2015/01/06

第153号:空回りする社会経済に翻弄されないこと!

今月のテーマ:「空回りする社会経済に翻弄されないこと!」
<コンテンツ>
正解を導く方法は、誤った人が実行すれば、不正解となってしまう。
国家官僚や大手企業官僚が進める、「敷かれたレール」
2016年以降の制度改革で大転換する社会経済構造と経営変化
ICT産業革命の初期段階の弊害から抜け出すためには、
これから数年の激動にあたり、我々は覚悟が必要だ。
あくまでも筆者の本質的ドラスティック直感!


§正解を導く方法は、誤った人が実行すれば、不正解となってしまう。
intelligenceとは、この誤った人が実行しないようにするための情報が有益である、ただし「罪を憎んで人をにくまず!」がこの場合の人類の英知である。不正解にマトワリつく弁解や理屈は、そのすべてがinformationを切り出した形を論う(あげつらう)ものであり、intelligenceの内容はおろか説明形式すら整えられていない。誤った人どころか正解を導く方法でも、悪意を持った人によって実行されるからブラック企業やダンピング事業に至るのである。ちなみに、善悪という考え方は、古代ヘブライ人が発明したものである。“善とは何か悪とは何か”と考えるのは言語に翻弄されているだけである。むしろここでいう、「正解を導く方法」という単なる道具・武器?について熟慮することこそ大切である。あなたが、こういったことを18歳までに肌で感じていれば天才、25歳までに理解すれば秀才といわれる、ただしそれは地域・家庭教育に因るとされるが。


§国家官僚や大手企業官僚が進める、「敷かれたレール」
の上をスムーズに走るための経済政策や事業方針では、豊かさを伴う経済成長はあり得ない。彼らが達成・目標とする経済成長では、個別企業は「借金づけ」を招くこととなり、個人は生活単位で貧困化するばかり、人生の或瞬間に「盛り上がるか?」の虚栄でしかない。それは世界的なICT産業革命の初期の未熟段階と同時並行しており、そこでは、「敷かれたレール」を走るだけでは目標達成に限度があると評論家ブルといった現象ではなく、むしろ、「敷かれたレール」の上を必死に走り続けたがための脱落の繰り返しであり、結果はICT産業革命初期段階としての豊かさのマイナスと貧困化を助長しただけであることが証されている。ただ、学問的法則性をもって解明されていないから、社会一般で応用できない現状である。むしろこの「敷かれたレール」は、世間体を通じて意味不明な着想による恐怖感を人々にあおっている。その恐怖感も官僚思考のものは、「予算と規制」のワンパターンばかりのパソコンinformationにすぎない。よって、そういったことを含み前提としている彼らが達成・目標とする経済成長はリスクは高く、彼ら流の海外進出は危ないのである。
それを裏付ける証拠は、
先進国では法人税金扱いとされる社会保険料、これを値上げする日本の事実、
医療・福祉財源と言いながら社会保障ではなく、行政機構維持費に費やす日本の事実、
外国資本の国内投資障害を、具体的ポイントで温存する日本政府・官僚の事実、
地方や高齢者の持つ資産の社会循環を促そうとしない行政官僚や企業官僚の日本の事実、
労働力扱いされる若年女性の過酷な就労条件のシワ寄せを、クリエイティブな専業主婦や高齢女性に、炊事、洗濯、子育て、掃除といった「シワ寄せ」で押しつける政策事実
……といったところである。


§2016年以降の制度改革で大転換する社会経済構造と経営変化
今年は、その準備の1年となる。マイナンバー制、社会保険適用拡大、医療費の抑制その他、日本での経済活動・生活様式・労働スタイルの変更が始まろうとしている。それは、「敷かれたレール」の上をスムーズに走るための制度改革とされるが、読者が見抜いている通りそれは、「形と虚栄」に満ちているから、その活用と拒絶は個別企業と個人にとって重大な影響を及ぼすこととなる。

1.マイナンバー制
個人の情報を、国家収入である収税の観点と、社会福祉・社会保障の基軸となりつつある住民票観点からの管理である。同時に法人団体にも公開番号をフルのである。これにより、商品取引の習慣、労働時間の習慣、社会保険全員加入を新たに組み立てることになる、すなわち、架空取引撲滅、非課税労働撲滅、交際費・会議費の透明化、架空支払撲滅その他を進めようという訳である。これによる国の収益を誰も試算しようとしないから、以前筆者が試算したところ、高校生や主婦のアルバイトで3兆円及び架空取引などでも3兆円、合計6兆円となった。
ところが、これを日本国内すべての人間に適応できない闇の部分を国家官僚たちは想定できない。そもそも社会というものは支配的な部分と闇の部分で成り立っている=このことは経済の現場で仕事をしている人はよく知っている。経済活動や事業活動といったものは、最終末端では人手を要することになるのだが、ここには住民票のない人たちの存在、インフォーマルで働く中高生、賃金ではなく小遣い銭で働く女性労働が存在しているのである。この部分でのマイナンバー制のほころびは即現われ、この部分を国家官僚たちが表経済から切り捨てることは目に見えている。

2.週20時間以上労働する者への社会保険適用拡大
この適用拡大の主目的は保険料の回収にすぎない。企業単位500人以上の事業所から適用するのも集金しやすいためである。健康保険と厚生年金の保険料を回収したとしても、医療や年金に還元する道筋とかメドは存在しない。現時点で社会保険は強制適用と法律で定めておきながら、その実態は強制適用させない行政運用を年金事務所が行っている。強制適用を推進すれば非加入事業所の闇が増えるばかりと彼らの言う通りなのである。現に賃金水準の低い中小事業所に対しては保険料の点検調査が行われることがない。すなわち、社会保険を取れる事業所から回収して国営保険事業を維持しているにすぎない。
2016年10月1日から、週20時間以上の労働者に適用拡大しようとしているが、その適用状況の見通しは立っていない。適用を逃れるために大手企業から中小に至るまでの全産業でさまざまな対策が打たれつつある。コンプライアンスの清いイメージが必要な部分では、週20時間以下の労働力への切り替えが進みつつあるが、それは全体のパートタイマーに及ぶ見通しは全くない。そういう意味で、この適用拡大の主目的は保険料の回収にすぎないのであり、正解を導くポーズを取っても、ここで国家官僚は誤っているから、結果は不正解となるのは当然だ。この社会保険適用拡大は、労働市場関係の下支え政策を伴わないことから、今の労働市場のバランスを失わせる。それは、パート労働者の意欲低下を招き→品質低下や新商品・新事業開発に対するマイナス意識を社会で助長することとなる。

3.医療費の抑制
厚生労働省は昨年12月29日、地域ごとの1人当たりの医療費を比較することによって、水準の高い地域の医療費を抑制するといった形で以て削減を図る方針を打ち出した。既に個人のマイナンバーとの医療費チェックも構想として打ち出している。日本の医療費の特徴は、社会保険や国民健康保険による保険医制度(まるで厚労省フランチャイズチェーンの如く)である。病気になった人の個々人の医療費もさることながら、パートに拡大した保険適用の見返り給付が大きく影響してくることを国家官僚たちは議論しようとしない。将来的には当然に不採算となり→財政不足による給付制限といった思考パターンを国家官僚は押し付けてくる。
むしろ、予防医学事業をICTシステムで普及して発病や病状悪化を防ぎ、医薬品消費も抑制することで日本の医療は大きく改善される。反対に、医療費の高額負担は、嫁と姑の紛争、家族の人間関係紛争、相続財産争いその他の引き金を引くことは証されており、日本全体の産業構造が豊かさを伴う経済成長との関わりではきわめて重要な基盤にかかわる問題なのである。


§ICT産業革命の初期段階の弊害から抜け出すためには、
やはりその動機となる社会に暮らす個々人の心理を本格的に研究することが必要となる。一方では、統制や規制を地の果てまでの無限状態に、ICT機器を使って国家官僚や大手企業官僚たちが掛けていこうとする。そのことによって、人間の心理面が外向性の面から破壊
(外向性を無限の極限に向けて追及することでの神経をすり減らす損失の増加)
される懸念があるからだ。それは現時点でも精神疾患続発あるいは精神疾患レジスタンス(新型うつ病?)として世界的なメンタルヘルス問題になっているからだ。特に日本には、メンタルヘルスで重要となるところの、「外向性の面からの逃げ場」といったものがインフォーマルであっても存在しないといった特徴がうかがわれる。
すなわち自らを律することに長けた有能な人物にありがちな、いわゆる「私の立場」に立った上で地位や名誉を無理に貫こうとすると、職場でも家庭でもネット環境でも神経をすり減らしてしまい精神疾患に陥る。反面、内向的であれば、他者の批判や周囲の制度批判に埋没して社会を拒絶し、さらにそれは社会から見放されることとなり、やはり精神疾患に陥る。これを心理学者のユングは、「意識と無意識」などの用語概念で以て説明しようとしているが、この外向と内向を一体のものとして均衡を図ることが治療のコツと述べているわけだ。
(C・G・ユング他「黄金の華の秘密」人文書院←神秘的な題名の科学的難解文献)
近年流行りの行動経済学とか「ビッグDATA」といっても、あくまでもこれらの方法は単なる道具や武器でしかない。道具や武器が、先ほど述べたに外向性や内向性のいずれかに持ち込まれバランスを欠くことになれば、心理学者ユングは「分裂症になる」といっている。心理学者ユングの話を要約すれば、“未開人と同じように呪術を必要とする”、すなわち=酒に走る、精神薬に頼る、空虚な言説を好む、スローガンに頼る、宗教過度依存といったところのようだ。これは、個人の心理といったものに限らず、個別企業や事業部や各部署でも続発するようだ。筆者も約40年にわたり実施社会での組織運営に携わって来たけれど、単なる道具や武器で多人数の心理を扱う際には、重要な実践ポイントなのである。
(とりわけ大切なことは)
個人でも企業でも、外向性と内向性の「隙間にある結節点」に位置することが大切で、外向性と内向性のバランスをいかに保つかである。一方が強ければ空回りをする。一方が弱ければ崩壊しかねない。すなわち、多くの個別企業を例にとれば、
A.社外への営業販売が強くても、社内の受注体制が取れなければ空回りする。受注できる主体的能動的体制が必要となる、受動的であってはならない。
B.社内の創造・製作・処理体制が強くても、社外のクライアントとの取引関係を能動的に作ることができなければ、事業は崩壊する、要するに売れないのだ。
C.バランスを欠くのであればアウトソーシング(実行チーム)と契約すればよいのだが、日本ではそこまでの専門性をもつ集団がきわめて少ない。誤って外注に頼ってしまうと、外向性や内向性は個人でも企業でも外注・代替できないのであるから、空回りするか若しくは崩壊に進むのである。「利回り金融資本」は、担保があって利息さえ払えば融資をするだろうが、この融資が個人でも経営者でも「仇(あだ)」=ごまかしとなってアンバランスの危険が見えなくなってしまうのである。
よって、外向性と内向性のバランスを洞察して、今年はおとなしくすることが大切、あるいは防衛することが第一なのである。


§これから数年の激動にあたり、我々は覚悟が必要だ。
国家官僚や大手企業官僚が進める「敷かれたレール」とは、施策のキーマンの「私の立場」に基づく機械的思考パターンの集大成であり、キーマン個々人が責任を持っている代物ではない。これが日本の特徴である。金融機関の官僚は利益目標数値を達成のみのため、政治家は次期選挙のスポンサーのため、といった動機と行動パターンである。加えて、有能な官僚を抜てきするにあたっての最重要素質とは、「上司の論理構成や判断が様々異変転換したとしても、直ちに疑問なく信奉受容する特異性格」と言われる。したがってこの「直ちに疑問なく信奉受容する特異性格」を維持するための制度と資金を人事面でつぎ込んでいるわけである。これは世界的に共通した手法であり、欧米では公務員や官僚に対して、「自律的意思を持たないから=奴隷である」と評する、ここが欧米人が金銭を使って官僚を奴隷化する由縁なのである。
ところが、こういった官僚をはじめとした「私の立場」に立った上で地位や名誉を無理に貫こうとする労働力(自ずと労働といったクリエイティブ性はない)は、官民いずれの事業であっても究極的価値を生む固有価値商品を生み出すことがないから、併せて官僚機構は本来社会にあっては潤滑油程度の役割であるから、そういった側面からも人員定員削減が社会から求められる。よって彼らは官僚機構の財源確保と体制維持を地下で推進しようとするが、結局彼らは自ら相互に競争選別される運命にあるのだ。その職業の所詮は妻や子どもの犠牲を要するから、実際にはスポンサーを必要とせざるを得ないのが官僚である。スポンサーの付かない官僚は、公務員であれ民間企業であれみじめである。そのジレンマは、心理学者ユング流に言えば、「意識と無意識」の均衡を崩して心身いずれか脱落するというわけである。
だからこそ、読者のあなたにも、私は今ここでの覚悟を推奨するのである。
時代について行かなければと「敷かれたレール」や「公共事業のこぼれ」にしがみついたところで、彼らのいう税収財源には限りがあるから、“成長戦略”といった景気刺激策に期待したところで、救われるのは少数である。この文章を読んで心動いたあなたは、先ず官僚ではない、奴隷は自らの身分に疑問を抱いたときから奴隷ではなくなる。
官僚の職業手法というものは簡単に身に付く能力であるが、世界的大手企業の中心的関係者でもなければ官僚主義は社会経済商圏では通用しない。また、「形と虚栄」を追い求めれば、益々金融機関の官僚たちの甘い言葉の餌食になるしかない。近世の如く未開の地や人々に文明がもたらされたものではなく、周囲の現象は今や進歩も習慣も復古もが、「妬みと嫉妬の渦巻く環境」である。彼らにはただ予算の流れに沿って計算づくの人生に毎日を過ごし、愛情や悦びと希望は禁物である。もちろん、他人の役に立って収入を得るとか、役に立つ新商品とか、日々を豊かに周囲と暮らす毎日とは相反するのである。


§あくまでも筆者の本質的ドラスティック直感!
外向面と内向面を一体のものとしてのバランスが、何らかの衝撃や過労で崩れたときに、併せて外向面か内向面のいずれかに尽力を注いだ場合は、脳血管や心疾患を発症するか、さもなければ統合失調症や「大うつ病」に陥ってしまうようである。これら医学的に原因が分からない心身の病気は、私だけでなく多くの人が因果関係もなく目前にしているし、なぜか確かに創造性のある経営者や技能者とは異なる芸術家は、心理学者ユング流に言えば、「象徴を実現」しているようである。
おそらく解決策である、「象徴を実現」できる法則性は解明されるだろうし、それは前近代的な「休憩とか時間による回避行動的解決」とは異なり、ICTを活用した世界観・文化水準の発展として現れる。ただそのヒントは、(11月メルマガの続きも兼ねて)考えの割り切り方として、
1.ICT機器に流れる言語は詩的創造(心の気持ちの交流)を貫き、事実関係の説明はDataに任せる。
2.自分とは、豊かさとは、幸せとは、それは自己創造を貫くこと、保護や依存を求めれば本来的に自由はなくなる。ただし、ピンチのときの保護は必要で基本的人権である。
3.だからこそ、社会というものは自己創造を貫くための偶然のチャンスを保障することが重要事項となるのである。すなわち、不毛な物資の直接供給比率が逓減する現象ともなる。
それは読者のみなさんの周りの、個別企業や家族その他の小さな社会から世界観・文化水準の発展として現れ、そのことで事業活動が成功し家族・人間関係が豊かとなり、けれどもよく見てみれば、前期近代的社会経済を脱却した歴史パターンの繰り返しではあるのだけれども……。