第一に走る社会保険労務士や弁護士に多くみられる。そういった誘惑に乗ると、訴訟が起これば企業が敗訴するのはもちろんではある。ところが彼らは、それを横目で見ている労働者の労働意欲が激減することでの経営要素(収益性・生産性・労働意欲・効率性)のエネルギーが激減する事態を度外視しているのである。
この無期契約への転換によって
1.企業組織内部の利益集団としての労働者(戦前制度で言うところの社員とか職員)と、それ以外の労働者であって無期契約の地位を保つ者の、二極の労働者概念に分かれることである。これをめぐって、就職意識は「就社なのか就職なのか」の2つに分割されることとなる。個別の企業に入社して出世と生活の安定を目指そうとの目標を捨て去ることが、国民的になされることとなる。過去の現実には、出世も安定も入社した時の夢とは別課題であり、むしろ出世しない人の肩書や収入の幻想にすぎなかった。とはいえ、いわゆる「ゆとり世代」と老人たちの評する年代(今年で28歳以下の者)の殆どは、そういった目標から既に脱却しているのだが…。
2.非正規労働者の多くは、無期契約の地位を保つ労働者となっていくが、業種や職種によっては限りなく非正規労働者であった者の労働条件に近づくことが予想される。厚生労働省は「ヨーロッパ:タイプ?」などと思わせぶりな紹介をするけれど、「job型社員」といっても具体性に欠けるものである。おざなりのように、最低賃金の確保とかセーフティーネットの整備といった選挙目当てに政策が並べ建てられるが、それが効果的であるとの異論もなければ実証経験も存在しないのである。まして、西欧や北欧のように労働組合が主導で労働者の職業教育訓練を行っている背景などは、日本に存在しない実状なのである。
3.労働者の大半を占める無期契約労働者の、この抜本的職業能力向上が不可欠であるにも関わらず、そこでの政策的施策を厚生労働省は何ら考えていないも同然である。したがって、新たな概念での職種ごとに、新商品開発の地域ごとに、世界の商品経済市場と互角に取引できるシステムを念頭においての、抜本的職業能力向上の教育が重要となるのである。決してそれは学歴高水準である必要はなく、頭脳の良さではなく、頭の使い方といった文化水準の問題である。頭の使い方が悪ければ、自然科学面でのイノベーションを追求したがるが、それでは世界経済での武器にはならない。
4.もちろん賃金体系も、「企業内利益集団メンバー」の賃金は年功序列型及び賞与や特段の福利厚生付のサラリーマン賃金に向かわざるを得ず、
それ以外の無期契約労働者は職務給とか専任給といった労働価値提供に応じた対価に対する報酬賃金に向かうこととなる。ただその途中経過では、サラリーマン賃金はゼネラリスト対応のものであるために修正が繰り返されるが、これが大手企業を中心とした企業内労働組合と経営者の論点となる。だがこの論点は社会一般では異質であり通用する論理ではない。労働価値提供対価型の報酬賃金は、ややもすると労働力(労働ではない)売買取引型賃金としてダンピングの対象とされることから、労働意欲の減退とか労働紛争の火種(=日本の場合は紛争の理屈付け)となって現れる。無期契約:労働価値提供対価型の労働者は、国内や先進各国の事例を見た場合、職業能力向上による労働価値提供内容の向上、それが商品単価の引き上げとなる循環の中で、「労働者の職業能力向上への期待」の存在によって、個別企業でのプラス方向のベクトルが働くこととなる、これは実証されている。引き上げられた商品こそ消費者が求める商品となることがマーケティングの柱となる。
5.非正規労働の悪根源と言われている労働者派遣は、無期契約労働者の職業紹介ショップとして有能な職人職能労働者をプールしておく事業に転換せざるを得ない。転換しなければ、現状でも累積赤字で経営が困難な状態に加え、様々な不都合が舞い込んで来る毎日といったビジネスを覚悟しなければならない。効率の悪さによる採算割れの事態である。日本経済のメジャーに位置する人物は誰しもが、現状の派遣が益々もって使いにくくなると判断しており、そこに無期契約労働者の大量形成といった厚生労働省の世論操作にさらされていると判断してよい。そして、メジャーに位置しない従来型の派遣業ビジネスで利益を得ようとするのは愚かそのものなのである。大半の経営側と労働側の弁護士でさえ、直に派遣業へのかかわりがなくとも、来年10月からの派遣と偽装請負関係法改正での訴訟の激増を予想しているのである。
6.個別企業の、無期契約労働者の人事労務管理において、労働価値提供といえども労働力だけを売買取引しようとのことでダンピング、すなわち人海戦術型業種(簡単なマニュアル以内での業務遂行完了)の事業所内での、未熟練労働者の大量採用と長期労働者の排除といった経営手法が存在する。まるで、マルクスが著書:資本論に示したイギリス産業革命後の劣悪な労働者状況に似たところがあるのだが。これに対して厚生労働省は国家権力による世論の納得ないしは押さえつけを進めるだろう行政が考えられる。それは、終戦直後に日本経済から軍国主義者を一斉排除するために憲法改正に先駆けて労働組合法を施行し、労働組合運動の活発化を容認する手法のようにである。ただし今回は、いずれの労働組合幹部たちも頼りにならないから、それを推進させる勢力を労働側弁護士たちに求めるきらいがある。それは、労働組合の交渉力に頼るのではなく、労働側弁護士たちが活用しやすい法律や法令の改正を繰り返していることにうかがえる。「日本が法治国家」であるなどとは事実関係からしても、おとぎ話なのであって、個別企業経営は地域経済の伝統や習慣に基づかざるを得ず、法律や裁判は紛争の後始末機関でしかないのである。
7.「雇用期間満了」といった雇止め(基本的には解雇概念)が正当とされるには、細かい契約ごとの労働者の承諾を証明するような契約書と契約交渉経過、雇止め時点の有給休暇単数相当分などの「今回限りの特例退職金」(いくら今回限りとしても頻度が高ければ通常退職金扱い)、期間満了報奨金制度、といったものを整備する必要がある。それもことごとく書証や証人が必要となる。ところが、こういった事は現場では無頓着極まりなく、見識ある人事担当者の言うことを聞かないのが大手企業始め現場の実態なのでもある。したがって、会社が敗訴する原因の一端もここにある。雇用保険の失業給付の需給の事実、解雇予告手当支払いの事実、振り込み退職金への意思表示の無い事実その他労働契約に直接関係のない事実関係といったものは、労働者の退職意思を示す証拠には採用されない。世の中には、期間を記入していないパンフレットのような労働条件通知書を配布する事業所現場も存在するようであるが、この場合はパンフレットを渡した時点で無期労働契約の成立と法律で判断される。もちろん、最初の1年の労働契約書を渡しただけで3度目の期間に突入すれば、これも無期労働契約の成立となってしまう。要は、本当の臨時雇いでない限り、雇用期間設定はきわめて難しいことになったのだ。
8.頭の「おめでたい」社会保険労務士や大手企業人事担当者の作成した就業規則には、社員の定年は定めていても、それ以外の労働者の定年を定めていない個別企業が数多くある。従来からも法律的には、有期労働契約の繰り返しをすれば、就業規則に「期間契約の就業規則は別に定める」であるとか、もとより適用される就業規則が存在しない場合には、労働者本人が死亡するまで労働契約は継続されるのである。事実そういった手抜かりによる会社の「終身」雇用は存在したのだが、事件数が少ないことにより社会一般では気がつかれていない。そういった「おめでたい」人たちの多くは頭が良いから、労働基準監督署の甘い囁きに乗せられて、社員以外にもいくつものパターンの就業規則を作ってしまって、あげく訳が分からなくなってしまったのである。良く似たことは昔、「パートには退職金は無い」と就業規則に記載しなかったことから、退職金を支払った企業が少なくなかったが、それと同じからくりである。今回は、「無期労働契約の労働者には退職金は無い」と記載すれば免れると錯覚する人も多く発生するだろうが、こういった労働契約法違反になることに気づかない「おめでたい」人たちは後を絶たないであろう。
9.厚生労働省の官僚たちは、先ほどいくつか示した個別労働関係の紛争を、当事者同士で決着させようとしている。それは、分かっていても現状でそこまで行政が介入するとなれば、「下世話な経営者」とか「無政府主義者」に対応する手間暇が生じて来るから、裁判所に役割分担させようとの政策判断をしたと思われる。だとしても、行政としての当事者責任から逃避する官僚たちの姿勢は、日本社会を維持する行政の職務怠慢としか言いようがない。社会秩序を維持するための社会コストは国庫金で賄うから納税するのであって、民間の紛争当事者に負担を負わせるのは基本的間違いである。端的に官僚たちの言い分を代弁すれば、「事件になって判決が出れば、面と向かって国家に歯向かわないから、説得の手間が省ける、といったテクニック」となるのだ。もとより、社会というものは理論やテクニックを持ち出せば論争を招来するのであって、社会(共同体)自体こそが自由平等を実現するための手段にすぎない、のであるから。

2014/05/06

第145号

<コンテンツ>
日本経済は衰退どころか、崩壊しつつある!
財務官僚たちの資産食いつぶし手法
資産食いつぶす残業無賃金法案、解雇規制解除法案
戦前も然り、軍事・大蔵・内務官僚が国をつぶした!
情報とは…情報に誤魔化されない手法とは
   【インテリジェンス収集手法編
   【インフォメーション精度確認編
日本の重要なエネルギー源・森林を考える(事例研究)
   ☆彡そのうえで、新しい森林産業の起爆として、
次代の経済に通用する職業能力向上のヒント


§日本経済は衰退どころか、崩壊しつつある!
経済経営学の本質を学んだ人なら、日本経済の現状を察知することができる。本質をつかむ学習は大学の経済学を卒業する必要は無い。その分野の勘が鋭ければ17~18歳で察知できる。その後の学習というものは、その勘の鋭さの成功率を高める様なものである。日本経済新聞ばかり読んでいると経済経営の勘が鈍くなることは良く知られている。所詮景気判断は経済統計の発表を待つ必要もない。
今年の4月から小売店からは、一挙に客足が遠のいた。市街地の喫茶店も然り、多くの人がコンビニで100円コーヒーを買って出勤している。スーパーやデパ地下でも生鮮食料品の品数が少なくなり価格値上げ傾向は否めない。1人当たりの賃金も、正規社員の賃金改訂?にとどまり、非正規社員も含めれば、実際のところは21ヵ月以上減少し続けている。正規社員から非正規社員への労働力転換も益々加速している。日本はついこの間まで輸出大国だったが、今や一転して輸出は不振となり貿易赤字が急増している。この経済の衰退は、消費税が8%に増税されたことが一原因であるに留まらない。世界経済の構造転換で貧乏クジを引いてしまい経済崩壊にさしかかったと診るべきである。これは日本だけでなくアメリカも経済が衰退し各所で崩壊が始まっているからだ。
この期に及んで、個別企業がとるべき経営管理方針は、一気に不採算部門を整理してその他、負の連鎖を断ち切ることが必要である。それは、“コストカット”とは違う方法で、企業再構築の気構えで事業再構築をする必要がある。また、その事業再構築は資金投入に頼ると再び負の連鎖を拡大させる。日本人は今後、しばらくの間は衰退の中で生きることになるから、財務官僚始め魑魅魍魎とした周囲の、「資産食いつぶす手法」の罠にはめられないことが肝心である。あくまで会社形態は、ひとつの経済活動の手段にすぎないから、企業も個人もが連帯保障を避け、通貨による投資・資本投下は行わないことが肝要である。冷静な目で、「本来売れるものは、営業経費をかけずに売れる」と見極め、需要に応じた固有価値商品を提供する職業能力を、個別企業として磨くしかない。すなわち、現在の市場に対して、個別企業が組織している労働者の職業能力向上、新規職業能力の着眼点を広め、労働者を再組織することから始めるしかない。(参照:次代の経済に通用する職業能力向上のヒント)。


§財務官僚たちの資産食いつぶし手法
経済崩壊にさしかかったことから、アメリカの金融利回追求企業と日本の財務官僚たちは、過去から国内外に溜まっている資金・資産を目当てにして、新たに価値を生み出すのではなく不良債権を急増させている。すなわち、借金で官民の事業展開を進め、その事業展開に踊り狂う個別企業と拝金人間をかき集め、手っ取り早く資金を(回転させずに)流通させ、溜まっている資金・資産で補てん=不良債権処理させるといった、「資産食いつぶしの手法」である。その資金・資産とは、個別企業や個人が保有しているものを税金と社会保障費(=税金)の名目で財務官僚に集積させることである。低収入高齢者や母子家庭乳幼児には、ストレートな生命を脅かす選択が迫られるから、その周囲の人の個人資産までも脅かされる。
ここでの特徴は資金を回転させないことであり、経営分析の指標である資本回転率は限りなく1回転なのである。そのような資金を供給しようとするのは日銀なのだが、ここしばらくは日銀金融政策では間に合わないので、官僚たちは市中銀行に負担させる国債を使っての借金事業展開(公共事業などの形態をとる)とか、あげくは公的年金基金でもって最高価格水準にある株券(=値下がり気配株)の買いに入っている。
こういった手法は、資本主義の原則から逸脱している。資本主義経済を活発化させるには、広範な事業活動における経営者の、「自由と平等」が重要なのである。この経営者の自由と平等こそが社会の活気を生み出す源泉である。マイナンバー制も導入されることとなり、社会底辺の潤いまでもが税収となれば、封建時代のような重税による産業荒廃が引き起こされるばかりだ。
にも関わらず、この経済の衰退・崩壊過程にあって日本の政府や自治体の官僚たちの手法は、権力を背景にした不自由と不平等を経営者に押しつけるものとなっている。この場合の経営者の自由と平等は、労働者の自由・平等とは違う角度で分析する必要があるのだ。女性労働力問題も、女性が社会格差で活躍が阻害されているからこそ、女性の自由・平等も独自の角度で分析する必要がある。注意を要するのは、経営者の自由と平等だけが、単独で保障される社会は存在しないことである。むしろ経済的貧困、世界観(哲学)的貧困、文化芸術的貧困に落ちれば、「意欲・感動・希望」といった商品経済を支える要素に対して、人間は誰しも、経営者、労働者、女性の特質を超えて、「アキラメルこと」が蔓延する。
そこに宗教活動(宗教観ではない)が社会不安とともに活発化するのであるが、「アキラメ」の宗教も蔓延し、「希望」の宗教も芽を噴き出すことになるから、事態はややこしくなるのだ。加えて、大手マスコミは、その宗教活動めいた手段で売り上げ最優先の経営を行っていると言わざるを得ないのである。


§資産食いつぶす残業無賃金法案、解雇規制解除法案
さらに財務官僚たちは、
(A)それなりの経営手腕を持つ労働者に向けては残業無賃金法案を
(B)消耗品労働者の自発的増加に向けて解雇規制解除法案を
彼らは持ち出してきた。確かに現状は、正社員には残業無賃金が広がり、会議・報告・打ち合わせに要する時間が増えて労働力(労働ではない)価値が急速低下し、あげく正社員の時間単位当たりの賃金が低下していると診た方が妥当ではある。また、現代日本の社会制度のもとで解雇規制を外したならば、お局・イエスマン・ゴマすりといった者らが有能な人材の若芽を摘み取ることは間違いないのである。
だとすると、個別企業には教育や練習によって能力向上する人材はいなくなり、労働の固有価値を発揮する人材もいち早く退職することになる。それは既に、金融利回り追求型企業の内部運営定石パターンが証明しており、有能な若年経営者・労働者が海外脱出する事例の通りである。すなわち、事業ノウハウを蓄積した中堅・中小企業にとっては、財務官僚たちから利益源泉を恫喝されている事態なのである。
労働市場全体としては、一般正社員が棚卸しされて一般長期契約社員に変更することで、格差は広がると同時に、ここでも資産が食いつぶされる事態(配偶者、両親からの個人的援助の形で資産消耗)となる。事業・産業育成型の個別企業にとっては、職業能力とか固有価値労働の啓発、人材育成事業場援助、人材育成企業認定制度、そして雇用保険の失業金銭給付に変わり社会人職業教育現物給付の施策の方が重要なのである。ちなみに労働官僚たちには助成金が目的利用外消化されている実態が見えていないのだが…。
この法案には、労働官僚たちも大反発し、国会に提出される当座の法案は既に骨抜きをされている。だが将来的には、労働官僚といえども財務官僚から独立したグループではないから、徐々に財務官僚の締めあげを受ければ、労働官僚たちは財務官僚の言いなりになることも間違いない。残業無賃金法案、解雇規制解除法案というものは、筆者からから言わせれば、「稚拙な官僚機構社会づくり」としか映らないのである。
日本の個別企業は、おおまかには金融利回り追求型と事業・産業育成型のいずれかに軸足を置いている。中小企業ともなれば、この2つのいずれか一方に偏っているまでに至り、軸足を置くのではなく何れかに偏るものだから経営破たんするのも当然なのである。そういった中で、金融利回り追求型と事業・産業育成型との対決のように事態を語るものだから、いずれの選択肢を選ぶかの稚拙な二元論に陥りやすくなる。マスコミが持てはやす経済専門家も、この稚拙な二元論を振りまいて、本質のごまかしをかけようとしている。その本質とは、衰退・崩壊しつつあるアメリカ経済を資産食いつぶし手法でもって立て直そうとする手法、これそのものに群がる「財務官僚」と「お零れに潤う拝金人間」の傘下に入り、その手下になることである。それは当然の如く、「先着順」の者だけが潤う構造であり、その末端に群がる「貧乏人が新たな貧乏人を再生」するシステムであることは歴史が証明している。


§戦前も然り、軍事・大蔵・内務官僚が国をつぶした!
明治憲法(能力だけは平等に扱う建前だった)が制定されても、実態は能力を無視した官僚機構でもって国家運営を行ったものだから、美辞麗句を並べた結末は、経済・社会・文化に至るまで「大政翼賛会」にまとめていったのである。その手法は驚くことに、世界最高の官僚機構を形成した「社会主義のソ連」の真似をし、社会主義5ヵ年計画に類似したばかりでなく、日本人が好みそうな世界観や宗教観を背景にした用語や漢字を使って(スターリン時代のソ連のように)、個々人の思考や仕草への介入(特高警察)にまで至ったのである。スターリン式の計画経済や聖書連想語句(ロシア正教全般の教育土壌)の活用や、演説や論文に使う用語の頭に「革命の~」とか「人民の~」の語句を加えるとか、あるいは新しい簡略語を導入する(日本ではイニシャルではなく、多重複雑概念を持つ漢字のキャラクターを用いる手法)など、その見本は、「社会主義のソ連」に存在したのである。例えれば、「鬼畜米英」とか「凛(りん)」とか「決死」などで、言葉の意味ではなく、その言葉の使われ方で効果があるのだ。(元のソビエトの語彙とは反皇帝側のロシア正教同士の教会間連絡評議会の意味であった)。=官僚機構の運営手段に興味ある方は、『ソヴィエト文明の基礎』みすず書房、『ロシアとソ連 歴史に消された者たち-古儀式派が変えた超大国の歴史』河出書房新社などを参考に=
日本の官僚組織は、ある意味で現在もなお「ソ連官僚機構」の初期段階手法を活用することで維持されているようだ。それは財務官僚を筆頭に徐々に進められながらも地方行政官僚にまで至っている。また、日本の大手企業も官僚とともに蜜月を長年過ごして来たこともあり官僚機構が浸透していったし、大手企業の人事部門若手社員が厚生労働省通達を鵜呑みに活用する傾向が顕著である。労働組合の組織も政党もやはり、官僚機構の組織運営をまねることで終戦直後は大勢力を誇ったものの、ただし官僚的運営のため衰退の一途なのだが…。だから何かに付け素人は、この官僚機構の幻想に期待して、日本での物事を進める傾向が強い。いくら能力があっても、チヤホヤされた人物は、骨肉を削り貧乏を貫いても、当座は官僚機構に群がるものである。それは官僚機構とは異なる生活・運営手法を見たこともない無知に原因があるだけだが。


§情報とは…情報に誤魔化されない手法とは
ICTとは、インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーの省略であるが、現代的には情報にごまかされないことが重要となっている。「昔は情報源も少なかったことから、注目や監視にさらされて情報精度も高かった」といわれるが、そんな間の抜けた実態こそ昔から存在しなかった。情報という言葉自体が日本で作られた新語である。いちばん貴重な課題というのは、情報でもって大成果を成しえた人や集団の、「情報といった言葉の定義」である。
大成果を成しえた彼らを研究してみると、インテリジェンスとは、インフォメーションとは、とはっきりした区別をつけていることである。この2つを大そう混乱させて仕事をしている人たちは、今や文部官僚や文部科学省事業費になびく学者・研究者に多いのかもしれない。また、コミュニケーションとは、あくまでも「推論による意図理解」のことである。このように概念定義をすれば、余計な混同も防げる。
インテリジェンスとは、
ひとつの目的や理念を実現するのに有利なインフォメーションを取捨選択し、次に加工した解釈論理である。人間は3人以上で行動を共にするには、「哲学」さらには「世界観」が必要となるが、この目的・理念を実現するための解釈論理なのである。したがって、決して事実の羅列ではなく、事実関係がより明らかなのである。だから、主体的に収集する人にとっては、「面白い!」現象と要素とを含むことになるのである。
インフォメーションとは、
単なる事実の羅列であって、事実関係を表しているものではない。統計資料ひとつをとってみても、その統計の目的によって数値的事実が現われていたとしても、事実関係を表してはいない。あるひとつの目的・理念を実現するための解釈論理を筋道立てて証明(合理一貫性)した場合に、初めて事実一致性を裏付ける証拠としてしか、正式に使われることはないのだ。例えばアメリカ連銀は金融政策に雇用統計を重視するが、日本銀行は日本の失業率や有効求人倍率=雇用統計を金融政策に反映させない。過日、日本のマスコミ報道水準は先進国の中で最下位以下にランク付けされたとの発表があったが、それはこのインフォメーションが自由に流通しないことを意味しているにすぎない。すなわち、経営管理や人生設計その他に最も必要なインフォメーションは、現代社会にあっては数量に左右されないのである。

インテリジェンス収集手法編
手っ取り早い収集手法は、その人の思考や信条を把握した上で、学者やジャーナリストの研究成果を受け取ることである。だから今もって書籍による情報提供が重要な役割を果たすのが。とはいっても、殆どの場合に実際の事業展開や経営管理には役立たないから、専属の専門家やミニ・シンクタンクと顧問契約するしかない。自前で調査機関を作るほどの人材確保経費・調査費用を捻出するのは大手企業でも困難・不合理である。そこで、まずはインテリジェンス収集の「当たり」をつけるために、その方面の書籍を読みあさることが効果的である。統計資料、新聞記事などは殆ど役に立たない。WEBで探すものは、その方面にどんな書籍が存在するかを探すのである。すなわち、インテリジェンス収集の作業は、極めて主体的であり積極的な作業なのだ、決して情報に振り回されるような作業ではない。実際、「情報に振り回される」と自覚している人は職業能力に問題がある。加えて、例えばアメリカ連銀が金融政策に雇用統計を重視するが、日本の失業率や有効求人倍率を日銀は重要視しないといった理由を知ることも、目的・理念での合目的的なインテリジェンス収集作業には欠かせないことである。インテリジェンスとは昔の言葉で言えば「教養」といわれるものに似通っている。

インフォメーション精度確認編
イ)当たりをつけるためのインフォメーションを探す場合の精度確認は、その内容の「合理一貫性」ならびに「事実一致性」でフルイにかけて行く。
このフルイの要諦の例え話は、:ガリレオの地動説に対する天動説には比類なき合理一貫性が在ったが、地球が動いているという事実一致性がなかった:といった確認手法である。
ロ)もうひとつの要諦は、:事実確認を迫るときに、「そんな言い方はしていない」と逃げられる場合に、「あなたの意思表示のどことが異なりますか」又は「合理一貫性のある概念ならば同義語なのではないですか」と、確認を追求することで事実一致性の整理はつく。
少なからぬビジネス書や「他人からの持ち掛け話し」の多くは、こういった方法で即座に精度の低いことが判明する。官僚の話を、この「合理一貫性」ならびに「事実一致性」でフルイにかけてみると、有用性と誤魔化しは一目瞭然となる。
ハ)水際の手法としては、日常的に飛び込んで来る、断片的なインフォメーションは、独自の全く別のルート3本からのものが一致しない限り、すべての話は「話3分の1」と割り切って仕舞っておくことである。断片的インフォメーションを確認もせずに裏づけ証拠として使用すると、事実関係自体がひっくり返る。それは読者も冤罪事件報道でなじみ深いものだ。
ニ)様々な面談や会合に持ち出される話は、この「合理一貫性」ならびに「事実一致性」を整理した上でのペーパーを入手すれば、あなたの取捨選択の時間が省ける。相手方に促してもペーパーすらも出てこない様な話は、もとより検討の余地は希少だ。これが量的精度確認手法である。
……インフォメーションの活用と小田原評定に、圧倒的な正社員が会議・報告・打ち合わせに時間を費やしており、これが正社員の残業無賃金の原因にもなっている。またペーパーの取捨選択をアルバイトや末端社員にさせれば判断を誤る、官僚主義の第一歩だ。個別企業の経営者は、正社員のそういう働き方を嫌悪しているにも関わらず…。


§日本の重要なエネルギー源・森林を考える(事例研究)
日本は国土に占める森林の割合が非常に高い。ところが、この資源については全く活用されていないのが現状だ。なぜなら、おそらく、森林エネルギー活用は原発稼働問題を解決するかもしれないからだ。筆者の推論だが、終戦直後の農地改革でも山林は手をつけることが不能な要素をもつ程であったから、金融利回り追求型の資本や事業が食い込めなかった産業と考えられる。また特徴として、戦前までは炭や薪による生活熱エネルギー供給源であり、戦後復興期は住宅資材の供給源として、当時の生活文化産業の柱であったからだ。その後のエネルギー転換政策で、体よく産業政策から排除されていたことも否めない。また現状、ウワサとは異なり、国内の木材は大量乱伐しても外材よりも低価格で扱われている。そして今や、生息する森林や雑木林は超過密状態若しくは原生林化が進んでおり、山崩れ、保水力低下、鳥獣被害といった、「里山といわれる産業」の障害や破壊を引き起こしつつある。
ところがなぜか、学術界も住民意識も森林産業を農業とは別物のように受け止め、生活や経済の豊かさへの活用というよりも、もっぱら懐古趣味の対象として扱われている。政府の林業政策は、林業の事業規模集約化と東南アジア向け輸出といったテーマを掲げているが、あえて抵抗が多く座礁する着想を掲げることで政策を停滞させるといった、いつもの官僚たちの手法(彼らは素人ではない)にすぎない。唱えられている国土緑化政策も、環境意識の向上をかわすためのポピュリズム迎合に徹した、現実と相反する仮説や情報の洪水である。
筆者は、予期せず昨年末から森林経営をすることになった。
その役目は生まれながらであり、そのために教育投資のみ私自身には施されていたが、その経営に携わる時期は未定であった。このように経営を継承させる手法こそが、近江商人(武・農・商が一体)の真髄そのものの一端である。そこには一挙に新産業展開できる基盤も、近江商人(武・農・商が一体)の真髄なる流儀により整っている。そこで筆者は5ヵ月の調査研究を経て、滋賀県彦根市の市街地にある、「極めて珍しい木材家屋」を近江商人や地場の産業・環境研究の無料滞在施設にした。

☆彡そのうえで、新しい森林産業の起爆として、
鈴鹿山系北部に広がる山林は次のように産業開発をすることとした。
1.利回資本投下で事業展開するには、そぐわない資本回転型なので、需要側の資本投下に傾斜する。
2.森林産業を林業化してしまえば、木材その他資源は通貨価値を失うから、森林産業として展開する。
3.鳥獣被害は生態系バランスの歪みだから、森林産業として生態系バランスの起爆ポイントを実施する。
4.都市部への人口集中の激化で、緑化とICT機器による精神肉体安定事業は、都市の固有価値労働に不可欠である。
5.人間・化石・植物・自然のエネルギーバランス再編の創意工夫によりエネルギー費用が低下する。
6.その豊富なエネルギー効率供給により、固有価値労働を支え、「意欲・感動・希望」の商品生産基盤を作る。
7.需要からかけ離れた補助金漬の林業形態から、森林が生み出す固有価値商品への産業転換を強める。
8.新しい森林産業には、産業芸術家、学術研究家、需要側資本機能家、経世家たちの、職業能力と力量が必要である。
9.この産業開発の基地ともいうべき拠点は、ここである。
  http://www.youtube.com/watch?v=gB55xI-Yau4
……学術・技術・芸術から固有価値経営~固有価値労働に渡り、生活文化産業として固有価値商品の供給を、あらゆる人たちとの協力・提携を進めて行く戦略とした。協力・提携者を募っている。ピンと閃いた方は気軽にどうぞ。《連絡先:mail@soumubu.jp


§次代の経済に通用する職業能力向上のヒント
日本経済は、衰退過程どころか経済が崩壊しつつある。これはアメリカも同じことである。大半の人たちは、過去の遺物にしがみついて経済を維持しようと経済外の方策でもって現状維持しようとするのである。その経済とは、経済成長と経済の豊かさの両面に渡ってである。ところが、経済が崩壊過程に入ったとしても、社会の過去的又は将来的構造は維持されるから様々な矛盾が肌身で感じられるようになるのだ。衰退産業における個別企業は、同業他社が数多く廃業してくれれば、自社の売り上げが向上するから、目先の売り上げのため産業全体の構造改革は行わない。女性の社会進出といっても、現在の結婚制度の変更がなければ進展するはずもなく、ことに経済の豊かさを追求するには無理がある。
そこでは、次代の経済に通用する職業能力のメドを立てる必要が、個別企業も個人にも大切なってくるのだ。経済成長一本ヤリの着想だからこそ衰退→崩壊に向かうのは自明の理である。経済成長と経済豊かさは飛行機の左右の翼ではあるが、現在必要なのは経済の豊かさを良心として求める具体的行動の活発さなのである。ここに、経済活動の片肺飛行と失速の原因があるのだ。
次に、その研究のヒント例を示すが、こういった職業能力が普段に論理構成として学術展開されることが望まれる。それは、前回のメルマガでの「職業能力の練習による向上」の、次の分野に位置づけられるだろうが、もちろん個々の職業技能を早く習得した人材により、高い収益が得られるのは間違いない。(引用=中央公論新社:室井滋『玄人ですもの』(インタビュー集))
1.水戸岡鋭治(インダストリアルデザイナー)
 マンションの完成予想図:「人や花、木など、生活スタイルが見えてくること」
 電車のデザイン:「電車だけでなく、ホームにいる人がどんな動きをしてるか描き込むこと」
2.立川志の輔(落語家)
 「立ったり座ったり動いたりすると、感情が入りにくいんですよ」。
 「古典落語は無駄という無駄を削ぎ落として、人間のいちばん大事な感情だけで笑いを作っている」。
3.山口晃(画家:大和絵師)
 「得ることだけを念頭に描いた作品が、……その作品は全く売れない。描きたいものがあって一所懸命取り組んだものから売れて行きます」。
 「絵描きは100ヵ所を見に行くより、1ヵ所を百回見る方が才能か、と思うのです」。
4.金澤翔子(書家…障害があるため母親が代弁)
 「翔子は子どもの頃、右肩あがりという概念が理解できませんでした。楷書の基本中の基本のですが」。
 「書道で大事なのは形と線です。形は何年か鍛錬すればできますけれど、線は書く人の生き方や態度がそのままでます」。
 「翔子に指導してもらった子はすぐにわかります。言葉や理屈ではなく、体の重心移動で筆を運ぶことを覚えていますから」。
5.穂村弘(歌人)
 『雨だから迎えに来てって言ったのに傘もささずに裸足で来やがって:盛田志保子』
 …この解説として、「普通に傘をもって迎えにきたら、きっと3週間もすれば忘れる。でも。この体験をちょっと忘れない。……社会的な強制力の方が強いから、だんだんそういう思いを自ら消すようになる」。
 「女性は感覚が社会化されていないことがあって…。表情や間の取り方で、若者はすぐ見抜きます」。
6.日比野克彦(アーティスト)
 「美術が嫌いな子どもは、たいてい学校の図画工作や美術の授業で嫌いになる」。
 「リラックスというのは、けっして何もせずに居たりすることだけではないからね。いつもと違う時間の流れを、生活の中に入れることだと思います」。
 「絵を書くとき、人がこれを見てどう思うかという、相手の気持ちを思いやる感性がないと、独りよがりになってしまう」。
7.中島盛夫(銭湯絵師)
 「色は薄い色に濃い色を重ねて行くと、刷毛をあまり洗わなくて済む。使う絵具は赤、黄色、青、白の4色だけ」。
8.戸恒浩人(照明デザイナー)
 「ほの暗いなかでちょっと点いてる光が素敵に見えたり、建物が美しく見えたりする。今まで無駄な光がいっぱいあったということに、多くの人が気付いたんですね」。
9.戸島国雄(元警視庁鑑識課似顔絵捜査官)
 「まず(目撃者から)、どういう感じの人でしたか?どんな職業の人に見えましたか?と、見た瞬間の印象を伺います。……具体的な細部から聞く人(似顔絵師)もいますが、それだけではうまくいかない」。
 「だいたい描けて来ると、明るい雰囲気の人物か、暗いイメージかを必ず尋ねます。印象を大きく左右するので重要です。そのうち、描いている途中でワーッと泣き出す人(目撃者)がいる。そうなると、ほぼ完成です」。
 「鑑識撮影は、基本はフィルムです。というのも、デジタルカメラで撮影したものは、後でデータを変えられるため、証拠能力に乏しいのです」。
10.鎌田浩毅(火山学者)
 「火山灰は、タバコの灰とは違います。岩が細かく砕かれた、とげとげザラザラのガラスの粉のようなもので、目やのどに炎症を起こします。風で舞い上がり、雨が降れば固まってしまう。宝永の噴火では、江戸でも火山灰が積もって、1ヵ月以上住民を苦しめたと記録されています」。
 「最も恐れるのは、コンピューターがやられること。火山灰は静電気を帯びているので、冷却用の吸気口からコンピューター内部に入るといろんな場所に張り付く。その結果、軒並みダウン。……前回(宝永噴火)のような大噴火になったら東京ばかりか富士の風下にあたる関東全域で、そんな事態なる可能性を否定できません」。
 「(大噴火で避難する時は)、背広にグレーか紺のネクタイと決めていますよ。有事には信頼感安心感が大事ですから」。
11.本川達雄(生物学者)
 「小さなネズミの心臓の脈拍は速く、大きな象の心臓はゆっくりと打つ。拍動ではなく呼吸や一生の時間もサイズに関係しています。大きな動物は長生きで、小さな動物は早く死ぬ。ところが一生のうちに心臓を打つ回数は、ネズミも象もほぼ同じです」。
 「(沖縄の)居酒屋のおばちゃんが、今起きたことを即興で歌にして、歌いながら踊るんですよ。衝撃でした。これが本来の音楽だと思いまして…」。
12.遠藤秀紀(遺体科学者)
 「消防士は火事を選り好みしない。どんな火事でも消してこそプロなんだ。解剖学もそれと同じだと」。
13.原島博(コミュニケーション工学者)
 「3秒美人とは、街で見知らぬ人を一瞬見て、お、綺麗だという美しさ。3分美人は、いうなれば受付嬢や客室乗務員など職業的な笑顔を伴う美しさ。綺麗だと思っても、そこにはカウンターというバリアがある。それなりの距離を隔てて見る美しさです」。「30分美人、30分もコミュニケーションをとると、作り笑顔ではなくその人の素の表情が出てきて、そこに魅力を感じることができる。さらに3日話せばその人の人生観や価値観が見えて共感できる。それが3日美人。そして3年は、如何に素敵だと思って恋愛しても、3年持たせるのは大変なことです。3年一緒に過ごせるか否かで3年美人かどうかが決まる。俺も浮気はしたけれど、やっぱりおまえがいちばんだ、というのが30年美人」。
 「相手と自分との距離が近づけば、魅力としてみえる部分も変わる。だから、顔とは客観的に存在しているものではないのです」。
 「不安があると、美しかった過去にすがる生き方になりやすい。そんなつまらないですよ。将来こんな顔になりたいと未来に希望を持つ生き方の方が素敵です」。
14.大平貴之(プラネタリウム・クリエイター)
 「(プラネタリウムを)作る過程は理系、プレゼンテーションでは文系の世界に入って行く」。
 「最近は何事につけ、リスクを排除しますよね。子どもの頃色々と冒険していかないと、生きているという実感がどんどん乏しくなって行く。リスクに対する感覚も解らないまま大人になる人が増えて、発想力も育たない気がします」。
 「プラネタリウムがある科学館は大抵、官公庁や自治体が管理していて公共入札ですから、求められる仕様以上のものを作る必要がなかったのでしょう。僕はそんな事情を知らなかったから、作りたいものを作った」。
15.今尾恵介(地図エッセイスト)
 「昔の日本では市街地と農地がはっきり分かれており、町はコンパクトにまとまっているのは分かります。ところが最近は車で動くことが前提だから、住宅地がだらだらと郊外に広がっている」。「ヨーロッパでは、畑の真ん中に大型スーパーなどを建てられないように規制しているところもありますが、日本ではビジネス優先で、障害者や年配者には暮らしにくくなってきています」。
 「なぜ先祖様達が何度も津波の被害を受けながら、何百年、営々とそこに集落を作り続けて来たのか。そこがいちばん住むのに適していたからです」。「“川は昔の流れを覚えている”という言い方をします」。
……ここで注意が必要なことは、こういった人たちはバランス良く能力向上を図っていると思われる。決して、その方面の能力を闇雲に訓練練習して身に付けているのではない。すなわち、訓練練習した能力以上は身に付かず、むしろ劣化するのである、今の日本のように。

2014/04/08

第144号

<コンテンツ>
日本再生のための =基礎と実践の理論= 特集
  ・「夢と希望」こそが、正当な経済活動である。
  ・最新医学研究でも、「意欲・感動・希望」の脳内メカニズム
  ・必ずしも通貨のみによって流通・交通・航路を行うわけではない
  ・「経済の成長」は、等価交換物としての通貨だけで計測される。
  ・そもそも公共事業その他は、良心の自由を柱に成り立つ
  ・現代日本女性への隷属的抑圧的社会システム
  ・実際に「経済の豊かさ」を創造生産している地場産業・新商品開発や地域

頭脳労働のメカニズムの解明
固有価値を生む労働の職業能力を育むための実験
実証=職業能力向上の「練習」、その方法の主旨
  1.質の高い練習方法は、正しい指導とフィードバックに集中する。
  2.集中せずに漫然と練習すれば、仕事も漫然となる。
  3.フィードバック反復練習の成功率で習得確認、計測、管理、項目設定を。
  4.習熟段階に併せ水準をアップ、可能な限り複雑なものを正しく。
  5.練習時間の80%を集中し、その人の得意な部分を桁外れに強くする。
  6.本番で、複雑さや不確実性の困難に直面しても余裕がでる方法。
  7.即刻!能力や才能を低下させる、危険行動と領域


§日本再生のための =基礎と実践の理論= 特集
日本経済が成長しているような雰囲気を醸し出すマスコミ報道は非常に多い。ところが、実態の景気は好転しているわけではない。ある瞬間の統計データだけを取り出して、さも全体を見通すかのような説明というのは、統計学に無知な人たちのすることである。実体経済や「経済の豊かさ」で日本の地位は転落の一途である。多くの評論家は、「番組視聴者の受け狙い」に走っているから、思い切った自分の考えを表すこともなく、奥歯に物をはさんだ表現ばかりである。そもそも、コミュニケーションとは「推論による意図理解」なのだが、奥歯に物をはさんだ表現でコミュニケーションは成り立たない。
そこで、今回のメルマガは、日本の経済と社会を再生するための、「基礎と実践の理論」の特集とした。「インフォメーション&通俗解釈」では、寄せ集め観察と生半可な屁理屈のごった混ぜにすぎない。大まかな結論は次の通りである。そして、その「基礎と実践の理論」に基づく、日常行動の具体策も提起している。
「現状を転換するには、創造性を柱においた経営方針が個別企業に必要である」
ということだ。多くの企業と人間が貧困に陥っても、浮かびあがっていることができる集団は、唯一このポイントに拠るのである。
創造性もなく、発展途上国と同様の水準で事業を回しているのであれば、日本が経済後退するのは当たり前のことである。メルマガを書きながら筆者が経験した、再生前企業体質そのままのJAL予約受付センターのようなものである。それは、国や地方の官僚たちが組織保身を前提とした政策をアレコレと打ち出し、あるいは民間企業の能力が無いゆえの「官僚手法の猿真似」に走る経営幹部・管理職たちが示す、経営管理(国家も基本は経営である)そのものである。すなわち、説明をきかなくても読んだだけで、「見るからに、空回り」といった経営方針や施策物ばかりである。この屁理屈自体をもっともらしく説明しようとするものだから、益々怪しげに陥るのだ。(大学でカントの哲学すら読まなかった似非秀才かな?) 経済政策全般から始まって、雇用分野の女性進出、保育士の確保といった、社会に影響を与えるような官僚の説明(政策?)もが、すべてが白々しいものである。社会保障や医療介護は予防や事業の創造性を募っていけば、消費税を増額し湯水の如くばらまく(交付による権力)必要など在りもしないのである。
似非なる秀才には、そういったことが解らない。第2次世界大戦前のドイツでは、ナチスが政権を維持するために、すべて前倒しの借金で失業者400万人の瞬間救済をした。労働者の福利厚生や娯楽にも、選挙の集票のために多額の国債を投入した、この事実は殆ど知られていない。その裏では、ナチス政策に異を唱える人物を、森や収用所でナチスは命を消していった。警察は殺人傷害を捜査せず全て見ぬ振りをした。すなわち何時の時代でも、似非秀才は、保身のために、実のところがバレないように、アレコレと何でもしてしまう種類でしかない。

「夢と希望」こそが、正当な経済活動である。
それが人間の生きる支えである。この生きる支えがあってこそ、「生命(いのち)を生きること」が社会擁護され、その基盤の上に個々人は尽力をするし、その組織は活気を帯びるのである。夢や希望が叶えられないような商品を、製造して売ろうとしても、そこに「心や気持ち」が注がれるわけがない。商品流通や小売り販売の歴史を見ても、良い?商品であっても、そこに「心や気持ち」が注がれているような行動がなされていたからこそ、成果をあげた例ばかりである。
固有価値が従来論じられてきた商品価値と大きく異なる点は、固有価値には「夢と希望」を含んでいることである。この「夢と希望」のために人類は自発的労働に携わることとなり、それが良心(内心)の自由と自覚されるときに、その固有価値商品の流通・交通・航路のために社会経済制度の変化もおこして来た。
注)商品価値の「固有価値」理論の果たす役割
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/149

従来の商品価値論では、その殆どが「ぼんやりした欲望全般」に基づいて経済活動が行われるとした曖昧なものであった。ところが、公共事業その他の経済外的強制の働く商品を除いた場合にあっては、そこには少なからずの、「意欲・感動・希望」の一体化した商品価値の3要件が含まれていたことは確かである。
注)固有価値の絵
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/142

最新医学研究でも、「意欲・感動・希望」の脳内メカニズム
が解明されつつある。この医学側面からも、人間は固有価値を商品その他に求め、あらゆる欲求全般のために活動するのではなく、唯一固有価値を創り満喫するために心身が動かなくなるまで活動し、「意欲・感動・希望」の脳内メカニズムにより心身が自ずと長持ちすることが明らかにされて来た。それは各人のもつ宗教観をも変化させ、旧来宗教団体教義が問い直されつつある社会現象にも至っている。
医学的に
「意欲・感動・希望」の固有価値商品3要件ごとに説明すると、
☆ 意欲 =脊椎動物は総て意欲をもっている。その根源の例を挙げれば、血糖値が下がれば食欲が生まれ、血中ナトリウム(Na)が増加すれば水が欲しくなる、といった類いのものである。
☆ 感動 =人間はドーパミンの作用により、いわゆる大括りの快感を物理的に自覚・感じるのである。また、ノルアドレナリンの増加は脳内トップダウン思考や集中思考体調を促進させる。半面そのノルアドレナリン抑制は頭脳の創造的イノベーション作用に効果する。なお、覚せい剤やアルコールは、脳の思考停止をもたらすが、創造性や芸術性には全く何の関係もない、単なる依存物質である。
☆ 希望 =人が希望を持つということは、脳医学的にはおよその段階ではあるが、脳の左右の前頭葉部分の血流が促進される場合に希望が湧いて来る、左右が重要で、そのことが証明されている。
現在ここまで脳の作用について、最新の研究が進んでいる。そもそも、世間でよく話題とされる知能指数というものは、19世紀に発案されたものでしかない。その時の知能テストに対する環境や自覚気如何で、平均値を100とする上下20の、40点は誤差の範囲として判断される精度である。発案者によると、80点以上かそれとも未満かの判断でしかないとされている。それが現代では、ガードナーの「多重知能」(1985年)、言語、論理、数学、音楽、身体運動感覚、空間、人間関係の7つの能力が重なり合っているとされているのである。このガードナー自身も、さらに多くの能力(例えば、霊感的)を著して(1999年)いる。
注)「脳は創造する-そのメカニズムと育成法-」
新風書房:ケネス・エム・ハイルマン(2013年8月30日)

必ずしも通貨のみによって流通・交通・航路を行うわけではない。
そのときが、この固有価値が商品となる場合である。「意欲・感動・希望」の一体化した商品価値の3要件こそが固有価値を含む商品にほかならない。
とりわけ、「意欲・感動・希望」のなかでも、あえて「希望」の分野だけを取り出してみると、人間の体内物質によって反応するのではなく脳の前頭葉の働きが加わることによって形成されている。すなわち体内物質や薬物ではなく、人類が育んで来た「文化そのものによる価値」の形成がなされていることの裏付である。それが個人や集団の文化となって、文化資本として蓄積されることによって、通貨には置き換えられない固有価値の蓄積・創造生産が促進され、そのことによって、さらに経済活動の中での「経済の豊かさ」が形成されているのである。
それは、流通・交通・航路の過程において、その固有価値は商品を観た利用者に「足を止めてもらう程度の水準」を保っていなければならない。実際に計測され得る「経済の豊かさ」の尺度は、この「足を止めてもらう程度の水準」からが、第一歩は始まるのである。それは、いわゆる近代マーケティング手法の根本的な前提条件であり、これが無視されている市場(実態は市場とは言えない空間)では、経済外的強制を横行優先させるがために、労働者の職業能力劣化、市場流通量激減、不採算価格システムに陥っている。
「個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為」は固有価値が商品として流通・交通・航路していることの、人間関係における現象としての現われである。人間関係があってから、「個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為」が生まれるのではない、小売り販売の未熟者の陥る過ちである。ところが、芸術に名を借りた学芸会や品評会であれば流通・交通・航路が短絡的人間関係に左右されるばかりか、これに対して商品価格の「値がつく」わけがないのである。例えば、日本のクラシック音楽界は学芸会や品評会と言われる事例が圧倒的であり、アメリカの場合はそれを克服したとされている。
注)手法や装置ではなく、マーケティングの兆しの発見
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159
ヨーロッパも克服しつつある。
注)http://www.youtube.com/watch?v=xlODtMtTGOk
これら音楽界についての事例研究は、音楽業界の多くの方からインタビューした内容の、彼らの中で前向きな人物の代弁を筆者が行っているにすぎない。これに対して、地場産業や地域におけるヒット商品は、都市部や農村部の如何を問わず、流通・交通・航路している事例ばかりである。

「経済の成長」は、等価交換物としての通貨だけで計測される。
しかしながら、確かに計測され経済成長したとしても、同時に豊かさが保障されるわけではない。通貨という等価交換物の尺度は意欲と感動の2つの部分に限られている。「意欲・感動・希望」が一体化することによって生まれる「経済の豊かさ」は、今日までそれが数量に置き換えられて計測されたことはない。だが、数量計測出来ないからといって計測自体を拒絶(計測自体を批判する論理)する哲学や宗教団体概念も存在するが非科学そのものである。計測出来ないながらも「経済の豊かさ」自体を、通常の哲学や宗教観では価値として、通常の人間は認知している事実は存在している。そして、いずれは法則性を研究する学問として成り立つものである。
身近な医学話をすれば、LDLコレステロール値が低すぎるのは、すでに肝臓病になっていると診なければならず、飽和脂肪酸の摂取と治療が必要となる。ところが、数字と循環器疾患種類ばかりをデータ追跡するから、「コレステロールを食べなさい」とのマスコミ記事がたびたび出てしまうのである。医師の中にも、未だ「コレステロールを食べなさい」と話す者もいるそうである。寄せ集め観察と生半可な屁理屈のごった混ぜ、すなわち知識偏重になると、そのように解釈するものである。
また、確かにそれは公共事業その他にあっては、価値の計測はしていないものの固有価値が、社会通念として、「ぼんやり」認められているも場合も多い。ただし、その固有価値の合理一貫性を証明したところで、事実一致性を通貨によって計測しようとするものだから、固有価値の要件である「意欲・感動・希望」の一体化した価値の概念とは、証明手法(さらには存在有無と通貨置換では判定基準が違う)の選択間違いから、計測手段と方向の技法での対立(論理矛盾)をせざるを得ないだけである。合理一貫性と事実一致性で固有価値の有無を判定することと、事実一致性を通貨による計測ができたことでの存在量を判定しようとすることとは別の立証課題である。まして通貨による計測不能だからと言って存在を否定する論理は詭弁にすぎない。また、その対立(論理矛盾)を政治力や世間体の経済外的強制でもって、それを地場産業や地域住民に無理強いしようとする着想と曖昧表現が原因して、「経済の豊かさ」を幻想と錯覚し、それにまつわる抵抗運動の発生に至るのである。まして合理一貫性とは無縁な曖昧&権力依存症の論理のゆえに、ここでも寄せ集め観察と生半可な屁理屈のごった混ぜが行われている。

そもそも公共事業その他は、良心の自由を柱に成り立つ
議論を踏まえての、人類の「夢と希望」を促進させるための文化資本として扱われる必要がある。通貨に置き換えた予算措置を用いて、その免罪性を議会若しくは人頭数に求めてきた経済論理は、いまや世界経済を破たんに導いた手法の弁解弁明に利用されている。その経済理論(スラッファの経済理論を悪用)は、第2次世界大戦直後に、ソ連の官僚たちが真っ先に導入した。日本の官僚たち、総理大臣となった官僚もなおさら、この計画経済思考を高度経済成長政策にはめ込んだ。
加えて国民の自律意識が低いことを悪用し、経済が好循環しないばかりか危機を回避出来ない必要悪な対策として、隷属的消費者の増大・再生産が目的化されてしまえば、隷属的消費者の「意欲・感動」の欲望は(脳の作用で説明したように)コントロールされてしまう。それは、「紛争招来と人間抹殺」による解決の罪を招かざるを得ず、公共事業の空回りは著しくなり、紛争解決社会コストは厖大となる。それは多くの人が、うまく説明をできないけれど、肌身で感じていることである。またそれは、このメルマガの冒頭で述べたような、第2次世界大戦の教訓である、日本の戦中はドイツよりも酷かった。
解決策は、公共事業・施策の「視点の変更」だけでよい。
なけなしの公共事業に、今のような群がる隷属的事業者が寄りつくことも防げる。「意欲・感動・希望」の一体化した商品価値の3要件の固有価値の生産を促進する、公共投資の視点で良いのである。この3要件を尺度にすれば、「寄せ集め観察と生半可な屁理屈のごった混ぜ」であることを明確にさせることが出来る。先ずは、将来破綻するとわかっている方針は止めることである。止めた上で「夢と希望」が促進されることが「良心の自由」といった人間個々人の原動力を動かすこととなるのである。それは、EUの理念としても実証されている。

現代日本女性への隷属的抑圧的社会システム
における結婚や家族制度は、「心を尽くし、精神(気持ち)を尽くす」といった「良心の自由」概念との矛盾が限度に達しており、それが文化転換→経済発展→自由平等の社会共同体の妨げになっていることは、あらためて認識若しくは社会システムを問い直す必要がある。それは、個別企業の市場や、公共施策の空回りの現象には明確に現れている。それが判らないのは、説明する技法は必要無いけれど、社会生活で最も必要とされる洞察能力が似非秀才だからである、もっとも秀才とは洞察力は劣化した有能者との学説もあるが…。ことに、女性が肌身で感じ取っている事実すらも解からないのである、鈍感な女性が故に中途半端な管理職になれるとの説もあり…。
ただここで、隷属的抑圧的社会システムを克服し得る手段は、事態を認識する度合いでもなければ社会システム変革の学習でもない。解決策の一例をあげれば、様々な職業資格や能力検定を認定するカリキュラムの中に、個人事業や組織運営の「経営管理の基本課目」を必須とすることで、労働における自己の自律を促す経済施策である。カリキュラム例を挙げれば「契約とは申し込みと承諾の意思の両者の一致である」とか、「所得税・社会保障の仕組み」とか、「職場会合の方法」とか、「事業融資の仕組みと種類」などである。隷属的抑圧的社会システムから脱出するには、自己を見つめ自律するための「術(すべ)」が具体的克服には必要なのである。ただそれを成す原動力も、「意欲・感動・希望」が一体化した固有価値を個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為として、繰り返すが感動的な嬉しい経験により頭脳に蓄積される変化として、提供される場合にあってのみ、存在するのである。

実際に「経済の豊かさ」を創造生産している地場産業・新商品開発や地域
の事例を順次検討してみた場合、「議論を後回しにして、投下通貨資本を用いずに、文化資本の投下」でもって実践し、実践データでもって反省し、この実践と反省を繰り返す中で初めて成功している事例ばかりである。それは、都市部においても農村部においても同様であり、ICT技術によって益々同様化し農村と都市の格差は縮小している。
失敗事例の現象面で注目されることは、
議論ばかりして文化資本投下を先延ばしにしている実態、投資通貨資本に惑わされ不良債権を最終に抱える実態や予見不足、創造的生産を個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為として行わなかった実態とかの、失敗パターンが主要なものである。なお、経済成長を追求する計測方法を、唯一「名目通貨量」に頼っている人たち(行政関係者の予算措置)が少なくないが、その方法によって、「経済的豊かさ」の実測が曖昧にされるとか、隷属的消費者の増大・再生産が実態としてあげくに目的化され促進(公共事業の外注による官製貧困化現象)されてしまっている。


§頭脳労働のメカニズムの解明(再録)
1.新商品の開発とか、芸術的商品提供とか、複雑状況下での人心をまとめるとか、およそこういった作業が頭脳労働と呼ばれているのである。机に向かってパソコンを動かすなどは、あるいは基準に基づいて書面・文書を作成するといったものは、頭脳労働ではなく、「脳ミソ肉体労働」にすぎない。
(創造性(芸術性)の育成と鍛錬の資料)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246

2.その頭脳労働と言われるものの、プロセスを順次説明して行くと
(1) 過去の記憶は、インテリジェンス、文化の発展・変遷の蓄積作業
(2) ある程度の蓄積のもとに、目前の事実関係(事実の羅列ではない)の掌握
(3) この過去蓄積と目前事実関係との結合connect作業(実存哲学分野では時空間を飛ぶという)
(4) とりわけ時間や時期を重要視するギリシャ的哲学発想の克服
(5) この克服訓練ができれば、結合によりイメージ(想像)の作業が容易になる
(6) イメージができれば、合理一貫性でもってクリエイト(創造)が出来る
(7) 実験を積み重ね、事実一致性でもってマニュアル的に現物が完成する
(8) 現物となれば、製造やサービスにかかる実行技術で効率を引き上げ量産できる、初めてノルアドレナリン物質の効果が認められる
 (参考)実存思想論集XXVIII『労働と実存』(2013年6月25日、理想社)

3.こういった頭脳労働のプロセスのみをもって、すなわち、このプロセスをたどっただけで出来上がった商品は、この論理構成だけで固有価値を含めている商品であることの証明には至らない。供給される側にとって、「個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為」となって、初めて受容されるところの証明がないからである。言い方を変えれば、供給される個々人の人生にとって、「希望」を与えられる商品にまで高まっているかどうかである。まして、日本の経済活動外領域で幻想流行しているような、前項(7)番目からスタートする「イノベーション?」もどきでは成功しないのは当然のことといえる。現在の多くの開発者の悩みは、こういった頭脳労働のプロセス並びに、初めて商品が利用される証明過程についての認識のないところに原因がある。

4.そこで、この実証実験を実際にしてみた。すなわち、「人々が継続的に殺到する商品は、『意欲・感動・希望』の3要件がセットでそろっている」ように、どのような労働過程を踏めばよいかとの疑問点が持ちあがっている。ある意味この実験は、世の中で専門家と言われる人が、何故か今ひとつのところで成功達成が出来ない原因を追求することに、逆説的に集中している。恐らく彼らには、次のような到達点に至っている人は少なくないと考えられる。それは、「売れない商品は提供する側の「意欲」にすぎず、一発物は、『意欲・感動』に留まって肝心の『希望』の要素が商品に含まれていない」といった到達点だ。ところが、この原稿を書き上げる直前にインタビューした関西の某音楽家は、多くの部分で論証は別として到達していた、課題は「音楽嫌いの人に説明する手法」が残っているだけであった。


§固有価値を生む労働の職業能力を育むための実験
この音楽会(実験)は参加した人みんなが楽しむためのものが第一義であって、たまたま実証実験として役立ったものである。それが可能となった最大の条件は、企画立案の中心となったプロデューサーが音楽家ではなかったことにある。その実験とは、2014年3月4日夜の「ジョイフル音楽会」開催における、商品開発ノウハウ蓄積である。また、実験となりえたのは理論に基づいて予め立てた計画を実行し、数値は無理としても実践を計測したからである。
http://www.soumubu.jp/image/20140304joyful.jpg
賃金価格は、その人物の持つ固有価値労働が、単位労働時間に投入され、固有価値商品に結果する度合いによって、その水準が向上する。その論証もなされている職業労働は、有能な経営管理者、科学技術者、臨床医師、芸術家、プロスポーツ、商社商人(オーガナイザー)といったような人たちであり、この職業に就いて継続している人たちは、そのすべてが固有価値商品に水準の高い結果を出している。資格や立場あるいは専門家の名乗りを上げるだけでは、全くもって結果は出ない。
日本では音楽の産業化・商品化がきわめて遅れ(感情的に商業化を嫌う人も多い)、そこに携わる人は他に比べ貧困化の極みである。その貧困化は経済的にも哲学的にも社会的にものである。他産業に比べて基本的技能(楽器演奏、歌唱、価格交渉)の教育練習構造が非常に未熟で、決して芸術であるからといっても、日本国内だけ未熟さが許されるものではない。音楽業界は通貨資金力が高まれば暴力団が間に介入しやすい業界でもある。そこで筆者は、この分野での固有価値商品の開発(音楽練習→演奏歌唱加工→「場」の設置・流通・航路)を研究すれば、他産業への波及容易な開発内容が固まると判断したのである。音楽はおよそ、「能動的で知的」部分と、「受動的感情的」部分の2つを含むが、そのバランス論議はさておいて、いずれにしても諸外国のように産業として日本では成り立っていないとされる。音楽評論家の中には、「国内は二流しか残っていない!」と揶揄されるほどに、楽器演奏、歌唱の狭い技能(技術ではない)範囲に落ち込んでいる労働者が多数存在することは否めない。
実験の過程は、「個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為」を理論的に整備して、出演者の既存能力範囲内での提供を受けて、頭脳労働のメカニズムにのっとって音楽会全体と各部分(楽曲選曲や間合い設定)にかかわる企画立案、そしてテーマ設定(今回は、ファンタスティック・ストーリー)である。あえてプロデュースには音楽関係者やイベント関係者を外して、筆者自身も提供を受ける側の要望をもってしてプロデュースを行ったのである。結果、楽器演奏者、歌唱者その他の、「仕入れ労働→加工労働→流通・航路労働」の3方面を一体として、実験は大成功を収めたものである。前座から始まり、21時の終演をフィナーレで締めくくっても、帰宅する人がなく、用意しなかったアンコールと出演者の感謝のあいさつで、ようやく終了することとなった。これにはプロデュース関係者も驚き、筆者も長い経験の中では「中締め」で全員いなくなる会合とか、終了と同時にそそくさと帰る人たちのイメージは開催前から不安はなかったものの、現状の日本では理論的論理的に実践するだけで手ごたえなることを確信した。


§実証=職業能力向上の「練習」、その方法の主旨
は次の通りである。音楽に興味のない方には、他の芸術や芸能に置き換えることができる。

1.質の高い練習方法は、正しい指導とフィードバックに集中する。
a.フィードバックとは、手本や手順の通りに行っても成功し得ない作業に必要な練習方法である。
b.フィードバックに関係する知識が整理されていない場合は、学ぶ行為はトレーナーの前だけでトレーニングすることの原則を実証したことである。
c.手順書(楽譜)があるからと言って、その手順書だけで練習してしまうと、自己流の質の低い練習となり結果は最悪である。
d.提供を受ける側の要望が解らないままに商品を提供して、プロはあげく押し付けようとすることになる。ここでいう、「正しい指導」というものは、提供される側の要望を叶えることに焦点を合わせた練習するというだけの簡単な原則であることも実証できた。
e.そして仕上げは、提供者の能力を見せ付けないことで、提供される側と一体感を作り上げる練習やフィードバックである。
f.きわめて基本的初歩的なフィードバック練習が欠落しているために、労働能力向上の頭打ちの原因となっている場合が多い。
g.それは、品物の利便性と品質が顧客ニーズに合致していることを説明する能力がないから、商品に需要がないと錯覚している事例が、誤った指導と議論に終始した結果として現われていた。
h.さまざまな職業能力評価も点数が高くても、コンクールに優勝していたとしても、フィードバック練習を受け入れない有能者は、音楽業界ではなくとも採用してはいけない。同僚がフィードバック練習をしなくなるばかりか、「過去の有能さ」にしがみついて固有価値商品を洗練させて行く方向の足を引っぱる者となることも実証した。
i.音楽業界外でも、例えば医療機関や研究機関等の少なからず現われている現象も同様に、「価値商品を洗練させる」組織的取り組みの足を引っぱる者の存在である、有能事例に対して必ず陰で悪口が流れるところに世間体の特徴がある。

2.集中せずに漫然と練習すれば、仕事も漫然となる。
(1) 仕事とは、「仕入れ労働→加工労働→流通・航路労働」の3方面を一体として考えながら行うことが原則である。前にも述べた通り、その人物の持つ固有価値労働が単位労働時間に投入され、固有価値商品に結果する度合いによって、賃金価格水準が向上する。
(2) 言われた通りといった姿勢も含め、漫然と練習すれば、漫然と仕事をする練習をしていることになる。集中して短期間で練習効果を体得することで、高い水準の固有価値商品が提供できるように余裕を持つ必要がある。
(3) その余裕でもって、「仕入れ労働→加工労働→流通・航路労働」の3方面を一体として考えるのである。加えて音楽会で、ひとつの曲目を変更することは、曲目の順番のみならず、音楽会の準備からの全体と各部分にかかわる企画立案、そしてテーマ設定にかかわるとの実証であった。
(4) 瞬間的決断は、それまでに人類が体得した専門分野外の知識も含め、作りあげる音楽会の事実関係各所にきめ細かく結合connectさせる5次元の作業である。
(5) 集中思考した6秒間でアイディアが出なければ、次のチャンスを持つ。6秒間でヒラメキが無ければ、現状の能力や才能では無理であることを悟る必要があることも実証できた。
(6) 6秒間アイディアも、「仕入れ労働→加工労働→流通・航路労働」の3方面各々でのフィードバック練習によって、固有価値が無意識のうちに現れることとなる。
(7) 反面、6秒間を超えて出てくるものは、せいぜい過去の遺物であることも実証し、提供される側はそんな代物を要望しているわけではない。
(8) 個別企業その他の会議を例にとっても、漫然とした議論の場合は顧客ニーズからはかけ離れ、物欲通貨欲・権力欲・名誉欲のいずれかが組織として保たれるようになる。だから、顧客はその個別企業を敬遠するに至る。

3.フィードバック反復練習の成功率で習得の確認、計測、管理、項目設定を。
(A) フィードバックとは、手本や手順の通りに行っても成功し得ない作業に必要な練習方法である。顧客の苦情を聞くに始まり、顧客と共感を作り上げるフィードバック練習。クライアントが興味を示す概念を把握し説明するフィードバック練習。こういった職業能力も対象となっている。
(B) 参加聴衆に安心感を与えるリズム=販売やプレゼンテーションには不可欠なフィードバック練習。表面の広い人物と、奥の深い人物の存在の両方を意識して集団をまとめるフィードバック練習。そういったことも含めて、ヨーロッパその他の成功率の高い音楽教育はマンツーマンのフィードバック練習が基本の実証ができた。
(C) そして、音楽分野ではYouTubeなどのICT機器の発達により、コツをつかめればフィードバック練習が充実拡散できるようにもなってきた。リズムの種類、楽器の音色、ハーモニーの種類といった基本フィードバック練習は、フィードバックに関係する知識が整理されていることを条件に、YouTubeでのフィードバック練習が可能になりつつある。今回の音楽会では1928年に作曲され、現在日本では演奏できない曲をYouTubeでのフィードバック練習により再現し、現代風にアレンジすることに成功した。
(D) なお、フィードバック反復練習を組織的に推進するにあたっては、フィードバックの手本を示す場合に、必ず「中くらいの上」とすることが重要であり、アドバイスではなく、能力向上を相手方に要求しない限り身に付くことはないことも実証した。
(E) 顧客に参加してもらい、顧客の目の前でフィードバック反復練習を行い、顧客に反復練習についての評価をしてもらうといった方法がある。すなわち、音楽会開催の例えであれば、参加聴衆と演者に一体感が生まれることによって、参加聴衆が「のっている」結果が出せるか否かの判断基準で、フィードバック反復練習をした。

4.習熟段階に併せ水準をアップ、可能な限り複雑なものを正しく。
理論に基づく実践(実験)の結果をまとめるにあたって、初歩的に間違いやすい概念が、この「習熟段階と水準を複雑なものに引き上げる」手法である。それは、知識人の多くが社会人からは、敬遠される現象となって原因している。
【まず理論の紹介】
国内音楽家の多くは理論的思考に縁遠く、「実践こそがすべてである」といったような曖昧さで心裏の整理を行っているようだ。重要なポイントをフィードバック反復練習によって身に付けるという効率的方法が普及していない。実は上手と言われる演者は、自ら重要ポイントのフィードバック練習を発見し自覚している。それは、音楽のリズムは2拍子、3拍子、4拍子、6拍子、8拍子などは有名ではあるが、5拍子や7拍子も存在し、音階も半音ずつ差があるだけではないことについても。ことに自らに音楽的関心がないと思っている人たちには、規範的リズムや音階だけでは感覚的体験が生じない。歌詞も日常用語でなければ感覚的体験は生じない。それは、有名なアーティストのコンサートに祇園バヤシや民謡のテンポを含ませている実例の通りである。また、20世紀の音楽の発展は、「踊ることとの関連リズムが強い」ともいわれている。
ところが、旧態とした音楽専門学校出身者中には基礎規範的ではないリズムがとれないとか、ピアノ技法のみが身に付いて他の楽器の基本的演奏音発音の出来ないとか、12音階(ピアノのDo~Siの半音階)の半音途中の音が取れないとか、そういった人たちが少なくない、そのような教育しか受けていないのである。例えば今回の実践(実験)でも、1拍子1秒で4秒とはならず=5秒となる4拍子が西洋音楽には存在(日本民謡にも数多い)し、メトロノームで測定すれば5拍子となってしまうが、一般的に上手と言われる熟練者でも相当なフィードバック反復練習を必要とする。楽譜や歌詞の割り付けにこだわる古い練習方法のみを熱心に繰り返すほど、熟練者と評価されている人は多いのであるが、実は出来ない熟練者は多い。ピアノや歌でリズムをリードしても、一部の某音楽専門家の規定する「5拍子?」に、その某専門家の人たちは演奏・歌唱が伴わず、フィードバック反復練習を避けようとした。
【今回の実践(実験)の結果は】
a.音楽会のテーマ設定(今回は、ファンタスティック・ストーリー)に基づいて、「5拍子?」のフィードバック反復練習を何度やっても、数少ないリハーサル練習では元に戻っていることも実証された。あとで演者本人も気がついたことは、楽譜や歌詞の割り付けを自宅練習していたから4拍子に戻っていたのである。
b.高水準技能があってもテーマ設定に合わせるまでの技能レベルではなかった。むしろ、テーマ設定自体が参加聴衆に受け入れられるかどうかが当日の勝負であるにも関わらず。
c.そこでプロデュースする場合には、演奏・歌唱の間合いに入る数分間のフリータイムの活用と最終フィナーレでの感覚的体験に向けての10分間休憩をとり、当日の可能な限りの演奏・歌唱技能を最大発揮・活用することとした。
d.そして、その音楽会までの改善プロセスに、テーマ設定に向けた練習+フィードバック練習を優先することで、チームの協調性は高まることも実証できた。フィードバック反復練習は、その場でやり直しをする手法が決定的に重要であった。ロールプレイの練習とかリハーサル練習は、チームで仕事をする直前打ち合わせ程度の効果でしかなかった。
e.いわゆる原理に対する工学といった関係での音楽会の実証実践(実験)を行ったものである。すなわち、2重の意味でのフィードバック練習である。すなわち、1つ目が演奏・歌唱のフィードバック練習であり、2つ目が失敗すれば次回は無いプロデュースのフィードバック練習の2つが重なっていたのである。
f.固有価値商品を取り扱う場合、「商品価値の増殖」と「価値認識の一回性」に重要性が求められる。売りっぱなし商品であったり、当初から買替需要を目論むといった投下通貨資本の無駄をできる限り削いでいるからである。その固有価値が交換(流通・交通・航路)するには、「仕入労働→加工労働→流通・交通・航路労働」の三段階の各々で能力習熟段階に併せ水準をアップし可能な限り提供する毎の価値を高くする労働(職業能力)を必要とするのである。
g.このフィードバック反復練習といった労働能力育成が未熟であれば、商品の売り逃げとか詐欺まがいの付加価値を追い求めるようになって、個人も個別企業も破綻する。現在日本で会社経営の名を借りるも、実は公共事業や公的助成金に群がるとか、人心不安と通貨を交換する詐欺に人間の能力が費やされることの解消には、この「習熟段階と水準を複雑なものに引き上げる」手法(フィードバック練習など)こそが重要となってくる。

5.練習時間の80%を集中し、その人の得意な部分を桁外れに強くする。
幾人もの研究者が、得意な部分の才能を伸ばせば有効であることに気がついている。固有価値商品の「仕入労働→加工労働→流通・交通・航路労働」の三段階プロセスにおいては、なおさら得意な分野の才能を伸ばした人物の配置が重要となる。それは固有価値商品の要素それぞれに価値を分散凝縮させることによって、商品価値を高めるといった固有価値商品の形成発展過程でもある。
不得意な分野をもっている人物で、才能があると言われる人たちは、得意な分野が他人と比べたときにダントツに優れている。今回も、音楽会のテーマ設定(今回は、ファンタスティック・ストーリー)に基づいて、それぞれの得意な分野のダントツな部分を組み合わせてプロデュースするかに成功がかかっていたし、そのプロデューサーは音楽家とは無縁な人物が、「場」(会場の人と全体部分)の「意欲・感動・希望」を創りあげる企画にかけていた、それだけのことである。そういったことが今回実証された。
また不得意な部分を殊更練習させる教育手法は、その人物の才能をつぶしてしまう、その例は目白押し、日常茶飯事である。また成熟から衰退に至るコンビネーション組織においては、不得意な部分を殊更に指摘することで、「気弱な才能の持ち主」から順に排除して行く手段ともなっている。いかなる理想や幸せを追い求める大義を抱えていたとしても、衰退に至ったコンビネーション組織での有能者の排除手段は共通している。コンビネーション組織の着想では、あらゆるアドバイスが排除の論理に染まってしまうことも実証した。

6.本番で、複雑さや不確実性の困難に直面しても余裕がでる方法。
(1) フィードバック反復練習とは、「現実をあえて変形した設定で意図的に磨く」といった方法で行われる。
(2) 感動的体験が人を変えることや、「心や気持ち」が無心(無意識)の「間」の瞬間に伝わることが、音楽外の学問分野では定石となっている。例えば、「言葉を合わせ、ポーズをあわせ、呼吸を合わせる」といった結果の現象が実践され、その奥底の本質には演者と参加聴衆者のそれぞれ個人に、その瞬間以前に伝承蓄積体得された文化が結合connect?といった作業がなされ、これを5次元で(自覚を問わず)とらえているといったプロセスである。
(3) この、「言葉を合わせ、ポーズをあわせ、呼吸を合わせる」技法が、きわめて有効であることも実証した。音楽会では、予定曲目を案内し、参加型である音楽会形式も案内し、当日は歌詞カードや日本語意味を全曲分配り、音楽会にテーマが隠されていることを告げ、盛り上がって行くスタイルを案内し、楽屋話も含めオープンな運営を進めた。
(4) プロデュースの専門家からは、痛烈な批判を浴びた。が、「言葉を合わせ、ポーズをあわせ、呼吸を合わせる」ことに、この技法で成功した。日本においても、十分にこのような技法が通じることを、音楽会でも実証した。
(5) したがって、参加聴衆者がそれぞれ体験した具体的経験ではなく、参加聴衆者に蓄積された抽象化された文化が具体的に演じられるから、「現実をあえて変形した設定で意図的に磨く」といった学習をしている演者こそが、その時点での有効な職業能力を見つけやすいのである。
(6) 評価の高い演者・芸術家の多くは、芸術理論を簡易な言葉で表現できることはもちろんのこと哲学、社会学、宗教学、自然科学その他の知識を幅広く会得している人が多いのもそのためである。

7.即刻!能力や才能を低下させる、危険行動と領域
日本経済の職業能力の組織化と育成後進性の理由が、音楽会を理論に基づく実践(実験)として成功させるプロセスで、如実に(実証も含め)発見された。冷ややかな結論めいたことをいえば、職業に関する能力開発や能力向上を、全く楽しくない方法で行ない、嬉しくもない現実を見せられ、嬉しく感覚的な経験のないことから頭脳には蓄積されもしない。
こういった社会的システムによる能力後退が決定的になったのが今の日本の姿である。「人材の能力を超える事業の経営システムはない」と昔から言われる。だが職業能力の開発や向上は、個別企業単位でも創造できるという容易さの裏返し理論でもあるのだ。すなわち、地場産業や地域経済にあって、個別事業で職業能力向上する習慣を創れば良いからである。
実際に音楽会を理論に基づき実践してみて、大成功したけれども創造作業の過程で改めて気づき、その過程のその瞬間に筆者に蓄積された情報と組み合わせて、その場で即座に排除した【危険行動】の項目は次の通りである。
もちろんこれにより、音楽会当日までの改善プロセスに、練習とフィードバックを優先することで、チームの協調性は高まることにもなった。その途中で険悪な雰囲気となっても、危険高度排除することで大成功を収めれば、それまでの体験がすべて感動的体験に変化をして、その後の芸術性発揮に資することになり、才能の停滞や後退の瞬間を自覚したきっかけになったことを実証している。
【その場で即刻排除すべき危険行動】
イ)「演ずることを見せつけよう」と思ったときに才能は低下する危険。(思索・作為作戦、物量とモーメントの減少)
ロ)演者と参加聴衆者及び演者相互の間に、誠実な関係を保たないから共感もできない危険。(経験や理屈による抑圧・支配)
ハ)演者とチームに不安・恐怖とか危機感が入り入り込む危険。(直ちに芸術才能が低下。参加聴衆者は嫌悪)
ニ)意見を出すときに曖昧な表現ばかりで、具体的解決策を教えない危険。(情熱とか綺麗とか悲しいといった曖昧な表現等)
ホ)専門的な議論討論ばかりで時間を費やし、技能フィードバック練習をしようともしないで、議論の末は殻に閉じこもる危険。
ヘ)「いつでも、最もフィードバック練習を受け入れる人」を歓迎しない、そんな練習好きな人を軽いと妬むことも危険。
ト)フィードバック練習で、教える技能を分解して教えない危険、実演の作業時間を、ゆっくり進めることから始めないで教えてしまう危険。
チ)フィードバック反復練習での教える側に、「心と気持ち」のサウンドがセットされていない危険。
リ)練習やフィードバックの目標を、相手の「能力や才能」に置いて表現する危険、行動目標の設定をしない危険。(例:「今の能力では10年早い」といった表現行為)
ヌ)他人の能力を誉め><行動を誉めていない危険。行動承認(感謝)と称賛(誉める)が区別できない表現の危険。
ル)物事を行う効果や経費の計算もしていない結果、練習やフィードバックをしていない状態と同様の結果が出てしまう危険。

(参考文献)
「成功する練習の法則」著者:ダグ・レモフ
2013年6月21日:日本経済新聞出版社

「人間重視:固有価値商品の提供と事業運営」http://netclerk.net/WebShomotsu/
筆者:村岡利幸(2013年4月8日)

2014/03/04

第143号

<コンテンツ>
労働者派遣業改正、その本質とは!
 ・法律改正で緩和されようとしている内容
 ・「どっちに転んでもの政策」その打開策とは、
 ・経営者とその作戦参謀(総務部門)は覚悟
肌で感じる経済構造の大転換、消費税増税前に
商品流通の歴史的な事実
固有価値を生む労働に職業能力を育む事例(続報)


§労働者派遣業改正、その本質とは!
政府の労働規制緩和の「目くらまし」として、労働者派遣法改正が行われようとしている。
来年4月1日施行を予定し、この3月上旬までに国会提出する見通し。
ところが実態は、良いか悪いかは別として、
1.現政府の規制緩和は既に官僚によって骨抜きにされている。
2.労働者派遣の雇用問題は、有期労働契約の一部分に過ぎない。
3.いわゆる非正規労働の大方は、業務請負の受注形態に移行。
4.経済的課題は、業務請負の労働者の職業能力開発体制がないこと。
………こういったところの現実が、いっさい議論のなされていないことである。

法律改正で緩和されようとしている内容
は、労働者派遣事業を行う個別企業からすれば、不採算を招く内容であることは歴然としている。
平成27年10月1日からの「労働契約申し込みみなし制度」も議論にはなっているが、結局のところは、どちらにどのように転がっても、形式や書面が変更されるだけで事業展開が変わるようなことにはなっていない。2月27日の審議会で了承された物はこれだ。
 http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000037743.html
もとより、1996年秋に、労働官僚の曰く、「派遣事業の優遇制度」が無くなってから、人材派遣のみのでは不採算経営とならざるを得ない基盤が出来上がっている。その上で、社会保険の適用や派遣会社の利益率低下が生じて来た背景を無視してはいけない。マスコミは、1999年の労働者派遣事業の法律第改正ばかりを取り上げるが、1997年に派遣事業の根幹である職業安定法改正を行っていたのである。
なぜ、いわゆる非正規労働の増加に向けて、多くの経営者が非正規労働者採用へと動いているのかの分析が必要である。それは、
1.社会保険料・介護保険料は、実質全額経営者負担となることを回避したい。
2.1996年11月末まで、社会保険の2ヵ月以内の有期契約繰り返しが合法的だった。
3.週30時間未満の短時間労働者であれば社会保険は適用されない。
4.週30時間以上の労働者は、行政機関の手が届かない中堅中小企業で抱える。
5.労働契約法改正で、形式的短期契約の繰り返しが既に出来なくなっている。
6.産業育成のカギとなる職業能力開発が出来ていないので新製品の開発が出来ない。
7.不採算事業=不良債権累積が、規模拡大に走った労働集約型事業の現実だ。
8.労働集約型事業のイノベーションが伴わないから=自動で事業縮小となる。
………個別事業も政府の政策も、こういったポイントを分析しないで論評したところで、それは時間と思考の無駄である。

「どっちに転んでもの政策」その打開策とは、
日本全体を一挙に救済しようとすることが無理なことは解っている。よって、打開のポイントは、時代や社会が需要する新商品を重点的提供できる個別企業の体制を、先ずはイノベーションするための人材を確保して、改めて職業能力開発・訓練(練習)を実際に展開して行くことである。過去の人材での着想や開発は、この数年に出来ていなければ、明日からは無理である。
経済体制において、いったん出来上がった金銭流通の流れを、いくら議論したところで変更されることは無い。これがあたかも変更される合意が形成される?かの如くの議論をしていても仕方がない。職業能力開発・訓練(練習)ひとつとってみても、改めて習得する必要性を自覚する労働者は、おそらく日本全体の2~3%程度と推測できる。個人的に、「改めて習得する必要性」を自覚して、自己啓発関連の書籍(昔から類似のものばかり)を読んでみても、この2~3%程度の労働者を、「いかに個別企業が確保するか」といったことすら研究されていないのである。その研究は、具体的にイノベーションされた事業プランに対して、具体的に必要な職業能力と習得練習方法の明示、を要件づけすることでなければものにならない。幸いにも、そういった有能労働者は非正規労働者の中に多く紛れ込んでいて、要は活用の方法と仕組みである。
もとより、労働者派遣事業の着想は民間:失業対策事業であった。当時労働省内で企画を行った信州大学の故高梨教授も、「この派遣業は本来労働組合が行うべきものである」と力説していたのであった。
その時期は昭和54年。昭和55年のオイルショック前の構造的不況を察知することから始まり、あくまで、その対策にしか過ぎなかった。だからこそ今は、長いスパンを見通して、日本の社会経済構造をいかに豊かにするか!のために、個別企業が活躍できるかにかかっているのである。現実を見れば診るほど、きわめて綿密に事業展開の戦略・戦術そして作戦を考えなければならない。並行して有能な労働者が「戦略・戦術そして作戦」を企画立案できるように能力開発もしなければならない。世界の経済状況にあっては、ジャパンな精神力だけでは全く太刀打ち出来ない。社内の知恵で乗り切れるなら、すでにあなたの会社は、静かな成長をしている。懸念されている金融危機や事業展開の時間的スパン差を考えれば、現在保有している通貨転換型資本が吹っ飛んでしまうかもしれない状況でもあるのだ。

経営者とその作戦参謀(総務部門)は覚悟して
その先端を切り開いてこそ、次代の個別事業経営を維持できる可能性があるのだ。大勢に流れて不良債権を抱えてしまっているのでは見通しがあるわけもない。今の社会経済状況は、大勢に流されるだけでも、自滅を待つしかないといった現実なのだ。だからこそ頭の良い大手企業の経営幹部たちもが、運に任せて生きるしか無く、身の危険をかえりみずに新規事業展開など出来る訳がない立場なのだ。高度経済成長の真っただ中に活躍した、ある元経営者はこう話す、「大手企業出身者は自分の過去を自慢したがり、中小企業の職人達は維持の話をするのが大好きだ」と。
また、労働組合の政策立案者にも問いかけをしたい。古今東西、労働組合の政策には、「社員化要求」であるとか「公務員待遇」といった言葉が散在する。これは世界的にも良く似た傾向が発展途上国などにみられる。ところが、こういった「社員化要求」が実現した例は無い。政権についた場合でも実現した例は無い。なにがしかの人数の労働者には受ける政策なのかもしれないが、実行されたことがないのである。賃金も然り、職業能力が向上して組織的に能力発揮されない限り、賃金が上昇したことは無い。現時点でパートタイマーの賃上げムードが高まっているが、パートの賃金原資は増えていない。むしろ賃金がより安いパートの求人募集が、いまや大流行・目白押しで、低下傾向にあるのが現実だ。


§肌で感じる経済構造の大転換、消費税増税前に
経済動向は、その方面の職業能力の熟練を積めば、統計数値よりも正確に行き先のリサーチができる。経営管理や総務部門の職業能力センスである。政府その他の統計資料は遅すぎること&税収と政策のための調査であることから、民間個別企業の経営管理に役立つ部分が非常に少ない。経済経営の学術論文においてさえ、都合の良い統計資料を並べているだけの学者もいるわけである。公務員も学者も、それが仕事であるから、所詮は民間個別企業の用をなすわけではない。
今年に入ってから如実に目立つことは、統計数値に出ない、二極分化である。大手マスコミに至っては、この経済や社会の直面した課題を避けて、スキャンダラスな番組に終始している、やはりそこにはスポンサーの宣伝料金激減が影響していると弁解ばかりするものの……。
年初から、小売業では全く物を売れていない。
全体総量として低価格商品しか売れず、野菜にしても値上がりすれば売れていない。高級品は販売好調というが、総量からすれば無に等しい売り上げである。消費税の駆け込み需要といっても低迷している。経営の原則からすれば不況の時は価格を据え置いて内容を増量することでの売り上げ維持が最初の対策第一歩の定石だが、苦肉の策として消費税きっかけに価格据え置きの減量商品も出始めている。
圧倒的多くの資本投入型経営管理の個別企業は、
高度複雑な事業運営を実行できる管理職を育ててこなかったことから、一斉に経費削減の道をひた走っている、社内には直走る人材しか存在せず、アイデアや知恵のある社員がリストラされてしまっているから対処が出来ない。パートタイマーの賃金も経費削減の対象とされており、そのテクニックが知恵?だとの錯覚までおこしている担当者が多い。某有名スーパーは、昨年来から賃金の安いパートタイマーへの切り替えを強行した途端に、地元買い物客とパートとの関係が分断されたことから売り上げ激減をおこしている。店舗立地変化の展開ではなく、それが原因し閉鎖した店舗も存在する。大手スーパー小売業までが合併をすることで、「喉元の熱さ」を解消しようと、後継者のいなくなった中堅・中規模スーパーの買収を進めている。
ところが、「コスト削減?経費節減?」を小手先のテクニック
でやっているものだから、危険極まりないのである。小手先テクニックがコストと経費の削減だと勘違いしている若年齢層管理職が多いのである。そういった場合、ことごとく仕入れ品質低下、需要確保の“し損ない”その他の悪循環に陥っている。上から目線で見れば、活発に営業しているように見えるが、対営業効率の収益性が落ちている。原則は、個別企業にとって収益性(売り上げ)が第一番目の課題である。その結果なくして、残りの経営要素すなわち、生産性、労働意欲、効率の改善の対策はあり無いのである。それが若年齢層管理職には肌で感じることが出来ず、投資損が数字の結果が出てからしか分からないのである。ことに日本の大手や中堅企業は、資本投入型経営のみを唯一の手法だと思っているから、有名どころの大学教授も投資型経営学説を説けば人気が上がるものだから、益々もって若年齢層管理職は資本投入型経営のみの手法に振り回されるのである。結果を弁解しなければならないことでは、経営管理能力ではない。


§商品流通の歴史的な事実
から言えばこうである。……商品経済社会における貧富の二極分化も、こういった事情によるものである。
1.およそ500年前に商品が経済活動に次々と侵入して来た。
2.商品とは、それまでの人間関係の枠を超えて、次々と広まるものである。
3.固有価値を持っていたからこそ、品物も事業も人材も商品となった。
4.税収によって物資を買いあされば、固有価値商品ではなくなる。
5.固有価値商品でなくなった商品は、不毛な廃棄物の運命をたどる。
6.不毛な廃棄物の製造や販売の事業は不良債権を残し潰れていった。
7.そんな事業に寄りかかったとたんに、その人は豊かさから無縁となった。
8.「労働力」のみの交換で、心身共に豊かさから無縁、病に倒れ寿命は縮んだ。
9.固有価値商品を生む労働に職業能力を育んだ人は豊かになった。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/149
国家単位の貧富の格差、個別事業単位の貧富の格差、個人単位の貧富の格差、これを是正(格差による弊害解消で経済の解決)するには、いまあげたような歴史的事実に注意する必要がある。歴史的事実を踏まえないで、財政、金融、事業、労働確保を行えば失敗することは明らかである。
そして、こういった商品流通の歴史的事実の中で忘れてはいけないことは、派手で表面的な技巧による商品に喝采を送る人が増え、その見世物のような感情的半製品の動きへの「隷属的顧客」集団が現われ、またそれをマーケットとするものの商品寿命の短い中途半端な事業を繰り返していることに注意することだ。もちろん、不良債権はふくれる。
話が横道にそれるが、日本で商品流通が始まったころの経済原則が、「狂言」となって今も残っている。「狂言」は元から、滑稽さを笑いながら鑑賞するものであり、「能」と同じく観客と一体になることを重要視している、それは一般住民の教育も兼ね備えていたのだ。
賢者はそういった失敗の分かっている事業には近寄らない。ただ集まるのは愚者ばかり、それは現代の流浪の民そのものである。


§固有価値を生む労働に職業能力を育む事例(続報)
賃金価格は、その人物の持つ固有価値労働が、単位労働時間に投入され、固有価値商品に結果する度合いによって、その水準が向上する。
有能な経営管理者、科学技術者、臨床医師、芸術家、プロスポーツ、商社商人(オーガナイザー)といったような、目につく職業に就くことができる人たちは、そのすべてが固有価値商品に水準の高い結果を出している。資格や立場あるいは名乗りを上げるだけでは、全くもって結果は出ない。
………この続きは、3月4日夜の「ジョイフル音楽」開催での商品開発ノウハウ蓄積の都合で、その音楽会の成果を踏まえて1週間程度の期間での、まとめる余裕をいただきたい。日本では音楽の産業化・商品化がきわめて遅れ(商業化を嫌う人も多い)、そこに携わる人は他に比べ貧困化している。その貧困化は経済的にも哲学的にも社会的にも、なのである。他に比べて基本的技能(楽器演奏、歌唱、価格交渉)の教育練習構造が非常に未熟である。そこでこの音楽会で筆者は、この分野での固有価値商品の開発(音楽練習→演奏歌唱加工→「場」の設置・流通・航路)を研究すれば、他産業への波及容易な開発内容が固まると判断したのである。音楽はおよそ、「能動的で知的」部分と、「受動的感情的」部分の2つを含むが、いずれにしても諸外国のように産業として日本では成り立っておらず、「国内は2流しか残っていない!」と揶揄されるほどに、楽器演奏、歌唱の狭い技能(技術ではない)範囲に落ち込んでいるのは否めない。
 http://www.soumubu.jp/image/20140304joyful.jpg
予め、御了承お願いします。

2014/02/10

第142号

<コンテンツ>
経済・社会の動きが情報遮断された日本
世界的金融危機の兆候(念の為)
案外と、日本経済が持ちこたえる道の存在
日本人の能力開発は、人を育て来た歴史
人を育てる場合の創造性教育は、芸術活動に限る
芸術家の名言、これにリンクする脳医学
最新の脳医学で未解明部分となっている教育
日本経済の職業能力の組織化と育成後進性の理由が、


§経済・社会の動きが情報遮断された日本
日本国内は、情報遮断や情報そのものの存在が分からない社会になりつつある。
オリンピックムード一色、ロシアにとっては絶好のPRチャンスであり、開会式も徹底してPRそのもの。そこには西欧とアメリカを除く世界各国の首脳の顔も映し出されていた。金融危機の兆し、シリアやイランの立ち回りの中東情勢は石油やエネルギー問題、中国の世界的動き動きその他、首脳会談がオリンピックの水面下で行われているのは当然のことである。今アメリカの立ち位置は大きく変わりつつある。一部で報道された「北方四島と尖閣諸島」説は目くらましであることは一目瞭然。
ここでも、日本のマスコミは、その中身を報道しない。
そのため、経営管理や事業運営について、情報の先取りをして
経営の指示を出したとしても、その指示を全う出来ない或は面従腹背の社員・労働者が急増しつつある。経営管理における目先の重要事項は、経営環境に合わせて、経営環境の高波に乗ってサーフィンを行う技能・技術が必要であることは言うまでもない。その高波の高さによって、事業規模や収益規模、その後の利益規模が決まるのである。
その高波に乗るために、経営者は指示を出さなければならないが、
 1.指示を出すための情報が掴めない、ネットで探し出す手法が分からない。
 2.情報根拠を示しても、部下やクライアントが理解出来ない。
 3.もとより目的と目標が不確かだから、情報収集→情報加工が出来ない。
ここでいう情報とは、インテリジェンス情報およびインフォメーション裏付け情報のことである。
ただ、翻って経営管理と情報について考えてみれば
 イ)現在の事業の継続見通しを判断する情報収集
 ロ)世界経済の大きなうねり、そこでの事業の需要情報
 ハ)どういった経営能力、必要な職業能力に関する情報収集
……これら三つの情報収集に、本当の意味での専念をしていれば、それほど情報収集機能と労力に時間を消化する必要は無い。
本当の情報の扱い方の大枠的例え話をすれば、
筆者も約10万坪ほどの山林(樹齢20年~70年)の経営に突然携わることとなり、室町時代から続くと思われる村の共同体(惣)の寄合にも参加することとなった。今年の年賀で大手企業役員経験者の方々から、「山林経営は有望である」と激励されたものの、実のところはこれからの創造性事業のやり方に掛かっている。既に先行投資は数千万ではあるが、木材そのものの価格に加え切り出し運搬費用を加えれば採算が合わない。山林知識の少ない小売業者からは、高級ストーヴ燃料の薪、長さ2メートルの間伐材の定量定期出荷、雑木などの燃料チップその他の引き合いが来るようだが、目先の採算が合わないばかりか、長期的には見通しのない話であることは明白なのだ。
そこで、山林を活用しての事業継続であるならば、木材を最終消費者に山まで取りに来てもらうしかないのである。幸いなことに、滋賀県の名神彦根インターチェンジから30分の距離にあり、林道開発で道幅もほぼ倍になった場所に所在する。この山林は、天智天皇と天武天皇が戦った壬申の乱の古戦場そのものであり、東山道など千数百年前からの山林経営の地であった。要するに、創造性、自然からの発見発明、都市集中する経済活動に対応した、「産業創造」なのである、だから、産業創造に資するインテリジェンスとインフォメーションのみが、情報であると考えれば効果的効率的に動けるのである。
TPP問題の情報も収集の無駄である、ましてアメリカは一歩引いている。秘密情報保護法の議論も集票問題に収斂されており、肝心の経済的情報の体をなしていない。その他スキャンダラスな話題は、今や電子通信機器生産の呼び水ともならず、経済停滞を逆説的に証明しているようなものである。このような情報の存在自体の有無、戦略目標を進めるための情報収集が大切なのである。大手企業になるほど、仕事をしている振りをしなければならないから、大勢よって集って無駄な情報ふくらませ、また記憶力だけは良い、「良い子」が多いものだから、あげくは情報の山積みでワケが分からなくなる傾向が強い。
では、情報キャッチしたとして次、
目先と将来に資することは何かと問われた場合の
具体的経営管理、これの基本戦略は、
「個別企業内外にわたる、いつもと異なる習慣の拡散が、ビジネスチャンスを生む」
となるのである。これを言い古された言葉と受け止めれば思考停止、それで貴方の創造性は消え失せる。


§世界的金融危機の兆候(念の為)
アベノミクスとは裏腹に、円安その他で金融商品への期待感が高まっている中、日本の輸出は$ベースで換算すれば、この約1年は25%の落ち込みである。それだけ日本の商品を買いに来ていないのだ。もとより日本は、販売力の貧弱な経済構造であったから、販売に好転する商品開発も間に合わない。それどころか、それを実行出来る熟達した労働は、各社リストラで手放してしまったものだから不可能に近い。
不動産とか金融商品に期待感が集まったけれど、筆者の目論み通り不動産は都市の一部に限り動きがあり、8月中旬を過ぎれば叩き売り値下げ状態である。昨年中に損切り覚悟で金融商品を処分しようとの決断の背景には、世界的金融危機の兆候を情報収集できた人たちだった。
中途半端な経済学や日経新聞などの経済紙誌の読みすぎで、金塊を買ったとしても、金塊証券と金塊現物とで価格差が出る寸前まで危機が近づいている。アメリカの連邦銀行に各国が預けた金塊を返してくれるよう要求しているが、存在するはずの金塊在庫が底をついているらしく、ドイツをはじめ変換要求に連銀は答えようとしていない。なお、日銀大阪支店の地下金庫の金塊は数十年前に空となっている。
よって、現在抱える借金は、日本の場合ほぼ確実に孫・子の代へのしわ寄せとなる。
筆者は、2008年のリーマンショクについても、この総務部メルマガの6月号で兆候を、香港上海銀行の動きを根拠に報じたが、ほぼ誰も信じることはなかったが、秋には金融危機が来た、ほぼ仕掛け通りに。


§案外と、日本経済が持ちこたえる道の存在
大手マスコミが流す情報は、日本経済総出で海外へ出稼ぎに行くこと、老人が所有している資産を浪費すること、昔からの蓄積資産を観光産業として使い果たすこと、そんな程度の話ばかりである。こういった話に浮かれて乗っている人たちも、全く創造性のない人たちが多く、まるで受験勉強の延長である手習い能力の産物でしかない。
★創造性(想像ではない)の欠落した経営とは、否応なく損害を受けなければならない事態の予見が出来ないばかりか、否応なく損害に甘んじる自体の存在すら無意識のうちに回避しているのである。ちなみに伝統のある商人群(近江商人など)は子供の頃から祖父や地域の中で、創造性のある教育を受けている。むしろ明治以降の学校教育制度には創造性教育が欠落していた。

【ちなみに、老人福祉や介護問題の創造性とは……】
たくさんの空き家が存在しているから、大きな家・マンションをシェアハウスにリフォームし、箱モノ老人介護施設を止めてしまえば良い。趣味の合う老人男女は、各人の個室とともに、大きなリビングで過ごし、外出の機会も増やせば、相互に痴呆に対処する介護教育を受け、物理的重作業は肉体労働者を共同で雇えば良い。これを促進するように行政機関が立ち回る。医療機関は毎日の体重測定(心臓病)、高齢者の足の爪切り、脳・心臓病の諸兆候チェック、加えてこういった医療知識を一般人向けに教育する。そこで老たちは負担を減少させて自立で生活する。高齢者ケアの、「ユマニチュード」もNHKで取り上げられ、「心と気持ち」を込めて運用はなされたならば、高固有価値のケア労働が充実する。
http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/100/180378.html
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/pdf/3056.pdf
☆=考えただけでも、高齢者や老後に対する個人的費用・公的資金が少なくて済むのである。

【もとより国をはじめとする行財政危機に対する対処法は】
現在の金融機関に負担させている国債を、一挙に年金国債に切り替えて行き、その年金国際とは=利息は年払い元金死亡時相続財産とする法律を作れば済むことであり、こうすれば行財政には解消する。「借りたものを返すのは当たり前」といった、封建時代の因習臭さの釈明だとしても、国民がもっている余裕資金を国庫に賃貸するだけで、こんな理屈も消え失せる。さて、
☆=こういった官僚が嫌がる財政政策が実現するまでは、先ほど述べたシェアハウスをやりながら、大きな出費を抑え込むことである。このような国民自力の社会保障費軽減の動きこそ抜本的政策であり、個人の財布に直結している。そこに加えて日本のことわざの、「芸は身を助ける」は、現代日本経済の助け舟である。さまざまな芸術活動を高齢者と孫の世代が、嬉しみ楽しみながらすることで、他国に負けない立派な基礎的職業教育が進められるのである。ただし、家元制度や機械音楽(○○○音楽教室)といった芸術性から縁遠い曲芸物は、真っ白からやり直す必要があるが。

【モノは考えよう、及び、文化の変化を】
さっさと進める人たちは、毎日が結構楽しくなることは間違いない。それは、個別企業の経営管理においても同じことである。事業の借入金を返すために、あくせくと無理をして働くことは無い。借金で空回りの経営をしてもブラック企業に至るだけで、その経営者も労働者も人生における損害を抱えることになるだけだ。そもそもギリシャ哲学流に目標と期限を決めて人生を把握するものだから、これはもとより無駄があって費用のかかることが間違い、「不毛な生き方」なのである。目標と期限にこだわるから、家族・結婚・財産に関わる社会制度にも振り回されるのである。その点、いわゆる「ゆとり世代」の教育を受けた人たちは、振り回されることもなく、人生に対して度胸がある。夫が外で働き妻は家を守る、定年退職後は悠々自適の夫婦生活、親の介護は子供たちの義務、人生を通して家(本来は一族を盛り立てることで建築物ではない)を建てる、こういった有害無益な理屈や幻想が、そもそも現代社会の不幸の始まりである。不毛な悩みに巻き込まれる人が多いから、マスコミも評論家も出版社もが、そんな人たちをカモにして、痴呆症的論理構成を集金のネタにしている。
☆=創造性(或は分析力の基礎を含め)を養う助けには
  A.ズサンな言葉の使い方をしない、ズサンな言葉よりも気持ちを話す。
  B.考える物事の順番を決め、一つ一つを順に考え、最後に統括して考える。
  C.他人の話には、合理一貫性&事実一致性があるか否かをチェックする。
先ほど述べたような痴呆症的論理構成とか、その手の不幸が好きな時代錯誤マニアも多いが、読者の貴方自身の考え方と文化発展で、まずは個々の家庭が不幸から逃れられる。
☆=すなわち、個別企業の、
こういったクライアント要望に応える具体的経営管理の基本戦略が、
「個別企業内外にわたる、いつもと異なる習慣の拡散が、ビジネスチャンスを生む」
ことになるのである。およそ500年ほど前に生まれた商品経済、当時の社会でも商人たちは、これでよく似たような話をしていた。なので、従前のボッタクリ商法から逃れて商人は信頼を得たのである。


§日本人の能力開発は、人を育て来た歴史
数千年もの紀元前から陸続きの地方での経済は、確かに、略奪を繰り返した方が豊かであった。自然からも略奪して育てる手間を省いた場合が、一瞬は豊かさをもたらした。要するに、確かに、手っ取り早かったのである。なお、今も信仰対象の如くの、「狩猟民族、農耕民族、略奪民族」といった三つの経済文化論は、今や完全に確実否定されているから、念の為。
中国大陸の平野や砂漠は樹木を切り取った残がいであり、その生活文化はヨーロッパのルネサンスに追い越されてしまった。ドイツの森やフランスのブドウ畑の背景は略奪と殺りく連続の末の歴史である。北アメリカ大陸は、かつて新世界と言われたほどに森林伐採と草原・牧畜の西へ向けての開拓、そのまま太平洋超えて海外進出(フィリピン・中国)である。
☆=そこに不思議な国が二つあった。
一つはイギリスであり商品経済政治体制(名誉革命後)を経て産業革命を起こす。二つ目は日本、国という意識はないけれど山林増殖、農業新田開発、歴史的にも教育熱心、とにかく芸能好きといった特徴をもつ。おそらくそれは、島国であるからこそ、元来大陸諸民族に比べて戦闘的であったけれども、教育水準の高さから和議・和睦そして奉行の道を経て、近代へと進んだものと思われる。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/180
そこからの結論は、
日本経済の成長と豊かさの発展を見通した場合、人物・人材の選抜選別の歴史的文化的蓄積もないがゆえに、欧米の猿真似をすれば破綻することは間違いない事実が予見できるのだ。それは、気がついた個別企業経営管理、個別の家族単位にあっての、選抜選別を大黒柱から外し、創造性教育育成に入れ替えれば、明日からの収益・生産・効率を好転させる労働が効果を発揮するといったことである。何事に対しても泣き寝入りをすれば損となり、「心と気持ち」を込めて行動すれば希望が生まれると示唆した哲学者ニーチェの(意外にも)言う通りである。その場合の、頭脳労働のメカニズムは、この総務部メルマガ12月号の「§頭脳労働のメカニズムの解明」の通りである。
http://soumubu1.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html#09


§人を育てる場合の創造性教育は、芸術活動に限る
最新の医学の研究で、人物や企業の固有価値を創造する「意欲・感動・希望」の脳内メカニズムも解明されつつある。この医学側面からも、人間は固有価値を商品に求め、あらゆる欲求のために活動するのではなく、固有価値を創り満喫するために、心身が動かなくなるまで活動し、「意欲・感動・希望」の脳内メカニズムにより心身が長持ちすることが明らかにされて来た。それは、各人のもつ宗教観を変化させつつあり、旧来宗教団体教義が問い直されつつある事態に至った。医学的には、
☆意欲=
脊椎動物は総て意欲を持ち、その根源の例を挙げれば、血糖値が下がれば食欲が生まれ、血中ナトリウム(Na)が増加すれば水が欲しくなる、といったたぐいのものである。
☆感動=
ドーパミンの作用により、大括りの所謂快感を物理的に自覚・感じるのである。また、ノルアドレナリンの増加は脳内トップダウン思考や闘争思考体調を促進させ、その抑制は頭脳の創造的イノベーション作用に効果する。なお、覚せい剤やアルコールは、脳の思考停止をもたらすが、創造性や芸術性には全く何の関係もない、単なる依存物質である。
☆希望=
人が希望を持つということは、脳医学的にはおよその段階ではあるが、脳の前頭葉部分の血流が促進されると希望が湧いて来ることが証明されている。
………ここまで脳の作用について、最新の研究が進んでいるのである。
そもそも、世間でよく話題とされる知能指数というものは、19世紀に発案されたものでしかない。そのテストに対するやる気の如何で、平均値を100とする上下20の、40点は誤差の範囲として判断されるものである。発案者によると、80点以上それとも未満かの判断でしかないとされている。現在はガードナーの「多重知能」(1983年)、言語、論理、数学、音楽、身体運動感覚、空間、人間関係の7つの能力が重なり合っているとするのである。このガードナー自身も、さらに多くの能力(例えば、霊感的)を著している(1999年)。
【参考文献→これから研究に織り交ぜる】
医学ばかりか、社会学や哲学の把握が無ければ難解な著作段階ではあるが紹介。
『脳は創造する-そのメカニズムと育成法-』新風書房:ケネス・エム・ハイルマン(2013年8月30日)
http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemgenre/zuiso/1575/


§芸術家の名言、これにリンクする脳医学
を整合、筆者らが研究中のその一部を紹介する。決して羅列作業の成果ではない。
(『』の部分が名言、ページ文章が参考文献引用)

¶才能を伸ばすA
・レオナルド・ダ・ヴィンチ
『作品を制作するときはあらゆる人の批評を拒んではならない』
P.81実際の創造性の多くのタイプは、いずれも非常に異なった型の知識の連合を要求する。
・W.A.モーツァルト
『私は人の賞賛や非難をまったく気に留めない。ただ自分の感じるままに行うんだ』『わずかの違いを大切に』『旅をしない音楽家は不幸だ』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)
『動植物のすがたを知り尽くすことよりその「神」に会う。そうして初めて手が動くのである』
P.214流動的知能とは基本的に知識を操作する能力である。P.26創造的な科学者とは自然の多様性の中に複雑なものをきれいに整える人のことである。
・ロッシーニ
『現実を模倣することができないゆえに、音楽は崇高な芸術である』
P.29下 芸術的な美は変化の中の統一である。
P.120音楽の分野で最も創造的であるのは、作曲家である。
・クロード・モネ
『発見に至るにはしつこい観察と省察しかないのだから、いつも絵のことだけを考えていなければならない』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・ル・コルビュジェ
『個人的な能力は、幼少時から勤勉さと自制心によって常に自己を研ぎ澄ませ、鍛錬することで向上できる』
P.76創造的であるためには、自ら選択した分野に関する知識を豊富に持っていなければならない。
P.32芸術と同じように、科学は自然の模倣ではなくて、自然の再創造である。われわれは発見という行為によって自然を作り替える。
P.90アスリート、歌手、ダンサー~手続き記憶は実行とフィールドバックを要求する~、手続き記憶は子供時代にもっともよく習得される。
・パブロ・ピカソ
『芸術家とは何処からともなく現れるインスピーションをひたすらに受け入れる水がめのようだ』『優れた芸術家は借りる。偉大な芸術家は盗む』
P.214流動的知能とは基本的に知識を操作する能力である。
P.235下ネットワーク内の神経細胞間の連絡の強さが変わることによって知識の蓄積が起こる。

¶発想法B
・フランシス・ベーコン
『私は教育なんて全く信じない。見て学ぶことだ。なすべきことはただひたすらに見ることだけなのだ』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・イサム・ノグチ
肝心なのは見る観点だ。どんな物をも、一個の古靴でさえも彫刻となるものはその見方と置き方である。
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・ブルーノ・ムナーリ
『デザイナーとは芸術的センスをもったプランナーである』。
P.108イメージする能力とイメージを変形する能力は、創造するイノベーションには重要な課程である。
・エットレ・ソットサス
『つまり、一つの機能をデザインするのであって単に(椅子という)機能に従ってデザインするわけではないのだ』
P.214流動的知能とは基本的に知識を操作する能力である。
P.108イメージする能力とイメージを変形する能力は、創造するイノベーションには重要な課程である。

¶成功の秘訣C
・喜多川歌麿
『人真似は嫌いで今まで人の絵を写して描いたことがない』
P.208発散的思考=筆者は創造性のことを、新しい秩序ある関係を系統的なやり方で理解し、発展させ表現する能力であると定義した。
・ベートーベン
『たいていの人は何か良いものには感動します。しかしそれが芸術家たる資質ではありません』
『名声を得た芸術家は、そのことにより落ち着きを失う。それ故、処女作がしばしば最上の作となる』
『報酬への期待を行動のバネとする人にはなるな』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・アンリ・ルソー
『私はいつも部屋にこもり仕事をしていた』
P.242多くの創造的(彼ら)は、毎日多くの時間を一人で過ごすことが多い。創造的な傑作を物にするのは、こうした時間帯である。
・モホリ=ナジ・ラースロー
『すべての健全な人間は豊かな能力を持っている。誰もが無心の状態のときに最高の仕事をする』
P.214流動的知能とは基本的に知識を操作する能力である。
P.108イメージする能力と、イメージを変形する能力は、創造するイノベーションには重要な課程である。

¶道を極めるD
・千利休
『まず心がけるべきは「侘び数奇」というものでこれは日常ごく普通の心に宿るものである』
P.235人の脳の構成は感覚的経験によって変わりうる。
・ベートーベン
『芸術は長く、生命は短いというが、長いのは生命だけで、芸術は短い。神々の恩恵にすぎないから』
P.235人の脳の構成は感覚的経験によって変わりうる。
・歌川広重
『対象物のありのままの形を大切にしまず写生を重視せよ。そして自らの想いを筆致にのせて描きあげる』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・フランツ・リスト
『私を真似てはいけない。私のやり方で私は成功出来たが、あなたはきっと失敗するだろう』
P.208発散的思考=筆者は創造性のことを、新しい秩序ある関係を系統的なやり方で理解し、発展させ表現する能力であると定義した。
・バウル・クレー
『芸術の本質は見えるものをそのまま再現するのではなく見えるようにすることにある』
P.32芸術と同じように、科学は自然の模倣ではなくて、自然の再創造である。われわれは発見という行為によって自然を作り替える。
・トスカニーニ
『音に血を通わせろ!君たちの血管の中は水か! 』
P.235人の脳の構成は感覚的経験によって変わりうる。
・クラウディオ・アラウ
『自惚れほど恐いものはない。解釈の邪魔となります』
P.240謙虚さの実践こそが、創造的活動にきわめて重要な、間違いから学ぶことにつながる。
・淡谷のり子
『勉強するしか道は無い、苦しみ悩み努力が無い歌はインチキだ』
P.76創造的であるためには、自ら選択した分野に関する知識を豊富に持っていなければならない。

¶次代を拓くE
・速水御舟(ぎょしゅう)
『伝統を脱して」描く。「新しい内容と形式」を以て描く。でなければ新時代に生きる作家とは謂われない』
P.243上 新奇なものを楽しみ、手に入れることを学ぶことが決定的に必要である。
・ジャクソン・ポロック
『新たな要望には新たな技術が要ると私は思う。どの時代にもその時代に適した技術が見つかる』
P.29発見は例外に気づくことから始まると
P.208発散的思考=筆者は創造性のことを、新しい秩序ある関係を系統的なやり方で理解し、発展させ表現する能力であると定義した。

¶スタイルを見出すF
・フランシスコ・デ・ゴヤ
『それでも、私はまだひたすらに学び続ける』
P.76創造的であるためには、自ら選択した分野に関する知識を豊富に持っていなければならない。
・ジャコブ・カミーユ・ピサロ
『ただ表層的に見えているものについて考えてはいけない。内部にあるものに集中すべきだ』
P.70左の側頭葉はリズム、右の側頭葉はメロディー……をつかさどり極度の連動で現象を発する。
・ジョルジュ・デ・キリコ
『絵画における技術とは絵を描くという芸術への各々の知性のレベルを明白にあらわすものである』
P.76創造的であるためには、自ら選択した分野に関する知識を豊富に持っていなければならない。


§最新の脳医学で未解明部分となっている教育
とりわけ、親から子供へ、師匠から弟子へ、といったトレーニングやフィードバックの、いわゆる訓練部分については、多くの示唆も残しているものの、未だ脳医学的には未解明の部分が多い。
創造的教育ついて、現状もなお集約段階にあるのは次の通りである。この2月中に脳医学と職業訓練方法を織り交ぜてまとめる予定である。もちろん、これに関わる創造性育成実験も筆者と音楽好き仲間でやっている、まるでモーツァルトがハイドンのアイディアを真似て発展完成させたように。
(創造性(芸術性)の育成と鍛錬のポイント)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246

【参考文献→これから研究に織り交ぜる】
この研究文献は、アメリカの特筆的実績を持つ学校教育者たちが技能経験を込めて執筆している。学校教育者という人たちの特徴は、「一方的に話をして、その制約のもとに理解をさせる」専門家である。とても読みやすく、読者が賛同しやすいように編集してあるが、研究実践をするには難解な書物である。
『成功する練習の法則』日本経済新聞出版社:ダグ・レモスほか2名(2013年6月22日)
「練習」について筆者なりに主旨をまとめると、
1.質の高い練習方法は、正しい指導とフィールドワークに集中。
2.集中せずに漫然と練習すれば、仕事も漫然となる。
3.反復練習の成功率で習得の確認、計測、管理、項目設定をする。
4.習熟段階に併せ水準をアップして行くが、可能な限り複雑なものを正しく。
5.その人の得意な部分を桁外れに強く、練習時間の80%を集中する。
6.反復練習により、複雑さや不確実性の困難に直面しても余裕がある。
7.反復練習とは:「現実をあえて変形した設定で意図的に磨く」としている。
8.ロールプレイの練習は、チームで仕事をする直前打ち合わせ程度の効果しかない。
………といった具合である。


§日本経済の職業能力の組織化と育成後進性の理由が、
如実に発見されつつある。冷ややかな結論めいたことをいえば、職業に関する能力開発や能力向上を、全く楽しくない方法で行ない、嬉しくもない現実を見せられ、嬉しく感覚的経験のないことから頭脳に蓄積されもしない。こういった社会的システムによる能力後退が決定的になったのが今の姿である。「人材の能力を超える事業のシステムはない」と昔から言われる。…だがそれは、個別企業単位で創造できるということでもあるのだ。
日本人は芸能好きであるから、楽しく嬉しければ芸ごとに励む。
☆:聞くだけの音楽から→
=未熟でも参加する音楽は楽しい、プレゼン能力が向上する。
☆:観るだけの絵画から→
=時間が掛かっても陰影で描いてみる、論理構成能力がつく。
☆:上手は関係なしに踊ってみると→
=様々な作業能力や空間把握力で、「もの作り」に役立つ。
☆:小説を読むだけから→
=書けば、表面の広い人物と、奥の深い人物の存在を考える。
……そしてこれら、芸ごとを演出する能力は、人をケアcareするサービス事業のイノベーションを起こすのである。それでこそ、経済の成長に留まらず、経済の豊かさが文化の変遷発展にも影響し、その渦中の人たちには幸福感が漂うカラクリ(仕組み)なのである。